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カテゴリー: 政治に思うこと

老獪な独裁者は鵺(ぬえ)という妖怪である

2024 DEC 2 14:14:11 pm by 東 賢太郎

天気がいい。久しぶりに見た秋空という気がする。息子と散歩がてらに蕎麦屋で一杯やった。江戸っ子はこれがたまらない。ほろ酔い加減で浄真寺にお参りすると、名物の銀杏がひときわ異彩を放っていた。

この鮮やかな黄色に出会うと学生時代に帰る。夕食にやってきた娘とその話になり、そう本郷は有名だもんねという。いや駒場だよ。あそう、じゃ本郷はとくると銀杏もあったかなぐらいでわからない。成蹊は何だっけときくと楓(かえで)という。かえでか、なるほど、かえでね、で、ところでどんな木だったっけと考えたが空しいもんである。僕は木の区別はほとんどつかない劣等生だ。いつも行く箱根の露天風呂など風流な小山にいろんな木が眺められ、幹にいちいち名前の札がついてる。行くたびに覚えようとするが入るたびに忘れてる。樹木はすべからく「森」か「林」か「木」なのだ。ちなみに成城では6年間「かつら組」だった。桂の木は見たことあるかもしれないが覚えはない。

「10年前のちょうど今日あたり、屋久島で千年杉ってやつを見て感動したけどね、あれとその辺で花粉飛ばしてる杉が同じだってわかる自信はあんまりないな。そう、自慢じゃないが花だって3つか4つだからね知ってるの、興味って大事だね、だって猫の顔は一度見たらぜんぶ識別できるんだから」。

普通はお父さんがそういうのを子供に教えるんだろうが、昔からそんな会話だからまったく役に立ってない。しかしこういうことは教えられる。

分類はすべての学問の母だ

分類は識別しないとできない。識別は興味がないとしない。興味がないと学ばない。学ばないと学問にならない。そこにはこういう関係がある。

分類 識別 興味 ⇒ 学ぶ 学問

ど真ん中に鎮座するのは「興味」で、すべてはそこから発している。分類をお仕事でやっても学問には行きつかない(写譜屋は作曲家にはなれない)。分類ができれば入試ぐらいは受かる。でも受験勉強だけでは学問には行きつかない。このことは「学問」を「ビジネス」に置き換えても正しい。

興味ある!おもしろい!

古語だとそれは「をかし」で、枕草子は「をかしの文学」と評される。しかも清少納言はその対象を分類までしている。僕はなぜ自分がそれを好きか不明だったが、自分も興味ある物事にだけ反応し分類癖のある人間だと知って理由が判明した。前稿でプロコ1番にモーツァルトのアマデウス・コードが潜んでいることを発見し、「だから自分はこの曲に得も言えぬ親愛の情を覚えているのだ」と書いた。まったく同じ解明プロセスだ。

さらにおもしろいことがある。

「をかし」の反対語は「すさまじ」「興なし」だが、そこには「をかし」を反転して負の値にしたと同じほどの否定的な感情が入っている。

ところが、英語にはそれを感じない

indifferent

なる興味深い形容詞がある。これを知った時には一抹の感動すら覚えたものだ。というのは、僕における樹木や草花への反応はまさにそれに他ならないからだ。

この言葉を少々解題してみよう。

differentは「~と違う」だ。それに否定の接頭語 in がついて「~と違うことはない」(=同じでないことはない)なる二重否定だ。めんどうくさい語だが背景には文化がある。different の differ は「異なる」という意味の自動詞だ。西洋は子供に「人はみな違う」という教育をする。みな個性や主張や物事への反応においてdifferentであるのが当然であって、それが人間のディファクト、定義のようなものだからそのつもりでお付き合いしなさいという。とすると「個性や主張や反応が他人と同じ」方が少数派ということになってきて、それにいちいち名前を付けて表現したい場面に遭遇する。そこで形容詞が必要となり、それが、

「個性や主張がdifferentでない」= in + different = indifferent

になる。重要なポイントは、その人は少数派であるにもかかわらず「妙な人だ」という否定的なニュアンスがない。なぜなら、その人の存在自体も「人はみな違う」という定義を満たしているからなのである。

(参考)https://ejje.weblio.jp/content/indifferent#goog_rewarded

いっぽう、子供に「みんな仲良く」と教育するのが我が国だ。我々だっておぎゃあと生まれた時はみな個性や主張や反応が different なのだが、いやいや、人前でそれをあんまり出してはだめだよ、嫌われたりいじめられたりするよ、「和を以て貴しとなす」だからね、という色濃い空気の中で育つのである。ディファクトから幼少期にOSの設定変更が入るわけで、いかなる動物もそんなことはないし、人間も知る限り世界にそういう国は日本しかなく、それは外人が見出す「日本人らしさ」の根源だろう。蓋し、これがあるから皇室は武力がなくとも存続してきたし革命も起きなかった。

そのOS変更は日本語という言語に深く刻み込まれていて、それを母国語として話者になった時から我々の精神構造の深奥まで浸透し、それを思考ツールとして生きてゆくのだから自分でそのことに気づくのはどんなに語学力のある人でも困難である。僕は英語を頭の中で日本語変換せずに話せるようになって(外国語ができるというのはこの状態のこと)、発出する自分の英語を振り返って比較してみてようやくわかったことだ。何かで I’m indifferent to it. とぽんと口から出て、その自分は和を以て貴しとなさないかもしれない自分なのだと気がついたという風である。

このことは翻訳が文化に関わることを示す。たとえば Tastes differ. の日本語訳は「趣味は人それぞれ」「十人十色」であるが、「蓼食う虫も好き好き」なら僕は誤訳とする。受験英語なら正解なのだが、これが僕が大事と考える「写譜屋と作曲家の差」であり、入試は作曲家までは求めないということだ。なぜ誤訳かというと、differ は何の色もなくただ淡々と「違う」という意味であり、蓼食うの方は「あいつは変わったやつだ」という否定的な感情が混入するからである。ということは differ をルーツに持つ indifferent にもそれはなく、静的、無機的、中性的で、あえて否定的な感情をこめたい場合は very をつけたりする。

a very indifferent player(とても他人と差別化できてない選手=下手くそ)

がそれだ。poor で済むのにわざわざそんなひねくれた言い草をするのはとてつもない皮肉屋であるが、好例として某指揮者がいる。汽車のポッポーが盛大に聞こえる野外音楽堂で指揮させられてブチ切れ、「ここはお抱えオーケストラを所有する世界で唯一の駅である」の毒舌を吐いたこの男なら使いそうな表現で、僕は嫌いでない。indifferent は英語を使う国民にはディファクトではないが、それゆえその人の個性としてとらえ「変わったやつだ」と切り捨てる空気はなく、very で殊更に強調してみせて初めて否定的な味付けができるのである。

いっぽう、「和を以て貴しとなす」日本では往々にしてこういうアンケート結果が出現する。

41.9%が indifferent (どーでもいい)となると少数派ではない。旗幟鮮明の西洋では「どーでもいい」は少数派だが、旗幟不鮮明を良しと教わる日本では多数派になりえるのだ。

これでは聞く相手を間違ったのではないかとなろう。日本の選挙はまさにそうで、どーでもいい派は投票に行かないから投票率は大半が5割以下だ。ということは日本人は民主主義を行わせるには相手を間違ったということになる。

イエス、ノーをはっきり言う(旗幟鮮明)と嫌われたりいじめられたりするよって、それ独裁国家のすることじゃないの?

でも日本に独裁者はいないよね、民主主義だし・・・

たしかにいない。でも、どーでもいい派は独裁者の目には「羊」なのだ。羊は和を以て貴しとなしてシープドッグ(牧羊犬)に従う習性を子供の頃からたたきこまれている。親がそう教育してくれてるのだから独裁者はごっつぁんである。姿を現さず犬を飼えばいい。犬も楽だ。牧場に置かれた巨大スクリーンに姿を映してもらってワンワン吠えるだけで羊は右に左に意のままに動くからだ。

しかし、昨今、急激に事情は変わりつつある。牧場には羊によって小型スクリーンが設置され大人気になった。すると賢明な羊たちはシープドッグは決して猛犬でもなく、血統書も偽物のその辺の犬にすぎないと見ぬき始めた。巨大スクリーンは壮大なヤラセであって、CGだったり嘘っぱちだったり都合悪いことは隠したりと、羊を騙すカラクリがバレてきたからだ。そこに旗幟鮮明派の若い羊が出現し、多くの羊がそっちの号令に従いだした。

シープドッグが「悪」で若い羊が「善」なのか?

それは羊が決めることだ。なんだ、それならまさに民主主義じゃないか、バンザイ、それはいいことだ!

注意しなくてはいけない。老獪な独裁者は鵺(ぬえ)という妖怪である。もし羊がそう決めるならシープドッグを撃ち殺して若い羊を誘惑するだろう。巨大スクリーンも粉微塵にして羊の小型スクリーンに易々と乗り換えるだけである。民主主義だろうが共産主義だろうが、鵺は羊の生き血さえ吸えればそんなのはどっちでもかまわないさという indifferent な連中なのだ。以上は日本の事として読まれたと思うが、実はアメリカ合衆国もそうなのだということに賢明な読者はお気づきだろう。

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ビジネスにはケミストリーが最重要である

2024 NOV 24 1:01:49 am by 東 賢太郎

先日、あんたとはケミストリー(相性)が合う、俺たちのパートナーになってくれと面と向かっていう米国人実業家が現れた。友人に紹介されたのだが、会ったのはそれが2度目で、始めはなめていたと思われつっけんどんだったが仕事以外の話をするうちに打ち解けた。「たち」の中にトランプの娘もいたりするが僕はそういうことよりまず人間性であり、むこうもそのようであるから是も非もない。くれといわれた履歴書をさっき送ると、上海からThanks my friend.とすぐ返信が来た。

アメリカはそんなもんだ。多民族国家だからどこから来たかよりも合うかどうかで仲間を増やしたい。生きるための手段だからその姿勢が気持ちいいほど前向きであり、仲間になるには旗幟鮮明でなくてはならない。「その程度のことでそう簡単に友達と呼んでしまって、はたしてよいものなのだろうか」なんてどこかの国の総理みたいな調子でクソ真面目な顔でくだらないことをぐちゃぐちゃいう奴はいないし、そんなのは偉くもならない。そのかわり、つきあってみてやっぱり合わないねとなるとあっさりあと腐れなく切りもするわけだ。ドライというなかれ、旗幟鮮明であるとはまさにそういうことなのである。

僕は子供のころから幸か不幸か性格が旗幟鮮明であんまり友達もできず、20代にアメリカの学校で2年もまれてさらに磨きがかかった。合う会社を見つけて入ったつもりだったが様子が変わって旗幟に合わなくなりフリーエージェント的に移籍させていただいた。こういう日本人は少ないから合う人はいないと思っていたが、旗幟に合わないとこんなめんどうくさい長文のブログを読まないだろうから、実はけっこう合う人がいるんじゃないかと数字から思えてきた。ページビューだ。去年の一日2,500から50%増え、毎日3,800人ぐらいが読んでくれている。僕はブログでミーハーにリーチする手段も意欲もなく読者は高学歴の知識人と思われる。約半分を占める40代未満の伸びだから日本人が変わる兆しという気がしないでもない。

それはいい話だが、ひとつみっともない話を書く。きのうドラッグストアで買い物したらレジの若い女性にポイントカードをすすめられた。普通作らないが金額が張ってたのでディスカウントがあるらしい。じゃあ作ろうかとスマホをとり出した。するとAppleのPWをという。あれこれ入れたがどれもだめだ。「おかしいな」「大丈夫です、よろしければリセットしましょうか」というので一度閉じた。「もう一度開いてください」といわれると、動揺してたのだ、今度は毎日使ってるスマホのPWが出てこない。まいった。このどうしようもない馬鹿なおっさんに彼女は嫌な顔一つせずやさしい笑顔で「焦らなくて結構ですよ、ゆっくりやりましょうね」と励ましてくれ、やっとできたのである。ボケ老人で危ないと思ったのだろう、紙切れをくれ「いまのPWふたつ、ここに書いて絶対なくさないように保管してくださいね」ときたものだ。30前後だろう。とても感じのいい子で、外国にこんな店員がいるとは逆立ちしても思えない。日本の財産である。

そう、日本の若者は世界に類のない財産なのだ。しかしこの世代は多くが奨学金で学校を出て30代まで返済に追われ、就職難で結婚資金もないうえに僕らの世代ひとりの年金を二人で支える。生まれてから株が上がるのを見たこともないから投資もできない。こんな日本に誰がしたという大逆風が自民党に吹いたが、それならそれでと質量ともに歴史的ボロボロの石破政権をだましだまし予算成立まで延命して自民党の負の責任をなすりつけ、裏でお仲間の立憲と「大連立」で増税と選択的夫婦別姓を狙っているとしか思えない。そこに実質減税である政策を果敢かつ旗幟鮮明にぶち上げた玉木君の勇気は賞賛に値する。女性にもてるのは当然である。ビジネスマンだから当然だがトランプも強烈に旗幟鮮明で物凄くもてる男だ。ケミストリーが合うと思うよ。賭けてもいいがビジネスのビの字も知らず旗幟が微塵もない石破や岸田は絶対に相手にしない。チャンスはあるぞ。

人の相性についての僕の考え

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怒りに燃えたトランプの大鉄槌がくだる

2024 NOV 19 11:11:55 am by 東 賢太郎

以下、松田学氏は元大蔵官僚。スマートな人の話は分りやすい。コンパクトに世界のニュースが俯瞰でき、記事の選択はやや右寄りかもしれないが左翼系のあざとい洗脳、バイアスよりずっとまし。テレビ、新聞は公共性、客観性を装おうが「都合悪いことは報じない」というとんでもない洗脳、バイアス機関であることもこれでよくわかる。

米国全メディアはハリス押し大合唱の大外れでアイヤー! その忠実なコピーである日本の全メディアはアイ~ン!バイデンは民主党じゃなく俺と犯罪(ウ)もみ消し裏ディールで辞任なんよ(ハリスなら楽勝だもんな、ラッキー)。トリプル・レッドだからな、やりたい放題やったるぜ、暗殺にきたディープステート消すんでな(馬鹿だねえ まだ言ってるぜ 陰謀論)。米軍のLGBT派は全部クビ、女子スポーツからも男を追放よ(あれー、日本は法律まで作っちゃったんですう)。俺を起訴した特別検察官な、あの野郎は2秒でクビだ、保健福祉省長官はRFケネディ・ジュニアにしたるぜ(よりによってこのワクワク凄すぎ!)。不法移民追い出し丸損3千億ドル、屁のカッパだ。関税60%?100%でもいいぜ台湾やるならな。イーロン君起用はレッドへリングよ(2億ドル支援ありがとな)。経験ない?だからなんだそんなもん、やるのはぜんぶ俺さ、あたりめえだろ裏切らねえかどうかだけじゃあ!(トランプさん日本の総理も指名して下さい)。

以上、小生周囲の業界ウワサ話。真偽の保証?いたしません。

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石破総理と玉木代表に思う

2024 NOV 13 0:00:11 am by 東 賢太郎

居眠りして風邪薬のんでましたとか、ズル休みのガキの言い訳みたいなのが出ちまうこと自体、小物感満載でみっともない。うるさい、俺が目をつぶった時は集中してるってことだ!ぐらいかませばいいのにね。そういうキャラでないしお疲れなのも理解するが、立場が立場なんだから気をつけられた方がいい。どんな組織であれ、世界のどこであれ、人は小物には本気でついていかない。共倒れリスクが高いからね。個人の身体的な限界は言うべきでないが、トランプ、プーチン、習近平、金正恩がそれを見てどう思うかということ。徹夜明けだろうが二日酔いでべろべろだろうがビシっとしている体力も要件だ。また、後輩だからあえて苦言を呈するが玉木氏も肝心なところでドジふんだもんだ。そのこと自体は奥様のご裁定であり是非もないが、これも居眠りと一緒、出ちまうこと自体がみっともない。まあトランプだけは So what? だろうが、将来トランプと対峙する気があるならそんなもんは屁のカッパの strong man ぶりでないと相手にもされんよ(もちろんだが strong womanもありだ)。

企業社会の話だが「承知しました、社に持ち帰って慎重に検討します」って言って半年もかかってやっぱりできませんなんて頭をかくのが伝統的な日本人のイメージだ。すると、その交渉のご当人は社内で strongでないって判定をされてあの人は意味ないからもう会いませんってなる。岸田総理は有無を言わさずLGBTをやらされ、やっちまって、保守に総スカンになって自民党を現状に追い込んだが、あの時点で総理であったのが誰であれ、つまり彼のお立場として逃れようがなかったと拝察する。やった者だけ評価するし、特にやれば1千億円だってくれるし、やらない奴はどんな言い訳しようが You’re fired! が米国人だから彼はその意味において成功し、奥の院を知ってる国会議員たちは与党であれ野党であれ彼を無視できないだろう。ただしここからはトランプ政権の出方次第である。

多数決というのは少数与党の総理より、別に総理でなくてもcasting voteを握ってる方がstrongであるといえないことはない。少なくともそう見せつけることは可能だ。ビジネスは大いにそうだが、実体などどうあれ相手にそう思われればディールは勝てる。そういうセンスがあるかどうか、ある人はあるしない人はないので何とも言えないが、たぶん人生一度あるかないかのチャンス。うまくやるんだね。ちなみに僕は国民民主党に投票してないしサポーターでもないが。

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あれまあ!やっぱりトランプだったのね

2024 NOV 7 3:03:04 am by 東 賢太郎

きのうディナーした米国人が来社したのが午後4時半だった。ちょうどスマホにトランプ当確のニュースが入ったのでどう?ときくと「個人は残念、ビジネスOK」ときた。なるほど、それなら僕は個人もビジネスも、まあOKだ。ウォール街はばりばりの民主党で当社もその仲間ではある。LGBTやら内政干渉には心底怒りを覚えるが、それとビジネスは別物と割り切らなければこの業界ではやっていけない。ちなみに当社のパートナーであるウォール街の某投資銀行CEOはトランプのトランジションチームに入ってるからホワイトハウスに移ることになる。「俺が不在の間に利益は何倍になるんだ」と社内では檄が飛んでるらしい。経済顧問ぐらいのポストだろうから楽しみであり、まあその分だけOKということだ。

というわけでビジネス的にはあんまり興味なかったが、「ハリスが僅差でリード」というニュースをどこかで耳にして、そんなに優秀なのかと公開討論を聞いてみた。悪いがどうひいき目に見てもこの人物においてそんなはずはない。現地にきいてみると「偏向報道の嵐です」が回答だった。しかしそれはアメリカの話だ。投票権のない日本人に日本のメディアはハリス押しのコメンテーターばかり並べて妙ちくりんな理屈をこね、気合を入れて偏向報道してる。誰が得するんだか実に不思議だ。あれまあ!って予想が大外れして赤恥をかくばかりか報道機関としての信用も失墜である。明らかにそう考えてないのだから経営リスクと思ってないのであり、報道にみせかけた新種のエンタメと解釈するしかない。

これで思い出すのはマカオのカジノだ。留学時代やロンドン時代に賭場に出入りしたが、香港ではマカオである。客はほとんど中国人で雰囲気はまるで鉄火場だ。丁半バクチで素人もわかりやすいルーレットが大人気で、テーブルを取り囲む人垣は三重ぐらいになっていたので僕は最後列から人をかき分けてチップを置いていた。やたら赤ばかり出る。次は黒だろう。あれれ、また赤だ。ええい今度は絶対にくるぞ!うわあ、また赤だ。これが6回続いた。64回に1度の珍事である。ざわざわし始め、なにやらそこらじゅうから大声で中国語が飛び交い、あたりは興奮のるつぼと化してきた。もういくらなんでも赤はない。確率はいつでも1/2なんだけど人間は思いこみに弱いのである。かく言う僕も賭けようと試みたが、あちこちから手が伸びてきてはじかれてしまい断念した。黒のベットゾーンに高額のチップがこれでもかと山積みになる。後でもめないようにディーラーはプレーを中断し、スティックで用心深く山をゾーン内に寄せて仕分けした。緊張が走る。いよいよ数字盤が回る。No more bets!  場がシーンと静まりかえる。カラカラと乾いた音を立ててジャンプした球がコロンと収まったのは、赤だった。

アイヤー!

多勢の混声合唱団のように見事にテンポのそろった大音声の絶叫が場内にとどろきわたった。これ、英語で「オーマイガー!」、日本語で「あれまあ!」である。正確に記すと、

アイィィヤァァァァ

であり、アイが四分音符、ヤーが二分音符のフォルティッシモで、速度はアダージョ、最後が嘆息ぎみのディミニュエンドで一抹のもの悲しさが漂ったものだ。なかなか音楽的であったのは皆さんの落胆の気持ちがひとつになっていたからだろうと思われる。このたび、バイデン政権のアイヤーも壮絶なものだったろう。メディアはお通夜みたいに真っ暗だ。それの忠犬ポチだった日本のお歴々はどうするんだろうか。

「トランプだったね、やっぱり」「安倍さんの死を悼んでたよな、やったのはあいつらだって」「現総理はアンチ安倍の急先鋒って伝わってるだろうな」「当然だろ」「なんでも麻生さんとは割とウマが合うらしいよ」「へえなんでかな、そんな刺さる話したのか」「いや、あいつは金のにおいがするって言ったらしい」

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この不可思議な総選挙はなんだったのか

2024 OCT 30 0:00:27 am by 東 賢太郎

ひょっとして石丸人気でひらめいたのか、支持率ゼロへのまい進をものともせず張り切るキッシー氏を見限ったのは大使閣下お気に入りの”ボク”に首をすげ替える意図だったと思われる。ボクをstrong manに仕立てるには「新鮮なイケメンによる刷新感」を売りに、ボロが出る前に「即刻の解散総選挙」 で速射砲のごとくたたみかける猫だまし作戦が必須だ。それで大勝させて11月に帰国し、アチラから操るのが閣下のシナリオだった。日本側の視点からすればボクをそそのかして踊らせ、「裏strong man」として影響力を行使しようという長老の策略でもあったわけだが、ボクの口から発せられる構文が軒並みSNSのお笑いネタになる事態は見ぬいてなかった。まずい。閣下の不興を買うイッチー女史の登板を避ける手駒は党内野党のゲル氏しかない。その結果があの驚天動地の国会議員投票だった。まるでバイデン・ジャンプじゃないか・・そうして愛国保守がお通夜のごとく沈黙する一夜がやってきたのである。

ゲル氏の登板が国民的な待望でなかったことは、支持率が早々に28%と末期のキッシー政権と10%しか違わぬ所に落ちたことでわかる。そこでゲル氏は裏金議員の非公認など前言撤回をくり返して批判されたが、緊急登板でもあり理解できぬことはない。自民党総裁選中に訴えていた「衆院解散前の衆参予算委員会開催」は、ボクよりは弁の立つ彼としてはまともな手であった。ところが彼はそれをも撤回し「即刻の解散総選挙」に切り替えた。これは驚いた。ボクの擁立が大前提であった「猫だまし作戦」への回帰であるからだ。

猫はそう簡単には騙されない。氏はイケメンでもなければ新鮮なイメージもなく、刷新感どころかキッシー路線の継承まで言っちまってる。こりゃめちゃくちゃだ。現場は対処の間もない。敵方はここぞとばかり裏金ミサイルの集中砲火を浴びせかける。歴史的大敗を喫するだろうという結末は素人にも予見可能であった。ふたをあければ何らの抵抗もなくあっさりとそうなり、野党が不信任決議案を出して自民内の敵方がそれに賛成するか棄権をすれば退陣か解散の二択しかない事態となった。解散は民意に反するだろうから退陣に追い込まれる。つまり将棋なら詰んでいる。ふつう、選挙のプロがそんな馬鹿なはずはなかろう。

僕は犯人が凶器にマンドリンを使うという不可解な殺人現場を残したエラリー・クイーンの名作「Yの悲劇」を想起し、もしかしてそういう驚愕の裏事情があったのか、はたまたゲル氏とモーリー氏が党内の敵方を一掃する自爆作戦を演じたところ、想定外の爆裂に自分が大出血して死にかかったのだろうかと考えた。理由はともあれ聡明なアチラさんの目からすれば非常におバカであり、政治は結果責任がすべてである。こんな輩がstrongに見えることは完璧に、ない。したがって、この選挙は「忠実なstrong manポスト争い」に野党党首も手を挙げられることを示した革新的なものとなったのである。

つまり、前稿で述べたとおり、自民党なるもの、即ち80年の長きにわたって同党が維持してきたマッカーサーのマンデート独占に裏付けられた甘い汁を吸う特権は溶解し、消滅の一途にあることが確認された。我が国がサンフランシスコ講和条約のくびきを解いて真に自立した国家になる第一歩になるのが我々の子孫にとって望ましいが、それができる政治家が何人いるだろうというミクロの議論に落としこまれていくだろう。裏金議員のみならず世襲のお気楽なファミリービジネス議員も一掃し、「世襲はできるが親の地盤の引継ぎは禁じる」という英国型の選挙システムにまで浄化する契機となるのではないか。

「忠実なstrong man」の日本語訳は「ポチ」であり、wikipediaに載せるなら代表的人物の写真はキッシー総理である。彼はそうなるために邪魔な派閥を破壊し、フラットな総裁独裁体制を築いた。ゲル氏がそれを引き継ぐには、どんなに変節といわれようがキッシーイズムを継ぐしかガバナンス保持の方法がない。さもなくば45日で首になった英国のトラス女史の二の舞だからなりふり構わずそうするだろう。イッチー女史は愛国保守の女神とは思うが国際政治はそう甘くない。腹をくくれるかどうかだ。本当かどうか、アチラから聞いた通りを書くが、トランプはキッシーを完璧に馬鹿にしてるそうだ。するとそれを継承する以外に道のないゲル総理の命運も見える。トランプは愛国保守である。来週はいよいよアチラの選挙だ。

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衆議院選挙を支配する法則について

2024 OCT 24 9:09:27 am by 東 賢太郎

これを書いたのは9月21日、石破総理誕生の11日前である。一言一句、変更していない。

自民党総裁選に思うこと

同稿は「自民党の裏金問題は国民の記憶からは消えない」で始まり、「総理は民意を無視して決まり得るが(筆者注:そうなったといえる)、その場合、やがてある衆院選、参院選で自公は “予定調和的に” 大敗するだろう」と結論した。その通りになっているように見えるのは僕に情報があるからではない。事実の集積からある法則の存在が推定され、「それによる予定調和」に至ったと見ているからである。その法則は同稿に譲るが、今の情勢をみると正しい可能性もある。もしそうなら、自民党執行部はそれがわかっておらず、事態は時々刻々と進行し、そのまま行けば自民党なるものは消滅する。

つい先日、目黒駅からタクシーに乗った。「あれMさんですよ」と運転士が指さした前の車はなるほど元大臣の自民女史の選挙カーだ。「泣き落としじゃ苦しいですよね、裏金やっといて」。仕事のメールを読むのが忙しいのでこういった。「そうなんですか、政治は疎いんで」。でも、それはそのとおりだ。涙で法則は変わらない。会食が終わった。僕らは政治など関係ないのでそんな下世話な話はしない。ところが帰路のタクシーの運転士も選挙の話を始めたから参った。「あんなコロコロ言うことが変わる総理はいませんね」。またしてもメールがたくさん来ていて、揺れると小さい文字が読みにくい。「そうなんですか、政治は疎いんで」「ええ、ひどいもんです。あっさり裏金議員を公認しちゃったでしょ、で、批判されると一部は非公認ですって、わけわかんねえですよ、ふざけてますねこいつら、自民党には二度といれません」。そういえば昨日、非公認議員にも公認料と同額の2千万円が出ていたと仰天のニュースがあった。なんと国民を欺くためのヤラセ非公認だったのか、裏金議員を処分した党が裏金を振り込んでいたのかって、あの運転士さん怒ってるだろうなあ。たしかに、それ原資は税金だからなあ。

政治は疎いんでは事実だ。政局は芸能界裏話に等しく、そんなもので世界は動いてない。政治家は政策で選ぶべきだから、その人物が噓つきだと有権者はどうしようもない。馬鹿はあり得ないが嘘つきは最悪なのだ。つまり、何度も書いたが、たかが学歴ではあろうと、噓つきの前科者は政治家にしてはいけないということこそが最重要ポイントだ。コロコロ変わる石破氏がそれだという運転士氏の主張は、しかし、やや違うのかもしれない。なぜなら彼は背後から操作されており、さもないとその場に居続けられないと悟り、意に添わぬ台本に合わせようと観念した発言がコロコロに見える。そう思わないでもないからだ。どう考えても主義主張が合うはずのない岸田政権を踏襲すると言ったが、そうであるならば背後は使い勝手が史上最高に良い岸田氏をクビにする必要などなかったわけだ。彼の低支持率では国会の支配力なしと判断したのだが、新総理のご祝儀があるはずが大してかわらない。こいつは用なしだと岸田に戻しかねないと恐れた。そこで出た、岸田さんとおんなじです、言いなりになりますからご安心くださいという背後への忠誠宣言と思われ、これだけは翻すのはクビになった時だけだろう。

こう書くと夢も希望もないが、仮に高市総理になっていても同じことである。強引にそれを阻止したのは彼女は(あえてぴったりの英単語で書くが)idiosyncraticに見え、教化するのは面倒くさそうだ(あるいは安倍元総理と同じほど無理だ)と判断されたのだろう。忠誠とは愛国保守を押さえ込んで国会を支配し、都合の良い(従って愛国保守の怒りを買う)法案と予算を可決させることであり、それができる者を米国人はstrong manという。男でも女でも野党でも馬鹿でも構わない。いやむしろ猛烈な馬鹿で簡単に手なずけられ、多数いる同レベルの国民の受けがいい者こそがお手軽でベストである。しかし忠誠であればあるほどやってるうちにお里が知れて愛国保守を敵に回すので、支持率は時とともに確実に落ちていくという法則も存在する。だから総理は使い捨てでオッケーなのである。そこで、やばい、捨てられると思うと権謀術数、奸計、裏切りなど秘術、裏技の限りを尽くしてお眼鏡にかなうための芸や大噓をくりだしたりの泥仕合が行われる。これが政局の渦の目であり、岸田氏は今もそれでだから俺のがましだったでしょとクリンチしている。国民にはそうした悲喜こもごもの寸劇に根強いファンが一定数おり、消費税ゼロで企業に課税しますなどと秦の始皇帝でなくてはできなさそうな政策を大真面目に掲げる者すら万年名脇役として国会に居場所があったりする。背後はそんな連中はどうでもいい。1955年以来主役たるstrong manが輩出されてきた、というより、党首にさえなれば自動的にそれにしてくれるマシーンとしての自民党が大事であり、操作すべき対象であった。べつに自民党である必要はないのだが。

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自民党総裁選に思うこと

2024 SEP 21 11:11:30 am by 東 賢太郎

自民党の裏金問題は国民の記憶からは消えない。メディアからはとうに消えているがネットには残って温度感がキープされ、よって次々に新たな書き込みが誘発されるからだ。これぞ情報新時代における政治現象の記憶保持の例として後の政治学者、社会学者、統計学者の恰好の研究対象になるだろう。こと政治に関する限り「台風一過」、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という日本人の社会学的特性は昭和と共に去ったという結論に行きつくことは必至と思われる。国民は馬鹿だからすぐ忘れるという感覚でやっている政治家はどんな大物であろうとオワコンとして国民の記憶から藻屑のように消し去られ、「そうやって消えた寂しい政治家」のカテゴリーの一員として記憶保持されるだけだろう。

全国津々浦々にある裏金問題の怨嗟の中で米国追従だけに全身全霊で邁進してきた岸田政権において、支持率回復になり得る新たなネット情報を誘発する可能性は極めて微小であり、仮に書きこんでも影響あるほどのPVを獲得する可能性は限りなくゼロに近い。よって、それらを先行指標とする支持率がゼロに収束していくことは、何度も指摘した数学的ともいえる自明の理なのであった。それは情報拡散力や発信ソースの多様化など往々に指摘されるウエッブの特性のみにとどまらず、国民の行動、意思決定に関わる現象、いわば思考回路の形成にまでネットが関与しているゆえの現象だ。回路が変容すれば求める情報、その質と量、そしてそれをインテリジェンスとして引きおこされる個々人の判断や行動も変わることも、これまた止めようのない自明の理だ。それは例えば「国民の6割が1か月に1冊も本を読まない」という情報の受け手側の事情に原因の一端をうかがい知ることができるが、その解釈を間違ってはいけない。6割の国民が文字離れの馬鹿になったのではなく、賢い人もネットでしか読まなくなったのである。

この現象はウエッブという増幅器によって加速度的に進行し、自動車が人力車に戻らなかったのと同じほど逆行、復元の可能性はゼロである。止める方法は日本国民にネットの閲覧を禁止する法律を作るしかない。都知事選においてネット発信で戦った石丸候補の得票数に今更驚いて石丸現象などと騒ぐ既存メディアの運命も、従って “予定調和的に” すでに見えているのである。そうか、それがニュートレンドだ、そうであれば石丸に習って「若返り」だと43才を売りにする自民党幹部の思考レベルも国民はネットを通して完全に見透かして冷笑している。自民党員しか投票はできないからそれでも総理は民意を無視して決まり得るが、その場合、やがてある衆院選、参院選で自公は “予定調和的に” 大敗するだろう。

僕は都知事選で石丸氏に投票したが、それは彼が若いからではない、京都大学でちゃんと勉強していることを演説と討論会の言説で確認できたからだ。それを欠いている人の発信は、最初はテレビだけでも瞬時にネットで配信され、ウエッブで増幅され、様々な第2次配信者による色付けがなされた状態で永遠に残る。次回話題になったとき、全有権者は自由に随時にそれを何千回でも再現でき、既存メディアの得意技である「報道しない」という世論操作はもはやできない。報道しなければそのこと自体を国民は「印象操作だ」と認識し、確実にその政治家の「負の印象」が不可避的に固定化する。やればやるほど学習効果によって強固に固定化する。ウソだった公約は、公約内容は忘れても「嘘をついた」という事実は永遠にクローズアップされる。そのころ、1か月に1冊も本を読まない有権者は7~8割になっており、ネット依存は決定的になっており、オンライン選挙への移行から逃げようがどうしようが、投票行動にそれが影響を及ぼさないはずがないのである。

それはリスクを伴う政治判断をする場合に政治家に不利益とも考えられるが、その時点で是であると国民も考えたならそういう形で記録されるので結果が非と出ても傷にはならない(それこそが民主主義だからだ)。つまり政治家は国会で民意を問うという当然の義務を果たせばよいだけだ。それを無視した岸田政権が党議拘束をかけて強引に押し倒して通したLGBT法案決議の悪評は強固に記憶保持され永遠に許されないが、それは民主国家における自業自得という一例にすぎない。つまりそういう政権は悪評と共に潰される非業の末路を迎える。その事例が増えれば失政のステレオタイプとして国民の脳内に蓄積し、それを喚起するネットの書き込みがあふれて印象を増幅し、それをした政治家は投票されなくなって落選するだろう。未来に誰がどう言おうと俺は構わない、強引に権力を奪おうという政治家には抑止力にならないかもしれないが、どういう人間を当選させるとそうなるのか、これからの国民は中高生あたりから多くの事例をネットで見聞きして学ぶことができ、反復のシミュレーション効果が表れ、やがてそういう兆候のある者を政治家に選ばなくなる。思考回路とはそういうものをいう。

衆議院議員も参議院議員も、すべからく自民党議員は選挙の顔をすげ替えなければ次の当選が危ないと懸念するのは昭和・平成の選挙の残り香である。周囲がそう考えて行動するのだから「美人投票」で生き残るには仕方ないが、恐らく、石丸氏はそう考えないだろうしそういう議員が増えるだろう。表紙が替われば悪書が良書になるなどという場末のマジックショー並みの安いトリックは、候補者の知名度とテレビの露出ぐらいで投票するしかなく青島幸男や横山ノックが知事になった時代の遺跡だ。そういう結果を民意がもたらしたのだから当時の有権者がその程度だったということだが、ネット情報で新しい思考回路をもったこれからの有権者はそうはいかないだろう。デパートの包装紙であれば何を贈っても喜ばれて安心だというのは昭和の話で、デパートの方が消えていく今ではナンセンスなのである。喜ばれるのは中身だ、本当に良いものだけが生き残る。

以上を書きながら思い出したのは、コロナが出てきた2020年の8月に書いたブログ「ジャイアンであるためにジャイアンな政府」だ(注)。ロンドンで生々しく体感し、我が政治観の原点になった「サッチャー政権と英国民の民意の関係」についての論考である。僕は彼女のしたことを支持するし、基本的に小さい政府を良しとするが、それがサッチャリズムという呼称と共にネオコン、新自由主義に姿を変え、こともあろうに社会主義、共産主義に近い思想に摺り寄せられて解釈されたことには大きな違和感を覚える。彼女はエスタブリッシュメントの巣窟である保守党で異例の中流の出である。英国では議員の世襲は親の地盤を継げないなどフェアな制限があるがクラス(階級)にそれはないためにいじめにあった。田舎の雑貨屋の娘はまず階級と闘争する必要があったのである。しかしオックスフォード大学で化学を専攻した彼女の知性と意思は非常に堅牢だった。周囲をメジャーでないユダヤ系の切れ者の登用で固めるという策で切り返し、国柄を変えるほどの大改革を成し遂げた。大政治家でなくて何だろう。戦争を仕掛けた是非はあろうが、あのころ、ロンドンの空気はというとまるで13連敗してプライドがズタズタだった2017年の読売巨人軍みたいなものであり、フォークランドを取り戻したことがどれだけ国民の士気を上げたかわからない。これに勝利してそれまで不人気だった政権支持率は保守層のみならず労働党支持の大衆においても急上昇した。クラス社会、男社会を正面突破した彼女の看板は「女」でなく「鉄」だ。「初の女性総理」が売りなどというくだらないうたい文句は、その空虚な意味のなさにおいて「初の43才」と何の相違があろう。鉄はサッチャーの学識、知性、意思、決断力そして何より愛国心に与えられた称号だと僕は思う。

 

(注)2020 AUG 17に書いた「ジャイアンであるためにジャイアンな政府」は2025 AUG 17に「権力者であるために権力者でいたい政府」に改訂しました。

 

権力者であるために権力者でいたい政府

 

 

 

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自由が丘を走っての軍事的雑感

2024 SEP 16 1:01:15 am by 東 賢太郎

人間ドックで体重を5キロ落とせと言われた。2年ご無沙汰だったのは採血と胃カメラが嫌なのもあるが、コロナ入院から解放されて安心してしまっていた。その間にあれだこれだの数値がメタボ級になっており「このままだと糖尿まっしぐらですよ」と脅かされ、「5キロ落とせばみんな戻るでしょう」と励まされる結末に至った。ものぐさなのでシンプルな解決が好きである。よし、それならという気になった。

土手で転んだ傷もきれいになった。夜の9時ごろからのジョギングを再開したが、川は懲りたのでとりあえず自由が丘を目ざすことにした。この街、通過はすれどよく知らない。故中村順一が近くなので詳しく、行きつけの緑道沿いのナポリタンの旨い店とバーに行ったぐらいか。通りの表裏に居酒屋、ショットバー、あまり気取ってないイタリアン、フレンチもあったりと、世間ではこじゃれたイメージがあるが、江戸の老舗や個性的な中華などはないからあんまり興味ないというのが本音である。

駅前のロータリーから東横線のガードをくぐる。ラーメン屋、てんぷら屋のあたりにかけて看板やチラシを手にした男女がずらっと並んで客引きに忙しい。このごちゃごちゃした小路、「美観街」とあるがウィットだろうか。「自由」ってのも「なんたらが丘」ってのも、この辺は東急が開発するまで野っぱらだからで、良くも悪くも毒がない。新宿、渋谷、池袋あたりの裏路地のヤバそうなムードはないが、水清くして魚棲まずの感無きにしも非ずである。新しい街の住人はみな「移民」である。地縁がないからつき合いも希薄で共同体より個の意識が強い。ざっくりいえば、徳川時代の江戸だった東京の北東は村社会的で、南西は都会的だ。都会は個を気ままに貫けるが助け合いより競争的である。

自由通りの方に進むと、やおら高校生らしき男女が道にあふれ出てきた。9時半を回ってる。線路のあたりに駿台、河合塾、四谷学院、Z会などがこうこうと明かりをともしており、一斉に授業がはねたものと思われる。あたりに幼稚園の予備校まである。一緒に祭りの神輿をかつぐなんて土地柄でなく、都会の住民の子たちであろう。クモの子を散らすように猛スピードで暗がりに散っていった彼らは、本当に勉学が好きなのか親の管理下でそうなってるのか。ふと思い浮かべたのは「猫カフェ」だ。あんまりじゃれない猫たち。奔放にお客に嚙みついたりひっかいたりすると営業に向かないのだ、可愛そうにともう行ってない。

面白そうなのも見つけた。朝8時閉店までどうぞ、気絶するまで営業します!という人情居酒屋だ。こういうのがあるだけで元気をもらえる。それにしても徹夜で焼酎飲んで朝飯食って帰る奴ってどんなだろう、よほどの時差ボケか昼夜逆転した人か、いやいやそれでも普通は朝まで飲まないだろう。あんまりまじめなイメージはないが人間は面白いんじゃないか。イタリアみたいだなあと思う。奴らは明るくて遊び好きだ。クソまじめなドイツ人より面白いと思っていたらそのドイツ人だってアルプスを越えるとなぜか明るくなると自分で言ってたっけ。オペラやサッカーが11時ぐらいにはねてから騒いで朝帰りなんてあたりまえで元気であり、それでも優秀な奴がたくさんいたし、そんな中からヴェルディもプッチーニも出た。間違いない。人間力をつけるのは断然遊びだ。

このあたりに住んだのはプライベートは静かな処でと思ったからだが、転んで死んでても朝まで発見されないぐらい静かである。時に人恋しくなる。そういえば浅草は良かったぞ。演芸やお笑いが好きで仕方ない連中がたむろす人情味どろどろの世界で、恋も喧嘩もいいじゃないか、人間は持って生まれたものを全開にして生きた方がパワーも出るし幸せだ。落語、義太夫、見世物、そんな地酒、どぶろくの中にワインみたいなオペラを持ってくるとスッペのボッカチオが「ベアトリ姉ちゃん」に化ける。種子が根づいたのは鹿鳴館じゃない、パワー全開で人間くさい浅草だった。いやスッペなんてウィーンのどぶろくみたいなもんで、そういうかっこつけない生き方こそ正統派と思う。

明治の大衆はエネルギッシュだった。これがあったから日本は強国になれた。廃藩置県で幕藩体制が壊れ、刀もちょんまげも取り上げられたのだから武士の剣術でそうなったわけではない。ただ武士の子は藩校という世界に例のないエリート養成学校で幼時から文武を叩きこまれ、文にも武にもインテリジェンスのある傑物がいた。米英仏の口車で再三そそのかされても内戦をせず、無血開城で江戸を火の海にしなかった西郷と勝はそれであり、植民地にされる瀬戸際で命を賭したからそうなれたのであり、こういう者をエリートという。ガリ勉していい地位について国を売ってでも私益だけは守ろうなどという者を大量生産するなら、それは教育と呼ばない。

日本は西洋から船で来れば最も僻地である。米国からも遠い。外圧を防ぐ地の利はあったが、それでも薩長は大変にアウエーである英国と戦火を交え、ホームで大敗を喫した。弱かったからではない。徳川の世で戦さがなくなり、種子島の火縄銃を数日でコピーする知恵と器用さがありながら技術を進化させるには欧州に周回後れをとっており、気がついたらアームストロング砲の時代だったからである。だから両藩のインテリジェンスに攘夷などという言葉は最早ない。公武合体派の薩摩は薩長同盟で倒幕に切り替え、そこに「尊王」という定冠詞をまぶし国民国家の宣言となる王政復古の大号令を発して慶喜を賊軍に押しやった。我が国に王政の時代などなかったからこれは官軍の旗と同じくフェークであったがこういうことはやったもん勝ちである。

欧米は日本の何倍も大きい中国の解体を狙い、日本はそのための闘犬に仕立てるべく開国させて不平等条約で囲い込む戦略で一致した。明治新政府の「富国強兵」とは武器開発の後れをリカバーし、犬でなく人に昇格するインテリジェンスであり、これなくして不平等条約のタガがはずれることはなかった。その証拠に、英国が条約改正したのは日清戦争に勝って軍事力を認めてからである。これを愛国ともいえるが、犬扱いされた人間の当然のプライド、自尊心である。それを勝ち取るには軍事力が必要。きれいごとではないこと、実効性があることを北朝鮮が実証している。さらに闘犬は猛々しく露西亜も破り種子島での能力が伊達でないことを見せつける。これは欧米を恐怖させ、ワシントン海軍軍縮条約で主力艦の総トン数比率を米・英・日・仏・伊の軍縮に至り、対英米6割という屈辱を甘んじて受けたものの三大列強の一角になったのだから驚くべきことだ。戦後の高度成長は朝鮮特需であって新技術、新製品があったわけではない、まったくのアメリカさんの都合、棚ぼたであり、それを短期に供給できたことぐらいだ。我々が真に世界に誇るべきは近代国家の創成期に、短期間に軍艦建造大国になった工学力、つまり理系の技術である。

戦艦大和(左)と武蔵

この過程で米国が将来的な仮想敵国となるであろう事を軍部は強く意識した。統帥権干犯問題を盾に単独行動を強化し、国際連盟脱退、ロンドン海軍軍縮会議脱退から巨大戦艦の「大和」と「武蔵」の建造を開始、そして、その行く末に対米戦争に至るのである。この戦争の終結において米国は総トン数から核弾頭数へと武器のフェーズを更新し、英国を蹴落として世界覇権を奪取した。それをもたらしたのは核開発に枢要な理系人材の確保であり、敵国ドイツでナチに殺されかねなかったアインシュタインらユダヤ人物理学者を迎え入れアメリカ国籍も与える戦略をとった。同じことが音楽界でもおき、ユダヤ系のワルター、クレンペラー、シェーンベルクなどが続々と米国に亡命した。日本は法律も科学も欧米から輸入しひたすら翻訳、コピーした。だから東大という富国強兵のための官僚を作る大学の学部は法医工文の序列になり、法は不平等条約改正、工は軍艦や兵器の製造(工学部が大学に入ったのは日本だけだ)、文は洋書の翻訳だった。いまだに序列はそのままだ。東大法学部卒は海外へ出ると何でもないが国内では幅を利かすルーツはここにある。

政治家に理系がおらず、そうでなくとも思考訓練をしていればいいのだがそれもなく、ド文系が国を支配しているルーツも無縁ではない。これは「世の中は理屈じゃない」と神風を信じる日本人の精神構造そのものにも膾炙しており、政治家に理系が揃う中国はそれを是非とも温存させたいだろう。日本は欧米の科学を迅速にコピーして世界をあっといわせたが、それにかまけて最先端の基礎理論から自らの手で新技術を生むことを重視しなかった。ナチスに迫害されていた多くのユダヤ人にビザを発給し、彼らの亡命を手助けしたことで「東洋のシンドラー」と呼ばれた外交官、杉原千畝がいたのだからドイツ人物理学者は日本が保護する可能性もあっただろう。核爆弾はドイツも日本も研究しており、先に開発すれば広島・長崎は救われた。こういう手は奇策でも謀略でも何でもない、いわば喧嘩に勝つ悪知恵を考えて巧妙に手を回すインテリジェンスであり、米国ならCIAが堂々としてることで、だからその “I” が名称に入っているのである。杉原の善行を汚すことにはならない、なぜなら外国との虚々実々の立ち回りはそういうもののオンパレードであることは外国に住んで厳しいビジネスをした者にとっては常識であって、それでこそ国も助けた、国益に資する行為だったとなり、日本人は侮れぬと一目置く国際評価になるのである。「日本人はいい人だ」ではなんにもならないのだ。

くりかえす。米国にあって日本になかったのは情報(information)以前に諜報(intelligence)だ。真のインテリがいなかったのである。こういうことは学校でも塾でも教えない。わかるのは喧嘩や野球をしたり麻雀をしたりの「遊びの場」であると実体験から僕は確信する。秀才だけ何人いても国はだめなのだ。神国日本を信じ、理屈が嫌い、欧米が嫌いで反知性主義に傾きがちな保守的国民もそれで良しとした。そして、その嫌いな最先端科学技術で無抵抗に殺されたのである。無学の大衆は仕方ない、これは文系エリートの大失策である。最強の武器を持てば襲われることはない。自ら襲うことをせず日本人が古来より誇る賢さと謙虚さで生きていけば国民は安寧に生きていける。保守的国民、大いにけっこうだ(僕もその一部ではある)。しかしこれぞ幕末の「尊王攘夷」なのである。薩長は幕府に先駆けて英国と殴り合いの喧嘩をし、勝てないと知った。これがintelligenceであり、勝てない喧嘩をするのはただの馬鹿である。半藤一利氏は薩長史観を否定し尊王攘夷は倒幕の口実とする。その結果起きた戊辰戦争は暴徒と化した新政府軍の東北、越後への侵略戦争になってしまったという部分は同意するにせよ、薩長が動かねば国ごと英米の謀略と武力でじわじわと侵略され、明治維新などと美名がたつ国造りなどおぼつかなかった可能性がある。

「大和」と「武蔵」。僕は英国のヨークにある鉄道博物館で、新技術だった電気機関車にとってかわられる前、1938年に時速203キロを記録した最新式蒸気機関車マラード号を見た。この数字は驚愕だった。

ヨークの国立鉄道博物館に展示されているマラード

マラードの速度記録銘板

ひとめで「戦艦大和」だと思った。奇しくも大和の起工は1937年である。英国の凋落、米国の勃興の象徴。新幹線ができる26年前に200キロ出した機関車を生む技術、安全走行させる保線技術もが世界一でないはずがない。きかんしゃトーマスのスペンサーとして今も愛されており、現在もマラード号の記録は破られておらず、ギネス世界記録にも「世界最速の蒸気機関車」として認定されている。しかし、電気機関車の出現で1963年に消える。時代遅れの技術で最先端に立っても意味ないばかりか、依存してしまえば自信をこめて国運を過つのである。世界に冠たる大和、武蔵は世界一のスペックを誇る戦艦であったが、完成したその頃に海戦の主役は戦艦から空母機に代わり、沖縄へ向かう途上に多数の米軍艦載機による攻撃を受けて鹿児島県の坊岬沖で撃沈された。だから国民を安寧に生活させるためには常に最先端で競って勝っていなくてはならないのは自明であり、なぜ2番じゃダメなんですかという馬鹿な女が政治家をやり、1番は保安官におまかせなどという精神構造が国民にできてしまえば、それだけで国家の滅亡は予定されたようなものである。

いま海軍軍縮条約は核軍縮条約になり、国際法はあっても拘束力は何もない。無法者が何千発でも核弾頭を装備しいつでもミサイルをぶっ放せる中で核保有なしというのは、西部劇で「殺し合いはいけません」と銃を持たない処女ばかりが住んでいる清廉な街のようなもので、それが今の日本である。守ってる保安官は実は自分たちを襲った奴であり、そいつは他の街で喧嘩を煽って何十万人も殺してる。こんなお人よしの街はないだろうというと、世界史上に前例がひとつだけある。カルタゴだ。案の定、いちゃもんをつけられ保安官のはずだったローマに撃ち殺されて歴史から消えた。いま総理になるとかならないとか言われてる連中はカルタゴの名前ぐらいは知ってるんだろうか、いやそれも危なそうだと不安になるのがちゃんと総裁候補に用意されているではないか。イケメン俳優で台本どおりにもっともらしくセリフを吐くのだけがうまく、何も考えずに保安官が飲み食いしまくった領収書を経理部である国会に通すだけ、それでも国民から人気をとる芸がうまい。すばらしい。保安官からすれば、日本国民から税金を巻き上げて何も考えずに自分に貢いでくれる、そういう壮絶な馬鹿をおだてて総理に祭り上げてもらうのが何よりありがたい。幸い国民はそこまで馬鹿でない。そんな職業に就きたくないから傑物が政治家にならない。政治は互助会みたいなファミリービジネス化して、ビジネスだから株主利益追求が目的となり国民の命などどうでもよい。これを変えるに派閥潰しなどは国民の目くらましで何の意味もない。我々は真剣に選挙制度を根底から変えないとだめだ。西郷や勝のような傑物が政治家を志し、金も地位もない身でも総理大臣になれる制度を作ろう、そういう国会議員、まずそれに命をかける議員を選べばいい。

自由が丘で夜の9時半まで塾でがんばってる子たち、勉強は大事だよ、塾通いも結構。しかし勉強は偏差値を上げるためじゃなく、インテリジェンスをつけるためにするのだ。ぜひエリートになってください。

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お彼岸の浅草で考えたこと

2024 AUG 17 18:18:52 pm by 東 賢太郎

浅草へ行った。不思議な処だ。神田育ちで下町好きの親父に連れられてよく来たが、にぎにぎしい仲見世通りのこの風情たるや、テキ屋がずらっと並んでうきうきするやすぐ閉じてしまうお祭りや縁日を年中やってくれている贅沢感がたまらない。当時、ハイカラだねという日本語があった。世田谷も成城あたりで育つとこれのことかと思い込まされている種の言葉で、だからここは異界である。長じて知ることになった異国情緒なるものに似た気分さえ味わっていたのだから、いまそこいらじゅうから聞こえてくる異国の言葉の人々がこれをどう感じているのかは想像すらつかない。日本らしさ東京らしさを覚えているならばそれは正しくもあり、誤解でもある。

浅草寺の北のほうはさらに馴染みがないがその昔は吉原あたりで、いまも猥雑さが残る。飯はだいたいがそうした界隈のほうが旨いというのは大阪でもそうだった。単に自分がB級好きということかもしれないが、香港やタイやベトナムでも、さらにはニューヨークでもロンドンでもフランクフルトでもそれは思ったからインターナショナルな法則かもしれない。せっかく来たから弁天山美家古鮨はどうかなと馬道通りに向かった。まあ盛夏に寿司なんてろくでもねえと思いきやちゃんとお盆休みだ。じゃあ趣向をかえて洋食だねということで、これも老舗であるリスボンと相成る。10分ほど待ってありついたのはカツレツだ。ソースはケチャップで、衣のカリッとした歯触りが実にいい。

満腹で外に出たところが、くそ暑いなかで一気に飲んだビールがいけなかった。隅田川に出たあたりでだんだん足どりが重くなり、視界が青黒くぼやけてちらちら星が見えだしたからいけない。向こう岸に東京スカイツリーがそびえるあたりで手すりにつかまってじっとしていると熱中症だといわれたが、その病気はどこがどうなってどうすれば治るのか知らない。そういえばペットフード屋の策略なのか猫に甲殻類をやると死ぬとか騒ぐ。てんでおかしい。うちのチビは天丼の海老のシッポなんかばりばり食って長生きした。素人の分際で熱中症もそのたぐいとはいわないが、日本人が国民的に弱体化したのでなければいわゆるひとつの暑気あたり、関西ではあつけがはいるというもので、平均気温が上がった分だけ数は増えたのだろうが昔から亡くなる人もいたし平気な人もいて、いま甲子園でやってる子たちは平気な部類であり僕もそうだ。

休み休み川沿いの公園を上流の方に歩く。すると道端の句碑らしきものが目にはいり、

羽子板や 子はまぼろしの すみだ川

と読めた。水原 秋桜子遠い記憶がよぎる。高浜虚子と同様、教科書で見覚えて気に入った俳句があったが忘れた。まだぼーっとしておりその場はそれだけで去ったが、後で調べると秋桜子(1892 – 1981)は神田猿楽町の産院の息子で、我が曽祖父のキカイ湯の客人であったかもしれないと想像すると楽しい。獨協、一高から東大で医学博士、それで俳人になった。普通でない人は実に興味深い。東大医学博士の文人は森鴎外もいるが、個人的には音楽の方が好きであるのは理系確率が高く双方に親和性あるアートであるからかもしれず、れっきとした学位がある数学者のアンセルメ、ブーレーズ、クセナキス、化学者のボロディンはみな根っからの好みだからけっこう正しいと思ってる。

羽子板の句が気になっていた。帰宅して調べると、まぼろしであった亡き子はあの梅若丸のことだ。公園から少し上流の対岸にある木母寺に梅若念仏堂がある。この寺には伊藤博文揮毫の先祖の石碑があって無縁でない。ホームページに『梅若の死を悼んで墓の傍らにお堂を建設し、四月一五日の梅若丸御命日として、梅若丸大念仏法要・謡曲「隅田川」・「梅若山王権現芸道上達護摩供を開催します』とある。「隅田川」というと、1956年に訪日してこの能に感銘を受けたベンジャミン・ブリテンは2度も鑑賞した。その印象をもとに作曲したのが教会上演用寓話『カーリュー・リヴァー』である。ピーター・グライムズが大変な曲であることに気づき、ブリテンの歌劇、声楽曲はぜんぶ聴こうと思った矢先だ。

さて、そろそろ酔いも覚めたなと先に進むとほどなく言問橋(ことといばし)に至る。1945年3月10日の東京大空襲で米軍のB29が無辜の民を一晩で10万人殺したとんでもない惨禍がこのあたりだった。橋は焼夷弾で狙われて真っ赤に燃え上がり、浅草側(写真手前側)から逃げる人と、向島側(写真奥側)から逃げる人が身動きが取れないまま焼かれた。れっきとした戦争犯罪である民間人の殺戮は原爆だけではないことを、日本人であるならば記憶しておかなくてはいけない。

政治家の靖国参拝にかまびすしい者があるが、参拝はおろか僕はその隣の敷地にある九段高校で3年間の時をすごした。父方の親類はガダルカナルで戦死、母方の方はあわやA級戦犯でそこに祀られていたかもしれぬ。そんなに長くその場におれば英霊の魂もついて居ようというもの、79年前のことで済んだ話ではない。それでいて、米国の建国の地の大学院で2年の時をすごしてグローバリストの教育を受けたというパーソナル・ヒストリーは分裂的で、社命であったという以外に自己弁護の隙間がない。多くを学ばせてもらったことに相違はなく、みなが原爆投下を支持したわけでないことも理解した。米国のまともな人と真剣につきあう。大いにビジネスもする。そうしてジレンマを解き、英霊に報いる道を探る。それは両国をよく知る者しかできず、自分が最後の最後にやるべきことではないかと考えている。

戦争責任は布告なしの開戦にあり、その行く末に特攻により自国民に命の犠牲を強いるまで追い込まれ、よって米国が戦争を終結させるためやむなき無辜の民の殺戮へと至ったという大義のストーリーによって戦後の日本が独立国に戻り得ないよう囲い込まれ、無条件降伏による絶対服従のくびきに今もって甘んじ続けているという事実。その屈辱を全国民に分かりやすく開陳したことは、岸田内閣が日本のためにした唯一の功績である。これほど戦略思考のしたたかな米国および背後の勢力に対し、我が国は政治家にその程度の人材供給しかない。ならばいっそ米国の州になれ、それなら大統領を選挙できるという冗談がまともに響く。

伊藤博文(1841-1909)

明治から大正にかけての日本は日英同盟によって囲い込まれ、収奪したい清国、邪魔者であるロシアに闘犬の如くけしかけられた。勝ってしまった熱狂の陰でほとんどの日本人が気づいていないが、英国東インド会社は同じ手で薩長に武器を与えて倒幕させ、まやかしの同盟という美名をもって日本全土を囲い込むのに成功したのである。その英国に密航、留学し、手先として取り込まれて内情を知り、明治維新と呼ばれることになるクーデターを推進して初代日本国総理大臣になった伊藤博文は日英同盟締結に懐疑的だった。相手を魑魅魍魎と熟知していたからだ。だから日露開戦に反対であり、むしろ同盟すべきと考えていた。よって邪魔者となりハルビン駅頭で射殺されたのである。犯人は朝鮮独立運動の志士、安重根ただひとりということになっているが伊藤に命中した弾丸は複数の狙撃手から発せられたものであることが判明している。2年前、そしてつい先日に聞いた話は1909年から現実だったのである。

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