Sonar Members Club No.1

月別: 2016年10月

ハイドン 交響曲第92番ト長調「オックスフォード」

2016 OCT 31 12:12:13 pm by 東 賢太郎

220px-Joseph_Haydn落ち込んだ時、疲れた時、気が病んだ時、精神の毒消しにしているのがハイドンだ。いま心ゆくまでハイドンを楽しんでいる。ブラームスはそういう自分と一緒に嘆いて包みこんでもくれるが、ハイドンは常に聴き手と向き合い、いわば対峙している。癒し系とは遠いのだが、充足感が得られるよう名匠の奥の手が使われていてけっして期待外れに終わることがない。

ハイドンの時代、作曲家は教会や舞台でのパフォーマーでもあった。奏者と聴衆という一対一の対立関係が緊張感を生み、そこから解放されて大団円を迎える過程にはユーモアも笑いもあり得た。「名曲」をうやうやしくいただく現代のコンサートホールでは考えられないものだ。交響曲「(俗称)びっくり」のようなものはそうでなくては生まれなかったろう。

モーツァルトは交響曲第31番の作曲に当たって、意図的にご当地パリの聴衆好みのパッセージを第1楽章に入れておき、その箇所に至ると首尾よく喝采がわきおこった(もちろん演奏中だ)ことを父への手紙で自慢している。このような舞台と客席の丁々発止の関係は、日本ならさしずめお笑い芸人が「笑いを取る」というものに近かったと考えられないこともない。

ではハイドンの仕掛けた「お笑いネタ」はどんなものかというとずいぶんレベルが高いものもあってびっくりする。ただ、相手は居眠りをたたき起こさねばならぬ普通の人々ばかりではなく、耳の肥えた音楽好きや同業者でもあったことはモーツァルトがやはり上記の手紙で明らかにしていることだ。

交響曲第92番の俗称は「オックスフォード」である。ハイドンはオックスフォード大学から名誉博士号を授与された折に92番を指揮したと伝わるが、この曲の作曲はそれ以前でありパリ交響曲を依嘱したドーニ伯爵に献呈しているのであって、授与式のために書いた曲ではない。作曲動機に関係のない俗称はミスリーディングだ。

この曲のシンプルなスコアにこめられたハイドンの「お笑いネタ」、そのインテリジェンスはびっくりを超えて驚嘆だ。

まず第1楽章には美しい序奏がある。晴朗な青空のような主調G(ト長調)で始まり精妙な対位法によるうつろいを見せつつドミナントのDに至るが、そこからE♭に寄り道すると空ににわかに暗雲がかかってくる。さて、いつ半音下がってDに戻るかと思いきや序奏部はE♭7でそのまま終わってしまい、アレグロ・スピリトーソの主部がなんとDで始まるのだ。普通、こうしてアレグロになるとパッと空が晴れるが(モーツァルトのハイドンセットの「不協和音」がその神がかり的に見事な例だ)、ここでは和声感は浮遊したまんまであり、どうも変だ。なんかだまされてるぞ・・・。

この「序奏のトリック」はベートーベンが第1交響曲でいきなり主調の7の和音をぶつけるという形でやっていて、どの書物にも彼の独創性の証しみたいに語られているが、なんのことはない、ハイドンがすでにやっている。聴き手はE♭にうじうじと長らくいてDを待ち望む。だんだんそれがナポリ6度(後にホ短調となりC→Bが出てくる)に思えてきて、あれっDが主調かなという感じになる(わざとそこに迷い込ませるのだ)。そこで主部。ああやっぱりと思いきや本当の主調Gにぶっ飛ぶのだ。二重のトリックなのである。

この「ドミナント開始のトリック」はシューマンが第2交響曲でやっていて(シューマン交響曲第2番ハ長調 作品61参照)これはこれで緩徐楽章でのドカンなどより痛烈なパンチなのだが、このハイドンのお笑いネタの起爆力は昔も今も、耳の肥えた人しかわからない性質のものであることは認めざるを得ない。ではなぜこんな小難しい話をするかというと、ハイドンの音楽の卓越した魅力を文字にするとどうしてもこういう部分に至らないといけない。それを避けて彼の音楽を語ること自体が上っ面のナンセンスであるほど、そうであるからだ。

それだけではない、その部分こそベートーベンがシューマンがブラームスが(彼らはプロだから当たり前のことではあるが)、自分の作品の中に先人の英知として継承していった結晶のようなものだと僕は感じるからだ。ソナタ形式がその例で(このぐらいはさすがに教科書にも載っているが)、それと同じことでハイドンを始祖としたDNAが子孫に伝わっている。それは神と同じく細部に宿っているのである。そして、ハイドンを深く知ることは子孫たちをより多面的に、構造的に深く理解するというご褒美まで手に入れることができるのである。

クラシック音楽にはそういう秘められたかくし味、醍醐味みたいな要素が厳然とあるにもかかわらず、学校では教えてくれない。だから我々は自力で「耳の肥えた人」になるしかない。それはトリュフやフォアグラ、いや大トロや鮒ずしでもいいが、食べ慣れないとうまいとまでは思えない食材のような種類のものであって、要は舌が肥えること、ものは経験ということに尽きる。僕は専門の音楽教育を受けていないが、グルメであるのに料理学校に通う必要はない。よい聴衆には誰でもなれるのであって、辛抱強くブログについてきていただければ必ず耳は肥える。

92番に戻る。第2楽章アダージョはモーツァルトのごとく優美で秀逸だ。僕はここにベートーベンの2番、9番の緩徐楽章の萌芽をありありと聴くが、温和な主部が突然に短調の中間部に至る(モーツァルトのP協20番も)シュトゥルム・ウント・ドラング風の展開は取り入れていない。さらに驚くのはコーダで、先のE♭→Dの仕掛けが再現しており(!)、ここの音世界はモーツァルトのピアノソナタ第12番 K.332の緩徐楽章のコーダ、不思議なf#がひっそりと置かれたあの幽玄な世界そのものだ。ハイドンがK.332を知らなかったとは思えない。

第3楽章メヌエットはABA形式でA、Bが2楽節の6部からなる。A後半でのハ短調、ヘ短調への何気ない転調は名人芸というしかない。Bはリズムの饗宴だ。これがスケルツォの元祖でなくて何だろうというほど。トリオの「強拍ずらしトリック」はユーモアだろうが、ずらしに凝りに凝ったベートーベン、ブラームスが見たら垂涎ものだったに違いない。いや、ハイドンは前者の先生であり、後者の親友はハイドンの研究家であって有名なハイドンの主題による変奏曲まで書いている。彼らが92番を知らなかったはずはないだろう。

第4楽章は無窮動風のプレスト。弦が快速でぶっ飛ばす裏でぶかぶかやるホルンとファゴットは笑いを誘ったことだろう。82番のめんどり主題を思わせる第2主題までは陽気なだけな音楽と思わせるが展開部が凄い。休符で音楽がはたと停止する。再開して始まるヴァイオリンの半音階低下!和声感がなくなり、弦のユニゾンでの熾烈な主張にいたるまでモーツァルトの40番の第4楽章、展開部の入りで12音が出てくる世界となる。第1楽章展開部(これも凄い)がジュピター終楽章のフーガを思わせるのと対になっている。そしてこの楽章の低弦はVcとCbが譜面を分けられ上へ下へと大忙しの活躍をする。これはベートーベンの8番につながる当時としては前衛的な書法だ。なんとも書くことに尽きない交響曲である。

ドーニ伯爵に献呈された3曲、90-92番の調性はハ長調、変ホ長調、ト長調だ。作曲は1789年で、92番を短調にすれば完全に合致するモーツァルトの三大交響曲が作曲された1年後と二人の関係は興味が尽きない。作曲技術として後世につながっていったのがハイドンのものであったのは、彼のロジカルで記号論的に因数分解できる音楽の構築法が、総体として形式論理として弁証法的に発展、進化し得る要素を内在させていたからである。

モーツァルトにそれがなかったわけではない。彼はハイドンセット作曲に必要な形式論理性に天与の感性をコンプライアントに保つのに苦心した痕跡があるように、まず霊感の人だった。そして、あの「魔笛」の前に形式論理などなんの意味があろう?という自問を我々は交響曲を聴きながらいつもくり返すのだ。霊感という部分において、ベートーベンもシューマンもブラームスも白旗をあげざるを得なかったから後世の誰にも伝わりようがなかったのである。

後世への遺伝の痕跡がクリアに見て取れるという意味で92番は注目すべき重要な曲である。これを聴くと、僕はモーツァルトを想い、真の天才はいつでも孤独なものだと思いを馳せることになる。

 

ジョージ・セル / クリーブランド管弦楽団

23861年の録音。第1、4楽章の展開部におけるベートーベンに繋がる鋼のような対位法をセルほど見事に表現した演奏はない。セルは88, 92, 93, 94, 95, 96, 97, 98, 99, 104,番を録音したが92番を選んだのはさすがだ。ベートーベンに遺伝していくハイドンのインテリジェンスとユーモアはこんなものだと一聴でわかる見事な演奏である。オーケストラの技術は文句なく世界トップの水準でもある。

 

オットー・クレンペラー / ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

652テンポは遅くハイドンが意図したものでもないだろうし、オーケストラも練習不足を思わせる部分がある。しかし、クレンペラーが強弱記号を完全順守しつつ えぐり出すスコアに隠された美質が次々と開陳される様は圧巻だ。譜面を読むとはこういうことかと得心する。表面だけ綺麗に整えた演奏をこのテンポで聞かされたら僕など1分もたないが、全曲耳を澄まして集中してしまう。そういう情報量を持った演奏だ。

 

セルジュ・チェリビダッケ / ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

41cxhvd3v0l第2楽章は彼岸を見るように遅く、中間部はさらに遅くなる。これはK.332を見越した表現ではないかと思いたくなる。チェリビダッケのハイドンはこれの他は103,104番しか知らないから、彼も92番に何かを見た人なのだ。第4楽章展開部の対位法の扱いもモーツァルト40番が響く。このディスクが40番と組みなのは彼の意図ではないだろうが、彼の音楽趣味としては合致していることに深い糸を見る。

 

ニコライ・マルコ / デンマーク王立管弦楽団

malko_gc_ch右は「GREAT CONDUCTORS OF THE 20th CENTURY」だが廃盤だ。中古で見つけたら躊躇なくお買いになることをお薦めする。ボロディン2番、プロコフィエフ7番は掛け値なしの名演である。ハイドン92番はエネルギッシュな快演である。第4楽章の快速はまさに痛快なほどで、その裏にユーモアがあったことを明確にわからせてくれる。ニコライ・マルコ、ブラボーだ。

 

アンドレ・プレヴィン / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

mi0002850740一つぐらいVPOが欲しいという方もいらっしゃるだろう。古くはシェルヘンからベーム、バーンスタインとあるが僕は断然プレヴィンだ。ここに書いた演奏会、会場の爆笑に続いたリラックスモードがハイドンにぴったりだった( クラシック徒然草-カラヤンとプレヴィン-)。プレヴィンは決してとんがったことをしない大人の音楽家でハイドンの気質にうってつけという感じがする。彼が92番を選んだのはまさか英国へのサービスではないだろうが、ユダヤ系ロシア人でベルリンに生まれ米国でジャズ、映画音楽で名を成した彼がクラシック演奏家として大成したのはロンドンだった。あながちまさかでもないかもしれないが、本人にお伺いしてみたいところだ。現代の聴衆がハイドン演奏に求める楽しみすべてを高い品格と微笑みをもって十全に聴かせてくれる。大人の演奏だ。

 

カレル・アンチェル / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

80382805_1素晴らしいライブ(1970年1月21日)である。なんといっても上等なオケをアンチェルがチェコPOでもみせるきびきびした指揮で見事に統率しているのが極上である。両端楽章はオケを自由に開放している感もあるが第2楽章の弦の表情は入念だ。一般に我々がいだくハイドンの交響曲演奏のコンセプトに添っているが、この日のプログラム(この後にラフマニノフのパガニーニ変奏曲、フランクの交響曲)の前座という位置づけではなく、あえて重めの92番を選んだ強い主張が感じられる。

 

(補遺、2018年9月2日)

ディーン・ディクソン / プラハ交響楽団

youtubeで発見。驚くべき名演であり、本稿のトップにしたいが見つけた時系列で補遺に置く。指揮者Dean Dixon (1915-1976) は米国の黒人指揮者。音程の良さが半端でなく、両端楽章のリズムのはずみ、合いの手のトランペットの遊び心の抜群のセンスなど、ハイドンはこうでなくてはという愉悦感が満載であるが、温和なだけではない、終楽章の展開部の和声の嵐もすさまじい。これだけのクオリティの演奏ができる指揮者が現存するだろうか?ディーン・ディクソン恐るべしだ。

 

 

 

ハイドン交響曲第98番変ロ長調(さよならモーツァルト君)

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ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調 作品108

2016 OCT 30 15:15:27 pm by 東 賢太郎

3番は晩秋を思わせる音楽である。今頃の季節になると聴きたくなる。先日にオペラ・シティでユリア・フィッシャーがリサイタルで弾いたのがとても良くてそれが耳に残ってもいる。

1887-88年にかけてスイスのトゥーン湖畔で書かれた。トゥーン湖はユングフラウヨッホへの登り口にあるインターラーケンから西にアーレ川を下ったところにある。地図の右下がそれだ。

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西でなく南に行くと、「女王陛下の007」ロケ地で有名なシルトホルン(地図、右上)に至るが、ケーブルの乗り場であるミューレン(下の写真)は目を見張るほど美しい村で2年半のスイス時代に何度か行った。僕が最も好きな所の一つだ。後で知ったが、ブラームスは1886年9月(第1回滞在)と翌年7月(第2回滞在)に2度もそこまで登っている(徒歩で!海抜1,650 mであり、スイスで山歩きをやった人はわかるが、これは50代の肥満体にはけっこう難儀だ)。この写真のような深い谷沿いの高原である。

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第1回滞在は好天に恵まれ友人と共に夏の自然を満喫したため第2回滞在となり、ブラームスが密かに思いを寄せて交響曲第3番を書いたアルト歌手、ヘルミーネ・シュピースも参加した。さぞ楽しかったろうが、そこで二人の友人の訃報に接したのである。トゥーンには翌年、第3回滞在をもって終わる。それが彼のスイス夏季滞在の最後となったが、ヴァイオリン・ソナタ第3番はその3年にわたって書き続けられた唯一の曲だ。

トゥーン(下)は96年の夏休みに家族でツェルマット、マッターホルンへ車で旅した折に訪れとても印象に残った。

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美しい景色というのはスイスに住んでいると至る所にあって、湖もアルプスも自宅から見えたし贅沢な話だがどうということがなくなってしまう。その中でも記憶に焼きついているトゥーンとミューレンがヴァイオリン・ソナタ第3番にまつわるというのは、僕にとって感じるものがある。

このソナタについて。第1楽章ニ短調は交響曲第3番、第4番、ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲との関連が見いだされる。まず第4番だが、短調の枯淡の境地を感じさせる第1主題でいきなり始まる点、ピアノの伴奏の3度下降音型、コーダに至るaのオスティナート・バスに乗ったヴァイオリンの書法も4番終楽章にある。激情を伴う第1主題展開のヴァイオリン、ピアノのかけ合いは交響曲第3番の終楽章の、第2主題提示に至る部分は第2回滞在で書いた二重協奏曲の同じ部分の雰囲気を色濃く感じさせる。最後はクラリネット五重奏曲を思わせる諦観の中に静かに沈み込む。

第2楽章Adagioニ長調はピアノ協奏曲第2番の第3楽章だ。リートのように歌に満ち、ブラームスの緩徐楽章で最も美しいものの一つだろう。第3楽章嬰へ短調は両楽器が切れ切れに主題をきざみ、実質的なスケルツォであるが気分は陰鬱である。ヴァイオリンソナタのうち第4楽章があるのは3番だけだ。Presto agitatoニ短調でピアノが雄弁になりすぎる演奏が多い。私見だが第1,4楽章はピアノトリオの方がバランスする楽想のように思う(第4楽章はさらに管弦楽として交響曲にもできるだろう)。二短調で終わる。これもまた4番を思い起こさせるのである。本当に素晴らしい。

ブラームスの3つのソナタはヴァイオリニストにとって聖典のようなものだろう。ピアノソナタの伴奏にヴァイオリンが付くというバランスからスタートしたモーツァルトからベートーベンを経てロマン派に至るが、その過程でピアノは進化し強靭で豊かな音量を得た。その強いピアノで発想した作品で世に出たブラームスがピアノ伴奏で二重奏を書いた楽器は他には中音域で豊かな音量を発するチェロとクラリネットだけである。高音域だけのか細いヴァイオリンを拮抗させるのは時間を要し、3曲しか残されていないが1番の完成以前に多く手がけた痕跡がありすべて破棄されている。

同じ問題はロマン派の他の作曲家にもあった。ヴァイオリン演奏は名技主義が発展を見せ人気が集まったこともあり、彼らは多くの聴衆を集める協奏曲の作曲に向かうことになる。その結果、ヴァイオリンソナタで現在も秀作として聴かれているのはブラームスの3曲とフランクが思い当たる程度である。この4曲だけが問題を解決し高い次元で類のない音楽を築いている。だから聖典なのだ。とりわけ3番は高度の成果を見せており、ピアノはヴァイオリンを圧迫することなく交響曲に至るブラームスの厚い書法を堂々と何の制約もなく均衡させることに成功している。彼の最高傑作のひとつである。

最後に、その労作を彼が献呈したのがハンス・フォン・ビューローというのが興味深い。クララ・シューマンの父にピアノを習い、フランツ・リストの高弟となって娘をもらい、近代指揮法の開祖となり、ワーグナーに認められトリスタンとマイスタージンガーを初演した傑物だ。従って当初はブラームスの敵方であったわけだが、妻をワーグナーに取られたのが一因となったかブラームスと親交が深まった晩年の友人だ。リストの師はベートーベンの弟子、チェルニーだからビューローは直系であり32のソナタを暗譜で演奏した。ブラームスとは根っこで通じるものがあったということだろう。献呈の5年後、そのビューローも先に亡くなってしまうのだが。

bra-vs3そういう曲だ。人生の行く末にある暗くて重いものが支配している。だからといって若手や女性が弾けないということもないのだが・・・。僕がこれを覚えたのはメロディアのオイストラフ/リヒテル盤(LP、右)だ。巨匠ふたり。ライブの火花散る一期一会の名演の記録である。これがそれだ。

このレコードを買った当時、僕はまだ大学生だった。20代で感動していたこの雄弁な演奏は、しかし、自分が作曲家の年齢になってみて少しずれを感じるようになった。以下、目下のところ良いと思ったものを挙げてみる。10年たったら変わっているかもしれないが。

 

ヘンリック・シェリング / フェルディナンド・ヴァイス(14.9.1961ライブ)

r-7129498-1434378190-9926-jpegブカレストのG. エネスコ音楽祭での録音。シェリングはメンデルスゾーンV協で書いた美点が満載で第1楽章が最高だ。美しい音程の高音の歌の伸び、中音の肉乗りの厚い暖かみはこの曲に実にふさわしい。そして劣らず素晴らしいのはヴァイスのピアノで、厚い和音をずしっと鳴らしながらもいぶし銀の格調を保ちこれぞブラームスという究極の満足感をもたらしてくれる。第4楽章冒頭も節度あるバランスで対峙しながら見事にバスを聴かせる。最高の音楽性だ。これはyoutubeで見つけたが録音が見つからず誠に惜しい。

シェリングはルービンシュタインとのRCA盤があり名演として有名だがやや線が細くピアノは巨匠風だ。手に入るものとしてそれが次善の選択にはなろうが、僕はヴァイス盤を採りたい。

 

ヨゼフ・スーク(vn) /  ヤン・パネンカ(pf)

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ロマン派寄りの演奏に耳がなじむとスークのヴァイオリンは速めの第1楽章がそっけなく聞こえるかもしれないがそれがAllegroであり、この楽章のソナタ形式の均整、風格を示す。ストイックで感情過多に陥らないブラームスは飽きることがない。パネンカのピアノが出すぎず言うべきことを言ってそれを支える。62年と古い録音だがヴァイオリンがややオンになる楽器のバランスが誠に好適だ。

 

レオニダス・カヴァコス / ユジャ・ワン

028947864424故人の演奏ばかりでもいけない。若い世代の演奏も捨てがたいものがいくつかあるが、これは好ましい。ギリシャ人と中国人のデュオ。カヴァコスはスイス駐在時代の97年にチューリヒ・トーンハレでシベリウスのV協を聴いたがこれが記憶に残る素晴らしさでサインまでもらった。燃えるような情熱はあるがけばけばしくもある安手の虚飾がある様を英語でflamboyantというが、秘めた情熱はあるがそうではない彼のヴァイオリンは好みである。ワンはなんでも弾ける、派手にでも地味にでも。ここはブラームスにふさわしいやわらかな美音でカヴァコスに合わせている。この子は2番のコンチェルトも立派に弾けるだろう、すごい才能だ。以下、ライブである。完成度はCDがずっと高いが。

 

クラシック徒然草-音楽に進化論はあるか-

クラシック徒然草―クレンペラーのブラームス3番―

 

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ビートたけしのレジオン・ドヌール勲章

2016 OCT 28 0:00:41 am by 東 賢太郎

ボブ・ディランのノーベル文学賞といっても、西室の解説を読んだってボブ・ディランを知らないのだからどうしようもない。そうしたらこんどは北野武氏のレジオン・ドヌール勲章受賞というのが目に入った。ビートたけしとしてなら多少は知ってるし、彼の乾いたユーモア感覚は好いてもいる。

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レジオン・ドヌール勲章というと、ある名士の方がもらって銀座のクラブで見せてもらったので少しは知ってる。ナポレオン1世が創設したものでこういう絵がある。胸にかけているのがそれだ。

 

 

 

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こんなものだ。手に持ったらずっしりと重たかった。

 

 

 

 

すると、これがテーブルで順番に回ってきて、手にした隣の女の子がこうのたまわった。「あれっ、なんかこれ、サリーちゃんみたいですね」

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なるほど、これのことだったんだ。北野武氏ならネタにできるな。

 

 

 

 

話は変わるが、畏友中村も僕も各々の会社で「海外派」だった。彼はそれを「海軍」と称しており、「こっちの方が賢いしスマートなんだけど、陸軍の方が強いんだよなあ」と嘆いていた。陸軍とは、国内派のことだ。

しかし我々が入社したころ日本企業の合言葉は「これからはグローバルの時代だ!」だったし、「入社したらインターナショナル・フィナンシャーだ」なんていわれた。それが何かは知らなかったが、カッコ良さげではあった。だから海外派になってこれからは俺たちの時代だなんて甘いことを思っていたものだ。

ほんとうにそうだったんだろうか?結論としての僕の思いは、「グローバルの時代」は確かに来たが、それはインターナショナル・フィナンシャーや「海軍」が牽引しようがしまいが、黒船の来襲みたいに日本企業を否応なく飲みこむ形でやって来た。

自分の実力不足を棚に上げてはいけないが、そこでグローバリズムの波に乗って海外進出して現地でガバナンスを取って成功した日本企業なんていくつあるだろう、あったとしても海外派がトップで引っ張ったのはいくつあるだろうと思う。

時代は動いている。人工知能の格段の進化によってあと何年かでスマホは主要言語を実用的なレベルで訳せる自動翻訳機能付のSiriを搭載するだろう。10年か20年で、もう学校で英語の勉強はいらないよという時代が来るかもしれない。時代はそっちへ流れている気がする。そうなると英語力と外国経験が売り物の海外派はレゾン・デトルがなくなるだろう。

なぜなら米国のビジネスは翻訳機を与えて米国人にやってもらえばいい。生半可に英語ができますという日本人はいらなくなるのだ。日本人の方が忠誠心が高いと一概にいえない時代になりつつもあって、忠誠だけは血判状をもって誓うが英語はできない一群の「陸軍」と優秀な外国人とSiriでグローバルビジネスはできてしまうのではないか。

要するに、「外国を知ってます」はもう無価値になりつつあるのだ。庶民が憧れの外国をのぞき見る「窓」だったデパート業界の凋落がそれを象徴している。外国でMBAなどの学位を取ったといって、そのことだけでハクがつくこともない。英語の価値が剥げ落ちると、「それって日本で日本語で勉強できますよ」でおしまいだろう。

だから僕はビートたけしのレジオン・ドヌール勲章受賞は、これこそ今流の本当のグローバル進出だと思う。彼はMBAを取ったわけでもなければペラペラ英語をしゃべるわけでもないだろうし、そうやって西洋に同化して誉められたわけでもない。日本人として我が道を行って叙勲したわけで、才能のなせる業であることは疑いもないがやはり時代がそっちへ流れているのだと感じる。我々は日本人らしい強さを磨いて世界に打って出ればいいのだ。

内向きの時代が良い悪いではない。今やグローバリズムの総本山であった米国すらそうなりつつあるのだから、内向きこそグローバル現象だという皮肉な世の中である。日本人は日本人らしく立派な人になるよう子供を教育していけばいいということで、小学生から英語を習わせて歌はカッコよく歌えるようになりました、日本語は満足に書けませんが、なんて子が増えて虻蜂取らずになるのは最もよろしくない。

最後に、ノーベル賞だが、日本人がサイエンス分野で取り続けているのは実に頼もしい。これぞ国力、国益の源泉であり、当面は歯が立っていない中国・韓国との差は歴然である。数学オリンピックでそこまでの差はない中韓に対してどんな優位性があるのか文系の僕は知らないが、科学の分野で選考の恣意性は限られようし、そこには日本人の本源的な優位性の根っこがあるはずだ。

我々はそれをお持ちであり体現されている研究者たちをリオ五輪の体操や水泳の金メダリストをたたえるぐらいの情熱をもって応援すべきなのだ。それを2位でいいでしょと軽く言えてしまう人の精神、心理の奥底には、日本人の本源的な優位性を賛美はしない、いわば別品種の根っこがのぞいている。その根っこからは、どんなに時間をかけて好ましい肥料をやろうとも、別種の植物しか生えてこないだろう。

サイエンス以外の分野については、ノーベル財団さんの私財なのだから何に差し上げようと勝手だ。僕ならノーベル美猫賞(癒しパワーで世界をほのぼのさせたネコに与える)、ノーベル男気賞(ミスコンに対抗するものだがイケメンではなく、男の中の男と世界が認める立派なオトコに与える)を創設したい。初代男気賞はいうまでもなく日本国は広島カープ球団の黒田氏だが辞退されそうだ。

 
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六十にして耳したがわない

2016 OCT 26 18:18:25 pm by 東 賢太郎

SMCのトップページにメンバー・リストがあって同胞の皆さんの写真がのっている。不思議なもので、毎日見たり書いたりしてるのでそこに居る人たちは同居人みたいな感覚になっているのであって、今回のように訃報があっても心は動じるもののいまひとつ現実感がない。

なんといっても今日お別れをしてきたのに、会社のドアからひょっこり現れても、スマホに野球行かないかとかかってきても、ブログが知らず知らずにアップされていてもおかしくない。こんな感覚がずっとあるなら、彼は実はあちらへ行ってないということなんじゃないかとさえ思う。

昔、固定電話のころは、かけても相手がそこに居るとは限らない。しかしユビキタスのスマホ時代になって、かけるとすぐ出るわけだから相手が「そこに居る感」は半端でない。電話帳から彼を消す気は毛頭ないので、「こんな感覚がずっとあるなら」は現実になりそうなのだ。

61才になって、人生に満足感、飽和感を少しだが覚えるようになった。欲がなくなってきた。だって有形のアセットは持って持ち腐れてもしようがない。無形資産である経験はいろんなことを本当に、とくに外国のことだって、もういいやと思うぐらいたんまりとしてきた。だから一番欲しいのは退屈だったりする。

何もいらないけど、失っていくものはふえる。それをどう感じるかは60代でにじみ出る人間性と思う。証券業という虚実渦巻く世界にこの年まで漬かっていると人間も感化されがちだが、故人はそれを免れていたように思う。育ちが良かったのか頑強な徳育を受けたのか、強固な自分の価値基準を持っていて、いつも賛成ではないものの納得させるものが常にあった。

西室が孔子の「六十にして耳したがう」は還暦を過ぎたら人の意見に素直に耳を傾けられるようになったんじゃなく頑固なゴリゴリ親父だったのだろうと書いている。孔子さまと比べちゃいけないが、人の意見に素直に耳を傾けてこなかった僕は齢六十にして益々そうなっている気もする。

そんなゴリゴリ親父が結構なるほどと感化される場面があって、いうことを聞いてみようと思ったことがあるのが故人だった。そういう人間と行った旅行は啓発に富むものだったし忘れられるものではない。そしてそんな彼の書き残してくれた文章は秀逸だ。内容の密度もそうだし、ことに文の硬度が高くて強靭であるのは精神の骨太を反映している。若い人は是非味読してほしい。

 

 
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10月20日のこと

2016 OCT 23 1:01:41 am by 東 賢太郎

先週末15日にユリア・フィッシャーの演奏会でブラームスの第3ソナタをきいて、ブログに「(このソナタはブラームスが)亡くなっていく友人に人生の黄昏を見た曲であり」と書きこんだばかりだった。まさか翌週に自分がその黄昏を見ることになろうとは夢にも思わなかった。

演奏会の次の日の日曜日、16日のことだった。家の階段を登っていて、どういうわけか足がふらついてつまずき、ドスンと転んでざらざらの壁で二の腕を盛大にこすって血だらけになった。多少ビールが入っていたとはいえマグロみたいに無様に倒れ込んだのであり、何がおきたか自分でもわからない。下りでなくてよかったねと娘が手当てしながら言ったがほんとうだ。ぞっとする。

19日の水曜日に部下のご家族の訃報があったと思ったら木曜20日の午前10時過ぎに西室から中村順一の知らせがあった。11時に上野で会議があり、努めて冷静に済ます。しかし頭は混乱しており、kyuukan社員におつき合いいただいて模様替えした赤プリの旧館(右)でランチした。半分ヤケでギネスを飲んで、何を話してもとりとめないが聞いていただいて少し気が楽になった。

旧館は旧李王家邸である。すぐ目の前、プリンス通りの反対側は麹町中学校の正門だ。奇しくも中村、西室の母校であり、神保町にある我が一橋中学校のライバルだが、番町ー麹町ー日比谷―東大が定番といわれたのだから少々負けてる感はあった。我がオフィスはここから徒歩1分で気に入ってる。住みついてもう6年にもなるのか、早いもんだ。

午後は3時から品川で外国のお客様と会議。こっちもなぜかプリンスホテルだったが来年にかけての有望案件で中村にやってもらいたかったものだ。次は5時半に笹塚でオンラインTVの経営会議に。こういう時にこういうもんで、全員で悩んで決まらなかったTV局の名称がスパッと決まった。その日、10月20日は奇しくもソナーの設立記念日だった。

 
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畏友、逝く

2016 OCT 21 5:05:26 am by 東 賢太郎

なんか悔しくて、
よくわからない、眠れない
なぜ、君みたいないい奴が、
俺は何に怒ればいいんだ

京都の春は2度、ほんとに行ってよかったなあ
こんな桜もおどりも初めてと喜んだが
その喜び方が、そのすなおでポジティブなこころが、最高だと思った

去年8月九州を旅したばかりだ、嬉野、有田、吉野ケ里、博多、大宰府
楽しかった
どこで何してどうしたかって、会話だって覚えてるぞ
あれは7月に急にヤフオクで野球見ようといってきたんだ
あれはなんだったんだ、腰が痛いのに

あれでよかったのか

あたまが深くて、つよいな
これはかなわない、といつも思ってた
でも、好奇心も探求心も博識も、話し相手は君しかない
あったかくて、人肌があって、こころが空みたいにひろい
俺の勝手もめちゃくちゃもなんでもいったんのみ込んでくれた
そういう人といると安らぐんだ、不安だらけだから

みずほに移らせていただくことになって、最初の日だった、
ファーストスクエアのロビーで、忘れもしない、
あした夜いけないかと
はじめて声かけてくれたのは君だ
送別会かなにかがあって、すいませんといったら
そうか、東とは飲めないのかなあ、とちょっと残念そうにいった
あのひとなつっこい笑顔で、なにかすっと新しい職場に入れそうな,

どれだけ初見参にのぞむ新入りの気を楽にしてくれたか

君はそういう人だ

仕事は引受とシンジケーション、ずっと緊密なパートナーだったね
こっちは優秀な3行のバンカーのみなさんに後押しされただけだった
後日に君のブログの博覧強記と強靭なセンテンスを見ることになって、
わかった気がしたよ、こんなすごい人たちだったのかと

君の外国旅行記を読んで、
行った先々でこんなに物事をすぐ学んで帰ってくる人なんて知らない
足元にもおよばないといつも口惜しかった
そういう人が幾人かいたが、君はまさしくその筆頭だ

ゴルフは何度か行ったね
絶対勝つつもりだったが、
どうも調子がおかしくて負けた
どこかにスコアカードあるぞ、見たくないけど

そうやって仕事も遊びも、大みずほに引き入れてくれたのは君だ

それがなければ人生変わっていたかもしれない

そうしてちっぽけな会社を作った俺を当時となんの変りもない目で見てくれてSMCにはいってくれた

それがどれだけうれしかったか

君はそういう人だ

きのうブログをぜんぶ読みかえした

ちゃんと声が聞こえてくる

今日もう一回読みかえす

千年残してやるからな

でも中島さんのコンサート、おい、あれが最後ってのはないだろう

 
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読響定期・五島みどりに感動

2016 OCT 19 23:23:24 pm by 東 賢太郎

指揮=シルヴァン・カンブルラン
ヴァイオリン=五嶋 みどり

シューベルト(ウェーベルン編):6つのドイツ舞曲 D 820
コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35
J.M.シュタウト:ヴァイオリン協奏曲「オスカー」(日本初演)
デュティユー:交響曲第2番「ル・ドゥーブル」

 

コンサートホールには時計がない、というより、ない方が良い。時は音楽が刻んでいるからだ。五島みどりが独奏したコルンゴルドとシュタウトは濃密な時間が流れ、時計はあるときは速くあるときは遅く進み、ときに止まってしまう。聴衆は外界とは別の時間空間にいる。それを支配するのが独奏者という司祭である。

コルンゴルドは何度もライブで聴いて、その都度いい曲だと認めるが記憶にあんまりしっかりと定着してない。冒頭のファ#にびっくりしたりおおいいぞと思うが、たぶん第3楽章の娯楽音楽の風情が毎度気に入らないせいだ。今日もその覚悟でいたが、大変感動した。なんといっても五島がいい。たぐい稀なる司祭ぶりだった。

シュタウトでの圧倒的な集中力。絹糸みたいに繊細でつややかな高音。弦楽器できけるたぶん最高音だろうハーモニクスの完璧なピッチ。まったく素晴らしいの一言。本邦初演。ユリア・フィッシャーが西洋人の美音なら五島は日本の感性の美かもしれない。ぎりぎりまで磨き抜かれた音色を損なわない急速なボウイングは一糸乱れることなしだ。

デュティユーの2番はシャルル・ミュンシュがフランス国立管を振った名演(ライブ)があって、それが僕の愛聴盤だ。メロディーもリズムも和声(神秘的だ、すばらしい!)もある比較的親しみやすい曲で、最後は不意に鳴る灰色に凍てついた氷原のような弦の和音で静かに終わる。ライブは初めてだったがカンブルランはフランス物(ラテン物)を明晰に振り分ける。いい指揮者を指名したと絶賛したい。読響も見事な好演であった。

サントリーホールを出て腕時計を見ると、ずいぶん経ったように感じた時間はほぼ通常通りだった。

 

(参考・デュティユーの2番)

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黒田が引退

2016 OCT 18 22:22:22 pm by 東 賢太郎

いよいよ来てしまったか。

この1年、僕は広島カープがきらいになってました。それは黒田のカープ復帰があまりにうれしく、たのもしく、他チームにやられ放題で翻弄された弱いカープの屈辱を晴らしてくれるはず、そう確信したからです。期待が大きかった分だけ、「倍返し」で裏切られた無念は甚大でした。

2014年12月27日に書いたこのブログが当時の気持ちであり、その後の起点でした。

 黒田のカープ復帰は歴史をぬり変える

ところが2015年のシーズンは無残でした。勝てば3位でCS出場決定という試合の惨状をご記憶の方も多いと思います。優勝決定して二日酔いのヤクルト。翌日に広島まで遠征して、もう消化試合で「どうぞ勝ってください」状態でベンチで居眠りしてる奴までいたヤクルトになすすべなく完敗したのです。なんと4位が決定。そのあげくに公式戦最終戦は中日に恥ずかしい1安打完封負け。ここで50年の愛情は燃え尽きるに至りました。

思えば判官びいきの僕は弱小球団だったカープを愛していたのであって、黒田、マエケンのメジャーのエース級2枚看板をはるチームなんて・・・というアンビバレントな(愛憎半ばする)気持ちも裏腹にありました。1975年に初優勝して一時強くなったのですが、戦力の厚みでいえばベンツの巨人に1500ccの国産車が挑むみたいな「ぎりぎり感」が常にあったものです。

去年に書いたブログで「黒田」のはいったタイトルを数えると10本ありました。それは勝利への渇望のみならず世間で「男気」と称していたものの重み、それにチームがこたえて欲しいという願望の現れでもありました。だから昨年7月のこの勝利がうれしかったのです。

新星・薮田が黒田の仇討ち

結局、この薮田の気概のようなものがチームに浸透するのに1年かかった、プロの世界はそう甘いものではないということだった。今年わかりました。「カープ野球」は50年前からあって、投手力、機動力、守備力など、長打力不足を補完するものすべてが徹底したスパルタ練習によって磨かれ、巨人、阪神相手でも気後れなく戦う。だから優勝できたし日本一に3度もなれたのです。当時より優秀な選手たちがそれをやり、黒田の戦闘姿勢と技術を体得すれば、今年の圧勝は不思議でもなかったわけですね。

黒田スピリットを若手に橋渡ししたのは新井と思います。新井のキャラクターが触媒としてあったからでしょう。その結果、黒田、新井の「出戻り組」が自信と闘志を与えるという歯車の順回転がはじまり、資質のある若手が100%の力を発揮した。去年とそう戦力は変わらない、むしろマエケンの抜けたマイナスがあったのだから、その効果が大きかったと思われます。

僕は野球ばかりでないものを黒田に見てました。

コピペ、STAP論文捏造、偽ベートーベン、おれおれ詐欺、食品偽装、やらせ、なりすまし・・・・こういう国辱ものの大嘘つきどもが吐いたり書いたり貼ったりした軽~い言葉、それを報じるマスコミや評論家やネット民の軽~い言葉。私利私欲や小遣いかせぎで議員になったような唾棄すべき連中の軽~い選挙演説や泣きわめき。 

今に至っては、大嘘をつきまくって20年以上も法律違反しながら国会議員、国務大臣までしていましたなどという者まで出現し、「私の中では違う理解でした」(国会議員が法律を知りませんでした)などとほざいておいて、でも首相候補ですけど、などという世界が仰天する大事件がおきている日本国なのです。

黒田は男気があるなどという次元の話ではなく、「日本人はこういうもの」という模範を示してくれたのであって、そういう種類の人間には逆立ちしても及びもつかない、世界に誇るべき尊い美徳を示してくれたと考えております。

参りました。黒田博樹のおかげで、シリーズはまたカープを熱烈に応援することになりました。

 

 

 

 

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ユリア・フィッシャー演奏会を聴く

2016 OCT 17 2:02:12 am by 東 賢太郎

inf_det_image_449ユリア・フィッシャーさんの演奏会に行きました。プログラムは以下の4曲でした。

ドヴォルザーク:ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ ト長調 Op.100
シューベルト:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ ト短調 D408
シューベルト:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ ニ長調 D384
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 Op.108

シューベルトはD408(3番)が当日に追加されましたがそれもソナチネ。こういう選曲は個性と自信と主張のたまものですね。ドヴォルザークもシューベルトもソナチネという感じではなく堂々たるソナタに聞こえるのだから別物でした。

彼女の音はCD等で聴きこんで惚れていたのですが、実際に耳にすると表情の使い分けがもっともっと多彩であったことに気づきます。これは録音じゃわかりませんね。たとえば、フレーズをppで入って同じ弓でmfぐらいになるのですが、その間のヴィブラートが増音につれて速くなる(回数が増える)ような微細な表現が自在に組み込まれていて、それが(聞こえはしませんが)彼女の生の呼吸と同期しているようで、まったく自然に感情の起伏が乗るのです。

シューベルトの譜面に指示がなくてもこの音はどういう音で弾かれるべきかが考え尽くされていて(しかもそうでない音が一音たりともない感じ)ピッチは最高音まで胸のすくほど完璧で、一言でいうなら、強い意志と見事なテクニックで意図が迷うことなく心に伝わってくるというヴァイオリンでありました。知性が根っこにあって一音一音に微細な「ギアチェンジ」があるのですが、それがまったく理屈っぽくならないところが魅力です。彼女が弾くなら何でも聞いてみたいと強く思わせる何かがあって、それを突きとめたいから来たのです。

僕はうまいけど何も考えてない演奏家はどんなにうまくても嫌いなのです。性に合わない。彼女の解釈はというと(細かく言えば同意しないところもあるのですが)、これだけ思考してトレースした末の音であれば正解などないわけですから言うことはありません。その自信に満ちた音ですが、細部まで吟味されつくした名プレゼンテーションのようです。すべての音に主張があって聴く者を考えさせるという意味で。彼女はカルテットもやってますが向いてますし、ピアノを弾くのも自分の主導する音楽をやりたいからでしょう。だからきっといずれ指揮もやるんでしょうが名指揮者になれる資質と思います。

圧巻はブラームスでした。3番のソナタは僕が愛する曲で、なにせ交響曲の4番を書いた後の作品ですからね、55才の作曲家の複雑な深層心理が底流にある難しい音楽なのです。ピアノが雄弁に語るわけですが、人肌を添えるという側面でマーティン・ヘルムへンの暖かいビロードのようなタッチと音色が効果的でした。亡くなっていく友人に人生の黄昏を見た曲であり、それを33才の小娘が(失礼)?という気持ちがなかったと言えばうそになりますが、彼女は楽々と乗り越えてました。文句なし。アンコールのスケルツォもブラームスを堪能させてくれました。

エージェントにアレンジしていただいていたので終演後に、お色直しして楽屋から出てきた彼女にお会いしました。強いオーラのある人ですね、眼が合ってすごい「気」を感じました。ブラームスの感想を伝えたら喜んでくれました。僕のブログは「日本語が読めないので」とのことでしたが「YahooでもGoogleでも、日本語でも英語でも、あなたの名前を検索するとずっとトップ画面キープしてるんですよ」というと「ワーオ!それすごいです、見ておきますね」でした。

写真はいいですかときくと「一応見せてくださいね」で、娘が撮って、これをはいっとお見せすると笑顔で「オーケー」でした。あの才能でこの美貌、天に二物をもらってますね。

julia

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調 作品108

 

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N響定期 「春の祭典」と「花火」に驚嘆

2016 OCT 16 1:01:10 am by 東 賢太郎

なぜ驚嘆したのか?は少々のストーリーがございます。

昨日、SMCメンバーである作曲家の唐澤宏毅氏が拙宅に来てくれました。氏は高校からオケ部(ヴィオラ)であり、音楽への情熱がそのままプロの道に続いて大活躍されているのはうらやましい限りです。演奏会でストラヴィンスキーの交響曲第1番をやったら面白かったそうで、我が家で「春の祭典」をぜひききたいというリクエストがあったのです。おたがい時間が合わず、たまたまこの日になりました。

氏は僕を「おじさん」と呼んでいて、僕のほうはひろきクンであります。というのは氏はウチの子供たちと同年代ですが、親のフランクフルト駐在が重なっていて、小学校もいっしょで両家を行き来して遊んでいた坊やだったのです。みんなまだ幼稚園か1年生ぐらいだったかな。そこで生まれた長男は1,2才の赤ん坊だったから、遅れてイタリア料理屋に現れるとびっくりでした。

hiroki

みんなでわいわい食事を終えて(僕は酔っぱらって)家に戻り、さっそくピアノを弾き音楽の話に没入です。このところ滅茶苦茶いそがしく神経がすり減っていて音楽という気分でもなくなっていたのであり難かったですね。これが始まるともう仕事は忘れてます。

10時を回ってましたが地下というのはありがたく、まずはビル・エヴァンスのサンデイ・アット・ザ・ヴィレッジバンガードから(これがいいんです)。そしていよいよ大音量で春の祭典(こういう場合、MTトーマス/BSOが定番)。最初は「生贄の踊り」だけ。どう、いいだろ、はじめからいく?となって当然のごとくやっぱり全曲で。あとはアンセルメのダッタン人、ツィマーマンのショパン(バラード1番)、カーペンターズのSACD(ここにいたると当方もピアノでセッション参加)。

そうしてついでに僕がシンセ演奏したバルトークの管弦楽のための協奏曲の第5楽章も。「いい出来でしょ?」と自画自賛には「すごいオタクですね」とのご評価?をいただきます。彼のプロ仕様のPCは容量も何百倍だしシンセの楽器音源の種類もすごく音色も完全にテーラーメード、僕の石器時代のMIDIプログラムを最新鋭のモデルにアップロードできるか?死活問題なので「やってみましょう」とのご返答は何より心強い。

しかしいろんな人がここで音をきいて遊びましたが彼ほど(今日はもう眠れませんと)感動した人はひとりもいませんね。あのまま夜明けまで行けましたね。やっぱり作曲家だ。こんなに喜んでいただければこっちも本望というもの、よかったです。近くに引っ越してくるそうで、この地下室はスタジオ代わりに使っていいよということに。

無名だったストラヴィンスキーがディアギレフに見いだされたのは「花火」という4分で終わる曲だったんだ、それで火の鳥を頼まれて、ほぼ同時にペトルーシュカと春の祭典もできたんだよ。彼は27才だったんだ。「そうですか、おれ27ですよ、いま。やばいすね」「そうさ、やれやれ、おもいっきり」こんな会話があって、こっちもエネルギーをもらい、ガスが満タンになって夜中におひらきとなったのです。

そして翌日のきょう、N響定期に出かけて行って曲は何かな(毎度のごとく、事前には知らない)とプログラムを開くと、これがなんと「春の祭典」と「花火」だ!もう運命の冗談としか思えない。

いや、ときどき僕はこういう不思議なことがあるんです。新世界や未完成じゃないんです、花火なんて超マイナーで何年に一度もやらん曲で、僕といえども実演は50年聴いてきて初めてです。びっくりでした。ひろきクンは大物になれるぞ。動画のほうもぜひいっしょにやろう。

 

 

 

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