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ストラヴィンスキー「春の祭典」(マゼール追悼)

2014 JUL 21 13:13:17 pm by 東 賢太郎

rite写真のマゼール / ウィーン・フィル盤は僕が買った10枚目の春の祭典LP(英Decca盤)である。大学2年の1976年12月18日のことだった。その前の9枚はというと順番に、①ブーレーズ(CBS日本盤)②マルケヴィッチ③メータ(LAPO)④小澤⑤ショルティ⑥ブーレーズ(ORTF)⑦バーンスタイン⑧アバド⑨ブーレーズ(①の米国盤)であった。①購入は72年だからこの曲とは42年の付合いになる。

読者にはどうでもいいことで申しわけないが「自分史」として書いておくと、この後も⑪ドラティ(ミネアポリス)⑫ハイティンク⑬スヴェトラノフ⑭デイヴィス(カセット)⑮M.T.トーマス⑯カラヤン⑰グーセンス⑱ホーレンシュタイン⑲M.T.トーマス(pf連弾)⑳ムーティ㉑ラインスドルフと来て、アメリカでは㉒ストコフスキー、カセットで㉓メータ(NYPO)㉔スクロヴァチェフスキー、そしてロンドンで㉕デュトワ㉖アタミアン(pf)㉗マータ㉘フリッチャイ㉙オッテルロー㉚ドラティ(DSO)㉛アンセルメ㉜ストラヴィンスキー㉝モントゥー㉞コシュラー㉟スワロフスキーとなる。以下CD時代に入り、それを加えると87になる。いずれその各々につきコメントを試み、最近増えているらしい「祭典フリーク」の方々の一興と成そう。

こうして書いてみると、この異演盤購入記録は正に半世紀にわたる自分史であり、こういうことをすることもそのデータをいちいち微細に記録・分類・管理していることも、僕が何者かをこれ以上雄弁に物語るものはないという気がしてくる。しかし春の祭典だってもう最近の新譜を聞きまくる冒険心はない。異演盤収集は30歳代で「終わったこと」だ。だからこれは僕の若気の至りの記録でもある。恋愛やはしか・風疹のたぐいであって、還暦になって金も閑もあるぞさあという性質のものではない。

ワインのムートンなどを年代順に収集して、当たり年ではない故にレア物のカンチャン(足りない年)を何十万円も払って買う人がいるが、僕はそういう「コレクター」ではない。コレクターは収集が目的であってワインテースターとはちがう。僕はテースターであって、聴きたいから買った結果が積もり積もってこうなっただけである。また、テースターというと温度、湿度はもちろんグラスのまわし方の微細な角度と回数にまで凝りまくる人がいるが、音楽鑑賞ではそれがオーディオマニアである。僕はそれでもなく、あえていえばソムリエに近いと思う。

思えばこれは小学校時分に近所の子と勝負してメンコを大量に保有していたことの延長である。メンコは友達の持っていた伊賀の影丸の丸メンを狙って日夜投法を研究した。どうしてかというとメンコの絵はへたくそで影丸らしくない。ところがその丸メンだけは結構リアル感があり、どうしても欲しかったのだ。そうして遂に入手したそれを日夜眺めては勝利の余韻に浸った。①のブーレーズのCBS盤などは今やそれに近い。カセットまで入れて6種類持っており、どれも微妙に音が違っていてどれをかけてもワクワクする。宝物である。そうしてもうひとつぐらいこういうのがあるだろうと探して探して87になってしまった。結局、ひとつもないということがわかったが。

さて、そのマゼール盤だが、ウィーン・フィル(以下VPO)初の春の祭典ということで発売当時大いに話題になったのを昨日のように思い出す。75年録音、76年発売だから早々に買ったことになる。カネのなかった当時、あえて高額のイギリス盤に投資したのはVPOの音を入念に聴きたかったからだ。ところがVPOはオーボエ、トランペットがややたどたどしいものの充分うまく、「オボコさ」を期待したのに裏切られた気もした。それでも、第1部はこってりした木質の響きがソフィエンザールの残響に溶け込み、金ピカに飛び出さない金管、皮革で音程の明瞭なティンパニが実に奥ゆかしく、料理でいえば「いいダシが出ているぞ」とうれしくなった。

ところが「春のロンド」のブラスの咆哮のテンポがガクッと落ちてがっかりする。ダシがいいんだからこういう余計なアクを出さずにやれよと。そしてとうとう極めつけの第2部のティンパニ11連打だ。ここに至るともう許しがたい。これを褒めている評論家もいるが、こんなものは曲の本質に何の関係もない三文芝居である。何かデフォルメしないと個性の刻印ができないのは一流アーティストとはいえない。この頃から90年代にかけて、マゼールは才気が先走ってそう評されて仕方ない音楽をやっていたと思う。だから実演にもあまり感動しなかったのだろう。

しかし、シベリウス4番の稿の論旨に戻るが、細部に注意を払うとやはりVPOの奏者は祭典に慣れていない。「生贄の踊り」のトランペットなど音符をちゃんと吹けてすらいない。そういうオケなのに11連打以降の生気ある音楽、リズムのシャープさ、エッジの立て方、マスの質量感の出し方など凄いなあと思う。彼の棒がそうでなくてはこういう音は出ない。半端でない理性と運動神経がオケの「おぼこさ」を中和していることに気づく。全体にたちこめるピッと張りつめた緊張感はVPOを本気にさせている証拠だ。ネコにチンチンをさせている観なきにしもあらずだが、良くも悪くもこのオケにこういう芸をさせることができる米国人は彼以外に誰もいないし、今後も出ないのではないだろうか。

前回、ティンパニのミスの話を書いた。しかしあんなものは可愛いものであり、春の祭典の演奏がどれほど難しいかということまでを教えてくれる映像がある。ズビン・メータ指揮ローマ放送交響楽団の69年のライブである。

これだけいい加減な春の祭典というのも希少である。笑ってはいけない。前半だけでも、トランペットが一音符遅れて入りちゃんと吹ききる、フルートが一小節ずれてちゃんと吹ききる、クラのトリルが抜ける、ティンパニが一拍早い、オーボエが一小節早い・・・少なくとも5か所の尋常でない「事故」がある。後半もペットが落っこち、ティンパニはズレまくる。圧巻はコーダに入る所でティンパニが一小節飛ばして入り、気がついて立て直したつもりがひきつづき間違った音をバンバン叩き続けるためついにアンサンブルが崩壊。止まりかけの緊急事態となるがホルンと木管が何とかつないでティンパニは落ちたまま終わる。歌劇場ではミスに情け容赦のないローマの聴衆がブーのひとつもなく大喝采、スタンディング・オベーション。なんとも微笑ましい。

若きメータは格好はいいが、まるでダンサーが指揮しているようだ。これと同じ69年に①を録音したブーレーズとはまったく別な人というしかない。このローマのオケは決して二流というわけではないが、イタリアオペラにこんな変拍子は出てこないのだからもっと練習で鍛えて緻密な指揮をするべきだった。同じくピットのオケで変拍子に慣れていないVPOを完ぺきに調教したマゼールは、やはりすごいと思う。

 

 

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