Sonar Members Club No.1

カテゴリー: 政治に思うこと

なぜ僕は男尊女卑になったのか?

2023 JUL 3 1:01:45 am by 東 賢太郎

フェミニズムはもう古くジェンダーという言葉が世の中を席巻する時代にこういうタイトルのブログを書くのは少々勇気がいる。だが事実なのだ。僕は男尊女卑的な家で育ち、父はそれであり、母も「男らしく」に厳格だったが、親の責任にしようという気はない。小学校時代は仕方ない。それでつるむ仲間が何人もいて珍しくもなかったし、女子の言うことは歯牙にもかけず、遊びは男子だけだった。ただ、多少の分別はつく高校入学のクラブ選択においても、女子と一緒にやるスポーツとか文化部というものは1ミクロンも視野になかった。正直に書くが、完全に「女のやるもの」と見下していたからだ。いま僕は父親として娘の社会での活躍を願う身になっている。気持ちだけではあるが女性活躍社会のサポーターを自認もしている。なぜ自分が物心ついてまでああだったか、冷静な目で見つめ直してみるのは悪くないだろう。

父の精神的支柱は天下国家、質実剛健であった。戦争末期に陸軍に徴兵され負傷して戻り大学は夜学。向学心旺盛な人だったから時代の犠牲者だ。それでいて左翼、反戦に靡かず天皇への信奉も揺いでいなかった。半面、欧米文化に開明的だったのは戦争に巻きまれた憤りの反動だったのだろうか米国を憎む言動はあまり記憶にない。野球まで英語禁止の時代であり、終戦後とはいえどう英語を修得したかは知らないが、第二の人生で英国とインドネシアの金融機関の管理職になり、97才で他界するまで英語を勉強していた。母も後にひとりで僕の赴任地の外国にやってくる程度の英語を嗜んでおり、その価値観では一致した夫婦だった。しかし父が長男である僕の教育において母に譲ることはなかった。開明的ではあるが、女は黙ってろだ。

母は母で夫唱婦随の女でなく、九州女である祖母の影響だろう、息子が軽薄で女々しく育つ風なあらゆることには父が何といおうと徹底抗戦を辞さなかった。母が怒鳴ったり怒りをあらわにしたのを見たことがない。夜になって父が部屋にひきあげると、僕を叱るのではなく、なぜそれに反対かを1時間でも2時間でも懇懇(こんこん)と言葉で諭した(先祖が誰かを聞いたのはこの中だ)。高校から大学にかけての説得は心に響き、いまもその声と共に記憶に残る。結果として、僕の人間形成のハード面は父に、ソフト面は母に由来するといって過言でないほどになるのだから、我が家においては男尊女卑がもはや成り立たなくなっていたのである。

祖父はどうだったか。記憶は朧げだが、寡黙で頑固一徹。気丈、気骨の明治人という印象が強い。和服で冬はいつも火鉢にあたり、江戸っ子言葉で短髪でさっぱりこぎれいな風貌で、英語どころかカタカナ言葉も出てくるイメージがない。僕は生まれてから2才まで祖父の家の離れに住んでいたが、引っ越してからもよく連れられて遊びに行き、将棋を教わったり手相を見てもらったり、近くの板橋駅まで歩いて肩車で蒸気機関車を見せてもらったりもした。食後に必ず消化薬のエビオスを1錠くれる。この味が無性に好きになり、誰もいないときビンをあけて盗み食いしていた。浅田飴は止まらなくなり、大人が外出中にひと缶ぜんぶ食ったのを見つかった。3才ぐらいだったと思う。死んだらどうしようと家中の大騒ぎになり大目玉を食らったが、祖父だけは僕の顔をじっと見て大丈夫だよと泰然自若、叱りも何もしなかった。祖父が大好きだった。

小学校3年のことだ。なぜか精霊流しの夢を見た。真っ暗な川面にたくさんの灯篭(とうろう)が静かに浮かんでいて、薄明るい蝋燭(ろうそく)が黄色く照らしている。すると、灯篭のひとつにいつもの和服を着た祖父が立ったまま乗っており、ゆっくりと右の方向に川を進みながら天に昇っていくのがズームアップしたように見えた。こちらを見なかったが、蝋燭の光が下方から照らしている横顔がはっきり見え、今でもこうして光景をくっきりと描写できるでほどで仰天した。大変だと焦りまくり、大声でお爺ちゃん!と叫ぶと目が覚めた。祖父が胃癌で亡くなった知らせがあったのはその翌日だ。板橋の家に駆けつけると、祖母が玄関まで泣きながら出迎えて、ケンちゃん、おじいちゃんこんなになっちゃったよ、と布団に横たわる祖父の前まで手を引いていった。

祖父は神田猿楽町の風呂屋の息子だったが次男で家督を継げなかった。旧民法では「家督は嫡出長男子への単独相続」だったからだ。長男が一族の面倒を見るとはいえ恐慌が起こり農村の生計は厳しく、昭和初期の軍事クーデターの青年将校は疲弊した農家の有能な次男坊、三男坊が多い。終戦直後も東京に出稼ぎにきたのを集団就職といい、東北へ向けては専用列車が上野から出た。企業は一生面倒みるぞと彼らを呼び込み、終身雇用と呼んだ。かようにこの相続システムは家督(”イエ”)という日本社会を支えてきた伝統概念を保持はしたが、国家経済が不安定になると歪みとなって日本社会の根底を揺るがして日本人の精神構造に深く刻み込まれたのである。

人力車の製造で祖父は羽振りが良かったと聞くが、関東大震災の頃から業界ごと下火となり、僕が生まれたころは静かな余生だった。祖父が他界し、やはり次男坊である父は平等に相続する新民法で権利は得たものの、震災と戦災で動産がみな焼けてしまい、肝心の相続財産がなかった。明治政府が法で守ろうとした武家社会由来の家督(イエ)はもう無用になっていた。父は長男である伯父とうまくいかず、やがてイエを見限り、よりクニを信奉する方向に心の舵を切ったと思われる(墓所も今戸から富士霊園になった)。だからだろう、何事もクニ( “国立”) 至上主義であり、長男の僕は国立大学に進まざるを得ない空気もあった。

家督は家父長制(patriarchy)における家長権を意味し、ローマに由来する。家父長制の根源は男性優位の視点だが、全権者である家長が男である以上は仕組みとして女性の立場は劣後する。家の存続には男が長であることが有利であるという実利的な側面もあり女性を卑しめるわけでは必ずしもないとされるが、そんな理屈を現場の男がみな理解したはずはなく現実は男尊女卑と表裏一体であったろう。西洋ではフランス革命の影響から20世紀初頭に各国で女権拡張の方向で民法が改正された。一方日本はちょうどその頃(1890年)旧民法が公布された。既述の通り、長男だけが全財産を相続し、次男坊以下、非嫡出子、女子の相続はゼロである。次男坊以下と非嫡出子は男子であり(つまり男子の中での差別であり)、女子はのっけから対象外である。このため旧民法が1947年に廃止されるまで女権拡張がなかった日本は西洋に約50年の遅れが出たのだ。

僕はその50年を生きた二人の男、すなわち祖父と父の生き様をふりかえることでタイムラグの中身を省察してみたい気持ちに駆られて本稿を書いている。それが日本の後進性によるか否かという吟味だ。結論は否である。旧民法(1890年公布、1893年施行予定)に際しては「民法典論争」なる激論が交わされたことは法学を学んだ者には周知だが、伝統的な風習・道徳を破壊する危険があるとの反対論が東京大学法学士会によってなされ、1892年には旧民法の施行延期を求める法案が議会で可決され旧民法は流産となる(1898年に施行)。この過程は専門的で複雑だが、260年鎖国した国が異文化、異言語の法典を消化吸収して独自のものにするエキサイティングなドラマでもある。

しかし、日本はその学習に50年を要したのでなく、独仏英法を完全に咀嚼した上で国情、文化を勘案し、そこから50年「国益のために家父長制を意図的に保持した」のであって、このインテリジェンスを後進的と呼ぶ者はインテリジェンスのない者だけである。開国からたった20余年の時点でその域に達した先達の驚異的学習能力が江戸末期の諸藩に用意されていた事実に感嘆するのみである。事の軽重は異なれど、朝野をあげて数年もの激論となった民法典論争に比ぶるに、同様に伝統的な風習・道徳を破壊する危険があるとの反対論が出たLGBT法案の安直、浅薄、おバカな成立を見るにつけ、総理、閣僚、現職国会議員の驚異的学習能力のなさにもプラス・マイナスを逆にして同程度の感嘆を覚えざるを得ない。

米国人が日本を後進的と指摘するなど笑止であり馬鹿も休み休み言えで、何様かと不愉快千万なうえにその不勉強も大層なものだと驚く。日本には、米国の10倍、縄文文化から数えれば60倍もの年月を経て醸成された伝統的で抜き差しならぬ文化・風習・道徳が存在するのである。明治人はそのうち廃すべきものは廃したが、守るべきものは守った。そのひとつが「イエ」を承継する江戸時代の家督相続制度だが、それを旧民法で存続させ、王政復古でその上に天皇を被せて「クニ」(大日本帝国)なる新しい上位概念を創造し、それまでの上位概念であった藩を消した(廃藩置県)。既述の通り、家督を継げない次男坊、三男坊は藩、イエの支配構造から解かれてクニ(神道)を信奉し、富国強兵策の人材供給に貢献し、父はそのひとりだった。

ここで、本題の「男尊女卑」の観点から注目すべきは、なぜ明治政府が「嫡出長男子への単独相続」を温存したかだ。先達は西洋では女権拡大の方向に民法改正が行われていることは知っていたのにである。

私見では理由は以下の3点である。

➀皇位の男系男子継承とパラレルにする(国民の家督相続制度と国家最上位の家督継承との平仄を合わせた)

②新政府の支配構造を伝統に合わせる(下部構造であるイエと、幕府の下部構造であった藩主ー男子のみーとの平仄を合わせた)

③富国強兵の根幹は法体系整備、軍事力増強、官僚制確立(兵力は武家・侍、学問は藩校・寺子屋に素材があったが担い手は男子のみ)

旧民法は1947年(昭和22年)まで存続し、50年の施行のうちに日本人の精神に➀~③のベースになる「男子のみ」の思想が深く根づいていったのである。その選択の根底に「女子を差別しよう」という意図はない。すべては黒船来航に始まる欧米のむき出しの欲望(侵略・支配)に対抗するためであり、江戸末期まで武家社会のあらゆる処に通底していた「男子優先」を新政府の骨格とすることが欧米に短期間に対抗するのに必須であったということだ。英国に負けた薩長の失敗に学び武力で喧嘩せず相手の文化、装束まで策謀として同化(猿真似)して同位に立ち、相手の支配原理である法律は法律をもって制する姿勢を武器とし、富国強兵への本音の偽装と時間稼ぎをしたのである。それゆえに日本は植民地化を免れたのみならず、白人国である露西亜を武力で倒すだけの強国となれた。戦争がいいというのではない。「国を守る」とは、そういうことなのだ。

僕は司馬遼太郎の「坂の上の雲」を、かような美点凝視こそ昭和の厄災を招いた愚策の源泉として評価していなかった。本稿をものするに「民法典論争」を詳しく調べ、再考し、明治の先達の努力と洞察力を前にして浅学を恥じた。大日本帝国憲法および旧民法は江戸末期のステレオタイプ(文化・風習・道徳)を国力強化のために利用、包含して制定され、明治、大正、昭和初期を通して軍事国家化が進行した。それゆえに結局は50年の末に敗戦という未曾有の厄災を招いたではないかと見ることもできる。しかし、その選択でその道を選ばなかった場合は、早々に19世紀末に日本は欧米各国に軍事力で征服され、蹂躙され、分断され、植民地となっていた可能性がある。歴史にたら・ればはない。タイムマシンで戻って選べるなら、あなたはどっちを選びますかということだ。

引き伸ばされた50年。江戸末期のステレオタイプは温存され、我が祖父も父も明治人のそれを信奉して生きた。明治政府のインテリジェンスであった男子優先はやがて男尊女卑思想になって1955年(昭和30年)に生まれた僕もそう教育され、男女平等の見地では後進国と見られて仕方ない外貌を今も呈することとなった。それを学んだうえであなたはどっちを選びますかということだ。歴史は個々人の生き様の集大成である。1億人いれば1億の「あざなえる縄」があり国家の禍福は歴史に結末として書かれた0と1の判断のようなもので決まるわけではない。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

エマニエル夫人に押し倒されたキッシー総理

2023 JUN 26 20:20:26 pm by 東 賢太郎

【マッカ将軍】

「日本の将棋はチェスとは違い、敵から奪った駒を自軍の兵として使う。これは捕虜虐待という国際法違反で野蛮なゲームだから禁止すべきである」

 

【升田幸三九段】

「チェスは捕虜を殺害している。これこそ捕虜虐待である。男女同権というが、チェスではキングがクイーンを盾にしてまで逃げようとする」

 

【エマニエル夫人】

「日本人は進化の過程にあるのよ。つまり、猿なみってことね」

 

【総理】

「へへー、おっしゃる通りの猿でございます、LGBT法案すぐやります」

 

【エマニエル夫人】

「遅いわね、早くしてよ!」

 

 

【総理】

(焦る)「選挙に落ちた議員は木から落ちた猿以下でございまして・・・へへー」

 

 

 

読売新聞によると、岸田政権の支持率が15ポイントも大暴落した。マイナンバーカードの不手際のせいと言っているが、これは真相を隠蔽する御用マスコミの手口だ。そんなものはぜんぜん違う。理由はLGBTだ。中道右派のこれへの怒りは絶対に消えないだろう。

女風呂などの問題はまた別個の話だ。怒りの震源地は内政干渉、主権侵害に他ならない。国家の体を成してない。自民党の部会か何か知らないがそんなものはどうでもいい、国会で強行採決したことは断じて許し難い。

 

LGBTに賛成しなかったのは参政党だけではないか。エマニュエルの圧力にケツまくって逃げまくりのこいつら、日本国のために働いてるとは全く思わない。

 

次の選挙は見ものだ。

 

キッシー息子くんの忘年会を叱る

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

『「NO」と言える日本』と『堕落論』に学べ

2023 JUN 13 18:18:15 pm by 東 賢太郎

「NO」と言える日本』は1989年に出た盛田昭夫と石原慎太郎の共著だ。石原の主張はこうだった(wikipedia)。

 日本の技術の優位性

世界は特に半導体の生産において日本の技術に依存するようになった。

日本はその技術の優位性を交渉の武器として使用すべきである。石原はアメリカに対する交渉手段として、ソ連と機密情報を交換するというような脅しさえも支持した。

アメリカは労働者のレベルが低いので商品の質も悪く、一方で日本の労働者の優越した教育は大きな強みである。

自己主張

日本の外交官は西洋人と取引する際有効でなく、外国人との取引に慣れている経営者も交渉に参加すべきだ。

日本は日米安全保障条約を終わらせ、自衛すべきだ。この方が安く済み、アメリカへの依存もなくなるだろう。

偏見

アメリカは、今の時代は欧米世界によって支配されており、白人世界が優れているのだと考えており、この偏見は最後には自らの首を絞めることになるだろう。

アメリカ人とキリスト教宣教師は各地の文化を消し去り、西洋の文化で取って替えようとしている。

 

何と意気軒高だったことか。1989年に日本は株式時価総額でアメリカを抜いた。半導体のシェアは50%で世界一だった。今やNOと強気に出られる優位性は大谷翔平選手の活躍を除いてなにもなく、石原が交渉の武器として使用すべきと特筆した半導体シェアは落ちに落ちてなんと6%である。彼がいま生きていてもこの本を書く元気はもうなかっただろう。「偏見」とされている2つは偏見ではない。東インド会社、アヘン戦争、黒船来航と東進した西洋の侵略に対し、日本は率先して「脱亜入欧」に驚くべき転身を遂げてアジアの先達となったが、入欧とは劣後を認めて、憧れて「相手のクラブに入る」ことであった(鹿鳴館を見よ)。しかし相手は東洋人など黒人と同じ扱いで、はるか下に見て差別していたのである。大谷翔平がいみじくも「憧れてしまったら勝てません」と喝破したとおり(これは勝った者しか言えない)、憧れてしまった日本はやがてクラブになぎ倒される運命にあった。それに学んだ中国は白人優位などのっけから認めず、人口、物量、科学技術で西洋を圧倒し、日本と違って包括的に西洋の文化に染まることはなく選択的に逆侵略を進め、白人世界の首を絞めようとしている。史上初めて有効な東洋の反撃が開始されたのである。欧州もロシアも力を認め、米国も本音は恐れている。しかしそこは大国同士であることを片時も忘れてはならない。ジョージ・オーウェルが「1984年」で予言した地球を3国(米中露だろう)が分割統治するディストピアが待ち受けている可能性が大いにある。そうなればヨーロッパと日本は消える。ゆえに、志と才能のある若者が多数現れ、多くが政治家をめざし、農村の入会(いりあい)権闘争みたいな超ローカルで些末なことに明け暮れている国会のカス議員どもを一掃し、国民を正しく教育して導き、日本国に過ちを犯させないことを願うしかない。真剣な話だが、僕は選手を引退したら大谷翔平に立候補してもらい、末は日本国総理大臣になってほしい。

偶々きのう、坂口安吾の「堕落論」「新堕落論」を読み返すことがあった。若者に告ぐ。これは必読書である。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42620_21407.html

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42619_21409.html

引用しよう、まずは安吾の農村に関する記述である。

一口に農村文化というけれども、そもそも農村に文化があるか。盆踊りだのお祭礼風俗だの、耐乏精神だの本能的な貯蓄精神はあるかも知れぬが、文化の本質は進歩ということで、農村には進歩に関する毛一筋の影だにない。あるものは排他精神と、他へ対する不信、疑ぐり深い魂だけで、損得の執拗な計算が発達しているだけである。農村は淳朴だという奇妙な言葉が無反省に使用せられてきたものだが、元来農村はその成立の始めから淳朴などという性格はなかった。
 大化改新以来、農村精神とは脱税を案出する不撓不屈の精神で、浮浪人となって脱税し、戸籍をごまかして脱税し、そして彼等農民達の小さな個々の悪戦苦闘の脱税行為が実は日本経済の結び目であり、それによって荘園が起り、荘園が栄え、荘園が衰え、貴族が亡びて武士が興った。農民達の税との戦い、その不撓不屈の脱税行為によって日本の政治が変動し、日本の歴史が移り変っている。人を見たら泥棒と思えというのが王朝の農村精神であり、事実群盗横行し、地頭はころんだときでも何か掴んで起き上るという達人であるから、他への不信、排他精神というものは農村の魂であった。彼等は常に受身である。自分の方からこうしたいとは言わず、又、言い得ない。その代り押しつけられた事柄を彼等独特のずるさによって処理しておるので、そしてその受身のずるさが、孜々として、日本の歴史を動かしてきたのであった。日本の農村は今日に於ても尚奈良朝の農村である。今日諸方の農村に於ける相似た民事裁判の例、境界のウネを五寸三寸ずつ動かして隣人を裏切り、証文なしで田を借りて返さず親友を裏切る。彼等は親友隣人を執拗に裏切りつづけているではないか。損得という利害の打算が生活の根柢で、より高い精神への渇望、自我の内省と他の発見は農村の精神に見出すことができない。他の発見のないところに真実の文化が有りうべき筈はない。自我の省察のないところに文化の有りうべき筈はない。

 

自民党の農村支持率は減ったが、日本人は都会に住んでいようとすぐれて農村メンタリティの国民であるというのが5つの外国に住んだ実感だ。それが選ぶ政治家ももちろん農村型であり、「常に受身である。自分の方からこうしたいとは言わず、又、言い得ない。その代り押しつけられた事柄を彼等独特のずるさによって処理しておるので、そしてその受身のずるさが、孜々として、日本の歴史を動かしてきた」という農村政治が動かす歴史の一こまを我々は今も日々目撃させられている。「進歩に関する毛一筋の影だにない」何々県の村落の掟などで世界の謀略に伍することなど出来るはずがないではないか。

そして、以下の天皇制への鋭い洞察は明治維新から敗戦までの実相をあばいている。安吾節が炸裂だ。

 

天皇制というものは日本歴史を貫く一つの制度ではあったけれども、天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、真に実在したためしはなかった。
 藤原氏や将軍家にとって何がために天皇制が必要であったか。何が故に彼等自身が最高の主権を握らなかったか。それは彼等が自ら主権を握るよりも、天皇制が都合がよかったからで、彼らは自分自身が天下に号令するよりも、天皇に号令させ、自分が先ずまっさきにその号令に服従してみせることによって号令が更によく行きわたることを心得ていた。その天皇の号令とは天皇自身の意志ではなく、実は彼等の号令であり、彼等は自分の欲するところを天皇の名に於て行い、自分が先ずまっさきにその号令に服してみせる、自分が天皇に服す範を人民に押しつけることによって、自分の号令を押しつけるのである。
 自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが、自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押しつけることは可能なのである。そこで彼等は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、天皇の前にぬかずき、自分がぬかずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令していた。
 それは遠い歴史の藤原氏や武家のみの物語ではないのだ。見給え。この戦争がそうではないか。実際天皇は知らないのだ。命令してはいないのだ。ただ軍人の意志である。満洲の一角で事変の火の手があがったという。華北の一角で火の手が切られたという。甚しい哉、総理大臣までその実相を告げ知らされていない。何たる軍部の専断横行であるか。しかもその軍人たるや、かくの如くに天皇をないがしろにし、根柢的に天皇を冒涜しながら、盲目的に天皇を崇拝しているのである。ナンセンス! ああナンセンス極まれり。しかもこれが日本歴史を一貫する天皇制の真実の相であり、日本史の偽らざる実体なのである。
 藤原氏の昔から、最も天皇を冒涜する者が最も天皇を崇拝していた。彼等は真に骨の髄から盲目的に崇拝し、同時に天皇をもてあそび、我が身の便利の道具とし、冒涜の限りをつくしていた。現代に至るまで、そして、現在も尚、代議士諸公は天皇の尊厳を云々し、国民は又、概ねそれを支持している。
 昨年八月十五日、天皇の名によって終戦となり、天皇によって救われたと人々は言うけれども、日本歴史の証するところを見れば、常に天皇とはかかる非常の処理に対して日本歴史のあみだした独創的な作品であり、方策であり、奥の手であり、軍部はこの奥の手を本能的に知っており、我々国民又この奥の手を本能的に待ちかまえており、かくて軍部日本人合作の大詰の一幕が八月十五日となった。 たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕の命令に服してくれという。すると国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。嘘をつけ! 嘘をつけ! 嘘をつけ!
 我等国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。竹槍をしごいて戦車に立ちむかい、土人形の如くにバタバタ死ぬのが厭でたまらなかったのではないか。戦争の終ることを最も切に欲していた。そのくせ、それが言えないのだ。そして大義名分と云い、又、天皇の命令という。忍びがたきを忍ぶという。何というカラクリだろう。惨めとも又なさけない歴史的大欺瞞ではないか。しかも我等はその欺瞞を知らぬ。天皇の停戦命令がなければ、実際戦車に体当りをし、厭々ながら勇壮に土人形となってバタバタ死んだのだ。最も天皇を冒涜する軍人が天皇を崇拝するが如くに、我々国民はさのみ天皇を崇拝しないが、天皇を利用することには狎れており、その自らの狡猾さ、大義名分というずるい看板をさとらずに、天皇の尊厳の御利益を謳歌している。何たるカラクリ、又、狡猾さであろうか。我々はこの歴史的カラクリに憑かれ、そして、人間の、人性の、正しい姿を失ったのである。
 

安倍晋三の暗殺以来、自民党閣僚、議員のほとんどが天皇の代わりにエマニュエル大使閣下を盲目的に崇拝するという独創的な作品を生み出そうとしている。天皇と違うのは、本当に命令がそこから下っていることであり、それは大使閣下がツイッターに自身で書いているから真実だ。

しかし、藤原氏の昔からの小ずるい「自分が先ずまっさきにその号令に服してみせ、自分が天皇に服す範を人民に押しつけることによって、自分の号令を押しつける」策謀がうまくいくとは思えない。なぜなら国民は天皇の言うことは敬意を持つが米国大使ごときにそんなものは欠片もないからだ。

それに敬意を持つのは自民党の政治家だけなのだ。いや、というのは正しくない、坂口安吾のいうように冒涜し馬鹿にしているかもしれないが、何も考えず丸飲みの馬鹿を演じる腹芸だけは達人級だったりする。しかし一皮むけば「集票は宗教団体様、政策はアメリカ様、中身はどうでもいい、自分と家族さえよけりゃ」だ。自民党はこれだ。安倍の死によってこれが満天下にあからさまになった。この連中の仕事は、マッカーサーが精神年齢12才と言った日本国民という得体のしれぬ群衆の「羊飼い」になることなのである。東洋人の序列はアメリカ国民の12%を占める黒人より下で、もちろん白人であるドイツ人よりはるか下である。だから原爆は日本に落としたのだ。天皇を東京裁判で処刑しなかったのは羊飼いをうまく働かせるためで、助命するから戦争放棄と安保条約を飲めとディールをしたように見せて実は両得だった。日本国民はマッカ様は陛下を救われたと深謝してファンまでできたが、そういうお人よしの農村メンタリティで国際社会でディールをすれば、かように「ケツの毛まで抜かれる」のである。

LGBT法案なんてものはそれに比べれば羽毛の如きであるが自国アメリカで大もめ、大炎上だ。これは旧約聖書に「いかん」と書いてあって死刑やイジメが多発したからの根の深いもめごとなのだ。キリストさんなんて関係ない日本で何故そんなものを法律にする必要があるのか。岸田は安吾が指摘した「(農民は)常に受身である。自分の方からこうしたいとは言わず、又、言い得ない。その代り押しつけられた事柄を彼等独特のずるさによって処理しておるので、そしてその受身のずるさが・・」という農民型を絵に描いたような人間だ。会社なら良くて総務部長程度の器量の男である。それが強行採決などという最も似つかわしくないことを勇気を奮ってなぜ決行するのか。なぜ去年7月から尻に火がついたようにエマニュエルを恐れるようになったのか。

岸田は羊飼いの頭領としてLGBT法案と防衛費2倍を羊に納得させろ!と迫られているからだ。エマニュエルは岸田のカアちゃんまで米国に単身で呼びつけさせ、極左LGBT活動家のバイデンの女房を使って脅した。やらないならG7にバイデンは行かない。これで岸田はイチコロだ。「一発で日本に法制化させたって?お前はすごいな」って民主党のホープになれるだろう。うまくすれば大統領も見えてくる。よしよし、協力してくれた議員は覚えておくぜ。すると右でも左でもオッケーの自民党の陣笠議員がへこへこお追従を始める。国民に嫌われても大使様に守ってもらえるし、大統領になれば日本の首相は彼が決めるんだ、初の女性首相もあるぜなんて鼻薬で釣られてるのもいるだろう。海上自衛隊の基地視察にハイヒールで出てきた馬鹿な女が安倍を裏切ってそれを懸命に推進してる裏ではなにかおいしいエサをちらつかされてるに違いない。

こんな者どもが国賊でなくて何であろう。もうすでに国を売っているのだからこの連中に政治をやらせておけば日本国は消える。連中の子孫は米か中の庇護でセレブ生活が約束される。僕はこういう「君側の奸」が反吐が出るほど嫌いなのだ。LGBTというと女子トイレや女湯の問題になるが、それは人口の半分である女性にとって甚大なマイナスで看過はできないが、それよりなにより、虎の威を借りて損得の執拗な計算だけに精を出す家柄と小ずるさだけで何の能力もない奴らがのうのうと税金で食って我々庶民を支配するなどという思い上がった構図が不愉快極まりない。岸田が解散総選挙をするなら、こんな法案に賛成した奴らの名簿をネットでばらまいて落選させる好機だ。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

キッシー息子くんの忘年会を叱る

2023 JUN 4 13:13:45 pm by 東 賢太郎

人間が受け取る情報の8割は目からで、写真(画像)のインパクトは大きい。キッシー息子くんの忘年会、その名と違ってこれは何年たっても国民から忘れられることはないだろう。そんな写真が流出したらヤバいぐらいの理性はあったんだろうが、それをかいくぐって出たわけだから只事とは思えない。出席者に猛烈なアホがいたか、確信犯がいたか、騙されて出しちゃったか? いずれにせよこういうワキの甘い家の人が総理やってるんだということになってしまう。世論は。

岸田総理は3世議員。息子くんは4世の予定。世間はみなその箔つけのための秘書官任命と思ってる。総理秘書官は官僚の体感だと事務次官より上らしい。それをどこ吹く風と適材適所で通してしまって適材でなかった。だから親父の自業自得になる。商社に6年いて社会経験だなどと思うまともな人はいない。しかし政界に入れば親の七光りで競争のない人生だろう。だからよほどの馬鹿でない限り誰でも適材なのである。その世間ナメ過ぎな親のエゴの犠牲になった息子くん。まだ若いのに気の毒としか申し上げようもない。だが今回はそこで終わらないだろう。この「よほどの馬鹿でない限り誰でも適材」というのが世襲議員の旨味だ。親バカの母ちゃんまで出てきて「うちの息子を」とやってる。あいつもこいつもやってる。子供はかわいい。だから議員はみんな世襲したい。歌舞伎の梨園状態だ。公職が世襲されるのは公私混同であると世論はなっていくだろう。

世襲議員が30~40%もいる日本は、明らかに、国際的に、異常だ。印象論ではない、数字で明々白々でありなかでも自民党が突出して高い。世界で日本に迫るレベルなのは政治後進国のイタリアだけであり(それでも日本より低いが)、英国で10%、米で5~10%、ドイツや韓国はほとんど無い。しかも英米は「親の地盤をそのまま引き継いで、同じ選挙区から出るケース」は1%程度でほぼない(神戸新聞・豊田真由子氏)。豊田氏は公職が特権的地位になってはいけないという不文律があるからとされるが、やったら大変なことになると考えた方が現実論として近い。フランクフルトの鮨屋でこういうシーンを目撃した。会計をしようとしたインテリ風のドイツ人客が「同じものを頼んだのに日本人と値段が違うのはなぜだ」と店員に質問し、親父が何か説明したが納得せず「訴訟する」と言いだした。現地で誰もが知る店だ。大した金額でもない。でも怒っていた。これが西洋人の「不平等」「差別」への反応だ。お得意さんと一見さんではサービスに違いが出て当然という常識は日本しかない。格別のサービスは構わないが余分に相応のカネを払う。それが「チップ」というものの正体なのだ。自分の子をうまいことやって議員にしたいなどという発想は鮨屋の親父なみなのであって、やったら即死。だからほとんどないのである。

経済的背景もある。相続税だ。誰でもそれなりの財産をもって死ねば国に半分召し上げられる。しかし例外がある。伝統芸能だ。襲名披露してご贔屓筋を引き継げば親父とかわらず食っていけるが、芸名というブランドに相続税はかけようがない。議員の「票田」(地盤や後援会システム)はそれと全く同じであって、田舎で庄屋の子は庄屋のノリで親父が息子をよろしくといえばそのまま票が受け継がれ、それには技術的に相続税の計算のしようがない。よって経済的にも政治的にも目減りなく子孫に継承できてしまい、贔屓筋も息子にたかればおいしい思いをずっとできるから誰も反対しない。歌舞伎や落語は公職でないからそれが許されるが、議員の身分は公職中の公職である。これがおいしいファミリービジネスになるなど論外であること、世界の常識など持ち出すまでもない、国益に尽くすべき議員という立場の憲法第1条、あまりに当然のことである。これが馬鹿息子が続々と当選し、世襲議員が続々と生まれてくる利権メカニズムである。

わかってはいたが、僕はこれ(安倍総裁の眼)で世襲を良しとしようと思った。大臣になるような議員には交渉力で相手を屈服させる能力が必須だ。しかしどう見ても外国の猛者相手にそれができる者は半分もいるとすら思えず国費の無駄である。だから国会議員は半分にしろと言っている。交渉は言葉でと言われるが、眼がものをいうことを何万回もビジネス現場でやってきた僕は知っている。しかしそういうことは練習してできるのではないかもしれない。そう納得してみた。しかしそれは安倍家だけの話であったのかと今回の件が愚考を粉々にしてくれたのである。依怙贔屓やり放題社会になって平等、機会均等を壊せば多くの才能ある若者のモチベーションを根底から削ぎ、やがて民度はさらに凋落して日本国というゆかしき存在は崩壊し、父祖の努力が灰燼に帰することは必定だ。そんな日本は見たくない。世間は「格差社会だ」「二極化だ」と騒いでいるがそれをいうなら「政治の貴族化」であって、対策を打ち出す立場の行政府や立法府の中枢がお血筋によって固定された貴族なのだ。貴族制を廃止して自ら平民になった貴族は歴史上いない。

だからこれを打破するには対抗できる強い野党が出るしかない。一党だけ貴族を辞めて清貧を見せても選挙に勝たなければ無意味だ。しかし、この人たちも同じ貴族を味わっちまった議員である。小ぶりでも地盤を利権として相続したい欲はあるだろう。「ビジネス野党」という、国会質疑でテレビに出られるタレントとして政治を家業としている万年二軍でいい人たちなのではないかという疑念が僕からは申しわけないがいつまでたっても抜けない。その証拠が、自民を倒すには野党共闘しかないのにその気配すら見えないことだ。民族問題と混線して理解されているのもいけない。そこだけは譲れない多種多様な中道右派の有権者をザトウクジラみたいに飲み込む自民党が、あれだけ派閥闘争して政策などわけがわからなくなってるのに勝利という構図はいつまでたっても変わらない。昨今は維新がいい線行ってるなと思っていたが、自らすすんでクジラに飲み込まれることで公明を追い出して後釜に座る路線だろうか。トロイの木馬作戦なんて言ってるがおいしい自民党員になって大臣ポストが欲しいのだろう。維新がくっついた自民の世襲率はやがて5割を超え、三等国だと世界の笑いものになるだろうがファミリービジネスに邁進する貴族の共同体という仮定が正しいのならば領地の農奴がどうなろうとどうでもいいだろう。

志のある若者たちは明治時代までで大半が足りてしまう日本史の受験勉強はいったん忘れて、明治以降、とくに大正~昭和から現代にいたる日本人が最も見たくない部分の生々しい歴史を虚心坦懐に学びなさい。それをせずに日本史を分かったなど、マル経だけで経済学を語るようなものである。

三等国になっていいはずがない。一等国の評価とプライドを勝ち取るのにどれだけ先人の血と汗と涙が流されたことか。これを忘れたり無視をするなら、君らは知覧の特攻平和記念会館へ行って涙一滴流さず帰ってこられる人だろう。きっかけはいうまでもなく下級武士が主体である明治の元勲の志が高かったからだ。アジアにそんな国は日本をおいて一個たりともなかったのは武士は日本にしかいなかったからだ。維新の十傑のうち七人が暗殺、刑死、敗北自決などの異常死を遂げており、結果論とはいえ文字通り命を懸けていたことを疑う者はない。だから元来は国家意識などなく諸藩に属していただけの民が王政復古の号令で天皇という求心力に目覚め、日本国のためと徹底奮起して二つの戦争に勝った。

しかし、大谷翔平選手がWBCのミーティングで選手に警鐘を鳴らした通り「憧れるだけ」で欧米を抜けなかった「科学技術の差」が致命傷になって三つ目に大敗するのである(なぜか日本の役所は文系が偉い)。国家資格まで失うという未曽有の屈辱の底の底まで墜ちた。そこで発足した自民党なる米国礼賛政党に明治の志があったかというと、米国の信託統治下ではもう何でも仰せのままにといいながら「立派な負け犬」になる根性を見せるぐらいでそんなものは到底あるはずもなかったのである。ここは卑屈になることはない。誰が悪いわけでもなく歴史の流れで仕方なかったと思うしかない。人間は失敗から学ぶ者が勝つ。取締役から臨時の見習いに降格にはなったが、また這い上がればよかったのである。

それは実現した。当時の日本人にはその気概があった。その時代に生まれ経済界で生きた人間のひとりとして声を大にして言わせてもらうが、朝鮮戦争の特需で利を得てそれを賢明にも資本に回していわゆる「高度成長期」(1955年~1973年までの19年間に年平均10%を達成した期)を焼け野原からわずか10年で実現して世界の度肝を抜き、しかもそこからたったの16年である1989年に株式時価総額が米国をぬいて日本は世界一になった。

証券市場に詳しくない人はピンと来ないだろうが心に刻んで欲しい。株式時価総額で米国を抜いたということはWBCで米国に勝ったことの1億倍ぐらい凄まじい快挙なのである。だって上場していて株交換で買収しかけられたらひとたまりもないでしょ?フェアプレーだから真珠湾と違ってやられても戦争仕掛ける理屈も立たないでしょ?つまり株価は経済のみならず国力の源泉、最強の武器なのだ。このことは米国が最もよく知っている。欧州も中国もよ~く知っている。日本の政治家、官僚、学者、メディアだけが知らない。頭はいいからわかっていても骨身にしみてないし策もない。

経済力で日本に負けた。これがあったから米国政府は日本の台頭を心底から恐れ、なりふり構わず貿易摩擦戦争を仕掛け、円高誘導を仕掛け、BIS規制(バーゼル合意)で日本経済を徹底的に叩き潰しに出たのである。これは凄まじかった。英国のシティで最前線で世界の金融界の目玉商品であった日本株ビジネスを戦っていた僕はその生き証人である。中国の時価総額はまだ半分だがやがて抜かれるのではないか。そうなれば合衆国は丸ごと買われる。中国が核戦争を仕掛けたり台湾を武力制圧するなんて実は考えてないのに、だから、いま必死に株式市場から中国資本と企業を閉め出し、インド太平洋圏構想で囲い込んで叩こうとしているのである。

これをわけもわかってない左翼やらメディアやらが「昭和末期の空前の馬鹿騒ぎ」だの「バブル崩壊で貧しくなった」だのと負の側面だけ誇張する。それこそ馬鹿も休み休みにしろである。だからその不条理を体感し、24時間戦えますかのリゲインを飲んでふざけんなとなった民間企業の兵士たち、おそらくは多くの皆さんのお父さんの世代が「企業戦士」「経済は一流、政治は三流」というサラリーマン川柳なみに鋭い言葉を職場で飲み屋で自嘲気味に大流行させたのである。戦うどころか戦地にいもしなかった政治家やジャーナリストが「経済も二流になった」などと軽々しくほざくのを見るにつけ、こいつら偉そうに何様なんだと怒りを覚えるしかない。

当時の戦士、戦友の名誉のために特筆しておくが、世界を驚嘆させ、地に落ちた敗戦国だった日本国の評価を一気に “一流国” まで高めた「高度成長」なるものは、民間企業が真面目に勤勉に知的に賢明に壮絶に、それこそ命を賭して頑張った成果物なのである(僕の勤務地では過労で2人が白昼に亡くなった。皆さん信じられますか?)。ひとこと付言しておくが官僚も国の利益と威信のために頑張った。僕はそういうポストではなかったが、共に戦ってくれた印象はある。しかしだ。断言するが、一流国になったのは政治家が優秀だったわけでも命を懸けてくれたからでも何でもない。

歴史をふりかえれば歴然だ。米国の策略は金融(カネ)と貿易(モノ)に国際ルール(のふりをした)改訂の足かせをつけて日本を叩き潰すことだ。仕掛けてきたのは政治レベルの脅しであった。そこで絵に描いたように宇野、海部、宮沢、細川、羽田、村山と冗談にもならない低レベルな政権が続く。結構まともな橋竜が失脚させられ、いよいよ小渕、森という妖怪水準のドツボにはまる。すでに日本潰しは完成しており米国はもうどうでもよかった、米国シンクタンクの幹部と何度か会ってそう感じた。次はポピュリズム巧者の芸を買って2001年に小泉を使い日本収奪の金儲けに出た。IPO幹事に米系を押し込んで唾をつけたNTTに始まり郵政がおいしかった。これがあからさまな米国利権政権の端緒だった。第二の敗戦でまたギブ・ミー・チョコレートが出た。安倍第1次政権がそれに続き、結果は辞任と情けなかったが2次では彼は多くを学んでおりましだった。少なくとも失業を減らし株価を上げた。何偉そうなことをほざいてもその2つができない総理は無能だ。しかし代償もあった。万年与党の自民党が地位に甘え、議員は勘違い貴族化して堕落し、意思決定には官僚人事という裏技まで弄する横暴が目に余るようになった。

このあたりの風景は二・二六事件の背景への教科書的説明である「青年将校たちは政治政党は財閥と結託して堕落している、軍部は利権を握って横暴を極めていると考え決起した」とそっくりだ。財閥を米国中国、軍部を自民党におきかえればほとんどそのままだ。我が祖母の旧姓は真崎である。僕は台湾の警察署長のおじさんとだけきいて育った。息子くんたち、この音声は知ってるかな?

重い。何十回聞いたかわからないが平静に眠れなくなる。こういうことは二度と起こしてはいけない。岸田総理がもしそう思ってるなら、ほぼ確実にそうは思ってない息子くんを怒鳴って制止するぐらいはしたんじゃないかと思いたいが、一緒に写真撮ってたようではある。そこがこれのあった場所だよ。他人も入れてたみたいだが昭和11年の技術でこんなに盗聴されてる。ごめんなさいじゃ済まないだろ、それ。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

岸田政権の少子化対策は異次元のあほらしさ

2023 MAY 28 17:17:48 pm by 東 賢太郎

マルサスの人口論(1798年)はこう説く。

➀食料は等差級数的にしか増えない

②人口は性欲により等比級数的に増える

食い物がなければ人は増えにくい。増えてしまうと貧困が生じ、暴力革命が起きる。だから政治は逃げ道を考える。

それが岸田政権の少子化対策だ。子供をつくらないのはお金が不安だから?わかりました、1万円あげます。でも財源は社会保障費で手取りは減ります。国民なめすぎでないか。それならいっそコンドーム禁止令でも出したらどうだ。

日本の高度成長は朝鮮戦争の「特需」である。漁夫の利で食い扶持(ぶち)がばんばん増えた。実力じゃない。あれは戦後の焼け野原に現れた蜃気楼だったのだ。だまされて子供をばんばんつくっちまった。それが人口1億2千万だ。

失われた30年とかいうが、こんなのはお気楽なメディアが無責任に呼んでるだけだ。今年の新入社員は鯛焼き型だとか昔にクソくだらないこと言ってた、あれだ。別に何も失ってない。実力通りのところまで経済が落ちていくだけだ。

ということはこれからも食い扶持は減っていく。AI、チャットGPTに食われてさらに減っていく。意味もなく満員電車で朝早く会社行ってどうでもいい会議で居眠りしてPCの前で仕事したふりしてる9割のサラリーマンはいらなくなる。

そうやって食い扶持が減る。だから男は結婚できない。しても「子供はリスク」になる。だからマルサスのいう通りに人口は減る。減るとGDP成長率は原理に従って落ちる。するとさらに食い扶持が減ってもっと人口は減る。

朝ナマとかいうのを見てたら女性議員が集まって日本は女性の進出が足りない、だから結婚できない子供が産めないなんてことを延々と言ってる。あのね、それ以前に船が沈んでいってるんだ。女も男もないんだよ。

そうしたら田原総一朗が経営者がだらしないという。自分で稼いだこともないジャーナリストなんかが偉そうなこと言うな。儲からないのは日本が既得権益だらけだからだ。そのヌシみたいなこういう爺いがのさばってるからだよ。

社会保障費あげるほど財源ないなら政府が節約しろ。何の足しにもならないくだらない議論でどうでもいい仕事つくってカネもらってる国会議員は半分もいれば十分だ。だんだん2・26に似てくるぞ。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

漢方とシルクロードに見る東洋の奥深さ

2023 MAY 27 12:12:05 pm by 東 賢太郎

いま神山先生の薬を3つ飲んでいる。薬ではないが滋養強壮・未病の長白山人参も煎じて朝晩飲んでるから正確には4つだ。安神はパニック障害、鼻炎と増記憶はその名の通りである。

今年に入ってパニックは一度もなく心療内科の薬ワイパックスはお世話になってない。鼻炎は慢性の鼻づまりで寝る前にスプレーが必要だったが不要になってしまった。増記憶は母が認知症になったので娘が先生に頼んで今月から飲まされているが、いまのところ効果は不明。

漢方が良いのは薬草でありケミカル(先生は「石」という)でないこと、4千年も前から治験(言葉は悪いが人体実験)がなされているから安心して飲めることである。この3つ、レシピは6代前から医師である彼の家に伝わっていて中国で売ると各々3,4億円する知的財産だ。これが丸薬になったものだけで写真のように54種類ある。中国では伝統医療の医師が毛沢東時代に下放されて廃業しもうほとんどいないが、先生が日本に帰化されその貴重な文化財が我が国の財産になっているわけである。意外だが漢方は動物にも効く。ワンちゃん猫ちゃんも人とおんなじ薬で病気が治ることは先生の患者である静岡の動物病院の院長先生が長年の臨床研究で実証されている。漢方の可能性はまだまだある。

知れば知るほど東洋の奥深さに嘆息するばかりだ。人生の4分の1を西洋で過ごしたことを割り引いても、僕の価値観は欧米に大きく偏っているという気持ちになってきた。東洋というからには日本も中国もない。良いものは良いというだけで、西洋にも帰依すべきものはたくさんあるし、同じほど中国文明にもあるということだ。僕は万事において是々非々な人間である。

その視点で世界史を見るならこうだ。とてもアバウトに書くが、

西洋文明のルーツはギリシャ・ローマだが欧州人は中世には忘れ去っておりイスラム圏が保存していた文書を強奪集団の十字軍が持ち帰って再発見した(ルネサンス)。つまりたかだか5百年の文明であり、まして米国など2百年ちょいである。それが東洋の4千年の蓄積をうんぬんするなど千年早い、控えおれでおしまいだ(聖書が禁じてるから西洋で問題と化しただけであるLGBTの理解増進法案などキリストさんは関係ない我々には余計なお世話だ)。科学技術=軍事力を盾とした「科学文明の進歩=正義」の価値観に東洋は屈し、真っ先に対抗した日本はロシアを倒して西洋人の「タタールのくびき」のトラウマを呼び覚まし徹底的に叩かれた。それに学んだ中国、北朝鮮が核武装して今がある。

少なくとも西洋をビビらせている中国は大したものであり、世が世なら我が国の道であったと明治の歴史観でアジアを下に見たがる日本人は面白くないから嫌中になったり自虐したりする。それでは「酸っぱいブドウ」のキツネなみである。チャーチルは「英国の歴史はカエサルが上陸した時に始まった」と言ったが、僕は「日本の歴史は唐(郭務悰)が上陸した時に始まった」と言いたい。唐はシルクロードとつながり、モンゴルの遊牧民・鮮卑が建国し、トルコ系遊牧民・突厥、中央アジアでイラン系・ソグド人、ペルシア人も朝鮮人も漢人もいた多民族国家であり漢民族王朝ではない。嫌中派も自虐派も、唐の上陸から倭国は瞬く間に律令国家となり、何よりそこで国号を「日本」としているのだから英国よりずっと国体の変革があったことは認めるだろう。それを占領されたと自虐なんかするのでなく(だって自ら遣唐使だして学びに行ってたんだから)、英国流にスマートに逆手に取るのである。

そもそも現在の中国と唐は同一の人種構成の国でない。だからこれは日中同祖論ではない。チャーチルは英国が古代ローマ文化圏にあり、末裔の一部でもあり、その歴史と叡智を継承する国であると言っているだけで、だからといってイタリア人と同じ遺伝子だというのでもなく、まして子分でも属国でもないわけだ。日本が中国にそれを主張し、さらに我々には唐の血だけでなく1万5千年も栄えた縄文人の血も入ってるということだって可能だ。僕のチャーチル評価は良くも悪くもあるが、政治家としてスケールはでかくノーベル文学賞をとったのも文筆力は折り紙つきだったということ。日本の現総理はというと大企業の庶務課長代理みたいで見るも不快であるが、そのぐらい習近平にぶちかませる大物が現れないだろうか。

個人的には中央アジアに惹かれるし(行ったことないが)直感的本能的に他人事と思えない。だからシルクロード、多民族国家の唐と聞くとたまらないのである。きのうは池袋の火焔山に行ってしまった。ファストフード風の店だが回族などイスラム系住民の食べ物である蘭州牛肉麺の名店である。パクチー、青梗菜、もやしをどっさり乗せ、あっさり系のスープに辣油の辛味が三角麺に絡む。ちなみに漢方がはいってるらしい。旨い。蘭州は西安(唐の長安)の西方でシルクロード上に位置する一都市だ。一度行かなくてはいけない。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

原口一博衆議院議員のyoutubeに思ったこと

2023 MAY 19 10:10:07 am by 東 賢太郎

最初にお断りするが本稿は政治目的でなく、立憲民主党や現職の国会議員としての氏の個別の主張・政策に関わるものではない。短い時間ではあるが感じ取った氏の印象に起因し、つい最近に氏のyoutubeチャンネルを偶然に閲覧して響くものがあったことにのみよっている。

氏とは衆議院議員の原口一博氏である。お会いしたのは2010年だ。もうご記憶にはないかもしれないが、総務大臣だった氏と僕の知人議員およびソナー出資者の英国人を入れた4名でホテルでの夕食であった。氏は僕の5学年下だ。終始英語で些かの支障もなく終わり、その後は会っていないが人物として記憶に残った。難病を公表し、さらに瀰漫性大細胞型B細胞リンパ腫に罹患し治療を受けている事も公表しておられ、最初に閲覧したyoutubeは後者に関するものである。

僕は人間は本性が合うか合わないか、根が良いと思うかどうかだけだと思っている。本性はみな隠すから見抜く経験がいる。そこまで短時間にできたわけではないが、氏に対する一定の印象は残っており、このビデオで再確認した。

僕も冷笑系、追い込み屋は身の毛がよだつほど嫌いなのである。たいして頭も良くない馬鹿がTVでしゃあしゃあと知ったかぶりして相手を見下している滑稽。そういうのをディファクト化して放映する愚鈍なメディア。それを洗脳に使う狡猾なだけの権力。これを佐賀県人の氏が「葉隠」の視点で批判しているのを聞いて腑に落ちるものがあった。そういえば自分の4分の1は佐賀・長崎の血だった。いかなる小理屈を弄しようと揺るがないし、終生変えたくとも変えようがないものである。これを本性という。弱きを助け強きをくじく。これぞ男であり、弱きをくじき強きに隷従する、そんな奴等は性別を問わず問答無用にクズである。「これぞ男」って表現はLGBTの観点から問題でしょ、などという議論は言ってるお前がクズなんだ。日本古来の男である俺の知ったことではない。

3年前のいまごろに世田谷区からお注射の葉書が来た。打つ気満々で7月16日は高齢者なのに遅いなと思ったが、それがよかった。ある情報と忠告があって即刻キャンセルし、家族には絶対打つなと厳命した。社員や周囲に命令はできないが詳しく説明だけはし、打たなかった人もいる。同じことをブログにも書いたはずだ。氏は議員の職務上3回打たれ、新たな難病との因果関係の可能性につき検査結果待ちであることをyoutubeで公開されている。事の本質は、これがあの病のためのお注射だからではなく(それは関係ない)、メッセンジャーRNAワクチンという人類未曽有の「技法」を用いたものであることに存在するのである。

これを野党議員の政権批判ととる人がいてもそれはそれだ。僕も生身の氏を見てなければそう思ったかもしれないからだ。氏はDS(Deep State)という言葉を用いそれを戦争屋と呼んでいるが、僕のブログをお読みいただきたいが、なんと呼ぼうと結構だがその超国家的利益・思想共同体は目には見えないが存在することを僕はビジネスキャリア上ふつうの日本人よりは知り得る立場にいた。そんなものは嘘だ、陰謀論だととる人がいても(というより読売新聞が大衆紙の低能をさらして堂々とそれをぶっているが)それはそれだ。僕も生身の氏の英語力を見てなければそう思ったかもしれないからだ。

戦争屋から買うトマちゃんは他国に売るよりすごく値が高いが、湾岸戦争のお古か、せいぜいそのモデルチェンジだ。時速960キロだから皆さんが乗るジャンボジェット機でも追い越せ、敵国に迎撃される可能性は高いとされる。しかし、お相手様にそういうことはどうでもいい、在庫は経営の敵というセオリーがすべてに優先するのである。そうして膨らむ防衛予算をどうやって確保しようかと国会で議論されたが、ワンマン社長が銀座で飲み歩いた交際費をどうやって落そうか苦労する経理部を思い出した。こういう問題は想像力を駆使してなるべく巨視的に見ることをお薦めする。いま僕の目にはトマちゃんもワクちゃんも同じお相手様による意図の奔流の中に見えている。言うまでもなくSDGsもCO2も太陽光もLGなんたらもコオロギもそうだ。いや78年前から小麦を食わそうと給食はパンになり、種子を毎年売りつけるため発芽しないF1種の野菜や果物を食わされてることを知っていれば奔流は自ずと現前に見えてくるではないか。キリスト教化は天皇がいて難しいから韓国にいま話題のなんたら教会を作ったのだ。天皇もイエ制度(夫婦同姓)も邪魔なのだ。

弱きをくじき強きに隷従する政権を見ていると、元禄時代にワープした感覚にとらわれてくる。「あっ、お犬様が通る」。この犬コロと心では思っていても、民百姓のみならず総理大臣までひれ伏して道をお譲りするのだ。コオロギ?お前が食えよなんて言おうものなら打ち首だ。今に始まったことではない。初代お犬様であるマッカ元帥によいしょの限りを尽くした吉田という男がいた。「この男、元駐英大使らしいから通訳はいらんだろうと1対1で会談に臨んだら、英語があまりにひどくて何を言ってるのかさっぱり訳が分からなかった」。以上はマッカ元帥様の述懐である。吉田の唯一の取り柄は国内では顔が利くいいパシリであることだった。こいつを利用しよう。こうしてそれが日本国総理なるものの原型になり、サンフランシスコで日本国復活を認めてやる条件にもなった。いや、だからこそ、正確に言うと、限定的にしか国家復活を認めなくて済んでしまったのだ。日本を叩き潰して軍備を持たせず丸腰にすることはすでに真珠湾の前からルーズとチャーチの会談で決まっていたのをご存じだろうか。人種差別主義者ルーズは日本を滅ぼす野心があり、ローマ史に精通したチャーチは日本をカルタゴにしたかった。こいつらの目論見通り、名目独立国、実質占領国だが国民はそれに気づいていないという世界史上初の国のようなものが発足した。1952年4月28日のことだった。

こんな連中の目からすれば異教徒である日本人が何人死のうがどうでもいいということが如実にわかる。原爆投下で戦争が終わってあれ以上死ななくて済んだのだから感謝しますと言わされ、東京大空襲で10万人の民間人を殺したルメイには後に勲一等旭日大綬章を謹んでお贈り申し上げている。形式論的にはルメイは任務を遂行しただけということ。戦争は殺戮だが戦時では国家の仕事になり、国際法という置物のルールブックまでできた。殺す側から見た人間はsheepと同じく複数形がない(顔なし)。顔があれば死刑になるものが平和に貢献したから叙勲だ。このDSの理屈を皆さん理解しなくては国際情勢は読めない。だからウクライナでもロシアでも多くの人が亡くなっても武器は売れているのである。もちろん日本にたくさん売れたワクちゃんだって勲章ものなのだ、日本に何人被害者が出ようと。原爆を投下する都市の選定には、人類未曽有の「技法」の実験という要素もあった。まったく同じ思考であり、人道という概念はかけらもない。では、同じ連中が言ってるLGBTの人道は誰のためなのか?それをかついでいる日本の国会議員どもはいったい何者なのか?

やる前から戦後を決めていた英米の罠にかかって開戦してしまった愚。そして終戦後の交渉で押し切る交渉力のある総理がいなかった不幸。我々はそのツケを負わされている。原口一博氏が何党であろうと結構。心から早期のご回復とご健勝を祈る。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

受験秀才の価値は暴落する(チャットGPT)

2023 MAR 15 20:20:36 pm by 東 賢太郎

人は真っ白で生まれてきて記憶力のピークは18才である。凡そ20才までに何に時間を使ったかで「脳の初期化」が終わると考える。それ以後の進化もあるが、脳機能(CPU)、メモリーのキャパは決まる。学校にいる時間はみな共通として自由時間に何をしたかが個性になるだろう。すると僕は20才時点でレコードを1,000枚持っていて10回は聴いているから10,000時間、すなわち20年(=175,200時間)の5.7%はクラシック音楽を聴いていた。その次が野球で、やる・観るで7~17才の10年、ならして日に1時間として2%だ。勉強はというと小1から14年、毎日2時間自習したとして5.8%だから音楽+野球(7.7%)の方が初期化の貢献度が高い。

もし7.7%を塾通いさせられていたら別種の人間になっただろう。音楽・野球のない自分は想像できないが、好きに生きたら勝手にこうなっただけで、なろうという意志があったわけではない。この実感と見事に平仄が合うのは「身体は魂がもらった vehicle(乗り物)」という思想だ。身体のサイズや性能はDNA(設計図)で一義的に決まっているのだからそれ以上でも以下でもなく、行く末も決まってるのでケセラセラで生きればいい。そう思えば人生楽だし死も怖くない。刻苦勉励は為政者が国家を作るための教育でそれも大事かもしれないが、人間の本質には必ずしも根ざしていない。

これから世の中はどうなるか?コロナと戦争で混沌としているが、世界を変えるのは常にテクノロジーである。落合陽一氏によるとAIの進化は想定外に速く、人間を凌ぐシンギュラリティは2025年に来て、頭の中でする仕事は弁護士、会計士、役所仕事など専門職ほどAIができてしまい、人に残されるのはエッセンシャル・ワーカーの仕事、スポーツ、芸術、恋愛、戦争だそうだ。僕は2008年にリーマン・ブラザーズが潰れた時に真っ先に同社に電話をして六本木ヒルズに駆けつけ、東証の株式売買トップシェアだった米国人20人の電子取引チームを口説いて丸ごと引き抜いた。彼らから最先端のアルゴリズム取引を学び、一秒間に百万回の売買注文が執行できてしまう速度を見て人間に勝ち目などあり得ないことを確信した。それから数年で、腕さえ良ければ高年俸が約束される花形ポストだった証券会社のトレーダー職は、案の定、無残に消滅した。これが現実に起きたことで、もう15年も前の話なのだ。AIは資本効率を上げるが失業率も上げる、しかも高度な知的ワーカーのだ。

AIはかように演算速度が天文学的に速いばかりか自習して進化もする。ということは、学校で習う「答えが出る問題」を解くことにおいては人間は確実にAIに負けるということを意味している。だから僕が7.7%を塾通いではなくスポーツ、芸術に割いて育ったのは得だった。「時は金なり」だから1時間の交響曲を聴くと時給分の損だとするのが経済学だ。しかし脳内にAIができない不可侵領域を作り、感動というエネルギーチャージも得る音楽鑑賞の価値の合計は時給より高い。僕は小学校時代に(本当に)勉強した記憶がなく、野原を駆け回っていた。その経験からいうが、中学生になればすぐ理解できる小学校の勉強に6年の塾通いは時間の無駄で、遊びの情操教育をミスする損失の方が大きい。野球という遊びは強い体力と胆力という財産をくれたが、知力よりそっちの方が出世には何倍も物をいった。

ということは受験秀才の「勉強ができる」という価値はAI時代には暴落し、AIは日々人智の及ばぬ速度で学習して更に人を引き離し、学歴というものは出身県と同様の「群れるためだけのもの」になる。しかし仕事がない人の群れに何万人いても何も生まず、数の力にすがって互助のための政治や宗教をするようになる。しかし、そのリーダーのできることはAIにできないことだけだからAIを論破できず、やがて各党とも党首にはAIを起用し、国会はオンライン開催となる。chat gptチャットGPT)はそれが絵空事でないと実感させる。ウォートンMBAの試験に通る知能を持ち、論文はスワヒリ語でも10秒で書け、3分の好みの音楽を10秒で何通りでも作ってくれるなんてことになる。しかも演算速度はこうしている今も毎秒速くなって、やがてアルゴリズム取引と同じ百万分の一秒単位になる。ちなみに岸田総理の国会答弁は、AIにやらせれば自分で考えるので官僚のペーパーは不要だし、少なくとももっとうまく読むだろう。

AIの職業浸食は、起きない方が不思議だ。なぜなら資本家はROE(自己資本利益率)を求める。AIは人の何万倍も仕事が速く、口ごたえせず、正確で、24時間働き、飲み会はいらず、不要不急の出張もせず、賃上げ不要で、組合は作らず、歳もとらないから、人を減らして置きかえるほど人件費・管理費は激減してROEは上昇し、従って株価も上がる。それを望まない経営者はいない。社長もAIでいい。所有と経営は完全分離し、AI社長には預金通帳が与えられ報酬が入り、自らの機能を高めるためオンラインで買い物もする。これが究極の姿だが、ここまで行くと社会問題になるので政治家が介入し「そこそこの二極化」に収まる所で浸食は止まるだろう。そこでAI社長は何をするか。政治家の性格を瞬時に分析し、ぴったりの宴会部長(人間)を雇って接待、ゴルフ、ハニトラを仕掛け、賄賂を贈る。贈収賄罪が立件されると政治家と部長は牢屋に入りAI社長は没収されるが、贈賄はしないプログラムに書き換えたものをまた買えばいいのである。

そんな馬鹿なと思われるだろうが、AIの出現は決してブラック・スワン現象ではない。黒い白鳥がドカンと世界に衝撃を与えるわけでなく、普通の白い白鳥に見えるが気がついたらそこいらじゅうに居たという性質の侵略なのだ。1990年代前半にインターネットが出現し、こわごわメールを送って「届きました」と電話で返事が来た懐かしいあの頃に、SNSなしで生きられないほどネット社会に同化した自分の姿を誰が想像しただろう。同様に「士業」「経営者」「医師」「教師」「役人」etcがチャットGPT搭載のロボットになっていくが、その環境にいずれ我々は慣れっこになり、何とも思わなくなるだろう。人間は環境適応し進化するからだが、人の頭の進化速度よりAIの演算速度の上昇は速いので大衆の目にはAIは万能に見えてきて、拝む信者が増え、人でなくAIこそが安心安全という時代が来るだろう。

ビル・ゲイツやイーロン・マスクの見ている世界はそんな感じだろうか(もっと向こうだろうが)。世界は国籍人種宗教を問わず資本家とそれ以外に二分され事実上一国になるが、戦争需要を生むため上層部が通じ合った見せかけの三国体制でもいい(オーウェル「1984年」がそう)。これを陰謀論と言う人は百万分の一秒で株が買える現場をトレーディングルームでお見せしても陰謀だと言う人で、AIはおろか人類の平均進化速度にすら後れを取り、宗教、アミニズム、自然回帰に向かうか、あるいは暴力、戦争に向かうだろう。私見では日本人は前者に親和性のある民族であり、個々人としてそれはそれで幸せな人生かもしれないが、事は他国でも起きることであり後者に向かう国も出よう。陰謀論者が低学歴とは思わない、むしろ高学歴で頭の固い人が多い。つまりもと受験秀才であり、その価値はこういうプロセスを経て暴落するのである。先の稿に書いたが、これからはオン・デマンド型の人しか出世しない。学んだことがすべからくAIの得意分野と競合する受験秀才は、論理的に、最も demand のないタイプの人になるだろう。

国家の存立はいかがなものか。国会議員、官僚にこの現象の危うさを科学的に理解して対策を講じられる人が何人いるか。文系ばかりでほとんどいないだろう。すると、事が起きてから騒ぎだすのが日本の得意技だが、いまさらデジタル庁なんか作ってる異次元の辺境国だ(同庁は何をやるんだろうと思いきやマイナンバーカードだ。絶句するしかない)。こんな役所に手に負えるはずがなく、そこで放っておけば、東京五輪の現場のごとく役人は何もできないから電通さんに丸投げみたいな悲劇的なことになる。しかしどこに丸投げするんだろう?「AI省をつくれ」となるしかない。すると大臣はチャットGPTさまが適任ではないか。しかし待てよ、彼は何党員なんだ?そこで自公と野党の間で、国会の貴重な時間を使って壮絶な田舎のプロレス対決が繰り広げられ、「チャット君と呼ぶわ?」の歌とダンスが気に入られたAKB48党に決まる(AIは感情もある)。彼は一秒間に百万回の計算をして日本国のAI政策の最適解を導き出し、見事に国を救う。そして、20××年、世界初のAI総理大臣に任命されるのである。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

「陰謀論だ!」という陰謀論について

2023 FEB 26 22:22:35 pm by 東 賢太郎

陰謀論というのは陰謀のことではない。何らかの事件が発生し、「その裏には陰謀があったに違いない」と疑義を唱える企み、行為のことをいう。

そこで、陰謀を練った方を「陰謀側」、「陰謀があったに違いない」と疑義を唱える方を「懐疑側」、どちらでもない者を「中立者」と呼ぶことにする。

「陰謀側」は世論操作によって多数派を占め、少数派の「懐疑側」を貶め、侮蔑する含みを持って否定するのが一般的だ。

ところが、「懐疑側」が挙げる証拠に信憑性のある場合は、だんだん多数派の数が減っていき、やがて、「陰謀論だ」と批判する「陰謀側」の行為の方がむしろ陰謀論に見えてきてしまうという逆転現象がおこることがある。

特に、「懐疑側」の証拠の信憑性が科学的である場合、反論を試みれば試みるほど「中立者」に非科学的な印象を与えて不利である。よって「陰謀側」はあらゆる手段で懐疑を無視し、封じ込め、脅し、抹殺することに全力を傾注する。

ところが、それが全力であればあるほど陰謀の露呈を恐れていると「中立者」には見え、陰謀の存在がより強く推察されてしまう。このジレンマを避けるため「陰謀側」は行為後にすみやかに科学的証拠を隠滅することに全力を尽くす

万一、証拠が残ってしまった場合は、論争の途中で意表をついて、自らの陣営が「懐疑側」に組して見せることで、「中立者」の目に、あたかも別の「陰謀側」がいたかのようにふるまう “分身の術” を弄することがある

分身を演じる者がうまく立ち回って「中立者」の支持を得た場合、そちらに合一してしまうことで「フェイクの懐疑側」となり、「陰謀側」に疑義を呈して裁くふりをすることで虚偽の真犯人をでっちあげることができるからである。

分身を演じる者は必ず「陰謀側」の一味であるから陰謀の全貌を絶対に明かすことはない。単なる「おとり」であり、「中立者」をミスリードする「レッドへリング」にすぎない。従って、支持はせずに無視しておけばやがて自ら消える

分身の演技に疑義が持たれる危険性がある場合、「陰謀側」は「第三者委員会」という名称の分身を組成して演技を続行する。第三者性の不在証明は致命傷になるため徹底管理される。この場合は「中立者」の眼力が問われる。

科学に疎い「中立者」が大多数である場合、宗教、憎悪、憐憫など情緒的根拠を針小棒大に報道することで科学的論理性を糊塗する戦略は有効である。論理は経年劣化しないが情緒はするので、「なかったことに」で封印できるからだ。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

謎の岸田総理と黒田総裁

2023 JAN 9 0:00:41 am by 東 賢太郎

最近電車によく乗る。ホームの駅看板(線路ぞいの広告)がやけに白っぽいなと思ったら18枚のボードのうち7枚しか広告が出てない。それも医者ばかりで商売人はセイジョー石井だけ。カウント癖があるので何でもすぐ数えるが、14年使っているこの駅でこんなことはかつてなかった。

僕は国が出す景況感指数よりも、かような「巷の景気」のほうを見ている。趣味ではない、その方が株式市場がよく見えるという実益からだ。インフレに乗じて値上げできる大企業はいいが、国民のフトコロ具合に近い「ちまた」はそうはいかない。駅にいる消費者に宣伝しても元が取れないと広告主は思ってる。これが巷の景況感。そして日本のGDPの5割超は個人消費なのだ。ここが冷えたままでは経済は上向かない。

65才を超えると定職に就いて働く人は激減する。すると定期収入が途絶え、年金は雀の涙だ。人間は生きているだけで毎日の出費がある。しかし毎日の収入はないのが現実となる。だから退職金など手持ちの預金を食いつぶして生き、残高は減る一方。となると、本来喜ぶべき長寿すら不安材料だ。これで総貯蓄の8割を持っている50代以上に気前よくカネを使えと言っても無理だろう。巷の広告主が減るのは道理なのだ。

となると普通はデフレ、需給ギャップと呼ばれる現象がおこる。ところが日本も世界もインフレであって、金利を上げなくちゃと騒いでるのだ。これをおかしいと思わない人が経済や為替や株価をネットで語っているからますます訳のわからないことになっている。では矛盾の原因は何か?コロナで経済が窒息死するのを防ごうと世界の国が借金して突発的に厖大な額のカネをばらまいた。ところが想定外の戦争が勃発して突発的に各所で盛大にモノ不足になった。この「突発✖突発」が見かけのインフレを生んでいるわけだ。それなかりせば、日本が患ったデフレ病は世界にまん延して米中欧をも蝕んでいたろう。駅の広告数は日本が実はその病から回復してないことを示しているのである。

したがって、ここで景況感指数が2期連続で上向いたとか、見かけのインフレに乗じて次々と商品値上げがおきている現状(嘘のインフレ)を示して景気回復の予兆だとうそぶいて増税に走るのはとても愚かしい。前述のとおり、国民はみな不安。ますます財布のひもがきつくなって消費は停滞し、GDPは伸びない。その不安は君らのせいだと企業に賃上げを迫っても、消費が減れば売上も減って株価も下がる経営者は株主総会でモノ言う株主に首を切られかねない。だから口では上げますと言ってるが容易にそうできるとは思えない。とすると行く末はデフレの再現、増税はそれを単に加速してやがて減る税収を早めに減らす効果こそあるだろう。

経済は需給で動く。ディマンドとサプライだ。銀行系証券に転籍して驚いたのはアンダーライト(引受)した株が「売れるかどうか」という視点がまったく存在しないことだった。「こんな株が700円で売れるわけないだろ」と会議で言うと満座がシーンとなってしまう(証券マンにはイロハのイ)。つまり銀行は経済の「サプライサイド」(供給側)であり、ディマンドサイド(需要側)の読みに甚だ疎い(というか、わからないから触れたがらない)。だからゼロ金利にすれば企業は借りるのが当然と思っていて、借り手がない現実を前に思考停止してしまう。僕らは需要側(消費者、企業)が病気だと結論する(それを冒頭に書いた)。だから政治のやるべきは病気を治すこととなるのだ。

ところが、黒田日銀総裁はこの期に及んで謎の金利引き上げをした。僕は金利差要因の為替モデルを自分で作っているが、現在のところ効くのは米の利上げ幅(=金利差拡大幅)より速度である。簡単に言うなら接線の傾きだ。FRB決定が0.75上げなら大きい、0.25なら小さい。この基準で統計を取ると12月のFRB決定後は132~135円が目安。昨年9月27日のブログ時点(Invest in Kishida(岸田に投資を)で円安に)では「150円ぐらいはあるかもしれない。落ち着きが良いのは僕のモデルでは135円、というのは変わってないのですが」と書いた。まさにいまその辺にあるが、利上げなどしなくても多分ここに収まった(僕はモデルを信じている)。ところがどういう理由なのか知らないがやっちまった(総裁は利上げでないというが、相場は結果がすべてというのが掟で問答無用)。すると変動金利はもちろん国民生活に深く関わる住宅ローンなど新規の固定金利は軒並み上昇するに決まってる。

これが国民の出費を増やし不安を増幅し、需要(消費)を冷やして病気の追い打ちになることは自明。供給側が需要側を殺してしまう本末転倒。この結果、GDPを下げ、国債の利払いも増え、銀行や日銀保有の国債に含み損が発生し、株は上がらない。それなのに岸田政権は「資産所得倍増プラン」「資産運用収入そのものの倍増も見据え」である。ノーベル賞級の運用モデルでもあみだしたのだろうか。「NISAで節税」?損したら税金は元からゼロだ。米国民の株式保有率が高いのは長期に株が上がってド素人でも儲かっているからなのだ。「株をやる」「投機筋」なんて石器時代の言葉を吐く人達が不得手の需要側で何をやろうが、賭けてもいいがうまくいかない。そんな些末なことより、需要側の病気を治して消費を促進し、企業が成長し、株が順当に長期的に上がる王道の政策をとれば株式投資は勝手に増える。まあ票にならないこんな分野は政権の数ある「やってる感」作りのひとつだろうが。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

ライフLife Documentary_banner
加地卓
金巻芳俊