いや~、そうはいっても、オカマもいますからね
2016 JUN 3 2:02:42 am by 東 賢太郎
思考とは計算である (トマス・ホッブズ)
まったくその通りと思う。思考とは喜怒哀楽とか恋愛とか好き嫌いとはちがう。ものを考えるということである。
学校の授業で、
「1足す1は?」 という問題に 「3かもしれない」と答える人はいない
「AまたはB、どっちが正しい?」 という問題に 「Cだ」と答える人もいない
ところが、現実社会には、こういう人が驚くべきほどたくさんいるのだということを僕は経験的に知っている。
もちろん彼らはそういう意識は自分ではもっていない。持てるぐらいならたぶんそうはならない。
いや学校ではそうでしたけど、世の中は人が動かしてますから・・・
というのが、他人にそれを指摘されたときの反論であり共通の免罪符みたいになっているように思うが、それで幸福に生きている方々をとやかく言う気はさらさらない。
本稿は、あんまり幸福でも満足というわけでもないが何がいけないかよくわからない、もしわかるなら変えてみたい、という人々に書いている。
「1足す1は2」「AまたはBしかない」というのは決まり、決め事、いわば「原理」だ。「原理は絶対に変えてはいけない」ということにしないとそこから何か役に立つ結果を導いたり推論したりは絶対にできない、ということをまず頭にたたきこんでほしい。
どうして?「何か役に立つ結果を導いたり推論したり」なんか私の人生に関係ないでしょ、と疑問をもった人はここでやめた方がいい。時間の無駄だ。
サッカーは手を使っちゃいけない、将棋の歩は前に一つしか進めない、野球は打ったら一塁に走る、こういうのはみんな決め事だ。どうしてもこうしてもないのであって、「そう全員が了解」してはじめてゲームが成立し、楽しめる。
つまり「1足す1は2」「AまたはBしかない」という決め事に「いや~、そうはいっても」とか「でも世の中ってさあ」とか「でもこう言ってる人もいるし」とか「ワタシはそう感じるし~」などと逃げる人、あるいは無意識に自分を逃がしてしまう癖のある人は「思考」というゲームに参加する資格はない。
ないんである、そんなものは。
という厳然たるマインドが絶対必要なのである。「1足す1は2以外にない」ぐらいはそう思う人も多いだろうが「AまたはBしかない」は難しい。「CもDもあるでしょ」というのは実生活において自然な感覚だからだ。しかし、二者択一(二択)という、実生活ではあまりない状況にあえて落とし込んでみて、変数を減らして思考してみるというのは、意思決定においてはパワフルな方法なのだ。
その「あえて落とし込んでみて」というのが重要だ。これは人為的な作業だから、聞いた人は不自然だと感じるのだ。だからその有用性(変数を減らす)をわかってない人は、そこで本能的に拒絶してしまう傾向を見る。本能に理性が勝つようにすることこそ学校の数学の授業で訓練されていたことなのだが。
世の中は右か左かで決まるもんじゃない、柔軟な思考こそ大事なんだよなんてわかったようなことを言う人は、実はほとんどが何も決められない人である。だから自分で決めず他人に聞いたり従ったり支配されたり、それがいやで支配したい人は50人もいる御前会議を開いて赤信号みんなで渡ろうよになる。そこで出た結論は「思考」の結果ではなく、責任のなすりあいの結果に過ぎない。
ホッブズの言葉の通り、思考とは計算である。ゼロかイチかの二択(二進法)でコンピューター言語がなぜ書かれているか?単に計算に便利だからだ。それは二択が計算に「パワフル」なことを証明しているし、なぜそれが思考の結果としての意思決定にもパワフルだと信じるかというと、僕はホッブズの言葉が正しい、つまり「思考とは計算である」という前提に立っているからだ。
デカルトは「理性は計算できない」と言ったじゃないかと反論もありそうだが、ゼロかイチかの二択で書いた人工知能が将棋もチェスも世界チャンピオンを倒し大学受験もパスしそうだという現実は、彼は間違っているということを証明しつつあるのではないか。「そういうものは理性でない」というなら、では理性と理性でないものを二択で示していただく必要があるだろう。
喜怒哀楽とか恋愛とか好き嫌いは感情であり「本能の領域の精神作用」である。それらが「計算できない」というのは本能的には正しいような気もするが、大学に受かったコンピューターくんが恋愛したり五月病になったりもするようにプログラム化ができないと考える人は科学者にはいないだろう。
2045年に1000ドルのコンピューターの演算能力がおよそ10ペタFLOPSの人間の脳の100億倍に達し、技術的特異点(シンギュラリティ)に至る知能の土台が十分に生まれているだろうとのレイ・カーツワイルの予測は有名だが、そこでは我々が神秘的な「本能」と称しているものもゼロかイチかの二択で書けてしまう可能性はある。
二択を原理として適用して思考する。この程度のことはできないと本能だけの人間になり、やがて誰かに支配されるだろう。誰かは人間、コンピューターのいずれかだが。「支配されている私を幸せにする義務があなたにはある」なんて支配者にほざいたところで、あなたが救済される保証を用意するほど資本主義も法律も社会保障制度もお人よしには作られようがないだろう。
二択思考のわかりやすい例を示す。
「地球には男と女しかいない、二択だ」と言うと「本能だけの人」から「じゃあオカマはどうなんだ」とくるだろう。そういう人はそこで思考がフリーズするのであり、「何か役に立つ結果を導いたり推論したり」という行程には入りようがない。そこで、それを言うなら、肉体は男だが精神は女の人をどう定義するかを決めましょうという行程が入ることになる。これが「あえて二択に落とし込んでみて」という人為的な作業だ。
すると、「日本において出生時点では女より男が5%ほど多い」のはなぜだろうという問いに対して思考を加えることができるようになる。男>女は世界でもそうだが日本の女性出生1人に対する男性出生数は1.056人で、世界ランキング第60位なのはなぜだろう?という次の問いと思考が生まれるだろう。そして、このグラフ(日本人の女100人に対する男の数、総務省統計局)をどう説明するのかというさらなる思考へ発展するだろう。
「いや~、そうはいっても、オカマもいますからね」という人がこの思考に参加することはない。
ものを考えるとはそういうことだ。何か決めようとするときに「AまたはB」という命題に落とし込む(そういう努力をしてみる)。そして「Aではない」ことを発見したとする。ということは解は「Bしかない」ことになる。どんなに直感的にも常識的にもそうじゃなさそうに見えようと!これが信じられる人は数学的思考力がある人だ。学歴は関係ない。超高学歴で「オカマ組」の人を僕は数限りなく観察してきているし、その逆もしかりだ。
きっとそれを信じられるマインドというのは宗教に近いんだろう。特に八百万の神の日本人にとっては一神教みたいなもんだ。でも、この「しかない」という部分に値千金の価値があるのだ。「べつにCでもいいじゃん」という人にその価値は永遠に見えない。これが長い人生で大差になるのである。僕はもういいトシでもあり気も短い、そういう人はまっぴらごめんで話にもならないから二択するしかない。
こういうのは筋金入りの原理主義者ということになるんだろう。家の地下室で成り立つ自然法則は137億光年かなたでも成り立つと微塵の疑念もなく確信しているし、ホッブズが国家を人間の本性という要素から原理主義的に解き明かしたリヴァイアサンは好き/嫌いでいえば、好きである。
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特異点さがしこそ僕の本質
2016 MAY 19 1:01:20 am by 東 賢太郎
ここ数日ですが、ブログの訪問者数が一日あたり2548人、ページビューが3226なんてことになっています。入場者2~3000人ときくと条件反射で川崎球場のパリーグ戦を思い出すのですが、すいませんわかんないでしょうね。
お読みいただいているネタが音楽であるならクラシックも捨てたもんじゃないと思いますが、せっかくなのに水を差すわけではありませんが、僕はいわゆるクラシックファンとはまったく話が合わないと思います。本当の音楽好きではなく特異点、特異物体、特異人間を探すのが好きなだけだからです。
これは理化学研究所が原子番号113の元素を発見(合成)したりNASAが地球のいとこと呼ぶほどよく似た惑星「ケプラー452b」を発見したりという、そういう世界の関心と情熱に似ているかもしれません。
良い音楽は何でもききますが、聞くそばから頭でピアノ化します。するとポップスという音楽に特異点はまったくなく、だから楽譜まで見て分解したいということは一度もなく、それがあるクラシックになっているだけです(クラシックもない曲がありますが)。
その癖は子供の時から電車の車輪・レールと恒星の観察になり、誰もわからないと思いますが野球もそうであり、そして長じてそれが株になった。株というのは特異点を探すゲームです。途中で人体という年頃があったのですが、色がわかればお医者さんだったかもしれません。
クラシックはそういうもののいちジャンルにすぎず、だから特異点さがしのワンダーランドであってやっていることはふつうの意味の音楽鑑賞ではないように思います。たぶん200曲ぐらいは暗記していてその記憶プール内での特異点の相関がまた特異だったりするとさらにハマります。
こういうのは何の生産性も社会貢献もございません。ただ自分のオタクの本性の開陳として残しときたい。変な奴だと思われて日本社会的には明らかに良くないのでしょうが、僕はモーツァルトの楽譜を見るようにマクロ経済の統計を眺めているのだから仕方ない。それで商売できているしそれで離れていく人に気に入ってもらう必要はぜんぜんないのです。
本音で生きるって、言うのは簡単ですが、そういうことだと思います。私はドケチですとかほら吹きですとかオカマですとか、カミングアウトするといいますか、それは勇気はいりますがそうしないと本当の友達なんかできないし仕事の戦友もできません。本気の人助けもできないと思います。変な奴でもいいと思ってくれる人とは切れないのです。
だから僕にとっては人だって特異点のある人がいい。また、そういう人オンリーでやらないといいビジネスなんかできません。同質な人ばかりだと、公約数で括っていくと誰も残りません。日本は世界の中でそういう組織の掃きだめにみたいになりつつあって、それでも特異点は排除するんだから21世紀はつらいでしょう。
3000人の中からメールをくださったりという方がおられ、全部をひとつひとつありがたく拝見してますが、そういう風に行動を起こされている方々ですから何か通じるものを感じます。
(追記)
「特異点」とは特別な点、他と違った点という意味に書いていますが、数学で関数関係の成り立たなくなる「点」のことです。可微分性のない点です。
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本音で生きる
2016 MAY 13 2:02:16 am by 東 賢太郎
本屋に行く時間がなく、たまに飛び込んでは目についたのを5,6冊バサッと買う。最近は子供(もう大人だが)が読むだろうという軽いノリが、面白いので自分が読んでしまうのもあり。
ホリエモンこと堀江貴文氏の「本音で生きる」がそれ。こういうブログを書いたら、
ソナー・ファイル No26 (お金がないと起業はできません)
その本には起業にカネはいらんと書いてある。なになにと思ってめくるとなかなかもっともである。
基本的に僕と違う人だが、共通するところもすごく似たところもある。最大公約数の秀才なんかよりよっぽど楽しい。
・結局、言い訳して行動しない人間は「暇」なのだ
・時間は誰にも平等に有限
・うまくいく人は「やるか」「やらないか」それだけ
・本当にやりたいならリスクは考えない
・小利口が一番よくない、動けないのは自分の小さなプライドを守るため
・他人は誰もそんなに自分を見ていない
まったくそのとおり。情報は覚えるな、浴びろ。アウトプットしまくれ。量が質を作る。これも同感。
プライドを捨てると人生変わる、これはこの5年でわかった。会社はトイレの掃除まで自分でする。そういうことは人生の辞書になかったが、別になんのことはないかえって辞書が厚くなる。
つまらないプライドなど、どうせ誰も見てないそんなものを後生大事に守って死んだら実にくだらない。便所掃除ができたら怖いものはない。そうすると何げなくできることが増えてしまい、それでこんなに楽しい時間を過ごせている。
サラリーマンというのは基本給が同期より500円多い少ないで一喜一憂するよう会社に洗脳されている。会社の階段登りには大事でも人生には全くどうでもいいプライドだ。定年になって階段が外れてもそれに人生を支配される人が多い。
できないことはアウトソース、これは勉強になった。全部やりたいタイプだがもうそんな時間はない。自分の得意を磨く、といってその時間もない。だからできることだけやって、あとは人にまかす。まかすというのは実は一番難しいが。
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オトコ脳と薬指の長さ
2016 APR 23 14:14:12 pm by 東 賢太郎
新会社の立ち上げで心身ともにoccupiedです。こういう時に「お忙しいでしょう」と声をかけられてもピンときません。僕はいま体があいていても頭が100%占拠されている状態であって、忙しいというのは頭はあいているが体が占拠されていることです。プロ野球の選手にお忙しそうですねとは誰も言わないということです。
僕は「お忙しい」と言われてしまうような仕事はしないし、誘われて行けない時「いまちょっと忙しくて」なんてことは言わない。大変だなんて思わないし疲れるということもないのです。例えばブログも仕事頭の余勢でこぼれ出るようなもんで何のオシゴトでもなくて、読んでいただいてもそうでなくても良くて、たんなるアウトプットが好きなクリエーターに近い性格なのだと思います。
ある人にそういったら手を見せてとなりました。手相かと思ったらそうじゃなくて、「ああ小さいですね、やっぱり、そうですね~、オトコ性格ですよ、おもいっきり」という診断が即座に下されたのです。
ごらんのとおりで、人差し指より薬指が長いのがオトコ脳だそうです。どっちかというとむしろ人差し指が短いんじゃないかと思うんですが、この中指との差が幸いしたことがあって、野球で昔はドロップと呼んだタテに曲がり落ちるやつですね、あれに都合がよろしかったです。まあそれはどうでもいいのですが、この比率は胎内で男性ホルモンを多めに浴びたからだそうで、「だからアウトプットが多いのはご性格ですよ」という結論をいただいたわけです。
ただ、いわれたオトコ性格は当たってないのもあって、僕は支配欲はなくて小心で慎重であり、細やかではないが細かいとこは細かいのです。リスクテーカーでスリルが大好きということはなく、飛行機やクルマには無関心です。
これはイギリスの心理学者の説らしく、それでもホントかどうか知りませんが、テストステロンを多めに浴びることと指の長さの相関性ぐらいは証明されてるんでしょう。面白いのは男脳の方が起業に向いていて、ロンドンの債権トレーダーの成績の統計では稼ぎも良かったそうで、とすると僕は自分に合った人生を送ってきたのかなあとちょっと安心はします。しかしその分、女性的細やかさは欠けるそうで(まったくそうだ)、「事業は女性的な方と組んだ方がいいですよ。男性でもそういう人はいますから。」というご指導でした。はい、そうしましょう。
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僕が出会った人生最高の男
2016 APR 13 22:22:58 pm by 東 賢太郎
サムライは日本にしかいないことになっているが、そんなことはない。
野村香港に赴任して、偶然にその男と出会った。1998年のことだった。大柄なスコットランド系のオーストラリアンで、英国にもスコットランドにもわりあい冷淡な男だった。年は7つ上だ。地元の新聞の記者をしていて株に興味を持ち、香港にやってきた。そしてクロスビーという証券会社を作って大きくして売った。次いでクレディ・リヨネというアジア株など全く門外漢のフランスの銀行の役員会に乗り込んで大立ち回りして香港に証券子会社を作らせ、それの社長になった。それが僕の赴任した当時、アジア株式業界で最も幅を利かせていたCLSAという会社だ。
50歳を目前に彼はCLSAをリタイアしていて、保有株はゴールドコーストでゴルフ場まである広大な牧場に化けていた。サラブレッド50頭のブリーダーになりホンコン・ジョッキークラブ(香港競馬会)で走らせる余生の計画だったのだ。やがてその夢はかなったのだが、しかしその時は邪魔が現れた。あなたの「3回目」のアジア株業務の立ち上げに一緒にたちあわせてくれ、馬なんか60になってもできるだろうと僕が口説いたからだ。何度会ってもけんもほろろに断られたが、10回目ぐらいに会ったときだ、「お前のホビーはなんだ」ときかれた。間髪入れず「ゴルフだ、ハンディは10ぐらいだ」と答えた。当時10なんてない、大ボラだ。でもあそこで日本人らしく律儀に23ですなんて答えたら終わっている雰囲気だった。でっかい手の男だったが、それで初めて、ぎゅっとくる握手がかえってきた。
香港証券界の伝説的大物だ。言い値を覚悟してたら、言ってきた条件(給料)はえっというほど少なかった。カネはもうある、でもお前はおもしろい奴だ、信用するよと。そうして、目をじっと見て、This is absolutely my last job.といった。そこから始まったいろんな顛末は限りがないが、内部事情を書くことは控えたい。いわば本邦企業のグローバルチャレンジ物語の縮図であり、小説より奇なりの展開があり、日本企業としてはそういうことに手練れのノムラでもそうだったということであり、うまくいかなかったのは万事を併せのむべき司令長官としての僕の器量不足、実力不足に尽きる。
本当に男らしい男だった。あとにも先にもいない。絶対に逃げない。ゴールを決めたらテコでも動かない。いいわけしない。陰口をたたかない。ルールは守る。これはだめだと言うと、お前の言うのはルールにないからルール違反はお前だと柔らかくたしなめる。アジア株を世界に売る仕組みをゼロから作る経験を当時彼以上に持っていた人間は地球上に誰もいない。そういう行動は強いプライドとリーダーシップの裏返しだった。業界新参者の日本企業のリクルートに応じてくれる者は限られる。来ても大枚をふっかけられる。レベルは雑多だったが、彼がいたから採れた者が多くいた。
当時の僕は負けないぐらいプライドの高い日本軍の司令官だった。彼の率いる50人の英米軍は計ってそれをぶち壊しにきた。クリスマス・パーティーだ。僕が舞台にでる余興があるよと聞いていてジョークのきいたスピーチぐらいすればいいだろうとなめていたら、直前にオカマをカミングアウトしている奴が「女装しろ」ときた。我ながらおぞましい化粧までされ、目をつぶってろというのでそうしていると爆笑と口笛の渦だ。オカマがキスしようとしていてのけぞった。そして親玉同士がぼてぼての相撲取りの着ぐるみで本当にすもうをとらされ大喝采のおひらきとなった。
ゴルフは彼は凄くうまかった。格好良くはないがシュアなスコアメーキングができたのだ。だいたい彼の牙城である香港ゴルフクラブ(ファンリン)で奥さんも入ったりしてなごやかだった。最初はなめられていたが、香港地下鉄公団主催の80人ぐらいの金融機関コンペで僕が82ぐらいで個人優勝したら認めてくれた。彼の元同僚とつるんでブリティッシュルールで僕をへこましにきたが、賭けに大勝ちしてさらに認められた。転勤辞令が出ると、葉巻をくわえゴルフクラブと野球のバットをもった似顔絵をプレゼントしてくれた。その送別会は「ロスの大手投資家の会長が急に来た、すぐ同席されたし」という緊急メッセージを装って僕をだまし、サプライズで喜ばせてくれた。
あれに成功した夢をいまでも見ることがある。凄いことになっていて、世界のノムラなんてもんじゃない、世界の証券界の帝王だ。そのチャンスはあの時だけはひょっとして本当にあったかもしれず、もし会社が僕より有能な人をあそこで起用していたらと今でも悔しく思う。会社にもそうだが、それが本当にlast jobになった彼にはことばもでない。馬なんか60才でやれよとそそのかした僕は後悔することになった。彼は還暦の4年前に亡くなってしまったからだ。
早すぎる訃報は神田の寿司屋の2階で、苦労を共にした後輩の口からきいた。絶句してぼろぼろ泣いた。ジム・ウォーカー、あんな男気のあるいい男、いやサムライに会うことはもうないかもしれない。彼は僕に勝ち方と負け方と、オトナの男の責任とはなにかとを教えてくれた。信用に応えられなかった僕は負け犬になった。僕が60になっても馬みたいなもんに走らないで株をやりたい、やっていたいのは、それにまだ応えていないからだ。
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もの忘れ(その2・実践編)
2015 DEC 25 23:23:55 pm by 東 賢太郎
きのう「もの忘れ」の記事を書いた。そうしたら今日、ある会社さんの支店にハンコと通帳をカバンごと忘れてきた。実践編であった。信頼できる担当者のLさんがすぐ電話をくれて自宅に届けてくれたのでよかったが、もう我ながらどうしようもない。
ハンコをついたらその瞬間に次にやらなくてはいけない仕事に頭が100%行ってる。だから僕はそういうものを持つべきではないし、もともと自分を信用してないからなるべく信用できる人にまかせたい。
今日はもうひとつ仕事があったわけだが、その二つを終えれば今年は終わる。別途走っていた半年勝負の案件は今日、静かに決着した。これはソナーがいままで仕上げた最大のディールである。そして、10月に手帳に書いた「今やるべきこと」がやっと全部消える。
この1週間のあわただしさは半端でなく、過労死してもおかしくなかった。多くの方々のお力を借りて綱渡りの中を次々と、幸運にも助けられて、何とか切り抜けられるのかもしれない。これを間近で見ていたS君いわく「持ってますよ」だが、僭越ながら自分でもそう思う。
こういう時は麻雀でいうと単騎で5面待ちに勝ってしまう。最後の1枚の西単騎がオーラスで出てしまう。逆に何をしてもそんなのに振り込んだ時期もあったからこの勢いは絶対に消すわけにはいかない。
前も書いたが僕はツキのある人としかつきあわない。ツキはあげることもできるがもらうものでもある。それはつまらない手に振り込むと消える。だから何をしてでもそうするわけにはいかない。そのことの損得だけではないのである。だからこの1週間ほど、自分でも鬼気迫る状態にあったと感じる。
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もの忘れ
2015 DEC 25 0:00:10 am by 東 賢太郎
先日先輩に「最近物忘れが・・・」といった。そうしたら
「そんなのかわいいもんさ。俺なんかパソコン開くだろ、で、ナニ調べようとしようとしてたか忘れてんだよね」。
それを聞いた別の先輩、
「いや、甘いね。ウチは先日夫婦で延々と探し物してね、ついにそれ見つけてさ、やったやったとお茶一杯飲んだらね、ふたりともナニ見つけたか忘れてんのよ」。
まだ先輩方の域には達していないが自分も危ない。子供の時からそうなので、さらに危ない。それを知る秘書は大事な資料は僕に見せるだけで渡さなかった。ハンコなくしたぞと大騒ぎになって部屋をひっくりかえして1時間も家探ししたあげく、机の下にもぐりこんでいる僕のズボンのポケットからぽろっと落っこちたなんてことがあるからだ。
自室も机も傍目には混乱の極みだ。しかしいいわけをすると、雑然ながら何がどこに埋まっているかは覚えている。だから家内が部屋を片付けてしまうと困る。きれいに整理して並んでる意味はあまり感じず、だいたいあの辺に転がっているという覚え方をしてるからだ。要るときにぱっと手を伸ばすとあるぐらいのところにあれば良いのであって、見た目はぜんぜんかまわない。
着るものはなんら関心がない。家内に出しておいてと言って出てきたものを着る。先週はさすがに飽きたのでデパートで店員の女性がいい、似合うと言ったのを全部買う。店だけは一応決まってるが。わからないものは何も考えないし、考えないから何を買ったかもすぐ忘れてしまう。だから家で出てこないと二度と着なくなってしまう。
こういう人間がぼけてくるといったいどういうことになるんだろう?近眼と遠視みたいにどこかでちょうどよくなるんだろうか。
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ライオンはウサギを獲るときも手を抜かない
2015 DEC 8 23:23:10 pm by 東 賢太郎
野村證券という素晴らしい会社に入れていただき、そこで厳しく育てていただいたのが人生の幸運だったのですが、梅田支店で僕が尊敬するメンターだった土屋次長(のちの三洋証券社長)が、
「人の2倍ならやるな。足を引っ張られるだけだ。10倍やれ。誰も何も言わなくなる。」
と言われたのが忘れられません。
大学出たての若造にこんなことを教えてくれる会社があるでしょうか。それが頭に焼きついて、以来本気でそう思ってやってきました。普通なら若造が先輩の10倍やるぞなんて世界はないだろうし、そんな心意気を持っただけでもう足を引っ張られるでしょう。
ロンドンで日本株営業をしていた時代に「一銘柄で180億円買い」という注文を取りました。野村といえども大きな商いで、これが土屋さんへの恩返しでした。たしかに教えのとおり、それから誰も何も言わなくなりました。
ところが一方で、子供のころ親父に口癖のようにいわれた言葉があります。
「ライオンはウサギを獲るときも手を抜かない」
これと土屋さんの教えは一見矛盾するようであり、だから長らく僕はこれを忘れていたのです。会社を辞めて独立してから5年の歳月がたち、いまこの「ライオン」のほうの意味がやっと分かってきました。矛盾するのではなく、それをするから10倍できるのだということに。
血液型Aの僕はズボラに見えて、やろうと思ったことには尋常でなく細かいのです。普通は誰も気にしない細部まで徹底的に執着しますからB型、O型には一緒にやるのが耐えられないでしょう。それは親父の「ライオン訓話」による性格です。ブログはA型全開なので、これでしか知らない人は逆に僕がこだわりのない場面や分野ではいかに何も気にもしていないか驚かれるでしょう。
例えばゴルフは握り(ベット、かけ)に勝つことに全精力を傾注しますから、東はラウンド中ひとことも口をきかないというのは仲間内でジョークになるほど有名です。でも無駄口やらヨイショをしながらアバウトにやるなんてゴルフと思ってませんから気にもならない。
他人のプレーは、マスターズや全英オープンなどのTVも見ません。選手の名前も知らない。プロをいくら見たって僕のパットが入るようになるわけじゃなし、握りに影響のないことはどうでもいいのでそっちは極度にアバウトなんです。これに僕の万事が象徴されてます。
土屋さん方式ではウサギはいくら獲っても他人の10倍やるには効率が悪く、獲るに値せずとなります。そうするとアバウトな僕が現れてしまう。するとだんだん獲り方を忘れてしまっていざという時に腕がなまってウサギも獲れなくなります。そんなライオンは大物も獲れないのです。
「ライオンはウサギを獲るときも手を抜かない」
これは万事の基本中の基本です、親父は正しかった。それをしながら「10倍」を狙う目線をキープしておくこと。これは両立するし、そうでないと10倍は絶対にできません。大物は獲れるけれどもウサギはのがしてしまうようなライオンはいないということです。いえ、自分はウサギで満足です?そういう人が顕著に多いのが我が国なんです。ネズミでいいから毎日取りたい?そういう人はもっと多い。
クラーク博士のBoys, be ambitious!はだから発せられた言葉じゃないかと僕は思ってます。最近はboysより girlsのほうがよほどambitiousじゃないかと思う局面も増えています。
「人の2倍ならやるな。足を引っ張られるだけだ。10倍やれ。誰も何も言わなくなる。」
土屋さんは2倍のambitionはあると認めて下さったのかもしれません。そこでいただいたこの言葉、劇薬のような効果でした。目線をあげると色々新しい景色が目に入ってきます。
(追記、3月16日)
「ライオンに追われたウサギが肉離れになるか?」 (イビチャ・オシム、サッカー日本代表監督)
僕が言われたわけではないが、鋭い言葉です。肉離れで離脱する選手が相次いだ時にチームに発した警鐘だったと思います。「お前ら、たるんでっからケガするんだ、バカヤロー!」ってことですが、「そもそも死ぬ気でやってねーんだろ?」という強烈な叱咤が下地にあるのが怖い。いや、そう言わないのがエレガントだ。しかも、いけいけオヤジの精神論ではない、「一流選手なら自己管理ぐらいせ~や」というニュアンスなのがカッコいい。そして「それもできんお前は一流とは無縁だ」と突き放し、言ってることがわからん?なら頭も二流だぞという袈裟がけの切り捨て御免。オシムさん、すごい。この一言だけで知性とウィットが光る。くだらない質問をする記者に厳しかったそうだが、気持ちは実によくわかります。サッカーはあまり興味ないが、彼のファンです。
(こちらへどうぞ)
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クラシック徒然草-舞台のヤバい!は面白い?-(追記あり)
2015 DEC 2 1:01:29 am by 東 賢太郎
僕は人様にご披露する芸などなにもありませんが、証券マンというのは売るものが目に見えないので言葉だけで食ってる人種ですから落語家に近いかもしれません。特にスピーチでひな壇に登ったりするとそういう気がします。
立場上、「ようなもの」まで入れるとスピーチは数えきれないほどやりました。起債調印式、仲人、現法社長あいさつ、大学講義、クリスマスパーティ、部店長会議、転勤、就任、退任、日本人学校運動会、ゴルフコンペから他愛ないテーブルスピーチなどなど。
僕は原稿を読まない主義です。あると棒読みになりそうで怖い。だから100人集めて1時間しゃべった時もなし。英語でもなし。時計を見ながら30分なら30分でぴったり終ります。原稿の事前丸暗記でもなくて全編アドリブで、たくさんやって体で覚えた相場カン?です。
一度冷や汗をかいたことがあります。関西の某大学で90分講義をしたときのこと、「証券市場論」をやっていて「ところで・・・」と雑談で脱線しました。毎度のことで、ちょっと笑わせて目を覚まさせた程度の頃合いで本論に戻るのですが、この時は戻ろうとしたら「脱線箇所」がどこだったか忘れてしまったのです。
なんとか切り抜けたものの、頭が真っ白で動転。べつに二日酔いでも予習不足でもなく、この経験をしてからですね、暗譜で弾くコンサートのソリストやオペラ歌手を尊敬するようになったのは。楽譜を覚えたことをではありません、誰にでも起こり得る「ヤバい、忘れちゃった!」の恐怖にうち勝って日々生きておられることをです。
誰にでも起こる?例えば、ストラヴィンスキーは自作のピアノ協奏曲の第2楽章の出だしを忘れてしまい指揮者が歌ってみせて思い出した。自分の曲をですよ。岩城宏之の著書によると彼はピクチャーメモリーがあったらしく現代曲でも暗譜でしたが、頭の中の譜めくりが1ページ飛んで春の祭典を振り違えて止まってしまったそうです。記憶力の良し悪しだけというわけでもないようですね。
そんな人たちの次元ではないのですが、やっぱり何百人の前に立つといくら慣れても緊張はします。あがるのはいけません。あがり症だったシベリウスはウィーン・フィルのヴァイオリン入団試験に落ちてます。僕の場合、原稿ではなく見ているのは時計であって、しゃべりながら先を考えてます。あと5分か、ではあれをしゃべろう、なんて。そういう人間は予習しすぎがよくないかなと思いつき、やめてみたらうまくいくようになりました。
コンサートで目撃した「ヤバい!」はいろいろあります。ピアニストのアルフレート・ブレンデルが展覧会の絵である部分が終わらずくりかえしたり、リストの第2協奏曲で腕を振り上げたらメガネがひっかかって客席まで飛んでしまい(彼のレンズは厚そうだから)はらはらしたこと(ちゃんと弾ききった)。ロンドンでラフマニノフ第2協奏曲の第2楽章冒頭部でクラリネットのソロが1小節早く入ってしまい指揮者グローヴズが身を挺して乗り切ったこと。
マゼールの第九(ロンドン)第2楽章でティンパニソロの1拍たたき違いでオケ凍る、同じくマゼール(バイエルン放送響)でティンパニのバチがヴァイオリンの端まで飛ぶ、モスクワ放送SOの春の祭典(香港)でティンパニが「ああ勘違い」の強烈な一撃を思いっきりぶちかましてオケは粉みじんに空中分解という身も凍る事件もありました。
フランクフルト歌劇場(マイスタージンガー)では上演中に巨大なセットがメリメリと音を発して倒れかけ、歌手より多い裏方が舞台に総出演。なんとかもとに押し戻すと演奏そっちのけで喝采。ベルリン国立歌劇場(同曲)では某有名歌手が歌詞を忘れしどろもどろの口パクになって(彼はこれでも有名だったらしい)、ややだるかった演奏に一興を添えました。
忘れちゃったでもヤバい!でもないのですが最高傑作は、どこだったかな(たしかダルムシュタット)で、トスカがえらい太めだなと思ってたら、皆さんそうだったんですね、クライマックスの自殺シーンで飛び込んだ瞬間ドスンと轟音?がとどろいて満場がこらえきれず失笑。悲劇が一転して喜劇になりましたが、まあ彼女の身を挺した熱演にカーテンコールはあったかいもんでした。
面白いけどやってるほうは必死ですよね。失礼しました。
(追記)
何といっても抜群に面白いのはこのビデオでしょう。マゼールの春の祭典の稿に書きましたがURLが違っていたのでここに再録します。
「前回、ティンパニのミスの話を書いた。しかしあんなものは可愛いものであり、春の祭典の演奏がどれほど難しいかということまでを教えてくれる映像がある。ズビン・メータ指揮ローマ放送交響楽団の69年のライブである。これだけいい加減な春の祭典というのも希少である。笑ってはいけない。前半だけでも、トランペットが一音符遅れて入りちゃんと吹ききる、フルートが一小節ずれてちゃんと吹ききる、クラのトリルが抜ける、ティンパニが間違ってドカン、オーボエが一小節早い・・・少なくとも5か所の尋常でない「事故」がある。後半もペットが落っこち、ティンパニはズレまくる。圧巻はコーダに入る所でティンパニが一小節飛ばして入り、気がついて立て直したつもりがひきつづき間違った音をバンバン叩き続けるためついにアンサンブルが崩壊。止まりかけの緊急事態となるがホルンと木管が何とかつないでティンパニは落ちたまま終わる。歌劇場ではミスに情け容赦のないローマの聴衆がブーのひとつもなく大喝采、スタンディング・オベーション。なんとも微笑ましい。」
驚くべきことにローマの聴衆でこの事件に気づいた人は会場にひとりもいないようだ。そして、この演奏会があった同じ1969年に、あの歴史的なブーレーズ/クリーブランドO.の春の祭典が録音されるのです。メータには大変申しわけないが同じ指揮者と称しても別種の人間としか思えないが事故をよく収集して終わらせたという評価はできるかもしれません。いずれにせよこのVTRは何かのジョークでなければ彼の名誉のために消された方がよろしいでしょう。
ご縁、ご恩に報いたいというモチベーションは強い
2015 NOV 30 22:22:39 pm by 東 賢太郎
30年来お世話になっているSさん(としておきます)ご令息の結婚披露宴が帝国ホテル孔雀の間でありました。日経新聞の「首相官邸」欄に載っていたので隠すことでもないのですが、高円宮妃殿下、女王殿下、安倍首相、森元首相、菅官房長官・・・と公家、政財界約500名がご列席で、畏れ多くも末席をけがさせていただきましたがこれだけの式典は未経験です。
新郎新婦関係者ではないのでご友人という資格はなく、肩書が必要であるゆえに我がソナー・アドバイザーズ株式会社は国を代表する綺羅星のごとき大企業に名を並べていただくことに相成りました。格別なご配慮には頭が下がるばかりでございます。式典も安倍首相スピーチは英国宰相チャーチルの自伝を引いて含蓄がありましたし、森元首相、御手洗経団連会長、柳井ファーストリテイリング社長も若者たちの門出にさすがのものでした。それをいただいた新郎は父親譲りの大物ですが、きっと勤務先の野村證券でロケットスタートになるでしょう。
Sさんと3年の時をご一緒していなければこういうこともなく今の自分もありませんから、当方から大事なご縁であったことは言うまでもありません。しかし、世界基準での大経営者への道を歩まれること確実のSさんが、こうして30年前のささやかなご縁を忘れずにいて下さる重みはそれとはるかに次元が違います。微力ではありますが、それにお応えすることをモチベーションにしたいと心から思いました。どんなものよりも、このような動機は多大のパワーを秘めていると愚考する次第です。





