Sonar Members Club No.1

カテゴリー: ______ミステリー

アガサ・クリスティ 「葬儀を終えて」

2014 FEB 23 13:13:53 pm by 東 賢太郎

葬儀を終えて (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)を読んだ。

51BKPKS004L._SS500_クリスティの作品は全部読んだわけではなく、まだ評判の高いのが残っていてありがたい。本作は今回初めて読んだ。本作をクリスティのベストにあげている人も多くいる。日本クリスティ・ファンクラブ員の投票では9位だそうだ。

犯人は当たらなかった。これだと思って読んでいた人間が犯人であることも可能だが、動機が意外なところにあり、それが分からないと犯人の目星はつかないし、もし分かれば確実に当たるという性質のものだ。だからこの小説はフーダニットでもありホワイダニットでもあるだろう。

ネタバレにしないように注意して書こう。推理小説は叙述者、つまり物語の「語り手」が誰なのかという問題が常にある。読者は語り手から情報を得て、語り手と同時にそれを共有していくのが一般である。クリスティの場合、語り手が読者にとってパートナーとは限らず対決する相手であるのが特徴だろう。

つまりワトソンというパートナーである語り手がいたり著者と同名の探偵エラリー・クイーンの犯罪記録という体裁にして叙述に仕掛けはない仕立てにする小説とクリスティのそれは根本的に宗派が違う。読者は最初の文章からして、叙述者ではなくて、クリスティ本人が仕掛けた落とし穴に注意して旅することを要求されるのだ。つまりマジックショーを見ている状態に近い。

本作の落とし穴は大変に巧妙に掘られている。その時点で気がつく人は100%いない(これが最大のヒント)。後でそれを見破る手がかりは叙述者がちゃんと提示していて、フェアはフェアであるが、どれがウソかわからないマジックショーの中でそれだけを事実としてとらえてもっと大きなウソを見破るのは相当難しいだろう。

だから犯人は充分に意外であり、動機もそう明かされれば納得でき、なるほど面白い!と誰もが思うだろう。上質のエンターテインメントであることは間違いないし、こういう小説こそ大好きだという人はきっと多いと考える。

最後に、ここからはエラリー・クイーン派の僕としての感想だから無視していただいて結構だが、それはそうであってもいいがそうでなくてもいいというもので、ポアロが確定的にその結論に至った研ぎ澄まされた論理性を感じない。そういう真相であったなら探偵小説として満足感が高いというところに真相を配置することにかけて極めて巧妙だなということだ。やはり女性の書いたものという感じがする。

 

(こちらへどうぞ)

高木彬光「呪縛の家」を読む

 

 

 

エラリー・クイーン「Yの悲劇」

2014 JAN 28 19:19:22 pm by 東 賢太郎

クイーンの「オランダ靴の謎」は数学でいえば

「解法の美しさ」・・・①

を味わえる古典として僕はベスト1に挙げたいものです。しかし本格派ミステリーにはもう一方で、

「解答の意外性」・・・②で勝負という流派がありますね。これには大別して

「意外な真犯人」・・・・②-A                                  「意外な動機」・・・・②-B                                 「意外な犯行方法」・・・・②-C

があると思います。TVのサスペンスものはほぼ無理やりAにもっていくだけの勝負で、①のロジック性は話がこみいるので回避されている感じがします。①と②とどっちが大事かと言われれば、僕の趣味からは断然①なのですが。

Aの最高峰はアガサ・クリスティの「アクロイド殺人事件」で、それに匹敵するインパクトがあるのがウィリアム・アイリッシュの「幻の女」でしょう。次点がヴァン・ダインの「グリーン家殺人事件」、やはりクリスティの「オリエント急行殺人事件」でしょうか。いずれも古典的名作ですが、意外性探求のあまり①が弱いので本格派というには当たらないと僕は思います。

その反対に、①に重点があって②はそれほどメインではないという作風の人も現れます。英国人のコリン・デクスターの「キドリントンから消えた娘」は解法のロジックに徹底してこだわったいかにも英国人らしい作品です。犯人の意外性は特に狙っていないので読後も印象が薄く、僕は犯人が誰だったかすっかり忘れてしまっていたので楽しく再読することができたという意味でも非常に異色の名作と言えましょう。

①とAを両立させるのは大変困難であり、その反動でしょうか、探偵が足で歩いて新たな事実を読者と一緒に発見しつつBやCを経てAにたどり着くという流儀がフリーマン・ウィルス・クロフツの「樽」を始祖として生まれ、結果の意外性よりもプロセスのサスペンスに楽しみの重点が移ります。そのほうが捜査過程の現実味が加味されて①のパズル的な無機性が緩和されるという利点があり、やがて社会派という流派ができました。松本清張はその末裔と言っていいでしょう。

①とAを両立させることが比較的うまくできていると感じた作品がウイリアム・L・デアンドリアの「ホッグ連続殺人」であります。クリスティの某著名作品のリ・アレンジではありますが「トリックに対するロジックに忠実」という意味でロジカルであり、そのためにマニアには途中で犯人がわかる。全然違うパターンですがイーデン・フィルポッツの「赤毛のレドメイン家」はトリックではなく「作者が誰を犯人にしたがっているか」という著作動機を感知すると自然と犯人がわかる。①とAの両立はそれほどに困難なので、そういうほつれが出てしまうのだと理解しています。

僕が読んだ限りではありますが、①とAの両立がうまくできている作品はクィーンの「エジプト十字架の謎」であります。しかし上には上があって、①とAの両立どころか、「①とA・B・Cの全部」を同時に達成してしまった奇跡的な作品が一つだけあります。それがエラリー・クイーンの「Yの悲劇」であります。4打数2安打ですら難しいところに4打数4安打!しかも巧みな舞台設定で絶大なサスペンスあり!この作品を中学時代に読んだ時の衝撃は今もって忘れることはできません。本作はなんとなく名作と扱われていて常に人気ランキング上位にくるのですが、理由があるということです。

そんな名品を第2作とするバーナビー・ロス名義の「4部作」。Xの悲劇,Yの悲劇,Zの悲劇と3つ続いて「レーン最後の事件」で強烈などんでん返しを食った時の鮮烈な驚きは最高で、これらは4部作としてこの順番で読まれることが必須です。クラシック音楽に造詣の深かったクィーン(フレデリック・ダネイとマンフレッド・リーの共作)がラインの黄金、ワルキューレ、ジークフリート、神々の黄昏の4つのオペラをまとめて「ニーベルンゲンの指輪」という4部作にしたリヒャルト・ワーグナーを知らなかったはずはなく、僕は2人がミステリーの金字塔を打ち立てようとこれを意識したものと思っています。

 

(補遺、16年1月21日)

最近読んだ中で最高に面白かったのは「その女 アレックス」(ピエール・ルメートル、文春文庫)であります。殺しの描写がかなりどぎついがそれは万事にわたってリアリズムの極致ということであり、場面展開のテンポが素晴らしくよく、一気に読み切りました。殺人の動機がわからないサスペンスの盛り上げが実にうまい。傑作です。

ネタバレにならないことを祈りますが、このプロットで真っ先に思い出したのが「歯と爪」(ビル・S・バリンジャー)ですね。一度読んだが読みかえしてしまいました。昭和30年頃の作品ですがカットバック手法の切れ味が抜群で文体、レトリックの無駄を切り詰めた美は文学としても一級品である。結末は知っていたわけですが、初めてだと意外性充分ですね。「ここでやめたら返金します」という挑戦には負けるしかないでしょう。

 

(こちらもどうぞ)

エラリー・クイーン「災厄の町」を読む

 

ネコと鏡とミステリー

 

 

エラリー・クイーン「オランダ靴の謎」

2014 JAN 27 0:00:35 am by 東 賢太郎

シャーロック・ホームズ・シリーズはもう中味をすっかり忘れてしまっていたのですが、小学生の僕が最も気に入っていて、自分ですぐ同じトリックの小説まで試作したものがあります。さっき調べてみたらそれは「ブルースパーティントン設計図」という「シャーロック・ホームズ最後の挨拶」にある短編だったことがわかりました。ストーリーは忘れてもトリックだけは鮮明に覚えていました。それほどにこの短編に入れ込んでいたので、作中に出てくるこの言葉も幼心に残っていたものと想像します:

「不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる」(When you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth.)

この言葉は今でも僕をゾクゾクさせます。僕にとってホームズの格好よさはこの言葉に集約されていて、これは数学、論理学、そしてすべての科学に関係がある「真実探究」というプロセスにおいて、そう考えることがロジックを一歩進める有効な方法であることを示唆しています。特に下線部がポイントですね。

人は「奇妙だけど本当だ」と言われても、しばらくすると「やっぱり奇妙だから嘘だろう」に流されがちです。この理由は脳が理解できない不協和な情報は勝手に協和的に解決するようにプログラムされている(認知的不協和の解消)からだということを前回書きました。ですから「情緒と論理が矛盾したら論理を信じよ」と教育される必要があります。脳のプログラムを書き換えるわけですから、「強烈に矛盾した具体例」に直面して、自分の情緒、直感、常識というものがロジックが導いてきた「意外な答え」にねじ伏せられてしまう鮮烈な体験がないと実は難しいものです。

人生という長い長い登山の道のりにおいて、我々はいつも分かれ道の前で立ち止まり、右へ行くか左へ行くかの判断をして生きています。真実のみが頂上へ導いてくれます。暴風雨や霧の日に、ここは右だと見えたとしても、左へ行きなさいと導いてくれるのが地図と磁石です。ロジックというのはそういうものです。ミステリーという文学は犯罪、証拠、ロジックだけで進み、犯人逮捕という冷徹な国家権力行使を万人に正当化するのですから情緒の参加する余地はゼロです。つまり、上記の言葉の正しさ、重要さをデモンストレートする格好のものとなります。

ミステリーはその後に犯罪小説という類系と、謎解き小説という類系に分化して発展しますが僕個人の趣味としては、犯罪という素材はロジックという本来無味乾燥なペグを現実社会に肉付けする道具にすぎないのであって、やはり「謎解き」に軸足を置いた類型、すなわち「本格派」と後に呼ばれるようになるジャンルをこよなく愛しております。そこにおいては「奇妙さ」(謎)の度合いが大きくて、かつ「真実であることの証明」(名探偵による種明かし)が明快であるという2条件を満たしているほど質が高いという方向に進化しました。

ホームズ物もほとんどがこの2条件をベーシックプランとして書かれてはいますが、種明かしが一般合理性よりも名探偵の特異な能力によるという比重が高い。奇妙さの提示もその能力の誇示のお膳立てという観があり、やはりホームズというキャラクターが売りだという意味では創世記のパターンです。一方で、コナン・ドイルと同じく英国人のアガサ・クリスティーは「謎」を深めました。孤島で犯人も含めて全員が死んでしまう、密室である列車内の全員にアリバイがあるなど実に魅力的ですね。

ただ、謎に比重がかかると、有名な一発物トリックで書かれた「アクロイド殺人事件」のようにアンフェアだと批判も出るなど、種明かしの合理性は格段に落ちてしまいます。あのトリックは一種の発明であり、あまりに鮮やかなのでもう誰も使えなくなってしまった。だから確かにクリスティーはアイデアの宝庫として面白いし、駄作率が低いという意味で質は非常に高いのですが、本格物の本格派かというとそうではないでしょう。

謎の深さ、名探偵の種明かしの魅力の両方を高い次元でキープしながら、より「謎解き」の一般合理性の比重を高めて読者参加型にもっていったのがエラリー・クイーンです。「読者への挑戦状」を挿入するというのは、自分をoutsmartしてごらん、という意味であり、それだけで僕のゾクゾク感を倍加します。

前述のクリスティー作品では筆者が読者に仕掛けた罠は絶対にわからないし、「アンフェアですって?でもここまで見事に背負投げを食らえば気持ちいいでしょ?」という性質のもの。まあ確かに気持ち良かったですけど。それがクイーンでは、「いやいや、解けますよこの謎は、ただし、もしあなたが充分にスマートならばですけどね」、というもので心にくいですね。シャーロック・ホームズごっこができる読者参加型なのです。

しかし厳密に再読すると、挑戦状までの開示情報だけで本当にロジカルに犯人を指摘できるものはほとんどないです。つまりクイーン先生には悪いが、フェア度合いは彼以外の作家よりは相対的には高いが完全にフェアではなく(つまり探偵がちゃんと名探偵に見える仕掛けになっており)、しかし挑戦状があるという心理効果でその仕掛けが隠れてフェアっぽく見えているという高度な制作技術による作品群です。

10438

 

僕が彼の「国名シリーズ」で最も評価するのは「オランダ靴の謎」です。なぜなら、初読にして挑戦状の所で明確に犯人を当てることができたから、すなわち、この作品は例外的に「ほぼフェア」だからです。厳密にはロジックに小さなほつれがありますが、それでも数学的に美しいという点においてこれをしのぐ作品を古今東西においても読んだことはなく、(謎の大きさ)×(解法の納得性)の値は僕の知る中では最大値を与える傑作であります。

 

 

(こちらへどうぞ)

いや~、そうはいっても、オカマもいますからね

エラリー・クイーン 「Yの悲劇」 (補遺あり)

 

ネコと鏡とミステリー

2014 JAN 18 18:18:59 pm by 東 賢太郎

ミステリーという小説は謎を投げかけます。①部屋で人が殺されている、しかし、②内側から鍵のかかったその部屋には誰もいない、というように。①と②は矛盾しているので読者は心理的な不快感を覚えそれを解消させたくなりますが、この衝動はアメリカの心理学者、レオン・フェスティンガー(Leon Festinger)が唱えたもので「認知的不協和の解消」と呼ばれます。イソップにちなんで「酸っぱいブドウ理論」ともいわれ、2つあって迷って買わなかった方のブドウは「あれはきっと酸っぱかったのだ」と自分を納得させる心理プロセスのことです。

大学1年目の政治学の講義でこの言葉を習い、政治学よりもそっちの方に興味を抱きました。ミステリーを読みたくなる衝動は①と②の不協和の解消衝動ですが、不協和は不快感ですから本来ストレスがあっていやなものです。そのひと時の不快感よりもその解決によるカタルシスの解消の方が快感度が高いからそういう小説が求められる。謎が大きいほど解決の快感も高いのですね。それは、本来は危険のシグナルである苦味というものがあるビールをおいしいと感じるのと同じことで、ミステリーはとても人間的な遊びに満ちていると思ったのです。

では動物はどうか?

あるとき僕の家に迷い込んできたチビという非常に賢い子ネコに3mぐらい離れたところから鏡を見せました。チビはそこに写ったネコ(自分)を発見して驚き、別のネコだと思って低い姿勢を取って相手を凝視しながら忍び足でゆっくりゆっくり鏡に近寄ってきました。いよいよ鼻先が鏡面にくっつくとクンクン匂いを嗅いで何かを悟ったように裏面に回り込み(おそらくネコがいないことを確認)、それ以来二度といかなる鏡にもまったく反応を示さなくなりました。

しかしクラシック徒然草-ねこの「ごっこ」遊び-に書きましたがネコは「草むらで音を聞いた」、しかし、「行ってみたら鳥はいなかった」という不協和を認知して楽しむことができるのです。これは我々人間が苦味というシグナルを認知して危険を察知することで本能を一度人為的に緊張させておき、しかし、危険どころかノド越しが良くて逆に爽やかじゃないかという「倍返しの解放感」を覚えるという「とりあえずビール!」の快感と同じものをネコは感じることができる証拠であると信じます。

チビは①ネコがいる、しかし、②近寄ってみるとネコはいない、という認知的不協和のようなものは持ったはずで、どうして①②が同時発生したかはともかく、「①のネコ」に反応しても得るものは何もないということを一気に学習したものと思われます。「①のネコ」とは彼女にとっては「鏡に映ったネコ」なのか「あの白いネコ」なのか「自分の姿」のどれかなのですが、鏡をいくら取りかえてみても彼女はもはや知らんぷりでした。マジックのタネを知ってしまったということです。といっても鏡の原理を知ったはずはありませんから、冒頭のミステリーの例でいうと、犯行のトリック(光の反射)という②の理由を知ったのではなく、①のほうがおかしい、つまりそこに死体はなかったのだという「解決」で納得し、不協和を解消したものと思われます。そしてそれが条件反射化して知らんぷりになってしまったということです。

なぜ「死体はない」とチビが理解してしまったか?彼女は、(A)鏡という物体を個別的ではなく集合的に認知して「あれは鏡だ」「鏡の中のネコはいない」と知ったか、それとも、(B)自分かどうかは知らないが「あの白いネコ」に近づいても存在しないことを知ったか、(C)自分の外部から見た姿を認識して「あれは自分だ」と知ったか、どれかということになります。これは証明できませんが、僕の観察ではBかCであり、Aの可能性は低いように思います。あの白いネコが自分だという認識の有無がB、Cの差ですが、人間並みの感性を発揮した彼女の場合、Cであったと思いたいですね。「ふん、馬鹿にすんじゃないわよ知ってんのよ」と僕のマジックに肘鉄を食わせるのが認知的不協和の彼女なりの解消だったのかもしれません。

ミステリーに戻りましょう。冒頭の謎を大胆に仕掛け、うまく解決した先駆者と評されるのが「オペラ座の怪人」の著者フランス人ガストン・ルルー(1868-1927)の「黄色い部屋の秘密」(1908)であります。「①はなかったのだ」というネコの解決は許されないので②を説明する必要があるというのが人間界の宿命であり、以後にそれを正当化する様々な試み(トリック創案)がなされるようになります。鍵にひもがついていたり、秘密の穴から狙撃したり、涙ぐましいものですが大体は興ざめなもので、ルルーの解決は創世記の作である割に比較的ましなほうに入ると思います。

その後、英国のG・K・チェスタトン(1874-1936)の「ブラウン神父シリーズ」(1911-35)、米国のS・S・ヴァン・ダイン(1888-1939)、ジョン・ディクスン・カー(1906-77)が印象的な作品を残しましたが、密室の概念を孤島、走行中の夜行列車、飛行機、雪に閉ざされた山荘などに広げたのが英国のアガサ・クリスティ(1890-1976)です。それぞれ「そして誰もいなくなった」(1939)、「オリエント急行殺人事件」(34)、「雲をつかむ死」(35)、「シタフォードの秘密」(31)ですね。

わが国では横溝正史(1902-81)の「本陣殺人事件」(1946)が皮切りのようです(ちょっと機械的なように思うが)。彼の作品はトリックの妙というより舞台設定と殺人の動機設定のうまさに長所があるようです。特に「動機」というのは大変重要でこれが弱いとトリックの巧拙以前になんで人殺しなんかしたわけ?と拍子抜けしてしまう。横溝の作品はグローバル比較しても大変説得力を感じます。

メカニックなトリックそのものということでいうと、大胆で独創的と感心したのが赤川次郎(1948-)の「三毛猫ホームズの推理」(78)島田荘司(1948-)「斜め屋敷の犯罪」(82)でありました。赤川は女子供向けのイメージが強いですが、場面展開の速い筆力とトリック創案には流行するだけのベーシックな能力を感じます。種明かしは礼儀として控えますが、両者にはある共通項がありますね。

僕が最も尊敬するエラリー・クイーン(合作者なので2人をとって1905-82)は書きませんでしたが別稿を設けます。ネコが登場したところでお後がよろしいようで。

 

 

(こちらへどうぞ)

チビ

クラシック徒然草-ねこの「ごっこ」遊び-

エラリー・クイーン「オランダ靴の謎」

織田信長の謎(2)ー「本能寺の変431年目の真実」の衝撃ー

 

なりたかったのはシャーロック・ホームズ

2014 JAN 18 7:07:55 am by 東 賢太郎

 

子供のころ、将来何になりたいですか?と聞かれてなんて答えていたかは忘れました。適当に親や先生や大人が喜びそうなのをみつくろっていたと思います。本音ではプロ野球選手か天文学者でしたが、思えばもう一つあって、シャーロック・ホームズでした。

僕のミステリー歴は小学校で借りたシャーロック・ホームズ・シリーズと怪盗ルパン・シリーズに始まります。あまりに面白いので殺人が起きない小説は物足りなくなってしましたぐらいです。特にホームズの観察力や物腰は格好いいと思っていて、ああいう大人になりたいと思っていました。

今読んでみると、背景描写には英国のにおいがぷんぷんしていますね。なつかしいです。英国でまずブレークしたのは、19世紀末~20世紀初頭のインテリの英国人男性たちもホームズのような姿を理想とするというか、少なくとも格好いいと思っていたからだと思います。長年の英国人との付き合いから感じるのですが、今でも彼らがもっとも避けたいと思っているのはembarrassed(人前で恥ずかしい)な事態であって、たとえば簡単にいえば、社会の窓があいていたなんてのがそれに当たります。

一方で、事件の真相を見抜くホームズはワトソンをはじめ他のすべての捜査官をだしぬくのですが、推理力のような知の力でそうすることを英語でアウトスマート(outsmart)するといいます。これはembarrassとは対極であって、もっとも望ましい。もちろんどこの国でもそうでしょうが、英国紳士界においてはその高低差がどこの国の男よりも格段に大きいと僕は感じています。きれいにさえoutsmartすれば相手が外国人でも尊敬されます。アガサ・クリスティーの探偵エルキュール・ポアロは風采の上がらない小男のベルギー人ですが、それでも格好いいわけです。

僕はロンドンのシティで6年間、その英国人のプロたちに日本株を売ってきましたが、ファンド・マネージャーという職業の彼らはオックスフォードやケンブリッジを出たエリートです。僕のお客にはアイザック・ニュートン以来のケンブリッジ大学のダブル・トップ(2学部で同時首席)という歴史的な秀才もいました。そういう人たちが一生の仕事とするわけですから、株式投資というのは日本人の99%が(証券会社の90%の人間ですら)誤解しているようなバクチ的なものとは程遠いのです。相場を理性で予想するという行為、つまり合理的な仮説を立てることにほかなりません。

僕の仮説のほうが彼のより合理性があると判断されれば、オーダーを、しかも大きめのをくれます。半年ぐらいたって株価が上がって僕の仮説のほうが正しかったと証明されれば僕は彼をoutsmartしたことになります。彼らは自分で仮説を立てるプロでありますが、自分をoutsmartしてくれる人を探すプロでもあります。結果が全ての世界ですから。だからそうなればシャーロック・ホームズと同じで尊敬の対象になり、お客様の信頼は増すということです。そうすると徐々にですが能力があるという評価になってきて、もっとオーダーをいただける。それは証券会社では成績に直結します。だからいい仮説を立てられるように必死で勉強しました。

しかしそれは要するにホームズをイメージしてめざせばいいのですから僕の子どもの頃の理想でもありました。しかもそれをホームズのいた(はずの)ロンドンでやったわけですから、幸せな職業についたと思います。だからでしょうか結果はついてきて、ある政府系の機関からは1銘柄でワンショット180億円の買い付けという手が震えるぐらいの、たぶん野村でも空前絶後の巨大なオーダーもいただきました。当然手数料も半端な金額ではなく、自分の仮説にそんなに多額のお金を世界で1,2の著名な機関投資家が払って下さったというのは自信になりました。

200px-Sign_at_Sherlock_Holmes_Museum_in_Baker_St_221b数年前、息子を連れてロンドンへ行った折にやはりホームズ好きである彼がベーカー街のホームズ博物館に行きたいというので行きました。住所は221B Baker Streetであり、実在の有名人の住居跡にあるブルーのプレート(右)もかかっています。地下鉄の駅も下の写真のようであり、この愛され方は大阪の食い倒れ人形に近いといえましょう。国を挙げて遊んでしまう大人の余裕です。神田明神にも銭形平次の石碑がありますからわが国も文化的成熟度は誇っていいですね。

7c3cc300669bda38_S2ただ平次と我々では服装も髪型も違います。もしも日本人がまだ江戸時代と同じ格好をしていたならもっとリアル感のある銭形平次博物館でもできていたでしょうか。では明治以降で誰かいるかというとどうでしょう。僕は浮かばないのですが。そういう和風国民的キャラクターを後世が作れるほど平安な時代ではなく、その空気のまま戦争に突入してしまったのかもしれません。

日英は元は同盟国であり軍艦も機関車も英国からきました。英国の不倶戴天の敵国、ドイツと組んだことで戦争してしまった歴史はありますが、思えば自分は英国人ホームズに憧れる少年だったので基本的に英国が好きなわけです。そこで6年も暮らして、娘を2人も授かり、最も大きなビジネスを経験し、またソナーを作るにあたって助けてくれたのも英国人Sさんであり、ロンドン時代の仲間が3人も出資してくれています。英国とはホームズに始まって以来、なにか運命のつながりがあったと考えるしかありません。

 

僕にとってロンドン?戦場ですね

大学受験失敗記

2014 JAN 10 22:22:01 pm by 東 賢太郎

本稿は最終学歴をひけらかそうというものではない。自分史の半生記において、あまり思い出したくはないが受験失敗のことを触れないわけにはいかない。大学受験は結果的には願いどおりになったが2度も失敗しており、さらに中高受験もたくさん失敗しており、僕は受験にいい思い出がない。小さいときから物事を時間をかけて深く考えるタイプであり、制限時間内に70点ぐらいを効率よくゲットする競争はきわめて不得手だった。要は受験競争に適したほうでは決してなく、クイズ番組の物知り博士みたいなものになるには最も遠いタイプの人間である。

幼時の関心事は電車と星と人体であり、鉄道線路観察と全天恒星図と人体解剖図が半端でなく好きだった。蟻の観察も好きで同じ巣を一日中見ていて母が心配した。好きなことを始めると食事をよく忘れた。文学的関心は皆無であり推理小説が友だった。文章や人のことばは字義通りにしか解しないから詩歌は意味が分からず、吟じたり味わったりなど到底むりである。「国破れて山河在り~」などと、それがどうしたんだという詩を朗々と先生が読み上げると、僕にとっては馬鹿馬鹿しさとのギャップがおかしくて笑いをこらえるのに必死だった。現代国語や古文漢文のテストは当然見るのもいやであった。

そういうものを人並みに味わうフィルターがないとすれば、それは色弱であるという状態と照らすと似たものがある。僕の色弱は親は知っていて僕もある程度はわかっていた。それが思ったより進路に影響あるとわかったのは高3の始めだ。親父の家系はみな理系だったが、きれいなもの好きで芸術家肌の母の血を多く引いた僕はその時点ではどっちでもなかった。というより野球三昧であって、忘れもしないが高3で初めて受けた駿台公開模試での数学の偏差値は堂々の42であった。要はどっちでもよかったのだ。

自分的には天文、医学に興味があった。今になってみると医者なんかけっこう向いていたと思うが、「東君、その進路は色弱のことがありますからね。文系でどうですか」と担任の物理の故O先生は淡々と宣告された。僕が教師ならこう言っただろう、眼以前にアタマが無理でしょと。ストレートにそうおっしゃらない優しい先生だった。しかし、これがカチンと来てしまった。よ~しセンセイ、今に見ておれよと持ち前の反骨心にメラメラと火がついてしまった。人生とは何が左右するかわからないものだ。

銀行員の親父はお前は理屈っぽい、裁判官か弁護士になれときた。理屈っぽいことは納得だからそういうものかと信じこんでしまった。こうしてまず法学部志望が確定した。親父には申し訳ないがこれは大いに失敗だった。せめて経済学部か、意外と文学部で哲学なんかやったら学者になれたかと思う。次に志望校だ。僕は一番嫌いな政治家はレンホーだという人種だ。別に彼女個人にどうのこうのはない。どうして一番じゃなくっちゃいけないんですか?というあれが実に不快だ。一番がいいに決まってるだろ、何を言ってるんだ君は?ときっと泣くまでねじ伏せてしまったのが当時の僕だ。そこにセンセイへのメラメラがある。もう志望校は一校しか眼中になかった。

こういうことで僕はそこからやおら勉強を始め、最高峰私学2校の法学部に受かった。しかし初心は変わらずそれを辞退して、O先生の「おめでとう!」はハナから無視して(すみませんでした)、予定通り2次で落ちた東京大学文科Ⅰ類に再戦を挑むべく駿台予備校の門をくぐった。知らない方も多いが、東大というのは全員が最初の2年間は駒場の教養学部生になる。そこでは文Ⅰ、文Ⅱ、文Ⅲと所属が区別されており、3年目になるとそれぞれ本郷の法学部、経済学部、文学部に進む。文Ⅰ以外から法学部へ行けるのは毎年1名ぐらいであり、だから僕は最も偏差値が高い文Ⅰに入る必要があった。世間では東大受験といっているが、東大という大学を受けるのではない。「類」を受けるのだ。その類が不合格の場合、合格ラインの低い類に回して合格させてくれるということは一切ない。だから単に東大に入りたいだけの人は文Ⅱか文Ⅲを受けるべきである。文Ⅰを受けるのはリスクが高いのだ。

あまりに発射台が低かったわけだから成績は大変伸び、再戦だし落ちるわけないなという過信もあった。だから今度は文Ⅰひとつしか受けなかった。これは、メダルを辞退した以上は次は金しかない、銀狙いなし、1年たって銅で妥協はさらになしという理屈だった。そうしたらまた落ちた。これは参った。掲示板に番号がなかった時は大変なショックで、目の前が本当に暗くなった。すべり止めがないのだから即2浪が決まったわけで、眼前に横たわった1年が永遠に向こうにたどり着けないサハラ砂漠みたいに感じられた。私学を受けなかったのは作戦ミスだったかどうかというと難しい。そこでもしまた受かっていれば、それでももう1年東大にチャレンジしたかといわれれば、しなかった可能性がある。それでどういう人生になったかは知らないが、キャリアや人生行路という意味ではなく、今のような性格、人格の自分にはなっていなかったことだけは間違いない。

不合格だった日からの記憶は不快なので脳が勝手に消去したと思われ、まったくない。次の記憶は駿台を受けたら25番ぐらいだったことからフィルムが再開する。それはその年の日本国の浪人生で上から25番目だったことをほぼ意味する。座席はその入試順位の順番だ。まわりは全員が判で押したように東大文Ⅰ志望であり、630人の定員だから655番目だったんだろうという風な計算を全員がしていた。くそっ、ここから400人も東大に入るのにと思ったが僕よりもっと悔しい人が24人もいたことを知って気が和らいだ。両隣りだった人たちも当然に翌年は合格して奇遇にも駒場で同じクラスになった。初対面のときの挨拶は「キミはどうして落ちたの?」だ。僕は「数学が・・・」だ。「えっ2問?オーケーじゃんか?」「そうだね普通ならそれで」だったのを覚えている。英語はまあ良かったが僕の国語と社会の能力はきっと普通じゃないレベルだったのだ。

文系だから英国社は配点が120点ずつで数学は80点だった。国語と社会で55%を占める。東大の2次試験ぐらいになると受験生のレベルは一部の別格的な秀才を除いてほぼ均質である。特に僕のようなボーダーラインの人間の合否は僅差で決まる。社会科は2科目必要で、ひとつは日本史にした。これは割と好きでもあり私学合格の武器になった。しかし高3からの付け焼き刃だから2科目目は省エネしようと政経を選んでしまった。政経は教科書は薄いが全問が論述で実はタフであり、配点は60点もあるのだから作戦ミスだったと思う。しかし今さら政経を世界史に替えて時間を食うよりは、その時間を得意の数学に回した方が総合点は上がると判断した。4問完答だ、満点をとろう、それで落ちたらあきらめようとハラをくくった。こういう人は文系にはほとんどいないはずだ。

それは結果的に正しい判断だったことが判明する。2年やって僕は英国社で成績優秀者リストに名前が載ることはついに一度もなかったからだ。いっぽう、数学の満点ねらいは僕にピッタリのスリリングなゲーム感覚があった。野球でもまず完全試合からねらうのが争えない僕の性格だ。遊び感覚でやっていると結果もよくて、夏前の公開模試の数学でついに念願の満点をとった。駿台予備校に関わった経験のある方はご納得いただけると思うが、あそこの数学はやたら難しくて平均点は2~30点であった。東大受験者はほとんどが受けていて数学オリンピック級の子もいたろうが、文系で100点は年間通しても極めて少ない。僕が人生で唯一全国区で一番になった経験はこれであり、今でもほかの何よりもこれを誇りに思っている。

数学は僕のゼロ戦になった。低空飛行の英国社が足を引っ張っても総合得点で全国7位になるなど、蜜の味も知ってしまった。これで落ちるわけないと確信し、飽きっぽい僕は夏休みは一切すっぽかして推理小説の執筆に没頭してしまった。当時熱中していたエラリー・クイーンをどうしてもまねしたくなって1か月で書いたそれは「オランダ靴の謎」と「Yの悲劇」とヴァン・ダインの「グリーン家殺人事件」を足して3で割ったようなものだ。これを先日読み返したら1行だけ消しゴムで消してあった。おそらく一気に書いてから論理破綻に気がつき、埋める間がなくそのままになったのだろう。その破綻がなにか今の僕の頭ではいくら考えてもわからない。

そうやって夏に油を売っていたら秋になって急速に順位が落ちた。進学校の現役連中である。我がゼロ戦をしのぐ高性能のグラマン部隊であった。しかし、本番の東大2次試験では態勢をもちなおし、作戦通りに数学でほぼ満点をとった。たぶん3点ぐらい減点されたはずだ。上級者は自分でそこまでわかるのである。その年の数学は難しかったから運もあった。先日駒場のクラスで1、2の秀才であったO弁護士に「2問目にミスがあったの気がついたか?」ときいたらNOだった。彼に頭で勝てたのはそれだけだ。僕は 「これは出題ミスである」 と余計なことまでバーンと答案用紙に書いてしまい、でもまさか?とあとで不安になった。駿台へ行って壁に張り出された模範解答を見たら 「ミスだ」 とあった。これで合格を確信した。

発表日に掲示板の受験番号を見てほっとした。楽勝と思っていたからうれしさはあまりなかった。電話したら両親がやって来た。母が泣いているのを見て、わがままで浪人してしまったことを悔いた。母は自分の父親と同じく僕に慶応ボーイになってほしかったのだ。現役で合格させていただいた大学は普通なら赤飯を炊くところだ。どうして入らなかったのかとよくいわれるし、いわれると説明に窮してついそうだねと思ってしまう。それが自然体だったし、行った連中が楽しそうだったし、女の子もいっぱいいたし、1年のつもりが2年の回り道になったし、それで弁護士や教授になったのならともかく4年間すっかり遊んでしまったのだし、入社したらそっちの大学の方が主流派だったし。何とも間抜けな人生だ。だから何を書いても負け惜しみになるが、それでもあの決断は良かったと思えることもある。

なにより駿台予備校というのが素晴らしい学校だった。英語の伊藤先生の「ここでガチャンという音が聞こえる」は実にすごい。ガチャンが本当に聞こえるようになり一気に英文法が得意になった。極めつけは数学の根岸先生だ。板書が美しい。悪筆だった僕のノートも美しくなった。それと正比例して面白いように成績が上がって偏差値は軽く70台になった。42だった僕がだ。先生は東大理学部物理学科卒の数学者であり「数学の美」を教える天才だった。人に教わることの鈍才である僕が心から敬服して習いたいと思ったのは先生だけだ。数学の思考訓練をここまで徹底的にやったことで僕は完全に別な人になった。2年間やっても英国社は文Ⅰ受験者としては人並みのまま終わったわけだから、僕の資質は理系だったということが判明した。

O君は弁護士という仕事は充分やったので違うことをやりたいという。その仕事に誇りはあるが、人が決めてもめ事を解決するのは次善策であって科学ではないそうだ。そういう彼も理系的な人であり、彼曰く文Ⅰの人はみんな理系だがそれでも司法試験や上級公務員試験に受かる。ところが僕の場合、1年の法学概論の授業からして退屈でまいってしまい、訴訟法や行政法みたいな手続き論は完全にアウトだった。要は神様が決めたもの以外ぜんぜん興味が湧かない。訴訟のルールよりも、子供の時にじっとみていた蟻んこの道のでき方のルールの方がずっと上等に思えた。あそこまで法学部にこだわったのは間違いだったのだろうか、今もよくわからない。

有難いことに、いま自分はサイエンティストとしての生来の姿で自然に生きていける自由を得た。サラリーマンという虚飾の職業をやめられたからで、まったく心の底からくだらないと思うことに真面目にうなづいたり取り組むふりをしたりする必要が皆無になった。ショーペンハウエルの言う孤独を楽しめるというのは何という素晴らしいことだろう。ある原理や法則に則って歴史、古文、哲学、音楽、ラテン語、ミステリー小説、株式市場なんかを紐解く作業は実に楽しい。いま僕はそういう他愛ないことに喜びを見出している。神様が決めた原理、法則性が支配する限りにおいては何事であれ敬意と関心をもっていられる。その神様が誰であれ、造物主という意思の存在を僕は確信することができるし、彼がいない宇宙や科学や数学の存在を逆に信じることが難しい。

もう来年2月に還暦になる。ここに記したような自分の若気の至りをゆるし、いとおしく思える年齢になった。それがなければ今はこうなっていない。この妻も子もいない。世界であんな経験もできていない。証券という面白い仕事について体が震えるような成功体験を感じることもない。だから良かったのだと思う。ここから僕が世の中に生きている意味は、こうして選んでしまった道を人助けという道に連鎖させていくことだ。自分に意志と健康がなければできない。還暦はその節目にしたく、だからそこまでの1年ちょっと、その準備をしようと決めている。今年がそういう年になったら幸運である。

 

バルトーク 弦楽四重奏曲第4番 Sz.91

 

 

 

 

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

ライフLife Documentary_banner
加地卓
金巻芳俊