Sonar Members Club No.1

月別: 2016年10月

クライマックス・シリーズ雑感

2016 OCT 12 14:14:51 pm by 東 賢太郎

僕はクライマックス・シリーズ(CS)には肯定的ではなくて、2位に16ゲームも差をつけてぶっちぎりで優勝したカープのようなチームが、万が一にも短期決戦の運不運で、3位どころか5割にも達していないDeNAのようなチームに負けでもすればペナントレースはなんのこっちゃということになります。公式戦が「なかったことに」というのはいかにも空しいですね。

敗者復活は考えとしてはいいのですが、1ゲーム差と10ゲーム差の優勝のアドバンテージが同じ1ゲームは変じゃないですか。2ゲームぐらいないとおかしい、ところがでは15ゲームなら3ゲームですねなどとなると1つ勝てばいいわけでもうCSの意味がない。だから、いずれにしてもCSはおかしいのです。

ゴルフで考えてください。トーナメントで4日間も頑張って2位に16打差もつけて優勝したのに強制的にプレーオフがあるんようなもんです。そこで何かのハプニングで3位の選手に負けなんてことで、しかもその人が本戦ではオーバーパーだったりして、もうアホらしくて誰も4日間観なくなるんじゃないかと思うわけです。

しかし、そう思いながら見たCSはけっこう面白かった。プロが高校生みたいにサドンデスの気合で戦うのは見ごたえがありました。ホークスは2試合とも先頭の清田に本塁打を打たれましたが、これもおんなじように今宮が終盤に適時打を打って勝った。立ち合いの張り手でよろめいた横綱でしたがちゃんとつかまえて寄り切った感じでしょうか。

セリーグは第3戦、真っ青に染まった見慣れないドームのムードは盛り上がってました。そこに初回、内海が梶谷に3球シュートで内角攻めしてぶつけてしまう。梶谷が予想外の交代。ここでムードは異様になりました。そしたら次のロペスが左翼席に仕返しの本塁打でざまあみろ顔をする。そしてその裏に先頭の坂本に投げた石田の初球ビーンボール(たぶん)ですよ。本気のケンカでした。

そうしたら阿部が右翼に本塁打で2-2の同点。次の場面は中盤の村田の死球でした。左ひざ直撃で倒れ込んで動けず、担架でひっこむ。だいぶ待って出てきましたが大丈夫か?ところが次の打席でその村田がリベンジのセンターオーバー本塁打。これは鳥肌もんでしたね。あっぱれです。結局3-3の同点で9回裏、無死一塁で村田が痛い足で必死の内野安打で代走は鈴木。これは巨人の勝ちパターンです。盗塁でサヨナラかと思ったら、球場唖然の牽制死。これで巨人の勢いは止まりました。

それでも10回を終わって同点で、そのまま引き分けでアドバンテージのある巨人がファイナルへ進むと思われました。なにせマシソンが前日投げた筒香への外角155kmが恐怖を覚えるほどの凄まじい球で休場は凍りつき、この日も9回表を難なく三者三振だったからです。あとを継いだあぶなっかしい澤村ですが、一応10回はロペス、筒香、宮崎のクリーンアップを抑えてしまう。巨人からすれば、やれやれ、11回は下位打線というはこびだったからです。

しかし、前日はマシソンを回マタギで行った高橋監督ですが、10回を澤村で行った。ベンチは田原と戸根しかいなかったので12回までは想定しなかったんでしょうか。どうしてマシソンを2イニング行かないのか不思議でしたね。疲れてたのか、無死一塁で代走鈴木でバッターは阿部、長野というあたりでマシソンの気持ちが切れたのか、はたまた澤村と心中にいったのか、あえて澤村をクリーンアップにぶつけた。そして成功した、これは結果論的には勝負手でした。

僕は巨人ファンではないが、本当にがっかりしたのは11回表です。澤村が先頭の倉本の打球を右足に当て(それも足で止めにいってだ)、治療でそのまま出てこなかったことです。誰もが(解説者も)大したことないと思っていたら、高橋監督が主審に(さほど困った風でなく)苦笑いで「だめですね」と手を振った。おいおい、折れてないだろ、いや村田を見ろよ、折れてても出てきて投げますぐらい気合を見せないと。

急きょ登板の田原(どう見てもマシソンの後に出てくるピッチャーじゃない)が公式戦で5安打しかない嶺井に打たれて1点献上。2位巨人はあえなく終戦を迎えました。澤村君、投げては打たれ、いいところで引っ込む、こりゃいかんですね。せっかくの戦闘モードで始まった試合がぶちこわしになりました。打線も結局ヒットは6本、打ったのは村田、阿部、長野、坂本だけでした。糸井を取りに行きそうですがそれでも来年はもっと苦しそうですね。

ファイナルステージはいやなDeNAが来てしまいましたが、たぶん先発はジョンソン、野村、黒田だから3戦で悪くて2勝はいけるだろう、すると次の3戦を岡田、福井、ヘーゲンスで1勝でよしだから有利は有利です。初体験の固さはおんなじのDeNAが来てくれたのはポジティブに考えた方がいいでしょう。

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モーツァルト 交響曲第38番ニ長調 「プラハ」K.504

2016 OCT 10 1:01:44 am by 東 賢太郎

モーツァルトの後期の交響曲というのはあまりに絶品であり有名でもあるものだから、ベートーベンの9曲のように用意周到に作られたように思ってしまう。しかし35番ハフナーはセレナーデの転用だし、36番リンツは貴族のお屋敷にお呼ばれした御礼に4日で書いたものだという。最後の3つだけは正体不明だが、ハイドンセットなみに細部までの彫琢にこだわりを感じ、その正体はこうだったと考えている(  クラシック徒然草-モーツァルトの3大交響曲はなぜ書かれたか?-)。

さて、ではそのはざまにある38番プラハはどうか。フィガロのウィーン初演(1786年5月1日、ブルグ劇場)以来、一抹の不穏な空気がただようなか同年12月にフィガロはエステート劇場にかかって大喝采を受けた(彼が自作を指揮した唯一現存する劇場である、右)。熱狂する地元のファンが作曲家を指揮者に招き、モーツァルトは翌87年1月11日にプラハ着、19日に当劇場に登場し2月の第2週まで滞在した。その前座で38番は演奏されたのである。作曲は86年12月6日と記録があり、ウィーンの冬季演奏会用であったという説もある。

38番にはメヌエットがない。これがなぜかはわかっていない。アラン・タイソンの五線譜X線リサーチによると第3楽章を書いたのは86年はじめであり、フィガロ完成より前だから年末になって第1,2楽章を書き足したことがわかる。それがウィーン用かプラハ用かは知る由がないが、書き足しは短期に行われメヌエットは手が回らなかったか、オペラの前座という性格からあえて省いたかもしれない。ドン・ジョヴァンニ序曲を一夜で書く人だから前者よりは後者かとも思えるが、僕は以下のように考えている。

ピアノ協奏曲第25番ハ長調は38番の完成の2日前である86年12月4日に完成され、初演は翌日の5日だったと推察されている。ということは38番の第1,2楽章はPC第25番の仕上げとほぼ同時期に書かれたが、初演はどうだったのだろう?12月6日という日付は手直しをした最終稿の脱稿日であって、38番はとりあえずのパート譜で5日に一緒に初演されたのかもしれない。間に合わせだったのでメヌエットがなく、翌年にプラハへの土産で前座の演奏をして用は足りてしまいそのまま「メヌエットなし」になったというのが僕の推察だ。

そして38番の第3楽章が書かれたころ、PC第24番ハ短調が3月24日に作曲され初演は同年4月7日、フィガロ初演の1か月前であった。38番がフィガロの分身であることを考えると、24番の異様さは目を引く。これがPC25番と共にフリーメーソンのカラーを帯びた音楽であることは前述したが、これだけ性格の異なる音楽を同時に書けるモーツァルトの精神構造と職人性は興味深い。彼はその後に深刻さのない38番世界のコシと24番の暗く重い世界をまとったドン・ジョバンニを書くが、その両者が魔笛で融合していくのである。

第1楽章は第1,2ヴァイオリンの交差が驚くほど精妙にスコアリングされており、バスは当時の慣行として全曲一貫してVc、Cbが同じパートに記譜されているもののチェロの高音域は時に独立して声部をになう。オーケストラにおいてこれほど精妙な、カルテットのようなアンサンブルが息もつかせぬ疾走をみせるのは稀であり、これぞプラハを聴く喜びだ。これはヴァイオリンが対抗配置であることが必須であり、チャイコフスキーの悲愴と同様、現代流の配置は作曲家の意図が消えてしまうのだから論外である。

転調の妙はいたるところにあり語るに尽きないが、第2楽章のコーダに近いここは初めて聴いたころとても衝撃を受けた。

praha

d・g・f#・c・b・e・d(ト長調)が2回目にはbが半音下がり急に変ホ長調になってしまう。ふっと心に寂しさの影がさしたようなここは痛切だ。

第3楽章は主題がタタタターの運命リズムで開始し、楽章を通してそれが鳴り続ける。ピアノ協奏曲第25番の稿にベートーベンがそれをそこから採った可能性について書いたが、25番と同時期に書かれたプラハにも明確に運命リズムが刻印されているのは注目されていい( モーツァルト ピアノ協奏曲第25番ハ長調 K.503)。

カール・シューリヒト / パリ・オペラ座管弦楽団

38番にこの演奏が残されたことは世界のモーツァルト・ファンにとって僥倖だ。モーツァルトをあんまり聞いたことのない人はこのCDをぜひ何度もお聴きください。必ずや彼の音楽の素晴らしさがわかるだろう。小川の清水のように流れる音楽は清冽であり、内声部にいたるまですべてのフレーズがからみあって音楽と共に呼吸している様は驚くしかない。対抗配置がこれほど活きた例もなく、クリアに立体的にポリフォニーがみえるのがごちそうだ。即興的にきこえるが、ヴァイオリンの高音の伸ばしにクレッシェンドがかっていたり、その立体感は周到に作られていることがわかるが一聴ではまことに自然で作為がない名人芸だ。最高の色どりで明滅する木管群、テュッテイに重みをそえるティンパニ、第1楽章の展開部とコーダで楽興が頂点に至る素晴らしさはもう神品と形容するしかない。アンダンテのひそやかな短調への転調の陰り、終楽章の快活なテンポも最高。決して一流とは言えないオーケストラにこんなにパッションのこもった自発的なアンサンブルをさせる、こりゃあ指揮の魔術、シューリヒトの最高の演奏の一つに数えられると思う。ただ、一緒に入っている36,40,41番は僕の趣味からはそうでもない。オケの弱みが出てしまいシューリヒトの融通無碍な良さが出きっていない。どうして38番だけああなるのか、これまた音楽の不思議である。

 

ブルーノ・ワルター / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1936年12月)

949戦前のSP録音であり音は宜しくない。しかしこの第1楽章の天衣無縫の速さに慣れてしまうともう他のは物足りなくなる、そのぐらいインパクトのある演奏であり音がどうのと言ってられない。38番はフィガロの姉妹だ、僕はアレグロを快速で飛ばしてほしい。それをやっている唯一の演奏がこれで、それなのにコクを失わない、まさにモーツァルト!と音楽を満喫させてくれるから最高である。ワルターはこの後もVPO、NYPO、コロンビアSOなど数種の録音を残すが、そのどれもやはり物足りない(最後のは特に)。これがそれだ。

 

カレル・アンチェル  / ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

4571426310050終楽章のテンポの素晴らしさ!オルガン的なバランスと有機的なアンサンブルで疾走するプレストの音楽はまさしくDSKだ。第1楽章は上記2点より遅め(まあ普通のテンポだ)だが古雅な木目の音色で滋味に満ちた音楽がぎっしりつまっている。第2楽章、くすんだ弦、鳩笛のような質感のファゴット、青空に突き抜けるようなフルートがまことに素晴らしく純正調のハーモニーが癒してくれる。こういう演奏が看過されているのはもったいないというしかない。録音は1959年6月(エテルナ)でモノラルだが聴きやすい。

 

ペーター・マーク / ロンドン交響楽団

750第1楽章アレグロは速めのアンダンテぐらいで対抗配置でもないのがマイナスだが、ヴィオラを右に置き弦の各パートのフレージング、アーティキュレーションを磨き上げて、じっくりと歌わせつつ独特の立体感を出している。木管をくっきり浮き出させ要所でのトランペットのアクセント、ティンパニの強奏も効いており、この彫の深さは見事。第2楽章も遅い、アダージョぐらいだ。これは僕にはややもたれる。終楽章はプレスト、アンサンブルはやや粗いがこの活気はとても良い。これは僕が2番目に買った演奏(LP)で38番を覚えるのにお世話になった。

 

イルジー・ビエロフラーヴェク /  プラハ・フィルハーモニア

51edyrxcnkl-_sx355_あまり知られていないがいい演奏で一聴をお薦めしたい。ビエロフラーヴェク(1946~)は90年にノイマンの後任としてチェコ・フィルの常任指揮者になったが、西側に入り民主化の流れで行われたCPOの自主投票でゲルト・アルブレヒトに替わられた。僕はその前、84年に米国はワシントンDCで彼とCPOでドヴォルザークの8番を聴いたがあの音は忘れられない。たいへん有能な指揮者と思う。このプラハはコクのようなものはないが快速で両端楽章は室内オケの軽みが活きている。リズムにキレがあり対位法の綾も素晴らしい。フィガロの愉悦感をそのまま封じ込めた名演。

 

 

モーツァルト「魔笛」断章(第2幕の秘密)

 

 

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クラシック徒然草―最高のシューマン序曲集―

2016 OCT 9 0:00:32 am by 東 賢太郎

レコード芸術というものがジャズにもクラシックにもあるということを書いた。それは録音されたレコードやCDという媒体が「商品」という存在であることを製作側も消費者もが認めあった市場において成立、流通しているメディアの一形態のことだ。

演奏会も実は音楽や会場の空気、体験というものが商品であり、それを聴衆がカネを払って買っている。しかし、偽善とまでは言わないが、それはそうではない、オペラやリサイタル、ジャズのライブハウス等に行く自分、それを解する集団の一員である自分を肯定し芸術を賛美し擁護しているというプライドであって、サービスに対価を払うという野卑な商行為ではないという暗黙の了解が成り立っているように思う。

その意味では、オンラインショップやCD屋で録音を売りさばく行為としてレコード芸術はすっきりとわかりやすい資本主義の俎上にある。音楽家といえども仙人ではない。そしてモーツァルトもベートーベンもまったくもって仙人ではなかった。もしも彼らがレコード芸術というものを手にしていたならきっと売り上げを大いに気にし、ライバルと競っただろう。

グールドやビートルズは演奏会を否定したが聴き手がそうなる道理は特に見つからない。僕はコンサートやライブハウスで受けるサービスという商品に対価を支払って楽しんでいるし、同時にCDという商品を求める消費者でもある。しかしそうして資本主義原理によって決まるプライス(CDやチケットの「お値段」)を介することによって芸術は商品として市場に埋没し、流通しなくなる運命を背負っているということはもっと気づかれないといけない。

英国のグラモフォンという老舗の音楽誌がある。ここに執筆する評論家諸氏はさすがに資本主義の元祖であるジェントルメンで、録音(商品)の演奏ばかりでなく音質のクオリティや演奏様式の希少性などを総合的な価値としてプライス(単価、例えば何枚組か)が妥当かどうか、つまり商品価値としてgood value for moneyかどうかを推奨の判定基準とする人がいる。

これはレコード芸術はゲージュツであって商品などではないというスタンスが基本であるわが国ではあまりみられない。その割に「精神性」のような形而上的な要素が価値を膨らませて、雑音ばかりで音すら聴き取りにくい「巨匠の名演」が高値で取引されたりするわけだ。これは芸術はおろかゲージュツでもなく、神棚や仏具を選ぶのに近い。

僕は自分のLP、CDのコレクションの中に、神でも仏でもないから御利益は特にないが、その代わりに何度聴いても喜びを与えてくれる素晴らしい録音をいくつも知っている。それが英国の評論家なら激賞しそうな廉価盤だったりするから面白い。僕は証券マンだから good value for moneyには目がない。それを探すのがCD屋に出入りする理由の一つだったりもする。実にささいな動機だが、良いものを安く買った快感とは株や債券だけで味わうものではないと思っている。

何が良いかはひとえにその人の音楽趣味による。valueとは自分のそれに合うかどうかという相対的なものであって、世にいう「名盤」に絶対的価値があるわけではない。これまでいろいろ録音をご紹介してきたが、それはたんに僕が好きだというだけであって、食べ物、野球チームの好みや政治信条 みたいにプライベートなもので、音楽においてそれが何かは64種類のブラームスの交響曲第2番の感想文を書いたのでもはや白日の下に晒されただろう。

51o4ypbrhtl-_sx425_それを読んでいただいた方はどうして僕がこの「シューマン序曲集」が好きかはお分かりいただけると思う。これは最高に素晴らしい。何度聴いてもいい。秋にぴったりだ。演奏はなにも変わったこともとんがったこともない。大指揮者でも高性能オケでもなんでもない。録音も東欧的で地味一色である。だからどうしてこれが好きかと言われると困る。あえていうなら「普段着」。欧州でこういうのを気軽に聴いてたからだ。普通の人の普段着、それが映画になったり雑誌のグラビアになることはないだろう。つまり、DGやDeccaみたいなメジャーは商品化しないのだ。それがNAXOSという廉価レーベルだと、商品になっている。その希少性こそ、僕にとっては値千金なのだ。

これはPCなんかで聴いてもわからない、CDをしっかりとオーディオ再生してほしい。滋味あふれるくすんだオケの音色、日常から発揮しているに違いないシューマン演奏に水を得た魚の楽員の音楽性、包み込む見事なホールトーン。オーケストラを聴く喜びを心から味わえる。このコンビが同じホールと録音エンジニアによってベートーベン、ブラームスの交響曲全集を録音してくれたら僕は1枚2500円でも全部買うだろう。しかしこのシューマンは1枚1000円の廉価盤なのだ。レコード芸術の商品価値とはそうやって不可解に決まる。

 

 

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二重国籍問題について(追記あり、11月2日)

2016 OCT 6 20:20:11 pm by 東 賢太郎

(1)二つのアウエー感

国籍というものをちゃんと意識したのは海外に住んでからです。それまでは空気みたいにあって当たり前のもので、日本人なんだと強く意識するのは旅行先の空港の入国審査でパスポートを見せるときぐらい、おそらく多くの日本人の皆さんにとってもそんなものではないでしょうか。

海外に行って、そこに住んでしまうと、しかし様相は変わってきます。僕はこれを「二つのアウエー感」と呼んでいます。第一に、母国や家族や日本語がなくなってさびしい(喪失感)。第二に、有無を言わせぬ周囲の自分に向けられた冷徹な目線と態度(孤立感)、です。僕は5つの外国でこれを味わいましたが、5者5様のちがいはあるものの基本は同じです。

第一と第二の間には大きな差があって、ハワイに旅行で1週間いたって喪失感は出てきます。ああWifi弱いなあ、あの番組見たいなあ、ネコ元気してるかなあ、おいしいお寿司つまみたいなあなどですね。いっぽう、孤立感はその国の社会に入らないと出ません。そこでは「あんた誰?」という冷たい目線にさらされますが、旅行者はある意味「お客さん」だからそれは飛んでこないんです。

「あんた誰?」とくれば必要なのは、まずアイデンティティー(ID)です。そこでマイ・ネーム・イズ***なんてやったってそんなのはIDにならない、ジス・イズ・ア・ペンって言うようなもの、ハア??ってなもんです。何より先にくるべきはアイ・アム・ジャパニーズなのです。名前がIDなのはもちろんですが、それより前に国というIDがくる。日本ではありえないそんな経験をしてみると、「日本人」のありがたみがじわっと身にしみてきます。

(2)日本はすでに超一流国である

それは「日本」という国のイメージのおかげです。それが決して悪くない、というより、僕は40か国以上で仕事ですからアイ・アム・ジャパニーズをやりましたが、その経験からして日本のイメージは世界でも最上級のランクにあるといえます。国内ではなかなか実感がわかないのは「強い円」の恩恵が海外で買い物でもしないと実感できないのと似ています。外国から見ると日本はあこがれの国であり、できれば日本人になりたいという人はいくらでもいるのです。

でもワタシ海外なんて行かないし関係ないわという人もおられるでしょうが、日本製品が高く評価されて世界中に輸出でき、日本に爆買いにまで来てくれる。その経済的恩恵は莫大で、日本に住んでいても気がつきませんが、めぐりめぐって誰もが享受しているのです。中国人が自国の茅台酒(マオタイ)を成田空港でお土産に買って帰るので不思議に思って聞いたら「我々中国人は中国人を信用しないんです。ここにある品物の取り扱いは間に日本人しか入ってません、だから絶対にニセモノがないんです」といわれびっくりしました。

このエピソードは、日本製品が品質で売れているばかりではないという点で注目されます。日本製、日本人が作った(メード・イン・ジャパン、メード・バイ・ジャパン)ですらない、「ボート(bought)・イン・ジャパン」(日本で買いました)に価値があるというのです。もはや品質の問題でなく、中国製品でも日本人から買えばウソがない、騙されないと中国人が考えているということです。これは凄いことだ。僕が海外にいた頃からその兆候はありましたが、まだ品質への信頼が主で日本人への信頼は従だった。しかし昨今は「日本人」は信頼のブランドになった気がします。格段に一流国、一流国民へとグレードアップしていると感じます。

(3)どうやってここまで来たか?

そんなイメージが一朝一夕にできるものではありません。江戸末期の開国、明治の近代化以来、150年もかけて先祖代々営々と築いてきたものです。10年やそこらの猿まねで追いつけるなどおこがましいも甚だしい。思えば僕がロンドンで株式営業をしていた1980年代、日本も猿まね(コピー・キャット)と蔑まれたものです。しかし日本がまねを乗り越えたのは古来日本だけにある物づくりへの執念、匠のこだわり、誇り、技の伝承といった「根っこ」があったからです。それがない国がうわべの「なりすまし」をいくら巧みに作ったところで、即刻お里は知れてしまうのです。

日本が中国、ロシアと戦争して勝利し、最後は米国と無謀な大戦に挑み敗戦国、被爆国となったぐらいは世界は知ってます。しかし凶暴、危険な暴徒と思ってる人はもはやなく、まじめに働いて経済一流国として復興し、トヨタやソニーをつくり、ドラえもんを楽しむ平和な国だというのが平均像でしょう。日本人が永遠に凶暴、危険な暴徒であってもらいたい国は困ってそこに慰安婦像をぶつけてみたりしますが、そんなことでびくともしないほどこの平均像はもう立派に確立されています。

(4)とんでもない自虐史観

僕は日本の近代史の教え方、文科省はもちろん司馬遼太郎らの腰抜けの史観に大反対で、「明治の日本は素晴らしかった、大正で曲がり、昭和で滅んだ」という見方はおかしいと思います。ましてGHQのおしつけた自虐史観プログラムによる洗脳計画など論外も甚だしい。教室でほぼ無視され入試にも出ない昭和史は細部から見るとたしかに内政がひどいのですが、国民国家になってたかが半世紀後の揺籃期の出来事と思えばいい。二・二六事件など千年後の日本人が教科書で読めば大化の改新よりはよっぽどわかりやすい、普通のことでしょう。

国民国家の日本は単に2勝1敗なのであり、最後の負けは多くの血を流した大敗、無謀な大失敗であったのですが、その犠牲があってより一層強くなりつつある、そう思えてなりません。誤解のないように申しておくと、それは軍事においてではありませんし僕は軍国主義者でも右翼でもありません。正規軍すらない丸腰状態なのに強い、こういう強さを有した国家は世界史上いまだかつて存在したことはないという事実に驚き、日本人はそれに自信と誇りを持ち、そのパワーをどんどん使うべきだと考えているのです。

(5)国籍を持つとはどういうことか?

国籍というのは、そうした国家の歴史や遺産を背負ったものです。アイ・アム・ジャパニーズと名乗ることは、相手の外国人からすれば「あの日本人か」ということなのです。それを背負う覚悟があれば外国の方が帰化して日本人を名乗ってもまったく構わないでしょうし、政治家でない方々が二重国籍であることは日本国だけが排除できるものではない方向でより明確な法整備がなされるのでしょう。しかし僕自身は16年間に5か国に住んでみて、そこの国民になりたいと思ったことは一度もありません。どこの国も好きになったし多少の税金もお支払いしましたが、だからといって参政権を得たり国籍を取得したいとは思いませんでした。

なぜなら、僕はアメリカやイギリスやドイツやスイスや香港の生活や文化遺産は大いに楽しませてもらったが、歴史は背負えません。それを外国から守る兵隊になろうとも思いません。国籍取得とはそこに住んで仕事をして税金を納めることだけじゃない、その国を愛してるかどうかなどでもない、そういう重たい権利・義務がくっついているんです。特に国や国益を守るという義務ですね、僕自身が戦後生まれだから兵役という観点に実感が薄く、永世中立国のスイスの政治家が国を守るという強い意識で結ばれているのを見てその意識においては「我々は特別な国の国民なんだ」と痛感しました。

だから、他人事ではなく、日本人にはそもそも国籍というものの重み、実感、意識が薄いということを我々は良く自覚しておかないと行く末を間違うのです。兵役がない特別な国だからこそ、国を守るのは政治家に委ねられた重たい仕事になってくるのです。国家にあって地方自治体にないのは外務省と防衛省です。その二つだけは国家でしかできない、国家であることの証しであります。薩摩や長州が勝手に英国と戦争したり、こっそり留学生を派遣して外交、貿易もしていた、そうなったらもはや国家は骨抜きであって、その通りに徳川幕府は倒されました。

その外務、防衛を司る総理大臣が二重国籍者であっていい。現状の日本国の法体系がそうであるなら、それはそもそも国というものを否定した奇想天外な骨組みです。違法でないからいいでしょと許すべきものではない、即刻に法改正をすべきです。中途入社の社員が優秀だからと社長にしてみたら実はライバル会社の社員でした?そんなものはジョークにもならない、世界中のどこであれ、あり得るはずもないのです。

僕は二つの祖国を持つ方々の気持ちはある程度はわかっているつもりです。16年も海外で生活しましたし、ハーフの友人や部下もおり、子供時代の苦労も気持ちも、ある時は涙も、いろいろありましたし察することぐらいはできていると思います。そういう個人的な思いは、しかし国という共同体、法律という国のフレームワークの議論とは別の物です。愛があれば、かわいそうであれば、何でも許されるという韓流ドラマみたいなものではないのです。

(6)日本人はいい人だから危険

ほんとうにそう思います。涙が出るくらい。旅先で出会う若者もご老人も、お店や食堂のおばちゃんも、駅員さんも、いや自分の両親や親せきだって、16年たってすっかり浦島太郎で日本に帰ってきて、ああなんてやさしくていい人たちなんだろう、こんな人たちは世界中どこにもいない、このままでいてほしいと思ったのをありありと覚えています。カルチャーショックでした。

東日本大震災での必死の救出、助け合い、おもいやり、心の絆のやさしさといった、我が身をも省みない美談の数々は世界の、隣の韓国の人々をさえ驚かせ、その外国の反応がひるがえって日本人を驚かせました。それが日本なのです。どうして被災地のそこらじゅうで犯罪がおきないんだ、が世界の通常の反応でしょう、それがいい悪いではなく、世界はそんなものなのです。こんないい国はふたつとありません。

こんないい国を守りたい。あたりまえのことです。僕は怖くて仕方ないのです。こんな警戒心のない、いい人だけの国!田舎は鍵もかけないし、落とした財布はそのまま返って来るし、借りたお金は必ず返すし、いい人同士だからすぐ信用するし、ガイジンが日本語をしゃべればすぐ「いい人仲間」にいれちゃうし。めちゃくちゃ危ない。オレオレ詐欺はそこにつけこみましたが、あれは日本語がうまくないとできない、「日本語」、これがポイントです。それさえうまければ、容貌はともかく、いくらでもダマすことができるだろう。

今の日本人が凶暴、危険な暴徒などとんでもない話で、我々は大戦まではそうだったかもしれないという歴史は負う必要がありますが、だからこそ二度と戦争をしない国でありたいし、矛盾するようですが、このままの日本であってほしいと願うのです。矛盾というのは、このままだと安全保障はほんとうに大丈夫かという懸念を僕は持つ者だからです。いい人がいい人のまま生きられるユートピアでは世界はない、それを見てきてしまったのでそう思うのです。

ライバル会社に籍があるまま役員やってた者が「社長を狙います」だ。二重だったんでしょと追及されると、いえあの会社はもう潰れましたんでだ。もう笑ってしまうしかないが、この人は国籍をどう思っているんだろう?歴史をどう思っているんだろう?これからのご発言はお笑い番組として楽しめる。この政党が政権に在った3年3か月があっても日本国の屋台骨は大丈夫だったというのは実に有益なストレステストでした。日本はもう充分に強いのであるという。昭和で、敗戦で、だめになってしまった日本史ではなく、それがあって繁栄した国という新たな、類例のない歴史を築く入り口に我々は立っていると思います。

 

(追記)「極めて個人的な件」なので戸籍は開示しない(蓮舫議員)

ははあ、蓮舫さんは日本語が巧みですね。中国語もネイティブ並みと聞きましたが。いつも感心しますが日本語力、なかなかいけてますよ。なるほど「個人的な件」には「極めて」と「そうじゃないの」があるんですね?ということは、そんなに「物凄く」まずいことでも書いてあるんですね、戸籍に?首相になろうという公人が国民に開示できない「物凄く」まずいことが履歴として公文書に書いてあっちゃあ、それこそ物凄くまずいでしょ? いえ、「個人的な件」ですからね、蓮舫さん個人のこととしてはいいんですよ、ぜんぜん興味ありませんし。でも民進党は党の存否を争う大問題じゃないですか、こういう人を首相候補にしているシャドウ・キャビネットじゃあ党ごと不適格ということになります、自動的に。しかし自民の独走、一人勝ちは、これまた健全でないのは東京都政を見ての通りで、強くしっかりしたリベラルは民主主義国家には絶対に必要です。

 

 

(追記、10月17日)

「台湾籍離脱手続き不受理なので相談したら、強く選択の宣言をするよう行政指導された」(蓮舫議員)

ははあ、「強く」指導されたんですね、弱くじゃなくってね。なるほど、「行政手続きに則ってやりました」って風に聞こえますよね、本当に日本語がお上手ですね。

そんなことはどうでもいいでしょう?「受けつけてくださいませんでした」なんてことはぜんぜんあなたの事件には関係ないのです。あなたは「戸籍法104条で国籍選択宣言したのが今年10月7日でした」、要するに、「今月初めて日本国籍を選択しました」って白状したんです。「国籍法違反」はどうでもいい、こっちの犯罪が問題なんです。この意見に抗議するなら戸籍を示せば済みます。

示さないならこういうことになります。つまりあなたは1985年に国籍を取得してから31年9ヶ月間、日本国籍を選択しない「二重国籍」のまま、参議院議員に3回当選したというのが事実なんです。2004年の選挙公報で「1985年 台湾籍から帰化」と大ウソをついて、国民を騙して国会議員になった罪がこれで発覚したわけです。

公職選挙法(虚偽事項の公表罪)

第二百三十五条  当選を得又は得させる目的をもつて公職の候補者若しくは公職の候補者となろうとする者の身分、職業若しくは経歴、その者の政党その他の団体への所属、その者に係る候補者届出政党の候補者の届出、その者に係る参議院名簿届出政党等の届出又はその者に対する人若しくは政党その他の団体の推薦若しくは支持に関し虚偽の事項を公にした者は、二年以下の禁錮又は三十万円以下の罰金に処する。

国会は立法府で、議員は法律を作る人です。「私は作るだけです、自分では守りませんけど」なんてのは申しわけないが日本では通用しないんです。経歴詐称をしたショーンKとかいう人がいましたが、ことは芸能界ではない、日本国の将来の命運を決める国政の場にホラッチョがいてはならないんです。こんなのを見逃し、なあなあで済ませたら「蓮舫はOKでなんで私はだめなんですか?」という輩が無限に出ます。未来の日本国民に重大な禍根を残すことになります。我が国は法治国家です。政府与党および司法に対し厳正な法の適用を要求いたします。

 

(追記、10月30日)

上記の罪状で市民団体が蓮舫議員を刑事告発しました。まったくもって正当なことですね。

台湾籍は抜いたと思っていました、父の言葉がわからなかったので、それで22才での国籍選択をせず20数年放置しましたが「故意」はなかったんです、だから「帰化」と選挙公報に書いたんです。

近々にパスポート使用歴が出れば即死ですね。故意が証明されますから。これは法治国家の法律問題です。逃がしてはいかんのです。

次に、法律違反ではありませんが、ウソはいかんですねウソは。二重国籍も台湾籍も僕は一般論としては全くかまわないが、公の場でこれだけ大嘘を軽々とついて平気な人は性根からのほら吹きなのであって、芸能人ならともかく人の上に立つ仕事が務まる道理などあるわけないだろう。党代表どころか議員資格剥奪に至る問題である。日本国民をなめるのもいい加減にしていただきたい。

 

(追記、11月1日)

公職選挙法違反は時効ですなどという記事が出ている。こんなものが出ること自体、事実であった証拠がこれから出てしまうことを前提としていよう。しかし、ウソをついても相手を長くだませば罪が消えるとは初耳だ。どうせつくなら大ウソをつきましょうキャンペーンだろうか。

 

 

 
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クラシック徒然草―レイボヴィッツの春の祭典―

2016 OCT 5 19:19:08 pm by 東 賢太郎

故ネヴィル・マリナーのバッハ、モーツァルトが「おふくろの味」と書いたが、もっとひろく、クラシック音楽全体のそれはというとやっぱりこれ、ピエール・ブーレーズの春の祭典CBS盤であり、お固く言うならこの曲の「イデア」である。

それがストラヴィンスキーのイデアかどうかは不明なので「完璧」という言葉は使えないが、この1929年の自演を聴くと彼はやりたかったこと(つまりこの演奏)をほぼ正確にスコアに記号として書いている(細かく言えば大太鼓がティンパニだったりはあるが)。

とするとブーレーズCBS盤はそのスコア情報のテンポやダイナミクスをより「彼なりの高次元」にリファインしたものとは言えるように思う。

この「彼なりの高次元にリファイン」するという行為は、すべての解釈者(演奏家)が直面する難題だ。バイエルを弾く子供でも音にする以上は自分のテンポや強弱で「解釈」はしていることになる。かように演奏家は常にフィルターとなっているのである。

ピアニストのホルヘ・ボレが「自己流解釈者」との自分への批判に対して「作曲家の創造行為への敬意を払いつつ、彼の全作品を深く学んだうえで、自分のフィルターを通じて咀嚼し演奏する表現者」を是としているが、僕はこの意見に賛成だ。

問題は「彼の全作品を深く学んだうえで」が欠落するケースが甚だ多いというだけのことだ。彼の交響曲やカルテットをまだ知らないA子ちゃんが発表会で弾いた月光ソナタが至高の名演と評されることは、音楽は好みに過ぎないというリベラルな立場からは別に構わないことだろうが、そう評価する人の音楽的素養の問題としては議論されうるだろう。

音楽を語るという行為に商業的価値があると僕は思わないが、ソムリエや口うるさいグルメの存在がワインや料理人の質を高めるような作用を演奏行為に及ぼすのだという意見には賛成である。そして、ときにワインや料理の方が一歩進んで客の舌にチャレンジしてくることだってある。

ブーレーズの感性でリファインされた春の祭典はその一例であり、驚いた客の方が百万もの言語を費やしてその味の新しさを評価、論考したものだ。その末席に高校生の僕もいたのであり、味を言葉に置換する方法を覚えた。あらゆる文化や芸術はこうして言語によっても伝承される。それを包括した次元で演奏は評価されるが、その言葉は評価する人間の評価として吟味され、言語の伝承のほうのクオリティも担保されていくのである。

ではリファインをストラヴィンスキー自身が強くNOと評価したら、そのことはどう評価されるべきなのだろう?カラヤンの64年盤でそれがおきたのは有名だ。この手慣れた如くに滑らかな展開は現代では違和感がないと感じられる方が多いのではないかと思うが、作曲家は気に入らなかった。それがバイアスとなってこの演奏を評価しない人が多いが、そんなことはないこれはうまく弾けた演奏のひとつだ。生贄の踊りの金管に耳慣れない和音があるが、カラヤンでない人が現代のコンサートホールでこれを聞かせれば大層な名演と喝采されることは想像に難くない。

この曲の創造主に音楽的素養の議論をふっかけるのは粗暴というものだ。版権、印税の問題でもめた影響を指摘する人もいるが、きのうソナーHPに書いた広島カープ球団の内幕みたいに表舞台には見えないものはどんな世界にもある。演奏頻度は高くなかった64年当時(ブーレーズ盤の5年前)に演奏者が手慣れていることは考え難く、カラヤンの譜読み力とベルリンPOの技術がいかに高次元にあったかに驚いた方が妥当な態度だろう。ストラヴィンスキーは想定もしていなかった「手慣れ感」「美しすぎ」に抵抗を覚えたのではなかろうか。いまはこのレベルが当たり前とするなら、演奏解釈というものはそれ自体が「進化」するという命題の勝利と考えるのがいいのだろうか。

ブーレーズの演奏解釈がどこから進化してきたか?CBS盤にはお手本があると書いたら天下のブーレーズを冒涜したことになるだろうか?

僕の憶測にすぎないが、彼の師匠であるルネ・レイボヴィッツが1960年にロンドン・フェスティバル管弦楽団という実態不明のオケを振ってCheskyレーベルに録音したものを聴いて、僕はそう結論せざるを得ない気持ちになった。これは、驚くほど、コンセプトがブーレーズ盤に似ているのである。

以下、CDを聞き直しながら書き取ったメモをそのままのせる(青字、比較対象は記憶にあるブーレーズCBS盤である)。

61xntkbuwvl序奏、ホルンのdがシンクロしてしまっている。心もちブーレーズより遅いが演奏のコンセプトはそっくりである。木管合奏としてミクロに視点を当てながら全体は嵐の前の静かさと緊張があり倍音に富む。

若い娘たちの踊りのテンポはほぼ同じだ。そっくり。

誘拐はやや遅いが管弦のバランスはこれまたそっくりだ。春のロンドは極少し遅いがバスドラの活かし方が同じ。シンバル、銅鑼はかなりおとなしい。

敵対遊戯 ごく少し遅いがティンパニの出し方が似ている。ホルンの和音による旋律的部分もそっくり。大地の踊りはテンポほぼ同じ。

第2部序奏、心もち遅いがシェーンベルグっぽい、似ている。トランペット交差、音が半音高い、アクセントがつくところは全く違う。これはスコアからは変だ。

アルトフルート奏者はいつも遊びが過ぎて気になる。生贄の踊り、ティンパニが違う。オケが乱れる、かなりへた。最後のティンパニが一発余計に鳴る。

ブーレーズより速い部分は一つもない。

祭典フリークの方はじっくりお聴きいただきたい。

この解釈をさらにリファインして高性能のクリーブランド管に教え込んだのがCBS盤だというのが僕の仮説だ。レイボヴィッツはクールで通している生贄の踊りが終結に向けて一糸乱れぬまま加熱するなど、アンサンブルの精度へのこだわりはブーレーズの専売特許ではある。祭典フリークの方しかご関心はわかないかもしれないが・・・。

ストラヴィンスキー バレエ音楽 「春の祭典」

 

(追補)1963年6月5日、カナダ放送交響楽団を振ったもの。第2部序奏のあと現れる2本のトランペットによる主題提示で第2トランペットの第2音が半音高いのを除くとCBS盤のテンポ、コンセプトに近い(ほぼ同じ)。ここからそれまで変化がなくレイボヴィッツ盤の3年後に解釈が確立していたことがわかる。

 

 

 

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ネヴィル・マリナーの訃報

2016 OCT 4 0:00:43 am by 東 賢太郎

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いま、お客様から大事な案件を仰せつかっていて、今日もそれで昼に大きな会議があって、前夜もあんまりよく眠れていない。僕の仕事はそれなりの規模で自分でリスクも負うから気が休まることがなく、睡眠中もあれこれ考えているのだろう。

そんななか、朝がたにネヴィル・マリナーさんの訃報を知る。心底がっくりきてしまった。会議を乗り切るのがやっとで、会社にいてもメンタルにもたずお先に失礼した。

 

去年の11月末、マリナーさんがN響に来てブラームスの4番をきかせてくれた。その日のブログ(  マリナー/N響のブラームス4番を聴く)はこう締めくくられている。

ひょっとしてこれが最後かもしれないがいい4番を聴けて幸せでした

あの日、前半がモーツァルトPC24番で、この曲には半音階で天に昇るような音型が終楽章にたくさん出てくるが、なにかを感じたのだったかもしれない。

今年は1月にピエール・ブーレーズさんが、そしていよいよマリナーさんが鬼籍に入られた。おふたりは僕にとって現代音楽の、そしてバッハ、モーツァルトの先生であり、クラシックにのめり込むきっかけを与えてくださった。おふたりのレコードは耳に刷り込まれていて、無限の喜びを与えてくれ、まさしく「おふくろの味」になっている。

youtubeに見当たらないが、大学時代、ブランデンブルグ協奏曲第6番を下宿でたまたまFM放送から録音して、あまりに素敵なのでそのカセットを毎晩きいた。それがこのレコードだ。

J.S.バッハ「ブランデンブルグ協奏曲」BWV1046-1051

中古レコード屋を探し回るほど僕にとっては記念碑的な演奏であり、ほかの演奏では用が足りず、この6番のヴィオラとチェロの音が僕の一生の弦楽器の音色の好みを作ったと言って全く過言でない。

古典からキャリアをスタートしたマリナーさんが晩年に至ってロマン派を振り、それも英国音楽よりもドイツ、東欧物に向かったのは大正解だった。ご性格の、おそらく穏健で懐の深いおおらかさ、ロマンティックなやさしさはそれに適しているからだ。このドヴォルザーク7,8番も忘れ難いが一昨年の2月、雪の日のことだった。

ネヴィル・マリナーN響を振る

そして僕はこれをこう締めくくっていた。

楽しい時間を過ごさせていただきました。マリナーさん、お元気で末永くご活躍されることを祈っております。

そしてこれを上梓したのは英国のユーロ離脱(Brexit騒ぎ)にひっかけてのことだから去る6月、ほんのこの前のことで( 英国人がドイツのオーケストラを振ると?)、そこにこう書いた。

2010年だったか(マリナーさんが)N響を振ったライン交響曲があって、これにいたく感動したのです。僕にとってこの曲は人生のひとこまであって重たい。良いと思うことなどめったにないのですがあれは本当に名演だった。

この演奏会のビデオは大事にとってあって、客席には僕の顔も映っている。

そしてこのブログはこう締めくくっている。

いつまでもお元気で、もう一度、ドイツ物をきけたらいいなあ。

この言葉をもう一度、そのまま天にお届けしたいです。これからあなたの素晴らしい魔笛をききます。音楽の楽しさを教えてくださりほんとうにありがとうございましたこれは僕が米国時代にFM放送をカセット録音したもの。3cc8e046-dcf8-11e3_1068758k

 

これは僕が米国時代にFM放送をカセット録音したもの。1984年のミネソタ交響楽団を振ったライブです。マリナーさんのレパートリーにチャイコフスキーのイメージはないですが、これが見事な快演なのです。一聴の価値あり、ぜひお聴きください。

(こちらへどうぞ)

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

ロッシーニ 歌劇「ウィリアム・テル」序曲

 

 

 

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クラシック徒然草―ミュンシュのシューマン1番―

2016 OCT 2 15:15:41 pm by 東 賢太郎

アメリカに住んだ2年間(1982-84)というのは僕のクラシック・ライフにとって危機だった。フィラデルフィア管を聴いたりオーマンディーやバーンスタインやチェリビダッケに会えたりといいこともあったが、とにかくMBAの勉強というのは朝から夜中まで殺人的に激烈で、時間もないし心の余裕なんか微塵もない。最初は英語がさっぱりで授業についてさえいけず、発狂寸前だったと書いてちっとも誇張ではない。

野村證券は当時からハーバード、ウォートン、コロンビア、スタンフォード、シカゴ、MITなどのMBA取得者がごろごろいて、金融界最高峰であるウォートンの入試になんとか合格はしたものの渡米前にそういうこわい先輩がたに散々脅かされた。それも「お前、落第などしたら一生の赤恥だぞ」「また支店に戻すからな」なんてドぎつくだ。人事発令があった当初は、ビジネススクールなんてタイプライターの練習でもするんかいとお気楽トンボの無知であった僕は、それで一気にシベリア出征する兵士の悲愴な心境となっていた。

当時、社則で社費留学資格は独身ということになっていた。留学したいと挙手したわけではなく突然の社命だったのでこれは調子悪かった。梅田の寮生活が2年半あってそろそろと思っており、2月の結婚を決めてしまった。先日先輩のご令息の結婚式があって、イケメンの彼はコロンビア大学のMBA留学が決まって「アメリカに一緒に行こう!」がプロポーズだったそうだが、こっちはそんなカッコいいもんじゃない、家内には結婚して一緒に行ってくださいとお願いしたのであり、その先には人事部長へのお願いという難事が立ちはだかる綱渡りだった。このお願いが通ったので社則がかわり、野村の若手ホープであるご令息はプロポーズできた?ということになるのを彼は知らないだろう。

そんなドタバタだったからアメリカに送る荷物にLPレコードを入れようなんて発想は出ようもない。認めてやるから最初の半年は一人で行けという会社の妥協的お達しで新婚もへったくれもなく単身赴任、しかも大学院の寮で米国人とルームシェアだったから音楽なんてきけない。これは参った。授業はわからないし予習復習に追いまくられてマックで外食する時間も惜しく、毎日自炊?でラグーソースをぶっかけたスパゲッティで生きのびていた。心身ともに栄養失調でふらふらだった。

やっと半年たって家内が来てくれて生き返った。部屋は家族用の寮に引っ越した。しかし勉強はますますハードになってきて毎日図書館にこもって猛勉強で、深夜0時に来る校内警察のパトカーで帰宅していた(そんなに治安が悪かったのだ)。そうこうして、やっとなけなしの貯金で念願のオーディオ(安物のカセットプレーヤー)を買った。ダウンタウンのサム・グッディというレコード屋に毎週末しけこんで飢えた狼みたいにカセットテープを買いあさった。これと家内がつくってくれる日本食でなんとか発狂と餓死だけはまぬがれたというところだ。

しかしだ。店頭に並んでいるカセットのレーベルはというとCBSやRCAやVoxなど米国ブランドばかりで、英国のEMIとDeccaは少しあったがDGなどドイツ語圏レーベルはほぼ皆無だった。なるほど、これが「米国市場」というものなのか。指揮者はトスカニーニ、ストコフスキー、ミュンシュ、ライナー、セル、ワルター、オーマンディー、ショルティ、ラインスドルフ、スタインバーグ・・・おいおいドイツ人はどこだよ?おれはドイツ人がやったベートーベンが欲しんだ。

欧州から呼んだり亡命してきたりした彼らはいわゆる「外タレ」軍団で、彼らが振った米国のオーケストラのレコードを「本場もの」として付加価値をつけて売る。そうやって米国市場は「閉じて」おり米国資本が潤う仕掛けが出来上がっていた。それは英国もそうで、フルトヴェングラーやカラヤンに英国のオケを振らせたのだが米国は亡命ユダヤ人に強みを発揮していた。ドイツ語を母国語とするオーセンティックな巨匠がベートーベンやブラームスを本場流に聞かせる、そこに価値があったのである。

余談だが、そうやって拡大したクラシック米国市場は情報・メディア・テクノロジーを牛耳るユダヤ産業であり、外タレにドイツ人がいないのも道理であった。ナチだったカラヤン招聘など論外であり、真偽はともかく反ナチといわれたフルトヴェングラーはドイツ系に熱望されたがユダヤ勢力に潰された。クレンペラーは首尾よくシェーンベルグもいたロスに呼んだが、あいにく彼はチープな米国文化が大嫌いだった。そこで産業が熱望したのは米国国産のユダヤ人のスターだ。それがレナード・バーンスタインの正体である。

ふたりのユダヤ人、ワルターが持ち込みアブラヴァネルがユタで全曲録音したマーラーの交響曲はバーンスタインの伝道で新たな「旧約聖書」となった。ドイツ音楽産業の本丸DGはLPの恰好な長時間コンテンツとして無視できなくなったマーラーをおずおずとカラヤン、イタリア人ジュリーニ、はたまた極東の小澤に録音させた。遠巻き作戦を転換してウィーンフィルによるバーンスタインのマーラー録音に踏み切ったのは、バレンボイムがイスラエルでワーグナーを振ったぐらいの歴史的事件だ。僕はVPOのヴィオラ奏者から「マーラーはバーンスタインに教わった」との証言を得た。それがいい口実になったということだ。

英国EMIはフィルハーモニア管を人質に差し出して米国を逃げ出したクレンペラーを囲い込み、マーラーの弟子としてワルター、バーンスタインの向こうを張らせにかかったが、彼のマーラーは辛口で大衆うけせず、審美眼から駄作は振ろうともせず、結局は旧約聖書ビジネスとしてはうまくいかなかった。米国・ドイツの狭間でユダヤ資本を巧妙に抱き込んで立ち回る英国の政治経済でのずる賢さをここにも見るが、それがいつもうまくいくわけではないということだ。ちなみにその近年最大の失敗策がEU離脱国民投票実施の愚だったのである。

閑話休題。

ところがフィラデルフィアはイタリア系移民が多い街だ。ドイツ物の需要はさほどでもなくストコフスキー、オーマンディーに独墺のイメージは薄い。だからナポリ人のムーティ―が後任にうまくはまったがサヴァリッシュはいまひとつだったのだ。ムーティーはドイツ物音痴ではないが僕が定期会員だった2年間、あんまり取り上げなかった。「サム・グッディにドイツ語圏レーベルはほぼ皆無だった」のは理由があったわけだ。マーケティングの生きた勉強にはなったが、部屋のカセットは増えてもドイツ人によるドイツ物への渇望はちっとも癒えない。そうでなくても僕のチェコフィルやDSKを好む東欧趣味は既に確固としてできあがっていたものだから、ドンシャリのアメリカ流の安っぽいブラームスなど歯牙にもかけたくない上から目線ができてしまった。

51npsfxd1el-_sx425_そういう飢餓感のなかで、オイゲン・ヨッフム(!)がバンベルグ響(!)を連れてきてやってくれたベートーベンのPC4番(娘のヴェロニカのピアノ)と交響曲の7番、アカデミー・オブ・ミュージックの忌まわしいほどくそひどい音響にもかかわらず、かつてこんなに渇きをいやしてくれたコンサートはなく、まさしく絵にかいたような砂漠のオアシスであった。ドイツ物タイトルを買い揃えていたらシューマンのシンフォニーで、米国のオケではあるがとてもドイツ的な音と演奏の楽しめるものを発見した。セムコウ/セントルイス響の全集がそれだ。感涙ものだった。本当にお世話になった。

6700247そしてなんといっても毎日のように聴いて格別に思い出深いのはミュンシュ/BSOの1番「春」だ。これは本当に素晴らしい。ラッパがあっけらかんと明るいが、ミュンシュはそれを逆手にとって終楽章のトランペットの合いの手、パラパパパパの軽妙なリズムを浮き立たせて個性としてしまっているからしたたかだ。それが耳に残って離れないから作戦大成功だ。こういうきわめて特別(occasional)な思い出と一体となった音楽の記憶は一生ものなのだろう、聴くとちょっとしたフレーズの特徴にでもあの頃を思い出すが、それは昭和の歌謡曲で学生時代が目に浮かんでくるのとなんらかわりない。この演奏はアメリカのオケ=チープという、今思うと大きく見当はずれの偏見を根底から払しょくしてくれた恩人のような存在で、本稿に縷々書き綴った我が若き日の物語が詰まったものだ。いま我が家の装置で鳴らした堂々たるボストン・シンフォニーホールの音響は、当時のカセットの貧しい音からは想像もつかぬ、有無を言わせぬシューマンの音である。ミュンシュという人はスタジオ録音でもライブのような棒であったとみえ、アンサンブルはテンポの変化でやや乱れたりするがそれが魅力であったりもする。僕のような思い入れがなくとも、当時のボストン響は非常に優秀でありこの演奏も活気に満ちた名演となっている。これをぜひ聴きいただきたい。

 

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(2)

 

 

 

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剣道範士八段 湯野正憲先生のことば

2016 OCT 1 13:13:00 pm by 東 賢太郎

ベイスターズの三浦大輔投手の引退試合。10点取られたが、先発して7回まで投げるなんてきいたことない。日ハムの武田勝投手は一人だったが、去年の山本昌もそうだったしそれが普通だ。お疲れさまでした。

武田が球速125km、三浦も135kmほど。最後はロッテ清田、ヤクルト雄平が「三振」して有終の美だ。このシーンはいつ見ても涙が出てくる。雄平の三振は見事でプロ野球ニュースで讃えられていて、僕はそれで二度泣きした。

ヤクルト選手会長森岡の引退試合。終了後にナインがハグするが、バレンティンが抱き上げて讃えているのを見て「いい奴だなあ」と。自分もリリースなのに男だね。打席では不遜な奴だが、男はこういうところをじっと見ているのである。

プロ野球ニュースでもうひとつ、カミソリシュートの平松さんが「指導者、子供たち、三浦のフォームを覚えておきなさい」と。「長くやるにはこれです」と。

「ねっ、バックスイングで腕が後ろ(背中側)に回ってないでしょ」

なるほどそうだったか。さっきダルビッシュを見たらやっぱりそうだ。6回で12奪三振。9三振以上の試合数43はあの火の玉投手ノーラン・ライアンに1差の2位。信じがたい曲がりのスライダーは、あのスピンをかけるとヒジに来るなとは思うが肩をやらないのはそれだったのか!

レンジャースの2番手はというとあのヤクルトのバーネットだ。メジャーのマウンドだと中継ぎで普通の投手に見えるが7勝もしている。これがまた、セットでグラブをあらかじめ右腰にもっていって右の肩甲骨を「入れて」バックスイングに入る。そうか、するとトップで腕が後ろに回らないのだ!

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高校で僕は硬式野球部のOBや先輩に投球フォームをいじられたことはないが、一度だけ注意されたことがある。当時九段高校には体育教師として剣道範士八 段湯野正憲先生という剣法の大家がおられた(左がご著書)。ある日、いつものように校庭のブルペンで投げていると湯野先生がつかつかと寄ってこられてこう言われた。「僕は野球のことはよくわからないが、キミは左足が着地で開いてる。それでは力が逃げるよ。地面に親指から着くようにしなさい」。これだけだ。

僕は意味するところがよくわからず、やってみたがうまくもいかない。結局教えは忘れてそれっきりになったが、先生と口をきいたことはなかったし突然のことだったのでよく覚えている。

平松さんのことばでこれを急に思い出したのだ。僕はワインドアップでバックで大きく腕を引くフォームで、非力ゆえにたぶんそれで肩を壊した。セットだとテークバックが小さくなり、親指着地にもなった。だったらぜんぶセットで行けばよかったのだ。湯野先生は平松さんと同じことを言われていたとわかった。たいへんに後の祭りだが。

「長くやるにはこれです」

達人はちょっとしたことで、凡人にはわからない、しかし決定的に大事なことを教えてくださる。もっと謙虚になっておけばよかった。子供たちは教えに従ってぜひ三浦投手のフォームをまねして、怪我しないように頑張ってください。

 

(PS)

ついさきほど阪神の福原投手も引退試合でした。143kmなんて後を継いだ安藤より速いじゃないか、どうしてやめちゃうのという見事なストレートで巨人の立岡を浅いレフトフライ。寂しいね。

阪神は若手が伸びそうです。おととしあたりのカープを思わせます。

(PSのPS)

カープ最終戦、広瀬の引退試合。いい角度で入ったと思ったが左飛。倉と広瀬のセレモニーはまた泣かせた。倉の肩は忘れないし石原より打った気がする。ご苦労さん。広瀬は菊池をかわいがったんだね、ライト守備でキャッチボールを買って出て最後もあの泣き方は。男だけが許される涙です。

そして、本当に悲しいが、楽天で引退発表した栗原。ここに彼がいたら、いるべきだと思ったファンがどれだけいたことか。弱かったカープを引っ張った強力な4番打者。いまでも僕のPCの待ち受け画面は神宮の彼の打席だ。栗原がんばれよ!!

 

 

鎮 勝也著「二人のエース」について

 

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