クレンペラーのブルックナー8番について
2019 MAY 9 21:21:43 pm by 東 賢太郎
クレンペラーがニュー・フィルハーモニア管を振った最晩年のブルックナー8番というと、第4楽章の2か所のカットのせいで甚だ評判がよくない。ロンドン時代にお世話になった英国人ファンドマネージャーPさんはクレンペラーを高く評価していたが、あの録音にだけはやや辛口だった。1980年代のことだ。Pさんは僕より年齢は一回り上で、お客様というよりメンターであり、プライベートでは友人だった。エルガーのヴァイオリン協奏曲やら知らなかった曲はカセットにレコードを録音して教えてくれたりご自身の批評もくださった。第一次大戦前のドイツでキャリアの基盤を築いたユダヤ人であるクレンペラーを英国人がどう思っていたかということは思い返してみると興味深い。
数々の文春砲もののセックス・スキャンダルが知れ渡っているばかりでなく、クレンペラーは性格も相当変わった人だったらしい。敵も多かったそうだ。しかし、アイザック・ニュートン以来のケンブリッジ大学ダブルトップ(2学部首席)であったPさんのような英国人が支持していたのだ。「敵がいない者の取り柄は敵を作らないことだけだ」と言って。「同じユダヤ人でやはり敵が多かったマーラーがまず彼を認めたが恩人の交響曲を全部は認めなかったし、若きドイツ時代の十八番はカソリックのブルックナー8番だったんだよ」。この言葉を聞いて事の深さを知った。
問題のカットはショッキングなものだ。特に最初の方は、僕はそこが好きだから困ってしまうのだが、クレンペラーにとっては再現部への流れをシンプルにすることが大命題で、音楽的に素晴らしいだけにインパクトがありすぎる「無用の寄り道」だったと思う。2つ目もコーダにはいる脈絡において同じ判断をしたと考える。どのみちLPレコードで2枚組になるのだから録音上の制限時間の問題でないのは明白で、これはクレンペラー版として世に残すものだった。レコード(record、記録)とはそういうもので、エンタメの供給などではない。思索のステートメントを後世に残すものだ。「それが嫌なら他の指揮者を探せ」と録音は強行されたものの、商業的価値は低いと EMI 幹部は結論した。発売は断念され、このLPが世に出たのは彼の没後だった(売れなかったらしい)。天下の名門 EMI 相手に小物がそんな我が儘を通せるはずもない。日本の評論家はボロカスで何様だの扱いでありそうやって彼は敵を作ってきたのだろうが、そもそもブルックナー様やメンデルスゾーン様の楽譜を変えてしまう男の前に評論家もへったくれもない。僕はあのカットを支持することはできないが、クレンペラーという人間は支持する。
彼は曲を「それらしく」鳴らすプロではない。ブルックナーらしくといって、何がブルックナーなのか。NPOの録音に基本的にはノヴァーク版を採用したが、思い入れの殊更強かった8番のこれはシンバルを一発叩くかどうかというレベルの議論ではない。ノヴァークがクレジットできるならなぜ自分ができないかということだったと思う。例えば漱石を読んでいて、自分が「坊ちゃん」を朗読するならまず漱石はどうやっただろうと考える、解釈とはそういうことだ。聞けない以上は想像になるしかないが、それが「(楽譜を)読む」という行為である。「らしく」というのは読んでいる範疇にはない。万人にそう聞こえるだろうという表面づらをなでる欺瞞でしかなく、Pさんが看破したように八方美人は美人でもなんでもないのである。
クレンペラーが単に我が儘でそうしたのでないことは他のナンバーを聴けばわかる。4,5,6,7,9番において非常に意味深い、思考し尽くされた音楽が聴こえる。彼のモーツァルトのオペラの稿に書いたことだが、その演奏にリズム、ピッチ、アーティキュレーションを雰囲気で流したところは微塵もない。そのことと「モーツァルトらしく聞こえる」ことと、どっちが大事だときかれて後者と思う人は「他の指揮者を探せ」と本人の代わりにいいたい。そういう流儀でブルックナーをやるとこうなるのである。
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ソナー取締役会長に横尾敬介氏が就任
2019 MAY 7 22:22:06 pm by 東 賢太郎
お知らせ
ソナー・アドバイザーズ株式会社(東京都千代田区紀尾井町4-1)は、令和元年5月7日、取締役会長として横尾敬介氏(元みずほ証券株式会社 取締役社長)を迎えましたことをお知らせいたします。
代表取締役社長 東賢太郎
ソナー・アドバイザーズ株式会社 | sonar for value
毎日どうやって酔って楽しもう?
2019 MAY 7 1:01:11 am by 東 賢太郎
そりゃあ人に喜んでもらって、自分も喜びをもらう、人生こんないいことはない。うれしいことは楽しいことだ、まいにちそうなれる人生が最高じゃないか。でもまず人だ、自分からじゃない。人の喜びがおおきくなってばくだいなけいけんのないよろこびがやってくる。とにかく人に有難うって言ってもらおう。ごみひろいでもなんでもいいよ、それを毎日探すんだ。ひとつがふたつ、ふたつがみっつ、そうやって幸せはふえてく。するとどこかで幸せはおなか一杯になるよ、そこだ、自分のできることはそこまで。それ以上はいらないからね、あさ目がさめてそうならば、眠くなるまであるがままに過ごそう、何も考えず。
いま,つらいことを抱えている人はたくさんいる。ここにもそこにも、ぼくはしっている。つらいのはできることがないからだよ、誰も見てくれてないからだよ、ひとりぼっちでさびしいからだよ、それならば勇気を出してやってごらん、人に喜んでもらえばぜんぶ消えてなくなるよ。他人の喜びは自分の喜びのレシピなんだ。するとあなたはいつのまにか頼られているよ。それに気がつくよ。もっとつらい人がいることを知るよ。だから悲しんでいる暇なんかなくなるんだ。
やがて、時がたって、少し年をとって、そういうこともいらなくなる時が来る。僕は、清水ミチコさんの大ファンだ、だって喜びをもらえるんんだから。韓国のパククネ元大統領もファンだ。きっといい人なんじゃないかな、でもさびしいんだんだろうな、どうもああいう姉さんにはよわい。それをやってるのがこれだ、清水ミチコさん。いいじゃないか、もう3時間でもやってほしい。
おちこんだとき、ぼくはこれになぐさめられてる。笑いじゃないよ、こころにぐっとくるからまじめだ。ほんとにこんな姉さんいたらいいな、まいにち行くなあ、クネねえ、早く出れるといいね、いのってるよ。
そういやあ最近お見かけしないですね、小池姉さん。いやいや、そうじゃなかった、平成最後の金曜日かな、帝国ホテルでお会いしましたよね、経済同友会の懇親会でしたかね、とてもお元気でなによりで。そうそう片山さつきさんもお会いしたけどね、まあまだまだ小尼だね、小池姉さんのがタイプでございますよ、ほんに。
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シューベルト 弦楽四重奏曲第15番ト長調D887作品161
2019 MAY 6 18:18:06 pm by 東 賢太郎
僕が一番好きなシューベルトのカルテットは第15番 ト長調 D887 作品161である。この驚くべき作品を何度聴いたことか。シューベルトはサリエリに作曲を習ったが、尋常でない和声の豊穣はどこからきたのだろう?どうして耳に纏わりつくんだろう?
「死と乙女」、「ロザムンデ」より演奏されず人気もない。「鱒」もそうだが、シューベルトは歌曲王だ、だから歌の引用があるといいね、分かり易いし覚えやすいし、そういうことなんだろうか、実にくだらない話でハイドンの交響曲にニックネームをつける下衆の精神またしかりだ。15番にはMov2以外は売りになるような旋律はなく、あるのは万華鏡のような絶美の和声!ベートーベンも辿り着かなかった、極めて特異な世界である。
Mov1は短い序奏があって、カルテットにあるまじき「ブルックナー開始」にびっくりする。そこが第1主題なのだが本題はそれではない。G、D⇒F、Cと短3度上がってサブドミナント(C)に行きつくコード進行、これだ。矢印のところは「上がって」というより「ぶっ飛んで」という感じである。
どうして僕がそれに反応してしまうかというと簡単、ビートルズ世代だからだ。マジカル・ミステリー・ツアーの冒頭、Roll up! Roll up for the mystery tour! についてる E⇒G、A のコードがまさにそれなのである。
当時はピアノが弾けなかった。ギターのC、G、Fばかりみたいな未開な曲に辟易していた矢先に E⇒G の脳天直撃で目がくらくら、その洗礼がいつだったか記憶にないが日本リリースは68年だから中学時代だ。このアルバムは僕の中に革命を起こしたが、それは出だしの「E⇒Gショック」で始まったのだ。
どういうわけか、この転調に僕はブルー、藍色っぽい濃いめの青色を感じる。出てくると色がぱっと浮かぶ、例えばベートーベンのワルトシュタイン・ソナタ冒頭にも見える。譜面を見てみると C、G⇒B♭、F だ、ああまったくおんなじだとなる。ポール・マッカートニーもベートーベンもシューベルトも、みな曲のアタマで使ってる。ぶっ飛びが「つかみ」に使えると感じた作曲家魂であろうが、ビジネスのプレゼンでもお笑いネタでもそれが大事なのは同じだ、3人がこの和声変化に何らかの特別な効果を感じていたのは間違いないだろう。
シューベルトのカルテット第15番の和声の万華鏡はベートーベンの運命リズムの嵐に乗っている、基本的に。垣間見える後世の作曲家、シューマン、ブラームス、ブルックナー、頭の中がいろんな「色」でごちゃごちゃになる。Mov1の第2主題の後、ソドソドソミレド(静かになる)、これが出てこない、どっかで聴いたんだけど・・。ドーソーミーレドー。まてよ・・・
第15番の出版は1951年、ラインの作曲は1850年だ。矛盾する、おかしいな、そう思っていたらこのブログには書いてない重要なことを思いだした。シューマンは1839年にウィーンのシューベルト宅でハ長調交響曲D 944のスコアを発見して触発され41年に交響曲第1番を完成したが、このドーソーミーレドーはその第2楽章にはっきり出てくる(1Vn、Fl、木管で主題回帰する前、ト長調)。第15番は1826年の6月20日から30日の作曲で、ハ長調交響曲は1825年から26年にかけての作曲であると考えられている。つまり同じ時期に作曲されており、誰との委託も献呈もないからスコアはやはりウィーンのシューベルト宅にありシューマンはこっちも見ていたのではないか。第15番で激した感情を魔法のようにすっーっと収める場面で出てくるそれはシューマンでも似た使い方がされている。
Mov2は4つの即興曲作品90、D899の第1曲ハ短調(1827年作曲)だ、もうあまりにそのもので盗作でしょと笑ってしまうぐらい。Mov4の同名長短調の超短期パースペクティブの交代はもはや狂気の域に達しており、まともについていくとこっちも精神が物騒になる。同じころベートーベンはカルテットで人里知れぬ秘境へたどり着いていたがシューベルトはその道は行かず和声の魔宮の扉を開けていた。先述したMov1ブルックナー開始から主題が隆起していく様は音が大きくなるという単純なものではなく材質感が重くなって容量がふくらんでいく、これはまるで空間の expansion(膨張)であり、それが和声の地平の expansion を伴って見たことのない時空を形成する、カルテットとして前代未聞の驚くべき音楽で、どうしてこれが交響曲に結実しなかったか不思議でならない。
想像だが管弦楽法(管楽器、ティンパニ)の制約から思うような転調が出来かねたのではないか。彼はウィーン楽友協会に認められようという意図から管弦楽フォーマットで公衆向け作品としてハ長調交響曲を書き、4本の弦でイマジネーションのまま自由な転調の飛翔ができるカルテットのフォーマットで本作を書いたのだと思う。どちらもアルペジオーネ・ソナタや同じ年の10月に作曲した幻想ソナタのような涅槃の響きがないのはなぜだろう。交響曲、カルテットというベートーベンの十八番のジャンルで彼は「最後の作品」を書き残そうと思ったのではないか。もちろん死を悟っていたからだ。恐れよりも運命に立ち向かう姿。2年後に31才で世を去ることになる若者の気持ちを誰が察し得よう?
演奏に50~60分を要するD887、D 944、D956はシューベルトの器楽曲における三大金字塔であるが、歌曲はもちろんのこと室内楽2作とピアノ曲が彼の魂を揺さぶったままの音楽だと僕は信じている。
15番は正確にリアライズしてもらわないと真価がわからない。誰のを聴けばよいといって、それをクリアしている演奏はあまり聴いたことがない(実演はまだ機会がない)という稀なる音楽だ。信じられないことだがMov1の1stVnの高音はほとんどの著名四重奏団の録音がピッチが不満だ(上がりきらない)。Mov4はアレグロ・アッサイのエッジの立ったリズムで変転する調性の像を結ばせないと何をやっているのか意味不明で崩壊状態になる。だから曲の真価が広まらない側面があろうが、そのギャップを埋めるのが拙ブログの目的だからyoutubeで聴ける以下を選んでみる。
アルテミス・カルテット
とりあえず、これかなというところ。物足りない部分もあるが「正確にリアライズしてもらわないと」という点で90点はつけられるから、もうそれだけで表彰してあげたいぐらい大変なことだ。交響曲だと書いた「ストラクチャー」はこれが一番よくわかる。
ウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団
なにこれ、へたじゃん、言ってることと矛盾してないか?と思われるだろう。確かに。このカルテットは1930年代、ワルターが振っていたころのウィーンフィルの2番手クラスメンバー(レギュラーはバリリ・カルテット)だ。音楽は演奏も難しいが聴くのも難しいのだ。アルテミスQのメカニックな冴えはかけらもないが、闇雲に下手と言うのとはわけが違う。和声のあやしい雲行きはきっちり抑え、4人が音楽を「身に着けて」いるオーラがひしひし伝わってくる。口は下手だが人間的に迫力あるプレゼンと同じ。何も言えない。
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僕が好きな若武者たち
2019 MAY 4 19:19:48 pm by 東 賢太郎
プロ野球編です。
オリックス・バッファローズの山本由伸投手(20才)
逸材だ。ソフトバンク戦先発して8回1アウトまでノーヒットノーランの快投。で、味方もゼロで勝てなかった。前回3日の対戦でも七回までノーヒットの9回1安打でも白星は付かなかった。ソフトバンク相手にトータル17回被安打2というのは、もうお化けのレベルである。でも勝てず!仮にこれが20才の僕だったら?考えるも怖いが最低ベンチの扇風機の1、2個ぐらいは壊したろう。ところが山本くん、僕とは人間のモノが違う、「令和1戦目の目標はノーヒットノーランです」と目標を高く掲げた。応援するよ!
広島東洋カープの床田寛樹投手(24才)
昨日の巨人戦、完封ペースの好投をしてをいた。コントロールも右打者インサイドのスライダーもカットも一級品。三振が取れる。ところが、完全ゲッツーの
セカンドゴロを菊池がエラーでダブルセーフ。おまけにサード真正面のゴロを安部が鮮やかなトンネルで3失点。ここで「エラーは仕方ない、そこで踏ん張れなかった自分が・・」と言った床田くん、君は大物だ。ほとんど動じてなかった。ちなみに僕もある。セカンドがショートのトスをポロリとやって楽勝のゲッツーがダブルセーフ。1年坊主の分際で僕はマウンドで怒ってたらしい。それから34年の歳月がたった。50才の高校クラス会で三菱地所の偉いさんになっていたセカンドの彼と卒業以来初めて会った。開口一番、「東、あの秋季大会のエラーごめんな」ときた。ぽかんとしてたら、「ほら、あんときよー・・・」と説明してくれて、それが34年間も気になってたんだとわかって、「おい、おれ覚えてねえぞ、認知症やばいのかな」と笑いでごまかしながら、涙がぽろぽろ出てきた。でもあの時はガキだった。床田、もう故障だけはするなよ、きっと大物投手になるよ。
東京ヤクルト・スワローズの村上宗隆内野手(19才)
止まらん令和の大砲!球団新10代でホームラン
9発!!スイングに大物感漂うね。打撃のことはわからんけど岡本、筒香の路線で4番は射程圏にはいっただろう。なんたって19だ、19。しかもああ勘違いの生意気なクソガキじゃない、インタビューがしっかりしてるし先輩を立ててる。ああ俺の19のころなんて恥ずかしくて比べられない。この素直さはすくすく伸びるよ、先輩が引き立ててくれるからね、クソガキはだめだ、どんなに才能あっても可愛がられない、日本は怖いぜ、30こえたらつぶされるよ。村上くん、期待してるけど、カープ戦は打つなよ。
阪神タイガースの近本光司外野手(24才)
去年のドラフトで藤原、辰己のはずれはずれ1位だろ。しかも辰巳は同じ高校の2年後輩だ。こりゃ燃えたんだろうな。まず顔つきがいいね。
敵も上司も飲んじまってるぜ。自信満々で明るいから叩かれないな。赤星を抜く新人連続試合ヒット記録を早や達成してるしね。盗塁もできるしセンターもうまい。しかもカープ戦、カモ状態で打ちまくって、野村のクセ盗んで楽勝の2盗3盗。あの3盗は相手にこたえたね。僕は2014年の菊池涼介の出現を思い出してる。彼の守備、打撃、足の超人ぶりが丸と田中を覚醒させてカープは強くなったんだ。おんなじものを阪神に感じるよ。なんと言っても大事なセンターラインだ。ショート木浪、セカンド糸原、キャッチャー梅野ときみでばっちりだ。サードが4番打者の大山というのもまたいい。大山は打席の構えがいいよ、なんともいえず、天性のもんだろうな、ピッチャー目線でね、打たれそうな雰囲気感じるよ。何よりみんな若い、はやく福留と糸井を追い出してレフト、ライトも若くなれば相当強くなるな、ピッチャーも青柳がいいし。でもカープ戦は負けろよ。
読売巨人軍の吉川尚輝内野手(24才)
セカンドの守備はカープ菊池のゴールデングラブ賞をおびやかす存在になるだろう。打撃も抜群のセン
スでホームランも打て、左打ちで俊足である。ショートもできる。つまり運動神経が図抜けたお化け級のプレーヤで巨人の死角だったセカンドにそれがはまる意味はとてつもなくでかい。センター丸、ショート坂本、キャッチャー小林と彼でセンターラインが固まるなら巨人の野手陣は強い。弱点はケガが多いことだが練習方法を考えれば大丈夫ではないか。
広島東洋カープのサビエル・バティスタ内野手(27才)
飛距離というのはどうしようもない。練習して出せるものではない。この男、170メートル飛ばしたらしいが、ゴルフなら400ヤードものだろう。膠着し
た投手戦で、相手を一発で粉砕できるのはホームランしかない。バティスタの一軍デビューは2年前、2017年6月3日だ。忘れもしない、我が母のお葬式の日だったよ。初打席(代打)でいきなり一発。翌日も代打で一発。ありがとう、うれしかった。そして七夕の日、神宮で観戦したあの世紀の大逆転劇。狼煙となる君の一発は僕がかつて目撃した最も衝撃的な、バズーカ砲をぶちこんだみたいなまっすぐな当たりだった。50年もウルトラ弱小球団だったカープを応援してね、ひ弱な超貧打の選手たちを応援して期待を裏切られつづけると、打球が外野を超えただけでおおっとうれしいものなの。カープ女子にはこの辛酸、わからねえだろうなあ。カープにホームランなんてものはね、昭和30年代のビフテキみたいなもんなの(ビーフ・ステーキのことね)。庶民は食えなかったの。エルドレッドも何度も留飲を下げてくれたが、いまはバティスタだ。丸ショックでおかしくなったカープ打線の3番に座った。そして打った。好きな日本食は焼き肉らしい。そうか、店の肉ぜんぶ、いや牛一頭おごってあげたい。ホームラン50本頼んだぜ。
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令和の初読書は論語(山田史生教授の本)
2019 MAY 3 1:01:36 am by 東 賢太郎
「物語として読む全訳論語」
という題名の立派な本が郵便で届きました。弘前大学教授であられる著者の山田史生先生からで、丁寧なお手紙が同封されていました。「できるなら直接に参上して手づからさしあげたい」と心のこもったお言葉を頂戴し、さっそく全部読ませていただきました。
先生はもしかしてこのブログをご覧になったのでしょうか。
好きな本ベスト1が論語というのも実は僭越というか、僕はあんまり論語的に立派に生きてきたとも思えず、孔子先生にはまっさきに破門されそうな人間です。それに漢文は苦手で、読んだのが全文なのかハイライト版だったのかもわかってなかったのです。味読より乱読する性質(たち)で本を繰り返し読む習慣がありません。だから「座右の書は?」と聞かれると「ありません」とあっさり答えるしかなく、論語は3回ぐらい読んだ数少ない書だから1位にあげたのです。ただし、それも幾つかの名言が好きなだけでそれ以外はピンときておらず、こう書きました。
「こんなのを真面目に暗唱などして守ってたら現代社会で経営などできるはずもないとむしろ否定的です。**界の重鎮などと気取るときにないと格好悪い『座右の銘』のネタ本というところが大方のホンネと推察」。
いやこれは考え違いと思い知りました、本書を読ませていただいてそうじゃないよと諭された気分です。論語はビジネスマンのために書かれたわけではないし、先生の書かれるとおり「人生の指南書」として楽しむつきあい方が本来のものであったのです。
読後の感想ですが、4日間オペラハウスに通ってワーグナーのリングを初めて通して聴いた思いです。あれは4つバラバラに楽しめるし、名所だけハイライトでまとめ聴きでもいいのですが、通して味わうと長大な筋とライトモチーフがリアルに見えてきて格別の充実感があります。論語も同様だというのは発見でした。全文二十篇五百九章を通すと、バラバラと思っていたのが存外に体系があり、孔子、弟子の性格や人物までわかって人間くさい面白さも多分にあり、単なる箴言集ではないわけです。まさに人生訓の物語であって別世界の体験。これはぜひ多くの方に味わっていただきたいと思います。
例えば、「音楽にかんして孔子はプロはだしである」(述而13)のに子路の超ヘタクソな演奏にぼやきつつも喜んでいる(先進第11)。こういうところが温もりがあっていいですね。孔子は子路が好きだったんですね。顔淵の死。孔子の号泣。これも深いですね、それを弟子が書くこと自体が。こっちも歳を取ったんでしょう、弟子や諸侯の人間を看て語る言葉がずっしりきました。そういう孔子の礼や気配りに対して「他人の見る目がちがってくるわけじゃない。自分の気持ちがちがってくるのである」(郷党第十9)と註解されたのはまったく同感です。そうありたいものです。
読んでいただくしかないですが、先生の現代語訳はところどころユーモアも交えたエッセイ風で、現代人の眼とやわらかい感性を感じます。若い人も肩がこらずにすいすい読めますから、2~3日もあれば「論語を読破したぞ」と言えてしまう。論語風に書けば「難しいものを説明できない人は凡人、難しいものを難しく説明できる人は賢人、難しいものを易しく説明できる人は超人」と思っておりますが、今回で論語は難しくないと思うようにしていただいたことに敬意を表しますし、それを鏡としてご自身の経験や人生観を投影もされており、正に人生をかけた渾身の作品と思います。ご著書が他にも数多あるようで、アウトプット量の多さも学者の鑑ですね。
お言葉に甘えて手紙の返信は失礼させていただきますが、せめてもの返礼でこのブログをお贈りしたく存じます。
令和の初読書が論語読破というのはちょっと誇らしい。おかげさまで少し賢くなった気がしますし、良い記念にもなりました。家族にも読ませます。ありがとうございました。
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2勝4敗で終わった平成の人生双六
2019 APR 30 22:22:36 pm by 東 賢太郎
平成が終わります。ちょうどソナーのHPを刷新するのでそちらに書いたブログを読み返していると、こんなのがありました。一昨年の3月のものです。
2017.3.28.
『人生、5年区切りの勝ち、負けは?』
オリンピック、高校野球、WBC、そして大相撲優勝決定戦、ゴルフのプレーオフ、どれも面白い。なぜだろう?
それはサドンデス(負けたら終わり)の切羽詰まった戦いだからでしょう。我々の人生でそういう場面はそうあるわけではありません。入試、入社面接、プレゼンなど無いわけではないですが、トップアスリートの頂点をかけた戦いに比べれば負けたっていくらも救いはありますね。
僕は勉強も運動もエリートだったことはなく、負けた記憶のほうがずっと多いしそれをよく覚えてもいます。人生を生れてから5年区切りで勝ち、負けをつけてくると何勝何敗かという話があって、60才だと12回の勝負があるわけですが、勝ったと思うのは16-20才、36-40才、51-55才だけです。3勝9敗の人生です。
3回の勝ちは大学入試、出世、転職というサドンデスがあって偶然うまくいった。それが自信になって厳しい業界を生きてこられました。しかし、いま振り返りますと、うまくいったのは多分に運だったと思うのです。努力はしましたが、実力以上の結果が出るツキがあったことは間違いありません。
その3回とも、すぐ前の11-15、31-35、46-50才が負け期間です、何をやってもだめな雌伏の時期があって、そこで耐え苦しんで何らかの「貯金」ができていたように思うのです。これは後講釈ですし、その時は必死にもがいていただけで貯金しようなどと思う余裕すらありませんでしたが。
プロ野球の名選手、名監督の野村克也さんが「負けに不思議の負けなし」と言われるのが今になってわかった気がします。雌伏の時期に連戦連敗して悔しく、ちくしょうと思って勝ち方を研究した。その負のエネルギーが正に転じたら勝ったのです。連勝だったら僕は何も学ばず還暦になっていたと思います。
甲子園を見ていて、あの延長15回引き分けを2試合ですね、そこでハタと気がついたのです。「負けなきゃ勝ちだ」ということを。自分は三振を取ってねじふせるのがいい投手と思ってましたが、自軍が取った点数以上を与えなければいいやという投球をしていたらもっと結果はよかったかなと62才になって気づいたのです。
人生もおんなじで、毎日サドンデスなどできないし必要もない。一度も勝たなくたって我慢して諦めずに「そこ」に残っていれば、ツキのほうが寄ってくる。思えば、僕の3回の勝ちはまさにそれだったのです。
それには一つだけ条件が合って、「試合」はしていることなんですね。とにかく戦って、負けても仕方ないが、ちくしょうとは思って、負けない努力だけは毎日コツコツとすること。試合から逃げると人間もうだめです。なぜなら「五感」が働かなくなる。どんなに優秀でも頭脳明晰でもそうなると五感を磨いた人には負けます。それは不思議の負けでない、当然の負けなのです。
そうやっていると次の5年でツキが来て、それは神様平等で誰にも来るものは来ます、そこで五感が働いてそれをつかもうと自然に体が動くのです。五感が鈍った人は気がつかずに見逃がします。つかんだ人はそこで勝ちの5年になって、自分がステップアップする。次元が変わる、この感じは僕の同世代で自分もあるぞと体験された方も多いのではないでしょうか。
56-60才の5年は明らかに負けの時期、雌伏期でした。さてそれがここで吉と出るのか、もう5年だめなのか?さっぱりわかりませんが、ちくしょうと思って諦めない、その気力だけはまだ残っている気がいたします。5年生きてればですが・・。
そうですね、今もそう思っています。僕の人生双六(すごろく)、このブログを書いた時点で3勝9敗でした。60-64才も勝ったとはとうてい言えないので今で3勝10敗です。昭和が1勝6敗、平成が2勝4敗。昭和時代、つまり34才まではほとんどいいことはなく、平成は多少良くなりましたが、でもそこだけ見るとやっぱり2つ負け越しで終わりました。謙遜でもなんでもなく、その5年5年をクールに評価するとそうなのです。負けというのは、積極的な大失敗もあったし、消極的にチャンスを見逃してしまったのもあります。
ところが、書きました通り3回だけ大きなツキが来て、ヨシッと思ってもがいてみたらラッキーな展開になり、なんとなく結果オーライになりました。失敗から学ぼうと悔しまぎれの努力は確かにしたのですが、思えばそれがあって次にうまくいったという格好いいものではなく、むしろ単純に、その刹那の運がよかったと思います。しつこくあきらめなかった、それだけです。
令和という3つ目の時代がどうなるのかわかる由もありませんが、ツキが来るのか来ないのか、来ればまたもがけばいいし、来なければ今度はもうそろそろあきらめるしかないでしょう。そう思いましたので今日、岩佐君に来てもらって僕がやりたいことを5時間かけてじっくり議論し、お伝えしました。いい時代になるかどうか、社員の皆さんに託しますし、あとの運は天に任せます。
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シューベルト 4つの即興曲D899より変ト長調
2019 APR 30 2:02:08 am by 東 賢太郎
10連休。僕ら海外とビジネスする会社は関係ないが仕方ない。せっかくの時間だからピアノでも弾こうとなり、前からやりたかったシューベルトの4つの即興曲作品90の3番目、変ト長調アンダンテの譜面を置く。神のように美しい曲だ。ト長調じゃない、くぐもったようでほんのり暖かい変ト長調!いいなあ。聴いた音ほど一筋縄でいかないがまあ今日は大体のところでオッケー。
いままでラドゥ・ルプーを愛聴してきたがyoutubeにいろいろある。♭が6つもある譜読みはけっこう大変なので耳から覚えてしまおうということで片っ端から拝聴。印象に残ったのを以下に。
マリア・グリンベルク
メロディは絶妙なルバートで心から歌い、ピアノでこんなことができるのかと感嘆。中間部のドラマが48小節目のppでふっと天国のように音色が変わる。音楽を感じきっており、変転する調性や低音のトリルの深い意味がこれで初めてわかった。素晴らしいの一言。
クリフォード・カーゾン
うまい。テンポはグリンベルクよりやや速いがこちらがアンダンテかもしれない。フォルテピアノのイメージに近く、シューベルトが弾いたのはこういうものだったかと思わせる。
アルフレート・ブレンデル
美しい。ロンドンで何度かリサイタルを聴いたが pp のタッチの美しさが群を抜いていた。中間部の fz を激することなく弾いて全体にあっさりして深みはないが、このバランスの良さがブレンデルだ。
ウラディミール・ホロヴィッツ
バスの弾き方がホロヴィッツだ。ロマン派に聞こえてしまうのが賛否あろうがタッチのパレットの豊富さはやはり只者でない。
ヴィクトリア・ポストニコワ
ロジェストヴェンスキーの奥方である。これは凄い。心の歌がびしびし琴線に触れてくる。音符をきれいになぞっただけの演奏とは別次元であり本物の音楽だけが持つ無限のパワーここにありだ。シューベルトに聴かせてあげたい。グリンベルクもそうだが、ロシアン・ピアニズムの精華。
タチアナ・ニコライエワ
これはオーケストラだ。このテンポは遅すぎと思うがどうしたらこんなに深い低音が鳴るんだろうというニコライエワならではの芸。彼女のJSバッハ(平均律)もオーケストラだが僕は好きである。
グレゴリー・ソコロフ
いいテンポだ。ルバートも大きくなく古典的な佇まいがあるが中間部はドラマティックであるし14小節の pp に落とす感じも見事であり、シューベルトの意図はこうかなと思う。生半可な技術では到底できない至芸。
ドミトリー・バシキーロフ
淡々と弾いているが詩情が深い。何も特別なことはないが名人芸だ。1955年のロン=ティボー国際コンクールピアノ部門にて最高位、娘はピアニストのエレーナ・バシュキロワでダニエル・バレンボイムの妻。
アンドレイ・ガブリロフ
この人はどうなってしまったんだろう?ムーティとやったチャイコフスキーやラフマニノフでテクニック屋みたいに思われたのだろうか、うますぎるのも不幸なものなのか。彼のバッハのフランス組曲は好きで聴いている。これもいい。独特な明るさ、清楚な透明感と暖か味があってテクニック屋などとは程遠い名手である。実に素晴らしい。
リリー・クラウス
聴いたことのないヴァージョンだ。やや速めのテンポでアルペジオがよく聞こえ川の流れのよう。起伏に富み自家薬籠中のものになっている。
ラース・フォークト
この人もドイツで何度か聴いたが最近は聞かない。ソフト・フォーカスで弾く主部が儚さを醸し出してロマンティックだ。そこはかとないルバートがそこで効いてくる。こういうのも悪くない。
カティア・ブニアティシヴィリ
ヴィジュアルに圧倒され、音だけ聴き返したが悪くない。東京で聴いたシューマンPCはばりばり弾くだけで幻滅だったが、この人は音の色彩にセンスがある。
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ワーグナーは音楽を麻薬にした男である
2019 APR 28 18:18:59 pm by 東 賢太郎
ワーグナーは信じ難いエネルギーで膨大な量の楽譜を残したが、あれだけ多産ということは種をたくさん撒いたということで、まあきれいに書くなら自己顕示欲の塊だった。彼はそこに真の意味における精力絶倫までくっついているのだからきわめてわかりやすい。押しも押されぬ音楽界の大王である。注意しなくてはいけないが、中途半端だとセクハラおやじになってしまう。ところが不思議なもので、あの域までやって大王になってしまうとオッケーどころか崇拝者まであらわれるのである。その世界、過ぎたるは及ぶが如しである。
古来、大王の崇拝者をワグネリアン(Wagnerian)と呼ぶ。英語だから男女はないが、ドイツ語だとヴァグネリアナー(Wagnerianer)で男性名詞である。すると、女性である場合は法則に則って in を語尾につけ、ヴァグネリアネリン(Wagnerianerin)ということに相なる。舌を噛みそうなのでどうでもいいが、男女のリスナーに共通していることが一つある。大王の人としての評価が低いことだ。立派な男だという声は聞いたことがない。唯我独尊、誇大妄想、ホラ吹き、借金まみれ、夜逃げ、踏み倒し、壮大なる浪費癖、王様をカモにして国家財政が危ないほどむしりまくる、女はかたっぱしから寝取る。彼に罪はないがヒットラーがワグネリアンになったから危険な音楽にもなってしまった。救いようもない。しかし、それでも彼は大王なのだ。
僕の評価を言おう。ワーグナーは音楽を麻薬にした最初の男だ。トリスタンとイゾルデに媚薬が出てくる。敵同士の二人はそれを飲んで惚れあってしまう。あのシーンはワーグナーの音楽の全部の象徴ともいえる。媚薬なんてもんじゃない、麻薬である。彼は富も名声も女も、すべて自らの指が生み出す麻薬で得たのだ。中毒になったバイエルン国王ルートヴィヒ2世は湖で変死した。音楽に狂って暗殺説まである王様はいない。若きヒットラーは食費を切り詰めてまでワーグナーを観に劇場に通った。中毒と戦ってやがて離反したニーチェ。トーマス・マンの中毒はセックスと死のどろどろとして三島由紀夫に伝染した。みんなそれなりに熱くてはまり症のある一癖二癖ある男だ。やっぱり男性名詞であることに意味があるんだろうか。
では作曲家は?サウンドをまねた者は数多いる。しかし中毒症状を発して病膏肓に入ったのはブルックナーでもマーラーでもR・シュトラウスでもない。ドビッシーだ。トリスタンなくしてドビッシーはないと断言する。他の者はすべて、それに比べればなんちゃってワグネリアンに過ぎない。ペレアス、海、遊戯のスコアを見ればわかる。僕はそれを、海をシンセで演奏して発見したのだ。ドビッシーがカネの亡者とは聞いたことがないが、女にはやはりめちゃくちゃだった。オカマ系ではない、ワーグナーと同系の、男性、オスそのものである。そうでなくてトリスタンなど書けるはずもないではないか、第一幕前奏曲は男のセックスずばりの克明極まりない描写であり、なぜフェミニストの先生がセクハラ告発しないのか不可解である。解決しない和声とは男の欲求が満たされないそのものずばりなのである。それに感応したドビッシーは、和声連結をまねたりワグナーチューバを使ってみたりの薄っぺらな表層ではない、音楽の根幹、本質で深く深くワグネリアンとなり、やはり男を迷わせ破滅させるメリザンドを解決しない和声で描く。そう、はっきり書こう、両者にとって同じことは、女は客体だということなのである。主体である女性にはわからない所があると思う。
ではヴァグネリアネリンはいないのだろうか?いやいや、いるではないか。しかも、大王に負けない女王である。コジマ・ワーグナーだ。最初の夫、大指揮者ハンス・フォン・ビューローからワーグナーが寝取ったことになってるがどうだろう。僕はコジマが自分からのイニシアチブで乗りかえたような気がしてならない。ビューローには申し訳ないが、音楽家として格が違いすぎた。もしそうならコジマは大王を食った大女王ではないか。ワーグナーの大言壮語はとどまることなく「俺のような世紀の天才にカネを出し惜しむような奴は馬鹿だ、後で後悔するぞ」といっている。ところが、コジマはそんな男を「謙虚で慎ましい」といっている。どういうことだろう?
彼女は本気でそう思っていたのだ。夫の没後も毀誉褒貶から名声を守り、バイロイト音楽祭を今の形に興隆させたワグネリアンの女神である。「慎ましい」、何に対して?もちろん夫の音楽のもっている本源的価値(intrinsic value)に対してだ、それ以外に何があろう。コジマはあのフランツ・リストの娘である。父リストは、誰も弾けず、価値は棚ざらしだったハンマークラヴィール・ソナタを弾いて世に認めさせた。ベートーベンの音楽は発見されるのに時間を要したが、娘はワーグナーの音楽にそれを嗅ぎ取った「違いの分かるオンナ」だったに違いない。「あなた、このスコア、百年後にはン億円で売れるわよ、間違いないわよ、それにしちゃちょっと謙虚すぎない?」と言ったかどうか知らないが、世間では大王様である夫の尻を叩いて、勇気を与え、安心も与えたのは彼女だ。男女の「創造的分業」の鏡である。本当に賢い女性は活動家になる必要はない、こういうことができてしまうし、それは絶対に女性しかできないのだ。
ワーグナーをバイロイト音楽祭やウィーン国立歌劇場やベルリン国立歌劇場やヘッセン州立歌劇場に観に行く。あれは「観に」という感じが近い。細部にまで耳を澄まして「聴きに行く」というよりも、「メタ」に五感が反応するものであって、僕的にはお正月に神社に昇殿参拝してドドドドンと太鼓がたたかれ、ご祈祷が始まり神職が祝詞(のりと)を読み、大麻でササ-ササーっとお祓いを受けてまたドドドドンで終わる、ああよかったねえというあの福々しい感じにトータルには近い。タンホイザーのヴェヌスのエロティックな場面とか、ラインの黄金の水中の乙女の場面とか、まずはヴィジュアルにおお~!となって忘れられないのもあるが、音楽は8割がた僕には祝詞みたいなものだ。しかし2割があまりに良すぎて麻薬であって、それを待つ苦行に耐えているからこそ「来た来た来た!!」となって薬効が倍加するのだから始末が悪い。
ちなみにモーツァルトに祝詞はなくて、徹頭徹尾、終始美しい。それはそれで難しいものだが、しかしドイツの田舎の歌劇場でモーツァルトは何とか聞けても、ワーグナーは無理だ。なぜかというと、人間、体のサイズというものだけはどうしようもない。ワーグナーにはアスリートの側面があるのだ。甲子園クラスのチームと当たってホームベースに整列すると、まずつぶやいたのは「おい、でかいな」だった。広島カープにミコライオという2メートルの投手がいたが、横浜の試合後にJRに乗って、隣にやけにでかいやつが立ってるなと思ったら彼だった。ヒゲが僕の頭の上にあった。あんなのが投げて打てっこないや。じゃあ音楽家はどうか?そんなことはないと思いきや、ワーグナーのオペラだけは別ジャンルだった。ソプラノが舞台にしずしずと出てくる。普通なら顔に目が行くが、しかし、違うのだワーグナーだけは。女性に失礼なので名前は書かないが、まず感じるのはやっぱり「おい、でかいな」だ。中肉中背だけのキャスティングなどあり得ない、東京ドームで少年野球を観るみたいになってしまう。
ブルックナー、マーラーに劣らぬオケのサイズだ。その大音量に負けず5時間も声を張りあげるとなると、ソプラノは巨山が聳えるようなマツコ・デラックスみたいな体格が必須であって、世界中探したってそうはいない。僕はコロラトゥーラの澄んだきれいでかわいい声のソプラノが好みだが、彼女らはワーグナーではお呼びでないのである。おおざっぱに言うならばモーツァルトで大事だといわれるものは聴く側には不要であって、委細構わず常人離れの大音声で客席を圧倒し、大向こうをうならせ、伴奏オーケストラもフルスロットルのアクとケレン味たっぷりでよろしい。そうでないワーグナーなど、僕はなに勘違いしてるの?としか思えないのだ。
レコードならショルティとカラヤンのリングがやっぱりすごい、こりゃあ500グラムのステーキを平らげるようなもんだ。4番バッター軍団はギャラも高いし大物はスケジュールも合わないから舞台上演は難しい、どうしても録音がベストということになるが、もし「リングを舞台で聴かせてやるよ指揮は誰がいいかね」なんて夢がかなうなら僕はロリン・マゼールを指名したい。彼は指揮界のアクとケレン味の大王である。そのせいだろう、日本では甚だ人気がないが彼の音楽力のファンダメンタルは破格だ。ヴァイオリニストでもあり、同業者の間で「ベートーベンの交響曲のスコアを記憶で書けるか?」と話題になった時、俺は無理だ、でもひょっとしてあいつならとマゼールで意見が一致したという逸話がある。
彼は歌なしのリングもやっているが、抜群に面白いのが1978年のこの録音だ。マゼールは脂ののった48才。カラヤンやクレンペラーが振ったフィルハーモニア管弦楽団はプライドが高く、ボケナスの指揮者など上から目線でコケにするつわものオケだが、完全に御してやりたい放題である。痛快この上なし。昭和のむかし、男ならなりたい三大職業が連合艦隊司令長官、プロ野球監督、オーケストラ指揮者だった。で、 指揮者なら?僕はワーグナーの麻薬を撒き散らして思いっきりあざとくやりたい。この「リエンツィ序曲」みたいに。
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太閤秀吉の完全犯罪(私説・本能寺の変)
2019 APR 26 1:01:04 am by 東 賢太郎
10年ほど前に福岡に行ったおり、秀吉が朝鮮出兵した「文禄・慶長の役」の折に諸大名を集結した基地である名護屋城跡を見に佐賀へ行った。韓国で秀吉は蛇蝎の扱いであって、平城まで攻め込んできた日本軍に立ち向かった李 舜臣(イ・スンシン)将軍は救国の英雄である。彼を知らない韓国人はいないから、ということは秀吉を知らない人もいないということだ。朝鮮出兵といわれ、結果的にはそういうことになってしまったが、本来の目的は「唐(明国)入り」であった。経路とされた朝鮮には迷惑至極な話だったが、逆に日本が侵略されかかった元寇もあるのだから秀吉の頭の中ではあいこの話だったかもしれない。
その時に名護屋城跡で眼下に見た玄界灘の光景が記憶に焼きついていて、のちに安土城址から眺望した琵琶湖の姿にそれが重なった。「唐入り」は周知のようにもともと信長のプランであり、重用したルイス・フロイスらイエズス会宣教師から得た地球の地理・地勢、天文学、航海術、宗教、交易の利、近隣国の政治情勢などに関わる知識とビジョンを彼は持っていて、それを若者に学ばせようと安土城の麓にセミナリオ(学校)まで造らせている。彼は神仏にすがらぬ唯物論的思考の人で、思考が合えば人種も宗教も一気に飛び越えられる。西洋人的であり、今流ならグローバルである。一方のイエズス会としてそれは無償のサービスであるはずがない。日本はもとより、強大な武力を有する信長を焚き付けて大国・明を攻め落とさせ、中国大陸に布教を進めようという下心があったと思われる。
しかし秀吉はというと信長の唯物論はかけらもない。やがてイエズス会を異質なものとして警戒し全面的に追放してしまうのだから、国内に焚き付ける者はもういなくなった。そこに「唐入り」プランだけが頑迷に彼の頭に残ったのは思えば奇異だ。それも病がちになる最晩年である。聚楽第から指揮しようというのではなく自ら朝鮮に渡るとまで言い放って名護屋に陣を構えた執着ぶりは生命を賭したもので、部下となった諸大名の心を外敵との戦さに向けさせる必要があったとはいえ、そこに勝算があると信じこめた彼のポジティブ・シンキングはビジネス的視点からすると誠に凄まじい。ただでさえ常軌でない日々を生きた戦国武将の心を平和ボケした現代人の常識や正義感で読み解くことには抵抗感を覚えるが、このケースはそうと知っていてもなお、凄まじい。
城を囲む諸大名の陣形はこうだ。まさしくこの時点での戦国武将オールスターであって、徳川家康はもとより信長の次男、織田信勝、かつて三法師であった孫の織田秀信の名も見える。ルイス・フロイスが「あらゆる人手を欠いた荒れ地」と評した名護屋には「野も山も空いたところがない」と水戸の平塚滝俊が書状に記している。誰も来たくなかったし、まして荒海を渡って未知の土地で手の内の知れぬ異国人と斬りあいなどしたくなかったろう。全員が殿の乱心と見て取ったろうが、それが政権での仕事なのであり、権力には服従するしかない。秀長がなくなり、利休を切腹させ、鶴丸をなくし、母をなくし、秀頼が生まれ、そして後継含みの関白を譲ったはずの秀次を切腹させた秀吉がここにいた。老いのあがきや狂気と通解されるが、信長の残虐と同様に現代人の善悪観念では量り得ないものがあると思う。

後の関ケ原合戦での東軍、西軍の色分けを見ると、城周辺に東軍が多く、石田三成は離れて後方を固めているが、注目したいのは足利義昭の名がみえることだ。武力は期待できない征夷大将軍がなぜ陣を張ったのだろうか?
本能寺の変の真相、黒幕探しは諸説の百花繚乱だ。大体目を通したが、真犯人は秀吉という説が格段に面白い。文献資料がないため俗説扱いされるが、長年ビジネスの権謀術数でもまれた僕にはけっこうリアリティがある。ぜんぜん「あり」だ。なぜなら、秀吉は戦さもうまかったが、天下を取れたのは「調略」の達人だったからだ。「人たらし」という評判は、調略能力が上司に対して行使された場合のいち名称に過ぎないわけである。ビジネス界にもへたな調略だけで飯を食ってるしょうもない奴がいて僕は蛇蝎かゴキブリと思い成敗してきた。しかし達人の域のは手ごわい。逆に痛い目にあわされるし、誰が仕掛けているかわからない危うさがあって毛沢東が三国志を愛読したのはわかる気がする。そういう生々しい体験から本稿を書いており、もちろん僕も調略を試みたことがあるが、うまくいかなかったことを告白しておく。はっきりいって、へたくそである。そんなつまらん労力を使うなら集中力を高めて中央突破したほうがよっぽど早いし、痛快でもある。
調略は人知れず行うから調略なのであって、書面、書簡に残すような馬鹿はおらず、爾後に口を滑らすような相手は殺すか最初から輪に加えないのは常識である。秀吉がこんなこと言ってたぞと口が軽い奴、命令通りに動かない奴は一切信用せず、こういうお家の一大事には関わらせないのである。つまり「秀吉真犯人説は一級文献資料がない」という批判は、秀吉のクレバーさと完全犯罪を証明する言葉ではあっても、批判としてはまったくナンセンスである。むしろ資料がないからどれもが真相であり得るのであって、しかも誰でも推理ゲームに参加できる。若い頃は関心がわかなかったが、この年になってみて、この場面ではこう考えるだろう、こう動くだろうという読み方ができるようになって俄然面白くなった。そこへ岐阜に行って、関ヶ原古戦場のあちこちに立ってみて、戦国時代好きにまたまた火がついてしまった。歴史は本当に面白い。以下私見を書き連ねるが、まったく何の根拠もないからご笑納をお願いする域を出ない。ただ、ビジネス界の奥座敷では「あるある」だということだけは自信をもって申し上げられる。
明国に後陽成天皇を移す意図を持つ信長の専断は朝廷の度肝を抜いた。最後の抑止力であった武田氏が滅亡し止める者はなくなった1582年3月、天下の空気は一変し、朝廷による旧体制である室町幕府再興を旗印に反信長諸将がまとまる余地が垣間見えてきた。征夷大将軍・足利義昭にかわって信長を誅する大義をまっとうする武将は家格が問われ、それは毛利ではあり得たが力不足であった。しからば明智であろうという流れは光秀をくすぐるには自然である。その時点で義昭は毛利配下の鞆城に身を寄せており、室町幕府再興案が信長の排除になるなら高松攻めで追い込まれている毛利も、信長と敵対していた土佐の長宗我部(光秀の親類)も加勢することは目に見えている。その情勢を手に取るように読める位置にあったのが、中国攻めを拝命し高松城攻略を決行していた秀吉なのである。
この計画の最大のボトルネックは家督相続人である織田信忠だった。信州高遠で勝頼を深く追い詰め武田を皆殺しにした信長の長男だ。この戦いは織田家、武田家の跡取り息子同士による雌雄をかけた決戦という意味合いもあった。父の天下布武を固めるメルクマールとなった戦勝に武運を見て、信長後継の地位を固めたと諸将は理解した。信長を誅しても、信忠がとってかわる。従って、信長政権奪取という「調略」は信長・信忠を同時に葬ることが必須であったのである。その機を狙って練られたものであり、側近のみの知る父子の身辺情報とスケジューリングに関与できる者しかなし得ない。最重要の身辺情報とは、武田滅亡による信長の心の隙だ。護衛もなく富士を眺めに出かけて悦に入る。その隙が軍勢なく至近の二寺に二人が泊まるというあるまじき油断を呼ぶ。そうしたものは語られたり書かれたりはしない。空気で読むのであり、常に側近にあって最も信頼される部下しか機会はない。
秀吉が中国攻めのキーポイントである高松城攻略に信長の主力軍勢など3万を率いていた事実は、彼が信長の全幅の信頼を得ていたことを示す。高松城側の勢力は高々3000人でしかないが、そこで秀吉はなぜか信長に援軍要請をする。家康の接待役を務めていた明智光秀に急遽助太刀の命がくだり、さらには信長自身も加勢せんとして本能寺に逗留することになる。命にかかわらないビジネスでもここまで部下を信用したことがない。私心への疑念など微塵もない、驚くべき、最大級の信頼である。秀吉は情報操作でいくらでも信長を欺ける立場に昇りつめていたということがわからない人にはわからないだろうが、経験から申し上げる。こういう部下が一番危ないのである。3万の兵力でも苦戦して水攻めに切りかえた城に光秀と信長がさらに大軍で押し寄せて何ができよう?それを失態と責められず済ます自信があるから仕掛けられるのである。援軍要請は光秀に軍勢を与え、信長、信忠を安土城から丸腰でおびきだすための調略であり、帳尻合わせに高松城の難攻不落ぶりを誇張して流言させ、後世になって、奇想天外な戦法、彼一流の軍略であると尾ひれがついたのは流言がいかに多かったかを物語る。
事件は6月2日未明に起きたが、秀吉が「信長斃れる」の変報を聞いたのは3日夜から4日未明にかけてのことであった。太閤記は光秀が毛利氏に向けて送った密使を捕縛したとするが、この書は44年後に書かれた秀吉親派のよいしょ本である。密使は毛利でなく、秀吉に送ったものである。秀吉は5日に「上様(信長)も殿様(信忠)も無事に難を切り抜け、近江膳所(滋賀県大津市)まで逃れている」と大嘘の返書を「ただ今京都より下った者の確かな話」と更なる大嘘で塗り固めて摂津茨木城主・中川清秀に送っている。信長生存の煙幕は光秀をも疑心暗鬼にした。遺骸を見ていないのに光秀は「信長斃れる」と書けただろうか?仮に共謀がなかったとして、秀吉はそれを鵜呑みにしただろうか?では秀吉はどこで父子の死の確報を得たのだろうか?真実を知らぬ者に嘘はつけないのである。
明智光秀にいつどこで囁いたか知る由はない。胡散臭いが口八丁手八丁の手練れ坊主である安国寺恵瓊なら間者をできただろう。こういう手合いもビジネスではよく遭遇するが注意しなくてはいけない。「信長主力軍は我がもとにあり上様は本能寺、殿様は至近の妙覚寺にてどちらも茶会で丸腰である。かくなる好機がまたとあろうか。我が軍も高松より急行して貴殿に合流し御沙汰に従う」と焚き付け、呼応して意を決した光秀は万感の思いで「ときは今・・」を詠む。「ときは今」であったのは秀吉であり、配下の少数精鋭の兵で光秀に先立って深夜に本能寺に忍び込んでやすやすと無防備の信長、信忠を討ち、首級を京都の外に持ち去った。目的は達したがそこで終われば下手人はやがて発覚する。だから光秀に罪をきせる。騒然とする本能寺に討ち入った光秀は遺骸を探したが見つからず、火を放って事態を収める。討ち入った以上は勝どきを上げるしかない。光秀がダミーであることを知るのは秀吉だけであり、本人が勝どきを上げるわけであるから、秀吉は堂々と虚報、大嘘を流布して光秀を主犯に祭り上げることができた。
この手は1963年11月にケネディ大統領暗殺でオズワルドの単独犯行としておいて2日後にダラス警察署で彼を撃ち殺した主犯の手口と同じだ。どちらもダミーを殺した人間が主犯なのであり、どちらも首尾よくつかまっていない。そして秀吉が口実とした足利義昭による室町幕府再興は闇に葬られることになるが、「家格が大事」は光秀用のセールストークであって、天皇、公家からすれば信長の脅威を除いてさえくれればそんなことはどうでもよい。家柄が賤しい。だからこそ、それを逆手にとって光秀に「拙者でなく貴殿だ」をすんなり信じこませることができたのであり、秀吉は政権を確立すると徹底した親朝廷政策をとり、朝廷の官職にある足利義昭を奉じて自らは関白就任に成功する。それで朝廷の面目も立って恩が売れるという見事な計算であり、だから、実体は狂気である「唐入り」の国家による箔付けとして名護屋城に義昭の陣が張られたのである。
清須会議、賤ケ岳合戦、小牧・長久手の戦いは朝廷の関与がない武家の覇権争いであり、信長政権乗っ取りを計った光秀を討っただけでは正当性に欠ける。光秀が第1次なら秀吉は第2次の乗っ取り者であるにすぎず、武家の棟梁になっただけで朝廷を震え上がらせた信長の威信は自分にはないことを彼は知っていた。彼は頂点には向いてないNo2の男なのであり、調略能力は仕掛ける相手がないと持ち腐れなのだ。だから朝廷の威を借りつつ総大将として諸将を従え命令する「唐入り」という大イベントに賭けた。この戦さで大将に立てる者(立ちたい者)は自分しかいない。それは信長様もできなかった地位だ。明、朝鮮の知行地と戦利品を恩賞として与えれば部下はついてくると踏んだのである。これがポジティブ・シンキングの悲しい実相だ。それは数々の「あり得ない」で出来ている。そんなものを生煮えのまま常人に語って聞かせたところで馬の耳に念仏にもならない。まず自分を奮い立たせ、できると自らに信じ込ませ、酒で恐怖を追い払い、鬼気迫るオーラが漂ってきたら部下はついてくる。ビジネスはそういうものだ。調略の天才・秀吉を僕はあらゆる意味で尊敬するし、その彼ですら苦労した経営のもろもろはほろ苦いと思う。
さて最後になる。秀吉の「唐入り」が気になっているのは、もしそれがなかったならば僕はこの世にいないからだ。
おふくろの方のばあちゃんの旧姓は「眞崎(まさき)」である。二・二六事件の眞崎甚三郎陸軍大将の眞崎だ。常陸(茨城)の清和源氏、佐竹氏の分流だが、ばあちゃんは長崎(諫早)の人だ。なぜかというと眞崎氏は上掲陣形図にある佐竹義宣と共に「唐入り」で名護屋へ出陣し、秀吉の没後は鍋島藩によって諫早藩の監査のために当地にある城(眞崎城)に残った。つまりそれ、それを契機に420年前に九州人になったからだ。だから、もし唐入りがなければ、ばあちゃんは長崎港から上海に向かう三井物産社員のじいちゃんに出会うことはなく、つまり僕はこの世にいなかった。いっぽう、じいちゃんは武田が信州高遠で生き残った末裔。にっくき敵方総大将が話題の織田信忠であったのだから、秀吉と光秀が京都・二条城で敵(かたき)をとってくれたことに感謝しなくてはいけない。それで信長ファンというのも実に変だが、東京人なのにカープファンだというのとちょっと似ている。
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