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カテゴリー: ______気づき

男の脳と女の脳

2015 DEC 22 0:00:36 am by 東 賢太郎

男という動物には生来に分類癖があるのであって、全部の男にあるとは思わないが、女にはあまり見られないからやっぱり男の属性の一部なのではないかと考えてしまう。何かを集めてしまう癖は、収集家、コレクターなどとお品良く呼ばれることもあるが、要は収集狂、マニア、オタクに他ならない。

収集というのは、実はまず分類がないといけない。トンボの標本を作ろうというのにオニヤンマとギンヤンマのちがいを正確に把握できていないということは、全くあり得ないことなのである。どんなに小さな差異でも見のがさず、それも個体差ではなく最大公約数として種としてちがうのだということでAがBと異なるトンボだと「分類」する。収集とはその結果を、トンボの遺体を箱の中にピンで差して留める行為にすぎない。それが人間であればこのようなことになるわけだ。

ロンドンの自然史博物館(Natural History Museum)は、その収集という行為の国家的集大成である。大英博物館(The British Museum )は他国からの略奪物、戦利品の壮大な展示館だが、ここでも分類という男性的ノウハウが存分に発揮されている。漢方薬は数千年にわたる人体実験に基づいた植物の生理学的効能の分類の集大成である。すべての科学(science)が分類、収集という脳細胞の働きを起因として発展してきたといって恐らく過言ではないだろう。分類は法則や理屈、理論の母である。

だから実験結果をごまかして自分の欲しい結論にジャンプしたり、コピペで論文査定をちょろまかして結果オーライを勝ち取ろうという精神は、「分類」の精神にのっけから根本原理もろとも抵触するのであり、その抵触を厭わず気持ちが悪いとも思わないというシンプルな事実ひとつをもってしても、それが詐欺的な行為か否かを論ずる以前に、サイエンスを語ったり研究したりするには最も不適格な脳細胞の持ち主であることを証明しているという確実無比な結論に至ることになるのである。

去年こういうブログを書いた。

クラシック徒然草-どうして女性のオーディオマニアがいないのか?-

書いたことをさらに進めると、女性には何であれ真の意味における収集狂がいないのではないかと思うようになった。リカちゃん人形を千体も集めて悦に入ってる女の子というのはちょっと不気味だが、いたとしても分類の結果というよりもキレい、カワイイの集大成ではないか。LPレコードやCDを1万枚も集めるのも不気味かもしれないが、僕はその1枚1枚がどう違っているかを明瞭な言語によって説明できるのだ。つまりそれは言語なきところに存立不可能である「分類」という行為から来ているのであって、たくさんあるのを眺めて言葉もなく悦に入る行為とは一線を画している。

mandara京都の東寺に弘法大師がしつらえた立体曼荼羅というのがある。仏像がたくさんあって、その数だけ有難味が増すという単純なものではなく配置が厳密に決まっている(右)。一体一体の役割が分類されている上に、空間配置として認識させる。ただ有難や有難やと拝むだけの脳細胞とは異なるものを空海は持っていた。せっかく嵯峨天皇に取入って気に入られ京都で重職についたのに、真言密教の宇宙の真理を悟り広めるために高野山の山奥に引っ越して引退してしまう。現世欲まるだしの恥ずかしい「コピペで論文査定をちょろまかして結果オーライを勝ち取ろうという精神」とは北極と南極、いや銀河系とアンドロメダ大星雲ほどちがう精神を見るのである。

先日ベトナムはハノイで訪ねたお寺でこういうものを見た。

vietnam

これが立体曼荼羅かどうかは知らないが配置に秩序があるそうだ。空海が行ったとは思わないので分類、空間配置という空海と共通した脳を持つ人による作業の結末なのだろう。この分類、空間配置こそ、大英博物館、自然史博物館を成さしめた脳細胞の働きに他ならない。

これが男性固有の分類脳という公約数の帰結だと書いたらセクハラで訴えられるのだろうか?女性読者には何卒お許しを願いたいが、このことは大作曲家や大数学者や大天文学者や大発明家や大哲学者に女性がいない(有意に少ない)ことと関係があるのかもしれない。精密な分類が得意でないのに数学や物理には強いという状況が想定しにくいことは感覚的にも理解しやすいのではないだろうか。

たとえば作曲というのは、12音音楽のセリー(順列なる数学的秩序が支配)という可能性を切り詰めた特殊な場合でさえも、2番目の音の選択肢は11個、3番目は10個ある。すなわち音の長さを度外視しても{12×11×10×・・・×2×1}個のサンプルを作り得て、その中から{(12×11×10×・・・×2×1)-1}個を捨て去る作業である。この作業は分類以外の何ものでもない。

「美しいメロディをつくる」とは女性的なイメージを伴うし、たしかにそこに繊細な感性は必要ではあるが、それ以前に音を分類して選び取る能力、つまり数学、物理のファンダメンタルでもある能力が必要だ。J.S.バッハの作曲にそれは顕著でありベートーベンやブラームスの主題労作の過程にも現れている。楽譜とはピッチを周波数変換することで数値のみで書くこともできる。絵画や小説とは異なり、理系的な要素を多分に含む。それを書くことも解析して読み取ることも男性の脳が得意とする領域の作業だ。

こうした作業が男の専有物であるかもしれないと考えるのは、能力においてどっちがまさるという次元の話とは全く無縁である。というのは、分類癖がないほうが望ましい作業というのが存在するからである。その最たるものが育児だ。子供は分類してはいけない。何人いても等しく愛情を注ぎ、序列はなく、夜中に泣きわめこうと何しようとそのことで遠ざけられたりはしない。

これを母性本能と呼ぶのは正鵠を得ており、その大家である男はいないか有意に少ないと思われる。本能(instinct)というからには動物にもあるのであり、動物の父親は母子と行動しない場合もあるから父性本能とはきいたことがないし、あったとしても人間特有の社会性から生まれていよう。一般化はしないが僕を含む一部の男は泣き叫ぶ赤子には無力であり、泣く子と地頭には・・・という諺を生む。分類したり理屈をこねたりしない女性の脳だけが子をやさしく包み込み、安心させなだめることができる。

そして我々男どもも、女性から生まれ、泣き叫んでも温かく包み込んでもらったのである。音楽を書くのは男でも、多くの男はそれを女のために書いている。

 

(追記、13 June17)

幼児の脳に、秩序はまだない(おそらく)。男は仕事で飲んだりしてふらふらになって帰宅して、家の中が無秩序でめちゃくちゃになっているのに耐えられない。たとえそれが幼い我が子の脳から出たものであっても。

幼児期に電車のおもちゃを部屋中に広げ、敷居をまたいで線路を台所や隣の部屋まで敷きつめるのが日課であった。お袋は「足の踏み場もないわね」といいつつ一度としてそれを咎めたことはなく、夕餉のころになると、「早く片付けなさい、そろそろ帰ってくるわよ」と親父の逆鱗にふれない目くばせをしていた。

思えばこういうことで、電車を微細に分類しつつもオタクに徹することなく、国境をまたいで世界に飛び出していく脳になった。長じて親父が怒った気持ちもわかるようになったが、守ってくれ、のびのびと好きなことをさせてくれたお袋の母性にかなうものはない。その作品が自分だと強く感じるようになった。

 

(こちらへどうぞ)

「女性はソクラテスより強いかもしれない」という一考察

 

 

 

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ブログは名刺

2015 DEC 16 23:23:39 pm by 東 賢太郎

 

ビジネスという環境に身を置いていると名刺がたまる。数年でなん百枚にもなるだろう。仮に僕が楽隠居かプー太郎でもしてたら自分の名刺もいらないし、出さなければ相手もくれないからたまることはない。

何が違うんだろう?それはビジネスマン、商売人というのはお互い様でお金をもうけるという共通利益をベースに動いているからだ。僕に名刺を差し出す人は、なにか利益がありそうだからそうするのであって友達になりたいわけではない。個人というより会社に何かを期待するのだ。

いつも格好いいと思うのは仰々しい肩書のない名刺だ。「弁護士」とか「作曲家」とか「建築家」とか、職名だけのも素敵だ。俳優など有名人になればどうするんだろう。「俳優」もいらないから名前だけかな。でも高倉健が「高倉健」と書いた名刺を出す姿は想像できない。だから名刺なしがいちばん偉いのかもしれない。

最近僕はブログを名刺代わり使うことを覚えた。初対面の人に「ここにブログがあります」とSMCのアドレスをお教えする。そうすると、読んでくれる人とそうでない人があとでわかる。そうでない人というのは、すべからく僕個人でなく会社やお金だけに興味がある人だと判断している。

こっちもビジネスなので構わない。お互い様であって、そうであるなら僕の方も彼・彼女の個人には興味を持たない。ただ、相手がどうあろうと僕は自分を明明白白に晒して、こういう人間ですよ、あなたには嫌な奴かもしれませんよ、こういう妙な?主張を持ってますよ、という風なことをお示しする。

それは営業や交渉ごとでは不利だという人もいる。しかし僕は自分を隠したりお化粧したりして有利になったり好かれたりしても、やがてうまくいかなくなることをたくさん経験している。明かしてうまくいかない人とは所詮うまくいかないから何か期待して始めるだけ無駄なのだ。相手に時間の浪費をさせては悪い。

それで、読みました、はい、やめときますという人とは今のところお会いしていない。いや、もっと正確に言うと、やめようと思うほどまじめに読んだ形跡の感じられる人はほとんどいない。そんなものだ。名刺をもらって家に帰って、この人は珍しい名字だなどこの出身だろうと調べる人はあまりいない。

ところがブログの検索履歴を見ると、例えば日本シリーズで神宮球場ではヤクルトが有利だろうという噂がネットやTVで拡散したが、それは神宮のマウンドが今年から変わったせいだなどと言われる。僕はそのことを9月20日付のブログに詳しく書いたが、するとその記事の検索数が静かに増えた。オタクっぽい内容なので当初はあまり読まれなかったのに。

こういうのがとても嬉しい。想像するにヤクルトに肩入れはじめたあたりで野球好きの方のご訪問がちょっと増えたと思われる。関心を持って下さった方はバックナンバーを検索して読んでくださり、たまたま話題になっている「神宮のマウンド」の記事を見つけて下さったのではないか。お互い、名乗る必要はない。名刺交換よりずっと意味のある交流だと思う。

 

(追記、16年1月24日)

ブログをやめたらかえってアクセスが増えてます。恐縮です。野球や音楽においては僕は単なる外野席の観衆でしかありませんが仕事だと選手でいられます。仕事に専念するには断捨離が必要なのです。

 

(同、1月30日)

断捨離といえば、今のお客様はすべて起業してからのご縁の方です。サラリーマンの自分というものは、生きるために仕方なく作った虚像を含んでおり、その虚像で作った関係を無理に維持する精神的コストは高いのです。それを払うなら一から作り直した方が楽で早いでしょう。

そうだろうかと思う方も多いでしょう。ではサラリーマンしながら僕みたいにブログで自分をさらけ出せますか?まず無理です。それをしちゃあお終いよと「自画像を断捨離」したところに成り立つ地位が、宮仕え、サラリーマンというものの実体だと思います。

僕が断ったものは重いです。ところが新たなご縁が今になって開花しつつあって、去年の最後に向けて信じられない勢いで大ブレークをはじめました。すべては偶然の結果とはいえ断つということの威力を知りました。だからブログも断ったのです。

断つと失います。更地になります。だから何かを得よう、建てようと、強いエネルギーが出ます。これを僕は断食で経験しました。そして、少しだけ自信を得ました。捨てることは怖くないということにです。断捨離はもっと必要と思っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

わかる人、わからない人

2015 OCT 12 14:14:55 pm by 東 賢太郎

ある方がオフィスに来られて、この20日で起業して5年になりますねと申し上げた所、すごいことですと、ぽつりと一言をいただきました。

5年になりますとは折あらばいろいろな方に申し上げていることではありますが、彼のぽつりは胸にささりました。

あとで話してくれたことによると、彼はずっと年下ですが、勤めた会社が苦境の時期を経ていて転職されています。現在は海外の会社のパートナーの地位についている俊英なのですが、その数年間のことは思い出したくないほどのことだったようです。

自分で苦しんで初めてわかることがあります。何もない所から生んだ会社を5年間存続させた重みは、前回会ったのはまだ順調だった3年前ですから、そのころだったらわからなかったでしょうとも。

「わかる」ということばの含蓄は深いですね。わかってくれた彼を、こんどは僕の方が一言だけ聞いて「わかる」のです。わかるのは悟ることへの第一歩かもしれません。

社会というのは人と人のつながりで成り立っていますが、その真ん中に身内という小さな社会があります。家族、友達、仲間、会社、共同体などという。では社会と身内の境目はどこなのかというと、これはなかなか答えるのが難しいことでしょう。

私事ですが僕は本来あんまりしゃべるほうではありません。身内というプライベートな空間ではとくに。しかし社会では多弁にもなり、ときに勇弁でなくてはならない場面もあります。実はそういう自分はあまり好きではなく、社会生活のなかであとから方便としてついてきた技術のようなものです。

身内をおおざっぱにイメージするなら、自分と利害関係があまりないという範囲内の社会ではないでしょうか。そうだとするなら、多弁、勇弁はそれがあるから必要なのです。まったく袖も振り合わぬ人、つまり利害関係のない人に弁は無用でしょう。同様にそれのない身内にもということなのかもしれません。

しかし、僕においては理屈ではなく、わかるなら、いらない。それだけです。そして、わかる人だけが身内というなら、身内にはだからいらないわけです。どうしてか、わかりませんが、言わないでもわかるほうが信頼が強まるという僕のスタイルです。

身内は「わかる」こそが大事であります。すくなくとも僕には。余計なことは言わない、言わないからといって余計な気もお互いに使わない。だからわかるしかないのですが、わかる人を僕はわかるし、わからない人もわかる。

というと禅問答のようだと思われるかもしれません。ところが興味深いことに、その禅の本を読んでいたら

不立文字、教外別伝

とあります。経典の「文言」によるのではなく、「体験」によって釈尊の悟りの内容を自身も悟ることを目指すのが禅宗だそうです。人は心の在りようこそが大事なのであって、言葉はそれを伝える不完全な容器にすぎないと。

その教えをお借りして甚だ身勝手ではありますが、僕は相手の心の在りようを察してあげられることが不完全な言葉をいくらかけることよりも大切だと思います。釈尊の悟りにはほど遠い程度のことですが、日々の人のこころというものも言葉ではうまく伝わらないものだし、それを言わずとも察してあげられることが「おもいやり」の神髄と思うのです。

英語はまず「ハワユー」 「How are you?」  を習います。「ごきげんいかが?」と訳されてますが、ここでyouというのは「あなたの心や体の状態」ということです。「あなたは(今日現在の)あなたの心や体の状態を自分自身でどのように把握していますか?」という、実はけっこうプライベートで微妙なことをきいているのです。しかも質問だから、答える義務があります。

これは考えると妙で、日本人はそういう質問は病気の人にしかしません。そしてそれには 「I’m fine, thank you. and you?」 と答えろと習うんですが、これはますます妙である。人間だからfineでもない日もあるのです。毎日毎朝これを何万回もきかれていると時々 very bad なんてわざとぶすっとして答えたりします。

すいません、尋ねない方がよかったですねってこともあって、普通は「こんにちは」の代用品で軽いタッチで使われますが実はそうでもないことを質問しているということがお分かりいただけると思います。

西洋はそういうやり取りを言葉で毎日かわさないといけない。言葉が人間関係の潤滑油として機能する文化です。

米国でルームメイトが彼女に毎日愛してるを言ってる、あれホントなんです。僕は仮に愛してないならそれはどうしても言わなくっちゃいけないだろうなと思うんですね、それだけは言わないとわからないから。あんなにあたりまえのことを毎日言ったら言葉が軽くなります。そんなに軽いモノならいざという時に百万言ついやしたって何の重みもない、どうするんだろうと逆に心配になりました。

冒頭の後輩は、「すごいことです」のたった7文字で、僕が5年間にいかなる苦労をしてきたかということへの共感を伝えてくれました。もちろん彼は僕の苦労の細かな事例は何も知らないから一般論なのですが、「起業」「5年」「持続」という事実への体験を通した理解があったのでしょう、それが言外にじわりと伝わってきました。

体験を通じて知った者だけが発することのできる共感なので、その体験を持っている僕も、共感ができたのです。お互い様です。千文字の美辞麗句を並べてもかなわないものがある。そして、それをわかる人と、わからない人がいる。わかる人はそういう者同士で身内になれるし、だんだん「わかる人だけの集団」と「わからない人だけの集団」が分かれていきます。

昨今、シャープとか東芝がおかしくなって、だから身内だけの経営はいかん、社外取締役制度を強化しろという声が強まりました。「わからない人」をいれて「わかる人」だけの集団を監視させろということです。しかしどうもおかしい。社内警察官が目を光らせないと則を超えて危ないようなビジネスなら、やめてしまえばいいのです。

僕は事業というものは「わかる人」だけでやるのがいいと信じています。それで道を逸れるなら、それはやっている事業自体がもともと勝算がなかったり倫理的におかしいかもしれないぞと疑うべきなのであって、同族経営や仲良しクラブだったからそうなったという事例はもちろんあるにしても、それは決して事の本質ではないと思います。

異質の「わからない人」が経営の意思決定者にたくさんいれば暴走がないだろうというのはいかにも正論に聞こえますが、正しいことをやっているなら暴走は快進撃と呼ばれるのです。もともと勝算がなかったり倫理的におかしいことは絶対にやらないという仲良しクラブが悪いという理屈はないでしょう。

線路に乗っているかどうか、大事なのはそれだけです。乗っていないのにアクセルを踏むから大事故になる。それをブレーキの利き具合の問題にすり替えてはいけません。ブレーキだけなら事故は起きないが、車は前に進みません。会社は何をやっているのか意味不明になります。

僕は「わかる人」が好きなのではありません。個人的には嫌いだけど、わかる人はいます。好き嫌いとは別なことです。ただ、家庭を作ったり、仕事を成功させたり、なんであれ小さな社会をうまく進めていこうと思えばそういう人といることが円滑なのです。

さきほど「おもいやり」と書きましたが、漢字は「思い遣り」です。「遣る」とは「さしむける」、 「送り届ける」という意味ですから、これは能動的に、こちらからの働きかけとして、「思い」という心の動きをさしあげることであって、うわべのやさしい言葉をかけることや同情してあげることではありません。

これを西洋人に言葉で説明する自信はまったくありません。態度で行くしかないのです。僕が朝っぱらからハワユーにわざとしかめっ面で very bad , and you? なんて答えて相手が笑って、Oh, I’m great, I’m afraid. なんてくる、これはぱっと相手の顔を見て機嫌が良さそうな時しかできないのですが、英米人とだってこうやって「わかる人」の関係になれる。意外に万国共通のものじゃないかと思ったりもします。

 

ブレイン・ストーミングとは?

 

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織田信長の謎(5)-京都とミクロネシアをつなぐ線-

2015 OCT 12 0:00:28 am by 東 賢太郎

今回京都へ行って進歩?したのは、なんとも低レベルのことですが京風の住所の言い方である**通上ル下ル××西入ル東入ルをマスターしてタクシーで指示できるようになったこと。これが正確にわかっていなかったのは、どうせ適当だろうと思っていたせい。実はそうではなかったのですね。

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しげ森さんに「みずゑ會」なる宮川町の踊りの会にお招きに預かってとても楽しみました。常磐津「乗合船恵方万歳」、清元「吉原雀」、長唄「三重霞傀儡師」など、春の「京おどり」に比べると秋の彩りのしっとりした味わいがこれまた良かった。

 

前回も泊まったスマイルホテルというのが気に入りました。安いというのもありますが、元本能寺の目の前というのが信長ファンとしてたまらない。そういえば信長は本能寺の変で死ぬ前年に「馬ぞろえ」という観兵式・軍事パレードを大々的に2度やってますが、その隊列は「室町通り」を北上しました。

この通りに足利義満の花の御所があったのでその時代が室町時代と呼ばれるようになりました。それを踏まえたのかもしれませんが、信長は会場の京都内裏東まで民衆の群がるこの通りで騎馬行列をやって軍事力を天皇、公家、諸将に知らしめ、天下布武に手をかけた。

kyoto17どうしてもその室町通り(ホテルに近い)が見たくなって、2次会のあと夜中1時にひとりで歩きました。左の写真がそれです。歴史好きには京都は夜がいいですね。目障りな建物等が目に入らず、存分に雰囲気にひたれます。信長公記に「信長は下京本能寺を辰の刻(午前8時ごろ)に出発し、室町通りを北へ上り、一条を東へ折れて馬場に入った」とある。この時も彼は本能寺に泊まっていたんです。天皇も見物した数百人の行進を目撃した太田牛一の筆はこの描写に異例の8ページも割いていて興奮気味であることからも、この道が凄いことになっていたのが偲ばれます。

信長は記録にあるだけで本能寺に4回泊まっており住職の日承上人とつながっていました。本能寺は早くから種子島や、大阪の堺で布教活動をおこなっていたので種子島にたくさんの信者がおり、鉄砲と火薬の入手が容易になったといわれます。かように彼の眼は常に海の外へ向いています。京の馬ぞろえの直前に安土でもそれをしていますが、太田牛一の描写によるとその時の彼の服装は、今風にいうなら西洋のフェルト帽に中国風の袖なし羽織に虎柄のズボンです。思いっきり海外かぶれですね。洋物の鉄砲に飛びついたのもわかります。

seminario安土城のふもとにセミナリオというイエズス会のミッションスクールがあり、宣教師たちに布教を許可していました。自身もそこへたびたび訪れて話をきき、クラシック音楽を聴いています。キリシタン大名とは違った風に西洋人に開明的だったのです。つまり教化されるわけではないが、自分の頭で咀嚼して利用できるものはする。実にプラグマティックであり、秀吉はそれを真似たが器量がなく禁止に転じ、家康はのっけから守りに入り鎖国してしまいました。

tukeこれで思い出しましたが、ミクロネシアのチューク島に行った時に土地の高校に案内されたのですが、その名も「ザビエル高校」でした(左)。イエズス会の創始者フランシスコ・ザビエルの名を冠した学校であり、彼がここに来たわけではないが会の宣教師が布教したのです。つまりセミナリオはこれと同じ趣旨でできたのであり、信長は学びたいと考えたが家康は恐れた。今の日本人の思考回路の原型は家康の江戸時代にできてますね。僕は圧倒的に信長を支持します。もし本能寺の変がなかったら?日本は明治維新を300年早く迎えられており、全く違った国になっていたと思います。

そういう視点でもう一度本能寺の近辺の地図を見ます。すると、あるではないですか!目と鼻の先に「南蛮寺」というのが。建物は跡形もないので碑をさがします。地図はおおざっぱで載ってないのでマスターした京都式住所をスマホで検索して、この通りのこの辺と当たりをつけて行ってみると、ありました。

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これは実質は教会だったようでミサまでやっていた。これが本能寺のほぼ隣にあったというのは実に意味深長ではありませんか。鉄砲と火薬でしょうね、貢がれていたのは。それこそ織田軍の武力の生命線だった。思えば英国が坂本龍馬をディーラーとして敵対する薩長に武器を売って手を組ませ、フランスがついている徳川幕府を倒した、その手法を信長に対してイエズス会は狙っていたかもしれません。倒すのは支那であり、彼らにとって支那での布教こそが最終目的だった。それが信長の唐入り構想へと進展したのが、彼は彼で天皇を体よく支那の王にして日本から追い出し、自分は日本の王となるという目論見があったからです。

そうなると俺は支那の支配人に飛ばされそうだと悟った明智光秀がクーデターを起こした。しかし唐入り構想はやはり日本の王を狙う秀吉に引き継がれ、文禄・慶長の役(朝鮮出兵)というおぞましい愚行に至ってしまった。その豊臣家を根こそぎ滅ぼした家康は前任者を全面否定し、だから朝鮮通信使による友好が始まったが、徳川を滅ぼした明治政府もやっぱり前任者を否定して日韓併合をしてしまったと同時に、天皇は支那に追い出すまでもなく殺して替え玉の明治天皇にすり替えてしまった。これが日本史の真相と思います。

織田信長は死にましたが、実は死んでも日本史を動かしていた。そのぐらい革命的な人間だったということです。安土城とセミナリオ、本能寺と南蛮寺、この2つのペアの見事にパラレルな関係に歴史を突き動かす真因が隠されていたということです。元本能寺のあたりを夜中にほっつき歩いて、鶏がらラーメンを食べながらそんなことふと思いついてしまった。本能寺跡に寄って合掌してホテルの戻ると2時でした。聞こえたのは彼の声でしょうか。

 

 

(こちらへどうぞ)

秀次事件(金剛峯寺、八幡山城、名護屋城にて)

宵越しの金をもたねぇのが江戸っ子ってもんで、、、

オローラ島での瞑想

 

 

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嬉野温泉スパイ事件の謎

2015 SEP 13 22:22:57 pm by 東 賢太郎

先週末は雨とコンサートでジョギングできませんでした。2週空いてはまずいので今日はまた二子まで10km。けっこう調子が良くてついに初めて1時間を切りました(57分)。

阿曾さんたちにそれならハーフマラソンはいけるいけるとけしかけられたのと、もう一つ佐賀の嬉野温泉へ行った時に按摩(あんま)さんに「筋肉は50才ぐらい」とおだてられたのが効いてますね、たぶん。

この嬉野(うれしの)という所は福岡空港からだと高速バス(九州号長崎行き)で諫早方面に1時間半ほどです。地図で見るほど遠い感じはしません。福岡空港発11:02に乗って筑紫平野を下り、筑紫野、基山を通って12:36に嬉野バスセンターで降ります。

「まめ多」の降旗女将にいい旅館があるよと教わっていて、昭和天皇が泊まった和多屋というのですがそれは満員でした。そこで和楽園さんという旅館に1泊しましたが良かったです。

湯質は無色透明ながらぬめりがあります。傷を負った鶴がこの温泉で治るのを見た神功皇后が「あなうれしや」といったのが名称の語源だそうだから、日本書紀の時代から知られていたということです。和銅七年(714年)に記された肥前国風土記に名前が出てくるそうです。

「シーボルトの湯」というのがあります。

 

シーボルト_川原慶賀筆フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796年 – 1866年)がここに長崎から何度か来ていた。彼はオランダ人と偽って出島に入ったがドイツ人であり、出身地はヴュルツブルグです。思えば僕はフランクフルト駐在当時、友人とよく車でヴュルツブルグの劇場にオペラを聴きに行ってました。

フランクフルトを流れるマイン川は、ワーグナーの聖地バイロイトあたりに源流を発して、長躯バンベルグ、ヴュルツブルグを流れてフランクフルト・アム・マインに来ます。そしてマインツでライン川に合流するのです。そういえばシーボルトの従兄弟の娘に当たるアガーテ・フォン・ジーボルト(1835年 – 1909年)は、あのブラームスの婚約者であったっけ!

 

どんどんパズルのピースがつながっていきます。

 

あそこから長崎に、そしてこの嬉野温泉に来ていた。彼はプロイセンのスパイだったという説もあり、幕府禁制の日本地図を持ち出そうとしたことで国外追放処分となるのです(1828年、シーボルト事件)。このとき、丸山町遊女であった瀧との間に生まれた娘(日本人女性で初の産科医となった楠本イネ)を残して去ったのはどこか「蝶々夫人」を思わせます。

イネは大村益次郎に恋した人であり、京都で襲撃された彼を看護しその最期を看取っている(司馬遼太郎「花神」)、また、吉村昭の「ふぉん・しいほるとの娘」の主人公にもなっています。彼女の美しい娘が宇宙戦艦ヤマトのスターシャのモデルらしいというのも知りませんでした。

そこで、もうひとつ、思い出した。「シーボルトの湯」の目の前の橋のたもとにあった「大村屋」という旅館の跡に、こういう来歴が書いてあって、なんとなく写真を撮っていたのです。

 

伊能忠敬!!

そうか、幕府禁制の日本地図を役人の目が光る長崎・出島で受け取るのはあまりに危険である。温泉で湯治すると偽装して、ここで入手したんじゃないか??

 

まあ大昔の犯罪だしもうどーでもいいですけどね。

このことは実はさっき気がついたんで、当日は中村兄と来ていたんですが仕事で疲れてぼーっとしていて、名物の豆腐を食べてなんにも考えてませんでした・・・。母方の出身地が諫早なもんで、どのへんかなと旅館で尋ねたら、車で30分ですよ近いですよなんてことも知った。

ぎすぎすした東京からくると、人当たりがやわらかくてどこかほっこりしてて、安らぎました。いいところでした。また行くことになると思います。

 

(追記)

嬉野で撮った一枚に故・中村兄の後姿があった。昨日のことのようだ。

 

(こちらへどうぞ)

あれからもう一年か・・・

わが温泉考 (Splendid hot springs in Japan !)

戦争の謝罪をすべし、ただし日本史を広めるべし(追記あり)

 

 

 

 

 

 

 

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ゴルフとビールと五十肩に教わる

2015 JUL 22 1:01:20 am by 東 賢太郎

ミクロネシアはユナイテッド航空でグァム経由でしか飛べません。そこでグァムで一泊の中継をすることになります。前2回もそうしましたが、今回は米国MRAと我々との橋渡しをしてくださったN先生がご一緒でした。

ついては考えたことがあります。かねてより後遺症が心配であった左肩(シャドーピッチングの無謀なやり過ぎで五十肩が悪化したもの)ですが一応腕を真上に上げても痛みはあまり感じなくなっています。ゴルフができるかどうかを確認したく、先生に無理をお願いして一緒にラウンドしてもらうことになりました。

五十肩というと経験ない方はおわかりにならないでしょうが、腕を振ると関節が脱臼しそうであり、可動域はすごく狭まってそこを超える動きをすると激痛が走るのです。高校時代に野球で痛めた肩の痛みと似ており、そのトラウマもあってゴルフはできませんでした。最後にしたのが一昨年の夏、ハワイ島での1ラウンドですから2年前です。それ以来、ゴルフクラブには触ってもいません。

さて、朝7時にヒルトンホテルを出発してレオパレスリゾートカントリークラブにてプレーという段取りでしたが、ロビーに下りてくるとメガネがないことに気づきます。あれがないと目が見えないのです。ところがどうしたことか、チューク島にいた2日前から裸眼がよく見えていて、不思議なことなのですがその日はメガネなしでもできそうだと思い至り、メガネなしで回れたのです。そのような記憶はありませんし、ミクロネシアで目が良くなったのだろうか?

n6_1

レオパレスでスタートしたのは8時半を回っていました。快晴です。ジャック・二クラウス設計のそこそこいいコースです。1番はフルスイングできるかが不安でドライバーをいきなりチョロしました。それでも肩に痛みはなく、なんとか行けるかもしれないと感じました。先生には4、5ホールでリタイアするかもしれませんと断わってありましたが、どうやらその恐れはなさそうです。

結局、最初の9ホール(ハイビスカス・コース)のスコアは57。2つのロングホールが9と11(なんせ飛ばない!)でしたが、とにかく痛みなく回れただけで大満足です。

ところが次の9ホール(オーキッド・コース)に入るところで先生がちょっと待ってとスパムとスポーツドリンクを買ってくれてそれがやけにうまかった。というのは、もう太陽は真上に登りつつあって、とてつもなく暑いのです。これね、香港のゴルフ思いだしちゃうんですよね、このぐらい暑くて湿度は90%もあって、パットの時なんかメガネに汗がたまって牛乳ビンの底みたいになって見えないんです、などと言いながら毎週末、土日とやっていたあの頃を思い出し、淡々とプレーします。

気がつくと6番をおわってまだ3オーバーでした。なんということか、ひょっとして2年ぶりの病み上がりで30台が出るかもしれない。決してやってはならないことなのですが、それを先生に口に出して言ってしまった。すると案の定、7番ロングのティーショットを左に曲げてOBです。ダボ、ボギー、ボギーでなんのことはない43でした。思えば香港ではシャングリラホテルが所有する西麗ゴルフカントリークラブでハンディはシングルの8でした。この気候が当時のスイングとリズムを呼び覚ましてくれたかもしれません。

スコアは水ものだからどうでもいいんですが、このあと、貴重な教訓を得ることとなった。それを書きます。

18ホール無事回ってランチの前に飲んだ生ビール、これがうまかったんです。人生かつてビールがこんなにうまかったことはない。暑さ、乾き、肩がもった安堵感。一気に飲み干して大声でうまい!その日本語を聞きつけてボーイさんがもう一杯もってきてくれたタイミングの良さ。

人間、飢えるってことが大事と知りました。期待値は低い方が人生は幸せかもしれません。たかがビール一杯、東京でそんなものに感動し、一生忘れないなんてことがあるでしょうか?先生は限界効用価値逓減の法則をもちだされ、なるほどと腑に落ちました。

あったねえ、6枚目のパンより5枚目がうまい。東京のは100枚目でしょうね。でも1枚目がこんなにうまいなんてことは教科書にはなかったね。僕はあのビール一杯に一万円払ってもいいぞ、なんてしょうもない話になっていきます。

旅先で何の準備もなく貸しクラブでゴルフする、2年もやってない、五十肩のリバウンドが怖い、気が狂いそうに暑い、こういう期待も何もない状況、そしてノドがカラカラで飢えた状況、これぞ人生のスパイスであって、求めてでもそういう状況を作り出した方がいいのかもしれません。

ホテルに戻って夕食はコンシェルジュのあけみさんのおすすめの中華料理店VIPに。これまた先生も僕も飢えと期待値の低さの相乗効果からか大満足で、あけみさんの評価は急上昇しました。うまいうまいとほめたからか、女将が帰りついでに車でヒルトンまで送ってくれました。

バーで先生と反省会を開きます。2年前に鳥取で対戦して僕が負けたのですが、今日は僭越ながらもタテ・ヨコ握って僅差で勝たせていただき、スイング等につき幾つか指摘もさせていただきました。先生ね、ラフ入ってねティーグラウンドの景色で覚えてないでしょ、それからあのショートで9番持って軽く振るって言ってたね、それどっちもダメですね、青いですね、シングルの人でそんな人は絶対いないんです、みたいなことを。

翌朝です。東さんのバック9を見て納得したんで、夜のあれ全部ノートに書きましたとのこと。これはまずい、酔った勢いで余計なことを教えてしまった。次回はやられそうです。なんせ280ヤードも飛ぶ人だし一回りも若いしこっちは200ちょいだし。でもその研究熱心な姿勢は好きですね。学ぶ人は何事も伸びるし、負けても悔いなしです。でもスコアはともかく僕は賭けは強いからね、いざというホールは今日みたいにまず負けないから大丈夫でしょう。

帰りの機内で、東さん最近欲が減ってきてますねと。彼はいろんな局面で見てくれていて、そういえばあるディールで海外で大勝負の会議は同席してくれてました。僕のああいう場面を目撃した人はあまりいません。そりゃ、ああいうことはもうないですよ、もういらないから、と言いつつも、たしかにそうだそれじゃいかんと思いました。ゴルフも自転車みたいなもんで体が覚えてますが、ディール、交渉もまあそうでモチベーションさえ出ればまだまだできます。

モチベーション、やっぱりそれですね、先生もそっち派だけど僕なんか完璧に燃えるものを求めてやってます。もう金じゃなくってね。仕事も人もね、燃えさせてくれるものが欲しいんです、老若男女誰でも。欲があるとしたらそれにですよ。もう行きたい国も食べてみたいものもやってみたいこともない。好きなミステリーなんか全部読んじゃって。ある意味、若い時に恵まれすぎてたんですが限界効用価値がもうかなり薄いのね。

しかし、そういいながら、ふと思ったのです。なんでそんな僕が一杯のビールに感動するんだろう?五十肩で特にもうやりたくもないゴルフをやってみようと思ったんだろう?

 

(こちらへどうぞ)

東京ビッグサイトにて

 

 

 

 

 

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朝きこえてる音楽の謎

2015 JUL 3 11:11:42 am by 東 賢太郎

きょう目覚めると、頭の中で鳴っている音楽があります。

歯を磨いていて、意識が何となく「そこ」へ行ってあれっと思う。音楽の夢とでもいいましょうか、たまにあります。好きな方はそんなご経験があるのではないでしょうか。

さて、きょうのは

ファ#ソミーレ、ミファレード、ドミラーソファ・・・

です。曲名がすぐ出てこない。これなんだっけ?

人の名前が出てこないのといっしょで気持ちが悪い。5分ぐらいあれでもないこれでもないとうんうん唸りました。わかった。

カール・マリア・フォン・ウェーバー作曲 「オベロン」序曲

である。ああ、よかった。

ところがまた唸ることになる。どうしてこれが?

だってこれ、特に好きでもないしもう10年も聞いてないぞ、たぶん。なんで今朝これが頭で鳴ってなくちゃいけないの?

そんなことわかりませんよね。偶然だろ偶然、そう自分をなだめて電車に乗ります。しかし、気持ち悪い。聞こえるからには何かの縁というかきっかけというか、因果のようなものがあるはず。

しかたなく推理します。オベロンはきいてない。それは確実。だとすると、どこかで最近に「何か似たの」を聞いたんじゃないか?それが記憶を引っ張り出したんじゃないか?

オベロンの特徴は「ソ⇒(上の)ミ」の、元気のいい6度のはねあがりでしょう。これを手がかりに、6度跳躍のある曲を最近聞かなかったか記憶をさかのぼってみます。

これを電車で40分唸ったのです。そしてついに真相にたどりつきました。

ゆーけゆーけーそれーゆけーきょじーんぐーん

これだ。これしかありません。火曜日に東京ドームで7回裏の巨人の攻撃前に大音量で流れた応援歌、これです。 この「けーそれーゆけー」のソーミミーレドーラー、このソ⇒ミの6度跳躍!これはたしかに耳に残ってました。だからこれがオベロン序曲のファ#ソミーレ・・・をひきずりだした。納得です。お聞きください。

そしてこっちが「オベロン」序曲。これの8分38秒からの所のヴァイオリンのメロディーがそれです。6度上に飛びあがって、やっぱりミ、レ、ラと降りてきます。このミとラが両曲で共鳴します。

嘘みたいに思われるでしょう。僕も思います。でも、今朝、オベロンが頭の中で自動プレイバックされていた、小説より奇なる事実に自分で驚いています。

二つの曲が「似ている」と思ったことはありません。そもそも巨人軍の歌は知らなかったし、和音がちがうし、「6度跳躍」は後から発見したのです。すべては認識下ではなく、無意識下で起きた「事件」です。

でもそれならなぜ巨人軍のほうがプレイバックされなかったのか?なぜ朝の音楽が毎日は鳴っていないのか?

また唸ることになりそうだ。

結論

人間の脳は不思議です。

 

脳は寝ない

 

 

 

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断食は万能薬かもしれない

2015 JUN 4 0:00:30 am by 東 賢太郎

noi31断食にトライして今日で1か月になります。ほんとうに食べなかったのは始めの5日間で、その後は炭水化物とアルコールぬきで一日一食ペース。毎週末10km走っております。79kgあったのが今日は73.5kgで、まあまあの成果です。別にげっそりしたわけでもなく体はいたって元気で、今年中に70kgを切るのが目標でしたが意外に早く達成(?)かもしれません。我が家のプリンセス・ノイ(写真)が体重4.5kgとずっしり感いっぱいになってますが、彼女分の脂肪が腹や内臓についていたと思うとぞっとします。

これをやりながら、いくつか学びがありました。まず、あんまり食べる必要がないなという実感があることです。一日三食と思ってましたが一食で足りるという感じになってきます。飢餓感が意外にないからです。ここが最初は心配でしたし個人差があると思いますが、僕は子供のころ小食だったせいか平気でした。

このモードに入ると、体の中が何か変わった感じがします。

こうなったうえで、今日は肉が食べたいと思ったらお昼にしっかり食べる。飽食モードは脱してるので、体が欲しいものは本当に必要だと信用するということです。これで栄養失調にならないかは実験中ですが、いまのところOKそうです(これは万事独学型の僕の体感で、一般には専門家と相談された方がよろしいのでしょうが)。

次に、食べる、飲む以外の欲も断てるのではないか(まだトライしてないが)というそこはかとない自信が出てきています。飲食で「いらん欲」が79kgの肥満ボディをつくっていたように、気持ちの上でも「いらん欲」が悪さをしているかもしれません。たとえば物欲です。あれが欲しいこれが欲しい。でも持ってみるといらなかったりする。それに日々余計なお金と時間と労力を空費しているかもしれません。

若い時の物欲というのは夢やエネルギーをくれますから、あったほうがいいでしょう。しかし還暦の身空でそれはもう見苦しい。カネ、権力、地位、名声、不動産そういうものです。仮にそれを得たとしても、そのために苦労して早死にしたら味わう時間はありません。二子玉川まで川原を10km走って、ああ心臓が動いてるぞ良かったなあと感じる、その良かった~のほうが大事に思えます。

・・・・

さて、次でありますが、ここで本稿は一時ストップです。少しずつ書き溜めしていた下書きではここに次の青字のパラグラフが来る予定でしたが、ある事情によりこれは修正を余儀なくされております。

「次に、過大なエネルギーを要することはしなくなります。これがいい。怒らなくなるんですね。仕事でもスポーツでもよく怒って疲れてました。もう20年前の話ですが、会社でソフトボールのチームを作って監督をやっていたんですが、リーグ戦の試合になって、あるプレーにがまんならずマウンドまで行って大声で選手たちを怒鳴りまくってしまいました。相手チームまで凍りついてしまい、まずいと思いましたが後の祭り。大失態でした。でもいまならベンチに呼んでこっそりと次はこうやってごらんと指導できそうです。」

はい、その事情とは、昨日今日の広島カープ対日本ハムの無様な試合をTV観戦し、ヘボ采配にひとりでめちゃくちゃ怒ってしまったことです。20年前にグラウンドで怒鳴りまくったぐらい。はい、まだまだ断食が足りておりませんようで・・・・

でも緒方監督には怒鳴りまくるぐらい思いっきりやって、勝つ気を見せてやって欲しいもんです。いいわけですが、そのソフトの試合は負けましたが終わってチームでヤケ酒飲みに行って「みんな悪いな」って謝ったら、逆に一番怒られたやつが「東さん、遊びじゃないんですね、ほんとに勝ちたいんですね」って言ってくれて、そこからチームがちょっと強くなったんですよ。

 

閑話休題(以下、本稿の続きです)・・・・

 

一番恐れていたのが精神的に「ガス欠」になって仕事の気力が萎えることです。しかし杞憂でした。仕事も力を入れないドライバーショットの方が飛ぶ、そんな感じです。事業というのは利益を求める「物欲」がベースにありますが、いまは会社の存続のため、ひいては自分以外の人の幸福のためという気持ちです。もちろん家族と社員を食べさせていく自信はある。でも食べるだけでなく、会社が健康に育つために努力する、そういう目線になっています。

それで飛距離が出ているのか、このひと月は大きな案件が2つ3つ出てきて、それもこちらから求めていったというよりチャンスが自然と廻ってきた感じです。頂き物のつもりですからかえって大事にしなきゃと思う、不思議なものです。ほんとうにうまく運べば会社が一皮むけて脱皮できるかもしれず夢がありますが、これもさっきの「怒り」といっしょで疲れるほど期待はしたくない。まあだめならだめでいいやと思ってます。こんなこと、断食前はなかったですね。

この「求めない」というのは新境地です。他人ではなく自分に求め続けてここまで来ましたから。でも求めさせているのは自分というより「我欲」なんです。欲が人格に作用してしまう。だから金や権力を持つと人は変わると言います。欲が倍加するからです。持てば持つほど等比級数になって、結局その人を支配してしまうエイリアンです。一生使えない資産を持っていても、それを稼ぐために費やした時間と労力は戻ってきません。

「足るを知る」といいます。まだ知ったとはお世辞にもいえませんし入門できたかぐらいですが、心も体も何となく何かに踊らされてブロイラー状態になっていたことだけは知りました。そんなことで早死にする人がいるかもしれないとも思いました。親にいただいた人生ですからmake the best useということです。やってみよう(簡単です)と思われる方に、僕が一応参考に読んだ本を書いておきます。

「3日食べなきゃ、7割治る!」(船瀬 俊介・著、三五館

2週間で効果がでる! <白澤式>ケトン食事法」(白澤卓二・著、かんき出版)

「糖化」を防げば、あなたは一生老化しない(久保明・著、永岡書店)

 

 

 

 

 

 

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脳は寝ない

2015 FEB 26 0:00:14 am by 東 賢太郎

NY在住のメンバー是枝理絵さんが来日されていてお会いしました。NYでお元気にご活躍のこと、とてもうれしく思いました。久しぶりにいろんなお話ができて楽しかったです。そこでたまたま受験勉強の話が出ました。

僕はそのころ毎日数学の問題をひとつ解いて寝るのが習慣でした。それも難問集や通信添削の手ごわいやつで、自分に課した制限時間は1時間。たいていは解けずに時間切れで寝ることになります。

ここまではいい。ここからが信じてもらえませんでした。

朝起きて、もう一度考えると、それがすっと解けることがあるんです。えーっ、うそでしょ?いえ、本当なんですよ。ただし、「解けていた」わけではなく、もう一回考えると、解けるんです。それも何回もあります。

それ以来僕は「脳は寝ない」と信じることになります。寝ているというのは意識の部分がオフになって飛んでるだけで、回路は作動しているんだと固く信じてます。いまでも、ビジネスのアイデアは目覚めてから30分以内に考えるようにしてます。そこが勝負タイムです。

5W1Hといいますが、僕は1Wだけの子でした。Why です。それ以外興味なし。その答えが見つからないと寝られない。だから星のことを考えていつも睡眠不足になってました。その癖があったので、寝る前1問は「寝られないかも」という恐怖がはじめはあって、1時間で解かなくちゃという絶好の訓練になったわけです。

ところが、時間切れで寝ても頭が勝手に考えてくれて、結局は解けて同じトレーニング効果がある、こりゃ楽でいいやということに気がついてしまった。寝ながら脳の筋トレです。そこから安心してよく眠れるようになってしまいましたが。

むかし睡眠学習というのが確かありました。寝ている間にテープで流して単語や年号などを記憶する。しかし「記憶」については僕は懐疑的で効果があるのは「回路」を使う作業です。だから英単語を覚えたりではなく、リスニングに耳を慣らして意味を理解するほうには使えるかもしれません。お試しになる価値はあるように思います。眠れないなら寝る前1時間きくというのはどうでしょう。

たとえば、これも昔、下宿でカセットをループで流しっぱなしで寝てしまって、そうしたら何回も無意識にきいた知らなかった交響曲をすぐ覚えたというのもあります。音楽も時間と共に進むので個々の音の記憶でなく回路なんだろうと思います。覚えたい難しい曲を1時間聞いてから寝る。いいと思いますよ。

最近は「寝る前ブログ書き」になっていて、これもなんかしらの解けない問題を残して寝ることになってます。ずっと日記を書いてきたので、それがブログになっただけですが。これがまた、その日に考えたり発見したことを文章にするので頭が整理できます。そこで睡眠となると回路の中でそれが朝には消化吸収されている感じです。

僕は見聞きしたこととか、今日はどうしたとかの事実を書くことはあまりないのは、そういうことにすると毎日書くほどのコンテンツはないからです。だから、考えたこと、つまり「回路」の言っていることをそのまま書き写しています。回路は毎日間断なくしゃべるので、毎日苦もなくブログが書けます。これは長年の習慣からそうなったと思います。

60歳になりましたが、ひょっとして脳はまだまだ進化するかもと思ってます。これは誰でもありえること。そう考えた方が夢があって楽しくありませんか?ただし、好きなことは早く覚えられるように脳は勝手にプライオリティーをつけますから、「脳は眠らない」とか「死ぬまで進化する」とか、本気で信じないと効果は薄いでしょう。信じる者は救われる、そういうことだと思っています。

 

(こちらへどうぞ)

記憶法と性格の関係

脳は疲れない

 

朝きこえてる音楽の謎

 

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日本の情報戦略は脆弱である

2015 FEB 10 2:02:32 am by 東 賢太郎

先日TV で本田圭佑がサッカースクールの少年たちにノートを渡して「将来何なりたいか書きなさい」といい、「次にそれになるために今の自分は何が足りないか書きなさい」と指導していた。彼自身は「サッカー選手になる、イタリアでプレーする」と書いてその通りになっている。

誰でもそうできるわけではないし、僕も「野球選手・天文学者」だったが今や見る影もない。しかし、それでも思う。目標はあったほうがいい。達成できればそれにこしたことはないが、失敗してもいい。なぜなら「悔しい」という気持ちが残る。いまだにメジャー大会日本人男子最高位である全米オープン2位に輝いたゴルファー青木功がこう言っている。「人は悔しくて成長する」。

いま、閣僚や議員にそのノートを渡して、将来の日本国について同じ質問をしたら何を書くのかなと思って聞いていた。長期目標がないのは致命的だ、なぜなら用意周到な準備ができないからだ。米中とも国家ビジョンを持ってそれをやっている。中国はニカラグアに運河を掘っている。パナマ運河の北だ。米国と戦争になったら大西洋に艦隊を廻せるからだろう。

中国はミクロネシア連邦に対して国会議事堂の建設費を寄付した上で、その真正面に立派な大使館を建てている。かたや日本国大使館は民間の建物の間借りで、大使も常駐せず巡回大使だ。国家予算は約90億円でうち半分ほど米国が補助しているが米国は海軍の前線基地はグアムでありミクロネシアに大枚をつぎ込むインセンティブはもうない。一方、中国はアジア太平洋海域支配を拡大する「用意周到」な準備が着々と進んでいるのである。

日本もご縁が深いミクロネシアには数億円のODAを行って前田道路や三井物産が道路や発電所を作ったりしているが、ベトナムでもきいた話だがで現地の許認可等でODAで感謝されて日本企業への認可が速かったり有利になったという話は聞かない。それを韓国企業から「おかしいですよね」と同情される始末である。昨年、ミクロネシアが日本のカツオ漁船を領海侵犯で拿捕した。驚いたのは罰金が法外な3億8千万円だったことだ。僕は一昨年同国に行って外務大臣まで会っているが、あの雰囲気からは腑に落ちないニュースだ。

かたやこっちはお寒い限りで、民主党政権時代の3人の首相にも議員にも、お世辞にも国家という意識が感じられなかった。反日の国家公安委員長を出すなど、昭和20年に日本は一度滅んでもこんないい生活ができているんだからまた滅んでも大したことじゃないだろうとでもいいたげな印象だった。いずれ米国はミクロネシアはおろか日本からも第七艦隊を引き上げるだろう。イスラム国のようなのが出てくる一方で直近の60年間だけでも180以上の国が地球上から消えているそうだ(「消滅した国々」吉田一郎著)。

僕が危惧するのは軍事よりも情報だ。日本の官庁、銀行のIT、英語リテラシーは低い。起業して投資助言代理業の供託金500万円を振りこもうとしたら「現金を持ってこい」だった。札束勘定機でぱたぱた数える窓口はそれが役所の威厳だとでもいうのか古色蒼然、50年前の郵便局を思い出した。前職(東京)で米国人を20人採用してメガバンクに口座を作ってこいと言ったら、大手町の本店にいるが窓口で英語が通じず説明書も契約書も日本語しかない、中国でもそんなことはなかったぞと苦情の電話が来た。

日本政府はサイバーセキュリティーセンターを作ったそうだが人員は百人ぐらい、自衛隊のサイバー防衛隊も百人ぐらい。中国の情報戦要員は上海だけで数万人、米国は情報機関と軍に全部で百万人だ。これが何を意味してるか?米中は情報を取りに行っているが日本は守りだけなのだ。徳川幕府と変わらず鎖国だけしようという人数である。取りに行く気がないのは攻める気も情報戦略もないからで、それでどうやってサイバー戦争に勝てるというのだろう。

金融の仕事にいると痛感するが、商品がお金である金融ビジネスの競争力は情報力しかない。そこがモノを扱う商社やメーカーと違う。情報力は英語力でもあり、日本の金融機関が世界で勝てないのはその両方が弱いせいなのだ。えっ、MBAも多いしそんなことないでしょと思われるかもしれないが、メガバンクや大手証券の社員で英語で商売できる人は1割もいない。僕のいたところでせいぜい5%であり、それでも日本企業としてはハイレベルでならしている。

だから英語の生情報を取る能力は低く、日本で働いている大手証券の社員で、いまFEDとECBで何が起きているか、つまり世界の金融総本山が何をしそうか推測してみろといわれて、英語世界の情報の8割以上を即座に答えられるのは1000人に数人しかいないだろう。テレビに出ている専門家や政府のアドバイザーもそれには入らないはずだ。なぜならどんなに能力があっても情報収集は一人では無理だ。だから大手証券はシンクタンクでそれを集団でやっている。

しかしシンクタンク、何々総研といっても他人(顧客、投資家)のための情報収集しかしない。はずれても御免ですむ。そんなものに政府が乗るわけにはいかない。だから米国にはinformation(情報)とintelligence(諜報)という別な言葉がある。「CIAのIはinformationのIだよ」といわれれて「嘘でしょ」と見ぬける日本人は、これも1000人に数人しかいないだろう。 情報と諜報の区別を知らない日本人

サイバー防衛隊に「ITの専門家」を百人もおけば事足りると軍である自衛隊が考えているなら太平洋戦争時分と大して変わっていない。まして我が日本国は国家中枢へ行けば行くほど英語がダメでITに弱いときている。つまり、軍事戦略のようなintelligence(諜報)を作りだすベースとなる「ITによる英語情報取得」に多くの専門家を擁しないといけない。それを入れて日本は百人、英語を母国語とする米国の情報戦要員が百万人という数の意味がそれでお分かりいただけるだろうか。だから「中国の数万人」というのは、サイバーのみならず国防上も震撼すべきことなのである。

従軍慰安婦問題で明確な反対情報を世界に発信し遅れるなど中韓に後手後手なのは、戦時ですら精神論にたより情報収集にあまり重きをおいてこなかったツケだ。自分で集めない物は価値もよくわからない。相手は徹底した合理主義による用意周到な情報発信をしている。例えば昨年11月の安倍・習近平会談で中国は尖閣などについて自国に都合のいい内容を英語で約束より早めに発表し、間違った情報が世界に発信されてしまった。

間違ったinformationでも堂々と発信する。間違っているからかえってinformationとして反論しにくいのを計算したintelligenceであって、それをまったく無視するのが日本流のintelligenceなのだが、それがワークした時代は終わった。相手はそれがネット社会では不利に働くことまで見越している。これにヘイトスピーチで立ち向かうのは相手の思うつぼだ。それが今度は「碁盤をひっくり返す蛮行」として世界にネット放映されてしまい、イメージを落す。囲碁には囲碁で、碁盤の上でやりかえすしかない。

 

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