どうして証券会社に入ったの?(その1)
2014 NOV 20 0:00:05 am by 東 賢太郎
<入社のいきさつの巻>
それは的を得た質問です。どうして証券会社に入ったか?娘に聞かれてこまりました。実のところ別にどうしてというほどのものはなかったのです。勤め人になるのがいやだったし、役所や銀行は向いてないし、できれば好き勝手出来る自営業がいいなというぐらいで何の切迫感もない学生でした。最後の夏休みはアメリカで1か月遊び回っていて業界や企業の研究やら情報収集など皆無。いきあたりばったりでご縁があれば程度の感覚でした。
でも親父も勤め人だし、資産もないし2年も遊んでるし仕方ないな。そういうことで10月からいくつか会社を回って、なんとなく波長が合うと思ったのが船会社と証券会社の2つでした。そうして、誰に習ったわけでもないのに株に興味があった僕はその証券会社で話を聞いているうちにむくむくとこれだ!と思ったのです。それがなければ真摯にお誘い下さったもう一つの名門会社のほうに入っていたでしょう。しかし、僕はその時、こう固く決意したのです。
証券会社に入社すれば世界の最先端情報があるらしい。よし、株を買うぞ!
それは雨の日でした。「東くん、証券マンは株は買えませんよ」。人事部の課長さんがあっさり言ったのは入社を決めたあとでした。買えないどころか、「それが商品ですから情報管理は厳しいですよ。家族にもしゃべれません」。ええっ、そうだったんですか?・・・これぞあとの祭りでございました。何の事前勉強もしてなかったですからね、入った理由?役員面接でしゃべった志望動機は何だったか忘れました。
ほかの学生さんはどうかな。耳学問のすごい人がたくさんいました。でも経験はないわけだから上っ面のセールストークだろと思ってきいてました。実は貴社の受付の子があまりに好みのタイプなんでとはいえないしですしね。ただ、僕はほんとうに株が買えると思いこんでましたから、周りの学生よりは目が輝いていたんです、たぶん。ここにまた男の子のカン違いの効用が出るんです。内定はすぐいただきました。
しかしそこからが大変でした。いかん、単位が危ない。26の専門科目をパスする必要があります。設問はすべて司法試験レベルの論述。付け焼き刃でどうこうなるものではありません。夏まで遊んだツケ(夏も遊びましたが)は覚悟していましたが、期末の過密な試験日程を見た瞬間に血の気が引きました。これじゃあ一夜漬けができないじゃないか!一夜漬けは自称名人級でありノートを貸してくれたやつより点が良かったりするので、まあなんとかなるさと悠然と構えていたのですがこれは想定外でした。
「二日連続徹夜」という人体の限界への挑戦をしたのは後にも先にもこのときだけです。非常に現実的に、死にそうでした。朝は目覚ましが止まるまで鳴っても気づかず友達が起こしてくれて九死に一生という日もあり、買ってあったスビャトスラフ・リヒテルのリサイタルは這うようにして行くには行ったのですが始めから終わりまで爆睡で記憶なし。後ろの人のブラボーで目が覚めて拍手だけして帰ってきました。
この試験のことは今でも夢に見ます。ストーリーは変わっていてもっと悲惨で、落第して退学処分になってもういちど入試を受けなおすのですが、それがまた落ちるんです。日本史なんてもう忘れちゃったよまいったな、世の中にはもう5年ぐらい遅れてるし俺ってなにやってんだっけ?で目が覚めます。ああ夢でよかった、ほんとにそうなって不思議でなかったと冷や汗がでます。
ついに首の皮一枚で単位はなんとかなりました。中身はすぐ忘れましたがここで磨きぬいた一夜漬けの技は後に米国留学で活きました。毎日500ページもペーパーを読まされると全員が常に一夜漬け状態ですからね、こっちは強いのです。ともあれこのときはやれやれ卒業できたと嬉しくて、八方尾根にスキーに行って飛ばしすぎ、転んでろっ骨を折りました。会社に言ったらまずいだろうと黙っていたら、タイトルは何でしたかNHKのTV番組に「新人クン」として出されました。アナウンサーに質問されても胸が痛く、やっとこさ小声が出ましたが幸い骨折はバレませんでした。
こうして4月、いよいよ大阪の地で証券マン生活に突入となったのです。
男の子のカン違いの効用 (4)
2014 NOV 13 2:02:30 am by 東 賢太郎
女性の時代がやって来る。男はどうすればいいのでしょう?
そんな時代が来ようが来まいが、もしも生物の存在が子孫を残して種を繁栄させることだけを目的としているなら、卵や子を産むことでストレートにその役目を負っているメスが主役なのはそもそもが自然です。
「女王」がいるハチやアリを見れば、主役はメスでオスはおまけ的存在であることは明白です。クモやカマキリは交尾後にメスに食われてタンパク源になります。鳥は孔雀など羽が美しいのはオスで、「美男コンテスト」で相手を選ぶのはメスです。猛獣だって、ライオンのオスは成長すると母親の群れを追い出され他の群れでメスに気に入ってもらわないと群れを作れないのです。
ゴリラ、チンパンジーという高等な哺乳類あたりになるとオスのほうが体も大きく、群れのボスに君臨して優位なように見えてきます。その延長に人間が来るように思えるのです。ところが、ひょっとするとそれは社会的に優位なだけであって、女の方が長寿なのは万国共通ですから生物学的に見ればやっぱり「男はおまけ」という基本原理から抜け出していないんじゃないかとも思ってしまいます。社会は変化しますが生物の原則のほうがずっと根強くて変わらないかもしれないのです。
どうしてサルやゴリラに女王がいないのか?これは面白いテーマです。種の保存に適していないからというのが答えとすると、どうしてそうなのか?高等な知能をもつ動物ほどオスの方が体が大きくなりハーレムができ、優秀なオスをメスが選ぶのではなくオスがパワーでたくさんのメスを得るようになる。そのパワーが物理的な力であるところから知力になるところで、「群れ」は「社会」と呼ばれるものに格上げになります。
だからオスが社会的に優位であることはおそらく高等な知能の裏返しなのですが、それは生物としての種の保存に適するというオス・メス両者の共同戦略なのであって、別にオスの方が優秀だからというわけではないと考えられます。それなのに女性に姓がなかったり参政権がなかったりというのはオスのカン違いの産物であり、社会というものがまだまだ進化途上にあった名残りなのではないでしょうか。
僕はまだ日本が男尊女卑の風潮であった時代に生まれ育ちその影響を受けてきましたが、最近はそれは充分に高等になりきっていないオスのカン違いにすぎないだろうと思うようになっています。そういうオスが減ってくるにつれ、そのカン違いを見越した「どうせ私は・・」なんてメスの引き技も減ってきた。演歌がはやらなくなった時代背景はそういう事ではないかと考えています。
最近、こういうことがおきています。
高崎山自然動物園の猿山ではベンツがボス猿として君臨していたが死亡認定され、新たにゾロメがボス猿に認定された。そんな中、ミルサーというメス猿が頭角を現している。猿の群れの序列はオスのみの修正とみられてきたが、メスのミルサーはボス猿のゾロメに毛づくろいをすることで地位を上げているという。群れのナンバー2であるオオムギにも毛づくろいをし、ナンバー3のカンサーにもハグをするなどしている。地位の高いオスに愛嬌をふりまき味方にすることで、自らの地位を確保している(テレビ朝日)
ミルサーは下位のオスに攻撃されると自分が籠絡している上位のオスを大声で呼んで撃退させるそうです。いやあ、どっかの国の政界や科学界のみならず各界においてこれは日常茶飯事と化しつつあるでしょう。
サラリーマン界においては、これは古来より「ヒトタラシ」「ヨイショ」「ヒラメ」「ジジゴロシ」等と多様な名称で呼ばれる出世の技法としてすでに確立しています。問題はそれを女性が身につけてきているということ、そして本気でやれば女性の方がずっと上手だろうということなのです。
これを「女が強くなった」と見るのは間違いです。終戦直後だって女性と靴下は強くなったと男は嘆いていましたから。こういうメスが出るのも「種の保存に適するというオス・メス両者の共同戦略」の結末でしょう。メスが変わったのではなく変わったのは社会の方であり、社会そのものが変質しているのだとするのが本稿での僕の立場です。
つまり、世界のメス猿が一斉にそう進化しているのではなく、天才サラリーマンのメスが突然変異や食べ物のせいでポンと現れたのでもなく、高崎山自然動物園の猿山という「閉じた社会」において長年のサル同士のつきあいの蓄積から何かそういうメスが出やすいような要因が働いているのではないかと感じます。社会の変質ということです。
社会の変質となればそれは世の中の波です。それに飲まれればたたでさえ弱い男は負けてしまう。それに警鐘を鳴らしておこうということです。
警鐘?例えばこういうことが起きています。精子数の減少という切実な問題です。ネットで調べると「2013年のフランスの最新報告では、15万人について1989年から17年間のデータを解析したところ、精子数が毎年1.9%減少していた」とありました。環境ホルモン、遺伝子組み換え食物など原因はともかく、ただでさえ弱い男は生物としてさらに弱くなっているかもしれません。
ところが男の退化に対して社会の進化は怒涛のように押し寄せ、とどまるところを知りません。世界の政治、経済、軍事のトップに君臨するのは当面のところ米国ですが、その米国の次の大統領は女性になる可能性が高そうに思います。それは名実ともに女性が世界を動かし、支配するということに他なりません。
安倍首相が女性閣僚を登用するのは私見ではその流れを敏感に察知したものだし、長期政権を前提に小渕さんあたりを後継に据えようという深謀があったのだという人もいます。ロシアのプーチンも31歳の元新体操の五輪金メダリストを要職につけ後継候補にするのではないかという話が聞こえます。
いよいよ、人類も 『女王蜂』 に支配される時代が来ているようです。
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男の子のカン違いの効用 (1)
2014 NOV 10 11:11:55 am by 東 賢太郎
カープファンというのは最近でこそ各地に増えていますが、僕が小学校2年生だった昭和38年、東京都生まれの小学生界においてそれを宣言するのがどれだけ「はぐれもの」であったかは皆様の想像を絶するものがあるでしょう。
クラスはもちろん巨人ファンばかりだから当然仲間外れになるわけです。広島に血縁地縁があるわけでもなく、たんなるモノ好きとしては「コストの高い」ことでした。以来51年、僕のカープ愛は周囲に知れわたって今に至っております。
そのころの僕といったら体は女の子より小さく気もケンカも弱く、九九の覚えは悪く勉強ができたという記憶もなく、そんなにつっぱれるほどのものは何もありませんでした。もう少し空気を読んで生きればよかったもんですが、いじめられようが何しようが「自分の好きなものに忠実」というのは三つ子の魂だったようです。
どうしてそういうことになったかというと、バットの持ち方から教えてくれた近所のお兄ちゃんがいて野球に目覚めていたからです。それが広島の選手の応援になりました。そうこうするうち家の前の多摩川で毎日石投げをした成果か、5、6年生時分になると近所の子は僕の投げる球が打てなくなりました。当時は誰もがリトルでやる時代ではなく草野球でしたが後ろで観ていた大人から、こういうとこからよく甲子園に行くんだという話し声がちらっと聞こえたりして、今も覚えているんですからよほど舞い上がったにちがいありません。
何をやっても普通の子だった僕にそうやって唯一の「取り得」ができました。高校野球をやって井の中の蛙だったと気づくまで俺は凄いと「大いなるカン違いの数年間」があったのです。今となると微笑ましいものですが、勉強もケンカも運動も大したことない男の子にとってそういうカン違いはあったほうがいい、ドンキホーテでもいいと思います。
その効用は社会人なってから出ました。出だしは営業職ですからよく人前であがらない方法として手のひらに人の字を書いて呑み込めとか、偉い人と会うときは相手が赤いパンツをはいてると思ってみろ、笑っちゃうだろなんて新人に気を落ち着かせる「おまじない」を先輩からいろいろ教わりました。
どうしても人前でしゃべるのが不得意であったのですが、ある日、強い味方があることに気がつきました。赤パンは不要だったのです。「この人は絶対に俺の球を打てないな、三球三振だな」と思う、これでおしまい。相手が大統領だろうが首相だろうがおんなじ。カン違い時代の気持ちに戻る。するとあがるどころか魔法にかかったように精神的優位にたててしまう。いや、これにどれだけ救われたことか。
男というのは社会で何かしらでつっぱって生きる必要があります。特に交渉ごとや会議やプレゼンは相手に気持ちで押されたり自信をなくして気後れすると即負けです。そういう時に何が役に立つだろう?家柄、人脈、学歴、容貌、度胸、話術?せちがらい話ですが、社会にはそういうものを総動員した男の戦いというものが厳然と在ります。それがある人はいいが、ないならどうしたらいいだろう?
自分の場合なにもなし。学歴に関しては、僕の場合試験は落ちた回数の方が多くて最後の最後に頑張って運があった、それだけ。自分でそう思っているので自信なんかないのと一緒なのです。一番大事なことなのでしっかり書きますが、傍がどう見るかと自分が自信を持てるかはまったく別です。
勉強は嫌いでしたしほめられたこともありませんが野球は何回も大人にほめられ感心された。だから少年の心の中の重みとして比べものにもなりません。その自信も実は大いなるカン違いなのですが、大学受験や人生諸々で壁にぶつかったり失敗して落ち込んだ時は野球のボールを右手で握って寝てました。その感触が無意識に絶対の自信を、俺は大丈夫、負けないぞという確信をくれるのは不思議なほどでした。
それがどんな些細なものでも何であってもいい、とにかく男の子はこれなら負けんというものがあったほうがいいと思います。親御さんはそうなるように見守ってやったほうがいいでしょう。それはその子によってちがいますから押しつけても仕方ないし助けてやることもできませんが、どうせカン違い半分ですから大きくカン違いした方がいいですね。
クラーク博士の Boys, be ambitious. はそういう事だと僕は解釈しています。だからこそ彼は「金や利己心や名声のためならず」と「カン違い」のタガが外れないように、それに続く文言で注釈してます。これを日本的に慎ましく「大志をいだけ」と訳すと意味が分からない。狙いが何であれ ambitiousはまぎれもなく「野心、野望のある」という意味です。
野心はカン違いの自信の代名詞です。「どう考えても無理でしょ」、というのを狙うから野心であって、実力なりに手に入りそうな物を狙うのは「目標」かせいぜいがんばって「夢」です。でも博士は Have a dream. とは言ってない。そんな程度のことは誰でもやるわけで、いちいち偉い先生が訓辞をたれることでもありますまい。
昨年の5月にこういうブログを書きました。若者の欲望が日本を救う 1年半後の今も何ら変わらずそう思います。若者は欲望をたぎられせて、野心、野望を持ってほしい。ここは博士にさからいますが金や利己心や名声の何がいかんのでしょう。それと無縁なものは野心とは言わんでしょう。
今回「女の子」と本稿のタイトルに入れなかったのは博士に習ったわけではなく、実は女の子はちょっと有利だと思っているからです。自分とは別種の生物である親父をぬく必要が必ずしもないからです。男の子は他の男に勝つ前に、自信を持つためにまず自力で親父をぬかなくちゃいけません。フロイトのいうエディプスコンプレックスの克服です。ところが今の世はこれが大変なんです。
これは日本国民全体の課題であります。なぜなら今の2、30代の男性の親父は大なり小なり高度成長期の余熱の恩恵で成功体験をもっている世代だからです。自分の力かどうかは棚に上げて、ともかく、俺は昔こんなすごいことをやったんだと思い込んでいる。かくいう僕もその一人です。この世代間のハンディキャップは親父クライシスといってもいい。それをデフレの経済氷河期に育った彼らが実績で凌駕するのは並大抵のことではないでしょう。男の子が自信を持ちにくい時代なのです。
だからどんな些細なことでもよく、自己満足で構わない。僕はキャッチボールしていて本気で投げたら親父が危ないと思ったことがあって、手加減するようになった。その瞬間に無事それをクリアしました。だから野球が自信の源になったのかもしれませんが、そんな程度のことでいいのです。
でもそれが小学生の時だから手ごたえが重かった。それに比べて受験勉強やクラシック音楽はずっとあとになって来たものであって、僕の感覚ではそんなのは付け焼刃のインチキなんです。自分の本当の素質と思わないのでその自信で生きていくにはいかにも脆弱に思えました。
普通の人は最高学府といわれるところを出ればそれに頼って生きようと思うだろうし、それに自信も持つでしょう。しかし僕はそういう人間にはなれません。一井の野球少年のままなのは、いかにそれ以外に何もなくそれが取り得なことに頼って生きてきたかという裏返しです。
子供なりに速い球が投げられた自信と喜びというのは野球ではたいして助けになりませんでしたが、結局は僕の人格を決めましたし、その後の人生を支える最強の武器になりました。それを使って普通じゃない経験を自らの力で掘り起こすことができました。
それが学歴や学校で教わる知識や学問ではなかったということは、いくら強調しても足りないと感じます。それで人生が決まるわけではないのです。あなたはどういう人ですかと問われれば、そういう人ですと答えるのが一番ぴったりです。東京生まれ東京育ちの僕が51年もカープファン一筋であることはそれの象徴であるように思えます。
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Why not ? のすすめ
2014 OCT 25 10:10:27 am by 東 賢太郎
アメリカ人にビールやワインをついであげるとき、
Say when.
というと「そこでストップって言ってね」という意味になります。Say when you want me to stop. ということです。
そこでオッケーのところまでくると、That’s fine. もありますが、
When.
の人もいる。なんか妙ですが、whenと言えと命令されたので従っているわけです。英語人の思考回路というのは大変に面白いと思います。
先日、アメリカ人の元同僚と話した時に、ちょっとしたことを頼みました。すると、
Why not?
とくる。notにアクセントが来て語尾は下がる。ワイナァットとナァを強めにいえばいいですね。「どうしてだめなの?」という意味です。君の頼みを私が断るだろうと君が思っている根拠が仮にあるならば言ってみなさい、ということです。字義通りそう書くとケンカを売ってるみたいですがそうじゃなくて、「なんかだめな理由でもあるの?OKに決まってるじゃん」という感じ、一言に集約すれば 「いいとも!」ですね。
単にイエスやOKじゃない、もっと積極的にそれをやろうじゃないか、むしろやりたいですよぐらいのニュアンスがビシッと端的に伝わってくる。それも生返事じゃなくて、一度相手の依頼に応えられるかどうか自分で瞬時に考えてみて、できない理由はないと判断したが何か気がついてないことがありましたっけ?と形だけききかえしてる。頭の回転の速さ、即断力を相手に印象づけることになるのです。
もうひとつ、「僕がNoをいう人間に見えるかい?」というニュアンスがあります。僕はキミの頼みなら90%はイエスだ、10%はよっぽど都合が悪いときだけだろ、で、今回は何の悪い都合があるの?という感じがする。だから君のことを大事に思ってるよという意味合いが出るのです。
この Why not? は前向きな人間関係の構築やメンテナンスに大きな効果があるのです。言われればいい奴だなと感じますし、何ごともpositiveにとる前向きな人間だというイメージになります。アメリカ社会ではそれは重要なことでしょう。
日本語でそれを伝えるのは難しいですが、すぐできそうなことなら「もちろんです、喜んで」、やや難し目なら「やってみます」が近いでしょう。やってみます、は決意表明だから即断力を感じます。しかし、英語だと I’ll try it. ですが try ですからできない可能性も含んでいる。それでも挑んでみたいということだから何ごともpositiveにとる前向きな人間だというイメージは確実に伝わります。頼んだ方も、難しいんだな、できなくても仕方ないな、苦労してたら助けてやろうかなという気持ちになりますからプラスです。
ところがきく話だと、頼んだ上司がそういう気持ちにならない会社、つまり部下は使い倒すだけでそこに人間的な感情や痛みをもたないことという文化の会社があるようです。例えば非正規雇用だとそうなるとか。そういう人間を僕は「爬虫類」と呼んでいます。爬虫類はどこにもいますし、上司は選べませんが、会社全体が爬虫類的である場合、一般にブラック企業と呼ばれる傾向がある会社の可能性があります。
もしあなたが本稿を読まれて、僕が書いたWhy not?や「やってみます」になるほどと共感できる感性がある方なら、あなたは人間関係を前向きに進展させる良いものをお持ちです。まちがいありません。そういう会社への就職は避けられた方がいい。入ってしまったなら辞めるというのも選択肢です。あなたの良さを認めてくれる組織にいたほうが人生幸せになると思います。
その裏返しになりますが、経営者が部下に何かチャレンジさせてほしいと訴えられた時はどうでしょう。有名なのが松下幸之助の「やってみなはれ」です。これはけっこうWhy not? に近いニュアンスを感じます。しかも経営者の言葉ですから大きな迫力があります。字義的 には Try it! であり、 try なのですからできない可能性も含んでいる。そのリスクは経営者にあるのです。この言葉は部下を燃えたたせpositiveにしたことでしょう。頼んだ方も、経営者が難しい決断をしたんだな、失敗は許されないぞ、という気持ちになりますからプラスです。そうなれば会社はしめたものです。
ところがそうは問屋がおろしません。世の中うまくしたもので、部下にも爬虫類がいるのです。上司にリスクを押し付けながらうまくやる奴が。殿の仰せの通り!と言っておいてうまくいったら自分がやりました、失敗したら人のせいにして巧みに逃げる。どこの会社もこれだけで飯を食ってるサラリーマンの達人みたいなのがいます。
何ごともpositiveにとる前向きな経営者だというイメージは部下を常に勇気づけますが両刃の剣でもあります。自分で考え、結果責任を進んでとる有能な部下が育つ反面、爬虫類も増えます。だから冷徹な目で爬虫類は切らなくてはいけない。そういう企業は伸びます。松下幸之助はそういう方だったようです。
以上、何か頼まれた時に返すたった一言のお話です。そこに文化が投影されますし、人間性がにじみ出ますし、人をやる気にさせたりやる気を喪失させたり、会社ですとけっこう怖い人事評価にまでつながってくる可能性すらあります。人の印象や会社や仲間内、世間様での評価に大きく影響しているのは、自分で意識して作っているイメージよりもそういうちょっとしたことだと僕は思っています。
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僕の唯一の迷信
2014 SEP 13 0:00:29 am by 東 賢太郎
特に迷信深いことはないが、ひとつだけある。メガネを壊すかなくすことだ。そうすると必ず仕事で何か起きる。良いのも悪いのもあった。過去に3回あり、3回ともすぐに普通でない大きな変化があった。一度はロンドンで、一度は北京で、オフィスで神隠しの様に消えた。金縁でもない使い古しのメガネを誰が盗むものか。そう言ってみんなで探し回ったが、ない。一度は伊豆の温泉で、理由もなく壊れた。
そして去る8月21日、また壊れた。古かったからかもしれないが気味が悪いのでそれ以来かけておらず、かけるつもりもない。ミクロネシアへは別なのを携帯した。
そうしたら、帰りのグアムのホテルで、心待ちにしていたメールがついに来た。吉報だが、まだ安心とまではいかない。本当なら興奮ものだ。今回はこれが「それ」なのか?
そうしたら翌日の午後にホテルがゆれた。地震?ここはグアムだ、まさかと思ったが、ネットで調べたらまちがいなくM4.8だった。
こうも色々あるとかなり気味が悪くなっていて、翌日昼の帰国フライトはいつになく緊張した。ただでさえ高所・閉所恐怖症+パニック障害で、椅子に縛られるのは床屋ですら耐えられない。だから窓側席は危険だが、通路席が東京では予約できていない。なんとか取れ、ワインで爆睡して事なきを得たが、飛行機はほんとうにいやだ。あのメールの通りになるなら、今来月はまた海外出張、また飛行機だ!こまったものだ。
お知らせ
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米国放浪記あとがき-若者に贈る僕の三原則-
2014 SEP 4 0:00:20 am by 東 賢太郎
米国放浪記を書きながら、あの激動の23日間を再び辿れたのはなにより新鮮でエキサイティングな体験でした。まるでタイムマシンでもう一度あの旅に出かけたようで、先の結末はわかってるのにワクワクしてしまうのに驚きました。ブログを途中から読んだ人から 「アメリカに行ってたんですね」 と電話があり、いや実はということになりましたが、そういいながらまるで先週ロサンゼルスから帰ってきたみたいに興奮しているのですから妙なものです。
今回ほど日記というものの威力を思い知ったことはありません。もちろん旅の記録として写真もいいのですが、もしあそこに写真があったら電話の主もそうは思わなかったでしょうし、僕自身も文章をすべて「過去形」で書くことになっていました。それは37年も前の日記を書き写すだけの退屈な作業になり、1回のブログで終わったと思います。しかし書くうちに、不思議なことに記憶がどんどん蘇ってきて写真に頼る必要が全くなくなってしまったのです。
皆さんに37年前のグランドキャニオンや記念写真をお見せしても意味がないということもありますが、それ以上に、それを「過去形」にしてしまうのが僕の中で無理になりました。あたかも第九交響曲を、もうなん百回も聴いているのに昨日聴いて再び感動しているようなものです。そんなときに、中学時代に初めて聴いたときの感想を、それはそれで大きなものではあったのですが、書いてみようというのはかえって難しいものです。
あの旅は僕の中で第九と一緒で37年間ずっと鳴り続けてきたものだったのです。だから22歳だった僕の人格や人間としての骨格形成に関与してきたに相違なく、人生で最もインパクトのある旅行だったと思います。あれ以来、気が遠くなるほどたくさんの旅行をしましたが、あれほど毎日のことを細かく生き生きと覚えている旅はないのです。可愛い子に旅をさせてくれた両親に感謝の言葉しかありません。
ただ記憶の有無でいえば、残っているのは強烈に印象に残る情景やイヴェントが多くあったからで、そうでない部分は37年の歳月なりに記憶がきれいに消去されています。日記に書いているのに記憶がぜんぜんないというのもあります。空想は書きたくなかったのでこれはけっこう苦労しました。でも、ないものはいくら頑張っても出てこない。そこだけぽっかり空いたホラ穴みたいに忘却の暗闇に飲み込まれているのです。
そこで悟ったことは、つまり、思い出せない部分はもはや 「なかったこと」 になるということです。ブログに書けないんですから、もう存在しないんです。写真があればいい?違います。同じことです。アルバムに貼ったスナップ写真を見たって、それは撮った瞬間の景色にすぎません。そこで笑っている僕が友達と何を話し、何を考え、何が可笑しかったりやりたかったりしたのかは10年もたてば大概わかりません。写真や動画をたくさん撮って安心するのはかえってホラ穴に飲み込まれる危険があるのです。
そう気がついて僕はあの旅行、1977年の8月のことですが、その前後の7月と9月に何をしていたか考えてみました。そして何も覚えていないことを知って愕然としました。もう見事に 「なかったこと」 なのです。いや、ひょっとして22歳だったあの年の8月以外のすべてが僕にとって 「なかったこと」 なんじゃないか?いや、そうなると大学生活の4年間だって・・・。なんだか寂しい話になってきます。
だからあの旅行に行って良かったというのは、楽しかったばかりではなく、1977年の8月が僕にちゃんと 「在った」 ことを実感させてくれることでもあります。それは僕が死ぬ直前まで在ります。ありがたいことです。この歳になると、ひょっとして人生の最後にそうやって「在った日」 が多いことこそ幸せな人生なのではないかとさえ思えてきます。お金や名誉なんかよりそっちのほうが大切なんじゃないかと。
僕の救いは、それでも手帳に簡略にその日のことを書きつける習慣が若い頃からあったことです。「学食 カレー食う 図書館」、こんな程度ですがないよりましです。これは少年のころからそうで、紅白歌合戦で何時何分に誰が何を歌ったかまで克明に書き、零時の時報と同時に「いま零時」と書き込まないと年が明けた気がしない変な小学生でした。
そうやって刻一刻と年をとっていき、だんだん自分が「できないこと」や「なれないもの」が判明してくる、それにいちいちおびえて、どうしたらそれが増えないかを真剣に悩む子でした。野球選手、天文学者、医者、次々とノーが出ます。その運命のくびきに対抗するには、受け身ではだめだという結論にだんだんとなりました。自分から反撃して不意打ちしてそれをぶち壊す必要があるという風に。
結果的に、このアメリカ旅行こそがそれだったのだと思います。僕の性格からして、大企業に就職してサラリーマンなどというのは、できないもの、なれないものが出尽くして最後に残った出がらしみたいなものです。結局力及ばずそれになってしまったわけですが、なってからもそうじゃないだろうという衝動はいつもマグマみたいに心の奥にくすぶっていました。
あの旅行は、裸一貫で食っていけるという、何の根拠もないですが、でも誰にどんな根拠を示されても揺るがない強い自信をくれました。ひ弱だった僕をタフな男にしてくれたのです。それがあの異国での強烈な経験の数々なのです。異国。これです。日本一周を何回したってそうはなれません。言葉も人間も文化も習慣も違う異国でこそです。
どうしてか?アイデンティティーが皆無だからです。僕らは世間に甘やかされた東大生でしたが、そんなものは米国では微塵の価値もないことを思い知りました。そもそも二十歳やそこらで心の中に建てたプライドという家などたかが知れています。そんな家を一生後生大事にしてリフォームして生きるより、二十歳で一回ぶち壊して更地にした方がいいのです。その方が長じてもっと立派な家が建てられます。
もっと立派な家を建てる方法。それは簡単です。それこそが、僕があの米国放浪から学び取ったエッセンスなのです。
①日記をつけなさい
②自分の頭で考えなさい
③思いっきり遊びなさい
これだけ。これが若者に贈る僕の三原則です。
①日記は「書く」ではなく「つける」のです。スケジュール帳みたいにただ事実を連ねるなら写真と変わりません。事実を書き、それについてどう思ったか感じたか、喜怒哀楽の感情、感動、願望、失望、意見、不満、自己評価、そういう主観的なことを多く記すことです。それを書くというのは昼間の自分を夜の自分が第三者目線でクールに描くことです。この訓練はあなたが将来に困難に直面した時に冷静に対処する力になります。そして、その日にあなたが生きたという存在証明にもなります。
②「自分の頭で」が大事です。ノウハウ本を読むのは禁止です。そんな本に書ける程度のことで解決できるものは人生ではどうでもいいのです。哲学者ショーペンハウエルはノウハウ本どころか読書は馬鹿になるからするなと言っています。正確には、読書は他人の頭で考えてもらうことだ、自分の頭で考えろということです。書いた他人が馬鹿ならあなたはもっと馬鹿になる。読むなら人類史で優れた部類の知性を持つ他人の本にしなさいということ。要は読むなら古典を読めということです。そうすれば人生で迷った時に自分で判断できるからノウハウは不要です。書いてお金儲けをするためだけに必要になります。
③は頭がいい秀才ほど困難な課題です。遊ぶということが分かっていないからです。分かっても「思いっきり」ということが分かりません。中途半端に遊ぶのは時間の浪費なのです。何が「思いっきり」か?自分の頭で考えて下さい。遊ぶことでしか学べないことがあります。遊びの方が世の中の原理や掟をすっきりと示してくれることがあります。それをつかみとれるほど一所懸命に遊ぶということです。学校で学問から学べることは人生のほんの一部でしかないのです。
あれっ、勉強しなさいがない?勉強は当たり前のことです。そのうえでこの三つをやるのです。日々そうしてごらんなさい。あなたの人生は必ず劇的に変わります。三原則を旅に出てするのはもっといい。10倍もいいです。どうしてか?三つとも自然にやることになるからです。旅行日記はつけたくなるでしょう?明日はどこへ行こうか、何を見ようか、何を食べようか、いくら出費できるか?自分の頭で考えるでしょう?そもそも遊ぶために旅行に来ているのでしょう?
旅はすべてが経験です。世の中に出れば、頼れるのは知識ではなく経験です。旅は、体はもちろん頭も強くします。良く、ではなく、強くです。勉強では鍛えられない部分が強くなるのです。強い頭を持つこと。メンタルタフネスを持つこと。これは将来、人生や仕事で苦難、困難にぶつかった時にどんなことよりもパワーの源になります。すべて、僕の経験です。でも昔の人の経験でもあります。「かわいい子には旅をさせよ」、この言葉には千金の重みがこもっているのです。
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米国放浪記(9)
2014 SEP 3 1:01:04 am by 東 賢太郎
日本食断ちの結果
8月25日、ロングビーチの朝だ。10時にさあ出発となったら車のキーがない。H と I を巻き込んで荷物をひっくりかえしての大騒動となった。10分したら僕のポケットからひょっこりでてきた。最近しょっちゅう家で同様の事件をひきおこして煙たがられているが、これはボケではない。かように天然なのだ。外でチーズバーガーを食べながら 「もうオレンジジュースが飲めなくなるよな」 と3人で合点して今日は特大(ジャンボ)にした。そうしたらそれで体が重くなって動けなくなった。ガス欠というのはあるがガス満で動けない経験はない。「かったるさ頂点」と日記にある。体ごとホームシックになっていた。
それでも午後にベトナム料理屋でカレーを食べようということになった。魚のおいしい北九州育ちの I だけは「日本食じゃないともうだめだ」と言って一人ゼゼへ出かけて行った。ひと月近く日本食から隔絶されるという経験は戦場か宇宙ステーションでもなければそうは経験できないだろう。16年の海外生活を振り返ってもこの時以来一度もないし、これからも二度とないだろう。この日の立場にいれば99%の日本人は I と一緒にゼゼへ行ったはずだ。変わった日本人だったH と僕は、いい実験台だったかもしれない。
そうはないことだからこの時の実感を一つ記しておくと、握力が増しているという顕著な感じがあって、強い男になったという気がしたのを覚えている。毎日肉を食うときっとそうなるのだ。生まれた時からそうしていればパワーが違うし、何代にもわたってすれば体格も変わるだろう。そうすれば人間性だって同じではないだろう。気候風土もそうだが、食物も人間の気質や文化に大きな影響があるのではないかという思いはこの時にできた。僕はいろんな国に行った先々で土地の人の普段の食事をしてみるが、その習慣ができたのはこのためだ。
メータ指揮ロス・フィルを聴く
この日は最後の2つのイヴェントの最初の方、ハリウッドボウルでロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートであった。前日の轍(てつ)から3人とも一緒だ。指揮はズビン・メータである。この当時はメータとロス・フィルのコンビはDeccaからLPを続々とリリースしていて花形だった。期待は高かったが、席があんまり良くなかった。真っ昼間の野外音楽堂というのもしっくりこず、サンフランシスコのマーラーの感動には比べるすべもなかった。前半のプログラムは記憶がない。後半がチャイコフスキーの交響曲第3番であった。これが初めて聴く3番だったはずで、まあまあいい曲だと思った。帰りに道に迷ってしまい長い時間かけて散々な思いでモーテルに戻った。「始め良ければ終わりよし」の格言通り、初めにつまづいたので終わりもだめだった。
さらばアメリカ
翌26日、いよいよこれが最後の日だ。10:30にハリウッドのモーテルから最後の出発をした。ビヴァリーヒルズのクレージュへ行ってお袋と妹に頼まれたバッグを買った。ハリウッドのブロードウェイでLPレコードを買ったり土産物を探したりした。夜のフライトが何時だったのかわからないが、特大のハムサンドを食べてから3人一緒にドジャースタジアムへ行った。これが最後の最後のイヴェントだ。ところが全く信じ難いことにこの試合のことは、まるでなかったことであるかのように何も覚えていないのだ。日記も 「ドジャース 5×4 勝ち」 とそっけない。
さっきドジャースのHPを調べたらちゃんとデータが載っていて、相手はセントルイス・カージナルスだったことが分かっている。いつだって野球が好きで、いつだって河原の少年野球だって見たくてたまらない僕が人生で初めて見たメジャーリーガーのゲームだ。3ページぐらいはあってしかるべき日記にこんなに何も書いてないのを発見してしまい、ちょっとほろっとした。自分のことでお許しください。掛け値なしに、来年還暦になる僕は若者3人をよくやったねとほめてやりたいのです。H 君、I 君は卒業後、別々の大手金融機関の幹部となって大活躍することになる。この旅がこんなに楽しくて、永遠の思い出となったのは2人のおかげだ。
日記はこの日のしめくくりにぽつんと「Avis(エイヴィス)」とだけ、そして次のページに大きな字でこう書いて終わっている。
「総走行距離 3566マイル=5705.6km」
その晩のこともロス空港の様子も記述はない。もちろんスチュワーデスに水を注文したこともない。みんな忘れてしまったが、羽田空港に迎えに来た父と母のほっとした笑顔だけくっきりと覚えている。
(ご精読ありがとうございました)
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米国放浪記(8)
2014 SEP 2 7:07:20 am by 東 賢太郎
思い出のサンフランシスコ
大変な目にあった翌日、8月20日。シスコは今日で最後になるので南北飯店でチャーハンを食べて元気をつけ、ユニオンスクエアを歩き、ケーブルカーに乗り、そしてあまりに景色がいいのでついに金門橋を徒歩で渡ってしまった。本当に若い。3人とも時間を忘れている。髪はぼさぼさ、薄汚れたジーパン、派手なTシャツ、畳のサンダル、カウボーイハットに濃いサングラスのいでたちである。僕らがどこの誰か構う者はいない。この旅はそういう日常のいっさいがっさいをぶち壊してくれるものだった。殻を脱ぎ捨てると別なことができる。
ロサンゼルスに南下する道を僕らは海岸線に沿った1号線と決めた。かなり大回りにはなるが、景色のほうを選んだのだ。運転の僕はあまり見る間がなかったが、たしかに海沿いは抜群にきれいだった。H の歓声が上がる。豪邸が静かに並んでいる。映画のシーンみたいだ。金持ちというのは万国共通で高台か水の見える場所を選ぶ。ここはその両方がある。昼時に港町モンタレーについた。有名なゴルフ場のペブルビーチが近い。別荘地と見え不動産屋が多いのは東京でいえば川奈みたいなロケーションだからだろう。当時ゴルフに興味がない僕らはここのフィッシャーマンズワーフを見物してカキを食べた。生ものなんて久しぶりだ。これは美味だった。
撃墜王になる
景色はいくら良くてもだんだん飽きてくる。運転は荒っぽくなり、海岸線沿いのくねくね道にもかかわらず結局また例の抜きっこに興じることになった。フォードは自分の戦闘機みたいに自在に操れるようになっていて「7機撃墜」とある。曲線で30-40kmは軽く速度オーバーの抜きっこだから大変に危ない。思えばこの旅行でハイウェイパトロールは2,3回しか見ていない。つかまらなかったのは運が良かっただけだろう。時効なのでこうして白状するが、若い人は絶対にまねしないでいただきたい。暗くなってきてさすがに運転に危険を感じた。昨日の疲れが出た。H にハンドルをまかせてしばらく熟睡した。ポテトチップス、ポップコーン、オレンジジュースが散らばって後部座席はゴミの山だった。
ロスに戻る
前回やっかいになったいつでも空室がありそうな3番街のジェリーズ モーテルが満杯だった。空室アリはネオンサインで vacancy と出ている。それが No vacancy とあったのだ。仕方なく別のを探した。最初に書き忘れたが、日本からロスに着いた翌日にアナハイムのディズニーランドへ行っている。珍しくて面白くて2日も遊びほけている。この5年後の留学中に家内とフロリダのディズニーワールドも行ってやはり数日遊んでいる。東京のは行ってないがだから勝手はわかる。大人も楽しめる遊園地。すばらしい。でもやはりあの感動は子供の特権みたいなものがある。子供として本場で遊べたのは幸いだった。アメリカ体験の原型となったのはマックとディズニーランドだ。それなりに王道だった。
翌21日はハリウッドへ行きプールで泳いだりした。映画などそっちのけでゼゼという日本メシ屋に行った。久々の納豆に感激したのは日本食原理主義の I だ。もちろん僕も H もうれしかったが、値段の割にあんまりうまいという味ではなかった。うまいと懐かしいとはぜんぜん違う。これならA1のステーキの方がいいなと僕はすっかりアメリカンになっていた。東海岸に留学したり海外に16年も住むことになろうとはその時点では夢にも思わなかったが、アメリカに住んでも平気だなと思ったのは覚えている。食いものだけの話だが。
ロスはたった一度来ただけなのに家に帰ってきたという感覚になるのは妙なものだ。急に安心してしまったが、ここでもコンサートと野球に懲りずにこだわった。チケットを買いたいがどこで買うかわからない。結局、翌22日にハリウッドボウルとドジャースタジアムへそれぞれ行って買えた。まだそれまで日にちがある。それなら最後にサンディエゴへ行ってこようということになる。ロスからはさらに南下だ。どうしてということもないが米国海軍第7艦隊基地、パロマ山天文台を見てサファリパークへ行ってみようということになった。その2日をまたディズニーランドでとならなかったのはちょっとオトナだ。
南国サンディエゴ
サンディエゴはロスの南方200km弱にあり、30kmも行けばメキシコとの国境である。ここは文化的にはほぼメキシコだ。素晴らしいビーチがあり青い海がまぶしい。しかし、僕が書けるのは23日にミッションベイパークで泳いだことと、白い砂浜でビーチボールでサッカーをして I が名技を見せたことぐらいだ。艦隊を見た記憶はうっすらとしかない。というのは疲れていて日記の記述がぐっと減っているからだ。こうなると37年の歳月の壁が立ちはだかる。22日には「モーテルもレストランもない」とあり「正装して49ドルのディナーをした」とある。3人まとめて20ドルの宿泊をしていた僕らには痛かった。食べたかったわけではない。それしか選択肢がなかったということのようだ。水色のスーツが最後の役目を果たした。「飲んだワインはピノット・ノイア」とある。ピノ・ノワールのことだろう。ワイン名を書いたつもりだがこれが品種名だということなどもちろん知らない。ワイン名は書いたがホテル名はない。
24日はメキシコ風の朝食を食べエスコンディドからパロマ山へ登り標高1700mの有名なパロマ山天文台まで行った。 当時は世界最大である口径5m反射望遠鏡 を有していた。天文少年には大感激だったはずだが、どうしたことかそれほど記憶がない。疲れていたのだろうか。記述がないと何も書けない。悲しいことだ。山からの復路で ライオン サファリ パークへ寄った。ここはライオン好きゆえにそこそこ覚えている。車でそのまま入る。シマウマ模様のジープがたくさんいる。馬が交尾を始めてしまい I が自慢のビデオカメラで撮った。帰国後の上映会でフィルムの半分はそれだったことが判明した。ロング ビーチのインペリアル400モーテルに宿をとり、パンナムにフライト・リコンファームの電話を入れた。
いよいよこの時が来た。長いようであっという間だった旅がそろそろ終わりに近づいていた。
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米国放浪記(7)
2014 SEP 1 13:13:06 pm by 東 賢太郎
サンフランシスコと文化
8月19日、目覚めると外は雨だった。サンフランシスコは真夏というのに本当に寒いが、雨だとさらに寒い。灼熱の砂漠から都会に戻って5日目、すっかりこの気候に慣れていた僕は前の日にLPレコードを4枚買い込んで音楽モードになっていた。経験してみるとわかる。デスバレーでモーツァルトを聴きたくなる人はきっと稀だろう。和辻哲郎の名著 『風土』によれば砂漠気候は生命を殺す。人間とは対立関係にある。暑さで死ぬかもしれない日々の中でのんびり音楽を作ったり聴いたりという文化は育たない。アメリカという国は芸術が育つところとそうでないところが一日でドライブできる距離で隣にある。
もうひとつある。芸術というのは作ったりやったりする方はともかく、享受する方は基本はヒマ人である。音楽や絵など愛でても一銭の飯の種にもならない。カネの心配がなく、明日誰かに命を狙われることもなくのうのうと生きていける精神的な余裕でもなければとうてい無縁なものだろう。それゆえに、逆説的に、そんな無駄なものを愛好できるというのはカネに困ってないセレブだというステータスシンボルになると考える人たちが出てくる。僕は2週間アメリカ人を観察して、この人たちが多少成功してカネを持ったところでそういうスノッブになるだけだろうと思っていた。
アメリカと戦争して負けた当時の日本の知識人は大なり小なりそう思う、いや思いたい傾向があった。物量に負けたんだ。人間は程度が低い。良くて成金のスノッブだ。そんな連中でも使える近代兵器戦に負けたのだと。こんな国と戦争してはいけなかった、そう述懐する人の言葉には、こんな高貴な精神と文化を持つ我が国がという優越感を無理にでも確認したい心が隠れている。しかしそうではないのだ。安ホテルをハシゴする僕らのような旅行者が接するところに本当のヒマ人はいない。文化や哲学や科学を創造する精神は見えない奥の院に隠れている。いいものは自分から売り込みになど来ないのだ。
人生で初めて海外の交響楽団を聴きに行って、僕はアメリカという国家の目に見えない「階級」というものを肌で感じ取った。それは身なりやふるまいではない。そこに集まった人々の気や雰囲気とでもいうしかない何かが発している強靭なパワーだ。街で働いている人たちが小金を持ったところでとうていブレークできないような。そんな街をはいずりまわって喜んでいる僕などがとうていブレークできそうもないような。そう思って怯(ひる)んだ。その時は。サンフランシスコには全米トップ10にランクされるオーケストラがあり、オペラハウスがある。オークランドに野球の球団はあってもそれはない。あのスタンドの中国人の売り込みは正しかった。ここはやっぱりシティなのだ。
いちばん命が危なかったとき
この日、H と I はアスレチックス対インディアンスの試合を見に球場に、僕だけはサンフランシスコ交響楽団の演奏会に行くことになっていた。ベイブリッジを超えてもと来た24号線を戻り、ウォルナット クリークからイグナチオ ロードを通って野外音楽堂である演奏会場のコンコード・パヴィリオンに僕を降ろすと、二人は去った。
この場所は街中のコンサートホールと違い、車でなければ来ないような人里はなれた丘の上である。この時、僕が彼らを球場に送って車をキープしていればよかった。球場は街中だから待たされても待つ場所はいくらもあるし彼らも野球をゆっくり見られた。そうしなかったのはコンサートが午後8時からで、終演は10時とみたからだ。まさかこの日に限って試合が延長戦になって12時を回ってもやるとは想定がなかった。
ここで僕が楽しんだコンサートはこのブログに書いた。そしてその顛末も。
あんまり思い出したくないことだが記録としてもう少し詳しく書こう。終演と同時に聴衆はあっという間に車で消えていく。まだ二人は来ていない。あんなに大勢いた人はついに僕だけになった。遠くの街灯ひとつを残して電気が消えてあたりは真っ暗になった。この電気を消された瞬間の不安を、まだはっきりと脳裏にうかべることができる。ホールからは追い出され、雨上がりでことさら寒かったその晩に僕はぽつんと丘の上でひたすら二人の迎えを待つはめになった。服装はこの旅行のために買ってもらった水色のスーツだが風があってあまりに寒く、落ちていた新聞紙を背中に入れて体温を失わないようにした。一時間たってもまだ迎えは現れる気配もない。
そうこうするうち、丘の下の方から大型の野犬とおぼしき群れがこちらに音もなくやってくるのが目に入った。背筋が凍った。犬種は知らないが屈強の5-6頭だった。俊敏な足どりが何か絶望感をかきたてる。工事中のむき出しの土管があった。あわてて中に身をひそめた。すると目が光っている先頭の犬が近づいてきて僕のいる土管を向こう側から覗き込んだ。吠えもうなりもしない。じっと僕を見ている感じだった。何か考える余裕などない、ただただ体が凍りついて動けなかった。この時だけは人生万事休すと思った。何が起きたのかはわからない。不意に犬たちは一斉に僕を無視し、散り散りに足音もなく闇の中へ去っていった。
あそこで襲われていたらひとたまりもなかった。助けも来ようがなかった。僕についている先祖の霊か何かが犬を追っ払ったのだろうか?そうとでも考えるしかないほどキツネにつままれたような犬たちの退散だった。あいつらが気が変わって戻ってきたらまずい。とにかくここにとどまるのは危険と判断し、車道を延々と歩いて下った。二人は事故でも起こしたかと思った。であればもう来ないかもしれない。ヒッチハイクでモーテルまで帰るしかない。それでもしばらくは歩いている僕に連中が気がつくように運転者から顔が見える側を歩いた。そうしたらクラクションをブーブー鳴らされ、わざわざ窓を開けて「バカヤロー」と片言の日本語で罵声を浴びせていった奴らがいる。この野郎と思ったがどうしようもない。
しばらくして二人が路上を遭難者みたいに歩く僕を見つけた時はもう夜中の12時を回っていた。H も I も僕がこういう事態になっているとは想像もできなかった。それでも心配になり延長戦を途中で切り上げてきてくれたのだ。もう言葉も出ず、寒さと空腹をいやすためサンボズというチェーン店にはいった。何を食べたか記憶もない。ケータイのある今ならこんなひどい目にあうことはない。いい時代になった。日記には 「死ぬ思いをする」 とだけある。この放浪で3度目の、それも最もシリアスな死にかけだった。
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米国放浪記(6)
2014 AUG 31 18:18:54 pm by 東 賢太郎
憧れは現実が凌駕することを知る
8月15日、オークランドのモーテルを午前10:45に出発するとすぐにスタンドに寄って憧れのサンフランシスコへの道を聞いた。今度は近すぎてあきれられた。ガスを入れ、車のコンディションにナーバスになっていた H がオイル点検をたのむと中国人風の店員が「換えた方がいい。でも都会のは汚いよ(It’s dirty in the city)」とシスコに行く前にここで換えろと暗に脅す。すごいセールストークがあるもんだ。そんなのに騙されるほどジーンズにTシャツにタタミのサンダル履きの僕らは馬鹿者に見えていたらしい。オークランドはシティじゃないというのは学習だった。だからジャイアンツじゃなくてアスレティックスがあるんだ。
75セント払ってベイブリッジを渡るとすぐサンフランシスコである。良い天気だが橋は混んでいた。右手のフィッシャーマンズ・ワーフへ進むと、鼻にペンキを塗ったアニキのパーキングに駐車して意気揚々と歩き回る。海風にそよぐ舟、ヨット、ボートの白さがまぶしい。大道芸人やヘリコプターの発着が珍しく、しばらく立って見た。腹がへってきたのでガイドブックを見るとここの名物はカニだと書いてある。食い物に一家言ある I が「カニ?日本人だよ、俺たち。そんなのどうせうまくないよ、もっと安パイで行こう」と言う。そこまでの経験から説得力があった。あちこち探し回って、ちょっと値の張るスパゲッティ―にした。舌鼓を打つとはいかなかった。久々にうどんを食ったと思えばいいよな。全員が打ったのは相槌だった。
安いものは安物であることを学ぶ
そこの主人が安いモーテルを教えてくれた。オアシス・モーテルだ。探しまわる僕らの前に立ちはだかったのは急な坂だ。さすがのフォードも登らないんじゃないかとビビった。「ものすごい あぜん!!」と日記に大書している。国分寺崖線を喜多見から成城学園にあがる不動坂というのがある。あれが僕の急坂だったが、ここは街中が不動坂みたいなもんだと思った。モーテルは坂の途中にあった。26ドル、たしかに安い。あの店、味はひどいが情報はさすがだと喜んだ。ところが入ってみると何もかもがすさまじいオンボロだ。ロビーにシャンデリアのつもりらしい物体がぶら下がっているのを見て、スパゲッティと似たもの同士だったことを合点した。エレベーターは階段なら3往復できるぐらいの速度を実直に保った。「これは江戸時代のだね」、部屋の電話を珍しそうになでながら H が言った。
夕食をとろうと外へ出て、H は「涼しいね」と言った。僕は「寒い」と、I は「こごえる」と言った。同じものでも人間の反応は違う。天安門ガスステーションで給油していたら「日本人に道をきかれた」と書いてある。面白かったのだろう。将来ソウルの路上で韓国人に道をきかれることになることを僕はまだ知らない。昼のスパゲッティの仇討ぐらいの勢いで僕らは一路、チャイナタウンを目ざしていた。うまいラーメンが食えるならもう何を捨ててもいい。いちばん良さげに見えた湖南楼に入り、まずクアーズを飲んだ。ビールというとそれになっていた。うまかった。そして待ちに待ったポーク・ヌードルが来た。東洋の味に飢えたオオカミみたいだった僕らは、「うどんを食ったと思えばいいよな」、と二度目の相槌を打った。
ここで日記は 「半分すぎた 気持ちをひきしめる」と書く。
翌16日。市営パーキングの地下4階に車を停めるとHが三菱バンクで金をおろした。370ドルの後遺症は大きかったのかそれでV8を飲み感激していた。想定外に寒いということで、デパートのメイシーズで服を買おうということになった。靴や帽子のでっかさとセンスの悪さには笑いをこらえるのに苦労した。やっとカッコいいジャンバーをみつけ140ドルで買った。このデパートで意見が割れた。HとIは大リーグの試合が見たいといいだした。僕はそれに心が動いたが、サンフランシスコ交響楽団も聴きたかった。夜はチャイナタウンに再度挑戦となる。麺はだめだということでご飯ものにした。牛メシの出来そこないみたいのが来た。餃子が主食になった。やけくそでウィスキーのオールド・クロウを買って酒盛りをした。これがまた不味かった。浪人したHと僕はなぜか駿台の話でもりあがった。
後悔は37年も先には立たず
翌17日はゴールデンゲートブリッジを渡った。市電にのってあちこち行ったはずだが日記には何も書いてない。18日もたいしたことを書いていない。食い物ばっかりで恥ずかしいがよっぽどスパゲッティに飢えていたのがカン詰を買ってまた大ハズレしている。良かったのはメキシカンステーキとビールのドサキスだけだ。記憶は消え去っているから何をしていたかわからない。都会は刺激に満ちている。しかしそれはみんな所詮が人工物だ。作った者の計略通りカネ目当ての刹那の刺激をもらうだけなのだ。自然は打算がない。退屈に思えてもこうして37年たってもずっしりと残る何物かを与えてくれる。後に僕はこの街に仕事で何度も来る。海外のいろんな都市でいやというほどの時間を過ごすことにもなる。ヨセミテに一週間でもいればよかったのだ。
気持ちをひきしめた僕は一人でオーケストラを聴くことに決めた。二人はアスレティックスとインディアンズのチケットを買った。これが大変なことを巻き起こすことになるとも知らず。
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