百済旅行記(2)-倭国に来たもの-
2013 SEP 26 0:00:39 am by 東 賢太郎
今回泊まったロッテ・扶余リゾートホテルの10階の部屋からは、このように8番ホールが目の前に見えます。こういう風に部屋から見ているギャラリーがそこそこいて、池の右横から画面左方向へのティーショットは緊張しました。
こういう古都で遺跡を見ながらゴルフに興じるというのは乙なもので、2番ホールからははるかあの落花岩を望むこともできる。下の写真の奥の山がそれです。キャディーさんが観光案内役でもあって、それを教えてくれました。
このあたりはおそらく古戦場であり、ここであの合戦が繰り広げられていたと思うと感無量なのですが、こちらもグリーン上の合戦の真っ最中であり感傷はご無用でした。
終了後、宮南池(クンナムジ)に案内されました。武王の庭園で王宮の南に位置するのでこう呼ばれます。この大きな池の周囲は小さな池が点在します。入り口にはこれが。
名前はなんだか知りませんがいわゆるここの「ゆるキャラ」ですね。後方にはたくさんの蓮(はす)の葉っぱが見えます。池ごとに50種類もの蓮(はす)が集められているそうです。こういう美へのこだわりは百済の特徴と感じます。こんなのもありました。25kgまで載せても沈まないそうです。
宮南池には東屋まで橋が架かっています。ガイドの黄さんによるとわが国の飛鳥時代の庭園造形の技術に影響があるそうです。
どこか中国風でもありますが、たしかに日本庭園に通じる風情があり、ここを経由して日本に伝わったもののひとつかもしれません。仲たがいした男女がこの池を一周すると仲直りできるという言い伝えがあるそうで、そのせいかカップルが目につきました。
このあと訪問した国立扶余博物館では館長さん(女性)御自ら蓮の葉のお茶と茶菓子をふるまって下さり、棒振り合戦でこちらも棒のようになった足を休めさせて下さいました。松の花粉で作った菓子は韓国でも貴重だそうで、美味でありました。
そこで拝見したのがこれです。百済博に備えて別室で公開していない実物を特別に見せていただきました。今や扶余のトレードマークとも言ってよい有名な「百済金銅大香炉」であります。
この見事に均整のとれた曲線美に僕は音楽を感じます。自然界に直線はありません。この香炉にもありません。曲線が造形する調和というものは宇宙の調和です。何も置かれていない広々した棚にこれがポツンとあって、館長さんがスイッチを入れて光を当てました。すると、この香炉ではなくて、周囲の空間の方がこれに吸いよせられているような、そうして光っているような、不思議な光景が現れました。
この香炉にはわが国の飛鳥文化に深く投影されている何ものかを感じます。
しかし僕にとってさらに興味深かったのは、この6-7世紀に造られた香炉が制作時は金箔が施されて金色に輝いていたことです。「金箔を貼ったのですか?」と伺うと館長は「いいえ。金と水銀を混ぜていったん塗り、後で熱して水銀を蒸発させました」 とのこと。それは水銀アマルガム法といいます。「奈良の大仏がそれで塗られましたね」と指摘すると目を丸くされて、ひときわ大きな声で、「その通りです。当時の最先端技術なんです。」 なにか日韓の小さな絆が一つできた気がしました。
黄さんはそれを聞いて何も言いませんでしたが、
「百済はここで終わりました。でもそのすばらしい文明と文化はここから日本へ行ったんです。そして、日本で花開いたんです。」
と顔に書いてありました。
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西室 建
9/27/2013 | 12:56 PM Permalink
東 大兄 百済から来ていた豊璋王子、鬼室福信・集斯 親子、このあたりがあやしい。私はご指摘の技術は、逆に倭国から百済に伝わったと見立てているのですが。
東 賢太郎
9/27/2013 | 3:02 PM Permalink
彼らと中大兄皇子、藤原鎌足らはオーバーラップします。この二人も百済人と思う。百済の敗因は唐・新羅のはさみうちになったこと。やがて新羅が半島から唐を追い出すと今度は自分のはさみうちを恐れた新羅が天智を排除。壬申の乱は日本の国内問題などではなく「東アジア三国志」の中のビンゴの帰結として理解。すると天武はアンチ唐の非百済人で新羅に都合が良い人と見ると整合的か。
西室 建
9/27/2013 | 5:10 PM Permalink
確か 少名彦の命につながる佐々木源氏は新羅系だったような。点在する白髭神社というのは新羅ながれと聞いております。
東 賢太郎
9/27/2013 | 11:45 PM Permalink
シラとつく名は新羅系、コマがつくと高句麗系だそうです。全部かどうかは知りませんが。百済(ペクチェ)がなぜクダラかというと、語源はクンナラでクンは目上、兄貴、大きい。ナラは国。日本へ亡命した百済人か任那人が母国をそう呼んだからという説あり。近畿以西が百済、関東・東北が新羅の移植地。だから」関東武士団は新羅系で源氏となり、京には平氏が勢力を張った。源平合戦は半島の因縁の対決で、いわばパレスチナ戦争かも。