ブラームスの “青春の蹉跌”
2025 MAY 24 16:16:45 pm by 東 賢太郎

僕は恋愛小説というものを読んだことがない。これからも読まないだろう。お恥ずかしい話だが実感があまりないのだ。我が家は男優位思想だったが実は母が強く、そのせいかどうかは定かではないが僕には抗い難いある種の女性恐怖症があり、高校まで親しく口をきく関係になった女性はひとりもいない。幼少のころ母に連れられて親類の家やおばさんの女子会みたいなのに行く。あら、ケンちゃん大きくなったわねだなんだでひとしきりいじくり回され、刺身のつまになるが、これが大嫌いだった。そして何のことはない、数分後にはつまらない話で盛りあがって長いこと置き去りになる。退屈極まりない。しかし全権は母にある、この苦行に堪えないと飯にありつけない。そうやって女性には逆らうなという刷り込みができていったように思う。
さらに小学校では口から生まれたような女子がいて、ずっと弁が立ち、強く言われて負けた屈辱の経験がたくさんあるときている。それが父に仕込まれた男優位のドクトリンに反し、俺はいっぱしの男でないという気がして強がってしまい、ますます女子と溝ができた。だから精神衛生上も近寄らないに越したことはないと逃げてしまった。そんな意気地のなさだから中学生になって気になる女子はいたが、どうせだめだろうと話す勇気も出ず、高校になると見かねた野球部仲間がピッチャーとつき合いたい女がいるぞとお膳立てして喫茶店で奇麗な子と引き合わせてくれ、お互いにけっこう気に入ったように思ったが、結局勇気がなく、デートに誘いもせず終わった。
社会人になると大阪で様相がガラッと変わった。先輩に連れられて毎日のように十三なんかの裏路地の飲み屋に行く。あばずれ風の姉ちゃんたちに囲まれ、珍獣を見るような目で見られ、東京言葉で口を開くと、あっ兄ちゃん、ええかっこしいや!ここ大阪やであかんあかん、モテへんで!と猛烈に攻め込まれる。いま思うと、世慣れた先輩たちと何十件も飲み歩いてメンタルを鍛えられ、2年半たってやっと女性なにするものぞとなっていたのだから感謝しかない。というわけで、恋愛も恋愛、絵にかいたような悲しい純愛物である本稿のテーマは、実は僕のような朴念仁に語れる筋合いのものではない。それを承知で書くのは、一にも二にも、ブラームスへの愛情、ブラームスを知らなければ僕の人生は女性が出てこないことの何倍もつまらないものになっていたからだ。
25才のブラームスには2つ下でお似合いの婚約者がいたことから話は始まる。アガーテ・フォン・シーボルト。日本人なら誰もが教科書で知るあのシーボルトの親類だ。医者の家系である。美人で見るからに利発でプライドが高そうだ。どうでもいいが僕ならびびってしまうタイプだが、イケメンでひょっとすると似たタイプだったのだろう、ブラームスは一気にのめりこんでしまう。
しかし二人はうまくいかなかった。男女の事だ、真相は二人しかわからないが、後世の憶測ではない文献による史実は2つだけある。友人たちに態度をはっきりしろとせまられたブラームスが「あなたを愛しています。私はもう一度あなたとお会いしなければならないと思っていますが、束縛されたくはありません。それでも、私があなたのもとに戻ったら、あなたを私の腕で抱きしめることができるかどうか、お手紙でお答えください」と綴り、それを読んだ彼女が婚約を解消したこと。そして老後の回想録に「私は義務と名誉のためにブラームスに別れの手紙を書き、何年もの間、失われた幸せのために泣きに泣いた」と書いたことだ。
出会いは1858年、彼女の家があったゲッティンゲン。長い黒髪、ふくよかな体、悪ふざけが大好き。僕は初めてこの歌をきいたとき、ヨアヒムが “アマティのバイオリン” に例えたアガーテの声を思い浮かべた(同年に書かれた「8つの歌曲とロマンス」作品14から第7番「セレナーデ」)。
ところがこれを書く3年前、ブラームスはあるピアノ曲に劇的な出会いをしていたことがわかっている。クララ・シューマンの「3つのロマンス」作品21だ。第1曲イ短調Andanteをお聞きいただきたい。女性の秘められた切ないロマンが胸をわしづかみにする。もうすさまじいと書くしかない、これを贈られてよろめかない男がいようか?名ピアニストと記憶されている彼女は立派な作曲家なのだ。ツヴィッカウのローベルト・シューマン・ハウスにある第1曲の自筆譜には「愛する夫へ、1853年6月8日」という書き込みがある。この愛憫の情は明らかに、夫ローベルトに向けられたものだった。
ところがウィーン楽友協会にある第一曲の楽譜(左)には「愛する友ヨハネスへ、1855年4月2日作曲」と書き込まれている。これは後世に憶測を呼んだ。「愛する夫へ」と書いた同じ月のクララの日記には、夫が目を覚まし発作に襲われたことが記録され、言うことは次第にとりとめのないものになり、発音もぎこちなく、はっきりしなくなっていった。そのことからも、第1曲の深い愛情が天に召されつつあるかもしれない夫へ向けられたものだったことは疑いないと僕は思いたい。しかし梅毒であった彼は回復せず、翌1854年2月にライン川に投身自殺を試み、以来、1856年7月29日に逝去するまでエンデ二ヒの精神病院から出られず、医師は身重だったクララとの面会を禁じていた。その間に、弱冠22才のブラームスは夫のために書いた作品21をもらい、36才と女ざかりのクララの「愛する友」になっていたのである。彼にとってこの贈り物は非常に重たいものだったに違いない。アガーテと出会う3年前のことだ。
20才のブラームスがヨアヒムの紹介でシューマン家の門をたたいたのは1853年9月だ。亡くなる3年前のシューマンは既述のようにすでに発作をおこしており、神経過敏、憂鬱症、聴覚不良、言語障害などの症状があり5か月後に自殺を図る。そんな中にやってきた見ず知らずの若者がハンマークラヴィール・ソナタ丸出しの開始をする自作のピアノソナタ第1番ハ長調作品1を弾き始めると、何小節も進まないうちにシューマンは興奮して部屋を飛び出し、クララを連れて戻ってきて「さあ、クララ、君がまだ聴いたこともないほど素晴らしい音楽を聴かせてあげるよ。君、もう一度最初から弾いてくれないか」といい、ブラームスを紹介するために10年ぶりに評論の筆を執って「新しい道」と題した有名な論評を「新音楽時報」に寄せ、ブラームスの天才と輝かしい将来を予言した。
このローベルト・シューマンこそ真の天才であり、虚飾も打算もない、真に尊敬されるべき偉人であり、無名の男の才能を即座に認め、病をものともせずそこから熱狂的にとった彼の行動に僕は人類の未来を託すべき崇高なものを感じ取って涙を禁じ得ないのである。ブラームスという人物には僕を熱狂させるものは何もない。まったくもって別な人種だとしか書きようがないが、シューマンとモーツァルトには大いにそれを感じる。今だけ・カネだけ・自分だけの目下の日本にこんな人物が何人いるだろう。だからその音楽が好きという理屈はないが、偶然にも、僕が古今東西で最も愛するピアノ協奏曲は彼のイ短調であり、交響曲は彼の変ホ長調なのだ。そのバイオは可哀想な病気に冒された晩年で悲愴に終焉するが、そんなものがなんだ。変ホ長調交響曲を1850年11月2日から12月9日にかけ1か月で完成した速筆ぶりは、20余年もかけて1番を書いたブラームスと対照的で、性格も天地ほど異なっている。これほど似つかない二人の男を愛したクララは何に惹かれたのか。才能だろう。それを愛する人は、持っている人がどこの誰かは関係ない。そう知るのも持ってる人だけだから、地球上のほとんどの人はそれを知らない。持ってない僕がそれを知ったのは、彼らの音楽を50年も座右に聴いてきたからだ。彼女もそれをもって生まれた特別の人であり、その裏返しでブラームスはクララを必要とした。読んでないものを評する気はないが、こういうものは恋愛小説には掬い取れないのではないかと想像する。
まさにそのころ、1854~1857年に、アガーテと出会う直前のブラームスが書いていたのがピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15だ。初演はおりしもアガーテと婚約したころの1859年1月。ライプツィヒ・ゲヴァントハウスで3人しか拍手のない大失敗となり、傷ついて自信を無くしたことが破局の第一歩だった。かたや、1854年の日記に「私は彼を息子のように愛しています」と書いたクララはブラームスより14才年上だ。どん底に沈んだ彼は失敗に同情したり、心配してくれる歌い手の若妻ではなく、作曲家でもあり頑強に支えてくれるクララを選んだ。身を立てるために彼にとって必要であり、必要なものを手に入れる犠牲をいとわぬ不動の決意ゆえであろうが、もう一つ非常に重要な理由は、彼の母親が父親より17才年上だった家庭環境が大いに影響したと思っている。そうした、宿命的関係とも思えるクララへの思慕が最も現れた音楽が、3つの楽章の最後になって書かれたピアノ協奏曲第1番の第2楽章アダージョだ。それでいて、あろうことかクララの娘に恋愛感情をもったりもしたブラームスの優柔不断な女性観のふらつきは常人にはおよそ測りがたいものだが、それが微妙な内声部の動きで和声が玄妙に移ろう彼の音楽の誰にもない魅力に通暁しているようにも見えないだろうか。
夫の死後、クララは子供たちとともにベルリンに移り、1863年からはバーデン=バーデンを本拠地として、外国演奏旅行を増やし、集中的にコンサートを開くようになった。ブラームスはクララに会うため1865~1874年の夏をそこで過ごし『交響曲第1番、第2番』『弦楽六重奏曲第2番』『ピアノ五重奏曲』『ホルントリオ』『アルトラプソディ』『ドイツレクイエム』の一部などを書いた。
1866年に作曲された「五月の夜」(Die Mainacht)は彼の作品で最も好きなもののひとつである(「4つの歌曲」op.43の第2曲)。前稿でバーデン=バーデンについて、そして欧州の5月(Mai)の悦楽について述べたが、それがあってこその悲しさが深く琴線に触れてくる。こういう音楽をベートーベンは書いていない。彼は北ドイツの、厳格なプロイセンの人という感じがするが、やはりハンブルグで北の人間であるブラームスはバイエルンやスイス、オーストリアを好み、その嗜好が現われた曲と思う。その情を包み込む和声は非常に凝っている。
ちなみに詩はこのようである。
銀の月が
潅木に光注ぎ、
そのまどろむ光の残照が
芝に散りわたり、
ナイティンゲールが笛のような歌を響かせる時、
私は藪から藪へと悲しくふらつき回る。
葉に覆われて
鳩のつがいが私に
陶酔の歌を鳴いて聞かせる。
だが私は踵を返して
より暗い影を探し求め、
そして孤独な涙にくれるのだ。
いつになったら、おお微笑む姿よ、
朝焼けのように
私の魂に輝きわたる姿よ、
この世であなたを見出せるのだろうか。
すると孤独な涙が
私の頬を伝ってさらに熱く震え落ちた。
この詩は意味深だ。ブラームスはけっしてアガーテを忘れていない。身を引くつもりなどなかった。ただ言えなかった、失敗した自分を母のように守ってほしいと。しかしそれを口にするような自分ではいけない。大成できない。見ろ、自分の父がそうだったじゃないか。彼の育った家庭環境を忘れてはならない。父が17才年上の母親に書くかのようなあまりに優柔不断な手紙。アガーテはそうとは知らない。おそらくブラームスはその内面を悟られまいと隠していたのではないか。彼女はただただ驚き、自尊心を深く傷つけられ、泣きながら苦渋の別れの手紙を書くしかなかった。名門の医師の家という格式、名誉もあったろう。彼女は婚約が解消された後、実に10年間、誰とも結婚する気持になれず、結婚に際しては彼からの手紙を残らず処分した。しかしブラームスの方も、アガーテからいきなり別れの手紙が来るとは思ってもいなかったと思う。ハンブルグの女郎屋街の一角で生まれた彼の家にはそれに匹敵する格式というものはない。大きなショックに苛まれたが、堂々と、待ってくれ、それは誤解だよといえなかったのは何らかのコンプレックスが彼を支配し、いっぱしの男という強がりがあったかもしれず、なによりも、母のようなクララが心にいたからだと僕は強く感じる。それは救いでもあり葛藤でもあったのだがもう打つ手はなかった。彼はアガーテを深く傷つけ、自分も打ちのめされ、その後4ヶ月ほどはハンブルクに閉じこもり作曲も演奏活動もしなかったという。
弦楽六重奏曲第2番ト長調Op.36は、1864年から1865年にかけてバーデン=バーデンで作曲され、第1楽章の提示部の最後にa-g-a-h-e(アガーテ)の音符が縫いこまれていると指摘される(シューマンもクララの音符をそうしていた)。それが思慕なのか決別なのかはわからない。あるいは偶然かもしれない。
偶然でないのは、第1楽章冒頭の主題がト長調から長三度下の変ホ長調に移行し、同じことが「五月の夜」(Die Mainacht)でもおきることだ(変ホ長調からロ長調)。和声は音楽の根幹で、表面の工夫ではあり得ない。前者がアガーテ六重奏曲であるなら「五月の夜」もそうではないか。そう聞こえてならない。この六重奏曲をブラームスはヨアヒムの助言を受けず書いた。自立心に並々ならぬ気合が入っているのだ。第3楽章冒頭、VnがJ.Sバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻 第24番ロ短調の主題を奏でるのにお気づきだろうか?バッハはこれで大作を閉じた。決別して6年。意を決して、彼はアガーテへの想いを締めくくったのではないだろうか。
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Categories:______シューマン, ______ブラームス

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西村 淳
5/26/2025 | 6:13 PM Permalink
次の次、11月のライヴ・イマジン57でこの弦楽六重奏曲第2番を採り上げます。タイムリーな記事を興味深く読ませていただきました。
アガーテのこと、振られたんだろうくらいにしか知りませんでしたが、やはりいろいろ「思うところあり」なのはとてもブラームスらしいなと感じました。I can’t get started. 男のいじらしさ。(笑)
AGAHEの音型についてはやはりその場所に意識が行きます。ただ本当だとすると第二テーマのしっぽ、というところにやはりいじらしさを思います。
ただただ、雑感です。ご容赦ください。
東 賢太郎
5/27/2025 | 6:29 PM Permalink
それは奇遇ですね。何か通じたのでしょうか。この六重奏は愛聴曲です。