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カテゴリー: SMCについて

音楽は人生ドラマ

2016 MAY 25 12:12:12 pm by 東 賢太郎

音楽は人生ドラマです。

あのメロディーを聴くとあの頃を思い出すというご経験はどなたもあるでしょう。僕の場合それがクラシック名曲のかずかずになりました。61年も生きてしまうと19才と20才なんてもう遠い昔で区別がつかないのですが、音楽をきくと、ああこれは19才だ、これはハタチだったなとはっきりわかります。まるで樹の年輪です。

人生を豊かに楽しくしてくれた名曲たちに心から感謝しています。そのひとつひとつとの出会いや思い出をつづってみよう、それがささやかな自分史にもなるだろうという気持でブログを書いています。

僕にはそういう曲が228曲、いまのところあるようです。元気で生きていればですが、それだけは書いて残しておこうというのが人生の大事な目標に思えてきました。畏れ多くて書けそうにない曲もあって自信はありませんが。

SMCを始めて3年8か月ほど、おかげさまで僕のそういうブログの総閲覧数が50万を超えました。日々、多くの方々が拙文のバックナンバーまで丹念に検索してくださっており、こちらも感謝の念にたえません。

 
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有難うございました、良いお年を(ブログ終了のお知らせ)

2015 DEC 31 13:13:23 pm by 東 賢太郎

ブログの総閲覧数がおかげ様をもちまして42万をこえました。この場を借りて御礼申し上げたく存じます。商売でないので数字に頓着はありませんが毎日4~500お読みいただいている事実は重く受け止めており、本稿を書かせていただくことにしました。

3年のあいだ一生懸命書いてまいりましたが、当初より万葉集にしたい、自分史にしたいという僭越な目標をもっておりました。書き残したいものをサーバーというタイムカプセルに収めておくという作業なので、もとより日々の出来事のようなものを記す意図はありません。

今年の一区切りという所で振り返りますと、自分についてはもうほとんど書いてしまい、これに付け足すほど中身のある人間じゃないだろうという自制の念も生起しておる所です。音楽も楽曲という鏡を通じて好みを明かすという自分史の一環で、すでにバックナンバーでかなり明らかになったのではと思います。

来年は思う所があり、仕事はチャレンジの年と位置付けております。55才で始めて5年かかり、60からのスタートでは無理だった場所に幸いおります。ここでスパートしないと人生意味がなく、 それを体力気力が許す時間は僅少です。

そこで、12月2日にこの重要なブログを書きましたが( 事業への戒めについて)、剪定するもののひとつにブログを書くことも入っております。誠に勝手ではございますが、この年末を区切りと致し、僕のブログは本稿をもって終了とさせていただきたく存じます。

この決断は誰にも相談せず、自分の中だけでいたしましたゆえ、日々一緒に過ごしている家族にとっても驚きだったようです。もとより事業を行うのは孤独なものであり、環境が変われば自分が将来どのような決断をすることになるのかは自分でも不明です。そのようなこととしてご理解賜れれば有難く存じます。

1169本あるバックナンバーはすべて検索可能です。稚拙なものはいずれ推敲してみようかとも考えております。また、もちろん西室配下のSMCに何ら変わりはなく、残すことが目的なのでマネジメントには責任をもってのぞみます。ご不便をおかけいたしますが、なにとぞ引き続き変わらぬご愛顧をお願い申し上げます。

3年間、拙稿をお読みいただきましたこと、誠に有難うございます。深く感謝申し上げます。これからの皆様のご多幸とご健勝を心よりお祈りして、最終回の辞とさせていただきます。

 

 
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ブログは名刺

2015 DEC 16 23:23:39 pm by 東 賢太郎

 

ビジネスという環境に身を置いていると名刺がたまる。数年でなん百枚にもなるだろう。仮に僕が楽隠居かプー太郎でもしてたら自分の名刺もいらないし、出さなければ相手もくれないからたまることはない。

何が違うんだろう?それはビジネスマン、商売人というのはお互い様でお金をもうけるという共通利益をベースに動いているからだ。僕に名刺を差し出す人は、なにか利益がありそうだからそうするのであって友達になりたいわけではない。個人というより会社に何かを期待するのだ。

いつも格好いいと思うのは仰々しい肩書のない名刺だ。「弁護士」とか「作曲家」とか「建築家」とか、職名だけのも素敵だ。俳優など有名人になればどうするんだろう。「俳優」もいらないから名前だけかな。でも高倉健が「高倉健」と書いた名刺を出す姿は想像できない。だから名刺なしがいちばん偉いのかもしれない。

最近僕はブログを名刺代わり使うことを覚えた。初対面の人に「ここにブログがあります」とSMCのアドレスをお教えする。そうすると、読んでくれる人とそうでない人があとでわかる。そうでない人というのは、すべからく僕個人でなく会社やお金だけに興味がある人だと判断している。

こっちもビジネスなので構わない。お互い様であって、そうであるなら僕の方も彼・彼女の個人には興味を持たない。ただ、相手がどうあろうと僕は自分を明明白白に晒して、こういう人間ですよ、あなたには嫌な奴かもしれませんよ、こういう妙な?主張を持ってますよ、という風なことをお示しする。

それは営業や交渉ごとでは不利だという人もいる。しかし僕は自分を隠したりお化粧したりして有利になったり好かれたりしても、やがてうまくいかなくなることをたくさん経験している。明かしてうまくいかない人とは所詮うまくいかないから何か期待して始めるだけ無駄なのだ。相手に時間の浪費をさせては悪い。

それで、読みました、はい、やめときますという人とは今のところお会いしていない。いや、もっと正確に言うと、やめようと思うほどまじめに読んだ形跡の感じられる人はほとんどいない。そんなものだ。名刺をもらって家に帰って、この人は珍しい名字だなどこの出身だろうと調べる人はあまりいない。

ところがブログの検索履歴を見ると、例えば日本シリーズで神宮球場ではヤクルトが有利だろうという噂がネットやTVで拡散したが、それは神宮のマウンドが今年から変わったせいだなどと言われる。僕はそのことを9月20日付のブログに詳しく書いたが、するとその記事の検索数が静かに増えた。オタクっぽい内容なので当初はあまり読まれなかったのに。

こういうのがとても嬉しい。想像するにヤクルトに肩入れはじめたあたりで野球好きの方のご訪問がちょっと増えたと思われる。関心を持って下さった方はバックナンバーを検索して読んでくださり、たまたま話題になっている「神宮のマウンド」の記事を見つけて下さったのではないか。お互い、名乗る必要はない。名刺交換よりずっと意味のある交流だと思う。

 

(追記、16年1月24日)

ブログをやめたらかえってアクセスが増えてます。恐縮です。野球や音楽においては僕は単なる外野席の観衆でしかありませんが仕事だと選手でいられます。仕事に専念するには断捨離が必要なのです。

 

(同、1月30日)

断捨離といえば、今のお客様はすべて起業してからのご縁の方です。サラリーマンの自分というものは、生きるために仕方なく作った虚像を含んでおり、その虚像で作った関係を無理に維持する精神的コストは高いのです。それを払うなら一から作り直した方が楽で早いでしょう。

そうだろうかと思う方も多いでしょう。ではサラリーマンしながら僕みたいにブログで自分をさらけ出せますか?まず無理です。それをしちゃあお終いよと「自画像を断捨離」したところに成り立つ地位が、宮仕え、サラリーマンというものの実体だと思います。

僕が断ったものは重いです。ところが新たなご縁が今になって開花しつつあって、去年の最後に向けて信じられない勢いで大ブレークをはじめました。すべては偶然の結果とはいえ断つということの威力を知りました。だからブログも断ったのです。

断つと失います。更地になります。だから何かを得よう、建てようと、強いエネルギーが出ます。これを僕は断食で経験しました。そして、少しだけ自信を得ました。捨てることは怖くないということにです。断捨離はもっと必要と思っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

SMCの3周年を迎えて

2015 OCT 16 23:23:42 pm by 東 賢太郎

昨日ですが、サーバーに問題があり一時的にSMCサイトにアクセスができなくなりました。現在は復旧して問題はございませんが、ご不便をおかけいたしましたことお詫び申し上げます。サーバーというのはちゃんとメンテしないと、こうして消えてしまいます。ある意味怖さがわかりました。

さて、この10月をもちまして、おかげ様でSMCは無事3周年を迎えることができました。その間に約40万ものご訪問を頂戴いたしましたこと、発起人として大変に光栄に存じます。ご来訪の皆さま方には厚く御礼を申し上げます。

メンバー制をとらせていただいているので普通のSNSとはいささか趣を異にしますが、なるべく開かれたオンライン・クラブ組織にしたいと考えております。またブログでご紹介しましたが、我が国の伝統芸能の世界への紹介などで、ささやかながら文化貢献ができればとも考えております。

ところで、SMCのトップページ左上の「メンバーズ・リスト」にお入りいただくと今日現在で27名のメンバーの写真があります。大学時代からの友人もいれば、つい数か月前にまったく偶然に知り合った人もおられます。かように、参加のご意志さえ固ければけっして敷居が高いわけではありません。

法人としてのSMCは畏友・西室が社長をしてくれていますが、その西室も知り合ったのは2年前です。そこで彼の人物、人となりを知って、そう時間をおかずに僕の方から社長をお願いしたのです。そのことはともかく、そのぐらい開かれているクラブだとご理解いただければと思います。

ですから僕は発起人ではありますが、単なるいちブロガーであり、SMCというクラブはメンバーの皆さんの総意のみで将来どうなるかが決まります。単なるブログの会なのか、なにか生産的な共同体になるのか、生涯の知己、友人を得る場になるのか?

組織は生き物ですから、自由に自然に、なるようになるのがいいと思っております。そしてSMCのメンバーに名を連ねることに少々のプライドを持っていただけるようにする、楽しく有意義な人生を送っていただけるようにする、我々の役目はそこにあると思っております。その取りまとめ、お手伝いを西室がさせていただくということです。

僕は個人的にはブログをある目的をもって書かせていただいております。それは全く個人的なことにすぎませんが、「遺言」ということです。初めは自分史のつもりでしたが、大したことも成していない人間にはおこがましいことでした。だから、誰でも書ける遺言ならいいだろうということです。それも子孫限定で財産をどうするというものでなく、世の中に言いたいことを書き遺すというものです。

どこの誰べえかわからぬ僕が仮に本を出版しても、知り合いに押し売りしたとしても4,500部がいい所だそうです。しかも絶版になればそれで永遠におしまいです。ところがブログにすれば40万近くになりました。サーバーをメンテさえすれば消えることはなく永遠に世界中で読んでいただけます。千年後に、僕らでいえば平安時代の先祖のブログを読むということが子孫に可能になる。素晴らしいロマンだと思いませんか?

名前を出したくない、ブログは書けない、コメントだけでいい、いろいろな方がおられることが3年やっているうちにわかってきました。もちろんそれでもかまいませんし、そういう方々も同様に大事な仲間と思っております。SMCを通して僕のアドレスに直接メールして下さる方もおられます。生の声がお聞きできるし、いろいろご相談にも乗れ、書く励みにもなっております。

どんな形であれ、我々のブログに関心を持って下さる方々は必ず大切にさせていただきます。どうせあと何年生きるかわからない僕らですから、「袖振り合うも多生の縁」「一期一会」ということを第一の命題にしてやっていこうと存じます。

今後ともSMCを何卒よろしくお願い申し上げます。

東賢太郎

 
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日本の女性は世界一美しい

2015 SEP 21 15:15:47 pm by 東 賢太郎

のっけから羊頭狗肉になりますが、標題を堂々と言い切る自信は実はございません。そう断じるのはいままでブログに書いた何よりもおそろしく、罪深いことのような気がいたします。なんたって60年も生きてます。西洋でも東洋でも、北でも南でも、世界中で、立ち止まるほど美しい女人はたくさん見かけたからです。

それでも着物を着ると、ということならそうかもしれないし、さらには優雅に舞うと、ということならますますそうだろうし、それが京都の地であるなら完璧にそうだ。ここまでシチュエーションが狭まってくるとというわけで、しかも先週行ったばっかりの勢いも借りて、えいやっとこの標題になったのです。

京都というのは摩訶不思議なところで、JRのそうだ 京都行こうじゃないけども、「行く」ことだけで目的が成立してしまう、少なくとも僕にとっては世界で唯一の街です。

どこの国だの都市だの街だのに「そうだ!」という気分になったとしても、何々を見に、何々をしに、何々を食べに・・・がはいるんですね。ところが京都だけはなんにもいらない。ただぶらっと行って食ってぶらぶら歩いて帰ってくる、それでよしなんです。

歴史好きというのはあるでしょう。立ち止まって、この一角で・・・、とたたずむうちに千年の物語が渦まいてまいります。東京へ戻ると気持ちはなんとも寂寞としたもんです。江戸という土地は、日本国の歴史というタイムスパンで俯瞰するならアメリカ合衆国と五十歩百歩の歴史です。

もっといえば、北米大陸には先住民の長い歴史があるが、東京の大半は家康が左遷されて来るまではキツネやトンビぐらいはいたろうがただの野っ原か海だったわけで、僕の歴史センサーに反応するものがないのです。東京が首都であって洋風の応接間で、かたや京都は先祖伝来の骨董品の蔵であるという国のあり方は正しいんだろうかという疑問すらわいてきます。

東京が首都になるまで、我が国の時代区分は政権のある地名を冠しています。飛鳥、奈良、平安(京都)、鎌倉、室町、安土桃山、そして江戸。それが天皇が東京に移って、明治、大正、昭和、平成と元号を冠するようになった。古来の原則ではぜんぶ「東京時代」でひとくくりなんです

それじゃあ江戸時代と区別がつかん、徳川を滅ぼした俺たちとしては気に食わん、そう考えたのは薩長が乗っ取った新政府です。古来の原則も文化もかなぐり捨て、廃仏毀釈とともに京都も捨て、あれほど尊皇攘夷を言ってた連中が西洋かぶれの鹿鳴館をシンボルに東京という洋風応接間をしつらえた。

僕はそこから日本は西洋コンプレックスの軛(くびき)に陥り、西洋にあこがれ、西洋人のように暮らしたい見られたい、名誉西洋人でいいからなりたいという倒錯したマゾヒスティックな願望の虜になったのだと考えています。織田信長にそんなものがかけらすらあったなど、とうてい思い難いのです。

司馬遼太郎の小説において大きく間違っているのは、坂の上の雲までは日本人に古来の伝統、精神や思想や文化における命脈というものが保たれていた、それが日清・日露を最後に本道を外れていったという基本観です。明治になっても保っていた人はたくさんいたが、正式に遷都もしていない東京に天皇を勝手に移してから、つまり司馬が讃える明治政府から、とっくに国としてはプライドを捨てておかしくなっているのです。

それは藩として英国と戦火をまじえ、夷狄の強さを知った薩長のプラグマティックな知恵でもあった。それが植民地化から国土を守ったことを僕は些かも否定するものではありません。ただ、洋風応接間ができて、日本国という屋敷は徐々にアイデンティティーを喪失しました。「応接は唐文様にしましょうよ」という輩が国を乗っ取ればそうなってしまいかねない、そういう時代になった。大変な危機感を覚えます。

自衛隊がふつうの軍隊であるなしの是非など、アイデンティティーも自国の歴史への誇りも愛情もある者なら自明の理であり、国家とはそういう者が自ら守らねば滅びるのも人類史の理であって、そんなことをいちいち論じなければいけない民族や国にしてしまったのは事をたどれば明治政府なのです。

戦争など誰だってもう二度と起こしたくも巻き込まれたくもない、あまりに当然のことです。アイデンティティーを正しく持つ者ほど国として守るべきものがあるのであって、戦争という無用なリスクなど頼まれてもとりたくないのです。米国との力学は時々刻々変動します。舵を取るのは外交であり、そこでもう二度と失敗は許されません。

名誉西洋人に扱ってもらえず欧米列強に背を向けた歴史。それは明治政府の敷いた路線に端を発した外交の失敗であって、ご一新、維新と偽って本来の日本国民のプライドを破棄した過ちに起因するのです。それがめぐりめぐって最後の戦争の狂気に至ってしまった。その責任問題と現状を混同してうやむやにするのは、別な動機を持つ者たちの詭弁です。

歴史を学べ?学ぼうではありませんか。他国民にそんなことを言われるまでもなく、日本古来の歴史や文化に誇りを持とうではありませんか。それはちゃんと教えない学校教育の問題であり、書かないマスコミの問題であり、明治政府が敷いた路線の根本的見直しまでひるがえって問題を掘り起こさねばなりません。

さてだいぶ話がそれました。

今回京都で1泊したのは大学のクラスメートでSMCメンバーになってもらっている梶浦秀樹を通じてご縁ができた宮川町のお茶屋さん、しげ森さんがSMCのメンバーになられるという段取りになって、いろいろ打ち合わせをしよう、ついでに南座で獅童さんの歌舞伎も見ようとなったからでした。

ということで、しげ森のおかあさん、森田繫子(もりたしげこ)さんがメンバーリストにのりましたのでご覧ください。ちなみにメガネは僕の赤いのを舞妓たちが面白がって回しかけしてたのがどういう拍子かおかあさんに回ってそのすきに撮った写真のようで、ほんとうはかけておられませんので悪しからず。

さて、僕は京都のことなぞ皆目知らないし歌舞伎も芸事もド素人だし、元来が無粋でとんと甲斐性もなしです。娘より若い芸妓さん、舞妓さんに下心?がわいたわけでもありません。同行してくれた写真家の友人Sいわく「東さんのそれはね、日本食回帰と一緒で海外に16年も住んでた反動ですよ、ぜったいに」。とにかく日本の伝統文化に何となく関心が出てきていて、自然に京に足が向いているのです。

きっかけは梶浦という40年来の友(というかもう幼なじみかな)のヒキで2度も桜満開の京のスペシャルコースを散策できたからで、あれがなかったらこれもなかったでしょう。持つべきものは友です。今回も翌日は某お寺さんと別件の仕事でプレゼンしたりでしたが、2日間、宇治のお抹茶のように濃い時間を過ごしました。Sに予約してもらったビジネスホテルが行ってみたら偶然にもあの元本能寺の目の前であったり。信長が、たわけもの!つづきを早く書けということかと得心もしてまいりました。

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しげ森の麗人たちの写真は、これから我が同胞のプロフェッショナルたちの手でSMCにて様々な形でご紹介していくことになります。彼女たちは南座の前をしゃなりしゃなり歩くだけで人だかりがしてシャッターをパシャパシャ切られるのですが、ただ見られてキレイという存在ではありません。その芸事こそが真骨頂なのです。実際に歌舞練場やお座敷でご覧になってみないとわからないかもしれませんがまさしくアートであり、アートという点こそが僕の関心との接点であります。

 

 

洋物であるクラシック音楽に半世紀没入してきて、明治政府の撒いた西洋かぶれの種そのままの人生を歩んできた僕ですが、別に何ら肩ひじ張るわけでもなくその感覚のまんまでこれにすっと接してみて、いとも不思議な親和性を感じておるところです。

 

彼女たちの芸事の背景に横たわる女性の美をひきたたせる技法というのは、その成立の歴史的経緯は置くとして、ミケランジェロが造形としてきわめつくした男性美、たとえばフィレンツェのアカデミア美術館のダビデ像と僕の中でなんら変わるものではありません。こちらが女性だからという邪推、邪念は一切排除してというのは、僕にとってはモーツァルトもビートルズも同一平面上で理解するのと同じことです。美しいものに貴賤などないのです。

それは獅童さんや松也さんの歌舞伎が伝統的な男世界ならば、花街は同じく女世界ということであって、どちらがどうということもなくどちらもあっていい、単にアクターとアクトレスであって、おのおの混ざることなく別個の宇宙を創るというのが伝統であるということでしょう。

お座敷で思わず口をついたことですが、日本の女性は世界一であり、このお嬢さん方に限らずですがどこの国のミス何たらよりもずっと美しいと思ったのです。決して日本人の僻目ではなく。もちろんカルメンやイゾルデもきっと魅力ある女なんでしょうが、日本の女性はこれからもっと世界の男を迷わせるでしょう(笑)。

昭和のころと様変わりの西洋の和製アニメ受容、クールジャパン。ますますそういう時代になると確信します。その美を抽象化して表現できるのが舞であり和服であって、歌舞伎の女形は女性の所作をさらに純化するので「女が見ても美しい」、ときに「女より美しい」ということになるようです。

海外ではまだゲイシャなることばと共に大きく勘違いされている。いえ、日本人だってそう思ってる人は多いのではないでしょうか。これは寿司はアボガドを巻くものだに等しい屈辱的な誤解であって正さねばなりません。そういうものを修正するというプロセスこそ、日本古来の歴史や文化に誇りを持つということだと僕は固く信じております。

 

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ブログ閲覧数30万によせて

2015 MAY 21 18:18:01 pm by 東 賢太郎

おかげさまをもちまして総閲覧数が30万を超えました。毎日400~500のアクセスをいただいているようで大変光栄に思います。

いろいろな方からご意見ご指導をいただきますが、内容がコアすぎて(特に音楽)わからんというのが多いですね。だからコメントも入らないしと。

ただ、数を増やそうとして軽めのツイッター風にしたり、人気はあるけど関心のない曲について書くのは趣旨が変わってしまいます。

例えばマーラーですが、6番や7番も好きになろうとしたことはあるので音楽自体はよく知ってます。しかし結局努力は報われず疎遠な部類になりました。そういう曲の演奏や解釈にYESもNOもありませんから、書かないというのが良心でしょう。関心あることだけ書く。するとコアなものになってしまう。そういうことです。

ただし先日、ポリシーでなかったCD聴き比べ(ブラームス2番)を書きました。それは理由があります。所詮趣味だからと思って書いていたら、「おすすめのCD探して買いました」という方がおられることがわかったのです。

投資されるわけだからそれに満足されたかどうか気になります。だから、僕がYES、NOとしているモノサシを「開示」しておくべきだと思ったのです。ご自分がYESだった演奏を僕がNOなら、たぶん趣味が合わないので一切無視していただくほうがよろしいということです。

僕自身の経験談があります。学生の頃、「天下の名盤」という評論家の意見を読んでブルーノ・ワルターのモーツァルトを買ったのですが、いくら聴いてもつまらなくて自分はクラシックがわからないのかと悩んだ時期があります。

それはワルターのせいではなくて、レコードの録音が良くなくモーツァルトの音楽にも慣れてなかったというだけだったのですが、そのせいでストラヴィンスキーは好きなのにモーツァルトは御免なさいという時期がけっこう長くありました。

モーツァルトのようなものは「だまってこれを10回聴きなさい」と誰か先生が教えてくれたらもっと楽に入れたなとは思いますが、それがワルター盤だったらだめだった、でもそれが万人が名盤と推すものだったという困った経験があるのです。

こういうのを心理学で認知的不協和と呼ぶんでしたっけ。とにかく不快なので人間の心は自然に不協和を解消しに行くそうです。普通の場合、「ワルターの演奏は良いのだ」と思い込み、自分を騙す。そうやって長いものに巻かれるのが楽なのかなと思います。

ところが僕はそうする前にスイトナー盤に出会ってしまったのです。世評は高くもなく廉価盤だったスイトナーを耳にして、僕は一発で、目からうろこで、モーツァルトの魅力を知ることになりました。

この経験は痛快でした。以来、世評や通説はどんな権威者のものでも鵜呑みにしなくなり、自分の眼力とテーストでものを判断する自信がつきました。こと音楽以外の物事でもその姿勢が座標軸となり、その後の人生にまで影響しました。

僕は中学まで音楽の通信簿が2の劣等生です。だからこれから聞こうという方々全員に自信を持っていただきたいのですが、僕のスイトナー盤のような出会いを遂げれば難なくハードルは超えられます。

嫌いなものはどんどん捨てて構わない。世評なんかどうでもいいのです。100あって99捨てても、これだという一つに出会えばそれで人生の宝が手に入ります。誰だってできます。できないかもしれないのは、そこまで我慢することだけです。

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「クラシック徒然草」カテゴリーの創設について

2015 MAR 9 23:23:15 pm by 東 賢太郎

SMCをスタートしてちょうど2年半になりました。僕のブログ投稿数は926で総訪問件数が約28万8千なので、いちブログ当たり310件のアクセスをいただいています。929のうち320(35%)がクラシック音楽  のカテゴリーです。残りの65%は徒然に (28%)、野球 (14%)、若者に教えたいこと (12%)、 自分について (10%)、経済 (7%)などとなっており、徐々に本業の「経済」をご認知いただきバランスは良くなってきました。

クラシック音楽  の約半分は「作品タイトルのブログ」で、Google、Yahooで「作品名だけ」から検索できます。「プロコフィエフ交響曲第3番」のようなレアな作品で1位にあるのはわかりますが、「ベートーベン ピアノソナタ第18番」や「モーツァルトピアノ協奏曲第20番」や「同25番」という天下のど真ん中の名曲で検索して1頁目にあるというのは大変に光栄なことです。タイトルで書くのは勇気がいりますし、疲れますが・・・。

その点、「ベートーベン交響曲第X番の名演」シリーズはタイトルブログではないので気楽です。ですが、第2、4番以外は1-2頁にあり、特に第8番がトップ、第9番がトップ頁にあるのはうれしいことで、ネタ元のベートーベン様とお読みいただいた皆様に心より感謝申し上げます。しかしこのシリーズはたまたまの企画であって、ベートーベンの9曲のタイトルブログはまだ1曲も書いていないということです。書くにはまだ力不足、曲の理解不足なのです。

僕はCDのおすすめを書くのはあまり気が進みません。誰かのおすすめ盤を買ってみて良かった記憶があまりないからです。だから手当たり次第に自分で聴くしかなく、LP、CDの倉庫部屋が必要になってしまいました。あいかわらず大量に買って聴いてますからもう1万枚は超えているでしょう。そうして一枚一枚、聴いた印象をこまめに日記に書いて記憶に焼きつけてきた結果として今があるということは確かです。

とはいえ相手の趣味を知ることなく不特定多数に向けてお気に召すCDをお薦めするのはそもそも無理です。高いワインなんだからおいしくて当たり前でしょと押し売りしたり権威主義を振りかざすのはいやなので、自分の趣味と個性をカミングアウトして、それを参考にご自分の趣味を作っていいただきたいと願っています。それこそ耳の肥えた聴き手になる王道ではないかと信じているからです。

僕はブラームスの4番を気になる指揮者の演奏は全部聴いてます。94年にカルロス・クライバーを聴きにベルリンに飛んだのは彼ではなく彼の4番を聴きに行ったのです。第1楽章は自分の手でピアノで弾いてもみたしシンセで自分バージョンまでMIDI録音しましたがそれでもどういう音楽かまだよくわからない。だから4番の録音は111枚持っていますが僕はコレクターでも何でもなく、期待外れが続いた残骸が貯まっているだけです。全部捨ててもいいのです。

まず、この状態で4番のタイトルブログを書こうという蛮勇はなく、書かないで人生が終わるかもしれないのはベートーベンの9曲も同じです。ブラームスの1番はタイトルで書いてしまいましたが今読むと軽卒で、これは書きなおさなくてはなりません。シューマンの3番を楽章ごとに書きましたが、あのぐらいのdensityで書かなければ「作品タイトル」でブログを書くのは不遜だし、作曲家への不敬罪になるでしょう。

畢竟、作品を深く理解していない人のおすすめは読書感想文だと僕自身が思いますからあんまり書きたくないのです。そういうものをお読みになる時間があるならyoutubeで片っ端からいろんな人の演奏を自分の耳で制覇していった方がコストもかからないし、今後の人生の愉しみが増すでしょう。好きな寿司屋があればそれがミシュランで星があろうがどうだろうが気にはならないでしょう。

そして、そういう聴き方を志される方は音楽そのものの方をよく知っていたほうがいいのです。これはロマン性の高い解釈だのカラヤン風のスマートな演奏だなどのという類の文学的な修辞は、そう思えるようになったところで客観性のないふわふわした評価にすぎません。カラヤン風ではない演奏を聴いたときにどうなのかという判断はつきません。それより4番のどこが聴きどころかを知っていた方がいい。ご自分のお好きなところでいいです。そういう定点観測ができるようになって初めて自分で吟味ができます。

タイトルブログは自分史なので「聴きどころ」をお示ししようという配慮はしていません。ただ僕も単なる趣味人であって専門家しかわからない作曲の奥義に感動するわけではありません。あくまで耳で聴いて面白いものを書いていますからたぶん子供でも聴けばわかります。文学的修辞、衒学的まやかし、文科省ご推薦的色彩を一切排した「実証主義的」なものになっているのは、僕自身が仕事や受験勉強でそれ以外は世の中であんまり役に立たないことを経験しているからです。

ということで、タイトルブログは僕のライフワークです。これが全部Google、Yahooの上位に来たら満足だし、作品は1000年でも確実に残るのだから僕のも永く読んでいただけるだろうとコバンザメを狙っています。ただ良い物を書くには充分な楽譜への理解と、曲への深い愛情の再確認と、そうしたいという心の熟する時間が必要です。みっともないコバンザメはしたくないというささやかなこだわりです。

ベートーベン交響曲シリーズの予想外の人気を見て、世の中には利害関係ぬきの客観的コメントやセカンドオピニオンへのニーズがあるように感じました。1万枚聴いての聴後感を日記からいくらでも転写可能ですが、あまり社会的意義があるとも思わないので書くなら特に良い物と悪い物ぐらいでしょうか。やがて認知症になってみんな忘れてしまったら生きた甲斐もないので面白いと思ったものを書くことにします。

それも含めて、「タイトルブログ以外」は「クラシック徒然草」というカテゴリーで書くことに決めました。その方が皆さんにバックナンバーを検索していただきやすくなるからです。「演奏会の感想」「僕が聴いた名演奏家たち」のように別なカテゴリーとして括っていないものは全部そこに入れます。現在のバックナンバーで、自分ではとても愛着のあるブログがあんまり読まれていないという残念なケースがあり、これで多くの皆さんの目に触れれば幸いです。

残すために書いているのですべてのバックナンバーを適時書き換えたり、書き加えたり、アップデートしたりしています。「改訂済み」とはいちいち書きませんが、ご参考のCDも後で聴いていいと思ったものは追加していくつもりです。

 

 

______クラシック徒然草 (79)

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是枝さんとの話(その2)-起業の大チャンス-

2015 FEB 27 1:01:14 am by 東 賢太郎

もういちど是枝さんとの会話です。彼女の住むNYではすごい日本食ブームだそうで、おいしいラーメンは20ドルでも繁盛です。前からあった健康食ブームとして寿司屋でカリフォルニア・ロールを食べるような人気とは内容がぜんぜん違ってきているそうです。

というのは、お寿司なら本物の味を知ってしまった人が銀座のクオリティの寿司を求めだしているのでそういう店がすごく増えている。もちろん値段はものすごく高いのですが、それでも繁盛しているようです。富裕層は良いものにはカネに糸目はつけません。

そこで、ここに行ったらアメリカで売れそうなものがいくらでもあったよという話題になりました。是枝さん、知ってたら絶対行ったのにと悔しがっておられましたが。

東京ビッグサイトにて

日本には日本人も知らないおいしいものがいくらでもあるし、売る方は広く売るつてがない。大きい会社なら商社が扱ってくれますが小さい会社はむずかしく、それでも試食すると光るものがごろごろあったのでもったいない話です。

売りたい人と買いたい人がいる。商売の基礎条件は完全に満たしています。ところがそういう商売はできていない。なぜかというと売る方は単品なんで限界があるからです。良い溜り醤油やノンアルコールのお屠蘇があってもそれだけじゃあ商売の規模になりません。ウチの醤油おかせてくださいっていうことで終わってしまう。

だからある程度の資本が多くの商材を集める必要がありますね。当然売れないリスクはあります。しかし長いこと証券を扱ってきて確信していることは「良い物は必ず値段がつく」ということです。売ろうと思わなくても、値段が見合えば必ず売れます。だから良い物を作ることに徹すればいいというのが商売の大原則です。ところが自分で作らなくたってビッグサイトには良い物はごろごろあったのです。

もうひとつ、食文化というのは味だけじゃない。食べる場所、作る人、雰囲気、マナーなどいろんなものが合わさってできる。女性、外国人の方にはお詫びしますが僕は寿司は日本人男性が握らないと食べません。どうしてってそういう文化を食べている。女性の板さんがいない(僕の知っているとこは少なくとも)のはそういうことです。

ということはオリンピックで東京に外国人が殺到して食文化ごと知るというのは本格的な日本食、つまりアボガドの寿司じゃないものが海外富裕層にさらに爆発的に伝播するきっかけになるに違いないんです。日本の文化で味わって、初めておいしいとわかる。京料理は日本人だって京都で食べてみないとおいしさは気がつかないのです。

以上、ヒントを書きましたが、ビッグサイトの名品をセレクトして欧米に売り込む会社を起業する大チャンスと思いますよ。ネットを使うんです。ファイナンスもクラウド・ファンディングでできる。僕自身は忙しくてできませんが、いいビジョンとアイデアを持った人がいれば出資したいしアドバイスもしてあげられます。

商社といっても生産者と海外リテールの間に入るわけだから両方に強い人脈を作ればいいのです。僕は欧米在住の日本人をたくさん知っているし紹介できるし、その人とパートナーシップを組んで起業するのですよ。若くてエネルギーのある人なら成功のチャンスは大いにありますね。

一例ではありますがそういうチャレンジ精神ある人はSMCへ連絡くださればお会いしますし応援します。

 

(追記、16年1月22日)

昼飯を時々たべる蕎麦屋にはいった。座ると目の前に小さな水槽がおいてあって、ちょっと大きめの金魚が一匹だけゆったりと泳いでる。よく見ると出目金なんでどこを見てるかわからない。目が合った気もするが、どうせわかってないだろう。こいつにとって人生は20センチ立方の空間だ。身をおきかえると、ぞっとした。

でも、水槽に敵はいないから気楽で平和だ。エサは死ぬまで、足りるだけ出てくるじゃないか。

何の不満があるんだ?

こいつはひょっとして日本人じゃないか。水槽の外から見ている俺には気がつかないで死ぬ。でも平和だし、エサも出るんだぜ。何の不満があるんだ?

 

 

 

 

 

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SMCと万葉集への思い

2015 FEB 8 15:15:07 pm by 東 賢太郎

ライヴ・イマジンの西村さん、吉田さんがメンバーになってくれてSMCのクラシック・ブログに厚みができてきました。とても心強いことです。設立趣旨は「平成の万葉集にするぞ!」なんで、同じ音楽のタイトルでいろんな人がいろんな立場からスクランブルで意見をおっしゃってくれるといいですね。僕は僕のスタイルがあるのでそうしますが、それだけじゃあ面白くない。クラシック好きの方がたくさんSMCを訪問して下さるようになってきて本当にうれしく思っておりますが、もっともっと多くの方が自由参加型で意見交換などできる場になればいいと思っています。

ちょっと無責任なようですが、西室も故人となった中村もSMCをどうしてもこうしようこうしたいというのはなくて、自由放任、なるようになるさなんです。10年後にどうなってるか?わかりませんね、そんなに生きてるのかなとも思いますし。でも参加してくれてる皆でなんとなく続いてくれたらいいな、そう思います。僕がどうなろうと、いつか途切れて終わっちゃっても、万葉集として残ってくれればいい。個人的にはもう900タイトルぐらい書いているみたいで、還暦までに書き残したかったことの7-8割は書いたような気がしているところです。

本当はですね、発起人のわがままとしては僕の60年の人生劇場で大事な登場人物であった人たちは一人残らず何か書いてほしいんです。詠み人知らずでいいからぜひ一首って。何人ぐらいでしょうか、100人よりずっと少ないですね、そんなに多いわけじゃありません。ブログをずっと読んでくださっている方々、それもご縁なんで何か形になると嬉しいですね。メンバーがみんなそうすれば気がついたら全部で何百人となって、1000年もたったら「これどういう基準で選んだ人たちなの?」ってことになりませんか。

それって面白いと思うんです。学校の卒業名簿はたまたま同じ年にそこにいたっていうだけで、同窓会で久しぶりに会っても話題はまず学校なんです。学校が太陽みたいなもので、その引力で集まった人たちだからです。でも「万葉集・歌人同窓会」があったらどうだろう?天智天皇と藤原鎌足なら「あの時はお前に蹴鞠で負けて悔しいのう」ってのがあるかもしれませんが、柿本人麻呂が防人と「おう、元気にやってる?」ってのはないでしょうねたぶん。つまり万葉集ってのは学校みたいに引力を持ったリアルな場所じゃなくて、バーチャルな場だったでしょう。だとするとSNSの元祖みたいなもんです。

不思議なことに、万葉集というSNSは誰が、何故、何のために、どうやって編纂したかわからないんです。古事記、日本書紀とちがいどろどろした政治目的があったわけではないし、一人の天皇の権威誇示や讃美のためでもない。歌のうまさを競って品評したものでもない。天皇、藤原氏、大伴家持、柿本人麻呂、額田王・・・そうそうたる名前が並ぶんですが、防人も平民もいて、誰が主役ということもなく歌の前では平等です。編纂者は家持のほか何人かが時間をかけて編んできたようですが、いってみれば彼らはサイトの管理人みたいなイメージで、自身もいちブロガーにすぎないということです。

だから空想ですが、万葉集はさっきの僕のわがままみたいに編者が「自分の人生劇場で大事な登場人物であった人たちは一人残らず何か書いてほしい」っていうものかもしれないし、「これは僕の名前じゃまずいからキミが書いて」っていうのもあるかもしれないし「ウチの兵士が頑張ってるからのせてやってくれ」かもしれない。そうやって1000年たったら「これどういう基準で選んだ人たちなの?」ってことになっちゃったんじゃないか。だからなんとなく人間くさいのです。「人のぬくもりあるメンバーリスト」ですね。それに比べると卒業名簿や一般の会員名簿というのは社員名簿や航空機搭乗者名簿に似て無機質な感じがします。

僕は初めて万葉集を読んだとき、そうでもなければこの世に生きた証はいっさい残らなかった防人や一般庶民が、歌を通して自由に生き生きとメッセージを発信してわが姿を刻んでいることに強い感銘を受けました。世界の歴史で古代の庶民の生の声が残っているのはローマやポンペイの壁書きなどありますが、所詮はバカヤローとかあいつには投票するな!みたいな落書きなんですね。公衆便所にあるみたいな。和歌というアート形態でそれが残っている例は珍しいんじゃないでしょうか。防人や庶民が天皇や貴族と並んで遜色ない和歌が読めたというのは驚くべき文化度の国です。

そういう権威主義でなく自然体なところ。国家権力が関わっているのに詠み人としてみな平等であり、歌会始のような宮中行事ありきというイメージでもなく、庶民のものでもいったん和歌というフォーマットになれば全員が敬意を払っている感じがします。それが何ともすがすがしくて好きなのです。こういうバーチャルなSNS形式だけが持つような利点を偶然だったにせよ活かしたのは1000年も時代の先を行っていたと思いますし、誰の意志だったにせよ世界に誇るべき文化遺産を生み出した創意には敬意を表します。勅撰歌集が出てきて新古今和歌集ぐらいになると詠み人は貴族主体で歌は技巧的になり、メンバーは天皇の引力で集まる人々ですからそのリストはぐっと閣僚名簿か役員名簿みたいになります。

では万葉集の庶民の歌がお情けで入ったそれなりのものだったか?これがそうじゃないんですね。例えば、これが専門家の歌です。

東(ひむがし)の  野に炎(かぎろひ)の立つ見えて  かへり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ (柿本人麻呂)

これは皆さんよくご存じと思います。非常に絵画的インパクトの強い壮大な歌で僕は好きなのですが、草壁皇子、軽皇子の暗喩がこもっているそうです。ところがこういうプロ中のプロの作品に混じって、ひっそりと、

わが妻は いたく恋ひらし 飲む水に 影さへ見えて 世に忘られず (防人歌)

というのがくるわけです。大化の改新のころの名もない兵士の歌です。この何のためらいもてらいもない素朴さが心にぐさっと突き刺さります。初めて出会って感動しました。古代も今も変わらぬ人の感情は時空も国境も越えます。この歌以外、彼についてのすべては歴史の闇の中です。愛する妻とはまた会えたのか、そしてそれからどうなったのか・・・。

1000年もたったら、僕らのブログもこんなものではないでしょうか。もう誰が誰かもわからなくなっているだろうし、すべては歴史の闇の中です。

 

「ねえねえ、この人、いろいろ書いてるけど、ここで終わってるわね、このあとどうなっちゃったんだろうね?」

 

(こちらへどうぞ)

SMCと9つの法則

 

 

 

 

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2015年の抱負

2015 JAN 2 21:21:00 pm by 東 賢太郎

正月から仕事の話もなんですが、今年の抱負をつらつら考えるとどうしてもそこからすべてが始まります。

本業の事を少しだけ書きますと、日経平均株価は昨年1年間で7.1%上昇したのに対して当社ソナー・アドバイザーズの助言するファンドは17.4%上昇と2年連続の圧勝で、おかげさまで海外の保険会社が日本株運用のアドバイザリー契約を結ぶ検討に入って下さっております。

当社のお客様はかように皆様ご自身が機関投資家であったり欧州の投資ファンドの経営者であるなど、正真正銘のプロフェッショナルです。だから僕らはプロに指南させていただくプロということになります。

プロ目線の評価ですからこうして成績さえ良ければ世界に需要はあるし相応の報酬はいただけますが、逆に成績不振ならば1年で解雇です。まさにプロ野球選手と一緒で日々これ戦いであり盆暮れ正月も休日もありません。

大変ですねといわれますが、僕のように株を推理ゲームと考える人間にとってはそうでもありません。ブラームスを聴いたり猫と遊んだりするのと同じで「これを楽しむ者」ですから、朝も昼も晩も仕事をしているという感覚はありません。

投資というのは2タイプあって、日々相場を見て売買を繰り返すトレーダー型と僕のような推理型です。これは天文ファンでいえば流星や月食を観測したいタイプとブラックホールなどを理屈で考えたいタイプに当たり、僕は明らかに後者です。

ただ、理屈だけで良い成績が残せるわけではなく、考える素材は会社として日々アップデートしています。だから毎日3社ほど、年間で約700社を訪問してヒアリングし、投資に値するかどうかの詳細な情報収集をしています。情報端末に頼らずこんなに足で情報を集める人は日本には現在2人しかいませんが、そのひとりです。

今年は運用助言だけでなく、もうすこし企業経営に関わる部分で助言をすることでその会社の企業価値を向上させることに取り組みたいと考えています。簡単にいえば株価が上がるようなご提案、サポートをするということです。これは法的にも配慮が必要ですし、僕の経験の集大成になる仕事になると思います。

SMCですが、去年の元旦に僕のブログアクセスが8万になったのが今年は25万を超えました。他のメンバーへのアクセスも徐々に増えており、おかげさまで順調です。なるべく広い層に楽しんでいただけるように努めてまいります。

僕の記事ですが、日経によるとご自分で株式投資をする人が増えているそうですし、もう少しその関連を増やそうと思います。それを参考に投資の実力を磨いていただければ本望です。グラウンドでプレーしている選手の生の声をお届けしますので、TVの経済評論家の机上の空論とは一味ちがうものになるでしょう。

 

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