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カテゴリー: 旅行

白谷雲水峡と霊的な体験

2014 DEC 10 1:01:04 am by 東 賢太郎

はやぶさを見た翌日、朝6時20分にホテルを出ました。今日は雨です。まずは屋久島のパワースポットということで益救神社(やくじんじゃ)に参拝。それから山岳信仰の聖地と呼ぶにふさわしい牛床詣所へ行きました。「詣所内に立ち並ぶ六十余りの石塔が、映画「千と千尋の神隠し」のワンシーンを彷彿とさせる神秘的な場所」とあります。

僕は霊的なものにはうとく何かを感じたり見たりということはかつて一度もありませんが、大変驚いたことにこの牛床詣所を出る時に体中が総毛立ちました。うまく表現できませんが、何か普通でないものが電気のように走ったということです。

さて、ここから昨日予習した「もののけ姫」の白谷雲水峡へ向かいます。そこにも森の精霊のようなものが出てきますが、さっきの経験をしたものだから屋久の山や森は霊気が強いのかもしれないと本気で思います。

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こういう沢が森の中を流れるのは国内いたるところで見る光景ですが、やはりここの特徴はそこに覆いかぶさる木々でしょう。

 

 

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こういうのが出てくるとだんだん宮崎駿の世界になってきます。

 

 

 

 

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道はずっと上り坂で決して楽ではありませんが、縄文杉に比べればずっと簡単なコースといえるでしょう。この苔は映画そのものです。

 

 

これが「苔むす森」です。「もののけ姫」のイメージはここからとられたそうです。またまた幸いなことにここには我々以外誰もおらず完全貸切。シーズンだと大混雑で写真を撮るのも一苦労とか。この日の雨こそここにふさわしいものです。

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雰囲気にのまれたというか、あまり経験のないトランス状態になりました。頭がぼーっとしてしまい、10分ぐらい座ってじっとしていました。あとで室井くんが言うには、10分でなく40分だったそうで、何をしゃべったか忘れましたがとてもここをほめていた、そんなにほめた人は初めてですといわれました。

この風景は記憶(デジャヴ)があります。昔、ほんの幼児のころ、体が弱くよく熱を出して夢にうなされました。斜面で重い石のようなものを持たされて運ぶ夢です。熱が下がるとそれは終わり、丸っこいこぶのようなものがぽこぽこある斜面に草花が咲き乱れます。この景色はその光景に似ているのです。だからとても好きであり、思わず40分も見とれていたのでしょうか。

何だかよくわかりませんがこの日は朝の牛床詣所といい、かつてない奇妙なことがおこります。

山中の沢のほとりでお弁当をいただき下山して車に乗り込むと、白人の若い女性が一緒に乗せてくれないかと話しかけてきました。ほとんど人がいなかったので驚きました。男性も一緒です。「いいよ」といって「どこから来たの?」ときくと「イスラエルです」とのこと。6週間のハネムーンでテントを持って各地を回っているらしい。

「大事な旅行に日本を選んでくれてありがとう」とお礼をいい、いろいろな質問になるべく丁寧に答えました。英語がなかなか通じず困っていたようです。僕も海外で勝手がわからずこうやって現地の方に何度も助けてもらった、だからそのお返しです。

金融の仕事でロンドンが長いからユダヤ人はたくさん知ってるよ、友達もいるけどイスラエル人はあなたたちが初めてだなど話がはずみます。ヘブライ語でアズマは強いという意味だそうで韓国語のオバサンよりよかった。さっきの益救神社に案内し、ここにはないけど伊勢というところの天皇家の神社のシンボルは「ダビデの星」なんだよと教えると目を丸くしていました。一神教の彼らはお参りはしませんでしたが。

一泊二千円の宿をみつけてあげ、温泉に行きたいというので「縄文の宿まんてん」という所でおろしました。そうしたら奥さんが「お礼に」といってこれをくれました。ヘブライ語をかたどったペンダントのようなもので、「幸運を呼ぶお守り」だからどこかにぶらさげろとのことです。不思議な一日でした。

 

屋久島探訪記(了)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「もののけ姫」を予習する

2014 DEC 9 8:08:12 am by 東 賢太郎

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サンカラホテルはバリ風のコンセプトのリゾートホテルで、部屋はコテージになっていてゴルフカートで送迎してくれます。うるさいおやじが一人でわがまま言わせてもらいましたが、きちんとした対応をしていただきました。中村兄、鄙びた雨の多い離島というイメージは変わりますよ。

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食事は主にフレンチです。島の野菜は生命力があって美味だが香りが強く、なかなかフレンチにはなじみにくそうです。それを創作でおいしく仕上げているのがいいですね。楽しめました。和食であれ洋食であれこういう意匠を凝らした料理は一人静かに味わうのも良いものです。シェフと一対一になって細やかなこだわりを感じて、どこかクラシック音楽を聴くのに通じます。ロッシーニは早々に作曲の足を洗って料理の道に転身しました。

 

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いきなり昨日22km歩いて足が上がらなくなると思い、帰ったすぐもこの日も入念なマッサージを受けましたが、おかげ様でヒザも何とか持ちこたえてくれ、この翌日の白谷雲水峡のほうもなんとか登ることができました。spaのお嬢さんがたありがとう。

 

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この日は地魚の寿司屋で昼食の予定でしたが、急遽割り込んだはやぶさ2号打ち上げで間に合いませんでした。そこでやはり評判という「屋久どん」さんにおじゃまして頂いたのがこれです。トビウオづくしで1700円。この野趣も魅力でした。

 

530857969_e4a0b6240e「もののけ姫」は見たことないよというと、ガイドの室井くんに見ておくようにいわれました。DVDをホテルでお借りして鑑賞。なかなか面白い。この絵の森は明日行く白谷雲水峡のイメージで、宮崎駿監督はそこに通いつめてこれを制作したそうです。余談ながら、このストーリで攻撃されているのが奥出雲をモデルにした「たたら鉄」を鋳る村というのも縁を感じました。この旅行に持ってきたのは奥出雲関係の本だったからです。

 

(こちらへどうぞ)

白谷雲水峡と霊的な体験

 

「リーダーズ」に見た日本人の誇り

 

 

 

 

 

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「はやぶさ2号」打ち上げを猫と見る

2014 DEC 8 17:17:23 pm by 東 賢太郎

12月3日、平内海中温泉をあがって車で観測に絶好の場所と教えてもらった安房の高台にかけつけました。地元の方が2-30人ぐらい集まってきます。すいませんとそこの道路沿いに並ぶお家の庭に入れてもらってブルーの海を一望すると、なるほど種子島は目と鼻の先です。

おばあちゃんがあたりを仕切っていて「どうぞどうぞ、こっちのが良く見えます」と案内してくれました。

「どっから来ました?」「東京です」「ロケットはウチらなんどもこっから見てますよ。でも今日は雲もなくって、こんなの滅多ありゃしません。」

そこの地主はおばあちゃんではなく、若いご主人がいました。鹿児島出身で移住されたそうです。

「打ち上げ、13時22分だからあと5分ぐらいですね」

ご主人と話していると、むこうから猫がとことこやってきて石塀の上に寝そべりました。その顔を見て唖然です。

「ノイ、なんでお前ここにいるの?」

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ノイはウチの猫です。これです。

 

 

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目の前の猫はこれです。

 

 

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これがノイ。

 

 

 

 

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これが目の前の猫。

 

 

 

参りました。他猫の空似とは。それにしてもどうしてこんな絶妙のタイミングで出てくるんだろう?なにか判じ物を見せられている気分です。

「気をつけて下さい、ひっかきますよ」「いや平気です」

抱き上げるとノイそのものです。

「ひょっとして今年の4月生まれじゃないですか」「はい」

いや、あいつ、ロケット見に現れましたね。

はやぶさ2号の打ち上げはスペクタクルでしたが、僕はそれをノイ似の猫と一緒に眺めたのです。まずこれが打ち上げ直後です。真ん中のとんがった杉の直線上に噴煙が上がってます。

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少し上昇したところです。

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さらに上昇。ここからが速かった。

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こうなってあっという間に消え去りました。

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轟音はもの凄いのが2分後にきました。風圧を体ごと受け止めた感じです。帰還予定はたしか6年後でしたっけ、もう他人ごとには思えません。無事を祈っております。

以上、30分ぐらいのあっという間の出来事でしたがキツネにつままれた気分。あれはネコじゃなかったのかな?

 

「もののけ姫」を予習する

 

どうして猫が好きなの?

 

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平内海中温泉という贅沢

2014 DEC 7 12:12:12 pm by 東 賢太郎

火曜に縄文杉まで行って達成感がたっぷりあり、水曜はこれも有名な屋久島の温泉めぐりでもしようと計画していました。ところが「はやぶさ2号」の打ち上げが延期で水曜になり、屋久島から種子島はフェリーで40分の距離であることを知りました。

「えっ、種子島って見えるんですか?」                                「ええ打ち上げはよく見えますよ。東さん、強運ですね。これを見に来られて延期で泣く泣く帰られた方も多いんです。しかも今日はこの天気だからばっちりです。音もすごいですよ」。

急遽、予定変更です。どうしても行きたかった「平内海中温泉」にはいってから、教えてもらった安房の高台で打ち上げを見ることにしよう。さっそくレンタカーで温泉へ向かいました。これがその入り口です。

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「入浴者のいる時の撮影はご遠慮ください」とあります。午前11時半だし写真は無理だなと思いきや、あがってきた家族しかいない様子です。「服はどこで脱ぐんですか?」「たぶんあそこの穴ぼこじゃないですか。我々の前にいた方もそうしてましたよ」

これがその脱衣場と思われる穴ぼこのあたりからの全景です。写真中央の丸と四角の穴ぼこが湯船でした。混浴でタオルは可だが水着は禁止。だから女性は夜来るそうです。それにしても貸し切りとはついてます!真っ昼間にこんなに撮りまくった写真は貴重かもしれません。

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満潮時は温泉は完全に海中に沈みます。だから海中温泉なのです。干潮の前後2時間がいいそうです。右側のに入ったら底の岩が想像以上にぬるぬるで転びそうになりました。ゆっくり動かないと危険です。

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温度は40度ぐらいでしょうか、快適です。透明ですが硫黄臭と強いぬめりのある湯質で気に入りました。つかるとこう。極楽です。

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もうそろそろ誰か来るだろうと思いきや、360度見渡して人っ子ひとりいません。ただただ風と波の音だけ。昨日の杉もそうでしたが大地と自分がつながって一体になった感じがします。こんな経験は初めてです。ここで立つとこう見えます。風呂と海もつながっているのです。

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お湯は湯船の底の岩間から湧出するのと、このようにそそぐのと両方でした。

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真ん中にある黒い物は僕の財布です。万一と思ってこれだけ持ってきましたがぜんぜん心配なし。30分以上独り占めして堪能しましたがまだ人っ気なしです。

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そろそろ安房へ行って13:22の打ち上げに備える時間です。その日に偶然に屋久島にいるのもラッキー、一日しかない登山の休息日だったのもラッキー、晴れたのもラッキーでした。麻雀でいうなら別の手を狙っていたのに自然とテンパってカンちゃんをツモッて役満。そんなに普段の行いがいいわけでもないのに申しわけなく、二百円箱に入れて出ました。

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あとでホテルや食堂の人たちに聞いてみると「その時間で誰もいないというのは珍しいです」「自分は無人は経験ないです」ばかり。

「東さん、屋久島に呼ばれてましたね」。

呼ばれていたかなあと思うようなことがこのあとも起きたのです。

 

「はやぶさ2号」打ち上げを猫と見る

わが温泉考 (Splendid hot springs in Japan !)

 

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ついに縄文杉に会う(登山記)

2014 DEC 6 20:20:40 pm by 東 賢太郎

屋久島へは大阪からは直行便がありますが東京からだと鹿児島でJALからJAC乗継ぎです。コネクションをいれて3時間ほどだからグァムぐらいのイメージです。JACは2×2の4席のプロペラですがほぼ満席でした。30分ほどで着くと空港はこんな感じです。サンカラホテルからお迎えをいただき、この日は読書、マッサージでのんびりしました。

 

 

今回の最大の目的は縄文杉です。ガイドブックによると往復22km。ハーフマラソンの距離は不安でしたがガイドさんもいるしなんとかなるだろう、22kmのうち17kmはトロッコ道なので急ではないしということで甘く見ておりました。

 

 

 

翌朝4時半におきて5時半ホテルを出発。ガイドは25歳のイケメン室井くんです。「今日はあいにく雨ですね、でも人が少なくていいですよ」、真っ暗な中をパンをかじりながら車で約15分、荒川登山口につき準備体操をするとそろそろ夜明け前です。6時半すぎ、出発前の1枚ですがかなり緊張してますね。「上はたぶん雪があります。寒いから着込んで下さい」ということでフリースを2枚重ねにしました。

以下、室井くんの説明を加えながらざっと行程を書いてみます。ご一緒下さい。

yaku3ここの標高が600m、縄文杉が1300mです。「さあ、がんばりましょう」。室井くんにはげまされていよいよトロッコ道を歩きはじめます。彼は埼玉出身ですが山好きで屋久島に惚れこみ、移住してガイド歴2年。縄文杉はもう200回登ったそうで頼もしい。ひたすら黙々と歩くとやがて陽がのぼり、誰もいない後ろを振り返るとこんな風に線路が雨に濡れて美しい。一幅の絵です。

yaku4また黙々と修行僧だか行者みたいに歩きます。重たい登山靴で歩くのがこんなに苦行なのかと参りました。線路の枕木がまばらで実に歩きにくく、足元が気になって景色を見る間もなし。彼のペースについていくのがやっとでありました。途中にいくつか沢を渡る鉄橋がありますが、これも高所恐怖症の僕には下が見えておそろしい。落ちた人がいるそうです。

安房川にかかる42mの長い橋を渡ると小杉谷集落跡があり、大正12年から昭和40年代まで杉を伐採するため500人以上が暮らしていたそうです。屋久杉は秀吉が島津藩に命じて伐採をはじめ、京都の方広寺大仏殿に使用された記録があります。江戸時代は建材とくに屋根材として利用され年貢とされました。小学校跡もあり、学童の遊ぶ白黒写真を見ると僕と同じぐらいだろう。

yaku5スギという樹木はヒノキ科スギ亜科スギ属の常緑針葉樹であり、日本固有種で学名は「日本の隠された宝」という意味だそうです。であれば縄文杉は日本一じゃない、世界一ということですね。長命であるうえに油分があるので加工しても腐らず、江戸時代の倒木でも切ると樹脂分が滴ってほのかに芳香があります。しかも写真のように石の上の苔の間からでも芽吹いてしまう。この生命力は魅力でyaku6す。始皇帝が徐福に命じて不老不死の薬を探しましたが、杉こそがそれなんじゃないかと思いますね。

i-phoneプロ級の室井くんにルーペで拡大写真を撮るのを教わります。スマホといっても電話とメールだけだからこういうのはほんとにありがたい。

 

 

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まだこの辺までは余裕がありました。休憩所では2、3人先客がいましたが我々は入山の最後尾の方みたいです。ここで8時過ぎぐらいだったでしょうか。ここからは線路の間に渡し木があって歩きやすく、植樹されたまだ細くて若い杉の林を抜けていきます。傾斜もなだらか。何とかいけそうだと少しだけ気が軽くなっています。いま地図を見返すとここまで登ったのはたったの50m、距離はトロッコ道8.5kmの半分も来てなかったのですがこの時はそんなことは知りません。

 

僕が意外に元気なもんで、どこだったか室井くんが「ここはショートカットしましょう」と道をそれて急斜面(そうでもないが僕にはそう見えた)を登りはじめました。そうしたら途中で左ヒザにピリッときて、これはやばいとストップをかけます。エアサロンパスをしてサポーターで締める応急処置をしてもらっていると休憩所にいた女性たちが心配そうに見ながら追い越して行きます。

yaku8三代杉、仁王杉と少し傾斜が増し、鹿が現れ、やっとの思いでトロッコ道の終着点である大株歩道入口までたどりつきました。ここで湧水をいただいてトイレ休憩です。この時点で8.5km歩き、330m登ったことになります。普段、多摩川をジョギングといっても5kmぐらいの平坦地です。ヒザはなんとかもったものの、ここで僕は充分に疲れてました。

ここから縄文杉まで本格的な山道です。距離は2.5kmですが高低差は370m。斜面の角度はそこまでの4倍近くなる計算です。階段をふーふーいって上がると息は切れるわ足はがくがくになるわで思考停止状態です。先導する身の軽い室井くんが忍者に見えます。彼の踏んだ石を踏むことだけ考えてました。ちょっと体のバランスが崩れるともう足が体重を支えられないのです。

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まずこの翁杉(おきなすぎ)があります。「だんだん標高と共に屋久杉らしいのが出てきますよ」と言われ、写真は撮ったがそれがやっとであまり覚えてません。

 

yaku10切り株の10畳ほどもある空洞から空を見るとハート型なのが有名なウイルソン株が見えてきます。ハーバード大学の植物学者アーネスト・ヘンリー・ウイルソン博士はこれを洞窟と思ったそうです。彼が1914年に西洋に紹介しそう呼ばれるようになった。この杉は胸高周囲が13.8mで縄文杉の16mとそうかわらず、豊臣秀吉が大阪城築城のため切ったといわれます。ウィルソン調査は縄文杉発見の52年前でした。「いまさらハートはいらんよ」といったら室井くんが撮ってくれました。杉の大木は栄養を浪費しないよう下部を中空にして上に伸びるのです。木には生きる知恵が詰まっている、素晴らしいものです。

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せっかくだから感謝の意をこめてウィルソン株の室井くんの写真も。屋久島に行かれて山に登られる方、最低レベルの僕を安全に登らせた彼は腕も知識もプランも優秀な若者です。

 

 

 

この先で飲んだ湧水のうまさは格別でした。屋久島の水は硬度が10と非常に低い軟水です。多雨な気候で雨水がすぐ濾過されて湧いてくるためミネラル分が少なく、味は丸みがありほのかに甘みを感じます。ヨーロッパ赴任時代に硬度500もある硬水ばかり飲んでいてそれがおいしいと感じていたものですからこの水は新鮮でした。冷やすとその純度の高さが味わえ、水だけいただいてもおいしいものです。

 

さて問題はここからでした。

 

45度ぐらいが続く「心臓破りの1~3丁目」という難所があり、ごつごつした石を踏みしめ木の根っこをよけながらの急斜面と木の階段です。実にきつかった。

「この階段、注意してください。落ちて亡くなった人がいます」なんていわれる。よく見ると木製の長い階段がややアーチ状に反っていて下の方が勾配が急になる。それなのに手すりもない。目が悪くて足元の状況がクリアにつかめず参りました。もう太ももが疲労困憊で、「ヒザが笑う」といいますが「足が笑う」状態です。踏み間違えるとグラっとして戻す力が弱まっていますから怖かった。

まずいっと思った瞬間が何度かありました。足元ばかり見ながら緊張して歩き通しだから景色も見られないし、昼になってもおなかも減りません。それは疲れてますねと彼も心配します。ミゾレが降り出してにわかに寒くなり「ここ、昨日降りましたね、雪がありますよ、気をつけて」といわれるとますます恐怖感が。「東さん、3丁目終わりましたよ。でも4丁目もあるんです」。おいおい、もう勘弁してくれよ。

yaku12ウィルソン株からそんな苦行を1時間以上。スローペースでやっと到達した大王杉です。圧倒されました。野太く天を突く偉容は大王の名に値いします。樹高24.7 m、胸高周囲11.1 m、推定樹齢3200年以上。ウイルソンの方が太く、大王杉は江戸時代の試し切りの跡があるがなぜか切られず残ったのです。人生何が幸いするかわからない。3200年以上前というと日本はまさに縄文時代、旧約聖書は「出エジプト記」のモーセのころ、海が割れたころですよ。地球上生命の大王といってもいいでしょう。古代人はこれを見て神と思った。当然でしょう、僕もそう思いましたから。

yaku14名前がついている杉は何万本もあるそれなりに立派な杉の中でも目立つ奴です。その中でも大王となると、はるか上方から突き出ている枝でさえその辺にはえてる普通の杉より太い(左)。面白いのは姫沙羅(ヒメシャラ)というツバキ科の細めですべすべしたオレンジ色の幹の木があって、これが何となく女性的です。大王の周りには目立つヒメシャラもたくさんあってどこか人間界を思わせます。「男だよなあ、高倉健みたいだ、かっこいいなあ」、思わずそうつぶやいていました。

「でっ、室井くん、縄文杉までは?」「ここから40-50分ぐらいですね」「ちょっと待てよ。イカだって大王が一番でっかいんだよ。この杉よりうわてって、そんなのあるの?」「見ればわかります。頑張りましょう!」。ちょっと楽しみになった。

苦行のつづきです。もう何人に追い越されたか。あれだけ自信のあった足腰の老化と不摂生を呪うしかありません。体重60kgの人間が20kgの子供を背負って登っているようなもので、疲れてもう体重をコントロールできないのだから危なくてしょうがない。途中下りの階段があっていよいよ足がもつれて落ちかけました。

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しかしこの看板を見て気を持ち直します。そうか、ここまでは世界自然遺産区域じゃなかったのか・・・。森は奥が深い。

 

 

黙々と室井くんについてさらに急斜面を登ります。ミゾレがちらついて寒い。すれ違った女性たちはさっき追い越して行ったパーティーたちで、僕がよれよれなのを知っていて「もう少しですよ、頑張ってください」と励ましてくれます。哲学者の梅原 猛氏が60歳を超えてやはり12月にここを登って「死ぬ思いをした」と書いてますがこれは誇張じゃありません、納得です。小一時間たって不意に室井くんに「ここからは僕がOKするまで上を見ないでください」といわれました。いよいよですな。

 

OKが出て見上げてみると、それは木々の間から霞に煙った姿を見せていました。縄文杉です。

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岩が大地に生えて天とつながったようであります。60年生きて、まだこの世で出会ったことのない何かです。

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大自然、森の神、生命の樹・・・なんて言うも唇寒し。苦行の末に閻魔大王に面会したという感じです。

 

杉の前にはほとんど人はおらず、貸切に近い。「ここでこんなにゆったりできるの珍しいです。100m手前から行列して、やっと正面に来て写真撮って終わりの時もありますから」。長崎、京都、名古屋から来た方々とお弁当を食べて12時半です。またみぞれが強くなってきて、汗をかいているから寒い。

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下山を始めて荒川登山口に戻ったのは5時過ぎ、日没の3分前でした。帰りも苦労しましたが同じ道で先がわかっていると安心感があります。総所要時間は約10時間でした。いや疲れました。でも出発前と同じ場所で撮ったこの写真、ぜんぜん顔つきが違います。

 

室井くんによるとこの日の入山者は30人ぐらいで最も少ない方。観光シーズンは1000人もいてごったがえすそうです。雪はありませんでしたが12月なりにみぞれは降り、それでも歩いていれば寒さは感じませんでした。寒いのは休憩時ですが、肌着はスポーツ用の薄いウールの汗を吸うもの、その上にフリース2枚とレインジャケット(上下)で充分でしたがフリース1枚とダウンジャケットのほうが良かったかもしれません。帽子は全方向の雨をよけるゴルフ用で足りました。

靴は登山靴が必携です。僕は雪山でもOKという本格的なものを買っていき正解でした(下りが楽)。平地はスキー靴のようで歩きにくく感じますが岩場を歩くのは楽です。ストックやヘッドライトはレンタルできます。リュックサックは必携ですが30リットルで充分でした。水は途中でおいしい湧水をいくらでも飲めるので、小さいペットボトルを1本持っていってその都度汲めばいい。むしろ水筒は重いので持っていかないことをお薦めします。

登山時期ですが、もちろん春夏秋とそれぞれ植物の生態や気候の良し悪しがあると思います。今回、仕事の関係でどうしてもここしかなかったのですが、僕のような初心者には意外に良かったのかなと思います。遅めの出発で入山者30人のうち10人以上に追い越されましたから僕の歩行ペースは最遅を争うもので、1000人いたら何百回も道を譲ることになります。何度もやると消耗するから大変だったでしょう。寒さと雪だけ気をつければ11-12月は穴場かもしれません。

最後に、良いガイドこそ最も大事です。ヒザのサポーターまで準備できていて本当に助かりました。室井くんありがとう。

「頂上までで行かないのは登山といいません。トレッキングです。縄文杉は頂上にないので今日のはトレッキングです」。初心者にとっては立派な登山でした。「でもこれができれば富士山は登れますよ」。そうか、ありがとう。ちょっぴり自信がついた。登った方の最高齢は94歳だそうです。まだまだ未熟者でした。

これで屋久島に来た目的を果たしました。全身の力をふりしぼった齢五十代の最後のチャレンジ、無事終了です。

 

平内海中温泉という贅沢

 

 

 

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屋久島探訪記(序)

2014 DEC 6 1:01:55 am by 東 賢太郎

先日、健康診断で医師から「数値がどうのより休め」といわれました。サラリーマンのように決まった休みがなく、自分で休むと決めれば休めるのですがキッカケがないから今年は夏も休まずに来てしまい、どうも体に変調をきたしかけていたようです。

そこでどんと1か月サバティカルといきたいところですがそうもいかず、今週だけいただくことにしました。

さてどうしよう。

こういうとき我が業界では「離島で完全スイッチオフ」が定番です。仕事も日常もきれいに忘れろっていうんですから、一人っきりで、電話も通じないような場所で。

それに加えて、我がボディはベスト体重60kgが80kg近いという惨状です。運動してそれも減らしたい(というか減らせと医者にいわれた)というのもありました。いろいろ案じていたところ、弊社の宍戸から「屋久島はどうですか?」という案がでました。

屋久島・・・

アジアばかり頭にあったので心が動きます。そうか縄文杉とかいうのがあったね、還暦記念にいいな。50歳代の最後の区切りになりそうだ。ホテルも良さそうなのがあるし運動にもなりそうだし、フライトは3時間ぐらいだからまあいいか。

「だって相手は千年ですよ、六十歳なんて赤ちゃんです」

パンチある言葉にあとを押され、週末に登山用品を一式そろえました。

知ってはいたけどきっかけがなく、こういうことでもなければ一生行くことはなかったでしょう。いや、あと何年か齢をとってからだと僕の体力ではもう縄文杉まで登るのはとても無理だったでしょう。こういうのが縁というものです。帰ってきてみて、ほんとうに行って良かった、心から今そう思っているのです。

まずは最高のおもてなしをいただいたサンカラホテル&スパの皆さん、2日間の名ガイドをしてくれた屋久島メッセンジャーの室井くん、屋久杉の魅力を教えてくれたお土産「武田館」の金田マネージャー、そのほかお会いできた地元の方々のおかげです。御礼申し上げます。

 

ついに縄文杉に会う(登山記)

 

 

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急遽ソウル出張となるの巻

2014 SEP 25 1:01:05 am by 東 賢太郎

ミーティングしたいから来いというということで急遽ソウルまで飛びました。片道2時間とはいえ、最近は一泊で海外というのはちょっと体がしんどいですね。飛行機が嫌だし。帰りは台風でフライトがキャンセルかもしれないとおどかされましたが、基本晴れ男なので無事帰ってきました。2時間のプレゼンテーションはにわか作り資料でアドリブになりましたが・・・。

政府レベルではもめていても民間レベルでは関係ありません。僕は韓国料理は何でもOKですが、昨晩はSMC三田君と明洞(ミョンドン)のブデチゲ(部隊鍋)のうまい店へくりだしました。朝鮮戦争で米韓の兵士がお国の材料を出し合ってできた友情の鍋料理というふれこみで、C級メシですが僕はこれが好物なのです。特にインスタントラーメンが入る庶民性がいいですね。あと脂のしたたる豚ロースの焼き肉を野菜で包む料理。辛みそとネギと生ニンニクをあえていただきますが、牛より美味。元気も出ます。

5年前までであればここから2次会、3次会にくりだすのが定番でしたが、さすがにもうぜんぜん気力なし。長年僕を知り、昨年あたりまではそんなはずないでしょと引っぱっていってくれた三田君も最近は老体を気遣ってくれて大人しくホテルへ戻ります。けっきょく部屋で差し入れワインなど3人でいただいて酔っぱらって終り。慎ましいものです。それでも弱いもんで酒は今日まで残りましたが・・・。

前にも書きましたが、僕は韓国では完全に韓国人だと見られるのでスチュワーデス、ホテルのレセプションのお姉さん、食堂のおばちゃんを問わず、100%韓国語で話しかけられます。例外これまでになし(すごい)。そうでないのは僕が知られている某社の中だけです。最近はもう開き直っていて、ハングルで話しかけてきたホテルのラウンジの女性に「韓国人にみえるでしょ?」(えっという顔)「は、はい、そうですね(日本語)」(はにかんだ笑顔)というソフィスティケートされた会話を楽しむレベルに至っております。

台風が去ったのは良かったのですが帰りの飛行機はいつもながら気が重く、ヒッチコック・サスペンスの「ダイヤルMを廻せ」で気を紛らわすことに。ところがこれが大変に面白く、110分ものなのでいい所で羽田に着いてしまいました。残念!と思いましたが、何事もなく着いたのでこれはラッキー。しかも停止するまでずいぶんかかり、ねばって見ていたら映画もめでたく終わってますますラッキー。いい一日でした。

 

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チューク島にて(その3) 

2014 SEP 14 11:11:38 am by 東 賢太郎

 

春島の防空壕を見に行きました。車でしばらく小高い丘を登ると、米国統治下になって米軍の上官が住んでいたという洋風の家が斜面に並んでいます。てっぺんにはチューク州知事公邸が立派な大木の前に建っていますが、空き家です。島民は市長に選ばれるとそこには住まず、自宅を公費で改修して住んでしまうのだそうです。

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そこで車を降り、さらにジャングルへ入っていきます。暑さは全く感じません。東京のデング熱騒ぎで蚊を心配していましたが、去年と同じく滞在中に一匹も蚊とハエを見ませんでした。「日本ならもう10か所は食われてるね」と笑いながら登っていきます。

 

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やがて防空壕の入り口に着きました(右)。入って20mほど進むと右に折れて丘の向こう側に出ます。百人は入れそうな巨大な人口洞窟であり、入り口と出口の位置を測量して固い岩盤を穿つという、精巧かつ気の遠くなるような土木作業が行われたことを伺えます。

 

反対側の出口には大砲が一門据えられていました。英国の軍艦に搭載されていたものだそうです。

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重さは1-2トンほどあるでしょうか、この巨大な鋼鉄のかたまりを縄で丘の頂きまで引っぱり上げてきたそうです。これまた気が遠くなるほどの作業だったでしょう。

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これが砲門の狙っている方向です。パンの木で見えなくなってしまっていますが、その先が港です(右端のほうに海が見えます)。敵軍の上陸作戦を想定していたことが分かります。

・・・・

ところが結局、兵士たちの苦労と工夫にもかかわらず、この大砲は一発も砲弾を発射することがありませんでした。終戦1年半前の昭和19年2月17日、18日、米軍機の大群が襲来し、トラック諸島の日本軍は空から一気に殲滅されてしまったからです。これがその惨状を実写した米軍のフィルムです(お気の弱い方はご覧にならないことをおすすめします)。

ここに集結した米軍機動部隊は戦艦6隻、空母9隻、駆逐艦、潜水艦を含め総数70隻からなる大艦隊で、空母から発進する爆撃機は延べ1200を超えました。環礁内に沈められた日本軍船舶は100隻近く、航空機に至ってはその実数は不明のままです。

「夏島の海岸と道路には死体が延々と並べられ、腐敗臭が鼻をついた。死体から流れ出る血のりで道路も歩けなかった」と土地の老人は語り、「遺体の焼却が間にあわず大きな穴を掘ってどんどん埋葬した」そうです。2日間の戦死傷者は1万5千にのぼりました。

言葉がないほどの残酷かつ屈辱的な光景です。この先に東京大空襲、広島、長崎が来ることを思うとやり場のない怒りを禁じ得ません。しかし敵に怒っても仕方ないのです。これが戦争ですから。フィルムの声の主が勝ちどきを上げているように、これは怨念のこもったパールハーバー(真珠湾)への復讐でもあったのです。

後世の我々はこの戦争という事実から目をそらしてはなりません。事実を直視し、冷静に分析し、いかにこの惨事を繰りかえさないか、この1万5千の方々の犠牲から何かを学び取らなくてはならないと思うのです。

相手には圧倒的な性能の武器と物量があったという事実。上陸を想定した大砲が無用な大規模空爆であった事実。奇襲を予測も通信傍受もできておらず丸腰状態だった事実・・・・。

武器、物量というハードの敗戦であったことは明らかですが、諜報、敵情分析、暗号解読、戦略、智謀というソフトの敗戦という側面を僕は強く感じます。腕力よりも、むしろ知力で負けたのだと。

戦後のインテリ層はそう認めたくない、しかし、このフィルムはそれを明明白白に示しています。こちらが防空壕を掘る間に、敵はカメラマンを乗せて実況中継できるほど楽勝の確信をもって軍備を整えていた。悔しいが、それが歴然とした事実です。諜報、敵情分析、暗号解読、戦略、智謀なくしてどうしてそれができたでしょう。物量は、そのあとについてくるものなのです。

そういう「ソフト」を重視しないのは日本人の民族特性かとすら思います。平和の世になった今になっても、一部の日本企業にはそれを感じます。モノ作りやおもてなしの力を過信し、諜報と智謀に基づいた大きな戦略がない。この大空襲を知ってしまった僕らが、あの防空壕の砲門を見る思いがしてしまうのです。

・・・・

空壕の入り口です。「さあ戻りましょう」。車のほうへ丘を下りようとしたら、夕方のスコールに見舞われて立ち往生となってしまいました。バケツをひっくり返したような豪雨。誰かがぽつりと言いました、「なんか、東京を思い出しますね」。

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とても重たいものをいただいた日でした。

 

(本稿に書きました史実は、当日に案内をして下さった末永卓幸さんの「トラック島に残された六十五年目の大和魂」から引用させていただきました。当地にお住まいになって36年の知見と博識、すばらしいガイドに心より感謝しております。)

 

大和、武蔵、五十六、慰安婦、そして戦争という愚

 

 

 

 

 

 

 

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釣り人の夢

2014 SEP 13 18:18:01 pm by 東 賢太郎

青年が湖畔で糸を垂れ、静かに釣りをしていると、後ろから老人がやってきました

老人

お若いの、舟を貸しましょう。それで沖に出れば魚は10倍釣れますよ

青年

10倍釣ってどうするのですか?

老人

市場で売るのです。金持ちになれますよ

青年

なってどうするんですか?

老人

お金があれば夢がかないます。あなたの夢は何ですか?

青年

ここで釣りをすることです

 

チュークではひと家族に平均10人の子供がいるそうです。食料は庭や海に自生しています。野菜など島にないものを買うお金があればいいそうです。

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運転手の青年もいっしょにみんなでお昼にしました。僕らにとってご馳走はやっぱりこれです。

 

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露店なら値段は50セント、このレストランだと1ドルだそうです。すすめると青年は、

No,thank you.

と笑って手をふりました。

 

がんばらない生き方

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チューク島にて(その2)  

2014 SEP 12 10:10:18 am by 東 賢太郎

南洋の島に行く異(い)なる味わいというのは一度やってみないとわかりません。ハワイやグアムに何度行っても計り知れない鮮烈な味であり、人智を超越したものです。我々の築いてきた常識や人生経験など、文明こそないが原始の強靭な精神を今も持って豊かに満足に暮らす人々の前で粉々に崩れ去ります。

そして溢れかえるような大自然の力が人間の五感を野生の本能にまで巻き戻してくれます。そこに立ってジャングルの香りのする大気を吸い込んでいるだけで何かが変わります。東京で雑事に追われていて耳鳴りがしていたのが一日でぴったりと止んでしまいました。何かが確かに体内で起きているのを感じます。 去年の6月に人生で初めて北緯7度の南洋の島、ポンペイ島に行きました。

このような強烈な洗礼を受けていましたから今回は意外なほど何があっても驚きがないのに自分で驚きます。精神的な免疫という物はたしかにあるのです。昨年は会社設立という大作業があって、ミクロネシア政府代理人である米国資本MRA(ミクロネシア・レジストレーション・エージェンシー)が水も漏らさぬテークケアをしてくれました。今回2度目、株主総会、取締役会とあってそこまではありません。

ただ、2度目とはいえ前回とは島が違います。今後の事業展開のことを考え、全部を知っておくという意味でMRAにそうお願いしたのです。ミクロネシア連邦の4つの州、ポンペイ、チューク、ヤップ、コスラエでは言葉も種族も違うと聞いていました。しかしチューク人がポンペイ人とこんなに違うとは大幅に想定外でした。前回の経験値でのかなり低めのアテンション・レベルを2段階ぐらい引き上げる必要をすぐ感じることとなりました。

chuuk1チューク空港は日本海軍の滑走路をそのまま使っています。僕らに用意された空港わきのホテルL5(レベル5、右)は島で一番高い5階建ての意味で、昨年お世話になった元駐日大使のミタさんのご経営です。まだ一部は工事中でしたが新しく清潔なホテルが一泊一万円ですからリーゾナブルでしょう。手前は廃墟と化したスタンドです。

chuuk2ところが、7時に頼んだモーニングコールがなく焦りました。人生で二度目です。この島では他人を当てに出来ないことを学びます。朝食は唯一の近くのレストランが7:30オープンだとホテルではいうのですが、その時刻にはまだ人がおらず、結局開いたのは8時ごろでした。中へ入るとびっくりです(左)。窓はすべて厚めの赤いカーテンで覆われて朝っぱらからナイトクラブではないですか。女の子でも付くのかな、ウイスキーでも頼みますかと冗談を言いながらウエートレスのおばさんに開店は7時半とききましたが8時ですねと念を押すと、7時半?とんでもない、7時だと堂々の主張です。この島では1時間は誤差のうちだということを学習します。出てきたハンバーグライスは荒っぽい味ながら現地風ソースでまあまあ食べられましたが、別なご当地風名称の料理が来てみると僕のとほぼ同じ具材を高く積んだだけ。それで値段は高い。パンケーキは分厚いのを3,4枚無造作に積んだだけ。アテンション・レベルはこうして徐々に上がっていったのです。

chuuk3ホテルへ戻り会議室ですぐ懸案の仕事にかかります。午前中には万事無事に終了し、そこから車で島の南西の突端にあるブルー・ラグーンへ直行しますが、大変な事態が待ち受けていました。一本道なのですが、舗装してない道路(右)は深い穴ぼこだらけでそこに昨夜の雨が巨大な水たまりを作っています。車は右に左に、上に下に、前に後ろに、時おり斜めに、日本人の経験値などぶち切る物凄い振幅と角度で揺れまくり、プロのレーサーでも時速5km以上出すのは至難の業でしょう。これを日本語の「でこぼこ道」と形容するのには強いためらいを禁じ得ません。エボラ出血熱を風邪だとするに匹敵するでしょう。直径10mもある池みたいな水たまりを舟みたいな気分になって進みますから、もしこれで気分が悪い人が出たら車酔いでなく船酔いと診断すべきです。これは元々は舗装道路だったのが、だんだん穴が開いてこうなったそうです。それを誰も気にしないおおらかさ!これは首都パリキールのあるポンペイ島ではまず考えられないでしょう。歩いた方が速いじゃないかと思いましたが、そうもしない。島民気質が根本的に違うようです。治安もこちらの方が悪く、車に道を譲らず迫ってくる酔っ払いがまっ昼間からいましたし、ホテルの玄関前もロックして2-3人が見張っています。

舗装すれば5分で着く4-5kmの道のりを30-40分のドタバタの末、chuuk4やっと目的地に到着しました。ここまでの苦労が嘘のように静かで平和なリゾートです。ここが日本軍の沈船で世界的に有名なダイビングスポットであることは知っていましたが、このリゾートがその拠点でした。通常深くて50mのところ70mも潜らせるそうです。大勢の欧米人ダイバーがこのリゾートから朝早く沖へ出ていきます。ダイバーでない我々がいること自体が実に場違いだったわけです。午後から船で夏島と無人島を巡る予定でしたが、ガイドの方が飛び込んできて「すみません。今朝来たダイバーに船が回されてしまいました」と謝りに来ました。この島では契約という概念が成り立たないことを知った瞬間でした。

chuuk5仕方なくランチにしましたが、写真の地魚ラプラプ(ハタですね)の塩焼があまりに美味で憤慨も跡形なく引いてしまいます。醤油はポンペイ島はキッコーマンでしたがここは「ヤマサ」で、それをかけると香ばしいアツアツの白身魚としては完璧の域に達します。ライスはやや固めでワイルドですが不味くはありません。これは日本の居酒屋で通用する一品ですね。海に出られないので車で陸の案内をしていただくことで手打ちをしました。

chuuk6リゾートがどこにあるかというと、左の写真のWENO(春島)の左上の滑走路の横から海岸線に添って南下した南西の突端に位置します。その距離が4-5kmです。そのまま海を南下した三つの島の真ん中あたりに戦艦大和、武蔵が錨をおろして停泊していたのです。TONOWAS(夏島)は小さいことがわかりますが戦時中は産業まであって、沖でカツオを捕って上質の鰹節を生産していました。日本の鰹節の60%が夏島製だったそうです。戦後に日本政府がODAで鰹節製造用の冷凍庫を建造して現地に引き渡したところ、数年で廃墟と化したそうです。仕方なく新潟鐵工がもう一度造り直して現地に引き渡したところ、再び廃墟と化したそうです。

chuuk7リゾートの庭を散歩しました。どういうわけか僕をめがけて猫が寄ってきます。毎度のことです。広い敷地を歩き回るとずっとついてきます。この時点ではダイバーの聖地とも知りません。真っ昼間から歩く者も海で泳ぐ者もなく、僕らと猫しかいません。岩合さんの世界ネコ歩きみたいだなあ、妙なところだなあと思ってましたが、猫の方もきっと妙な連中だなあと思っていたんでしょう。

 

 

チューク島にて(その3) 

 

 

 

 

 

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