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石田純一さんとピッチャー性格

2013 NOV 2 15:15:20 pm by 東 賢太郎

俳優の石田純一氏が奥様理子さんの父上である元西武ライオンズエース東尾修氏と日本シリーズの解説をしていて、すごく詳しいがどうしてだとネットで評判になったらしい。それは当たり前だ。石田さんは都立青山高校のエースで4番だったからだ。

そのことを僕はフランクフルト時代にひょんなことから知った。某証券ドイツ現法社長のNさんが元高校球児だったのでいつも仕事そっちのけで野球談議に没頭していた。別に人生何の得にもならない硬式野球部のウルトラ体育会規律と気ちがいじみた過酷な練習に耐えたということは、全国共通大なり小なりその人は野球オタクだ。オタクにはオタクしかわからない世界があるのだ。

Nさんは僕の1学年上の都立青山の正捕手であられ、温厚なご性格でいかにも名キャッチャーだったろうという風格、物腰の方だった。「実は僕の相棒があの石田でしてね」といわれ、芸能音痴の僕にはさっぱり通じなくて失礼してしまったのだが、その時に石田純一という名前は僕にしっかりとインプットされていた。

お会いしたわけではないが都立高校球児というところで親近感を覚えた。同じエースでもこっちは6番だったから無条件で尊敬するしかない。石田さんは昭和29年早生まれだ。僕は30年早生まれだが1年の秋から都立九段高校のマウンドにいたから彼と投げ合っていて全然おかしくない。都立どうし頻繁に練習試合をやっていたのだからそうでない方が不思議なぐらいだが、なぜかやっていなかった。

石田さんは早稲田へ進学され、一見ソフトで投手経験者らしくないように見えるが、本当は「らしい」のだろうと想像する。そもそも投手はまず負けず嫌いで唯我独尊でないとつとまらない。自分の球は誰も打てないと打者を下界に見下ろさないと打たれる。自信は単なる空元気なので必ず打たれるのだが、これは何かの間違いだろうと常に楽天的でないといけない。そういうのを「ピッチャー性格」というなら、ピッチャーとは9人の組織の中で、そうなることを全員から要求されるポストなのだ。僕はがんらい慎重、臆病でそんなに好戦的な性格ではない。だからとにかく苦痛だった。

たとえばピンチになると内野手がマウンドに集まるシーンをよくご覧になると思う。あそこの会話は、都立高校ぐらいだと「打たせていいからな、思いっきりいけよ」とか「今日は(球が)走ってるぞ」とか「東、大丈夫だぞ」、なんていうところだ。打たせていいなんて思ったらホームランだし、走ってないのは自分が一番わかってる。そう言いたいのだがみんな真剣だし、気持ちはありがたいし、うんうんとうなずくしかない。大丈夫だとは言ってくれるが結局は誰も助けてくれないし、投げるのは自分だから要は助けようもない。人生そんなもんだということを僕はそうやってマウンドで学んでいた。

僕のピッチャー性格は自他ともに認めるしかないが、両親にも妹にも親戚にもそういう人はいないし、自分でも中学までは違うから後天的なものだと思っている。というのはティーンエイジャーまでの人生、ほかのスポーツも勉強も女の子も眼中になく野球ばかりやっていたこと。そして、運動神経が劣っていたので草野球でも硬式野球でもピッチャーしかできなかったことからだ。高校で2、3度センター、1度ライトを守ったのが記憶にあるだけだ。マウンドに立っているためにはそういう自己暗示にかかっていないと仕方なかったと思う。

写真 (43)僕の空元気の源は高校時代にはない。中学の軟式野球だ。今でも当時の西川口の草野球リーグで登板する前のわくわくうきうきした夢を見る。直球しか投げられない13歳の子どもが大人からばたばた三振を取って相手ベンチがどよめく。そして目が覚める。高2で肩をこわしてそれはもう永遠に夢のままになってしまったが、このボールを握ると指がそのどよめきをしっかり覚えている。これは僕の守護神みたいになっていて、つらかった時、くじけそうになった時に触れると、「東、大丈夫だぞ」 とつぶやいてくれる。

 

 

 

 

Categories:______わが球歴, 野球

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