Sonar Members Club No.1

カテゴリー: ______自分とは

ご恩のバランスシート

2013 DEC 16 21:21:53 pm by 東 賢太郎

もう今年を振り返る時期になりました。                              ①生きていられたこと                                         ②家族、会社、知り合いが安泰であったこと                          ③新しい方とお知り合いになれたこと                              これで十分です。

「足るを知る」のは大事と思います。若いころは足らない人間でした。自分の力も足らず、得たいものを得ても、満ち足りませんでした。今は得たいという気持ちを棄てるのが第一です。いままでと反対なことですから、エネルギーが要ります。ただどこまでいただけるかわからない人生、得なくてもいいものに費やす時間はありません。

仕事については、自分を必要としてくださるかたと必要なだけの仕事をする。その信頼に全力でお応えするだけです。今年はその種となるご縁がありました。ご縁はそのかたというよりもきっと天にいただいたものです。それをないがしろにすることは、結局どこかで自分の人生もないがしろにしてしまいます。

僕は人間は死ぬと神様に人生の「貸し借り帳」を見せられると思っています。天国地獄を決める「ご恩のバランスシート」です。自分が生きてこられたのはまず両親があり、それから家族、先生、学校、友達、会社、同僚、部下、お客様etcがあり、直接会わないが喜びや知恵や安全を与えてくれる人たちがあります。

何か頂いたり、ご恩をうけたり、お世話になったりということは人生帳簿の負債です。この負債をお返しして貸し借りなしにする。宇宙というのは、物理法則や数学もそうですが、きれいにバランスするようにできているように思います。神様はそのように宇宙を造っています。だから宇宙の原理に逆らわずに生きようと思うのです。

例えば、お世話になった学校や先生や会社や先輩には、卒業生としてまだ返し切れていません。お客様。お陰様でここまでこの世界で生きて来られた方がおられます。まだまだお返しできていません。だからご恩に恥じない良い仕事をして報いる必要があります。お金や名誉ではなく、それこそが僕の仕事の原動力ということになりつつあります。

家族。いままでの人生、亭主として父親として、走り通しで何もしてやれていません。これから返さなくてはいけません。友人、同僚、後輩、部下。年齢、国籍、性別関係なくいつでも何かしてあげたい。でもできていない人もいる。やらなくてはいけません。

お返ししながら、それを道端に毎日おいていくのがブログです。好きな音楽のことを書くのは作曲家、演奏家への恩返しです。いただいた喜びのお返しに一人でも聴衆を増やしたい。紹介文や評論はいくらもありますから自分だけの方法でそれをやります。

これから知り合う人。西室兄はもう数を絞ろうと思っていたと言います。わかります。いろいろ考えましたが、これも天命のなすまま自然に行こうと決めました。お会いしたなら会う運命にあった。大事なかたです。

最後に、両親です。90になる父は施設にはいり弱った母のめんどうを見ています。ここまで書いたことを立派にやり遂げること、それが両親への恩返しになると信じています。

 

 

NHKハイビジョン マルタの猫 ~地中海・人とネコの不思議な物語~

2013 NOV 21 0:00:57 am by 東 賢太郎

地中海に浮かぶ小さな島・マルタ島は、世界中で最も猫が住みやすい場所といわれている。漁師町サンジュリアンで、捨て猫を拾って育てている女性や、ひたすら野良猫にエサを与え続ける独身男性など、猫を愛し猫とかかわっている人たちのさまざまな人生模様を描く。

こういう番組でした。100分間じっくり見せていただきました。僕はTVはほとんど見ませんが、ネコ科が出れば何時間でも見ます。ディスカバリー・チャネルのライオン特集みたいなものは丸一日でもOKです。猫と一緒に育ちましたので。

地中海のマルタ島は人口の約2倍、70万匹の猫がいます。昔から漁師が船荷を鼠から守るため猫を連れてきたのでこうなったそうです。とても大事にされていて「マルタ猫協会」という立派な団体まである。感動ものです。誰にもじゃまされず1か月ぐらいいてみたいものです。番組はその大勢の猫にかかわる幾人かの島民の人たちの生き様を描いたもので面白かったです。

協会長さんいわく「犬はエサをくれる飼い主を神と思っています。猫は飼い主がエサをくれるのは自分を神と思っているからだと思うのです」、まったくそのとおり。神と思っています、僕は。さすが猫の達人です。猫は飼い主を観察し、完全に見抜いています。だから猫をわからない人には寄り付きません。わかる人とは適当な距離感で共存できます。お互いそれが心地よいことを知っているのでいちいち尻尾を振るようなことはしないのです。この番組は猫を神と思う人たちが出てきます。

男性マニュエルさんは毎日スーパーでキャットフードを大量に買い、島を歩き回ってえさをやっています。彼の表情から猫が喜ぶことがうれしいという純真な気持ちが伝わります。誰でも彼を知っていてキャットマンとあだ名される。何をしている人かは不明で資金源は親の仕送りか。「結婚しないのですか」と聞かれ、しばらく考えて「そういう暇がありません」。島の子供が彼は頭がすこし変な人だという。とんでもない。聖人です。4度結婚したちょっとわけありの感じのフィリピン女性が彼に10ポンドあげてハグするシーンがぐっときました。

英国人のバーバラさんは離婚してマルタに移住した女性です。死にかけた子猫を洗ってお腹にびっしりとくっついた蚤を取ってあげる。5回流産して子供はとうとう授からなかったという話もされます。知的な感じの女性です。インタビュアーの「では今は猫が子供のかわりですか」はペットを何かと擬人化する日本流の質問。「子供とペットは同じにできません。猫は大事なパートナーよ」、大人の答えでした。しかし彼女の猫への聖母のような愛情も無条件なものです。

お金や名誉や保身で動いていない人たちがどんなに強くて美しく見えたことでしょう。人の幸せってなんだろうと考えました。僕は猫好きを通りこして「猫好きの人」好きでもあります。母も妹も捨て猫を次々と拾ってきて育てるなど、これは遺伝子でしょう。お二人のようにそれが人生をかけた献身にまでなるというのは尋常の好き加減ではありません。敬意を表するしかありません。この番組を作られた方もそこを描きたかったのかな。ありがたいことです。

番組とは関係ないですが、マルタの猫を撮られた動画があったのでお貸りします。大変すばらしいです。

猫たちの姿もいいですし、これを撮られた方も大好きです。

 

(追記、2月10日)

飼育数で猫が犬をぬきそうだという話、いいですねえ。別に犬がどうこうでなく、捨て猫に里親がたくさんできるじゃないですか。僕がいっしょに暮した5匹、そしていま家族のノイもぜんぶ捨て猫です。それがどうしたというんでしょう。たくさんのかけがえのない思い出をくれるんだから人生の大事な一部です。若い頃の人生、猫がいないなんてことは考えられなかったのです。

今だってそれぞれ撫でた頭の形や声やじゃれかたを忘れません。僕は猫と遊ぶプロだから、あの猫はこれじゃ喜ばない、これならのってくる、この距離だと捕まるみたいなことが全部わかる。それがまたそれぞれちがうのです。猫に貴賤なしです。僕は血統書なんかぜんぜんいらない、むしろ雑種の平凡な猫のほうがずっと好きです。

猫は一般に飼い主でも人間を下に見てます。しかし家族のうち僕だけには一目置いていて、おぬしやるな、只者ではないな、何者だ?と思っているのです。だからこっちもお前は何猫だ?といつも返してる。これはどういうわけか、なにか猫好きオーラでも出てるのか、初対面の野良猫でもそうです。あんまり逃げないし、寄って来るし、場合によっては遊んでやってもいいよという顔をしてる。

だから家で僕がヒモやらハタキやらカシャカシャぶんぶんなんかを手に取るや、さっと緊張感が走ります。そして武蔵と小次郎みたいな一騎打ち、真剣勝負の空気となる。猫はシロウトはすぐ見ぬいてなめるし、下手くそなのですぐ飽きます。しかし僕とやるとやがて息が切れて降参となるのです。

 

 

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 ネコと鏡とミステリー

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ブラピのカミングアウト

2013 MAY 31 2:02:55 am by 東 賢太郎

ブラッド・ピットが雑誌のインタビューで「人の顔が覚えられない」と発言して話題になっています。それを相貌失認ということを初めて知りました。

僕も50歳をこえてから覚えが悪くなったし、映画の登場人物が覚えづらくてストーリーがわかりにくい、これも洋ものの場合けっこうありますね。外国人の顔はちょっとわかりにくいことがあります。顔写真の65%以上の名前を言えないと相貌失認と判定するそうです。

そもそも僕が一部の色の見分けがつかないのと何が違うのかなという気もします。「分からない」というのは「見えない」のでなく「判らない」、つまり区別がつかないということです。相貌失認も顔だということはわかっても区別がつかないという点は似ています。俳優にとってそれは相当ハンディでしょうからゴッホの色弱説と同じようなインパクトがあったのかもしれませんね。

こういうことをカミングアウトするのは勇気がいります。ピット氏は周囲との関係が悪化するデメリットを考慮しての決断だったようですね。僕の場合、そう相手に伝えないとグラフやチャートが正確に読めないので仕方なかったのですが。ただ、そうして会社人生30年、僕は色が判りませんとお伝えして実は私もですと言われたのは2回しかありません。男子の5%はそのはずなので、そんなはずはありません。やはりなかなか言いづらいのかなと思います。

しかし、今けっこうはまっている哲学の認識論というものを知ると、所詮我々の知覚や認識というものは絶対的なものではなく相対的な現象に過ぎないとされているのです。難しい話は省きますが、要は脳内現象なので人それぞれといったところです。赤い色といってもそれがどう赤いかはその人しか知りません。隣の人が同じように赤いと見ているかどうかは誰にも判りません。

物の本によると、鳥類やは虫類はより色の識別ができたのが、ほ乳類になり猿に進化して夜行性の生活になると必要のない能力は捨てられました。当初の猿は赤緑色盲だったそうです。そこに突然変異で赤と緑を識別できる種が現れると、樹上生活で緑の葉の中から赤い木の実を探すのが速い彼らが繁殖において優勢になりました。その結果、彼らが人間に進化するまでの長い間に原種である赤緑色盲種は人口の5%まで淘汰されてしまったわけです。

ただなぜ全滅しなかったかというと、二足歩行、火の利用で樹上から地上に生活の本拠を変えたからです。地上では赤い木の実を速くさがすことだけでは生殖機会において優位には立てなくなったということでしょう。足が速かったり狩猟能力があったり、別な領域でより地上生活に適応していれば生存が可能になったと思われます。

こういう事実を知れば、僕のような5%の人は原種の子孫、95%の人は突然変異種の子孫に過ぎないことがわかります。5%は異常でも珍種でもない。肌の色が違うのと同じく、単に人種が違うだけです。人間界は95%種がインフラ構築しましたから,赤い実探しのような5%種に不利な部分ができてしまっているということです。その逆風をはねのけて生きてきた能力にむしろ自信を持ちなさい。僕は色弱の子たちにそう言ってあげたいと思います。ブラピが世界的俳優になれたのもそれかもしれないよと。

 

 

 

私の忘れられない旅(2)

2013 FEB 19 0:00:12 am by 東 賢太郎

PA231401ルーツ探し第2弾、石川県は能登です。穴水の近く、鹿波という半農半漁の海辺の村でした。のと鉄道能登線の鹿波駅は「秘境駅」として有名でしたが、これも廃線になってしまいました。東(あずま)さんが多く、曽祖父の代までここにいたそうです。こっちは父がどうしても行きたい、親類に会ってみたいということになったのです。

20101003090208とはいえ、父も小学生の時に一度行ったきりで、「お寺の崖下の家」、「いとこの女の子と泳いだ」、しか覚えていないのですから実はこりゃー無理だろうと思ってました。しかし行ってみると彼は思い出したのか、ああここだ、いやこっちだとぐんぐん歩きだし、なんとついに「崖」を発見。麓の家をやおらピンポンしてみると、現れたおばあさんにどことなく祖父の面影が。こうして、「女の子」と父は何かに引き寄せられるように70余年ぶりのご対面、涙のハグに至ったのです。いや~これも来てよかった。感動しました。一生忘れません。

53380011000091806                      泊まりは九十九湾の「百楽荘」へ。親子ですばらしい時間を過ごしました。この旅館は景色も食事も風呂も最高です。釣りもできてメバルを釣りました。帰る田舎がないのが寂しかったのですが、これ以来「能登」と言わせていただいております。53380011000091815

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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日本国旅券の重みー国境を考えるー

私の忘れられない旅(1)

2013 FEB 17 22:22:32 pm by 東 賢太郎

2002年3月に、両親と息子でルーツを訪ねた長崎です。物産の商社マンだった母方の祖父が、上海出張の折に定宿にしていた旅館の娘と知り合ったのが当地でした。船で26時間もかかった時代です。旅館はグラバー邸の隣だったそうで、「一度行ってみたい」といつも言っていた母の願いを叶えました。祖母の実家は諫早でしたが、東京へ駆け落ちしてしまったので、明治時代のことですから勘当もので戸籍が残っていません。たまたま真崎という珍しい姓だったので、昔の住所近辺まで行ってタクシーで同姓の家を数件訪ねました。飛び込みなのにとても温かく迎えていただいたのが印象に残っています。

 

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グラバー亭の庭で撮ったこの写真の裏を見たら「母は10分間も動くことなく、港をじっと見ていた。来てよかった。」と書いてありました。脳裏にあったのは、きっとこんな風景だったに違いないと思っております。

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エリザベス女王の酒壺

 

58歳になって

2013 FEB 4 23:23:01 pm by 東 賢太郎

なったからどうということは、不思議とありません。よくここまで生きてこられたという感謝の気持ちのみです。生んでくれた両親と、一緒にいてくれた家族と、生まれてこの方知り合った皆さんと、そして、生かしてくれた地球にです。

今日は大阪出張しました

2012 DEC 10 21:21:48 pm by 東 賢太郎

今日は大阪へ日帰り出張でした。

8時9分新横浜発ののぞみでしたが、名古屋の手前から米原あたりまで雪で、大阪着が25分遅れました。

僕は物心つく前から鉄道好きだったようです。物心がつくと線路・車輪フェチとなり、後にこれは金属フェチの特殊部門ということがわかりました。とにかく光る金属をみるとぞくぞくするし、匂いまで好きです。それも元から光っているのではなく金属どうしが接触して摩耗したつやつやの部分に目がありません。電車の線路、車輪はその代表選手みたいなものです。

だから小学校時代は小田急線の床下にある台車部分を毎日緻密に観察していました。当時の絵は電車ばかりですが、細かく書いているのは線路と台車と床下の機械類だけです。昔はブレーキは鉄製のものを車輪にこすり付けて制動しており、夜は接触部分から火花が散ります。その火の粉を線路に侵入して熱いうちに拾うと薄っぺらい金属片になって落ちていて、そのすべすべした表面の銀色の光沢にうっとりしていました(危険ですので絶対にやらないでください、なんのこっちゃ)。

今でも鉄道博物館へ行くと見るのは車輪だけで人が乗る箱より上はほぼ見ません。しかし実際に走行していないと錆びついていて面白くありません。線路もそうで、使われないと錆びついて光沢を失います。逆に錆びた線路にどのぐらい電車が走るとどのぐらい表面が光るか、長年の観察からかなり正確にイメージできます。僕がサンタさんにもらっていたのはもちろん電車模型で、Oゲージという大型のものです(好み通りのものを置いてくれるのでサンタさんの大ファンでした)。走行量と光沢具合の関係というのはOゲージでの長年の実験で体感と化していました。

閑話休題。新幹線はポイントがないので線路フェチには魅力がなく、今までまじまじと見たことがなかったのでしょう。ところが今日、窓から上り車線の線路をボーっと見ていると、驚くべきことに気がつきました。線路は交換後数日以内と考えられ、車輪が通って錆が落ちて光っている筋がおそらく幅1センチ内外という滅多に見られない極細状態でした。その筋が速度200キロでも目視上微動だにしないのです。目線を固定し見ていればふつうは必ずその光輝線は上下に微妙に揺れるのです。それが静止画像を見るかのごとく完全停止状態なのです。日本の線路技術は世界一(旧八幡製鉄)だから新幹線ができました。今日は、57年生きて初めて、その凄さをこの目で実感した日でした。

閑話終了。つまらない話ですみません。

 

アメリカには季節は2つしかない

2012 NOV 4 20:20:20 pm by 東 賢太郎

昔、アメリカ人の野球ファンに聞いた話です。

 

日本には季節が4つある。春、夏、秋、冬。

シンガポールには3つ。Hot、Hotter、Hottest

アメリカは2つしかない。野球があるとき、ないとき。

 

ついに日本に「ないとき」が来てしまった。今日が一年で一番つまらない。人生で大切なものをとりあげられたような気分です。野球に関する限り僕はアメリカ人なみ(以上?)にアメリカンで、じいちゃんも慶応でやっていてDNAとしか説明がつきません。長いことヨーロッパで「ないとき」だった反動かもしれませんが・・・。

現SMCメンバーにそういうキチガイはおられないようですが、ふつうの野球ファンと何が違うか一言で申し上げると「見るなら野球だけ」ということです。「やる」のは別です。ゴルフは下手ではありません。でも見ません。01年全英オープンや89年ウインブルドンのファイナルを特等席で見せてもらいましたが退屈で早く終わらんかなと思っていました。まさしく豚に真珠でしたが見るだけなら僕は多摩川の河原で草野球見た方が楽しいのです。こういう人間は孤独です。

日本の野球場に来ている観衆が野球キチガイかというと99%はちがうでしょう。オリンピックで日の丸をふって応援する人と同じです。競技の細かいことは何でもいいし勝てばいい。僕もカープ戦のときはちょっとそれかもしれません。廣瀬にホームランが出て前の席のユニフォーム着た男の子がハイタッチしてくれると嬉しかったし。でも彼らの輪に入ってメガホンふって立ったり座ったりはしません。やはり見ているのは野球なので。

津坂さんがシネマ・ベスト3にあげられている「Field of dreams」は僕のような人間があの国にはたくさんいる、孤独じゃないんだと勇気づけられる映画でした。

その後しばらく何も起きなかったが、ある日の晩、娘が夕闇に動く人影を球場にみつける。そこにいたのは“ブラックソックス事件”で球界を永久追放され、失意のうちに生涯を終えた“シューレス”ジョー・ジャクソンだった。  

この映画を作った人たちの野球というスポーツへの深い愛情、理解、敬意。それを共有した選手たちへの愛情、理解、敬意。それと同じものがメジャーにいる日本人選手にも注がれているのを見るにつけ、アメリカ人のフェアネス精神に敬意を表します。それが誰か、男か女か、何国人かなどに関わらず、いいものはいい、悪いものは悪いとジャッジする。「空気読む」ではなく、「長いものにまかれる」でもなく、友達が、親が、先生が、マスコミがどう言ったかでもなく、自分の頭で判断する。そして思うだけでなくそれを堂々と意思表示する。反対意見も許容する。フェアネス精神というのはそういう土壌があってこそ生まれる「文明」です。動物界には存在しない人間の英知です。子供にそういう頭をつくってやることこそ教育なのではないでしょうか。

アメリカも長年の黒人差別というダーティな歴史を経てついに肌が白くない大統領を持つ国になりました。そのアメリカだって政治や実業がフェアに行われているとは思いませんし、そのはずもありません。みなそれがわかっているからこそ、スポーツというある意味で純粋培養の世界を作って自分たちの「心の美しい部分」を確認し合っている。スポーツマンシップというのはその素材であり基軸です。そういう大人のバランス感覚がスポーツを支えているのだと思います。

僕は16年かけて40か国ほど訪問しました。日本を入れて6か国に住みました。誤解を恐れずズバリ言います。フェアネス精神という文明を感じた国は2つしかありません。アメリカとイギリスだけです。日本はもちろんドイツ、スイス、香港に素晴らしい方々はたくさんおられ、素晴らしい出会いをたくさんいただきました。しかし社会という広範なレベルで言えば僕はどうしてもそういう結論になります。民主主義と呼ばれるものに結実するイデオロギーはフランスに発しましたがこの2つの国で発展しました。それはフェアネス精神という文明を生む土壌があったことと無縁とは思いません。

たかがスポーツと思われるでしょうか。素行の問題はあったとはいえ歴史に残る大横綱でもあった朝青龍をああいう形ですげなく追い出してしまった日本相撲協会。同じく清原を追い出した巨人軍。スポーツが大事なのか組織が大事なのか?型破りの天才児を管理できない無能力のほうが社会的にはるかに問題、損失だと思うのですが。相撲、野球というスポーツへの愛情、理解、敬意においては横綱審議会や読売の社主なんかより朝青龍、清原のほうがはるかに上でしょう。反対に組織のために貢献すればスポーツマンとして万死に値する「死球なりすまし事件」を起こしても不問に付してしまう。それをフェアネス精神という眼から問題だと判断し糾弾しない社会に僕はいささかの「文明」も感じません。

まったく同じ意味で、明治維新があり敗戦を経たから日本が民主主義国家だなどと一概に言えるとも思いません。毛沢東が統治の道具として持ち出した共産主義と大して変わりはないように思う場面があまりに多いからです。日本は民主主義に関しては発展途上国です。民主党に託してみたらだめだったという人が増えていますが問題の所在はそこではないと思います。同じようなレベルの政治家の間で首のすげ替えを何度やっても学習にならないばかりか、学習しているうちに国がなくなるかもしれないということを、まず有権者こそが学ばねばならないと思います。

日本で野球キチガイであることは本当に孤独です。

皆さんは家系図をお持ちでしょうか?

2012 OCT 19 11:11:35 am by 東 賢太郎

皆さんは家系図をお持ちでしょうか?我が家はそれがなく、ルーツがよくわかりません。

父方が石川県能登と東京、母方が信州伊那と長崎県諫早です。能登、伊那、諫早は訪ねてみましたが、もうよくはわかりません。伊那の先祖だけは比較的資料がありますが、それでも5代前ぐらいまでです。

性格的には諫早というか九州のブレンドが多いとよくいわれます。しかし自分では北陸人の暗さやねばりもあるように思っています。どこの先祖の血を引いたのかもっと詳しく知りたかったなと思います。亡くなった叔父や叔母にもっと聞いておけば、と後悔するばかりです。

僕がブログを書く動機の一つは、子孫にこういう思いをさせないことです。何かを見たり思ったりしたことを記しておけば、どういう人間だったかぐらいは残ります。それを読んで、アー俺はひいひいひいじいちゃんに瓜二つだなあ、なんて感じる子がいれば面白いなあと思います。たぶん、残してくれてありがとうと言ってくれるんじゃないか。そう信じて、この拙文を閉じることにします。

僕は大阪人である

2012 OCT 10 14:14:32 pm by 東 賢太郎

ノーベル賞の山中先生、iPS細胞の命名由来が「iPodみたいに世界に広がってほしい」というコメントに感心しました。このマーケティング感覚! ラグビーやジャマなかと呼ばれた話もおもしろいですが、それを何のてらいもなくお話になる先生の人柄がすばらしい。先生は関西のかただなあと思います。

僕は生まれも育ちも東京ですが、社会人の第一歩は大阪です。それまで新幹線で通過したことはあっても、そこで降りようという気がおきたことは一度もありません。大阪のかたには申しわけないのですが当時の僕には、おそろしい、ガラが悪い、阪神ファンのヤジ、映画のヤクザ抗争みたいな刷り込みしかなかったのです。

野村證券に入社して、何の因果かその大阪梅田支店に配属になってしまいました。豊中の社員寮に入ったときの戦々恐々とした気持ちは今でも覚えています。さて阪急宝塚線に乗って初出勤の朝のことです。電車のドアのガラスにふと目をやると、なんと 「指づめにご注意」 とでっかいステッカーが貼ってあるではないですか。そうか、やっぱりそういうところなんだ。大変な所に来てしまった。完全にそう信じこんだ僕はその晩の歓迎会でさっそく女子社員たちの酒の肴になったのでした。

たぬきうどん!というとキツネが出てくる。汁がうすい。アイスコーヒー!というと 「レーコでっか?」 と言われる。冷やし中華!は 「レーメンでっか?」 と言われる。何が違うんだ? エスカレーターで左に立ち止ると突き飛ばされる。・・・・だからさあ、とか言うと 「ええかっこしい」 と言われる。串カツ屋のおばはんには東京モンと見るや 「にいちゃん、二度づけ禁止やで」 と先制攻撃をかまされる。なんじゃここは日本か!という日々。これがあったからこそ、僕はアメリカへ行って一度もカルチャーショックというものを味わったことのない人間に成長できたのです。

結局2年半の滞在でしたが、大阪は僕に鮮烈な印象を刻み、人生のイロハをたたきこみ、素晴らしい人たちとの劇的な出会いを与えてくれました。仕事での成功体験も、全部大阪でできたものが基盤になりました。これがなければその後の僕はありません。社会人としての東賢太郎は100%「大阪人」「関西人」であると胸を張って言うことができます。

山中先生のインタビューには、何ともいえない、やわらかいけどタフネスを裏に秘めた、関西人のエッセンスみたいなものを感じます。これはそのままグローバルに通用します。僕自身、ささやかながらそれで16年間海外の第一線で戦ってこられました。かたや、東京人は 「ええかっこしい」 が権威主義というものになっていないでしょうか。御用商人と堺商人のちがいみたいなものがないでしょうか。

京都大学のノーベル賞の数はどうもそれと無縁でないような気がするんだけどさあ・・・・

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