Sonar Members Club No.1

カテゴリー: ______体験録

正しい人脈の作り方(その2)

2018 JUL 20 19:19:42 pm by 東 賢太郎

人脈というのは「開かれた人」を取り込むことで威力が倍加することは前回説明した。しかしまだ人を見る目がない若い人にはなかなか難しいことで、やみくもに知りあいを増やすことになりがちだ。僕だって大そうじをすると、もう名前さえ忘れてる人の名刺や年賀状がわんさかあって苦笑する。

秘策を教えよう。80人の「開かれた人」を友達に持っていそうなオトナを友達にすればいいのだ。その人に可愛がられればその人脈とあなたは濃厚な接点ができるのである。これを別名「ヒキ」とか「コネ」という。80人の年賀状だけの交友は楽しめばいいが、年に一度しか思い出さない人が人脈の有力な一部になることは隕石に当たるぐらい稀だ。オトナをどう落とすかに集中することだ。

皆さんにとって相手は我々前後のオヤジというところだ。この世代の生態は知った方がいい。長髪でエレキを弾いたりゲバ棒を振ったりジュリアナでナンパしたりで目いっぱいバブって遊んでおり、会社では24時間戦ったと思い込んでるがその実は社畜に徹して滅私奉公ぶりを競って交際費を正当化していた。公務員にそれはないが、だからこそノーパンしゃぶしゃぶが歴史に名を刻んだのだ。そんな世代なので、高度成長は俺たちが成し遂げたという、それほどいわれのないプライドがバカの壁となって立ちはだかっている。

その世代も当時のオトナに取り入った奴がうまくやっている。相手は戦中派であって、硬派でごりごりの右翼か共産原理主義の左翼かマッカーサー洗脳プログラムの申し子のえせ左翼か風見鶏の無責任野郎かパンパンの男版の軽薄なアメリカかぶれだった。僕は大阪で個人営業を2年半やって1日100 枚の名刺集めをしながら、オトナには色んな人種があると知った。

二度と来るなと塩をまかれた相手、名刺を破られた相手を何十回目かの訪問で落としたし、64回電話して断られた上場企業社長を65回目にお客にしたが、同期の半分以上は2~3年内に脱落して会社を辞めた。ゲーム感覚だったし野球のおかげで真夏の炎天下には強かったが、なにより野村流が大金持ちのオトナに気に入られるベストプラクティス集だったのが大きかった。

開かれたオトナは頼りにはなるが、酸いも甘いも知った手練れである。下手な小細工など弄さないことだ。礼儀正しく、誠意を持って、正々堂々と正直に当たるのが若者の王道である。ちなみに僕はそれができない子は一切相手にしない。何故なら、よほどの天才か傑物でもなければ、僕の世代の成功者には好かれないから大成しないか道を誤る。残り少ない時間である、あえてそういう人に目をかけてやろうというインセンティブは湧くはずもない。

正しい人脈の作り方(その3)

 

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正しい人脈の作り方(その1)

2018 JUL 19 22:22:44 pm by 東 賢太郎

人脈がある人というのは、単に知り合いが多いだけではない。人脈の「脈」とは脳のニューロンのように人と人が次々と有機的に繋がって、ネットワークが網目のように広がっていくことをイメージしたものと理解するのがいい。

繋がるのはまさに、「まずは自分の脳の中」である。「あの人とあの人を会わせて見ようかな」「そこから何か面白いことが起きるかも」という閃き(ひらめき)がまずあって、それを実行すると現実の人脈に魂が入っていくわけだ。

魂が入ってないなら、何百人の友達リストがあろうとただの電話帳にすぎない。そこからあなたが得られる面白いことの数は、あなたが相い方になるから友達の数を超えることはない。10人なら10個までだ。魂を入れるというのは、あなたが関与しなくても面白いことが出てくるようにすることをいう。

そのためには「ひらめき」「実行」というレシピを電話帳にふりかけないといけないが、別に難しいことはない。電話帳が長いのが人脈だという根本的な誤解をまず解けばいいのである。

友達は2人いれば充分だ。その2人はお互いに初対面だが、あなたと繋がっているのだから何かひとつぐらい共通の関心事があるだろう。そこで食事に誘って、これもご縁だし、それ、いっしょにやってみない?と説得するシーンを思い浮かべてほしい。

うまくいった?それでお見合い成功だ。あなたが仲人になって、2人のペアリングが成立したのだ。3人目の友達ができた?はい、そうしたら前の2人とそれぞれ「いっしょにやってみない?」をやってください。これで面白いことは3個になった。3人いて3個じゃないかと思うだろうが4人だと6個になる。5人だと10個になる。10人だと45個だ。

こうして友達の数が増えると、その数は等比級数的に増える。これはみなさんご存知の「組合せ」の数だ。

20人だと190個、40人だと780個、80人だと3,160個である。ということは80人の人脈を持った人同士が仲良くなると12,720個の面白いことができる可能性があり、その160人の全員に80人ずつの友達がいればそれは81,913,600個になるのである。

もちろん全部がビジネスになるわけではないしその必要もない。何事も選択肢やトライできる回数が多い方が有利に決まってるからだ。「80人の友達」から出てくるオポチュニティーが80個の人と81,913,600個の人では、アイデアのネタの数で百万倍も差がある。戦う前から勝負にも何にもならないのである。どうして?「ひらめき」「実行」というレシピがあるかないか、それだけのことである。

あなたは仲人になるのだから、あの人とあの人なら絶対に合う、これに興味があって意気投合できるということを知っている必要がある。いや、知らなくても直感でそうかなとピンとくればいい。女性は概してこういう感覚に長けているが、そうではない男性諸氏にも手はある。2人の気など特に合わなくてもいい、共通の利益さえ見つけられれば実は充分である。ここまでが「ひらめき」であり、すべてはあなたの脳の中で起きることだ。

次に2人をどう説得するか?これは体で表すことだ。それには、あなた自身がそのサブジェクトに興味があって、やる気も成功する自信もあることを示すに限る。これが実行だ。簡単ではあるが、成功率を高めるには経験がいる。絶対の秘策などないから当たって砕けろしかない。「よしっ、やってみよう」と思えるかどうか、ポジティヴなメンタリティを意識して作り上げるのも実行のうちである。

非常に重要なことだが、そうしてお見合いした2人からもらえる新しいアイデアには、あなたが80人の友達とは作れなかったものである可能性があることだ。こうしてビジネスのディメンション、ポテンシャルは自分の発想や能力を超えて拡大する。いま僕が脱サラしてやっていることで、僕一人の脳みそから出たものはひとつもない。

ただし、同じ80人でもいろいろだ。知らない人と会って何か面白いことをやろうという人のほうがはるかに少数派だろう。人間には2種類あってそういう心が「開かれた人」と、そうではない「閉じた人」がいる。原則として、開かれた人は開かれた人に寄って来る。閉じた人は誰にも寄らないか、寄っても何もおきない。だから、さきほど算数が示したように、開かれた人ばかりの80人は閉じた80人の百万倍も破壊力があるのである。若い方、ビジネスで勝利したいなら覚えておいた方がいい。

そういう人を集めたいなら、当然の帰結として、あなた自身が開かれていることだ。それが一番の近道である。

正しい人脈の作り方(その2)

 

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二十歳までとは別な速さの時間

2017 DEC 14 2:02:39 am by 東 賢太郎

もう師走かとは毎年思うことだが今年はさらに早くやってきた気がする。光陰矢の如しとはいうが、矢は確実に加速している。ゾウの時間、ネズミの時間とヒトの時間は速さが違うという本があったが、浦島太郎じゃないが、同じヒトでも年齢とともに速度は変わると考えたほうが実感にあう。あと何年あるか、10年か20年か知らないが、二十歳までの10年、20年とは別な速さの時間だし、これからの一年一年は今年よりもっとあっという間に過ぎてゆくのだろう。

先週に社員と食事したおり、「あした死んでも悔いないよ」とまじめに言ったらびっくりされた。その日はまさしく本当にそうだったのだが、今日は「明日じゃまずいな」という形勢になっている。ずいぶん日和見と思われるだろうが、取り巻く仕事の事情がそうなので、ここでいなくなったら大変だということになってきてしまった。これは仕方ない、お天気と一緒だ。

悔いないよという日にあっさり逝くのがベストなのは言うまでもない。ということは、いつその日が来るかわからない以上は毎日その状態になるように生きていくのが理想ということだ。楽しいことはもう十分にやった。そのうえで、僕はいつも「人生のバランスシート」が頭にあって、世の中、周囲の人々との様々なものの貸し借りが均衡しているのが安寧で心地いい。その状態こそがそれである。簡単なことに思われるかもしれないが、これは実に大変なことである。

今週月曜にあったT社長の社葬で、写真の元気なお顔と耳慣れた語録を拝見、拝読しているうちに涙が止まらなくなった。4年前にミクロネシア・トリップで知り合って、それ以来、まだ社業に不安だった僕に夢と生きる力を下さった大恩人だ。強烈なインパクトの方だった。僕は自他ともに認める頑固者である。いまさら少々の経営者のいうことなんかきくはずもない。そんな種類の人間が、しかも還暦にもなってだ、こんな邂逅があろうとは想像だにできないことだった。涙は、なんにも恩返しできなかった悔し涙だ。

喪中葉書が例年にない枚数やってくるので年回りというものなのだろうが、死というものがこんなに身近な年はなかった。何度も心がぽっきり折れたが、そのたびに「もっと何かしてあげればよかった」という悔いが湧き起ってきて、いただいたものに報いずに自分が折れてしまうとその悔いは倍加することに気づくのだ。それが反動になって立ち直ることの繰り返しである。人生のアンバランスがいけない。であれば今つきあいのある人、以前でもなんらかのご縁のあった人たちに「何かしてあげる」ことに今からでも精進すべきなのだとなる。

お世話になったという気持ちは一方的なものだから相手がそう思ってない場合がある。いやむしろ、見返りを期待しないお世話ほど僕に重たいものは世の中にない。そういうものを見過ごしたり忘れたり、ただ取りしてしまう人もいるが、ビジネスはそれでも許される。だから相応の対価(お金)を払うのであって、あげた以上の見返りを期待する前提のものなのだ。証券界で生きぬいてきた人間だから僕はその世界では氷のように冷徹だし、過分に見返りを取ろうというたくらみを見抜いてつぶすのに情け容赦はない。しかし、だからだろう、見返りを期待しないお世話というのは別世界のことで、プロットする座標軸がない。T社長が「僕はおせっかいなんです」とくだっさたのはそれだったのだ。だからいい歳した男があり得ないことだが、ぼろぼろ泣けてきたのだ。

たとえば母が何を期待しただろう。自分も親になって知ったが親の愛にそんなものはない。だからこそ僕は千倍万倍にして返したかったが、結局は自分が満足だとまで思い至るのは叶わないことだった。だからだろうと思っている。最後の最後、認知症で意識はなかったが看病で少しでも良くなるぞと信じ、夜を徹して声をかけたり音楽を聞かせたり肩をもんだり手足をさすったりして、寝不足と体力の限界で僕がへとへと、ぎりぎりになったのを見届けたあの日に母は決意して逝ったのだ。僕にここまでやったと思わせようと最後の力をふり絞ってがんばって、病室で9日間も一緒に過ごす時間をくれたのだ。なんということだ親というのは。

何かのご縁のあった人は少なくない。百人ぐらいはこっちが勝手にお世話になったと思っているし、おせっかいなことなのかもしれないが、なにか返したい。その機会と時間がいただければの話だが何もしなければそれは永遠にない。こうして自分の過去と思いを記すのもその衝動があるためかもしれない。あと何年あるか、10年か20年か知らないが、二十歳までの10年、20年とは別な速さの時間。これとの戦いなのだろうか。

 

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1万円も1億円も同じ金融屋という景色

2017 NOV 25 15:15:52 pm by 東 賢太郎

われわれ金融屋というのはお金は「商品」であって、自分の財布にある1万円札も1億円もおんなじという常識ばなれした感覚を持っている。金融機関に長年勤めればそうなるということではまったくない。良いか悪いかは別として、単なる適性の話として、そうなれる人となれない人の比率は金融機関勤務者とそれ以外でとくに差はないと思う。今回はそういう眼を持ってしまった者から見た景色がどんなものかをお話ししたい。

我々普通の人はハンバーガーは食べるものと思っているから「それを5個」と聞けば「そんなに食べられない」という意識がつい出てきてしまうが、マックの経営者からすれば100個も1000個もただの数字であって食べ物という生理的感覚とは仕分けされているはずだ。お金が商品の人の感覚はそんなものであって、銀行の頭取や証券会社の社長が融資額や売買代金が少々減って自分が懐を痛めた感覚になっては経営にならないのである。個人によって程度の差はあるが、僕の場合、1000億円あたりまでは財布の1万円とおなじ感覚である。他人のカネと自分の財布を峻別するのがこの商売の絶対要件の倫理観なのだが、それとは別個の感覚として1000億円を客体視できるようになるのだ。

最近は紀尾井町まで行って帰ってきて1円も使ってないことも珍しくない。他人のカネと自分の財布は峻別なのだから矛盾のようであるが、貯めてるのでもけちっているのでもなく、カネは商品だから不要なことに使わないという倫理観は財布にまで染みついているのだ。それを欠いた人が100億円もおんなじとなれば大事件が起きる。昔、大阪のキャバレーのおっさんが「わしら店の女の子に手だしたらあきまへん、商売になりまへんわ」と教えてくれたが、実に商売に不可欠な倫理観の真理をついた言葉だ。僕らもそんなものがあり、他人のカネの増減が財布のひもをしめたりゆるめたりはしない。そこまでいかないと他人の100億円は扱えないのである。

つまり金融屋が守銭奴やビッグスペンダーであるゆえんはぜんぜんないのであってむしろ逆である。今日は儲かったからパッといくぞ~と札びら切るイメージがあるだろうが、そういう性格の人はいい金融屋にはなれない。カネに甘く倫理観がない。一方で、一代で資産を築いた人は金融屋でなくても大なり小なり似ている。あんなにお金持ってるんだからこのぐらい出してくれるだろうとチンケな儲け話なんかもちかけても絶対に出ないと断言できる。そんなのに乗るような性格の人は金持ちになれない、なぜかというと、それに1円でも出す規律の甘さは店の女の子に手を出すようなものだからだ他人のカネや商品を扱う資格はなく、信用されない。信用がない人は事業ができずカネがないからだ。カネに対する倫理観は他人勘定か自己勘定かには関わらないところが共通しているのである。

困ったことには、そうなると「お金は使うもの」という意識が希薄になっていくことだ。単なる数字だから、この1万円札であれを買おうなんてことは二の次であって、どうやったら2万円になるかしか浮かんでこない。相場は24時間動くので寝ても覚めてもだ。これはゲームで点数を増やすのとおんなじだがゲームは終わりが来てもこれは死ぬまでやめられない。こんな人生を「楽しい」と感じるか「苦役」と感じるかがいい金融屋になれるかどうかの分岐点だ。

昔はよく「わたしの10万円ふやして」なんて飲み屋でいわれた。NOだ。「なけなしのお金」はだめなのだ。株に絶対はなくてこっちの「指し手」がおかしくなる。そんな甘い世界ではなくイチローだって絶対ヒットという方法はない。ちなみに現時点でソナーの今年の運用助言成績は+29.1%だ。お正月の100万円が129万1千円になってる。でも、彼女の10万円をうけて「絶対打ってね」となると、手元が狂ってファンド全体でそういう成績が出なくなるかもしれない。理屈はないがそんなものであって、そういう危ないことはしない。

銘柄を発見するアナリストの雇用体系は時間の縛りはない。ほとんど投資する候補の会社を回って経営者に会うという情報収集だが、そのまま帰宅しようとどこへ行こうとかまわず、そのかわり結果は出してねということ。それで毎年ちゃんと20%は出してるんだから超低金利の世の中で何の問題もない。こういう人がスナイパーであって、僕がスナイパーしか使わないのはこういう仕事だから道理なのである。たかが20%と思う人もいるだろうが、4年続けば元手は2倍だ。

初心者が50%も100%も儲かることはあるがそれは異常値にすぎない。ビギナーズラックである。良すぎはリスクの取りすぎの結果であって、次の年にマイナス50%になることも大いにある。毎年プラスゾーンにいることに価値があるのでプロには「良すぎ」はバツのシグナルだ。減らさないだけで難しいのは5年もやったらわかる。イチローはホームランも打てるがそれは狙わないで打率3割(失敗率70%以下)を何年も連続したから何十億円をもらえたことがその証拠だ。勝負は長丁場でも負けないことに価値があるのである。

彼の才能と言えどもそんなスナイパー人生を送るには命を削る努力が日々あるはずだ。そこまで削る必要のないサラリーマンの人生と比べることはできない。年間の運用アドバイス料で一般的な2%をいただくとして、10万円だと2千円、100億円だと2億円だ。しかし、どちらもやることは同じで削る命の分量も一緒なのである。2千円と2億円は払う人の懐具合しだいで重みは一緒だ。命の代金が2億円とするなら、2千円の人を集めると10万人も必要である。10万人の観衆に「毎打席ヒット」を期待されたらこっちの人生が破滅するだろう。

だから投資信託というものは、少額でも運用の規模の利益が得られるというプラスはあっても、その運用者の人生を破滅させない仕組みでないならばその仕事の引き受け手はなくなるという宿命にある商品なのである。それは、運用者はすべからくサラリーマンであるということを意味している。彼がどんなに深遠な運用哲学を語ろうと、損を出しても運用会社をクビにならない雇用契約で働いている以上はその宿命から逃れることはないし、サラリーマンに僕と同じことができるとは考えていない。逆にそうではない自営業者の僕は、心労だけが10万倍になる投資信託ビジネスをやろうという意欲は100%ない。

僕がこの仕事をしてよかった、性格に向いていたなと思う反面、何のために生きてるのだろうと愚痴りたくなるのはカネの使い方をまだ知らないからだ。儲けるのも難しいが使うのも本当に難しいと思う。うまく使うというのは何かを安く買うということではない。食事するのに安いからこの店に入ろうということはなく、おいしくないものがいくら安くても意味ないのであって、満足感を買うのに千円か一万円かは本来は関係がないはずだ。現実に屈してしまって仕方なく千円の食事で満足できる自分に「自分を教化」していってしまうと、実は知らず知らず千円の価値の自分を作ってしまう。

自分に投資しろとよく言うが、あれは本当だ。無理してでも一万円のものを食っていれば自分もその価値になる「可能性」だけはあって、だんだんそれが食えない自分がつましい、食える自分でいたいと感じる自分ができてきてくるだろう。少なくとも、願わない自分にはなれないとだけは言える。一万円の料理はそれなりの手間、サービスが費やされている。他人にサービスしてもらうには自分自身が価値がある、価値を生み出せる人間でなくてはないらないということであり、それには努力を要し、時には命を削らなくてはならないことを悟ることになる。

そこまでは62年生きて分かったつもりだが、では僕が社会に何の価値を生み出しているのか、何のために働いてきたのか、まだまったくの未知数だ。もう自分に投資する年ではないし、それはきっと使い方のきれいさにかかっているのだろうが、人生で一番難しいことかもしれないと考えている。

 

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あいつはどうだ?と聞ける人

2017 NOV 10 0:00:40 am by 東 賢太郎

「・・・そうかお前も元気だな」「そりゃそうじゃなきゃこんなポストつとまるかい」「あっちはもう心配するな、なしだ、いいな」。無言。「あいつはどうだ?」「使えない、へたするとおじゃんになるぞ」。無言。「じゃあな、わかった」。

これはスパイ映画のシーンではない。最近ある会社の経営者と電話でかわした会話だ。こういうことで会議が招集されたり人事が出たりする。二人以外は誰も知らない。自分が彼の立場だった時も、こんなものだった。

密室政治はけしからんとか世間の実相を知らない人はいうが、知らない人は知らないだけだ。良かろうが悪かろうがやるのは人間だ。どの国の元首だってマフィアのボスだって、自分の権限で孤独に決めなくてはいけない重たいことは、最後の最後はこんなもんだと思う。

相手が腹心かというと、そうとは限らない。僕は彼の部下でもコンサルでもない、長く信頼関係にあるだけだ。腹心を作るとむしろ危険である。イエスマンは100%害だ。会議も、自分は議長でない方が良い。頼れるのは正しい情報と研ぎ澄ましたセンサーだけだ。仕切るより耳を澄ませだ。

センサーは自分で磨くしかない。人と会うこと、取引すること、それ以外にない。顔色を読むのでなく(不要だ)、反応を類型化することである。同じ人種もその中に細かく人種がある。それを分類するのである。これなしに営業やらマーケティングやら、まして経営などがわかる道はない。

最後の最後は自分でほんとうにわからなくなることがある。第三者の目がほしい。能力はわかってる、でも「どういう人?」ということについてだ。だいぶ前に僕はある男を飲みにつれて行って、それが目的だったのだが、女将に理由を言わずそうきいてみたことがある。

ばかなと思われようが、社内でそんなことは口が裂けてもきけない。それに女性のセンサーはちがう。利害、感情でモノを言わない人なので聞きたかった。想像だが寺田屋で龍馬を逃がしたおりょうはそうだったんだろうし、横浜富貴楼の女将お倉はあの伊藤、大久保、板垣らが話をききたがった。

こういうことは料亭文化とでもいうか、日本特有かもしれない。女将が組織のグルならどこでもあるだろうが、彼女らはスパイでも愛人でもハニートラップでもない。今なら大統領、首相、閣僚級の男たちが与太話でなく密談したい。女にも大物、小物というものがあるのである。

個人的に酒席で与太話は好きでない。接待はするもされるも好まない。酒は飲まれないように嗜みたい。

日本の女性は世界一美しい

 

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教養のすすめ

2017 OCT 12 11:11:39 am by 東 賢太郎

僕は自分の子供に「教養」だけは身につけてほしい。父親としてそれ以外のことを教えることもできないし、人生は自分のものだ、幸せに生きてくれれば専攻も職業も趣味もなんでもいいと思ってきた。教養とは何の専門でもないし、それ自体が生活の足しになるわけでもない。しかし、人間としてより良く生きて、学問にしろビジネスにしろ社会福祉にしろ何か事を成して社会に貢献しようと思えば必須となるものだと固く信じているからだ。

僕は高校まで文学や人文系の科目に皆目関心がなく、受験はご都合戦略で数学だけで切り抜けたことは書いた。教養がかけらもないと気づいたのは大学で哲学、科学史、英語を習ってからだ。東大が全学生を1,2年次に駒場で教養学部に学ばせるCollege of Arts and Sciencesという思想は全くもって正鵠を得た教育である。いまこの年になって経験を経てそう思う。Artは人間が、Scienceは神が作ったものを学ぶ学問というのが西洋の概念だ。理系、文系という区分はない。

文系だから数学はいらない医学部だから世界史はいらないというのは教養と雑学を取り違えた誤解と同根のナンセンスな考えだ。日本一頭の良い高校をクイズ王で決めようという番組はエンターテインメントとしては面白いかもしれないが国民を誤解させるもとであり、子供にはTVを見れば馬鹿になるから消しなさいと言うしかない。

僕がここに書いたのは文系学部廃止論ではない。

理系の増員なくして日本は滅ぶ

暗記は大事だが思考回路を持たなければクイズ番組と同じであり、数学を入試に課さない大学廃止論であり、文系などと呼ぶ明治時代の遺跡みたいな教育は改めないといずれ国難を招きますよという警鐘だ。

僕は駒場で井上忠の哲学概論の「パルメニデスの有」がさっぱり理解できなかった。わからないものがあるのは不快で図書館で随分調べたが日本語なのにわからない。実のところ今もわからないし、生きていく上で理解してどうということもないが、それはわからないことに意味があった。自分の知力より上の智、数学みたいにすっきりと解けない智がある、それこそ「有」であるという画期的かつ原初的体験であったからだ。村上陽一郎の科学史でのケプラー第三法則発見物語はあまりにわかりやすいゆえに天地がひっくり返るほどの衝撃で、思考の仕方に決定的な影響を受けた。それがなければこういうブログも書けなかったしSMCという試みもなかっただろう。

思うに、そういうものが積み重なって「教養」のベースというものができあがる。僕に教養があるというのではない、前稿のT社長のことでそのことに思いあたって書いている。彼は経営で苦労もされ成功もされた。「僕は子供みたいで好奇心の塊りなんです」とよく言われたが、「正規の教育を受けて好奇心を失わない子供がいたら、それは奇跡だというアインシュタインの言葉に重なってきこえた。彼は旺盛な好奇心と多難だった経営、万巻の書から実体験を経て優れた教養人となられ、経営で成功されたのだ。

教養とは知識ではない、知識のないことでも包括的に咀嚼して理解、判断できる思考の素地であり、食べ物で言うならピザの生地だし、数学で言うなら大域的最適解の発見能力のようなものである。クイズ王能力などAIどころかスマホで十分で一文の価値もなくなる。そんなもので東大だ京大だと甘やかしていれば世界大学ランキングで中国、シンガポールに抜かれるのも当然だし、そういう学び方をした学生は21世紀の世の中では教養人に淘汰されるだろう。学歴など何の足しにもならない時代が来ているのだ。

余談だが村上先生がここで数学の簡単な証明が美しいという感覚とアートが美しいというエステティックな感覚は共通するという趣旨のことを語っている。

http://hive.ntticc.or.jp/contents/interview/murakami

両者は僕にとって共通どころか同じものだ。こういう結論は単一のいかなる学問からも物知り博士の知識からも導き得ないもので、クロスボーダーのトッピングを許容する「ピザの生地」、強いて言うなら脳の中のイギリス経験論的領域で二つの既知の認知の共振したものが感じられないと認識できないだろう。ただし先生は独り歩きする科学に批判的だが僕は違う。原爆開発に科学者がエステティックな美を見ることを自制するなら科学はどこかで人類を豊かにする発明の原動力であるフロンティア精神を喪失するだろう。私見では歯止めは社会に制度的、構造的に求めるべきで、それは軍におけるシビリアンコントロールと同等に市民の最低限の常識、教養なくして成り立たないものだと考えている。

バルトーク 弦楽四重奏曲第4番 Sz.91

クラシック徒然草《フルトヴェングラーと数学美》

テレビを消しなさい

ホリエモンの「多動力」と「独りぼっち」の関係

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芥川也寸志さんと岩崎宏美さん

2017 FEB 21 1:01:09 am by 東 賢太郎

成城学園初等科にいたのですが、金持ちの坊ちゃんではありません。お嬢で育ったお袋の趣味だったんでしょうがお品が良すぎてなんとなく肌には合わなかったですね。制服が帽子に半ズボンで軟弱っぽくて、公立の子とちがってて嫌だなあと思ってました。あの反動だったんでしょうか、なんちゃって硬派、バンカラ、アンチ・ブルジョアのほうにいってしまい、振ったのがゲバ棒ではなくバットだったのは救いでした。

勉強はした記憶がないというか、僕の勝手解釈によればしなくていい雰囲気であって、クラスも塾に行く者など皆無で考えたこともなし。あまりの出来の悪さを知った親父がエスカレーターは勉強せんし遊び人になりそうだこいつはだめだとなって中学で外を受けさせられてぜんぶ落ちましたが、親父はそのころから東大へ行けと存外なことを言いだして五月祭に連れていかれたりしました。だからなんとなく当然入れるもんと信じこんでました。

そのかわり映画とか劇とか舞踊とか彫塑なんて授業があって、そういうのはとんと興味ありませんでしたがアートは生活のそこらへんにごろごろところがっていて当たり前という感覚にしてくれました。こういうのは文部省指導要領じゃどうしようもない。このあいだ銀座で卒業生の女の子がいて、40才ぐらい後輩とわかり彫塑室の粘土の穴ぐらの描写をしたら「いやだ、それそのまんまですよ~」と、その子も成城っぽい「アートはあって当たり前」感をただよわせながらびっくりして、年の差などものともせず共感しあったりできてしまう。不思議なもんです。

いま思うとまわりはすごかったですよ。ラグビーの松尾兄弟や、3つ下の妹のクラスには歌手の岩崎宏美さんもいました。彼女がスター誕生という番組でデビューしたてのころ食事したりしましたが、あれ、この頃でしたかね、この歌はずいぶんヒットしましたが。

同じ学年の桜組、橘組の父兄には黒澤明さん、三船敏郎さん、東大総長の加藤一郎さんなどがおられ、僕の桂組には芥川也寸志さんがおられました。龍之介の次男で日本を代表する作曲家で家もお邪魔しましたが、当時はY子ちゃんのお父さんというだけで誰だかよくわかってませんでしたね。

成城は学校劇なるものがあり、まあ子供ミュージカルみたいなもんで面白かった。その音楽を芥川さんが作られ指揮もされた。生のオーケストラも指揮者というものも、その時初めて見たのですね、そしてその子供の祭りという劇で主演をして主題歌を歌ったのが岩崎宏美さんで、めちゃくちゃうまいなあと感動した記憶が残ってます。

NHKの大河ドラマ「赤穂浪士」の音楽は芥川さんでこのメロディーはいまでも鮮烈に覚えてます。えらいかっこいいなあと思ってましたが、調べてみるとこれも昭和39年、東京オリンピックの年の放映だったようで僕は小4です、あのころだったんですね。

Y子ちゃんちは成城の高台で見晴らしの素晴らしい場所にあり、もちろんピアノがあって、子供心に素敵だなあと俺もああいう家に住むぞと憧れました。高台というとバーデンバーデンのブラームスの家も崖の上で、どうも僕の「崖好き」はお二人の作曲家の趣味から来ているようで、いざ自分で建てるとなったときに成城~田園調布を走る国分寺崖線の崖の上ありきになりました。なかなか出てこないので出たら即決で買った。家族は高いと大反対でしたが、三つ子の魂みたいなもんでかなり執念に近かったです。

 

(ことらもどうぞ)

______男の子のカン違いの効用 (6)

我が来し方に響く音楽

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様

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なんでもいいから井戸は深く掘れ(僕の教育法・その2)

2017 FEB 19 2:02:24 am by 東 賢太郎

大学へ入るとすぐ家庭教師や塾で中高生に数学を教えましたが相場は時給3千円ぐらいでした。東大にはいって得したなと思ったのはこれぐらいで、当時国立大の授業料が年3万6千円でしたからけっこうなもので、それでレコードが買えたのは有難かったですね。

僕は「問題をぱっと見て解き方をどう思いつくか」を、実際に僕がどういう思考回路でその結論にたどり着くかを言葉で実演することに情熱をそそぎました。「解法」ではなく、「思いつき方」をです。時間制限のある受験数学はこれで確実に勝敗が決します。だから解法や計算法は機械的な部分だから自分で練習してね(それ以外に手はない)としました。

思いつく練習(①)+解法の練習(②)=満点なのです。

ところが①は教えられないことがだんだんわかってきました。結局、②で苦労してないと①だけの練習は再現性がなく、②は教えられるが自分で苦労して練習しないと身にはつかない。ということは「練習問題をたくさん解きなさい」という当たり前の指導になってしまうのです。そんなことは誰でもいえますからね、それで高給もらうのは申しわけないのでバイトはやめました。

①は野球のバッティングでいうと、振るか見逃すかです。打撃というのは投げられたボールの軌道を予測してそこにバットの芯を合わせる行為です。予測の精度が低いと打てません。予測したらあとは振るだけです。この予測が①、振るのが②なのです

②は条件反射化するしかなく毎日昼休みに部室前で全員で200本欠かさず素振りをしました。プロはキャンプで毎日千~二千本だそうです。しかしいくら②を鍛えてもボール球は打てません。それを「見逃す」、これが難しいのです。投手はボール球や難しいコースの球を振らせれば凡打になる確率が高いので変化球を投げ、いわば騙し合いになります。

投手の手を離れて零点何秒で手元に来るボールを「ぱっと見て振るか振らないか決める」というのは①そのものです。問題文を読んで、あっこれは解くのに時間かかるなと見抜いて見逃す。4問あれば、一番速く解けるのから片づけたほうが点がいいに決まってますから実に簡単な話で、それが出来れば数学の偏差値は確実に上がります

しかし、打撃でいえばその判断は自分のバットを振る速度や精度によって変わります。だから素振りでそれを体得しないと振る振らないの判断技術も向上しないのです。つまり、数学の場合、結局、②で苦労してないと①だけの練習は再現性がなく、②は教えられるが自分で苦労して練習しないと身にはつかないという結論に僕は至りました。

野球中継を見ていると解説者が「見逃し方がいいですね」と打者をほめることがあります。「見逃し方」で上級者かどうかわかるのです。投手をしていると、知らない打者の実力はけっこうそれで判断してました。きわどいたまをすっと自然に見られると「おぬしやるな」って感じになるんですね。選球眼とはちょっと違って、それもその内ですが、もっと総合的な反応です。

プロで3割を打つような人は例外なく見逃し方がいいですし、思うに2割打者との差はスイング速度ではなくそっちです。投手の方もプロは速いだけでは打たれるのは、スイング速度の勝負ならプロになるような人は2割打者でも対応してしまうからで、ノーコンの150キロより針の穴を通す130キロが上です。

こういう経験から、僕の教育法のその2として、

「なんでもいいから井戸は深く掘れ」

が出て参りました。野球と数学の練習は、井戸の深いところまで掘ればけっこう共通しているところがあるのがご理解いただけたでしょうか。なんでも結構なのでクラブ活動でも趣味でも一つのことを深く知れば、違うジャンルのことに応用がきいたりします

ただ、ここから先は何とも言えないのですが、素振りを何千本しても見逃し方が2流の人はいるんですね、プロにも多くいます。見ているとたいがい2割打者で終わりです。数学も②はカンペキなのに①ができないとそれなりです。1番から馬鹿正直に解いていって時間切れになって終わる。もったいないことです。

 

(これはここから来ている)僕の人生哲学(イギリス経験論)の起源

(こちらへどうぞ)

僕の教育法

 

 

 

 

 

 

 

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僕の教育法

2017 FEB 18 20:20:42 pm by 東 賢太郎

僕は子供を勉強しろと叱ったことはありません。勉強を教えたこともほとんどない。次女が小学生のころ鶴亀算ができずに泣いてたので教えましたが、それが「悔し泣き」だったのを知って「えらいぞ」とむしろほめました。

鶴亀算の裏わざを覚えて人生役に立つわけではありませんし、試験は通ってもあとに何も残りません。自力でチャレンジして壁にあたり、苦労して乗り越えた経験は自信として残り、次の壁を越える知恵になります。 口酸っぱく言ってきたのは、「自分の頭で考えなさい」、それだけです。

代わりに、ときどき急にこんな質問をします;

①「5千円の券が12万枚売れた、売上いくら?」。すぐに答えが出ないと「それじゃあ考える材料が揃わないよね、それでどうやって考えるの?」「材料は機械的に出ないとアウト、大事な頭はそんなとこに使うな」と教える・・・計算力。

②「現在完了形のhaveの次にどうして過去分詞が来るの?」。教科書に書いてあったのでそう覚えてるだけの人は他人の頭で考えているので意味がロジカルにわかっていない・・・言語力。

③「円が安いとどうして日本株が上がるの?」。なるほど、では「円安でも下がるのはどういう場合?」。教科書に書いてない。普段から自分で考えない人はお手上げだろう・・・思考力。

計算力、言語力、思考力は「読み書きそろばん」で十分に身につきます。思考する言語が母国語で、「読み書き」は母国語で習得しなくてはなりません。だから日本語しかありえません。まだそれもできない子供に歌を教えて英語力がつくという発想は英語ができない人のトレードマークです。九九を歌で覚えて数学ができるようになりますというに等しいナンセンスだ。

①②③は「読み書きそろばん」程度の問いです。それを常に世の中で見つけて解く訓練を日々積んではじめて「インテリジェンス」を自分の頭で作れるようになります。インテリジェンスがない人はインテリじゃないのでインテリのフォロワーとして生きることになります。

読み書きそろばんすらできないのに「経済の先行きは?」なんて多変数関数の問いに答えが出てしまう奇跡のような理論は世界のどこにもありません。従って、自分のインテリジェンスで導いた答えに資金をベットする行為であるビジネスも、間違いなくできません。

別にビジネスが人生ではありませんが、その能力さえ持っていれば最悪でも自力で食って行けますから人生で何回かチャレンジができます。運命を切り開けます。この自由を手にできるできないは人生の喜びにおいてどうしようもない差になると僕は確信しています。僕は子供にいい人生を生きてほしいのです。

先日の稿に、

「人には2種類あって、もらった仕事だけする人と、もらわなくても仕事を作る人である」

と書きましたが、後者の人は少なくともビジネスにおいては前者の何倍もの価値があって生涯年収で勝る。これは一般相対性理論と同じぐらいあまねく宇宙的に成立する世界の常識なのです。学歴は無関係です。東大卒で前者という人が極めて多く存在するのが現実です。

そして、それはこう言い換えてもよろしいのです、

「人には2種類あって、他人の頭で考える人と自分の頭で考える人である」  

 

 

(こちらもどうぞ)

「東大脳」という不可思議

なんでもいいから井戸は深く掘れ(僕の教育法・その2)

 

 

 

 

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ドイツが好きなもう一つの理由

2017 FEB 9 18:18:07 pm by 東 賢太郎

留学、ロンドンの8年を経て日本に戻り2年たった1992年5月、37才の時のことだ。フランクフルトへ行けと辞令が出た。やっと巣鴨に落ち着いてロンドン生まれの娘2人もおじいちゃん、おばあちゃんになついていた矢先だ。フランクフルトは当時強力なドイツ連銀があり、いまも欧州中央銀行、ドイツ4大銀行本店がある欧州金融市場の要だが、証券市場としてはメインストリームではない。ドイツ語も第2外国語ではあったができないし、MBAまでとってどうしてという気持ちもあった。

会社を辞めようか?

まじめにそう考えた。ロンドン時代に某有力外資にけっこうな年俸で誘われている。引く手はあった。

結局そうしなかったのはまだ若かったのと野村が好きだったからだ。行って辞めてもどうにでもなるさ、よし行こうと意を決したもののドイツ赴任そのものに意欲が出たわけではなくまったくの受け身の気持だった。フランクフルトに飛んでオフィスに行ってみる。1000人の大拠点であるロンドンから見ると甚だうら寂しい都落ち感があり、中小企業に再就職したようでああこれで俺も終わりかなと思ったものだ。

しかもドイツ拠点の現法のステータスは銀行(ノムラ・バンクGmbh)である。ゲシェフツフューラーなる社長は要は「頭取」であって本社の辞令など関係なくドイツ銀行監督局の承認がないとなれず、それには1時間ほどのドイツ語による口頭試問がある。そんなものを僕が通るはずもない。結局1年間はぶらぶらして見習いでドイツ語を覚えるみたいなものだった。試験に合格して社長に就任したのは38才のときということになる。

さて人生で初めての社長の椅子に座ってみる。気分は悪くない。ところが、目の前の50がらみの白髪の部長の顔には「ドイツ語もできん若造に何がわかるのかね」と書いてあった。おっさんは仕事もしなかったし英語もおそろしく下手だった(彼の言葉をしゃべらないこっちの責任だが)。ドイツは労基法の壁が厚く英米と違いプロ職もリストラは難しく、引き継いだ幹部社員の任免権が事実上ないのは新首相が組閣できないようなもので、新任のマネジメントとしてカラーが出せず非常に苦しいのである。

彼はシンジケーション部長だがまったくヒマだった。言い分があって、「社長が東京から引受玉を引っ張ってこれない無能だから俺は暇なんだ、当たり前だろ?お前のせいだ、首にはできないぜ」ということだ。難敵である。命令を下して動かすしかなかったのでやってみると、ドイツは上意下達意識の徹底した国であって「命令の威力」は予想外にあることがわかった。上官の言葉は絶対であって、だから労基法が強いのだ。首相を縛る憲法の役目だ、首相権限が強い分だけ壁も厚いということだろう。

こういう立場に立つと年齢差は関係ない。「俺の言うことを聞け」とあれやれこれやれと頭ごなしに野村流に命令した。こっちは暇人がオフィスにいるのが空気を乱して不愉快なだけであって、しょうもないことを命じた。嫌になってやめてくれればそれでいい。ところが彼はまじめに几帳面なきれいな字でレポートを書いてくる。しかも嫌々という感じでなく、くだらないことでも仕事は仕事だと半ば喜々としているようにも見える。彼だけでない、ドイツ人はそういうところがあると不思議に思った。

モンターク(月曜日)という姓の営業マンが実に不調な時期があり「今日からゾンターク(日曜日)に名前を変えろ」と励ましもこめて罵倒したが屁の河童である。ところが、来週までにこれをやれ、やらんかったら席次を落とすぞと脅かすと必死にやる。クビじゃないからそれはできるわけだ。要は、軍隊調でいいのだなと心得た。日本人は僕に逆らう奴などいないし、体育会調ということだから何の抵抗もなく水を得た魚だ。いま思うとぞっとっするほどひどい経営者だった。

ただドイツ人にも一部オカマっぽいのやオタク風がいて、これはだめだ。それが通じないし反発を買うだけであったからむしろまともだったということだろう。しかし営業部門は気質が合う連中が多く、滅茶苦茶な社長に反乱も起こさずよくぞついてきてくれた。ドイツ拠点として空前絶後に違いない400億円の新発債も全員で売り切って、まるで弱小校が甲子園で優勝したみたいなお祭りムードになった。おっさんもゾンタークも獅子奮迅の大活躍をしてくれた。若葉マーク経営がうまくいったのはドイツの軍隊調と僕の体育会調が奇跡的にシンクロしただけでたまたまだが、皆さんもボーナスが大いに増えて喜んだからこの2年間は結果オーライだった。

ところがうまくない部分もあって、その営業部門に当時ドイツでもハシリだったと思うが大卒エリート女性を採用した。彼女は美人で賢かったが、軍隊調がさっぱり通じない。逃げるわけでなく淡々と「ヴァルーム(なんで)?」とくる。男なら「うるさい、じゃあ何でお前はここにいるんだ?」で終わりだが、女のオーラにあたって女性参政権とか男女雇用機会均等法とかの言葉が頭をめぐりはじめ、言えない。ここは戦場だよ、「撃て!」にいちいち説明なんかないでしょという全体観がないのである。

女性は頭が柔軟で勘が鋭く、人の本性を見抜くのに優れている。しかしそれを知るには当時は若すぎた。男も女も体育会もオカマもオタクも適材適所があるのであって、それをうまく配置するのが経営だ。ところが男女雇用機会均等などと杓子定規に義務付けられるとその自由度が減る。無理して入れられた方も不幸である。プロ野球選手に女性を入れろはさすがないだろうが、程度の差だけであってそういう性質の男の職場はあると思うし、そこではれ物に触るようにお姫様を置けというのは経済効率を損なうだけでナンセンスではないか。

僕はドイツの80人を皮切りに海外で140人、500人、日本に帰って120人、20人、50人、100人、250人のいろんな集団を指揮させていただいた。企画室や調査部という完全な文化部的組織もあったしほとんどが銀行出身者という僕にとっては別世界の組織もあった。その結果として、真の意味で目が行き届いた適材適所の組織というと50人が上限というのが実感である。さらに少なければ少ない方が良い。なぜなら一人の分け前が増えるから、よりインセンティブが高まるからだ。

人には2種類あって、もらった仕事だけする人と、もらわなくても仕事を作る人である。ステークホールダーに例えるなら前者はボンドの、後者はエクイティのホールダーである。後者だけ10-20人が僕の理想だ。分け前が多いのだからのりしろのある人がもっと創造的に働く。指揮者は適材適所ができる。2重の強みがあるのだから組織、株主にとっても社員にとってもベストなフォーメーションなのである。

そういうことは野村ドイツの社長業で学んだことがベースになってこそわかったことだ。価値は無限大だった。30代でそんなことを体で覚えるなんて大企業のオーナーの息子でない限りあり得ないだろう。音楽のことばかり書いているのでバイロイト音楽祭やらラインガウ音楽祭やらで浮かれてたみたいだがそうではない、こういうことが起きていたついでにそれもあった。音楽経験の充実ということでもフランクフルト時代は人生最高だったが、初めて社長という名刺を持って店を背負ったという意味で職業人としてのベンチマークであり、経営を覚えたのはここなのである。

あそこで会社を辞めていたら以上は全部なかったことだ。人生、何が幸いするかわからない。何度でも繰り返すが、野村證券は本当にすごい会社でその海外部門は米軍なら誇り高きマリーンであったと思う。入れていただいたことを心より誇りに思う。

(こちらもどうぞ)

フランクフルト空港の謎

世界のうまいもの(7) ― ドイツのビットブルガー ―

 

 

 

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