ベートーベン交響曲第3番の名演
2013 JUL 15 2:02:33 am by 東 賢太郎
第1楽章を最も理想的なテンポで演奏しているのはレイボヴィッツだ。後半楽章はちょっと荒っぽいが、第1楽章に関する限り最高の演奏はこれだ。この曲を愛する方はぜひ聴いていただきたい。
アルトゥーロ・トスカニーニ / NBC交響楽団(1949年11月28日、12月5日)
僕はオーディオファイルではないが、トスカニーニのベートーベンとブラームスの低音を鳴らすために1本が125kg あるB&Wのスピーカー、ブルメスター1台(770W)+ホヴランド(630W)2台とパワーアンプを計3台、そして低音のバランス調整のためにイコライザー機能のあるブルメスターのプリアンプをさんざん聴き比べたうえ買った。トスカニーニの録音は当時の米国で最大のメディアであったラジオ放送で細部までうまく聞きとれるようにミキシングされたと思う。だから普通の装置で再生するとラジオみたいに高音の勝ったドライな音になってしまうのだ。第1楽章に2日にわたる録音を繋いだと思われる個所があるのが唯一の欠点だが、有名な53年盤もあるものの音質も演奏もこの49年盤のほうが総合点で圧倒的に上であり余計なコメントは野暮だろう。youtubeに僕が1986年にロンドンで入手したCDをアップロードした。この演奏は後に何度もリミックスされて再発売されたがこの復刻が音が一番良いと思う。
エドリアン・ボールト / ロンドン・フィルハーモニック・プロムナード管弦楽団
大人のエロイカだ。二キッシュの弟子ボールトのドイツ音楽は何も力をこめず何も特別なことはしていないが、音楽の威厳をまっすぐに伝える達人のわざである。僕が一番好きなジュピターはボールト盤だ。自らを未熟として35歳までは振らなかったブラームスの4曲も上位に入れる。ちなみに英米人を下に置く日本の音楽評論家からはボールトはホルストの惑星の指揮者程度の扱いで低く見られる傾向があり、彼のドイツものはほぼ無視されてきた。虚心坦懐に耳を傾けてみて欲しい。エロイカにこういう可能性がある。青臭い身勝手な解釈ではなく、世の酸いも甘いも知り尽くした男が語る箴言集のようであり、終楽章の終わり近くに6番(田園)の世界があったことをこの演奏に教わった。録音も素晴らしい。実は1位はこれとトスカニーニを迷った。僕も少し齢をとってカドがとれ、この穏健、平和主義のエロイカに魅かれるようになったかもしれない。
ブルーノ・ワルター / コロンビア交響楽団
このテンポに共感するものではないが、僕はワルターの気迫がこもったこの演奏が好きだ。世評の高いフルトヴェングラー盤は好きでない。あのテンポの伸縮は指揮者のものであって音楽が求めているとはとても思えないからだ。どこの評論家が言ったのか知らないが日本ではフルトヴェングラーは奇数番号、ワルターは偶数番号という意味不明の通説がある。そんなものを信じる前にご自分の耳でこれを聴いてほしい。CBSソニーのリミックス盤はダメでCD初期のマックルーアによる録音がいい。音は装置に依存するから録音のことを書いて申しわけないが、エロイカだけはどうしても低音とその上に虹のように広がる倍音の重要さを避けることができない。このワルター盤はすばらしい。眼前で巨大な精神の営みが展開されている様に接するのは壮観だ。この残響を活かしてこの表現をするなら遅いテンポは仕方ないと思わされてしまう。第1楽章の気づくかどうかも微妙なテンポルバート!絶妙な楽器バランス、こだわりぬいたフレージング、吟味されつくしたピッチ。恣意でいい加減に流れる所が微塵もない。これをライブで聴いたら打ちのめされたに相違ない。万人に聴いていただきたい名演中の名演である。
ロブロ・フォン・マタチッチ / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
最初の和音2発からただならぬオーラを発し、いきなりくぎ付けになる。プラハの芸術家の家の素晴らしい音響!意味深い金管とティンパニのテュッテイが音楽に添って大きな起伏を形成する様は実に雄大であり、第2楽章の壮絶なドラマはマタチッチの骨太の構想が有無をいわさぬ説得力を持っている。録音は59年。チェコ・フィルの木質の弦と管が最上のバランスで交差する柔らかいタッチは独特であり、共産時代のチェコに温存された最も上質のオケの音を知ることができる。第3楽章のホルンのうまいこと!巨大だが挑戦的でないエロイカは聴き終えると何か高貴で包容力あるものに触れた気分を残してくれる。こういう良質の演奏は聴きこむほどに心を豊かにし、本物の音楽の味をしっかりと教えてくれる。「本当にワインを覚えるなら、お金をかけてでも高い物から試飲しなさい」とフランス人に教えられた。まぎれもない上質ワインだが、1000円で売られている。
ラファエル・クーベリック / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
妙な誉めかただが「ちゃんとしたエロイカ」である。実に折り目正しく、「どういう曲ですか?」と聞かれて「こういう曲です」とお示しするなら僕は迷わずこれを選ぶ。テンポはややゆったりしているが盤石の安定感があり、ベルリン・フィルがシェフのカラヤンとのいつもの仕事を離れ、音楽性あふれるクーベリックの3番に共感している様が感じられる。とにかく立派なベートーベンであり、何も足すものも引くものもない。テンポを揺らしたり奇矯な爆発が頻出したりなどという手練手管、ケレン味が全くない。クーベリックは字が読めるより前にベートーベン9曲のスコアが読めるようになったという。 高名なヴァイオリニスト、ヤン・クーベリックの息子だけある早熟ぶりだ。他人の演奏を聴く前に自分の眼で読んで感じ取った表現が終生その演奏を規定したという。たしかに9つの異なるオケを振った彼のベートーベンは9曲のアプローチに梃子でも動かぬ一貫性がある。それは太い鉄骨で構築された建造物のようであり、その場の恣意に傾いてあいまいに造られ地震で揺らぐような脆弱な部分は皆無という堅固さである。オケの音響も、同じ頃に同じオケで録音されたカラヤン盤とはずいぶんちがう。マイクでソロ楽器を目立たせるなど浅薄な録音の仕掛けなど微塵も眼中にない。身勝手に依怙地で頑迷な演奏を想像されるかもしれないが、正反対である。一言で形容するなら本質が「貴族的」だ。ディファクトの破壊者としてのベートーベンではなく、新しい交響曲の様式をつくりそこに君臨した保守のベートーベン像を見事に描いている。彼はシカゴ交響楽団の音楽監督のポストを、ナチ疑惑を受けていたフルトヴェングラーに推薦されたという理由で失ったが、2人の音楽性は対極的である。
セルジュ・チェリビダッケ / ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
ここまで遅いと何も言えない。全楽章が遅いのだからもう勝手にしやがれという領域である。第2楽章の中間部の劇的な高揚はすさまじく、これは完全に後期ロマン派的アプローチである。しかしティンパニの「運命リズム」の強打を聴くにつけ、ああ彼はわかっているなと感じる。葬送の最後は音楽が止まりそうになる。もう指揮者の独壇場である。しかし、このテンポで道を歩いてみるとふとした景色や道端の草花が別な楽しみを与えてくれる。音楽が弛緩して緊張が切れることなく、こんなに豊穣な世界がスコアに秘められていたのかと教わる。すごい表現だ。こんなものはベートーベンではないという反発の声があろう。僕の理性もそう叫ぶ。しかし・・・音楽というのは不思議なものだ。本当に面白い演奏!聴いていただくしかない。ただし初心者はぜひ避けていただきたい。これで曲を覚えてしまったら取り返しはつかないだろう。エロイカを聞き飽きたというセミプロ級の方に強くお薦めする。
(補遺)
ロジャー・ノリントン / ロンドン・クラシカル・プレーヤーズ
クラシック音楽において指揮者の最大の仕事はテンポ設定だろう。この演奏の第1楽章のテンポは、その意味で大いに議論に値する。嫌いと断じるのは容易だがそれでは食の品評と一緒で芸人が「うまい!」と叫んでいるのと変わらない。これが付点二分音符=60-63、真正のAllegro con brio にほかならない( クラシック徒然草-ベートーベン交響曲第3番への一考察-)。最近これをくりかえし聴いてしまい、聴くのが厳しくなった演奏が出てきて困っている。
レナード・バーンスタイン / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
言葉の最も普遍的な意味で「かっこいいエロイカ」だろう。弦のフレーズの小気味良い切り込み、ティンパニを伴ったリズムのエッジの立て方、音を割るホルンなどいちいちが耳に快い。深刻ぶった苦味よりウィーンPOの運動神経を生かしたあっけらかんと明るいシンフォニックな演奏である。それが軽いお気楽な娯楽に陥ってないのは彼がスコアの「凄い部分」に敬意を表して、ちゃんと感じてやってるから、僕にはそう聞こえる。作曲家のクリティカルな眼で楽譜を見ているのだろう。
ブルーノ・ワルター / シンフォニー・オブ・ジ・エア
トスカニーニのオーケストラを彼の追悼で指揮した演奏会の記録である。ワルターがエロイカを選んだのは葬送行進曲で哀悼の意を表したのだろうがこの曲がトスカニーニの十八番でもあったからでもあろう。上掲の正規盤より気迫がこもり、ワルターの意志でテンポは起伏を見せ、一方で第1楽章の弦の強靭なボウイングやティンパニの強奏などオケの自発性にも圧倒される。第2楽章の深い祈りからの高潮もすばらしい。録音だけが玉に瑕だがこれは名演であり、音楽史上の記録としても長く聴き続けられるドキュメントだろう。
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Categories:______ベートーベン, クラシック音楽
花崎 洋 / 花崎 朋子
7/17/2013 | 8:10 AM Permalink
トスカニーニの49年盤の第1楽章、拝聴いたしました。この曲の持つ「凝縮感」をベースに置きながら、微妙で柔軟なテンポのゆらぎ、木管楽器の柔らかい響き、時折、対旋律を強調する解釈、と、野暮なコメントを列挙してしまいましたが、53年盤よりも断然素晴らしいことを実感しました。
ボールトの大人のエロイカ、マタチッチの骨太さ、チェリビダッケの猛烈に遅いテンポ、いずれの盤も、不覚にも未聴ですが、イメージが良く伝わって参りました。幅広いご選択に感謝です。花崎洋
東 賢太郎
7/18/2013 | 1:01 AM Permalink
もちろん53年盤もすばらしいです。ただ出だしのテンポ(49年盤でもスコア指定より遅い)など恐らく最後の録音を意識したのかやや構えてしまっている感じがあるんです。後半は良くなりますが。49年盤は絶好調の演奏と思います。作曲家の意図はこれに近かったという意味で49年盤かレイボヴィッツ盤でまず曲を覚えていただき、その記憶を別な指揮者の演奏と比べていくというのが初めて聴く方にはおすすめですね。