脱法ハーブと証券犯罪
2014 JUL 5 20:20:13 pm by 東 賢太郎
脱法ハーブが問題になっている。英語ではsynthetic cannabis(合成大麻)であり、大麻の薬理成分であるテトラヒドロカンナビノール (THC) の効果を模倣する合成カンナビノイドを含むハーブ製品である(Wikipediaなど複数のソースによる)。
渋谷でこれを禁止するデモが起きているのを知って不思議に思ったのは、「脱法」であるなら「違法」とすべく法改正すればいいではないかと疑問を持ったからだ。しかし、調べてみると、それができないから問題なのだということがわかった。
自然科学が関わる領域での法律制定というものには限界がありそうだ。素人考えではあるが、例えばグルタミン酸は「コンブ、チーズ、緑茶などに大量に含まれるほか、シイタケ、トマト、魚介類などにも比較的多く含まれていることが知られている。」が「致死量はLD50=20g/kgである。」(以上、出典Wikipedia)。これはうまみ成分なのか毒なのかはともかく、それを知ったとてコンブやお茶を販売禁止にできるわけでもないだろう。
また法律というのは禁止する対象をしっかり定義しないといけない。さもないと冤罪や医療目的利用の阻害など問題を呼ぶ。大麻取締法、覚せい剤取締法にある定義がそれだから、大麻の薬理成分に模擬した新薬は取り締まれない。だから脱法となる。厚生労働省は「合成カンナビノイド類」を指定薬物として包括指定(772物質)する省令を公布し、3月22日から施行されたが化学式に改変を加えた合法な新物質を作る(出典Wikipedia)という「いたちごっこ」になっているようだ。
「いたちごっこ」は証券犯罪の領域でも長年にわたって存在する。特にその代表的なものであるインサイダー取引規制がそうだ。インサイダー取引とは金融商品取引法(法166②)に列挙される「重要事実」なるものを公表前に知ってその株式を売買することである。だから「重要事実」にないものでその株式が上がる(下がる)という情報を知って売買してもそれには当たらない。では「重要事実」とは?ここで上記の脱法ハーブと同じ問題が発生するのである。
もうひとつに「風説の流布」というものがある。相場の変動を図る目的をもつて風説(虚偽の情報)を流すことである。明白に虚偽とは言えなくとも、合理的な根拠のない情報であれば罰せられるおそれが ある。包括規定であるため抵触する行為の範囲は広い。そのため必ずしも個々の案件で検察が捜査を行うとは限らないが、東京地検は企業買収に絡む株取り引きで風説の流布の疑いでインターネット関連企業ライブドアの堀江貴文前社長らを逮捕(ライブドア事件)した(出典Wikipedia)。
これからも「重要事実」「風説認定」の外し方で続々と新手が開発されるだろう。元ネタが海外で作られると日本の当局には手が出しにくいという盲点をついたものが増えるのではないかというのが私見だ。アメリカから入ってくるのは脱法ハーブと同じだ。
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世界三大不正の一つと言われる国辱(追記あり)
2014 JUN 13 22:22:47 pm by 東 賢太郎
僕は3月にこういう投稿をしました コピペという文化。そこに隠喩したSTAP騒動はまだ本格化する前でした。
その醜態はとどまることなく、一昨日も論文データを改ざんしたノバルティス元社員逮捕のおぞましいニュースが出ました。シニアの方々はクレージーキャッツの映画『ニッポン無責任時代』を覚えておられるでしょうか。今や男も女も無責任ぐらいはかわいい方で、むしろ、嘘、ごまかし、なりすましで積極的に他人を騙し、ばれると「悪意はなかった」と平然とその場しのぎを言ったあげくに逆切れするのまでいる時代です。外を見ればそういう国はいくらもありますが、そうではないのが美徳だった日本も立派にグローバル社会の一員になりました。
理研改革委の岸輝雄委員長が述べられたようにSTAP事件が欧州で「世界の三大不正の一つ」と認定されているなら、これは科学史に残る重大事件であってセンター解体ぐらいでは足りないぐらいです。もとより多額の税金によって設立、運営される公共の組織を吹き飛ばしたことだけでも重罪ですから、責任者たちはそれに匹敵する裁きを受けるのは世界の常識であり、税金の返還請求など当たり前です。弁護士が意味不明の情緒的弁解をくり返してきましたが、そんなことはまったくどうでもよく、淡々としかるべき手続に従って裁かれるだけです。
僕は何度も我が国における「父性原理の後退」を指摘してきました。マッカーサーGHQ占領下での日本非武装計画(というより計略)に端を発した諸々の仕組みと洗脳が奏功し、半世紀余を経て父性原理は危険かつ時代錯語とされて国ごと去勢されました。日本はおろか儒教国ではありえないお父さんが犬であるあの不愉快極まりないCMはその土壌でしか効能がないでしょう。その腐った土壌にもうひとつ、米国文化の軽薄な面だけをアメリカンと勘違いするそれこそ軽薄な面々の文化が上塗りされることで冒頭のコピペ文化は形成されたと思います。それは日本人、日本国の大黒柱の腐蝕であります。僕は右翼でも軍国主義者でもありませんが、どこの国でも当たり前の愛国者なら危機感を持つはずです。
今回の理研改革委の解体提言は父性原理による必然の鉄槌であり、母性的な情緒が影響して終息しかねない国情の中でそれが下されたというのは識者の立派なご見識の発露であり、至極健全と思われます。元来そういう性向を有すると思われる行為者はどこまで責任能力があるのかすら不明に思われる程度であり、そのような者をずさんでいい加減な入試とプロセスで選別、合格させ、しかも放置した管理者たちの責任こそ決定的に甚大であります。
ここで我々国民が注視しなくてはならないことがあります。研究不正は「研究倫理」の問題であり、「研究内容だけ」に関わる問題です。だから個人の問題であり、その個人を罰して例えば懲戒免職にして終わるという解決は可能です。ところが今回は組織の管理体制ごと救済しがたい無能力と判断したわけです。だから組織ごと懲戒免職にする、つまりお家お取り潰しとなった。老中、家老は切腹。これもわかります。
ところが週刊文春が指摘した使徒不明の経費、出張費という別の問題が発覚しました。これは「研究内容」の話ではないので三大不正とはまったく別次元の問題です。2人で1回9万円の出張が週1以上のペースで11か月も続くというのは尋常ではなく、多忙な実験の間をぬって国費で行ったのですからよほど重大な案件があったのでしょう。それは何だったのか???これが国民的関心事になった以上、お家お取り潰しで記録がなくなりましたでは済みません。消費税をさらに10%にすると言っている矢先です。その税金が2人の使途不明金に消えていましたでは納税者は誰も納得しない。理研の監督官庁の問題でもあり得るでしょう。
この騒動が世界にも納得のゆく形で解決し、誠実かつ優秀な科学者、研究者の皆さんが正しいモチベーションをもって研究に邁進され、世界三大級の成果をあげられることを切に願います。
(追記、6月18日)
安倍内閣第3の矢と予算。先端科学と女性登用。下村大臣と文科省。先進医療と医工連携。早稲田と東京女子医大。ハーバードと Brigham and Women’s Hospital。特許50-50。 理研と独立行政法人。GPIFと独立行政法人中小企業基盤整備機構。ゴッドハンドと入試なし。
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天文学は清涼剤
2014 MAR 29 1:01:46 am by 東 賢太郎
今週は仕事にいらいらで疲れ切ってしまい、帰ってプロ野球開幕戦を見れば阪神が巨人にボロ負け。カープは勝ってくれて嬉しいがそれでも気が晴れず、音楽を聴く気もせず本を読むには目が霞んでて最悪の状況です。
そこでなんとなく見たのが「MIT白熱教室」のウォルター・ルーウィン教授の講義です。恒星の一生の話でした。僕は彗星や月食やらの観測や星座のおとぎ話には関心のかけらもありません。恒星に関する物理だけが関心事です。
星の物質が中心に向かって落ち、核融合反応で膨れることで半径が決まって調和する。水素が燃え尽きるとヘリウム、炭素、ケイ素といって最後は鉄になって核融合が止まる。高密度の白色矮星になり、それがさらに進んで中性子星になり、それが高速回転してパルサーになる。シリウスの伴星が白色矮星であることは美しい方程式から理論的に発見され、確認された。かに星雲の星の残骸がパルサーであることの発見。さらに半径が減って点になるとブラックホールに。そこを周回する恒星(ドナー星)の質量とスペクトルの赤方偏移、青方偏移(ドップラー効果)からわかる回転半径と周期からブラックホールの質量が計算できるのです。それが見えないけれど「在る」という白鳥座X-1の写真!
人間界のささいな事々を忘れるロマンです。宇宙物理のロジックの美しさ!!特異な天体の写真を見て実体を想像するのが僕の子供のころの最大の趣味でした。ぎょしゃ座エプシロンの伴星、くじら座オミクロン星ミラ、うしかい座アルクトゥルス、こと座ヴェガ、ケンタウルス座アルファ星等々夜空や写真を夢中になって見ていたなつかしい名前です。もう一回生まれたらやっぱり天文学者になりたい、MITで研究したいです。なんで俺はここでこんなことをやってるんだろうとつくづく思ってしまいましたが、もやもやは宇宙空間のかなたに雲散霧消です。
ヴェガ(右)には太陽系に類似したものである可能性のある惑星系が形成されているそうです。ヴェガは0.19日の周期で僅かに変光するたて座デルタ型変光星であり12.5時間という高速で自転しており、その速さは遠心力でベガが自壊する速度の94%に達していることが判明しました。このため、極付近と赤道付近では大きな温度差が生じているそうです(Wikiより)。こんな太陽の惑星に住んでいたら・・・想像するだけでも心の中が無菌状態になります。
(こちらへどうぞ)
小保方発表で暴騰したセルシード株(7月25日、追記あり)
2014 MAR 18 3:03:52 am by 東 賢太郎
「いやしくも彼女もその科学者である。コピペ、使いまわしがレッドカードなことも探知するソフトが出回っていることも知ってるはずだ。研究に対する一定の良識もあるだろうし僕はそう信じたい」
にそう書いたら、「コピペがいけないとは知りませんでした」とあっぱれなご発言があり、もう彼女を擁護できなくなってしまった。科学者はおろか理系であること自体ナンセンスな人である。その発言内容自体も凄いが、そう言えばそう結論されることを感知せずにあっけらかんと言ってしまう判断力も恐るべしだ。なにをもって早稲田と理研が彼女を評価したのか摩訶不思議である。
彼女は実験の執行者としては重宝であり、見つければ勝ちという領域では価値があったかもしれない。そして、女性が何かやると「美人**」に格上げになる世界唯一の国である我が国のマスコミがその得意技を駆使して存分にもちあげてしまった。ピンクの壁紙も割烹着も見せるための「やらせ」であったという噂だ。こうなると佐村河内と寸分たがわぬ詐欺事件であったと世間に見なされても仕方ない。週刊誌ネタに乗る気はないが、報道されているように目をつけた実力者をお得意の「女子力」で籠絡していたのだとしたら、その上司が理性を超えたことをしでかしていても不思議ではない。
証券市場ではあらぬ噂が回っている。もし本当だったら大事になる可能性がある。「セルシード」という会社が昨年8月に新株予約権を発行してUBSが何故かロンドンで第三者割当を受けているそうで、調べてみたらその会社は連結純資産がなんと1億円しかなかった。そんな会社に銀行は100%融資せず、証券会社が株や債券の公募発行を引受けることも99.99%ないのである。あるとすれば投機的利ザヤ狙いの外資かファンドしかないが、常識的にはそれすら説得しなくては無理という状況だったと思われる。経営者は追い詰められていたはずだ。その結果だろう、8月13日に、
第三者割当による第10回新株予約権及び第11回新株予約権(行使価額修正条項付)の発行並びに第三者割当て契約締結に関するお知らせ
が公表されている。これを昨日読んだがどうも僕の経験上不自然で腑に落ちない。これは発行会社名になっているが実態は割当を受ける証券会社が書くもので、UBSがこう書かせたはずだ。専門的になるので詳細は書かないが、しかし、僕が担当者ならこの案件は99%蹴っている。その時点の情報では、同社株の株価が近未来的に上がり、予約権を行使して買った新株を利益を出して売却できる(そうでなければ損をする)と信ずるに足る根拠は特に見当たらないからだ。
つまり「何かうまい話」がセルシードの経営者から伝えられなければ「継続性に疑義の生じた会社」(会計監査でつぶれる可能性を指摘された会社)のファイナンスに応じることは通常はない。それも半端でない総発行株数の30%近い大量の株式が新たに発行されるわけだから、「何か」がなければ株価は大幅に下がるのである。
ところが同社株は1月30日に小保方発表で40%も暴騰し、UBSは新株予約権を1月30日と31日の2日間で全部行使して市場で即座に売却し、数億円のサヤぬきに見事に成功している。以上記述したことは全部公表事実で誰でもネットで確認できる。もちろん偶然という可能性は否定できないが、自分の本業務の経験から憶測するとUBSの引受担当者かトレーダーに千里眼の持ち主が存在していたか、さもなくば、クビを覚悟の肝だめしでもやっていたかしか言葉が見当たらない。
危ない噂のほうは社名から検索すれば無数の書き込みをご覧になれる。小保方氏と同社経営者がそういう関係があったかどうかは僕は知らないし知る方法もない。僕がわかるのは、事の核心であるこのファイナンスの意思決定プロセスが、書面を読む限り、例えば野村やみずほがやったなら、ほぼ確実に証券取引等監視委員会など当局の関心をそそるレベルのものだろうということだけだ。これから何が起きるか注視したい。
(追記)
ハーバード大学のバカンティという指導教官だった教授は、彼が審査したことになっていた彼女の早稲田の博士論文を読んでないし読めと早稲田に依頼されてもいないと主張しているという信じがたい報道があった。この教授は問題のネイチャー論文の共著者で、最後まで撤回の必要なしと頑張っていた人だ。申しわけないがこれが本当ならもう彼女の学歴はメチャクチャである。しかも「ハーバードへ留学」と言っているがもともと4か月ステイだったのが伸びただけだそうで、そういうのは留学とはいわない。学歴詐称に近い。
誰かがこの女性に箔をつけようとハーバードのブランドを利用したとしか思えない。ここまでくると小保方氏一人でできるはずもない大がかりな嘘だ。ということは彼女は単なるパペット(操り人形)であって、彼女が不思議ちゃんであったかどうかなどどうでもいい話だったという、まったく性質の異なる展開になってくる。佐村河内は芝居の主役であり脚本家でもあったが、彼女はそうでは「ありえない」のである。
(追記、4月13日)
このブログの本文は3月18日に上梓した。それから約1か月の時間と小保方会見というイベントを経たが、一言たりとも訂正する文言が見当たらない。
(追記、4月28日)
セルシード株は小保方発表時(1月31日)高値2400円から今日までで約58%下落した。1000円で買い支えが行われているように見えるが、割ると底が抜ける感じすらある。ネイチャー論文の内容が仮に100%事実だったとしても、それが将来この会社の利益にどう落とし込まれるのか、漠たる夢とストーリーはわかるが、さっぱりロジックが理解できない。それでも株を買う人がいる。不思議なことだ。株式市場をカジノと勘違いしている人が大勢いて、そういう人を食い物にするファイナンスが行われる。そういう人たちも市場の一部を形成しているのは事実であり、だから、そういう行為は証券市場を食い物にしているのと同義である。長く証券市場に関わってきた人間として、そのような行為は看過できない。本稿の趣旨はそこにある。
(追記、6月12日)
ネイチャーにこういうeditorial(社説)を見つけた。Agency for change
これが載った契機はSTAP論文であることは文脈から明白だが、ネイチャーは4月30日掲載時点ではまだそれをscientific misconduct(科学における不正行為)と認識しており、一応はthe more bizarre cases of scientific fraud (もっとたちの悪い科学詐欺)の脈絡に位置づけてはいるように見えるが、「もっと」だから詐欺ではないというスタンスである。巧妙に逃げている。そして日本に米国型の研究監視機関がないことが問題だと主張しているがハーバード大学が共著者である本件にその指摘は的外れであろう。また、安倍首相の「日本の科学の研究基盤が浸食される恐れがある」というコメントを引用しつつ、「昨今の研究者はかつてないほど多くのデータを取り扱う必要があって、(そういう世の中になると)不正行為の評価というものもプレゼンデータのごまかしからくるぞんざいさを詮索したりするきらいが出てくる。よって、日本の研究機関は研究者のデータ管理教育のための予算をもらうべきである」というさらに的外れな結論で堂々と結んでいる。「最近の研究者は大変なんです。データの見ばえを良くした程度の些末な事でお行儀が悪いのどうのと騒ぐんじゃないのよ。お作法の教育ぐらいは自分でちゃんとなさい!」という一見もっともらしい議論に論点をすり替えているが、本件はお行儀の問題どころでは済まないのは6月12日時点ではほぼ明確になっている(4月30日掲載だからそこは大目に見よう)。しかしここまでならば、研究詐欺(かもしれない)論文を掲載したのは日本政府の管理が甘いせいだというよくある責任回避だ。ところがここからが凄い。挙句の果てにもっと理研にカネを出せと言っているのである。この主張を導く接続句の”よって(For this reason)”の唐突さと説得力のなさは芸術的と評するしか言葉がない。日本人は監督者も研究者も未熟者なんだからカネで解決するしかないでしょということだ。やはり未熟者であって糾弾されるべき立場にあるネイチャーは家庭教師でもしてあげますよモードである。この社説のロジックのsloppy(ぞんざい)さも問題の論文のsloppiness(ぞんざいさ)といい勝負だろう。こういう詭弁にトップが騙され加担するからえせ研究者を跋扈させ、日本の誇るべきまじめな研究者たちが埋もれてしまい、「日本の科学の研究基盤が浸食される恐れがある」と首相が心配することになるのである。この社説からは米国、日本政府、理研、予算(カネ)なる大きな構図があって、ネイチャーはそれを守ることに利益があるらしいというニュアンスが漏れ出ている。お行儀が悪い子ちゃんも守る(米国の教授と同じく)ほうが都合が良かったらしいというニュアンスも感じる。社説のいうthe high level of attention は日本政府にだけではなく、世界の目となってこれからネイチャーがSTAP論文を自らどう処理するかにも大いに注がれているということだ。
(追記、6月18日)
安倍内閣第3の矢と予算。先端科学と女性登用。下村大臣と文科省。先進医療と医工連携。早稲田と東京女子医大。ハーバードと Brigham and Women’s Hospital。特許50-50。 理研と独立行政法人。GPIFと独立行政法人中小企業基盤整備機構。ゴッドハンドと入試なし。YとS。プロが書いた(佐村河内事件と同じ)。ハーバードの人がこんなにいい加減と思わなかった。切りたいが切れない。解体したいが解体できない。
(追記、6月26日)
「小保方氏実験なら厳格監視」(理化学研究所発生・再生科学総合研究センター竹市雅俊センター長)
「週刊回春」 特別インタビュー
「なぜ監視しないといけないのですか?」「はい、論文を捏造した前科が確定した人なので危険だからです。」「その人はなぜ捏造する必要があったんでしょうか?」 「はい、細胞ができていなかったからでしょう。」「今回はできるのでしょうか?」「はい、200回成功したというのは全盛期のイチローの年間ヒット数です。できない確率はイチローが1年間ノーヒットなのと同じぐらいでほぼゼロです。できなければ嘘だったと判断するに足る確率と思います。嘘として本人を葬れればそれで私どもはいいんです。」「なぜそこまでして確実にばれる捏造論文を世界に発表する必要があったんでしょうか?」「はい、そこに根本的な深い謎があるわけなのですが誰もまだお気づきでないですね。株も高いし。私どもの間では世間の目がワールドカップに向く期待がありました。あっけない敗退で盛り上がらず困っています。そこで実験に持ち込んで1年先延ばしすればその頃には謎は忘れられているだろうという期待がにわかに高まっているのです。」「なるほど。そうすればセンター解体も忘れられます。」「だから私どもも大臣も実験ショーがしたいのです。そしてそれにはSTAP細胞かくにーん♡ という主演女優が必要なのです。」「なるほど、女優というよりマジシャンですね。」「おぬしもワルよのう。まっ、今度はネタバレがないよう厳重に監視する所存であります。」
閑話休題
その実験よりSTAP論文不正犯人捜査と使途不明経費解明捜査が先に必要である。前者は小保方研究室の細胞の徹底的な第三者立入調査が絶対に必要である。若山発表以来これが未だなされていないのは非常に不可解である。「論文不正問題とSTAP細胞有無解明とは全く別の問題だという事の本質を曲げることはありえない。STAP細胞はES細胞(胚性幹細胞)ではないかという指摘が客観的事実に基づいてなされている、つまり公金を使った不正という重大な疑義が公に指摘されているにもかかわらず、なぜ事件発生現場の長が調査を行わないのか。調査権がないのか。ないなら不正抑止力なしで解体は必然である。そうではない、調査委員会の解体勧告は行き過ぎなのだと主張して組織を守りたいなら、犯人を特定しないでどうやって正しい人たちを守るのか。組織の長の言行に論理的一貫性がない。だから調査委員会に解体せよと言われるのである。
(追記、6月30日)
以下、私見である。
ネイチャーがSTAP論文撤回を決めたという報道があった。ネイチャーの査読もいい加減であったという不名誉を認めたということである。撤回理由は未だ明らかでない。
理研調査委員会による「アーティクルの二つの画像に捏造(ねつぞう)や改ざんの不正があった」という発表にネイチャーは「もっと教育しろ」と反論することはできた(追記、6月12日参照)が、第三者機関による分析結果を示した「レター」に関わる若山氏の論証に反論することはもっと不名誉な結果をもたらすと判断したと思われる。
このネイチャー誌の判断は本件関係者がクロである可能性を高めたというわけではない。それを証明する証拠がどこにあるかを示唆したという点に意義がある。
「捏造(ねつぞう)や改ざん」は故意によってのみ成立する行為である。問題は「アーティクル」(STAP細胞の作製方法などを示した主論文)の捏造と同じ故意が、「レター」(STAP細胞から作った幹細胞の性質を分析した論文)にあるか否かであり、それをネイチャーが認めたかも知れないという点こそ重要なのである。
「理研改革委員会はレターの徹底調査を求める提言をまとめているが、理研側は調査する意向は示していない」(毎日新聞)。
そこに真相を解くカギがあるからではないか。chemistoryと綴る程度の学力である小保方氏が捏造イラストレーターだったとはいえ、真の執筆者が「いや、こんなにいい加減とは・・・」で逃げ切れない何か(それは科学知識のない筆者にはわからない)がレターにあると思う。小保方氏の故意を共有せずに書けたはずがないという何かが。若山氏はその部分に関与がなかったか、あるいはあったものの自白による減刑を図ったかもしれない(後者であれば本件は「囚人のジレンマ」の実証研究の素材としても第一級の資料であろう)。
故意の立証がなぜ重要かというと、公金の詐取(使途不明経費の不正との認定)という別の事実がもしあったと仮定すればそれが詐欺罪の構成要件だからである。犯罪捜査であれば理研の調査意向は関係がない。専門家による第三者機関を伴った小保方研究室の捜査が急務である。部屋の鍵は誰が管理しているのだろう?理研を早く正常に機能する状態に戻すことは、世界の科学の発展と我が国の信用の担保という点においてもはや避けることはできない。汚点となっている本件のクロシロの決着は、理研を存続させるために不可欠と思う。
(追記、7月4日)
を読んでいたらこのコメントを見つけた(3月31日付、内容の真偽は不明である)。
Obokata and Vacanti are likely funded by GLG indirectly, and thus the show must go on. Obokata and Vacanti will not allow a retraction to happen (their employers/investors will not allow it).
GLGとはこういう存在である。
Gerson Lehrman Group – Wikipedia, the free encyclopedia
以下私見である。この短いが意味深いコメントをもって、筆者は論文捏造事件と証券市場との接点を整合的に説明するある仮説にたどりついた。GLGのコンサルタントに証券会社のアナリストが入っていることの意味など、証券業界に精通した者でなくては理解できないかもしれない。本件をある者が創作したオペラとするなら、その中でさらに別の劇が展開する「入れ子構造」になっているためオペラ自体のプロットが見えにくい。日本においては、誰が嘘つきなのか?誰を守ろうとしているのか?小保方氏は真犯人なのか?という悪徳代官ものの時代劇捕り物帳が進行しているが、それらは劇中劇の中の犯人捜しにすぎない。STAP細胞はほんとうにあるの?それは劇中劇のタイトルにすぎない。よって、それらはオペラの犯人捜しとは何の関係もない。
現在の所、筆者がひとつだけ確信があるのは、小保方氏にオペラが書けたはずがないということである。小保方氏はオペラ作家によって巧妙に設定された日本人向け劇中劇におけるリケジョ役ヒロインの初演女優である。台本作家たちの読み違えは、女優に論文論旨をでっちあげる重要な剽窃画像を作成させたが、彼女の剽窃は想定外に杜撰で、誤りが発覚してもケアレスミスと主張するには未熟な水準にあったことだ。そのため故意を見抜かれる結果となり「再現性に乏しい論文としてやがてフェードアウト」というオペラ台本が台無しになってしまった。4月の小保方記者会見での謝罪「「私の不勉強、不注意、未熟さ ゆえに論文に多くの疑念を生み・・・」は国民ではなく台本作家、主剽窃者への謝意ととるとわかりやすい。論文剽窃故意の共有発覚によるオペラ台本関与発覚を恐れた若山氏の内部告発がさらに剽窃蓋然性の推定値を高める結果となり、全員が(ネイチャーを含め)降りた。これがネイチャー論文撤回決定の背景と思われる。
仮に筆者の仮説が正しいとすると、米国SECと共同捜査が必要であるという意味で、また、日本の科学界の弱点、証券取引等監視委員会の弱点を知り尽くしたという意味で、また、どの「パーツ」だけ単独捜査しても全貌は把握し難いという意味で、最高度に洗練された複数の専門的知性による非常にインテリジェントな国際的詐欺、インサイダー取引事件である可能性がある
(注: 一般にわかりやすいという意味でインサイダー事件と書いたが、法律を眺めると本件をインサイダーで立件するのは難しいと思う。犯意自体は内部者取引と寸分違わないが、法の盲点をついている。米SEC、FBIが外国証券市場で起きた不正を取り締まるかどうかも不明であるが、GLGに誰が誰にどうアドヴァイスしたか記録はあるはずである。米国は知財剽窃証券詐欺には目をつけていて、すでに何人も逮捕している事実がある。)
(追記、7月5日)
V氏は素晴らしい。「絶対に存在し」「生物学の常識を覆し」「ノーベル賞に値する」ほどの画期的な仮説を異国の弟子に懇切丁寧に教え導き、「賞も特許もどうぞ」「自分は末席で結構ですよ」というマザー・テレサのようなお方だ。かような慈善行動はまさに生物学界の常識を覆すものであり、ノーベル生理学・医学賞よりも平和賞こそふさわしいと評する声も出始めているようだ。
H子、できると信じなさい。「ある」んです。失敗はいいんだよ。だって誰も「ない」って証明できないだろ?だからなんでもOKだ。早くやるんだ。もし何か言われたら寝ても覚めても「ある」と言い張りなさい。心配ない、私もあると言い張ってVサイン送るからね。片手じゃない、両手で送ってあげよう。もちろんお金もだよ、Have a nice stay in Kobe!
なんて勘ぐる下衆がいると聞いているがとんでもない不届き者だ。下村文科大臣は小中学校教育に「修身」を復活させ、V氏の我が国への献身的な貢献をたたえるべく、太宰の「走れメロス」と並ぶ「サインはV・V」を徳育教材として教科書に採用すべきではないだろうか。ネイチャーの編集者のご関心を買って採用させるよりは簡単ではないかと思われる。
(追記、7月9日)
我々はプレスの公表事実から推論するしかないが以下のものが注目される。
^“「小保方さんに協力した人がいるのでは?」 STAP細胞論文不正問題で理学博士・竹内薫氏が新たな食い違いを指摘”.
論文で「STAP細胞」と呼ばれている細胞は,どれも同じ細胞ではない。少なくとも3種類あり,実験ごとに異なる細胞が使われている。論文に掲載された「STAP幹細胞」10株は,すべて途中ですり替わっている(上掲)。そうとすれば、
①ネイチャー論文偽造が「過失」ではなく「故意」によることが確実であり②小保方氏にES細胞とTS細胞を混ぜ合わせる経験はなく③誰かがそれを渡したか、あるいは両者を混ぜた④その人物も故意を共有していた
が論点と思われる。故意の認定により両人の行為は韓国の黄禹錫教授事件と同じ法的構成要件を満たしてくる。筆者が再度指摘した理研のLetter論文調査と小保方研究室にある細胞の調査への回避姿勢は、それ(詐欺罪立件)から逃げるためとすれば整合的である。②③④については若山解析こそが決定的証拠となりえる。
“撤回理由書、共著者の合意なく書き換え 細胞の由来説明を大幅変更、水掛け論に”.
この昨日の報道は、この書き換えの行為者のせっかくの努力にもかかわらず、かえって「②③④について若山解析が決定的証拠となる」ことを示している。それを否定しないとまずいという意図が見えてしまった。この撤回理由書書き換えの行為者こそが真犯人であるか、または、真犯人をかくまう共犯者であるとするとこの行為は整合的である。ただちにそれを捜査すべきである。
(追記、7月25日)
研究自体が虚構であったのではないかという疑念を禁じ得ない段階に達しています(日本学術会議幹事会声明「STAP 細胞事案に関する理化学研究所への要望と日本学術会議の見解について」、2014 年7 月25 日)。
何度も書いたことだが、非常に高い確率で、赤字部分の通りという推論を覆すのは困難である。僕の推論はあくまでネットで得た情報に基づく推論であるが、帰納法でも演繹法でもなく、数学的帰納法的推論である(ドミノの大きさが違う)。
すなわち、「7月9日までに得た情報が正しい」(=①)とは言っていない(言う必要もない)。「研究自体が虚構である」(=②)とも言っていない(言う必要もない)。①と仮定すれば②であると言っているのである。
②でないと主張するなら方法は2つしかない。数学は数学的に否定していただきたい。
(1)①が誤りと証明する。
それは小保方研究室の冷蔵庫の細胞を第三者機関が調査し、「STAP細胞を得たマウス」=「若山氏が小保方氏に渡したマウス」(「若山研にいたことのある種類のマウス」ではだめである)を証明すれば済む(完全ではないが)。だから理研センター長様は理研のために早く調査すべしと強く主張してきた(追記、6月26日、同6月30日参照)。
(2)僕の「ドミノ倒し」のロジック(連鎖)を否定する
是非おやりいただきたい。
「ねこだまし」が何万回行われようと、以上がなされないなら、株式市場にも関与する一大疑獄事件という疑念が払拭されることはなく、米国当局を交えて何年かけても調査が行われるべき案件と思料する。
(PS 学位取り消し問題はロジックに含まれない。早稲田大学の名誉の問題であって本件の結論に何の関係もない。STAP検証実験の有無も結果も何の関係もない。まして監視の有無など完璧に関係がない。どんな魔術を使おうが他の研究者が再現できないものは「無」である。従って、実験そのものが「ねこだまし」であるが、「監視」は実験実行を正当化する「ねこだまし」の「ねこだまし」である。実行させている者にとって実験結果などどうでもいい、しかし、「どうしてもやる必要がある」という強い動機を示唆する。その動機にこそ本件の背後にある真実があると思料する)
研究活動の不正行為への対応のガイドラインについて 研究活動の不正行為に関する特別委員会報告書
第2部 競争的資金に係る研究活動における不正行為対応ガイドライン
6 不正行為と認定された者に対する資金配分機関の措置
(3)不正行為に係る競争的資金の返還
研究費全額の返還
研究の当初から不正行為を行うことを意図していた場合など極めて悪質な場合は、3の1及び2に掲げる者に対し、これらの者に係る当該研究に対して配分された研究費の全額の返還を求める。なお、不正行為があったと認定された研究が研究計画の一部である場合、当該研究計画に対して配分された研究費の全額の返還を求めるか否かは、事案ごとに委員会が判断するものとする。
調査委の結論(1)
いずれも2本ある論文のうち主論文に記載されている。一つは細胞増殖率に関するグラフで実験を手がけた記録がなく、小保方氏が細胞の数を計測していなかった。もう一つはSTAP細胞の遺伝子データを示した図で、実験データとされる結果と一致せず作図したと判断した。
← どうして作図したのですか?(作図=故意である) ←(未だ不明)
②について
「ES細胞のコンタミ(混入)ということが起こりえない状況を確保しておりました」(小保方氏、2014年4月9日の会見)
← この発言は嘘だったのですか?
嘘でない
「知らない所で混入が起きていた」「渡したのはstap細胞だと信じていた」ということになる
← それならどうして作図したのですか? ←(未だ不明)
それとも
嘘だった
← どうして嘘をついたのですか?←(未だ不明)
調査委の結論(2)
過失か故意なのかは決定的な判断をすることは困難
(←何をもってそう結論するのか未だ不明)
税金の使途につきこれだけの不明点を残している。この調査委員会の判断で返還額が算定されるのだろうか。
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「恐怖の記憶」が遺伝する
2014 FEB 8 12:12:11 pm by 東 賢太郎
「身の危険を感じると、その「記憶」は精子を介して子孫に伝えられる――。マウスを使った実験で、個体の経験が遺伝的に後の世代に引き継がれる現象が明らかになった。米国の研究チームが科学誌ネイチャー・ニューロサイエンス電子版に発表した。」
これは驚きました。その結果もそうですが、それが証明されていなかったということにもです。実用性がなく研究されなかったのでしょうか。
「本能」と我々が呼んでいるものは遺伝しています。いや、逆ですね。遺伝する(先天的に備わった)能力や個性的行動を我々は「本能」と大雑把に呼んでしまっているのです。例えば馬の子は生れ落ちるとすぐ立ち上がって歩こうとします。猫の子は鼠を捕る練習行動をすぐ始めます。どちらも、母親が教えている光景を見た者はいないでしょう。
記憶と言うのは、その個体だけの固有のものと我々は教わってきました。しかし、「恐怖の記憶遺伝説」が出てくるとこう考えられるかもしれません。例えば猫は足が濡れるのを嫌います。それはこういう経緯で「本能化」したのではないでしょうか。
1.太古の昔に猫の先祖は水辺にいた
2.多くが水難で死んだ
3.「足が濡れた」という恐怖の記憶が生存者の精子に書かれた
4.それが遺伝した子孫は水を恐れて内陸へ移動した
5.内陸が生存に適していたのでその子孫が増えた
6.その結果、そのまた子孫たちが猫という種を形成した
7.その記憶に基づく行動が水に濡れるのを嫌う「猫の本能」になった
そうであれば次に、
精子を介して子孫に伝わるのは恐怖の記憶だけなんだろうか?
という疑問が生じます。「鼠捕りの練習」はどうでしょう?これは恐怖の記憶ではありません。むしろ「快楽の記憶」です。それが上達すれば食糧確保が楽にできるのだから生存に有利でした。1~7と同じ経過で、太古の昔にある猫がその動作練習で「鼠捕りの名人」になり、彼だけの記憶にすぎなかったものが精子を通して子孫に伝わってその子孫が繁栄したと考えていけない点があるのかどうか?
そうであるなら「恐怖の記憶遺伝」も「快楽の記憶遺伝」も精子内ではDNAの書き換えという同じ現象であり、前者は「本能」そして後者は「嗜好」と呼ばれているものの正体なのではないか、というのが僕の仮説です。つまり、
楽しみや喜びの記憶も「嗜好」となって精子を経由して遺伝するのではないか?
ということです。この真偽をどなたか科学的に証明していただけないか楽しみに待ちたいと思います。それが難しいことは直観的に理解しています。冒頭に
それが証明されていなかったということ
に驚いたと述べました。遺伝子への書き込みがあったと結論するに足る統計的に有意な結果を導くには「恐怖」という大きなショックが必要だったのでしょうから、「楽しみ」「喜び」という「小さいショック」でそれを科学的に結論付けるのはさらに困難だと推察します。しかし、人間という微細な知性が証明という方法でそれを知ろうが知るまいが、神の書いたプログラムはそうなっているに違いない。僕は固くそう信じています。
遺伝子の記憶 Ⅲ
ネコと鏡とミステリー
2014 JAN 18 18:18:59 pm by 東 賢太郎
ミステリーという小説は謎を投げかけます。①部屋で人が殺されている、しかし、②内側から鍵のかかったその部屋には誰もいない、というように。①と②は矛盾しているので読者は心理的な不快感を覚えそれを解消させたくなりますが、この衝動はアメリカの心理学者、レオン・フェスティンガー(Leon Festinger)が唱えたもので「認知的不協和の解消」と呼ばれます。イソップにちなんで「酸っぱいブドウ理論」ともいわれ、2つあって迷って買わなかった方のブドウは「あれはきっと酸っぱかったのだ」と自分を納得させる心理プロセスのことです。
大学1年目の政治学の講義でこの言葉を習い、政治学よりもそっちの方に興味を抱きました。ミステリーを読みたくなる衝動は①と②の不協和の解消衝動ですが、不協和は不快感ですから本来ストレスがあっていやなものです。そのひと時の不快感よりもその解決によるカタルシスの解消の方が快感度が高いからそういう小説が求められる。謎が大きいほど解決の快感も高いのですね。それは、本来は危険のシグナルである苦味というものがあるビールをおいしいと感じるのと同じことで、ミステリーはとても人間的な遊びに満ちていると思ったのです。
では動物はどうか?
あるとき僕の家に迷い込んできたチビという非常に賢い子ネコに3mぐらい離れたところから鏡を見せました。チビはそこに写ったネコ(自分)を発見して驚き、別のネコだと思って低い姿勢を取って相手を凝視しながら忍び足でゆっくりゆっくり鏡に近寄ってきました。いよいよ鼻先が鏡面にくっつくとクンクン匂いを嗅いで何かを悟ったように裏面に回り込み(おそらくネコがいないことを確認)、それ以来二度といかなる鏡にもまったく反応を示さなくなりました。
しかしクラシック徒然草-ねこの「ごっこ」遊び-に書きましたがネコは「草むらで音を聞いた」、しかし、「行ってみたら鳥はいなかった」という不協和を認知して楽しむことができるのです。これは我々人間が苦味というシグナルを認知して危険を察知することで本能を一度人為的に緊張させておき、しかし、危険どころかノド越しが良くて逆に爽やかじゃないかという「倍返しの解放感」を覚えるという「とりあえずビール!」の快感と同じものをネコは感じることができる証拠であると信じます。
チビは①ネコがいる、しかし、②近寄ってみるとネコはいない、という認知的不協和のようなものは持ったはずで、どうして①②が同時発生したかはともかく、「①のネコ」に反応しても得るものは何もないということを一気に学習したものと思われます。「①のネコ」とは彼女にとっては「鏡に映ったネコ」なのか「あの白いネコ」なのか「自分の姿」のどれかなのですが、鏡をいくら取りかえてみても彼女はもはや知らんぷりでした。マジックのタネを知ってしまったということです。といっても鏡の原理を知ったはずはありませんから、冒頭のミステリーの例でいうと、犯行のトリック(光の反射)という②の理由を知ったのではなく、①のほうがおかしい、つまりそこに死体はなかったのだという「解決」で納得し、不協和を解消したものと思われます。そしてそれが条件反射化して知らんぷりになってしまったということです。
なぜ「死体はない」とチビが理解してしまったか?彼女は、(A)鏡という物体を個別的ではなく集合的に認知して「あれは鏡だ」「鏡の中のネコはいない」と知ったか、それとも、(B)自分かどうかは知らないが「あの白いネコ」に近づいても存在しないことを知ったか、(C)自分の外部から見た姿を認識して「あれは自分だ」と知ったか、どれかということになります。これは証明できませんが、僕の観察ではBかCであり、Aの可能性は低いように思います。あの白いネコが自分だという認識の有無がB、Cの差ですが、人間並みの感性を発揮した彼女の場合、Cであったと思いたいですね。「ふん、馬鹿にすんじゃないわよ知ってんのよ」と僕のマジックに肘鉄を食わせるのが認知的不協和の彼女なりの解消だったのかもしれません。
ミステリーに戻りましょう。冒頭の謎を大胆に仕掛け、うまく解決した先駆者と評されるのが「オペラ座の怪人」の著者フランス人ガストン・ルルー(1868-1927)の「黄色い部屋の秘密」(1908)であります。「①はなかったのだ」というネコの解決は許されないので②を説明する必要があるというのが人間界の宿命であり、以後にそれを正当化する様々な試み(トリック創案)がなされるようになります。鍵にひもがついていたり、秘密の穴から狙撃したり、涙ぐましいものですが大体は興ざめなもので、ルルーの解決は創世記の作である割に比較的ましなほうに入ると思います。
その後、英国のG・K・チェスタトン(1874-1936)の「ブラウン神父シリーズ」(1911-35)、米国のS・S・ヴァン・ダイン(1888-1939)、ジョン・ディクスン・カー(1906-77)が印象的な作品を残しましたが、密室の概念を孤島、走行中の夜行列車、飛行機、雪に閉ざされた山荘などに広げたのが英国のアガサ・クリスティ(1890-1976)です。それぞれ「そして誰もいなくなった」(1939)、「オリエント急行殺人事件」(34)、「雲をつかむ死」(35)、「シタフォードの秘密」(31)ですね。
わが国では横溝正史(1902-81)の「本陣殺人事件」(1946)が皮切りのようです(ちょっと機械的なように思うが)。彼の作品はトリックの妙というより舞台設定と殺人の動機設定のうまさに長所があるようです。特に「動機」というのは大変重要でこれが弱いとトリックの巧拙以前になんで人殺しなんかしたわけ?と拍子抜けしてしまう。横溝の作品はグローバル比較しても大変説得力を感じます。
メカニックなトリックそのものということでいうと、大胆で独創的と感心したのが赤川次郎(1948-)の「三毛猫ホームズの推理」(78)と島田荘司(1948-)の「斜め屋敷の犯罪」(82)でありました。赤川は女子供向けのイメージが強いですが、場面展開の速い筆力とトリック創案には流行するだけのベーシックな能力を感じます。種明かしは礼儀として控えますが、両者にはある共通項がありますね。
僕が最も尊敬するエラリー・クイーン(合作者なので2人をとって1905-82)は書きませんでしたが別稿を設けます。ネコが登場したところでお後がよろしいようで。
(こちらへどうぞ)
なぜ世界中でミツバチが消えているのか?
2013 DEC 9 11:11:11 am by 東 賢太郎
F1種子とは、実をつけるがその実の中の種は撒いても実をつけないものをいう。1代限りのタネである。細かい仕組みは知らないがターミネーターという遺伝子が組み込まれていて、第2世代になると自分で発芽を抑えるようになっているらしい。これの利点は害虫がつかず、できる実がどれも同質で同じ形であり、見た目がきれいなことにある。
自然に育つ作物は大きさも味もふぞろいで虫に食われやすいそうだ。だから農家は失敗のないF1種子を買う方が安心感を得られるのだろう。しかもこの種子は遺伝子組み換えにより、ある除草剤だけは撒いても枯れないようになっている。だからこれも自社製品であるその除草剤とセットで買うことになる。それも毎年買わなくてはならない。見事な商売である。
先日、関係者が実際に自然栽培農園を千葉と埼玉で経営されている方から聞いた話によると、「自然栽培の畑」と「F1作物の畑」が並んでいると、自然の方だけカラスに食われ、F1の方は全然食べられないそうだ。つまり我々はカラスが避け、子供ができない野菜や果物を毎日食べている。一説によると日本のスーパーに並んでいる果物、野菜の90%近くはF1だそうだ。そんなものを口にして大丈夫なんだろうか?
ミツバチが世界で大量に姿を消しているというのは各所で騒がれ、本にもなって有名になっている。なぜか女王蜂はF1植物の花粉を運んできたオス蜂を避けるらしい。子供ができない。単にその結果の個体数現象なのか大量失踪なのか?F1種子と失踪と関係があるのかないのか。実証的研究が在ってよさそうなものだが、僕は見たことがない。F1種子は世界の食料不足解消のためと称して米国で大量に作られ、輸出されている。TPPでこれがどうなるか、要注目である。
脳内アルゴリズムを盗め
2013 OCT 17 13:13:55 pm by 東 賢太郎
ビッグデータについて書いた。データは個々には数値だ。何も意味しない。集合になって意味を持つ(かもしれない)。「経験」と我々が名づけているものは、個々の体験ではない。そこから拾い出した知恵のことをいう。体験のビッグデータから脳のアルゴリズムが抽出した法則が経験である。抽出は意志の力がするとは限らないし、僕の場合はそうでないことの方が圧倒的に多い。むしろ脳内現象に近い。だからアルゴリズムとあえていう。
僕は暇なとき任意のテーマでWikiサーフィンをする。あえて興味のないテーマを選ぶ。書かれていることが真実とすればだが、少し賢くなった気はする。しかしそこには書いていないことがある。経験だ。ゴッホの絵について画像でもうんちくでもいくらでも知識を得ることはできるが、本物を見た感動という経験はそこからは絶対に得られない。経験は個性ある判断の源である。Wikiを何百万も諳(そら)んじればクイズ王にはなれるだろうが、クイズ王が大発明家や大作曲家になるわけではない。
モーツァルトは異常な記憶力があった。クイズがあれば王者だったに違いない。彼の脳には聴いた音符がすべて集積したと信じるしか説明のつかない逸話がいくつもある。印刷術が未成熟で著作権もない時代、注文に応じてその断片を即時に書きとって売ることだってできた。しかし彼の書いた626の音楽はどれもそれではなく彼の音楽だ。10歳のものから36歳のものまで、そうであることが一貫している。しかもそのクオリティも、おおよそだが、一貫している。
その事実から導かれる結論はこうだ。彼の脳の音楽メモリー容量は人類史上図抜けていたが、ビルトインされたビッグデータ解析アルゴリズムは10歳のころからもっと図抜けていたということだ。後世が「天才」と呼ぶのは後者のほうだ。それをコンピューターがする時代がやがてやってくるのが次世代産業革命だと前回書いた。それが革命でないなら、革命という言葉は牛丼屋の値下げにしか使われない死語と化すだろう。将棋やチェスはプレーヤーの知恵比べではなく、プレーするコンピューターのプログラマーの知恵比べになる予兆はもう既にある。「2001年宇宙の旅」が描いた恐怖の到来が少なくとも12年は遅れたことをエンジニアの卵たちは幸いと思っているだろうか。
僕はWikiサーフィンより本屋にいるのが好きだ。行くと2-3時間は平気でいる。4-5冊は買うがその10倍は立ち読み速読もする。これが脳内のデータ集積物を一気にアップデートする簡易な方法である。図書館ではない。売れない本も置いてあるからだ。何が売れているかもデータだ。どういう装丁かもそうだ。商品製作者の思考が入っているからだ。本屋になりたいわけではない。個々には役に立たないかもしれないが、僕の脳内アルゴリズムが明日それらをどう活かすかは僕自身にもわからないからだ。
本を読むということは思考停止するに等しいとショーペンハウエルは看破した。他人に感じてもらったり考えてもらうということだから、読書はWikiと一緒で我々を賢くも経験豊かにもしない。子どもの頃、本を読まないと馬鹿になるぞと脅かされたが、たくさん読んだだけで利口になるとも限らない。読書の最大の美点は、そうではなくて、他人のすぐれたアルゴリズムを盗むことができることにあると僕は思っている。
たとえば専門家でない者にとって数学とは数学者の脳内アルゴリズムを複製するトレーニングだと思う。たかだか受験数学の話だし、文系の分際で理系の方には僭越をお許しいただきたいが、微分積分にはあれ以来二度と出会っていないのに微積で問題を解いた回路だけは頭に残っている。水が枯れた水路だ。その水路のおかげで、数学とは無縁な問題の水もそこにきれいに流れて解決できたことが僕には何度もある。読書はそれと同じで著者の思考回路のコピーを自分の脳内に複製するという意味においては非常に強力な効能がある。賢くなるとしたらそういう意味においてだ。
本を読むということが思考停止なら、ノウハウ本をショーペンハウエルは何と呼んだだろうと考えると微笑ましい。「これ1冊で・・・」「ネコでもわかる・・・」のたぐいだ。あなたの知能はネコなみですがとまず著者に指摘されて、それに金を払おうという気になる人は日本にしかいないだろう。そもそもネコでもわかるノウハウを知って何の役に立つんだろう。それが売れるならネコだって「ヒトでもできるネズミの捕り方」でも売るだろう。ネコでもだまされない本というのが彼の答えかもしれない。
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ビッグデータへの一考察
2013 OCT 17 0:00:54 am by 東 賢太郎
物事を集合的に観察することで個別事象を見ても気がつかない大きな規則性やトレンドを発見する。観察する対象は何であれ数値化して定量的に把握できるようにし、ボリューム(データ量)、速度(入出力データの速度)、バラエティ(データタイプとデータ源の範囲)を最大化することで「発見」にトライする。
素人である僕の理解はその程度だ。しかしこれは面白い。リンゴひとつから神の摂理を読み解いたニュートンとは対極だ。アームチェアにどっかり座って犯人を指摘する天才型探偵ではなく、足で歩いて泥臭く情報収集する苦労人型名探偵の登場だ。情報が多すぎて従来のデータベース管理ツールやデータ処理アプリでは処理不能なデータの集積物が「BIG」の意味するところだそうだ。
僕は株価、債券価格という非常に不可思議な行動をする数値を長年追ってきた。それを予測することに人生を賭けてきたと言っていい。それはしかし僕の脳に集積したデータベースからの予測であり、そのデータが上記の定義においてBIGであることはない。もしすべての経済関係データベースを証券市場の価格変動履歴に「タグ」づけしてそれがBIG化できれば、予測は可能になるかもしれない。それをモデル化した者はオプション価格決定モデルをつくってノーベル経済学賞を受賞したブラック博士とショールズ博士のそれと同様かそれ以上の業績ということになるかもしれない。
僕は自説があって、産業革命のデリバティブとしての発明は20世紀で出尽くしたと信じている。150年にもわたって人類の生活をグレードアップしたひとつの大きな波が終焉したということだ。それは英国に発し、米国で発展し、中国が米国化した時点で完全に終わる。しかし次の波はきっともう始まっており、それを現象面から指摘すれば、ビッグデータ解析のアルゴリズム化ということだと思っている。ここが21-22世紀の産業革命の起点となり、多様なデリバティブを生んでいくことになるだろう。
そのような話を理系の大学生である息子にした。産業革命はエンジニアが起こすものだ。法学部、経済学部なんて関係ない。パラダイム変換期なのだから既成概念などぜんぶ忘れろ。英語と同じぐらいコンピューター言語をしゃべれ。哺乳類は魚類のデリバティブで元来水中に棲むスペックで遺伝子のほとんどができている。それが陸に上がってもスペック変更できずに微修正(モデルチェンジ)で生きてきた。微修正は変革を生まない。生むのは歪みだ。人間の病気は大半それが原因だ、という本の受け売り話もした。うらやましいことに今の学生は夢のある時代に生まれている。
コンピューター言語はまったくしゃべれない僕だが、そんな話を思いつきでするわけではない。それなりに僕の脳にあるSMALLデータがそう言っている。僕がそれの専門家かどうかとは無縁である。BIGデータが自らの変革ポテンシャルをBIGデータ化することはあるだろうが、変革が起きたというデータ集積がBIG化するにはその端緒にいる僕たちは何世紀か待たなくてはならないだろう。それまではSMALLが勝つことがある。SMALLが脳内で仮説の溝を埋めながら無限に連結して、結果論的にBIGだったということになるかもしれない。アインシュタインの脳内で起きた現象はそれだったのではないかと愚考する。
検索エンジンはパワーがある。しかし人間の脳内で起きる現象をすべてネット検索するのは、たぶん不可能だろう。オンライン化していないものは検索できないからだ。誰も知らない僕の記憶などがそれだ。何世紀も待つことなくその「誰」にビッグデータ解析アルゴリズムがなれるかどうか?なったら産業革命である。
遺伝子の記憶 Ⅲ
2013 OCT 3 20:20:13 pm by 東 賢太郎
数学はこう言います。
数学なんで仕方ない、これが正しいのです。34世代前よりさかのぼるといずれ地球の質量を人間の体重が超えます。あり得ないのでどこかがおかしい。
同じ先祖を皆が数えているからです。
つまり、それを「あり得る」ためにする唯一の数学的な解は、どっかの宗教がいう「人類みな兄弟」がおおよそ正しいと認めることです。厳密に言えば、始祖となったアダム-イヴのペアが2組以上あってお互い親族でなくても成立するので、「みな」兄弟ではないかもしれないが、限りなくそれに近くないと「あり得る」ようにはなりません。この事実は次の例でもわかります。
細胞にあるミトコンドリアは女性を通じてだけ塩基配列が遺伝するのは有名です。子が男だけだと切れるが女が生まれていれば無限に先祖をたどっていける。それによると12万-20万年前にアフリカにいた女性が今いる人類の最も近い共通の祖先とされています。彼女を「ミトコンドリア・イヴ」と呼びます。それが一人しかいなかったというのは俗説で、他にもいたはずだが「たどり得るもっとも最近の共通女系祖先」ということです。これをご参照ください。
「女系を絶やさないレース」の金メダリストが今日現在は彼女だということに過ぎないので、彼女が人類の始祖であるかどうかまではわかりません。ということはあなたが女性であれば、12万年後ぐらいにはあなたがミトコンドリア・イヴさんになっている可能性もあるということです。
こういう時間軸でとらえると、塩基配列(要はDNAです)の原材料はみんなほぼ同じです。少なくとも「人間の形を作れ!」と書いてある塩基配列部分は確実に同じだから、そこからのヴァリアンスに過ぎないという見方もできるかもしれません。老舗の蕎麦屋のタレみたいなもので、同じレシピで作るスープストックがあるが毎日出し入れするので味は毎日微妙に違う。100年たつとけっこう変わっている。我々の個々人の違いはそんなものじゃないかと僕は思っています。
オックスフォード大学遺伝学研究チームによるとジンギスカンの子孫は現在男だけで1600万人いるそうです(Y染色体がマーカーなので、今度は男しかわかりません)。現在のモンゴル族の男女合わせた人口は約1250万人。日本人の多くは蒙古斑が出ますからモンゴル遺伝子が最も色濃く入った外国であり、皆さんも僕もジンギスカンの末裔であってぜんぜん不思議ではありません。ちなみに孔子の末裔は400万人ですから、ご両人の遺伝子を持った文武両道の方が皆さんの中におられても不思議ではないのです。
こう考えると人間の可能性というのは、少なくとも持って生まれた遺伝子が秘めているパワーという意味では、自分で思っているよりもとても大きいかもしれません。ですからそれを発揮できるように日々努力するのが生きるということの大切な意味だろうと僕は常々考えております。持ち腐れで終わってしまえば、それはなかったのと同じことです。
遺伝子の記憶は科学的には証明できないのかもしれませんが、五感の知るところにおいて、僕はあると信じています。科学は進化しています。ニュートンがアインシュタインがマックスウェルが、その時々の最先端理論を覆して新しい宇宙の原理を提示してきたことを僕らは知っています。今の科学が何を証明できるか、僕らに何を教えてくれるかということに、だから、僕はあまり縛られたくありません。自分の五感の声をよく聞いてそれが導いてくれる方向に逆らわずに努力をすることで、人生大きくは間違わずに来たということの方が自分には余程重たいことです。それが正しい方向だったどうか。それはこれを読むであろう僕の1000年後の子孫が判断してくれるでしょう。
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