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僕が聴いた名演奏家たち(アルフレート・ブレンデル)

2025 JUL 5 23:23:47 pm by 東 賢太郎

ブレンデルは我が世代のクラシックリスナーなら誰しもが若いころからお世話になった人だろう。1931年生まれの彼は20世紀を代表するピアニストの一人として活躍し、クレンペラーもそうなのだが当初は米国Voxからレコード(LP)が出ていた。ベートーベンのピアノ独奏曲全曲を録音した最初のピアニストであり、ピアノソナタ全曲を3度録音している。日本で絶対の人気を誇るバックハウスが2度であり、だからなんだということかもしれないが、美学的なことをぬきにしても確実に欧州、米国で絶大な需要があったというわけだ。十八番はハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルトとされている。このレパートリーは彼の血脈の引き寄せでもあり、その証拠に彼はラテン系、スラブ系(特にショパン)には寄らなかった。欧米のクラシックリスナーはそれが多数派といえ、ちなみに米国でもシカゴはドイツ系が多い。それも血脈なのだから両者は引きあって当然、それゆえの需要なのだ。そうしたこととはまったく無縁である日本では彼を中庸の知性派と意味不明の言葉で評し、裏を返せば羽目を外さず凡庸で面白味がないと見る評論家が多かった。ロンドンではどうかとケンブリッジ主席の知の巨人に尋ねたところ、Well, he’s not tedious but discreet. とシンプルに答えられた。思慮深い。何に対してか?そりゃ作曲家だよと、いとも当たり前のごとく。

私見ではそれはなかんずく感情があてどもなく彷徨するシューベルトにあてはまると思うが、知の領域ではベートーベンのともすると無機質になる形式論理をあるべき姿に中和して提示するバランスに現れていた。彼が70年代にPhilipsのアーティストになったことは幸運だったろう。同社による芯があって暖色系で、丸みと光輝がブレンドした音は彼の芸術に親和性がある。80年代にDeccaも参入したが、僕においてはブレンデル=フィリップスは揺るぎようもない。

ドイツ系が多いズデーデン地方の生まれだからチェコ出身ということにはなろう。父はホテル経営者で、音楽への興味はレコードやラジオを通して育まれ、ザグレブ、グラーツと移住した末に第2次大戦終戦を迎え、16才で音楽教員の資格を取得するためにウィーンへ行くが正式なピアノのレッスンを受けたことはない。神童でもコンクール優勝者でもなく、技術は独学で磨き、作曲家、評論家、エッセイスト、詩人でもある。1931年という生年を見るとホロヴィッツ(1903)リヒテル(15)ギレリス(16)リパッティ(17)ミケランジェリ(20)に続く世代である。グルダ(30)グールド(32)アシュケナージ(32)あたりが近く、アルゲリッチ、バレンボイムは10才ほど下の1940年代になる。そして彼らが1955年である僕の10才ほど上になるわけだ。ちなみに以上名を挙げた人達で親が音楽に関わっていないのは数学者の娘であるアルゲリッチだけで、音楽家というものは歌舞伎のような家柄継承はないのに血統が明らかに関係していることはバッハの例が著名であり、ここでも明らかだ。両親までは才能が発現していないが突然に開花した例としてハンガリーの靴職人の家に生まれ、銀行員を経て独学で作曲の頂点に登りつめたシェーンベルクを想起させる。偶然かもしれないがブレンデルはレパートリーからは異質であるシェーンベルクの協奏曲を弾いている。

僕がウォートンでMBAを取ってそのままロンドン勤務を命じられたのは1984年4月だ。そのころブレンデルは50代半ばで、83年にライブ録音したベートーベンのピアノ協奏曲全集が話題になっていた。このLPは録音メディアがCDに切り替わる最終期のもので、85年8月、ロンドン郊外のイースト・フィンチリーに家内と居を構えた翌年に購入したが、正直のところ関心の的はRCA、Decca専属だったレヴァイン/シカゴSOがPhilips録音のベートーベンでどう響くかという、ブレンデルにも美学にも関係のないマニアックなものだった。僕は同社のオケ録音が好みでありワクワクして1番から聞いたが、Philips感は皆無のデッドなライブで、まあシカゴのホールもそんな程度なのだろうと米国のプアなホール事情を想像してしまい、まったくの期待外れで即刻レコード棚の飾りになってしまったのだ。フィラデルフィアの超デッドなホールでの2年間に心底辟易していた矢先でもあり、当時、ソフトが出始めて「CDの方が音が良い」とレコ芸(海外でも定期購読していた)が喧伝した挙句の洗脳もあった。前年4月まで留学生の安月給でピーピーだったのが5月のロンドン着任からはノーマルに戻り、音のよさげに見えるブラックのDenon製CDプレーヤーと、憧れだったお膝元タンノイのスターリンに切り替えたのもそのころだった。ブレンデルのせいではないのだが、当時、この5曲というとバックハウスやギレリスで事足りており、どうしてもこれでなくてはとは感じなかった。先ほど聴き返してわかった。ブレンデルはライブだからといって格別に燃える人ではない。コンサートホールでも十分にdiscreetなのだ。それなのにライブならではの微細なほつれはオケにはあり録音は好きでない。したがって何もいいことないよね、というのが当時の僕の結論だった。

それもあってか、僕はブレンデルのレコードをあまり持っていない。ヴァンガードのモーツァルト集、Voxの同2台ピアノ協奏曲(wクリーン)、Philipsはモーツァルトのピアノ協奏曲代20番・23番(マリナー)、ベートーベンのディアベッリ変奏曲、リストの巡礼の年・第2年イタリア、シューマン協奏曲(アバド/LSO)、ブラームス協奏曲1番(イッセルシュテット/ACO)で、CDに切り替わってからもバッハコレクション、ベートーベンのソナタ8、14、23、24、29、シューベルトの鱒/モーツァルトのピアノと管楽のための五重奏曲、シューマン協奏曲(ザンデルリンク/PO)だけだ。彼の美質をつかみかねていたわけであるが、それは無理もない。当時の僕の音楽への、とりわけピアノ曲への教養はまるでお粗末なものであったからだ。

ところがライブはけっこう聴いている。左はやはり85年、上掲のベートーベン全集を買う半年前の2月に行われたロイヤル・フェスティバ(RFH)でのリサイタルで、プログラムはハイドンのアンダンテと変奏曲ヘ短調、ソナタ52番、シューベルトのさすらい人幻想曲、ムソルグスキーの展覧会の絵だった。実はいま、本稿のために日付を確認して意外だった。もっと後年だと思っていた。細かいメモリーは飛んでいて、覚えてるのは展覧会の絵のどこだったか、たぶん挿入のプロムナードのエンディングと思うが、ブレンデルの記憶違いがあり、同じ小節を弾いたのに冷やりとしたぐらいだ。そのメモリーの生々しさからもっと後だと思っていた。当時、赴任から1年たったとはいえ、初めて働く海外拠点での膨大な作業量に気が遠くなる毎日であった。よくわかった。音楽どころではなかったのだ。

同年に録音されたハイドン52番だ。ブレンデルの真骨頂といえる素晴らしい知的なアプローチであり、これと同じものを聴いたはずだが猫に小判であった。

これは1987年12月でオールシューベルトのリサイタルだ(やはりRFH)。曲目は楽興の時、さすらい人、ソナタの15番、14番である。株式市場史に残る大暴落となったブラックマンデーの直後でありきれいに忘れてしまった。今なら垂涎のプログラムをブレンデルが弾くなんて夢のようだが、これが記憶に残ってないということは並の騒ぎではなかったのだろう。東京市場が開くのはロンドンの夜中だ。社員全員が明け方まで会社に残って本社への電話にかじりつき、お客さんも心配で相場を見にフロアに来てしまい、歴史に残る大混乱を経験した。思えば僕は天下のブレンデルによる「さすらい人幻想曲」を二度も目の前で聴いたのだ、ああもったいない!演奏会場、日にち不明の1987年のライブ演奏がyoutubeにあったのが救いだ。これだったと思いたい。

次は1989年7月のRFHだ。ブラックマンデーから2年。日経平均は持ちなおし、3万8千円の最高値に登りつめる直前、後にバブルと揶揄されることになる興奮と熱狂の最中にあったが、ロンドンではそんな世俗の喧騒とは無縁のオールモーツァルトプログラムがみやびに奏でられていたのである。演奏者にフィッシャー・ディースカウ、ブレンデル、ハインツ・ホリガーとネヴィル・マリナー / アカデミー室内管の名が見える。この演奏会は英国の哲学者イザイア・バーリンの80才の誕生日を祝うもので、誰かは知らねど、この贅沢の極みはよほど偉大な学者さんだったのだろう。白眉はブレンデルの協奏曲19番 K.459、ホリガーのオーボエ協奏曲 K.313、F・ディースカウのアリア「おお、娘よ、お前と別れる今」 K.513だ。まさしくモーツァルト祭りであり、名人たちによるフルコースを心底楽しんだことをよく覚えている。F・ディースカウもマリナーも、そしてブレンデルまで故人になってしまったが、ロンドンでのベスト10にはいる最高のコンサートだった。ブレンデルはもうひとつ、バービカンだったろうかリストの協奏曲第2番を聴いている(プログラムが見つからない)。ここでは終楽章のコーダ前でアクシデントがあった。フォルテで腕を振り上げたはずみに指でひっかけた眼鏡が客席まで宙を飛んでしまい、彼はレンズの厚さからして強度の近視だろうから音楽が止まるかとホールに緊張が走ったが、さすがである、ミスタッチのひとつもなく難なく最後まで弾ききって大喝采に包まれた。おまけだが、ミケランジェリがロンドンにやってきてバービカンでドビッシーとショパンを弾いたとき、前の席にいた男性が彼だった(前者だけ聴いて席を立ったが)。20世紀を代表するピアニストの一人だが、6年も同じ場所で、同じ時代の空気を吸っていたという愛着はひとしおだ。

ブレンデルをヴィルトゥオーゾと呼ぶ人はあまりいないだろう。規格外の新機軸や強い自我を盛り込むことは一切なく、作曲家が封じこめた楽興を無理、誇張なく紡ぎだし、初めて聞いた音楽なのにああそういうことかと自然になり行きが見通せ、身をまかせているうちに体の内から喜びを覚えてくるという風情であり、知的で穏健なのだ。知的というのは怜悧、冷たさではなく、タッチに切れ味や凄みを利かせることも劇的な感情の起伏で聴き手を引き回すこともないから穏健に聞こえ、面白みがないとした評論家もいた。形式のバランスはもちろん感情の起伏まで均整がとれているということだ。それは即興でなく理性で設計されてるのだが、そう聞こえないところが知的、インテリジェントなのである。彼の十八番はハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルトとされているのはその流儀が活きる楽曲だからで、僕はその4人各々にエッジをもったピアニストを好んではいるが、公約数として統一できるブレンデルの流儀は一家言ある個性的なものでなんらの優劣もない。中庸でないことに面白味を見出し、興奮してブラボーを連呼するのも結構だが、僕はストレス解消のために音楽を聴くことはない。

そこにシューマン、ブラームスを加えてもいい。ハイティンク/ACOとのブラームス2番は彼をヴィルトゥオーゾと呼ぶべき名演で同じ伴奏者のアラウ盤に並ぶ。シューマンではK・ザンデルリンク/POとのイ短調協奏曲を高く評価する。ああいい音楽を聞いたなあと静かな満足感で包みこんで体の芯まで熱くしてくれる。どちらもともに伴奏が素晴らしく、まさに名品とはこういうものだ。

最後になるが、所有している中で好んでいるのはリストの巡礼の年・第2年イタリアだ。冒頭からヨーロッパの春の大気が香る。ブレンデルが仄かに加える精妙なアゴーギクは、楽譜をご覧になっていればわかるが音楽の時空を支配している。そこに投じられるふくよかな光彩を放つ和声がこの世のものとは思えぬ神の物語を掲示する。僕は西脇順三郎の『Ambarvalia』にある “天気” という詩を思い出す。

(覆された宝石)のような朝
何人か戸口にて誰かとささやく
それは神の生誕の日

ドビッシー、ラヴェルはこの楽曲を知ったに違いなく、名技性ばかりに目が行くフランツ・リストの音楽の深みと斬新さを僕もこれで悟った。ブレンデルは詩人でもある。印象派を弾かないが、そう弾いている。それが知性でなくてなんだろう。こういうものをロンドンの畏友は discreet と語った。日本の音楽評論家が形容した「中庸の知性派」はあながち間違いではなかろう。知性派の聴き手が感知し、奥深い感銘を心に刻むメッセージはいつも中庸(golden mean)の姿かたちをしているからだ。写真はロンドンで入手した極上の84年のオランダプレス盤で、Philipsの美質が満点だ。中古レコード屋で見つけたら迷わず購入をおすすめする。

ブレンデルはもっと聴きたい。無尽蔵に教わることがあるだろう。それがご冥福をお祈りする僕なりの方法だ。

 

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