ヴァン・クライバーンの訃報
2013 MAR 1 0:00:06 am by 東 賢太郎
審査員は審査終了後、ニキータ・フルシチョフにアメリカ人に優勝させてもよいか聞いた。フルシチョフは「彼が一番なのか?」と聞き、「それならば賞を与えよ」と答えた。(Wiki)
こうして冷戦下の1958年、ソ連が国威発揚のため設けたチャイコフスキー・コンクールで、しかもソ連の看板曲であるチャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番を弾いた23歳のアメリカ人が優勝した。
クライバーンの『チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番』(コンドラシン指揮RCA交響楽団)(1958年)は、ビルボードのポップアルバムチャートで1位(7週連続)を獲得した唯一のクラシック作品である(2007年現在)。(Wiki)
このいきさつは中村紘子さんの「チャイコフスキー・コンクール」(中公文庫)に詳しいのでお読みください。当時の米ソ冷戦の緊張をはらんだ様相がリアルに伝わってきます。結局、世界を騒然とさせたクライバーンは大家の仲間入りを果たすことなく、一閃して消え去る花火のごとく燃え尽きてしまいました。
昔、阪急ブレーブスに山口高志という投手がいました。「史上最も速い球を投げた男」と言われながら4年で消え去った彼をどこか思い出してしまいます。クライバーンの上記チャイコフスキー、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2、3番などは、「最速男」だった頃を髣髴(ほうふつ)とさせる颯爽とした演奏です。
こう訃報が続くと寂しくなります。ご冥福をお祈りします。
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花崎 洋 / 花崎 朋子
3/1/2013 | 2:59 PM Permalink
クライバーンのピアノ、確か、中学生の頃、ショパンの木枯らしエチュードや英雄ポロネーズを耳にしたことがあります。随分と柔らかく、大人しく、品の良い演奏だったと記憶しております。きっと既に、豪速球を投げられなくなってからの演奏だったということが分かりました。花崎洋