ブラームス ヴァイオリンソナタ第1番ト長調作品78「雨の歌」
2015 AUG 7 1:01:55 am by 東 賢太郎
今日はかねてより進行中である大きめの案件の打ち合わせでした。場所が築地だったので帰りぎわ晴海通りをぶらぶら歩くと歌舞伎座が八月納涼歌舞伎の初日のようでした。
起業を決心して以来5年間夏休みなしで働いてきたので来週はすこしだけゆっくりしたいと思います。
こういう時に聴きたい曲の筆頭にあるのがブラームスのヴァイオリンソナタ第1番ト長調作品78「雨の歌」なんですね。1879年にオーストリアのヴェルター湖畔ペルチャハ(上)で完成した曲です。ペルチャハといえば交響曲第2番、ヴァイオリン協奏曲という二つのニ長調を書いた地でもあり、このソナタも二音を属音にもつト長調で書かれました。そこについての私見はこれをご覧ください。
クラシック徒然草-ブラームスの「ペルチャッハの二音」-
グスタフ・マーラーもこのヴェルター湖畔で交響曲第5-8番、リュッケルトの詩による5つの歌曲集、なき子をしのぶ歌を書いています。
スイスやオーストリアの夏は本当にすばらしい。欧州の景勝地はほとんど行きましたが、夏休みに家族旅行したトゥーン湖、グムンデン、ザルツカンマーグートの景色や空気は一生忘れません。ロジャー・ハマースタインの名作ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」のあの雰囲気というのはそのあたりの空気を胸いっぱい吸い込むとわかりますから、お好きな方はぜひ夏休みに行ってみて下さい。
ソナタ1番の出だし。この幸福感は何なんでしょう。これを聴いて心に生きる喜びが満ちあふれるのは僕だけではないでしょう。
この冒頭のタッタターは第3楽章の冒頭の主題に由来したもので、その主題は”Regenlied(雨の歌)”作品59の3という彼の歌曲から来ています。この歌はクララ・シューマンのお気に入りだったというインティメートな作曲動機があります。これを引用することでブラームスはクララへのラブレターとした。しかしそれはもの悲しい短調ですからね、これは僕の空想ですが、それを長調の喜びに置きかえて作ったのが第1楽章であり、冒頭のタッタターが秘密の合鍵です。そこに思いっきり「愛してる」 と綴った。合鍵によってクララも気がつくのです。そして、より重要なメッセージがやってくる。曲はだんだん暗くて満たされないものをたたえ始めひっそりと終っていく。相手は人妻です。この想いは満たされませんよね?そういう屈折した複雑な心理を盛りこんでクララに聴かせているように思います。ブラームスという人はなかなか直球を投げないのです。シャイであるのか、自分の感情を露骨に吐露するのをいつも回避します。それがいつも全開であるワーグナーとは気が合わないのも道理です。
ではまず、その「雨の歌」からお聴き下さい。ソナタはこの雨の日の翳りが第3楽章にやってきて、曲を閉じていくのです。
そういう解釈をすると第1楽章は「愛してる」が全開であっていい、むしろそうでなくてはならない。変化球を投げているのであからさまにそうとは思われないだろう。だからブラームスが書いたすべての曲で、この楽章ほどのびのびと人妻クララへの恋情を吐露できたものはないし、もしあるとすれば、僕の頭に浮かぶのは交響曲第1番終楽章のアルペンホルンによるラヴレターの部分しかありません。
ブラームスが書いた旋律の中でもおそらく最も至福に満ちたすばらしい第2主題を一度でもお聴きいただけば、僕の想像がそう的はずれでもないとご納得いただけるのではないでしょうか?
僕は憧れと期待のサブドミナントに満ちたこの名旋律を聴くたび、生きてるってなんて楽しいことだろう、なんて希望に満ちたことだろうと胸に迫るものを感じるのです。
第2楽章アダージョは主調の3度下の変ホ長調ですがピアノに激した音型が現れすぐ短調に変わります。第1楽章の何も邪魔するもののない晴れやかな幸福感は途切れます。ヴァイオリンが6度のブラームス的な音程の旋律で何かを訴えますが最後は満たされぬ諦めのように幕を閉じます。牧歌的でもあり宗教的ななぐさめも感じます。
第3楽章は雨の歌の寂しげなト短調が支配しますが、中間に至って変ホ長調となり注目すべきパッセージが現れます。この楽譜の真ん中の小節です。
これは交響曲第1番ハ短調作品68の第3楽章に現れるパッセージであることにお気づきでしょうか。先に述べましたがソナタ1番の2年前に書いたこの交響曲も終楽章の朗々と響きわたるホルンが、スイスアルプスの高嶺からクララに向けたラブレターだったことは楽譜への添え書きから明白です。このころ、ブラームスは熱かった。そして彼の理性はこれを引用することでソナタがラヴレターである秘密をそっと明かしています。
名曲ですから名演がたくさんありますが、ヨーゼフ・スークのヴァイオリンとジュリアス・カッチェンの演奏はいいですね。スークのストイックで格調の高い音はすっと胸にしみ込んできますが情熱も秘めていて、第1楽章第2主題の歌への想いなどまさにこれというもの。ブラームスの名手として高名なカッチェンの伴奏も耳を澄ますしかありません。
これもいいんです。僕がよく取り出すCDです。
クリスチャン・フェラス(Vn) / ピエール・バルビゼ(Pf)
カラヤンが評価して重用したフェラスでしたが心を病み82年に自宅アパートの10階から投身自殺しました。僕は彼のやや細身ながら気品と色気あるヴァイオリンが好きで、生きていれば欧米でライブを真っ先に聴きたかったのにと残念でなりません。ピアノのバルビゼも気になっている存在で、モーツァルトを弾ける希少なピアニストの一人です。フランス人のデュオですが第1楽章のパッションなど大変すばらしく、この名曲に新しい光を当てています。ぜひお聴きいただきたいと思います。
(こちらへどうぞ)
ブラームス ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15(原題・ブラームスはマザコンか)
Yahoo、Googleからお入りの皆様
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
Categories:______ブラームス, クラシック音楽