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カテゴリー: 徒然に

ローマ人はどこへ消えたんだろう?

2021 DEC 20 23:23:42 pm by 東 賢太郎

パルテノン神殿の廃墟に立って、こう思った人は多いだろう。

アテナイ人はどこへ消えたんだろう?

これは人類普遍の謎といっていいかもしれない。ひとパーツ10トンある石材を14メートルの高さまで持ちあげなくてはいけない。石材の総重量は2万2千トンだ。「クレーンは使うな」という条件で建てられる建設会社はたぶんないだろう。でも2,400年前には存在したのだ。では、彼らは今どこにいるんだろう。

ローマではパンテオンを見て、その倍ぐらいの衝撃を受けた。

円筒形に半球が乗った不思議な建物である。こちらも、総重量4,535トンの石材を43.3メートルの高さまで組み上げている。2,000年も前に!

驚くのは建築技術だけではない。ローマの都市建設の全般に言えることだが、幾何と物理の知識、斬新かつ合理的な着想、雄大なスケール、洗練された審美眼のどれもが現代においても一級品。その粋を結集した建造物がパンテオンだ。

球体がすっぽり収まる。高さ43メートルの鉄筋のない球形コンクリート建造物として現在でも世界最大である。

壁は円筒部の厚さが6.4メートルあり、半球上部に行くに従って組成する石材を図のように軽めに変え、厚さを1.2メートルまで漸減させ総重量をおさえつつ頂上に至って重量ゼロのオクルス(目)と呼ぶ直径9メートルの穴になる。

半球部の正方形のくぼみには重量を軽くする目的があるが、上に行くほど小さくして実際より高く見せている。数列的秩序、無駄のなさ、錯視、そして美。

イタリアはその後何度も仕事で行ったが、パンテオンを見てしまうとどの都市へ行ってもあれから2,000年たったローマだという感覚が持てない。英国の元首相チャーチルが「俺達こそローマ人の末裔だ」と言ったらしいがそうも思えない。

ローマ人の消失。人類普遍の謎は、ひょんなことで解けた。つい先日、「宇宙人は地球にいる、あなたの隣りに」という記事を読んだ時のひらめきだ。

ローマ人はどこへも消えていない。全人類が2,000年かけて、ローマ人もろとも「劣化」したのである。

現代人は誰もが「自分は古代人より進化している」と信じている。そうではない。進化したのは「道具」である。

人類の知能の進化 – Wikipedia

レオナルド・ダ・ヴィンチ級の人間が2,000~6,000年前のギリシャ、ローマにはごろごろいたかもしれない。そこから人類は徐々に劣化を始め、質実剛健なオリュンピア大祭が金儲けのオリンピック祭りになってしまった。まるで「猿の惑星」のラストシーンだ。

モーツァルトのジュピターを聴いて我々は「このような作品はもう誰も書けないだろう」と感嘆する。そりゃそうだ。現代人はパンテオンを造れない、その音楽版だからである。

 

(参考図書)

コンコルド、アポロがなくなることは一元的に知能劣化では語れないが視点として面白い本だ。以下私見だ。「食うか食われるか」の狩猟採取民時代は強く賢い男がいないと部族が滅びる。だからハーレムができその遺伝子が拡散する(ソロモン王は妻700人側室300人。漢民族の男系男子継承は名残り)。四大文明が揃うBC5千年ごろから「食われずに食える」農耕定住型となりハーレムは終わる(狩猟採取型遺伝子が希薄化)。狩猟採取型が農耕定住型を支配する時代が19世紀(絶対王政)まで続いたが科学の進化で終焉し、20世紀には道具が人間支配を始める(便利の代償で知性喪失)。そして21世紀半ばにシンギュラリティに至る(道具の人類支配完成)。

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えっ「書き換え」?それって「改竄」でしょ

2021 DEC 16 18:18:47 pm by 東 賢太郎

三菱自工、三菱電機、日立金属、神戸製鋼所、日産自動車、SUBARU・・・

「データ改竄(かいざん)」で思い出す企業名だ。まだあった気がするが、どれも立派な企業ゆえにかえって記憶に残るのは皮肉だ。ググるとこのリストが出てきた。汚名は永遠に消えない。

http://www.directforce.org/DF2013/02_DF_katsudo/governance/pdf/DFKG-14-B-01.pdf

何が驚くって、ご覧の通り、ほとんどが「内部告発」でウソがばれていることだ。告発が意外なのではない、経営陣が「ばれないだろう」と思っていた事が驚きなのだ。いまどき社員だれでもスマホや家のパソコンで発信できる。「命令だから従うだろう、長くやってきたことだし、社員なんだから・・・」。いくら昭和世代のお爺ちゃんでもズレすぎだろう。そんな旧石器時代の経営してて大丈夫なんだろうかと心から心配するが、その程度で済むのは僕が株主でないからだ。何百億円も広告宣伝費を払ってきてこれ一発でパア?冗談よし子さんだぜ、役員全員クビ、代表訴訟で損害賠償でもやったるかって軽いタッチでなっていくよ。総会屋より怖いが誰も止められません。他人同士が自然に横で繋がるネット時代の株主はね。

僕は人種的に数字、理屈のピューリタンだ。それに反することは一切やらないし、反する人にも行為にも厳しい。お読みいただいているブログもすべてその精神が書いている。ちなみに数学は満点でないとおかしいと思ってる( 解ける ”はず” だから)。「世の中理屈じゃない」はウソだ。「そういう部分もある」が正しく「それ以外は理屈」なのである。やるかやらないか判断する材料に「人」と「数字」とがあって「どっちかが間違いです」といわれれば数字を選ぶ。人はウソをつくが、数字はいったん数字になってしまえばウソはつかないからだ。その数字を「データ」と呼ぶのである。

従って、データを改竄して論文や調査レポートを書いたり、製品を売ったりするのは僕にとって「数字」の冒涜であり、数字で判断する人間の人生を危うくする犯罪である。だから2014年にSTAP細胞事件を糾弾するブログを冷徹に書いた。何万人があっという間に読んだ。今年5月ごろデルタ株感染者数の “忖度予測” を五輪を強行したい政府に売ったいい加減極まりないリサーチ会社も実名で冷徹に批判した。世のためでも売名でも商売でもない(そのどれも僕の人生の重大命題に入ってない)。自分や家族の人生や健康に害が及ぶリスクがあるから「自助」したまでだ。

「数字で判断する人間」だって?そんなのほとんどいないぞと思われるだろう。それは「世の中理屈じゃない」が憲法第1条みたいな日本だからだ。僕は海外で数字、理屈だけで仕事した。うまくいった。金も儲かった。なぜか?数字、理屈が通るからだ。99%がそう思ってない日本はもっと楽ちんに稼げる。ということはやがて、理屈の帰結として間違いなく、日本は外国の食い物になる(もうなってるが)。その流れの中で、親米やら嫌中やらエモーションだけで動く「数字で判断しない99%」はかわいそうだが間違いなく奴隷の道になる。それを救う力は僕にはない。だから家族だけはそうならないようにする。

知る人はみな僕を「理系アタマだ」という。コチコチという意味だろう。そうじゃない。「数字、理屈のピューリタン」アタマなのだ。固い、頑固だという人達には「マルティン・ルターは立派な人ですね、ところで彼は理系ですか?」ときこう。2014年にこういうブログを書いたのが懐かしい。

小保方氏に見るリケジョとAO入試

ここから2つ引用する。

我が国は数学ができないがそれに疑問も抱いていない男性に満ちあふれている

理系・文系のくだらん区分けでこの事態を放置してきた文科省に重大な責任がある。保証するが、世界はそんな男で満ちあふれてはいない。日本を外国の食い物にし国民を奴隷にする国賊ものの教育政策である。

小保方さんの行為は倫理観以前に「数学千本ノック」をしっかりと受けた人の思考回路が許容するものとはどうしても考えられないのである

STAP細胞のニュースが出た当初、ノックを千本でなく三本も受けてない総理、文科大臣が軽いタッチで「女性の時代だ」「ノーベル賞ものだ」と恥ずかしく騒いでいたのが記憶に新しい。初めから「何かおかしい」と気づいたのは数字、理屈のピューリタンだけだった。同じ言葉を「建設工事受注動態統計」を改竄した国交省の役人に贈りたい。読者にはお耳ぐるしいとは思うが事実だから書く。東大は文系でも「数学千本ノック」をしないと入れない。だから役人の思考回路が「数字の冒涜」を許容したとは俄かには信じ難い。とすると「倫理観以前に」ではなく「倫理観の問題そのものでしたね」になるが、そうなら大臣がクビどころか役所ごと潰さなくてはいけない。「何百億円も広告宣伝費を払って一発でパア」は企業でも許されない。二千六百年も積み重ねてきた国家の信用が「故意にウソをつく役所」のせいでパアなんていう事態を許す国民はいない。

こういうことは首相や大臣が「遺憾」に思っても、それに「大変」がついても片づかない。税金にたかってばれた議員が「返金します」「寄付します」では済まないのである(万引きした商品を返せば無罪になるか?)。「二度とこのようなことが・・」って、一度でもあったらアウトだ。なぜって、議員や役人に変な人はいないと信用して国民は税金を払っている。「昨日は変でしたが今日はまともです」なんてのが通用すると思ってるだけで変な人だ。信用に払ってるのだからそれが消えれば税金は払えないねとなっていく。

落語のパロディーで「お爺さんとお婆さんが助けた白い鳥が恩返しに来たと思ったら、機を織るのではなく、家財道具を持って逃げてしまいました。鶴だと思ったらサギだったんですね」ってのがあったが、経産省キャリア官僚が給付金詐欺で逮捕なんて事件が本当にあった。善人のお爺さんお婆さん、がっかりしただろうね、でももう白い鳥は助けないだろうね。

(こちらもどうぞ)

「小保方氏に見るリケジョとAO入試」再論

(こちらが「何万人があっという間に読んだブログ」だ)(原文ママ)

小保方発表で暴騰したセルシード株(7月25日、追記あり)

「ワタシ、失敗しないので」と思ってる「大きな力」が「学歴・業績でっちあげ作戦」に失敗したケーススタディである。こういうのを野放しにしておくと国が腐る。マスコミもご覧の通り国交省の「改竄」を「書き換え」なんて改竄しちゃう腰抜けであり、野放しに加担するのみである。ネットが駆逐するべきだろう。

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幸せな日曜日はこうして過ぎる

2021 DEC 13 14:14:43 pm by 東 賢太郎

5,6年前から近場のマッサージに通っている。月2回ぐらい担当のHさんにおまかせだ。前回をしっかり覚えていて、比べて悪化している箇所を治してくれる人はなかなかいない。きのうは腕が凝っていたらしく「それはたぶんピアノだな」と言うと、「私は二胡を始めたんです」という話になった。

「そう、あれは何の皮かね」ときくとニシキヘビだ。「そうか、弦が羊、弓が馬で胴体が蛇か、作ったのは北方の遊牧民かな、それがルーツだろうね。動物を楽器にしちまうのも凄いけど、あんなに哀愁のある音を出すレベルまで行くってのもね」「ええ、音が耳に残るんですね」。まあこんな会話をしているうち寝てしまい、気がつくと2時間たってすっきりしている。

ぶらぶら歩いてくると、九品仏の浄真寺にたどりついた。

黒柳徹子さんがたしかこのあたりで育って、大きな池があったと著書に書かれていたが今はない。初詣ぐらいしか来ないが、紅葉でけっこうな人が出ているので境内に入ってみた。

この土地は元は吉良氏の奥沢城で、土塁が残っている。都内とは信じられないほど広いのはそのためだろう。

皆さん盛大にシャッターを切るので撮ってみたが、実は赤に疎い僕の目に紅葉はたいしたイベントではない。ところがこれを見て足が止まってしまった。

これだ。大学に駒場祭というのがあって、銀杏並木を見上げるとこうだった。学外からたくさん人が来てにぎやかだ。そういえば仲間で喫茶店やったっけなんて昨日の晩ご飯すら忘れるのに40年も前のことは思い出す。あの日に帰りたいとはこのことだ。

九体の仏さまにお参りしてすっかり落ち着いてしまった。ずっといてもいい気分だったが寒いので駅へ向かうと、小さな八百屋さんがある。すると、何の縁だか店頭にこれがあるではないか。

ご主人が「茶封筒に8つぶ入れて、口を三つ折りして下さい。500ワットで40秒チンすればOKです」というので4袋買うと奥さんがどうぞと茶封筒を3つくれる。うまそうに見えた青森産の長芋を1本とアボガド1個もいただいて楽しみが増えた。

スーパーもコンビニも便利は便利だが会話がない。そのうち買い物ロボットが出てくるか、ネット発注すると10分でドローンが配達なんてことになるだろう。それも味気ない。ドイツの新首相オラフ・ショルツ氏は寡黙であだ名が「ロボット」、別名「閉じたカキ」らしい。お店が閉じたカキというのも寂しい。リモートの時代だし機能性より人間味が恋しい。商店街は大事にしなくちゃ。

そういえば酒が切れてる。すると、いいところに酒屋がある。試飲させてくれというと旦那が1本開けてくれ、申しわけないので気に入ったこれ2本と別なのを1升もらった。

家では新参のこいつが待っている。あれほどシャーシャーいってたのに昨今は僕になついていて、それも犬のようにヒエラルキーを見てという打算の風情ではなく、猫遊びのプロと見抜いて寄ってきていると思われる。

気は優しいが運動神経は抜群である。玩具を持つとこちらも緊張を強いられる。ちなみに100匹の猫で著名な愛媛の青島では僕は用意した玩具「トンボ」3本で半日なんとか戦ったが、最後の1本を名人級の白猫に破壊されて玉砕した。「チビとノイは3段、お前は我が家かつて最高位の5段だ」と段位を授与したが、若いので将来が嘱望されよう。

ぎんなんに長芋にアボガドにしぼりたて原酒。

「こりゃあ幸せだ。ドイツの白アスパラとフェーダーバイザーに匹敵するな」

「そうね、でも猫いなかったでしょ」

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田園調布駅を出るとこんなものが

2021 DEC 11 15:15:51 pm by 東 賢太郎

「医者の不養生」や「紺屋の白袴」はあっても金融屋が借金だらけでカネがありませんなんてのはシャレにもならない。そこの社員だって「人生おカネじゃないですよね」なんてポリコレ発言して慎ましく見せようなんて奴は勘違いか詐欺師か負け犬のどれかであって、そういう相手にフトコロ事情を明かしてお金の相談をしてみようなんて人はまずいない。「私はそこそこいただいてます」と堂々としている方がお客さんも頼りにしてくれるのだ。

昔から金融はそもそも世間体が良くて平均年収が高いということになっているから学生に人気の業界であって、つまり面接で綺麗ごとは並べるが概ね見栄とカネが就職の主たる動機である。ガリ勉、口だけ達者という技で薄っぺらいプライドを死守し、教養はほぼなくて計算高くてズルくてチャラい。見栄だけなら霞が関へ行った方がいいが国家、公益にこだわりもない。ということは必然として「最後はカネだよね」が本音になる人間が主たる業界なのである。

そういった輩は学校のクラスで最も疎遠な部類であるが、どういうわけか小中高大ともあまりいなかった。だから社会に出て金融村に入ってしまい、とんでもない所に来たと思った。そこで仕方なく「最後はカネだよね」で生きてきたが、思えばそれはゲームだったようだ。雀卓を囲んで「人生点棒だけじゃない」なんてのはない、それだけ。参加はしてきたが、今やつきあいはおろか住人と見られたくもない。極めて少数だが、そういう僕の本質を知ってるよと言って下さる方がおり、最高の賛辞だとありがたく思う。行く末は誰も知らない田舎か外国に移住して、何をしてたのかわからない人になってしまいたい。

そうこうしていたら1,2か月前ぐらいだったか、某社から会長をやってくれという話を頂いた。「知識がない業界なのでお役に立たないだろう」とはっきり申し上げてきたが、どうしてもということである。そこで考えた。その仕事も金融だが、真逆の「人生おカネじゃない」でいってみようか。子供の頃「嫌なほう」を選んで行けと親父に言われてここまで来たし、若者と仕事する機会はそうはない。学ぶことがあるだろうし僕から学んで成功してくれてもうれしい。そうした喜びをいただく代わりに会社を儲かるようにしてお金は彼らにぜんぶあげよう。そう決心した。

そこで「条件」をひとつだけ飲んでもらって会長職の契約書にサインした。それは「無給で」ということだ。

感覚は勤労奉仕だ。しかし、事業会社だから責任はある。NPOの理事長のお話をいただいた時のことも思い出した。立派な公益法人であり勤められている方々には頭が下がるしかなかったが、それはお断りした。理由は「向いてないから」だ。そんなことはない、公益法人だってお金がいる、だから民間企業の経営者にと買っていただけたのは光栄だが、自分の性格は自分が知っている。どんないい給料が出たとしても事業とはゲームの種類が違うのでモチベーションがもたないだろうとわかっている。そうなるとご迷惑をかける。そこは本当に「おカネではない」。事業をされたことのない側の人にはわかりにくいことと思う。

つまり、「公益を掲げる仕事」と「事業」は違うのだ。たとえば雇用調整助成金を石原伸晃氏の事務所がもらっていたと話題になっているが、このお金はコロナで困窮した事業者のためものだ。もらっても合法的だというなら「政治も事業である」という初耳の事態という意味になる。それでも公益のために良い政治をしてくれれば僕は結構だ。政治家の評価は選挙しかないが、彼は比例代表ですら引っかからない程度の評価だ。それが事業でもあるというなら、我々事業家はそういう目で冷徹に評価するよということになるだろう。

するとどうか。事業をナメてもらっちゃあ困る。たかが60万円でこの騒ぎになるリスクを取るなど世界に類を見ないへっぽこ経営者であり、パンツを税金で買って失職するぐらいみっともない。もし金融なら間違いなく、すでに即死していた人と断言せざるを得ない。したがって、そんな腕前で生き残ろうとするなら「大きな力」に頼るしかない。「政治も事業」なんて言い出すのが彼だけならこれで終わりだが、もし今後の趨勢なんてことになるなら同じ二世三世の超無能な小物がますます裏口入学みたいなことに精を出してファミリーで生き残ろうともがき、やがて日本は世界基準で猛烈に馬鹿な五世、十世の支配する国になろう。

きのう初めての会長面談ということで、社員全員、二日かけてひとりひとりとお話をして東横線で帰ってきた。田園調布駅を出ると、こんなものが。

長嶋さん、おめでとうございます。ご自分の腕一本で勝ち取られた勲章、本当に素晴らしいです。あちらこちらでクソみたいな奴が跋扈して腐臭ただよう話題を撒き散らす今日このごろ、とてもすがすがしく思います。

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久しぶりの渋谷散策

2021 DEC 4 0:00:08 am by 東 賢太郎

今日は森嶌医師の診療所WELLSで2回目の点滴。ビタミンC30mgと若返り薬のNMN100mgを打ってもらった。帰りは運動をと渋谷まで歩く。心なしか体は快調だ。神宮前の坂をおりながら、なるほど表参道からも道玄坂からも下り道だ、やっぱり渋谷は「谷」なんだと得心する。

コロナは不思議と気になってない。同盟軍がアメリカにいて例のトランプの錠剤を送ってくれた男だ。wikipediaに出てる大物だが名前は明かせない。「ワクチンは打つことが目的になってる」そうだ。薬屋は飲み薬を売る前に儲けたい、WHOと政府は「やってる感」が必須。三者がウインウインだ。くりかえすがm-RNAの中長期副反応データはない。いま世界で打ちまくってるのが治験だ。日本では接種で約1200人が亡くなったときく。オミクロンが世界に広がるならばワクチンは効かないということだ。2回打ってないと飛行機は乗れないから。

ニトリに入ってみた。初めてである。寝具売り場で良さげな枕を見つけたが、持って帰るのが面倒でやめた。お値打ち感ある値段の家具類が並んでいてなかなかだ、若いカップルたちの楽しげな笑顔でこっちも明るくなる。カーテンがけっこうたくさんあってちょっと期待した。ラッキーカラーのゴールドが欲しい。ただの金じゃない、延べ棒みたいにピカピカ、まっきんきんのだ。残念、あるわけないか。

タワーレコードに進む。かつて入りびたっていた場所だ。帰国した2000年から9年は半蔵門線で渋谷で降りてバス通勤していたからだ。何千枚ここでCDを買ったかなあ。7階がぜんぶクラシック売り場だったが、数年前からジャズに浸食され半分づつになった。それが今はポップスも闖入していてさらに狭くなっているではないか。フルトヴェングラーの第九が流れているが、いい所で大音量のバンドにかき消されて聞こえなくなる。こりゃいかん。ここで楽しませてもらったご恩があるのだ。手当たり次第に買った。数えたら41枚あった。

さて7時を過ぎて腹がへった。これもお決まりだった道玄坂の町中華「兆楽」へ進む。調理場を囲むスタンドに座ると20年前からセンターに立つ大将がお元気で鉄鍋をふってる。頭が下がるなあ。五目焼きそばとギョーザ。涙が出るほどうまい。大将、俺はあなたを人間国宝に推挙したい。これで990円。ニューヨークはたいしてうまくないラーメン一杯2千円だ、世の中まちがってねえか。いや、これが日本だ。世界がうらやむジャパン・プレミアムなんだ。

そして仕上げの啓文堂書店に自然と足が向く。旭屋とここ以外、渋谷のでっかいのはみんな潰れちまった。本屋は息抜き処であり時流のセンサーであり立ち読み学習の宝庫でもあった。どれだけ勉強させてもらったかわからない。なくなると困るのだ。あれこれ渉猟して楽しんで2時間以上もいたろうか、自分の4冊、息子に1冊買ってこっちが「ありがとう」とお礼をいって出た。タワーレコードでも兆楽でもそうした。丁寧にお会計をやってくれたからではない。「やっててくれてありがとう」だ。

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「今年の流行語大賞」と「大きな力」の関係

2021 DEC 2 19:19:33 pm by 東 賢太郎

2021年の流行語大賞は「リアル二刀流/ショータイム」だった。いちスポーツ選手の活躍が、「全スポーツ」の世界的祭典であり、史上2度目の東京大会であり、しかも我が国が史上最多の40個も金メダルを取ったオリンピック・パラリンピックより流行度が上というのはどうか。大谷翔平の偉業が破格とはいえ、野球のルールすら知らない人も日本にはたくさんいるし、まして地上波でやらないメジャーリーグの中継を全国民が見たはずもないし、大谷がどこのチームに所属しているのか知らない人だって多いだろう。不思議だ。

前回の東京五輪の1964年なら、流行語大賞はこういう五輪がらみのものになったのではないか。

『俺についてこい』『東洋の魔女』『回転レシーブ』『ウルトラ C』・・・

ちなみに野球では、王貞治が55本の本塁打記録を達成した国民的英雄であることは周知だろうが、その偉業も1964年だったことを僕は忘れていた。

不思議の原因は、それほど2021年オリ・パラが国民的には盛り上がらなかったということだ。選手はよくやった。しかし、社会現象として観るなら、事前の世論では五輪反対が6割もあった。元から五輪が嫌いな人がそんなにいるはずもない。ひとえに、コロナ禍のさなかに菅政権、IOCの「大きな力」が働いて強行開催というイメージが醸成されてしまい、「民意が置き去りにされた」という記憶が国民的に残ったことが理由だろう。一方、大谷MVPの盛り上がりは絵に描いたようにその対極だ。一選手、一個人の「小さな力」で「大きな事」を成し遂げた。それがより「すがすがしく」感じられる風景の年であったこともあろう。

僕は本ブログで大反対の論陣を張ったわけだが五輪が嫌いなわけではない。菅さんがコロナ無視の意味不明なごり押しに入ったからだ。当初から彼に批判的だったわけではない。政治主導の「俺についてこい」は結構だし、「自助」は小さな政府を示唆するから、大きな政府による税金バラマキで845億円の事務経費をかけて国民の皆さんに一時の小さな幸せをなんて極限まで馬鹿な政治家よりずっとましだった。しかし、あまりの科学無視(無知)、目に余る意味不明の言葉(呪文)、俺は総理だ国民は黙っとけ的態度(大きな力)に辟易してついていけなくなった。そしてデルタ株の空港検疫ダダ洩れで我が身の危険を察知し、何の罪もない五輪で怒りに達したのである。

本稿は流行語の話を書こうと始めたが、「大きな力」が蜘蛛より嫌いなことが通奏低音であることが書きながら自分でだんだん明らかになってきた。僕は猫科の動物なので支配されるのが耐えられない。先生も上司も権力者も権威者も苦手で、彼らが行使するパワーがそれなのだ。支配されてるように感じないが強制的に徴収された税金がしょうもないものに浪費されている景色も同じ理由で耐え難い。五輪強行はごり押しへの怒りに加えてそれもあった。都民は疫病リスクに晒され、IOCに場所を貸してやり、お前らはテレビで見てろだ。それで余分な税金をむしり取るのはどう好意的に考えようと筋が通らないぼったくりである。国民の多くもそう思ったのだろう、折悪しく五輪後に軌を一にしてデルタ株が東京で5千人という事態に至ったことが政権の命取りになった。それが今や5人だ。台風一過というかウィルスにもて遊ばれてる感すらある。岸田政権のクレジットでも何でもないが、政治にも運はあると思う。

税金というものは100%が「公」(おおやけ)の利益に供されるべきお金である。喩えるならマンション住人から取る「共益費」のようなものだ。それがビルの修繕や廊下の掃除やごみ処理やエレベーターの電気代ではなく、オーナーや一部の特権住人が私的に使い込んでましたなどとなれば厳罰に処されて当然だろう。国民の多数がコロナ医療との見合いで危機感を表明していた五輪は、主催側が「公」と思っているだけでその実はIOCとスポンサーという国民にとっては「私」でしかない者のために「使いこまれた」と感じた人が多くいたということが、アスリートの素晴らしい健闘にも関わらず不相応に盛り上がりを欠いた真の原因だろう。

使い込みでないにせよ国民が「公」と思わないものへの税金投入は、突き詰めれば私有財産を認める日本国では私権の侵害であって、「大きな力」で政府が勝手解釈で説明もなく本当に「公」かどうか不明な使途に投入できる状態は認容すべきでない。なぜなら選挙資金に回しましたという万死に値する犯罪が現実に広島で起きており、あんな巨額のバラマキなのに当初はバレてなかったのだから少額ならやり放題だろうというイメージを国民に持つなという方が無理である。このまま司法が処断せず放置するとますます政治不信となり、投票率が下がり、政治家の質がさらに落ちる。つまり「公の利益」のために取った税金が使途次第で「公の損失」になるという笑えない結末になるのである。

政治家は疑われないためにも「公の利益」を証明する明細書ぐらいは国会で開示した方が今時は身のためだ。疑念だけでも一度ネットに書き込まれてしまうとずっと残るので選挙のたびに蒸し返され、いわば人気商売である政治家にとって一生の足かせになる可能性がある。落選運動なんてものがネットを使えば簡単にできる。知性のない罵詈雑言、毀誉褒貶、誹謗中傷が何百万あろうと国民は無視するし、そうでなければ名誉棄損で訴訟すればいいが、知性の高いインフルエンサーが周到な準備と論旨で巧妙に狙い撃ちすればネット上に電光石火で駆け巡り落選運動は威力を持ち得る。新聞、雑誌の記者はそれはしない。取材できなくなるからだ。しかしネットという記者クラブ外のニュー・メディアが「視聴率」を伸ばしている。youtubeは「大きな力」で制御できるが、書き込みはインターネットを遮断しないと止められない。有能な政治家がそんなことで失脚するのも「公の損失」だ。

「公」「私」といえば、秋篠宮文仁親王が誕生日会見で皇室のそれについて触れられていた。皇族の「私」については難しい。望んでそこに生まれたわけではない。公務をする私人は公務員だが、皇族は公務をするが私人でも国民でも公務員でもない。そのために憲法上の権利がすべては適用されない。税金を払っている国民の思いに寄り添ってというのは皇族の「私」の制限の根拠になるのだろうか。皇室典範のようなものが我が家にだけあったら僕は即座に憲法違反で訴えるが、皇室の方はなぜそう主張されないのだろう。大学の憲法の授業ではわからず、以来しばしば考えてきたが僕にはいまだにわからない。

内親王ご結婚の件での皇嗣であり父親でもあるお立場の相克こそ「公」と「私」のそれだろうと拝察した。時代と共に皇族の「私」も変わるとされたが、それもそう思う。ただ、「私」はそうであっても皇室は日本国の「公」の中の「公」の存在であり、そちらは不変だから象徴としての意味がある。「公」まで世につれ人につれ変わってしまっては何を象徴しているか不明になり、人間宣言された天皇の恣意で国の正義、善悪が決まり政治利用もされかねない。皇嗣殿下は納采の儀等が軽いものという印象を与えてしまったかもしれないと言われたが、儀式は規則上は任意であるとしても、国民の多くはそれを知らず「公」と思っていよう。ということは、それをしなかったということは「公の部分は不変」という皇室のコンセプトも軽いものというメッセージになってしまった可能性がある。それを言われたのだろう。

儀式が税金で行われることを批判する国民はいない。それが伝統への畏敬であり、ひいては皇室へのそれになるのだが、その逆もまた真になり得る方向に国民も変わっていることは、皇室の「私」が変わるのを止められないのと表裏一体かもしれない。誹謗中傷は戦前なら不敬罪だがその法律は消えた。しかし、法の有無以前にそれをして意に介さない発信者、受信者が出現しつつある。ネット書き込み制限を検討するともあったが、事実でないなら宮内庁が名誉棄損で訴えるのが世につれ変わる皇室の「私」の姿でいいと僕は思う。書き込み制限は表現の自由を奪う憲法違反であり「大きな力」にはそれが許されるというなら憲法全部の否定になる。憲法は「大きな力」を縛るための法だからなんのこっちゃになり、では「両性の合意のみに基いて成立」(24条)するから婚姻を認めるとしたのは何だったのかとなるだろう。21条がいらないなら96条の改正手続きになるが、国民の過半数が賛成する可能性はゼロだろう。

ご会見にいちゃもんをつける気はさらさらない。それどころか僕は好きな者同士が結婚するのは一般人だろうが内親王だろうが24条があろうがなかろうが支持するリベラルな人間だ。すでに書いた通り、小室氏が自力で余裕で生計を立てるほど稼ぐ夫になれば雑音は消える。それこそが、皇室の品位と国民の常識にかなった正統な「雑音の消し方」であり、「大きな力」を持ち出して憲法を曲げるような方法を採れば、それを「象徴」と戴く国民の考え方や順法精神もやがて曲がり、昭和、平成の天皇が築き上げられた象徴天皇とは何ぞやという憲法問題に回帰するというトートロジーに陥るだろう。しかし、このことはなにも皇室だけの話でも内親王のご結婚が契機になったのでもなく、権力者が「大きな力」を大手を振って働かせにくくなった世情にすでに萌芽があったと見るのが私見だ。

市民革命を経ていない日本人は「長い物に巻かれやすい」とされてきたが、その傾向を減じている。我が世代には信じ難いほど「個」の欲求、主張が通る社会になりつつあり、確かに欧米人より律義にマスクはしていて従順に見えるがそれは「個」(私、利己)が大事という印であり、自分を守るためには社会と断絶して構わないという印でもある。だからマスクが安倍首相肝いりという「大きな力」で無料配布されても、見れば布製でサイズもみみっちく、ウィルスからの個の防御に役立ちそうもないという恐らく実証的な理由からだろう、見事に誰も使わなかった。総理に忖度の感謝をする気配すら微塵もなく、配布した側は世間一般においてすらの「大きな力」の減衰に対して唖然とするほど鈍感であって、良かれと思った施策が税金の無駄であると怒りや失笑を買って総理の権威を損なうことにすらあいなった。その話題の伝播はネット上でそれこそ電光石火の勢いであったのは記憶に新しい。

この「ネットなるもの」を政治家やメディアは何とかの一つ覚えで「SNS」と呼び、その語彙が包含する「コミュニティ型の会員制サービス」を想起させるものと誤認している様子を覗わせる。現にこうして書いている僕は読み手として何のコミュニティも想定せずネットの大海に向け発信し、分類しようもない読者がどこからどうして来たのかまったく知らないが、とにかく毎日2,3千件のアクセスがある。読み手はアノニマス(anonymous、名無し)で不特定多数だ。僕以上のインフルエンサーはネット上にごまんといる。乗数効果を伴ったネット記事の拡散が制御不能なことは、昨年の大統領選で民主党はトランプの発信元を丸々消し去るという無法者の荒業に頼らなければならなかったことでわかる。「大きな力」はリアル、バーチャルを問わずネットによって支配力を削がれつつあり、コロナによる生活のオンライン依存度増大が更にそれを加速している

政治学的視点で言えば「個」のオートノミー(autonomy、自治権)の増幅は民主国家をよりリベラルな方向に導き、国家権力とのバランスは修正社会主義的な処に均衡点がくる力学が働くだろう。そこに「社会主義市場経済」を標榜する中国との見かけの親和性が発現し、反トランプと中共が大統領選で「どんなイカサマをしても勝とう」と共闘する思想的接点となったと思われる。この共闘はある意味で、国境なき最強の「とても大きな力」であったといえる。しかしその一方で、自国内での「大きな力」による支配力が内部から減衰している民主主義国家としては、共闘して政権を奪取した民主党といえど、万事を「大きな力」だけで動かせてしまう中国という相手に対して同時に底知れぬ恐怖を覚え、必然として敵対するに至っている現状はちっとも矛盾しない。

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オニオングラタンスープと冷凍チャーハン

2021 NOV 29 23:23:40 pm by 東 賢太郎

いつもジョギングして行きついた先の商店街で、ああしまったと思う。喉が渇いたり腹がへったりするのに財布がない。歩数をはかるためスマホを装着する帯みたいなものは買ってもらったが、毎度それで満足して財布に頭が回ってない。

そこで今日は「買い物するぞ」と決めて出走した。ポケットに8千円いれて。

滅多に行かないが、食品売り場が好きである。二子玉川まで食事に行くと高島屋やライズの地下で肉やワインやチーズやケーキをどどっと買ってしまうので家族は警戒している。だが今日は最寄りの鄙びた駅前である。スーパーとマイバスケットしかなく、そうはいかない。そこでオニオングラタンスープと冷凍チャーハンの2点だけ買おうと決めていた。

僕は何事も調査第一だ。50メートルほど離れた両店舗をまずのぞいてみることにした。スーパーは売り場面積はマイバの1.5倍ぐらいだろうか、品目、品数がずっと多い。午後5時過ぎで、女性客が8割だが、ひとりで来ている若い男性も1割、そしてひとり者なのか60過ぎとおぼしき男性も1割はいる。みんな取り分けが速い。毎日のことなんだろうか、バスケットにポンポン入れていく。

気がつくと僕だけバスケットを持ってない。邪魔ねえこの人とぶつかられるし、なにやってんのという感じの目線もある。そうだね、奥様方にとってここは職場なんだ、興味本位で荒らしてはいけないと思いバスケットを持つことにする。すると困ったことがでてきた。スーパーにはオニオングラタンスープと冷凍チャーハンの両品ともあったが、マイバにはスープがない。ところがチャーハンは同じ製品なのに、マイバの方が20円安いことが発覚したのである。

つまり、①両店でレジの列に並んで1品づつ買うか②マイバでチャーハンだけ買うか③スーパーで20円損して両方買うか、という3択になったわけである。皆さんならどうされるだろうか?

まず2回も列に並ぶのは時間のコストが高いから①はない。すると、スープをあきらめるコストと損する20円と比べてどっちが高いかということになる。スープはどうしても今日飲みたいというほど欲求が切羽詰まってない。さらに、同一の工業製品にみすみす何の意味も生産性も投資リターンもないプレミアムを払うのは有価証券を取引する僕の職業においては idiot(ばか、まぬけ)未満なのだ。

ということで選択は②になるはずだったのだが、あにはからんや、僕は③を選択したのだ。つまり、20円捨てて、スーパーで両方買って帰ったのである。

実は、その2品だと5~600円だが、悪い癖が出てあれもこれもになってしまい、どうでもいいものを10品ぐらい余計にバスケットに入れてしまった。スーパーの品ぞろえの誘惑に負けたのだ。刹那的に欲しくなっただけだが、ともあれ望んだ物をたくさん買えたのだからうれしい。その満足感が20円で買えるなら安いと判断したわけである。

そして「5000円ぐらいかな」と重たくなったバスケットをレジにドンと置いて、値段が出ると2964円だ。なんて素晴らしい店だ。この時点で合理的思考は停止し、20円の損など吹っ飛んでいる。レジのおばさんの「袋どうします?」の意味が解らなかったが、ジョギング中なんだ、いるにきまってる。そうか5円とるのか。勉強になった。

ビニールの袋はまるまると太って重い。3、4キロはある。おばさんは持ち手が僕の指にかかるように慎重に丁寧に渡してくれる。なんて日本のサービスは細やかなんだ。細い持ち手が途中で切れないか不安だったが意外に大丈夫だった。

事前の綿密な調査と合理的判断は何の意味もなかった。かくして今日の運動は3.9キロ、歩数は6604歩になった。

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「航海派」の男が減れば国は衰退する

2021 NOV 23 11:11:10 am by 東 賢太郎

いま仕事の不安は何もないのに、森嶌医師の診断によると疲れている。それも体でなく頭(脳)がである。脳は疲れないと教わっていたが先生によるといま直接の害はないが過労状態を放っておくと老化が進むらしい。ということは認知症になるということで、それは恐ろしい。先生が免許を持つドイツ製の診断装置バイオレゾナンスはそこまで数値で出てしまう。ちなみに3年前は「自律神経、免疫のバランスが悪化」と出たら、ちゃんと人生初のインフルエンザにかかった。彼の指示で今回はハーバード大学の作った薬を2週間ごとに3回点滴することにあいなった。

どうして疲れてるかという問いには思いあたることがある。自分の会社を持てば社会的にはフリーランスである。法律を順守して儲かってさえいれば何も怖いものがないし、誰にも何にも気を使うことがないからサラリーマン時代のようなストレスもない。僕が儲かるということは同じものに投資していただいているお客さんもであり、宣伝や営業トークやおべっかも無用である。しかし、世の中はうまくできている。その自由の代償は疲労なのだ。何をしてもいいよという究極の自由は、会社や社員の一刻一刻の命運が自分に100%かかっているということであり、知らぬまに「重いものを背負った男」になってしまっている。週末でも休日でも風呂でぼ~っとしている時でもその重荷は頭のどこかにのしかかって、結果、疲れているのだろう。

それは頭の中で不断に起こっている現象だから死ぬまで逃れることができない。逃れるにはただ休んだり寝たりと受動的なことをいくらしても足りず、なにか自発的に行動して、たとえば無理して走るとか部屋を意味もなく歩き回るとかして意識を拡散させるしか手はない。そうこうしているうち、ある事に気がついた。「利害関係のない人」と「どうでもいい話」をするのがいいと気づいたのだ。しかし、それには高いハードルがあることも知った。利害関係のない人と話す機会というのは意外にないものなのだ。探せばできるというものでもないのである。こういうときは普通ならつべこべいわず居酒屋のカウンターで大将と隣と飲んでだべってとなろう。しかし僕は酒が弱いし盛り上がるような話題もないし、ガンモの注文の順番にうるさいおカミさんも苦手なのだ。

そこで思いおこすものがある。ロンドンは独りになりたい男の居場所がちゃんとあった。シガーバーである。顔なじみだが絶対に話しかけてこないバーテンの前に座ると、目くばせだけでいつものラフロイグのダブルとタンブラーが出てくる。干渉ゼロ。ひとりでぼ~っとできる。パイプも買った(写真)。シガーのいいものは高くて何度もというには懐が寂しかったからだが、といってバーテンがどうこう口出しすることもない。酒さえ2,3杯注文してくれれば「今日もお疲れだね」という無言の優しさみたいな空気が流れるのである。英国の個人主義の象徴だ。何も話さず、頭を空っぽにできる場。社会にここまで個人のスペース、空間を尊重する文化があるから巡り巡って名誉革命が起きたのだと僕は真剣に思っている。

タバコは吸わないが今でも時々これはやる

かたや我が国はというと、男が独り飲む古来からのパブリック・スペースがない。「国家」がなかった以前に「個人」(individual =divideできないもの)という概念すらなかったからそのような場所は需要もなかった。ということは個人の集合である「市民」もなく、従って、百姓一揆はあったが市民革命は起きなかったのだ。大石内蔵助みたいに重たいものを背負ってしまった男が居酒屋で八つぁん熊さんと飲み明かすなんて図はない。といって宿の一人酒は暗くて気が滅入る。そこで出入りしたのが祇園だ。お茶屋は遊郭ではない。大石には討ち入りのカムフラージュ説があるが、昔から気晴らしは花街と相場が決まっているから隠せた。そういう場合、相手が男であれ女であれ胸襟を開いてくつろげない。男は信用できないし女も年をとれば世情も理解して口に戸は立てられない。だから年端もない舞妓が安全で、お好みなら「とらとら」で馬鹿になっても決してみっともなくはないよという京都的大人ルールのもとに時間を過ごして「重たいもの」からひとときの逃避ができる。この文化はそれはそれで奥が深い。

つまり「シガーバーとお茶屋は共通点がある」のだ。ちなみにそういう場所を英語ではセーフ・ヘイヴン(safe haven、安全な逃避地)という。ヘイヴンは港だ。男は時に航海を休んで停泊する必要があり、そこは嵐からも海賊からも絶対に安全でなくてはならない。なにも気取って格好をつけているわけではない、疲れた脳はそうやってクールダウンして休めるに如くはないということを言いたいのである。そんな面倒なことをするなら家でいい、それが家庭というものだろうという人も多そうだ。そうかもしれないが、そうであるならシガーバーはなかった。嫌煙で家を閉め出されたお父さんのためにできたのではない。古来から家族とも離れて独りで、あるいは気のおけない男仲間だけと時を過ごすソーシャルスペースを英国の男は大事にしたのだ。ゴルフ場という空間がまさにそれであり、「クラブ」という法律には書けないが反すると社会的地位を損ないかねないコンセプトができ、「あいつは仲間に入れてやる」という意味あいの重たい言葉である clubbable (club+able)まで生まれたのである。

273年目に初めて女性会員を認めた世界最古のゴルフクラブ、ミュアフィールド

ゴルフ場の女人禁制はここにルーツがある。家庭を避けるのでなく女性を差別するのでもない。男が家でくつろいでいても一銭にもならない。だから稼ぎ場としての社会ができる。するとドメスティックなものを持ちこむことを禁じるべき種々の “社会的” な理由が発生し、古来より男だけの集会場ができたということだ。投資した船が東洋から持ち帰った希少品の丁々発止の取引を行ったコーヒーハウスは起源からしてそうであり、教会、オーケストラもそうだという文化的、宗教的、商慣習的な素地があった。フリーメーソンに英国王室のメンバーはいるがエリザベス女王は入会していない。メーソンは元来が男だけの石工組合だからだが、船乗りにも女性はいない。農作に適さない国土ゆえ航海術を発達させ、ついに命懸けの海戦でスペインを追い払って七つの海を制覇した誇り高き船乗りの国民が「男だけのソーシャルスペース」を容認したのは誠にごもっともなことだと僕は思う。人間には「農耕派」と「航海派」がいる。私見では日本人の99%は農耕派だが、僕自身は完璧なる航海派であり、農耕派的なるものには資質も関心もないからあんまり交じりあえる感じがしない。だから居酒屋は落ち着けず、ドイツ人より英国人とウマが合ったと思うし、英国の政治思想、哲学には抵抗なく馴染めて大きな影響を受けている。

信長は明らかに「航海派」で商業を振興させ非農本主義的であるゆえに多大なシンパシーを覚える。宣教師に地球儀で世界の物理的成り立ちを教わって航海の重要性を理解し、貿易が巨利を生むことを見抜いて明国に接近を図った。先生格だった宣教師を配下として手なずけてもいた政治力においても秀逸な男というしかない。秀吉はそれをまねて失敗してバテレン弾圧に転じ、家康はスペイン、ポルトガルの布教侵略に怯えて禁教に完全に舵を切り、鎖国した。江戸は百万都市になり文化はオーガニックな成熟を遂げたが、科学は進展しなかったため武器、武力は中世のままだった。徳川政権は国内のガバナンス掌握と運営を確固たるものとして戦乱の世を収めた点では見事だったが、能動的な外交の断絶によって科学技術の停滞が約束され、啓蒙思想と産業革命で武器、武力を飛躍的に進化させた西洋の出現の前では “予定調和的に長期衰退する道” に嵌っていたのである。

徳川家は権力永続と子孫繁栄の視点からすれば大成功したのだが、ファミリーのネポティズム(縁故主義)を支配原理とした長期独裁政権が確定したということであり、「航海しなくなった国」としての視点からはグローバルスタンダードから大きく後退してゆくことが政権樹立の時点で約束されたのである。そのツケが19世紀に黒船の砲撃と共に一気に降りかかってくる。英国の最新兵器で武装したゲリラ集団である薩長軍によって徳川家はなすすべなく権力の座から引きずり降ろされた。世界の常識として最高権力者がそうなればまぎれもなく「国が戦争に敗けた」のであるが、格別に “啓蒙” されていた慶喜は降参してゲリラに殺されず生き延び(インテリの彼は英国の名誉革命を知っていたろう)、「藩はあっても日本国という概念はなかった」、「君主は滅びた徳川ではなく万世一系の天皇だったのだ」と議論をすり替え(大政奉還)、無血開城で御一新(維新)による建国だったのだと正統化してできたのが明治政府である。

この政府は非常に頑健な一夜城だった。それを作り得たことが日本人固有の能力だと司馬遼太郎が美化した気持ちは多くの日本人が共有している。しかしそれができた要因としては、青年であった元勲の多くが懐いた高い志と愛国心もあるにはあるが、それはどの国の革命家にも表向きはあるものだ。中核となった薩長藩が自力で欧州まで行く能力を蓄えた「航海派」であったという “即物的事実” こそがその真因だと僕はストレートに考える。開国までの日本は江戸や堺に商業の発展はあったものの全体としては農本主義、重農主義の支配する中世的国家であり、そこに啓蒙思想、産業革命による先進科学で武装した英国、オランダ、米国、フランスが入りこみ、国内の「航海派」であった薩長に武器と民主主義国家の理念を供与して「教唆犯」として徳川幕府をひっくり返した。中国がタリバンを支援してアフガニスタンのガニー政権をひっくり返し駐留米軍を追い出したという説が真相であるなら、彼らは明治維新での英国の役を演じたことになる。

富国強兵の過程での我が国の叡智、活力は世界史上でも特筆されると思う。北アフリカの肥沃な農業地帯に海洋民族フェニキア人がカルタゴを建国し海洋商業国家として出現したそれを思わせるほどだ。しかし時は産業革命期だ、鎖国で3世紀も航海をサボったことで生じていた近代科学への「知見」の遅れは一夜漬けでは回復できず、第二次大戦でついにそのギャップに決定的に屈した。これがおおまかな僕の歴史観だ。「知見」とは即物的な知識・技術だけではなく思想を含むことが極めて重要である。卓越した技術によって大和や零戦は作れたが、ベースとなる「科学的な思想」に欠けた。だから核爆弾ではなく情報インテリジェンスで負けたのである。この欠落は今も続く。算数もできない大半の大学生が社会を動かし有権者の多数を占める。その事実も震撼すべきだが、「それでいいのだ」、「世の中理屈だけじゃない」と信じこんでいる空気は徳川時代さながらだ。敗戦を認めないどころか何も学んでいない。だから、他山の石から学んで対極を行く科学重視国家の中国に予定調和的に追い越され、その原因は「人口が多いから」と非科学的に信じているのである。

政治家の無学、超小物ぶりを目にするまでもなく、この病につける薬はないというのが我が結論だ。徳川が260年も支配して手塩にかけて作り上げた99%の国民のメンタリティーは変えようにも変わるはずがないし、1%は外国に移住するか99%に同化してつまらない人生を送るしかない。信長が生きていたらという仮定はとても魅力がある。自由な航海により情報収集に長けて交易で栄え、戦争はあったろうがそれゆえにも科学は西洋に遅れなかったろうし、一向宗を弾圧し叡山を焼き討ちしたのだからキリスト教にアレルギーもなく、明国との交渉への橋頭保として利用した可能性すらある。自分がこの世にいたかどうか危ういほど日本は別な国だったろうが、そんなスケールの空想を許す男は日本史上他に一人もいない。

「航海派」の男が減れば国は衰退するのである。

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小室さんの不合格と甘利幹事長の落選

2021 NOV 2 8:08:31 am by 東 賢太郎

2つびっくりした。小室さんの不合格と甘利幹事長の落選だ。まず前者。別に落ちてもまた受ければいいし、それしかないということだろう。米国はディール社会である。政治は効くがカネになる場合のみだ。義理人情、忖度という日本的な動機は日本人用の営業上のお飾りとしてはあるように見せかけはするが実はなく、原理は厳然としたディールだから換金性があるか否かでしかない。何が色々あろうとも、とどのつまりは年収は小室さんの知能と実力に収束する。

次。本人は前回はダブルスコアで勝ったのに今回は落選キャンペーンをされたという。その是非は全く興味ないが、幹事長が落ちたら自民党は誠にみっともないわけで、そんなことは屁でもないアンチがたくさんいたという点は注視している。全国では自民は単独過半数で圧勝だから矛盾している。つまりこの落選は、浮動票が動き、アンチ自民よりアンチ政治とカネだった可能性が高い。

それは非常に良い傾向である。投票率は下から史上3番目で残念だが、心ある有権者がアンチ政治とカネ、アンチ税金無駄使いに振れつつあるのは地域にはよるがある程度は全国的傾向だろう。その足かせが幹事長の首まで取られるほど大きかったにもかかわらず自民が議席の少しの減少ですみ、大きな追い風をもらった野党共闘が立民、共産とも党としてみると増えるどころか減少したのは、共闘が失敗だったという意味にしか解釈のしようがないように思う。

つまり、政策がわけのわからん共闘に政権を任すなどあり得ないが、自民の目に余るやり放題、説明不足、政治とカネ、税金無駄使いにはお灸を据えておきたい。傘を持って投票所に行った多くの無党派層(僕もだが)はそんなところだったのではないだろうか。とすると自公で何とか過半数という苦戦を予想していたがそうでなかった。「共闘がわけがわからん」という負のイメージが思った以上に足を引っ張ったのだろう。

野党票が多めに流れたのが維新だったが、理解不能である。橋下は首長を取って実績上げて国政にというが大阪は東京人には死んでもあり得ない横山ノックを選ぶ特殊な地盤だ。北海道や九州の人まで阪神ファンになれというようなもので、悪いが無理だろう。つまり、そこに野党に向かうべきアンチ自民の浮動票が流れてしまったというのは小沢、辻本まで落選させるほど立民に人気がなかったということになる。

枝野代表は頭がいいのか悪いのか知らないが、明らかにドグマティックに見える。世界のヘゲモニーの行方が米か中か、やってる当人たちすらわからない時代に彼のこだわりのドグマが正しいと信じなくてはいけない理由がどこにあるのか不明だ。前回の民主党政権の失敗は経験が足りなかった、今はそれがあるというが、何回経験しても失敗する人はたくさんいるのだ。

岸田総理については、会ったことのある人は異口同音に「いい人」「しゃべらずにきく人」という。全員野球は大変結構だが新経済対策は未知数だ。政府が新たな成長戦略って、何度も書いたがそんなのは役人の小理屈でのっけから無理。その証拠に30年間もそれが出来てないのは株価推移を見れば厳然たる事実であって、その間の役人が特段に不出来だったわけでもない。それを政権がかわったぐらいで出来るなら、総理の首を毎年すげかえれば日本は高度成長できるだろう。

私見では「いい人」「しゃべらずにきく人」はドグマティックの正反対で、時代にはあっている。今の世界の潮流は不確実性が支配しており、べき論よりベター論の人の方が失敗する確率は低く、生存率は高そうだ。菅前総理は完全にべき論の人で、生存率の低いメソドロジーの政治家だったわけだ。

そもそも何が成長するかなんて、人生をかけてやってる起業家本人も知らないし、国ならわかるという話でも何でもない。GAFAのどれが国営企業か考えれば自明だ。国にできるのは起業家の自由度を高め、必要なカネをつけてやるぐらいだが、後者は市場で調達すればいいし(それが健全)、前者は、逆に国が余計な口出しをしないことこそベストな成長戦略ということなのである。

我々がそれこそ人生をかけてやっている仕事がそれであるが、テクノロジーや企業や業界の成長が予見できるのなら株式に投資すれば百戦百勝になる。そんな人は世界に一人もいないのが現実の世の中で、我々が努力と知力の限りを尽くしても絶対大丈夫なんてことはない。それを「私はできます」って軽いタッチで選挙演説で言われても、こいつアホじゃないかとしか見えないのである。

しかし、もうひとつ厳然たる事実があることを書いておく。それが実現するかどうかはともかく、一国の為政者で何十兆円の予算を動かせる岸田総理の経済政策に「なるほど」と思えば世界の投資家は日本株を買うということだ。それを僕は業として40年やって知っている、もしそうなら日経平均が上がる。業績は変わってないのだからPERだけ上がる。15倍ぐらいだが、これが上がれば評価されたと堂々と表明して文句はない。

まだ未知数だが、その状態においてプラス評価のない政策などそもそもやらない方がいい。その評価として自由市場で決まる株価というものは、総理の仕事のクオリティを計る指標としてある程度の客観性がある。良いと思えば1万円単位で買える株を買えばいいし、何も考えない、リスクも取らないでトリクルダウンを口をあけて待っていても、国家財政は何党が政権を取ろうと同じ財布なのだからそこまで面倒など見られるはずもないのである。

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小室眞子さん、小室圭さんの会見

2021 OCT 28 8:08:58 am by 東 賢太郎

26日のこと、青山通りを車が赤坂見附へ下ると、豊川稲荷の脇に報道陣と思しき山のようなひと群れが目に入った。物々しく殺気立った様子で、全部が弾正坂のほうをむいてこちらに尻を向けている。「なんだあれは?」とききながら、ああそうかと合点した。午前10時ぐらいだ、いよいよ眞子さんご出発なんだな。

それにしても、こんなに争って報道すべきことなんだろうか?昨日のテレビなどこれ一色だ。数年ああだこうだとやってきたが、日本国民にとって一番大事なのはどういう形であれ皇室の尊厳を守ること。そのためにしっかりと生きて行けるかどうかは出ていく二人の大問題で、国民がああだこうだ言っても始まらない。

いろいろ言われていることは本人の話でない。解決して親を助ければいい。母親を守る。これは息子としての正義だ。逆タマの七光りだというが、親の票田・コネで選挙でズルして飯食ってる国会議員が与野党問わずいくらもいるじゃないか。だったら国民はちゃんと選挙に行ってそいつらも落とすべきだ。

記者会見。小室さんは「愛してます」まで宣言した。もう抜き差しならない。眞子さんを守る、ひいては国の名誉を守るという重責を自ら背負って立ったわけである。緊張したと思うが、堂々ときりぬけたのはいい度胸である。30才であれだけできるのはそうはいない、なかなかの男じゃないか。

小室さん、解決は簡単だ。ニューヨークで弁護士であれ何であれ死ぬ気で働いて、自力で年収1億円になっちまうこと。保証する。誰も何も言わなくなるよ。

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