人間の相性は量子力学によって決まっている
2022 MAR 15 9:09:46 am by 東 賢太郎
人の相性というと一般にその人と「気が合う、合わない」ということである。合うというのは、2つの脳の相互作用に何らかの「同期」が測定されるということだと僕は経験的に考えている。その測定を僕らは言葉(音)、表情・行動(光)、匂い(分子)等の五感で行うが、判定するのは脳であり、脳内に形成されているシナプスの結合(回路)がプロセス(計算)した結果と思われる。
では僕の場合は実際にどうだったかというと、本当に(”かなり”)「気が合う」と思った人は67年生きてこの世に一人しかいない。これは、ある意味、非常に驚くべき計測結果である。彼は親族ではない。「彼も合うと思ったであろう」という予測に対して僕は高い確率を付与することができるが、確率でしかないのはもう会わなくなってしまったからで、ここで定義する「気が合う」が社会的に「仲良し」を必ずしも意味しないことを示していよう。
回路の形成は先天的、後天的の両方あるが、ある現象(”問題”)を入力した場合にどんな波長を発したかで僕は即物的に合う、合わないを判定しているだけで、遺伝(ア・プリオリなもの)は少なくとも関係はあっても決定的ではないと結論するしかない。もちろん性別、人種、年齢等それ以外のものは一切関係ない。
では合う、合わないを判定する回路はどう作動しているのだろう。観測はできないが、自分の脳は以下のように感じている。入力に対して起こると予測される自分の脳の反応と同じ反応が相手の脳にも起きる確率(同期率)が有意に高いだろうという予測が成り立つと、「合う」と判定されるのだ。反応の予測が立つということは、それを引き出すための説明がお互いに相当程度省けるということで、ツーと言えばカーという関係になり複雑な情報が正確にすぐ伝わる大きな利点があった。
ということは、たったひとりを除いて、67年間に知った全員が予測を有意な確率で裏切ったということを意味している。複雑な情報伝達の正確性は犠牲にならざるを得ない。お断りするが、そのことと社会的結びつき、おつきあいにおける選択とは関係がない(別次元)。両親もそうだし、妻もその意味でぜんぜん別な人だが結婚相手に選ばせていただいている。
以上、それが「非常に驚くべき計測結果」であるのは、計測方法(ロジック)が誤っているか、回路の同期率は一般に67年にひとり程度なのか、僕の回路固有の同期率の低さなのかであるが、以上のように「言葉」で表記できるということはそれは「実験で証明できる」ということではないだろうか。
というのは、例えば、「数学の問題を解く」という行為はその問題を等位に変換することで作題者が求める結論(”解答”と呼ぶ)に至るプロセスを言葉を補完して一切の論理矛盾なく表現することに他ならない。以上の6パラグラフで僕はそれをしたとするならば、それは「解ける」のではないかという問題提起だ。
いま僕は量子力学に興味がある。それを理解するレベルの数学の回路を脳に作っていないため、誰かが「言葉」で近似的に等位変換してくれたものを楽しんでいるに過ぎないが、例えばこれだ。
この「量子もつれ」を計測することにより、ブラックホール内部の現象(三次元)がその表面に(二次元で)記述されていることを示すホーキング博士の計算結果は、まさしく衝撃的だ。その式はこのビデオで示されている。
僕らが見ている(と思っている)三次元宇宙は実は二次元で書かれたもののスクリーンショットにすぎない。そんな馬鹿なとアインシュタインは言ったがそれが正しい(アインシュタインが間違っている)ことが数学的に証明されている、と説明されている。
ひとつわからないのは、二重スリット実験が光子で行われる必然性だ。光子でその現象が存在することは確実なのだろうが、光(映像)は観測者である人間の目がその知覚をもって「観測」としているからで、人間だって冒頭に書いたように五感すべてで知覚しているし、さらには、人間の五感のどれとも別な器官で観測する別な惑星の生物だったら「観測前は別な状態」という現象はどういう意味を成すのか。三次元トリック(?)にその生物はひっかからないのではないか。もしそうであれば、それは人間(あるいは光で観測する他生物)を想定して設計されたのではないか。とすると、その意志を持った何者か(造物主)の存在を想定する必要がどうしてもあり、その者は人間を少なくとも包含はしている生物を対象に造物したのではないかという疑問が僕の回路からは出てくるのだ。
ビデオで語られる、量子コンピューターが理論からでき能力が進化しつつある(マシーンが理論を追っている)という現実。大栗博士の研究の部分でビデオは「我々の時空で起きているすべての現象がそれを包む空間の表面に量子もつれで書かれている」「それに量子コンピューターの理論と共通する部分がある」「宇宙は数学的に閉じている可能性がある」と語っており、そして何よりも「物理学の最先端の研究をするためには新しい数学を作っていかなきゃいけない」という博士の言葉は数学が科学において何たるものかを如実に理解させてくれる。言葉なくして科学はなく、数学は言葉の一部なのだ。
「気が合う、合わない」を量子で読み解くことはできるだろうか?2020年のノーベル物理学賞受賞者ロジャー・ペンローズ博士の研究が参考になる。次のビデオでシナプス(回路)が説明されているが、ニューロンを作るマイクロチューブルの伸縮が観測前後で量子もつれ状態にあるというのが博士の仮説だ。
ご覧の通り、その脳を持つ人の行動は投資判断に至るまでシナプス(回路)次第という実験結果が示されており、それを継続的に観測することで我々はその人と「合う、合わない」という結論に至るのだが、そのプロセスには量子力学が関与している。つまり、主観的、感情的、本能的と考えられていた「人間の相性」というものは即物的に決まっているという命題が提示されており、そのことの「科学的正しさ」は暗号通貨の真偽がハッシュ関数という数学で証明されたブロックチェーンで担保されるのと同等と僕は理解した。
ということは、後天的にしか獲得できない「学習による回路の有無」は大きな要素になることが証明されたと結論して良い。だから、遺伝的に「合う」はずの両親や親戚一同がそのリストに入ってこないのだ。僕は数学が好きなのでその回路が一般人の平均よりはdevelopしているはずだが、同時に現実世界でのその使い方(アプリケーション)は個性があることを自覚しており、唯一気が合った彼も文系だが数学が非常に強くてその回路の運用方法に共通点があった。それをベースにした世界観が一致したということだったようだ。逆を解くと、そうでない人の脳とは合わないし、合わそうとしても壊滅的にどうしようもないというまったくシンプルなことだったのだ。しかし世の中はよくできたもので、夫婦も会社も、自分とは違う人と組んだ方がトータルではうまくいくのだ。量子力学もそこまでは及ばないのか、それも量子力学が決めたことなのかはよく知らないが。
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ゾロ目への愛着を哲学する
2022 MAR 7 19:19:58 pm by 東 賢太郎
“それ” がやって来るなと数日前に目星がついた。いよいよ昨日、それは明日のことだろうとおおよその予想が立った。そして昨晩、床に入る前には「早朝に違いない。もう二度とないから記念写真を撮るぞ」と、予想は確信に至っていた。
夜中にブログを読んでくれるのはほぼ外国の人だけだ。ページビューはそんなにない。あと300あるし大丈夫だと高をくくって寝た。こういうことはよくある。目覚まし時計だけでは危ないので僕は必ず家内に起こしてもらう。そして、昨日はそうしなかったのである。それはちゃんと来た。そして、予想通りに僕は寝過ごしていた。
7,777,777はラッキー7が7つという大魚中の大魚だった。次は7千7百7拾7万7千7百7拾7?うん、あの世でやろう。
ちなみに2022年は「同じ数字が3つある年号」だ。直近は1999、2000年であり1999年以前に生まれて生きてる人は今年が「人生3回目」になる。次は2111年、次の次は2122年になるから今年生まれの赤ちゃんは100才で「3回目」、来年生まれだと199才。3回目はけっこう大変なのだ。
ゾロ目への愛着。無一文のころラスベガスのカジノでスロットにハマったせいもあるが、多分に性格である。わかったことが2つある。ひとつ、ゾロ目嗜好はコレクター性格と同一である(しょうもないものを集める癖)。ふたつ、人間がいかに非合理的にものを決め、後付けで理屈をつけ、自己満足しているかである。
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ドーピングは問答無用で退場のイカサマ
2022 FEB 18 9:09:03 am by 東 賢太郎
ロシア国家の組織的なドーピングの制裁で、同国の選手たちは「ロシア」でなく「ROC」所属として出場している。そのROCでまたドーピングがあったとすると、次の五輪は何という団体名になるんだろう?そこでまた出たら次はなに?五輪の醍醐味がひとつ増えそうだ。開けても開けても同じ顔が出てくるあれ。いわゆるひとつの文化というべきなのか、お家芸であるか、はたまた病気か、いったいどれなんだろう。
今回のスケートのあの子は15才ぐらいだろうか、動揺があったのだろうフリーの演技は気の毒で、いかにも後味の悪い結果になってしまった(坂本さんがメダルを取れたのは良かったが)。16歳未満が「要保護者」なのは賛成だが、保護が必要な子供が自分でクスリを飲むだろうか?お爺ちゃんのコップを使ったぐらいでサンプル汚染と判明した他の選手の200倍も汚染されるだろうか?周囲の大人が下駄をはかせて勝とうと、ズル工作しなければこれはないだろう。その大人が人間のクズですねで済む話ではない。以下に書くが、そのことを裁く側の対応がこれまた問題で、世の中がそんなことで動くなら未来は誠に暗い。この事件には何ともやりきれない気持ちでいっぱいだ。
厳正な競争はフェアなルールがあってのみ成立する。したがって、特例を認めてそれを曲げるのは競争の管理者としてあるまじき自損行為であって、管理者の地位から放逐すべきだ。そして、ドーピングの実行者は試験のカンニングと同様、ひっかかった時点で問答無用で退場である。CAS(スポーツ仲裁裁判所)の「要保護者」の子供が傷つくから演技させましょうなどという甘ったれたお為ごかしはルールにはなり得ない。故意があろうとなかろうと即座に退場がルールで、子供であれば少年法の考えでそれ以上の罰は与えず、そんな事態に追い込んでしまった指導者や周囲の大人を所定の手続きで断罪すべきなのだ。さもなくばフィギュアは競技ではなく単なる娯楽のスケート・ショーになり下がる。すると血のにじむ努力を重ねた他の選手たち全員をも傷つけてしまう。つまりあるひとりのお行儀が良い悪いの問題ではなく、競技そのものを堕落させ、信用を失墜させる社会的重罪なのである。
東京大会の時点で書いたがIOCという組織はいったい何なのだろう?2036年の夏季五輪開催に手を挙げてくれるロシアは上客のようだ。フィギュアのあの子は素人目にもレベルが高く世界的な人気者であり、それを演技させないとテレビの視聴率が下がって大事なスポンサー様は逃げるし、ROCに格下げされたプーチンの機嫌をさらに損ねるという事情はあったのだろう。しかしながら、そこで「特例」をもうけて演技はさせる。厳正を装うための逃げ口上で「順位は暫定とします」ってのは完全なミスジャッジだ。ロシア様の「大きな力」の前では「イカサマ」オッケー。その犠牲になって、正々堂々と戦って勝った他の国の子が表彰台に登れなかったらなんてことは無視している。IOCは田舎紳士にすぎない移動サーカスの座長のレベルであり、世界の超一流である選手たちのほうは単なる客寄せパンダって、誰がどう考えても変じゃないのという怒りを覚える。
こうしたバッハ主義は、しかし、バッハ氏の責任だけとは言いづらい。世界にまん延している風潮である「なんでもカネでオッケー主義」を映す一個の鏡にすぎないという見方もできるからだ。カネで買えないものを換金することを「マネタイズ」という。いまや大統領選挙の票でも受賞論文でも奨学金でも愛でも買える世の中になってしまったのだから、IOCが五輪をマネタイズする団体であって何の罪があろう。「その精神でがっぽり儲けさせてもらいますよ、でもそのおかげで皆さんも4年に1度の五輪を楽しめるでしょ?」「だよね」「だよね」になってしまうと何が起きるだろう?フェアネス(公平性)というものは本来はマネタイズという腐敗から競技を守ってくれる防壁なのだが、「それをいじるといい商品になるよ?」という悪魔のささやきが聞こえてくるのだ。ゲーテのファウストのようにその誘惑に乗って禁断の木の実を食べた瞬間、あらゆる競争はショーに堕落する。それを決められるトップは自分の在任中ぐらいはまだバレないだろう、やらなければ後任者がやるだけだ、やらねば損となる。これは投資銀行の収益部門ヘッドの椅子に座った大概の人が陥る餓鬼道と似たところがある(リーマンショックはそれで起きた人災だ)。バッハ氏をいくら批判しても仕方ない所にIOCは居場所を作っているように僕には思える。
僕は東大がAO入試を始めた時点で同じことを感じた。東大教授でも東大卒でない人もいる。いつか悪魔のささやきに乗らない保証はない。ポリシーが堕落すればAO=アホでもオッケーの風穴があき、蟻の一穴から全部の公平性が瓦解すると危惧するのは僕だけではないだろう。子供のほうも、それで合格しても学内外でそういう冷ややかな目で見られるだけだ。すると、それでは気の毒だ、人生の大切な時期に人格形成でひずみが出るのでむしろ現行の入試は廃止すべきだろう、そして全員をAOで選別すればフェアではないかという一応は理にかなったあらぬ結論が見えてくるのだ。ケン玉が天才的だったり物まねの達人だったりという生徒も一芸に秀でてその道では日本一なのだから東大生でいいじゃないか。何も勉強だけが人生ではないだろう。学問の府も多様化の時代だ。時代に即して変わるべきなのだ。他校もそうすれば、大学のレベルは全国的に平準化して、学問の自由、学ぶ機会の公平という国民の基本的人権の観点から平等な素晴らしい社会が実現するだろう。岸田政権の標榜する新社会主義にもフィットした教育政策ではないだろうか。そうやって日本は国ごとゆっくりと偏差値50に収れんし、気がつくとアメリカに捨てられ、中国の最東端に位置する省になっているだろう。いいじゃないかタダで守ってもらえるなら。だよね。
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コロナは年3回流行る風邪になる
2022 JAN 30 8:08:51 am by 東 賢太郎
アルファだデルタだオミクロンだ、マンボウだ緊急事態だ、ワクチン1回目だ2回目だ3回目だってのは置いといて、大雑把にみればコロナってのは、
1~2月、4~5月、7~8月
の年3回だけ流行る病だったんじゃないだろうか? 根拠はこの2年はそうだったというだけで直感に過ぎないが。
であれば来る時は来るので、ジタバタしても無駄であり、今は最悪期の真っ只中だ。いずれこいつがただの風邪になるまでは台風と思って年3回は耐えるしかない。これも何の根拠もないのだが、僕は遅くても来年には風邪になると思っている。だから前倒しに風邪と思っていい時期が年末にはくる。ニューヨークに聞くと「もうこっちでは風邪ですよ」とあっけない。オミクロン台風の被害がまだ未知数なのでそこまで言う自信はないがもう少しの辛抱だ。
当初、僕はこいつをエイリアンだと思って心底恐れていた。無症状感染者がうつす死病であって、宇宙船のどこに潜んでるかわからず、運悪く出くわすと食われてしまうあの映画の怪物を連想したのだ。先日CS放送でこの映画を40年ぶりに見たが変わらず怖かった(SFホラーの元祖的傑作だ)。現に周囲で5人が感染して一部は重症になった(全員生還したのは幸いだった)。しかしそれはアルファ株の話であって、オミクロンはもう別物ではないかと感じる。
それでも政治家はマンボウ、緊急事態宣言を出す。出しても出さなくても批判されるリスクは等しくある。ならば選挙用に「やってる感」見せよう。テレビにも映りたい。だから出てしまう。東京五輪前に菅総理があれだけ長々と出しても、結局はデルタ、オミクロンがこの大暴れに至っているのである。何の意味もないのが明々白々だ。詰まる所、飲食、旅行、イベント業界にとっては政治家がエイリアンであったのだ。気の毒でならないので僕は構わず行くことにしている。
その手のことはよくある。地球温暖化もそうだ。太陽活動はシクリカルである。質量が33万分の1しかないゴミみたいな地球で人間が何をしようが太陽には微塵も関係ない。6千年前の地球の平均気温は現在より2度高く海面の高さも4~6m高かったことがわかっている。太陽がそこに戻る過程にあることもわかっている。地球のCO2が減ればそれが止まると信じるなら天動説でも地球平面説でも難なく信じられるだろう。そうではない。それで騒げば儲かったり政治的に都合が良い人達が世界中にいるのだ。よく考えていただきたい。
同じことである。上場している営利企業の製薬会社ファイザー、モデルナは株主の手前、ワクチン効きませんでしたってわけには死んでもいかない。思いっきり推進した政治家も同じ穴のムジナだから接種しろしろとプッシュし続けるしかない。ワイドショーでどうでもいいことをしゃべってる専門家もまたテレビ局に呼ばれたいから変異株のリスクを言い続ける。マスコミは視聴率が取れるいいネタだから「そうですよね~」と乗っかる。だから、要は関係者各位の既得権益とご都合だけのために、ブースター接種は4回目も5回目もあるだろう(だって4~5月、7~8月にまた台風は来る)。
ワクチンが重症化をおさえるのはたぶん事実だろう。しかし、ここからは皆様のリスクへの考え方次第であるが、その為に打つならばファイザーの飲み薬が処方されれば同じことだから中期リスクがまったく不明のメッセンジャーRNA型を重ね打ちしてリスクを倍加しなくてもいいのではないかと僕なら思う。台風は家にこもってやり過ごすしかない。やるべきことは何があろうと不変だ。うがい、手洗い、三密回避である。
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科挙のカンニングは死刑
2022 JAN 29 14:14:21 pm by 東 賢太郎
科挙は隋の文帝が598年に創設し、清朝末の1904年まで続いた。中国の皇帝は地上世界を治めるべく天命を受けた者であるが、地上は広く一人では統治できない。そこで官僚が必要となるが、文帝までそのポストは貴族の子弟が世襲してあまりに馬鹿が多く、統治が不安なため作ったのが科挙である。
代々皇帝は変われど約1300年も科挙が維持されたのは民間から頭の強い人材を登用することが国を強くするからである。だから19世紀から欧米もこのシステムを取り入れた。そのためには「公平」で「ズルがない」ことを国が厳格に管理することが大前提で、裏口があればシステムの有効性は崩壊してしまうのである。
日本は平安時代に模倣したがすぐに貴族の世襲に戻ったところがとても日本らしい。辺境の島であり外敵から隔離されていたからそれで征服されなかった。黒船が来てその特殊環境は消えて現在に至る。一般環境において統治者が世襲などしていたら滅びるというのが西洋および中国の歴史が証明する一般原理である。
科挙に合格すると権力と富が得られたため熾烈な競争となった。そこであの手この手のカンニング術も進化した。
これだけの凄技があればずいぶん稼げそうだが、役人になった方がもっとおいしかったということを示している。
カンニングが見つかると家族まで死刑になった。
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日本人の9割は反知性主義である
2022 JAN 24 14:14:24 pm by 東 賢太郎
2022年1月11日の
にいただいたコメントへのコメントをそのまま載せておく。
はじめまして。示唆に富んだコメントをありがとうございます。楽しく拝読いたしました。異論は大歓迎です。それでアウフヘーベンできますし、お互いに高められるのがいいですね。以下本稿の趣旨をご指摘の点へのコメントも含めてまとめておきます。
まず、日本語が繊細な人間の情感や行間からたちのぼる奥深い文学的表現において優位にある言語である点はまったく異論がございません。そうした語彙が豊かですし、余白の美なる概念は文学にもあって和歌や俳句では切り詰めた字数でこそ表せる広大な宇宙があることも感じてきております。それを情報密度の尺度で計って希薄と断じても無意味であり、見えない価値でもあり、日本語を母国語とする我々だけが手にする大きな果実ですね。
一方、本稿での関心事は美学ではなく、インテリジェンスです(定義は「他者の行動を喚起する情報」)。投票してもらう、商品を買ってもらうにはそれが必要で、その手段としてスピーチがあります。本稿での「スピーチ」(プレゼンでも結構)はそのようなものと定義し、したがって、インテリジェンスの無いスピーチは用を成しません。そこでリヨン大学による「スピーチの情報密度」というデータを引用し、スピーチの構成要素である情報、構成、速度、好感度などがどうインテリジェンス形成に関与しているかを分析します。「情報」を要素A、「その他」(補集合)を要素Bとします。説得に成功したスピーチのA、Bの比率は国民性、TPOに依存します(ここは東仮説です)。その分析のツールとしてINSEADのデータを引用しています。
まずTPOを以下のケースが代表する3つのパターンに分類します(スピーチは文書による情報伝達を含む)。
①【戦場からの報告】
A : B = 100 : 0です。カエサルは「来た、見た、勝った」と書き、秋山は(要約すれば)「聞いた」「行く」「試みる」「有利」と書いた。どちらもインテリジェンスとしてワークした(史実)ので成功。
②【X候補の政見放送】
内容空疎だがイケメンで好感度抜群。Xの当選確率はINSEADデータから国によって分散すると考えられ、 個々の国においてもインテリジェンスを生む最適なAB比は不明。
③【長嶋茂雄の引退スピーチ】
引退発表後に行われたので情報価値はなく、A : B = 0 : 100。 好感度がインテリジェンスとしてワークして「巨人軍は不滅」を売り込み、読売新聞、巨人軍の収入を増やしたので成功(②の特殊ケースであることに留意)。
①③が両極端で、その中間でほとんどのケースが属するのが②です。よって、長嶋になる自信のある人を除けば、②であって「Aが成否を決する」と考えるのが合理的ということになります。カエサルのケースではA を表記するのが何語であれ、語数3(Veni、vidi、vici)を最小値とした「言語」でしか伝達できません。また発信者、受信者ともに言語は脳内で処理されてAを形成し、そのプロセスを執り行うプラットホーム自体が言語によって作動します(「思考回路」と呼ぶ)。
脳内処理はcoding(符号化)で速度、正確度が増します(例・「この値をkと置く」など数学のロジック展開そのもの)。原理・理屈を忌避し(「反知性主義」と呼ぶ)、階層、合意、人間関係を重視する人が多い日本(INSEAD参照)では抽象概念は福沢諭吉らによる造語として初めてお目見えし、定着しました(経済、国家、民主主義等)。しかし、元々の概念がないわけですからcodeとしての機能は高くなく、「民主主義」と聞いた時の日本人の脳の反応速度と「デモクラシー」と聞いた時のフランス人のそれは国民平均値をとれば同じではないでしょう。また数学、物理、哲学の概念定義や論理展開は英独仏語で多少の差異はあっても(ご指摘の堅牢性など)、概念が明治時代まで存在しなかった日本語より優位にある(ノーベル賞学者ではなく一般の学生がそれを学びやすい言語である)ことは否定できないでしょう。したがって、一定時間内のスピーチの情報密度が日本語において低い理由はリヨン大学がサンプルにしたスピーチが抽象概念を多く扱うためであるかもしれず、秋山の戦場報告が(実際は暗号とチャンポンの電文ですが)簡素ながら効率的であるとの内藤様のご指摘は正鵠を得ております(対象が具象のみの場合の差は縮小する可能性はそこでは検証されていません)。但し、政治、ビジネスに限れば具象の比率は低減します。
したがって日本では選挙においてAばかり訴えても有権者の心には響かず、当選確率は上がらず(だからBで勝負する③型のタレント、キャスター候補を出す)、商品の機能的情報(スペック)が優秀でもそれだけでは物は売れません。反知性主義という思考回路の人たちのエンパイアにおいてはロジックを解いて答えが有意に導かれてもその価値をアプリシエートもシェアもされないからです。それよりCMでイケメンに売りたい商品名を3回連呼させた方がいいのです。そこで、それを奇貨として、声の大きい人、大きな力が後ろにある人が説明もせずに合理的な解を捻じ曲げることができ、そもそも議論しない反知性主義者はそれに反論もしません(「空気」の醸成)。彼らは空気で動きますが、知性がない人ばかりではありません。超高学歴で博識であっても、それを応用して物事の判断に活かせない人を僕はたくさん知っています。言語はその民族の脳が千年以上もかけて造ったものですから文化と一体です。Aを多くの抽象語彙(借り物で定義も理解もアバウト。例・シュミレーション)で構築することも、それを聞いて心から納得して行動に移すことも、ともに不如意である人が日本人には識字率の高さに比して非常に多く、自身に全く自覚はなくても理屈や議論を避けるという反知性主義的な行動をしている場合が多いのです。
知性ある人でもそう行動してしまう土壌は、Bが大きくものをいう場面があることで潜在意識の内に培養されています。長嶋茂雄の「永遠です」やキャンディーズの「普通の女の子」はたった一個の情報なのですが、それで読売新聞やレコードが売れたので立派なインテリジェンスだったことになります。これが日本の特異性です。伝達効率が低いのは言葉でくどくど伝達する必要性が欧米、中国より低い(むしろ嫌う)文化だったからであり、いらないものには名前をつけないので抽象語彙は少なく、必然的にそれを駆使する思考回路もできません。その代わり一個のイメージでおおまかではあるが情報は広く流布して国民的に容易に共感される利点があります。語数は節約してコンテンツが伝わることもあります。しかしこれは諸刃の剣で、議論はされずに空気でモノが決まってしまう。反知性主義は議論も反論も嫌いますから目の粗い思考回路から出てきた情報は画素数の少ない写真と同じで情報の密度が低く、ライオンを猫と見まがうようなとんでもない結論に飛んでしまうリスクがあります(これが先の戦争です)。ですからこの節約を「効率」というのは間違いです。
非常に需要な事ですが、我々はその母国語で思考しますから、ない要素は意識にものぼらない(紫外線、赤外線のように網膜に映らない)ということです。だから聴衆が日本人か欧米人かで僕はプレゼンの仕方を変えています。表面的には日本語か英語かなのですが、それだけではなく、ロックか演歌かの違いです。伝わらないと売れませんから当然のことです。海外から16年日本を観察しましたが、日本人の9割は反知性主義です(知性主義の補集合として)。これは明治時代からそうであり、教育の方法論を根底から変えない限り百年たっても変わらないでしょう(その一例が大学の文系入試は数学不要という意味不明の伝統で、反知性主義の代表例である毛沢東の文化大革命と変わりません)。9割の国民が選ぶ政治家も9割は「長嶋茂雄よりはるかに劣る③型」になり、秋山真之中佐のような①型議員はいても1割だからバカの大群に押し切られてしまいます。大本営のエリートも、いい大学や士官学校へ行って勉強はできたが思考回路は演歌型だったと僕は考えています。それで本稿のタイトルになりました。内藤様には釈迦に説法と存じますが、人間は教育が何より大事です。一説では回路は18才までに完成し、そこから変えるのは一から学ぶより困難だそうです。そう長くない先に暇になりますから、18才未満の子に自分の経験を伝える場があれば素敵だなあと思います。
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なぜ「平成は大没落の暗黒期」になったのか
2022 JAN 18 18:18:34 pm by 東 賢太郎
昨日、我が家では犬、山、赤色、雨など片っ端から「フランス語では?」で盛り上がった。スマホで答えは即わかる。家族で鍋をつつきながら遊べてしまうのだから便利な時代だが、子供時分にそんなことをしたら父は許さなかったろう。僕はというと真逆で、子供を勉強しろと叱った覚えがなく、遊びながら学べばいいという父親だ。自分も遊びたい子供の気持ちがたくさん残っている。その方が人生の長丁場では勉強はできるようになるからだ。さて、やってみると英語に化けたフランス語が多いことに気づく。日本語に例えれば大和言葉がドイツ語で漢語がフランス語と考えて良さそうだ。文化も言葉も大陸からやってきて、島国で入り混じる。その点では日英は似た者同士だね。こういうことは子供に教える。言われなくても自分の頭で考えるようになれよということだ。
ではなぜ日本の会議がシャンシャンなのかを考えてみよう。忖度のせいだけではない。なぜならボスの顔色を見ることにかけてはアメリカも同じであり忖度など可愛いものだ。それなのにシャンシャンなんてあり得ない。全会一致ともなれば誰しもが不正を疑う。つまりトップダウン型社会のボスは生殺与奪も握るから彼イエスマンが会議で見え見えに並んだりするが、しかし議論はする。しなくてはいけない。それは言語の違いと関係がある。彼らは相手が大統領でも子供でもyouはyouだ。言いにくいコンテンツはあっても、言葉使いに引っぱられて言いにくくなってしまうことはない。日本語ではそうはいかない。まずここから本稿を始めよう。
下っ端の課長だったころ、ロンドンの御前会議で満座でNOを言ったことがある。少々の物議はかもしたが、その刹那では英語だから気兼ねがなかった。「お前よく言ったな」と驚く手合いもいたが、余談になるが、「英語人」になるとはそういう精神構造の領域までバイリンガルになることである。そうでないとアイビーリーグのレベルの学校を卒業などできない。俗にいう「英語ペラペラ」は ”I♡New York” なんてTシャツを得意げに着そうな田舎のお兄ちゃんが発するチャラい英語のようなものを、無学な女がステキ!と惚れこんだペラペラな形容詞に他ならない。そういうのと同じだと思ってる人は驚いたのだ。
しかし、あのロンドン御前会議が日本語だったらどうだったろう。課長と副社長だ、日本人の常識として最大限の敬語にならざるを得ない。これが日本語の宿命であり、すべての日本人が着せられているストレートジャケット(拘束衣)だ。あえて時代劇風に書けばこんな感じになるだろう。
『副社長様にあらせられましては、この度のお達し、ご明察と拝聴たてまつった次第でございます。しかしながら、畏れ多くも、今回ばかりにおきましてはいささか問題があるのではなかろうかと愚考せざるを得ないところでございます』
心理的にこれに近い。敬語、謙譲語は「上下関係」の存在が前提だ。「下」の者が上意にNOを突きつければ、コンテンツに反論したつもりでも「上」の人格まで否定したニュアンスになり、周りが「分をわきまえろ」「不敬だ」などと騒ぐ。ノイズが混入するならそもそも「議論」ではないから、言語の制約で日本ではまともなディベートが成り立ちにくい。会社のためには反対と思っても「下」は口をつぐみ、物を考えなくなり、付和雷同の無責任社員が増え、そういう輩のほうが出世し、とどのつまりが無責任な社長が生まれる。
はっきり覚えているが僕はこう発言した。
I don’t think it works now.
6単語で終わりだ。これが口火となって、モノ申したかった英国人、スイス人、ドイツ人、フランス人幹部が入り乱れて侃々諤々の議論になった。望ましいことだった(ビジネススクールなら有効な反対動議でクラスを盛り上げたと評価される)。前稿で「情報量は、英語を1とした場合は日本語は0.6で非効率だ」と書いたが、この例ではおよそ10倍も非効率と思われる。それがビジネス現場の体感だ。戦場で上司にお世辞など言っておれば真っ先に戦死、無能だが愛い奴を上官が取り立てれば部隊ごと憤死だ。
日本は空気で物が決まる。日本語は元来が構造的に非効率なのに、議論に使うと「どっちが偉いんだ」とマウントしたいだけの馬鹿が非効率の上塗りをする。だから落し所を忖度する者だけが役員に選ばれて会議に呼ばれ「ぐちゃぐちゃ理屈を言うなよ」(森さん流だと「女性は話が長い」)と睨みが届く。大きな力による思考停止命令である。会議だけではない、僕は新人の時、お客さんに自分で調べて選んだ株を薦めると「ばかもの、何も考えるな!支店の銘柄をやればいいんだ!」と怒鳴られた。映画で観た帝国陸軍を思い出した。この空気に反駁するのは無理であり、支店の銘柄はいつもハズレなのだ。この時に大いに悩み、以下のことを思い出した。日米開戦の最終決定者は9人おり、天皇以外は官僚だった。民意の代表者は一人もいないのに国民の空気に反論を唱える余地はなかったとする(理が通らない)。思考停止して議論しなかったなら最高権力者の不作為であり、議論しなかった(ハンコを押してない)のだから責任がないなどという日本流のふわふわした理屈が世界で通るはずがなかった(このことは東京裁判の正義とはまた別個の問題である)。いつもハズレならお客様を裏切り、不幸にするのは僕なのだ。
310万人の死者を出した戦さはポツダム宣言の受諾で敗戦をもって終了し、行政権を放棄した日本は米国の信託統治下に置かれた。要するに、日本は米国の属国ですらなく、サンフランシスコ講和条約に調印するまで6年間も「国家」でなかったのである。僕が生まれた昭和30年はまだその余韻があったのだろう。物心ついて小学校にあがる頃になると、国家の負の屈辱を皮肉と笑いでかわす正の方向へのエネルギーが社会に生まれ、「この世でいちばん無責任といわれた男」の植木等がスーダラ節を明るく歌う。半世紀後の「物を考えない付和雷同の無責任社員」の大量発生を見事に予見していたわけだが、なぜか「テキトーなオヤジだな、こんなのが許されていいのか」と思っていたから右翼的なガキだったのかもしれない。
私見では日本はそれ以前にも2度外国に占領された。1度目は白村江敗戦後に唐によって、2度目は黒船騒動から日英通商航海条約調印まで問答無用に不平等条約を押しつけた英、米、仏、独、
露、蘭、伊など14カ国によってだ。インテリジェンスに長けた英がグラバーを長崎に送りこんで薩長にクーデターを仕掛けさせ、仏が支えた幕府を倒した。中露がタリバーンを支援してアフガニスタンを乗っ取ったのと同じだ。伊藤博文らはアヘン戦争で清を蹂躙した仮想敵国が実は裏の下手人だったという真相を隠蔽し、天皇を神格化した王政復古で新政権の正統性を謳った政権乗っ取り劇を演じた。その美称が「明治維新」であるが、第2の占領こそがその地盤であった。そして3度目が米のマッカーサー元帥を司令長官とする占領だ。日本を非武装化し、原爆への復讐を恐れて仕掛けた愚民化政策は奏功し、チャラい無責任野郎が恥ずかしげもなく跋扈する国になった。そのことは太田龍の著した「天皇破壊史」(成甲書房)が予言していた。同書はザビエルら宣教師の布教が鉄砲の火薬原料として不可欠であるチリ硝石との「抱き合わせ販売」であり、その結果として篭絡された九州の大名がキリシタンとなって日本人を奴隷として売っていた。それを知って激怒した秀吉が厳罰を科して禁教し、さらに警戒した家康はついに鎖国したと説いているが、鋭い原理的考察は説明力がある。明治維新においては英のロスチャイルド家が薩長に、仏の同家が幕府に武器供与とファイナンスを行い、お家芸である「ノーリスクのマーケットニュートラル(両建て)戦略」で倒幕したと看破しているが、それは僕自身がロンドン時代に担当していたNMロスチャイルドの幹部から聞いた話と符合する。伊藤博文らによる孝明天皇、皇太子睦仁親王の暗殺、天皇すり替えは国内では事実を封殺できたが韓国までは及ばず、伊藤を暗殺した安重根が天誅を下した理由の一つに「国賊」とそれを書き残している。
我が国が壊滅的な国土から世界第2位の経済大国に一気に駆け上った速度とマグニチュードは世界史上類がないが、その奇跡が「物を考えない付和雷同の無責任社員」の集団によってオーガニックに引き起こされたなら宇宙水準の奇跡であろう。そうではない。朝鮮特需のおかげである。昭和の末期まで特需による設備投資の残り火は尽きなかったが、平成の幕開けと同時に大失速した。日本の愚民化は進めつつも反共防波堤には育てたいと慈父のようだった米国がソ連の消滅でその必要がなくなり、自動車、半導体が目障りだとジャパン・バッシング(日本を叩け)に回ったからである。僕は1987年のダボス会議に出席したが、それはジャパン・パッシング(日本は猫またぎ)になり果てていて愕然としたのは記憶に新しい。そこから橋本龍太郎、中川昭一の不審死があり、小泉純一郎というポチが新自由主義を持ちこんでスイス同様に本邦金融を米の軍門に下し、リーマンでトドメを刺され、傷が浅かった中国に一気に抜かれた。平成という時代は我々の子孫に大没落の暗黒期と記憶されるだろう。
しかしそれを米国や中国のせいにするのはお門違いである。立ち止まった者は抜き去られる。愚民化はマッカーサーすら予期しなかったと思われる完成度に達してしまい、明治の国盗り物語の真相を国民に隠し、学校で取り上げもしないから若者が興味も持つはずもなく、ガンジーやリー・クアンユーのような卓越した政治家が出現する芽は慎重に摘まれている。米国大統領がスクール・カースト(米国の学校社会の序列)のジョック(ジャイアンに相当)なら、日本の総理や大臣はメッセンジャー(のび太=パシリ)か、せいぜいプリーザー(スネ夫=ジョックのコネをちらつかせプリーズと金をせびるタカリ屋)という所だ。僕は親類が関わった二・二六事件を調べているが、日本がそこまで落ちたのは先の大戦からではないというのが結論だ。いつからか?明治維新だ。司馬遼太郎ファンが大好きな時代から我が国は既にエージェントのポチども(日本人だ)に毒されており、邪悪を排除する昭和維新が可能と陸軍青年将校らが団結決起する前例と目されたのがそれだったと考える。
2年になるコロナ騒動で日本経済の周回遅れは霧の中で見えにくくなっているが、もう勝負はついてる。IT産業は完全に波に乗り遅れ、自動車、電子部品しか金の成る木がなくなった。トヨタとてEVが主流になる中での戦略は迷いが見える。半導体の下請け仕事と馬鹿にしていたファウンドリーはカネを積んで台湾から来ていただくという先見力のない有様である。GAFAの創業者、現CEOの学歴はGoogle(スタンフォード、コンピューターサイエンス)、Amazon(プリンストン、電気工学)、Facebook(ハーバード、コンピューターサイエンス)、Apple(オーバーン、工学)と、当然とはいえみな理系であり、テスラのイーロン・マスクもペンシルベニア大学の物理学だ。対して日本のIT経営者はみな文系である。エンジニアとしてトップダウンで新機軸を打ち出し世界のディファクト化するなどまず無理だ。学歴で決まるわけではないが、理系思考訓練してない者がそれで勝つというのは草野球のエースが大谷から三振を取ろうというようなものだ。そして、そうした諸々のあまりに当然の帰結として、書くのもアホらしいが、GAFAの合計株式時価総額は約770兆円と日本の上場企業全部の合計である750兆円を抜いた。平成時代は日本株の時価総額が米国を抜いて世界一という天国からスタートし、ずるずる地獄に落ちてついにここに至った。1989年末の日本の時価総額合計は611兆円で今とほぼ変わらないが米国はその間に12倍になっている。「平成時代は大没落の暗黒期」の意味は数字が残酷に語っている。
超がつくIT音痴で国際偏差値32ぐらいの日本の役所と政治家が「IT成長戦略」なんて、そんなものが出るのを待つならアラジンのランプを3Dマシーンで製作した方がいい。物を考えない付和雷同の無責任社員が出世した産業界からも出ようがない。その証拠に、世界がそう思ってるから株が上がらないのである。そこかしこに君臨する昭和のお爺ちゃんたちが恋々と権力にしがみつき、大事なことを忖度の強要と思考停止命令でシャンシャンと決めて軽いタッチで大間違いを犯し、いるだけで若者のやる気を削いで彼らの貴重な時間をクソみたいな会議で空費させている。国家・企業は国民・社員の安全・幸福こそが第一だが、政治家・経営者はいくら御託を並べても数字で評価されることは免れないのが世の掟である。日本国の通信簿はお示しの通りで弁解の余地もない。ここまで君臨してきた昭和のお爺ちゃんは平成の敗戦の責任を取って首を差し出すのが道理で、まだ続投ともなれば、もはや「はしたない」としか書きようがない。このままだと、生まれて株が下がり続け成功体験のない世代がそのままトップになる。それも危険なのだ。ここで少々の失敗は飲んでも成功体験を積ませるかどうかが国運を左右する。運転免許は80才で返上、政治家、経営者は70才で引退。若者が忖度で偉くなる国に明日はない。
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日本は「反知性主義」によって戦争に負けた
2022 JAN 11 18:18:05 pm by 東 賢太郎
今年でブログ執筆10年になる。やってみて知ったことが幾つかあるが、その最も重要と思うものの一つが英語と日本語の違いだ。本稿は未来の日本を背負う若者に読んでいただきたい。
ウォートンスクールでの課題や論文執筆、後の証券業務でのレポート作成など僕は英文をたくさん書いたが、その経験からすると、日本語は物事を説明するのには非効率な言語だと感じざるを得ない。娘とその議論をして教えてもらった下のデータは8言語でそれを比較したフランスのリヨン大学の研究チームによる「複数の言語におけるスピーチ情報密度の違い」(原題”A cross-language perspective on speech information rate”)で、単位時間内に伝達できる情報量は、英語を1とした場合は日本語は0.68である。
この結論に至るデータマイニングの是非は日本語を母国語とする立場から検証の余地があるかもしれないし、日本語には逆に情緒的な表現に適するメリットがあるので一概に優劣を論じるものではないが、僕はブログで情感を訴える気はなく何かの「説明」をしたいので 1 : 0.68 には重みを感じる。単位時間内のスピーチ語数が同じと仮定すれば同じことを伝えるのに日本語だと47%も余計な文字を使うことになるからだ。それはブログを日本語で書く感覚とも合致するし、日本のニュース番組とCNN、BBCのそれを比べた体感としてどなたも納得できるのではないか(ちなみにニュースの時間内語数も日本はとても少ない)。
このことはエリン・メイヤーINSEAD教授の以下の研究とも関係があろう。
1.における「ハイコンテクスト」とは言外の含みを読み取らないといけない、つまり「空気を読んで」判断し、京都の「ぶぶ漬けいかがどす」は「早く帰れ」という意味だよというコミュニケーションをする国という意味だ。2.ネガティブな事は間接的にほのめかし、4.上下関係をはっきりさせ、5.みんなで物事を決め、7.なあなあで収めたい、となる日本はそのための語彙が増え、物言いが長くなりそうだということは直観的にも感じられよう(言語別の語彙数は日本、中国が多く仏が少ないようだがデータの信憑性からここでは取り上げない)。
面白いのは3.説得である。独仏が「原理優先」、日中米が「応用優先」だ。理屈で納得しスペックで物が売れる独仏に対し、日中米はそれだけではいけない。独仏と米が対極にあるのは要注目で、「接待が効く」点において米は独仏よりも中に近い(先の大統領選を思い起こされたい)。仲良くなったり、所属階層の権威をちらつかせたり、誰誰の紹介ですと関係性を強調したりする必要があり、逆にそっちだけに注力して理の通らぬことを押しつけるのも可能になってしまう。
そのことを日本について述べると、大半の日本人は理屈を嫌う。原理に適った正しいことを主張すればするほど、論旨と1ミクロンも関係ない「でも人間それだけじゃないよね」という風がどこからともなく吹き始め、全員がオセロのように「だよね」「だよね」となって「原理主義」は「反論」によってではなく、「理屈が嫌い主義」によって制圧されてしまうのである。それを広い意味で「反知性主義」という。国会には顔つきからして「歩く反知性」のような議員が政党を問わず在籍しているが悪いとは思わない。彼らは国民のマジョリティーである「理屈が嫌い主義」の代表者で、民主主義がワークしている証しということではあるからだ。
しかし個人的な事を述懐するなら、小学生のころから「原理主義」で「空気」は読まず、「評価」はストレートに口に出し、「階層」は無頓着で「自分」で決めたく、「関係者(友達)」だからといって一概に信用はせず、「対立」は構わず「スケジュール」がきっちりなのは性に合わない子供だった僕は非差別少数民族であって競争上は不利であり、逆に欧米ではそうでもなかったことになる。自分はインテリだと主張する気も利益もないが、反知性主義者と合わないことだけは間違いない。「原理主義者」が「理屈が嫌い主義」の人と気が合うなら僕はチンパンジーとだって一緒に住むことができる。
それほどに自分を特徴づけたのは「原理主義」だったと知ったのがブログを10年書いたことによる第2の発見だった。僕はまず原理を理解しようとする。義務感や功利性によるのではないと思う。それがないと記憶を拒む働きすら頭にプリセットされているので生まれついた性格だろう。ロジカルな事柄は当然だが、そうではないこと、例えば「NFT」という言葉を覚えるかどうかという時にもそれが働く。だから「それ何の略?」と必ず尋ねる。するとその単語を使ったほとんどの人はそれを知らず、疑問に思ってもいないことを知る。僕の質問は non-fungible token の定義(原理)を正確に知ることも意味しており、それなしにエヌエフティーと音韻だけ覚えたふわふわな状態でその単語を使用するなど吐き気がするほど気持ちが悪い。
ところがそうした横文字は音韻だけで思考停止という人が日本にはとても多いのが現実の僕の観察である。simulationのことを高学歴の人でもシュミレーションと10分のスピーチで5回も連呼して平気だったりする。もっともらしい顔しているが実はなんにも考えてない。シュミレートなんて動詞が英語にないことはウチのシロでも 0.1 秒でわかるだろうに、12才から英語を習っているのに脳にそういう回路が存在しないのである。ということは、この人の言葉はすべからく定義が曖昧であり、もっと大事なことも抜け落ちているだろうなと考えることになる。彼のプレゼンに乗ることは100%ないし、ストレートに評価すれば「地アタマ悪いな」と判断するしかないのである。繰り返すが、いくら高学歴であってもだ。
ここで数学が登場する。数学=計算と思っておられる人はここからは時間の無駄となるからやめられた方がいい。
僕は昔から計算がへたで遅く、暗算はほぼできない。だから計算ばかりやらされる算数は嫌いだった。しかしそれは無料の電卓アプリがする作業である。受験数学程度ならハンディでないのはクイズ王がインテリとは限らないのと同様だ。例えば「集合論」は難しいが計算は要らない。「集合」が理解できないと物事の厳密な意味での「分類」ができず、「分類」ができない人は定義(原理)を正確に知ろうという頭の働きが生まれず、シミュレーションだろうがシュミレーションだろうが気にすらならない脳が完成するわけである。その人が仮にソロバン名人で暗算が常人の百万倍速かろうとも数学ができる保証はない。そういう人に「クイズ王がインテリとは限らない」と集合概念で物を言っても概ね意味がない(正確に事の重さが伝わらない)というのが僕の経験である。
「頭の働き」「気にすらならない脳」と書いた。強調するが、「うまく働く脳」「気にする脳」は自分で作れる。簡単だ。まず自分の脳が「働いてない」「気にしてない」という嫌なことに積極的に気づくことだ。次に「働かせ」「気にして」みて「なるほどこうか」と「腑に落ちる」”感じ” を体で覚えることだ。どうなれば腑に落ちたかは人による。だから「これだ!」という自分固有のシグナルを見つける。僕の場合、理解できないものは記憶回路に入らないので「記憶した」シグナルと同じものが出ることがわかっている。それは187という数字だとすれば「ひゃくはちじゅーなな」と音でリフレーンが聞こえる。新しい物事に出会うと「働いてない」「気にしてない」かもしれない。そうでないなら「腑に落ちた」リフレーンが聞こえるはずだと常に自分を疑って客観評価している。聞こえないならわかってない。だから覚えない。既述のように、ここまで回路化しているので僕は無意識に日々それをしている。
情報量は英語を1とした場合は日本語は0.68しかないことは銘記すべきだ。それが母国語である非効率は存在する。インテリジェンスを正確に伝える(そうでないならそもそもインテリジェンスではないのだが)なら、僕は英語を使いたい(そう思うインテリが多いから英語はビジネスの世界言語になったのだ)。
これを指摘されると、認めたくない多くの日本人は否認すべく次の2つの誤りを犯すだろう。
①「日本語は美しい」「情緒表現においては優れている」と論点変換する
②「英米人より47%多い努力で補えばいい」と非効率の上塗りを主張する
これが「でも人間それだけじゃないよね」に等しいことを賢明な読者は見抜くだろう。これで日本は戦争に負けたのである。
① 美しさ、表現力のコンテストではない
② 47%余分な努力をするうちに負けてしまう
で議論は2秒で終わる。
あるべき考え方はこうだ。まず気持ち的には認めたくない欠点を素直に認める(これがすべての前進の第一歩だ)。次に、抜本的打開策を第三者的な目線で考える。つまり、こうなる。
非効率は存在する。47%努力せずに埋める方法は何か。
先の戦争であれば、日本は「鬼畜米英」でも「月月火水木金金」でも「欲しがりません」でもなく、トップに立つエリートが「情報戦」を仕掛けるしかなかったと僕は考える。対米戦の話ではない。物量で圧倒的に勝る相手に情報戦まで主導され、原理(=言語)無視の反知性主義に陥っていた国に勝つ道理は100%なかったのであって、負ける戦なら蒋介石を奸計であろうと何であろうと情報戦で篭絡して彼の計略を打ち砕き日米開戦を回避すべきであったしその余地はあったという意味だ。彼に対抗できるエリートがいなかったのか、いたが「応用優先」「合意志向」のハイコンテクスト・コミュニケーションの国ではトップダウンが効かなかったのかは不明だ(統帥権を持つ大元帥であられた昭和天皇はできたのだが)。反知性の者に知性なきことを知れと言っても「でも人間それだけじゃないよね」の風が吹くというのが実相だったのではないかと思う。
今更ではあるが、敗戦を認め客観的に事実を知り、そこから日本が賢明に生きる道を学びとらずして失われた310万の尊い御霊に何の申し開きができるものか。
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今年の漢字は「力」
2021 DEC 31 20:20:20 pm by 東 賢太郎
今年は何とも言えない割り切れない感じのまま終わってしまった。清水寺のお坊さまが書く漢字は何かと思ったら「金」だ。おおそうか、金か、そのとおりだ、そういえば今年はオリンピックがあったんだっけなあ、想定よりずいぶんたくさんだったもんなあ、予算が。
カネと読んでいた。なんだ、つまらんヨイショだったのか。五輪イヤーで過去に3回もキンはあったらしい。芸がねえな。それなら「忖」の方が良かった。忖度(そんたく)のソン。訓読みは「おしはかる」である。「他人の気持ちを推しはかる」という意味だ、大事じゃないか人間として。そこに「私利私欲のために」が加わったのが昨今の特徴だ。しかも「大きな力」をお持ちのパワフルな方々がおしはかっちゃうものだから国民的関心が盛り上がった。
でもこの字は誰も読めないな、ということでいうなら今年の漢字は「力」だ。同じことだから。しかも、大きな力だから、お坊さまには例年よりでっかい紙に特筆大書してもらいたい。
まず1月のバイデン大統領就任だ。民主党のなりふり構わぬトランプ言論封殺には心底驚いた。米国大統領を抹殺するのだから世界最大の力だ。「そこまでやるか」を超え、「それをやっちゃあお終いよ」もあっさり超えてしまった。米国がまだ民主国家というならそれは皮だけで、ばりばり裂けるとゾンビが出てくる。
去年発生したコロナは大きな力を持ったエイリアンだ。菅内閣は果敢に立ち向かったがやられた。死に際に放ったワクチンの矢は妖怪に刺さったやに見えるが、なぜ日本の矢だけが効いたのかは一向にわからず、依然正体不明だ。世界の叡智もAIも、まだまだ太刀打ちできない力があることを思い知らされた。
五輪を力で押し切った菅内閣はあっぱれだ。安心安全は問答無用を意味する呪文として見事にワークしたし、閣僚の忖度は演技力の粋を見せ、米国とは違った言論封殺の方法論が確立したと言えよう。内親王様とK室氏の大きな力も令和の新機軸だ。財務省事件の傍系といってわかる人はほとんどいないだろうが。
GHQ製だろうが何だろうが憲法は憲法。『総議員の三分の二以上、国民の過半数』の賛成で改正でき、天皇である根拠はその憲法の第1条にしかない。皇室、特に天皇陛下たるものの大切さは西室の言うとおりだが、法的にそれをお守りするのは国民の総意しかない。総意に添わない大きな力の行使ではない。
今年はほんの数えるぐらいしか外に出なかった。演奏会ゼロは50年ぶり。それだけ自宅で膨大な量の音楽を聴いた。時間をかけないとわからないことがわかった。神通力がある曲とない曲がはっきりと存在する。ない曲を千万回も大きな力が宣伝しても、いずれお里が知れる。宇宙はそう作られていることを理解した。
なんだか世の中みんな小ぶりになって力の差がなくなってきた。鼻の差勝負で小技と小ズルさが横行、嘘でも経歴詐称でもやったもん勝ち、バレたらひっそり消して「なかったことに」なるのを待つ。何事も大きな力がモノを言える世になってしまう。大谷翔平、藤井聡太、松山英樹。これぞほんとうの「力」だった。
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来年は何をしようか・・・
2021 DEC 22 18:18:18 pm by 東 賢太郎
これまでに僕は税金を13億円ぐらい払った。中学から公立で授業料が安かったぶん親孝行できたし、国庫にも返した。何の才能もなく何になりたくもなかったサラリーマンにしては十分で思い残すことなし。でも9割が運だったなあ。
そろそろ、そうやって気持ちを清算するトシになってきた。筋トレでぶりぶりやってまだ若いぜなんてタイプじゃない。走るとすこし若いかなと思うが、それも鍛えるというよりなるがままでいい。
ブログを書くのは結構モチベーションがいって、それで書くべきことが決まるけどそっちがどうかという気がしてきた。それで世の中変わるわけじゃなし。
今年は占いによると勝負の年なので人生最大の大勝負を張った。これをやるために今までの人生があった。吉か凶か来年5月までわからないが吉だったらもう仕事やる意味がない。ひっそりと好きなことをしたい。
いろんなことで、やっぱり日本は向いてないかなとも思う。日本的なものにすべからく興味ないし万事ちまちましてつまらない。住むなら家買って英国かなあ、ケンブリッジで若者にまじって勉強してオペラ三昧なんてのもいいなあ。
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