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カテゴリー: 自分について

一夜漬け

2016 NOV 26 2:02:30 am by 東 賢太郎

外国人と少人数でやってるディールなので仕方ない。もう昨日になってしまったが、帰りの飛行機を降りるまでブチ切れぎみで血圧は200も行ってただろう。昔だったら5人ぐらいぶっとばしてたが契約書をビリビリ破いたぐらいで済んだ。みんなを凍らせてしまって申し訳なかった。

何とも大人げないが大人げを気にしてる場合じゃない。23日のお芝居も直前までスマホでその契約書にバカヤローと頭きて直していたりして、ロビーで待ち合わせの阿曽さんにも失礼してしまった。すいません。あそこのテンパった状態から早野さんの見事な演技と飲み会ですっかりほぐしていただいたけど・・・。

生来の気質はなおらない。そこまでのぺーっとやってたのがゴール前でいきなりダッシュになるので毎度のことだが周囲がつんのめる。弁護士など先生がたには「生まれつき万事が一夜漬けなので区切り区切りで強めにキュー出して下さいね」「ここぞで怠けたら叱ってください」とお願いしてる変な客だ。

何をしたら怒るかわかりやすいし怒らせないようにやってくれれば大概のことはうまくいくんだからチームとして害はない(と勝手に思ってる)。僕は人に怒ることは絶対にない。簡単に言えば、勘所・キモがわかってない、わかっててもやることがええ加減である、これがダメだ、何をやってもアウトだ。

キモでないところはどうでもいい。意味ないことがんばると無駄に疲れて人生にマイナス、それならスカッと遊んだほうがいい。意味あることを意味ある時にがんばれば80点はとれる。まあ赤点はない。そうすると自然と一夜漬けになっちまう、というのが苦しい言い訳だ。

 
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畏友・中村とカープ・黒田に

2016 NOV 6 13:13:45 pm by 東 賢太郎

ありがとう。

9

黒田の投球を球場で見たのはたった一度だけ、去年の7月1日、東京ドームでの巨人戦のことです。中村から急に「チケットがあるんだよ」と電話があったのでした。

どういうわけかあの日、もう黒田を見るのはこれが最後かなと思っていて、彼の一球一球、一挙手一投足、ボールの握りまで目を凝らして観て、歓声の轟く中で中村にそれをああだこうだと大声でいちいち伝えて、最後はサヨナラ負けしたけれど「すごい試合を見たな、こんなのはもう二度とないぞ」とふたりで感動し、あまりに万事納得しており、帰りに一杯やるかと言っていたのをやめて帰路について目黒線の大岡山で別れ、興奮冷めやらずアップしたのがこのブログでした。

黒田の投球を初めて見る(追記あり)

いま読み返してみて、最後に、

「結局、黒田一人対巨人軍ベンチ全員となって、負けた。だから結果はいい。わかる者には黒田がいかに凄い勝負師かが目に焼きつきました。20億円もらう男は違うんですよ。3千万円ぐらいのやつらにわかるかどうか。これを見てカープの全員がどうするか。そこですね。」

と書いてます。そうだったんだ。まさにそこだったように思います。それが去年はわかっていても出来ずに屈辱の4位だったけれど、今年に一気に花咲いての優勝だったのではないでしょうか。黒田の背番号15が永久欠番、当然のことと思います。

あれから1年4か月。10月25日の日本シリーズ第3戦、黒田が人生最後の登板を終えたその翌日が畏友の告別式でした。

 
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畏友、逝く

2016 OCT 21 5:05:26 am by 東 賢太郎

なんか悔しくて、
よくわからない、眠れない
なぜ、君みたいないい奴が、
俺は何に怒ればいいんだ

京都の春は2度、ほんとに行ってよかったなあ
こんな桜もおどりも初めてと喜んだが
その喜び方が、そのすなおでポジティブなこころが、最高だと思った

去年8月九州を旅したばかりだ、嬉野、有田、吉野ケ里、博多、大宰府
楽しかった
どこで何してどうしたかって、会話だって覚えてるぞ
あれは7月に急にヤフオクで野球見ようといってきたんだ
あれはなんだったんだ、腰が痛いのに

あれでよかったのか

あたまが深くて、つよいな
これはかなわない、といつも思ってた
でも、好奇心も探求心も博識も、話し相手は君しかない
あったかくて、人肌があって、こころが空みたいにひろい
俺の勝手もめちゃくちゃもなんでもいったんのみ込んでくれた
そういう人といると安らぐんだ、不安だらけだから

みずほに移らせていただくことになって、最初の日だった、
ファーストスクエアのロビーで、忘れもしない、
あした夜いけないかと
はじめて声かけてくれたのは君だ
送別会かなにかがあって、すいませんといったら
そうか、東とは飲めないのかなあ、とちょっと残念そうにいった
あのひとなつっこい笑顔で、なにかすっと新しい職場に入れそうな,

どれだけ初見参にのぞむ新入りの気を楽にしてくれたか

君はそういう人だ

仕事は引受とシンジケーション、ずっと緊密なパートナーだったね
こっちは優秀な3行のバンカーのみなさんに後押しされただけだった
後日に君のブログの博覧強記と強靭なセンテンスを見ることになって、
わかった気がしたよ、こんなすごい人たちだったのかと

君の外国旅行記を読んで、
行った先々でこんなに物事をすぐ学んで帰ってくる人なんて知らない
足元にもおよばないといつも口惜しかった
そういう人が幾人かいたが、君はまさしくその筆頭だ

ゴルフは何度か行ったね
絶対勝つつもりだったが、
どうも調子がおかしくて負けた
どこかにスコアカードあるぞ、見たくないけど

そうやって仕事も遊びも、大みずほに引き入れてくれたのは君だ

それがなければ人生変わっていたかもしれない

そうしてちっぽけな会社を作った俺を当時となんの変りもない目で見てくれてSMCにはいってくれた

それがどれだけうれしかったか

君はそういう人だ

きのうブログをぜんぶ読みかえした

ちゃんと声が聞こえてくる

今日もう一回読みかえす

千年残してやるからな

でも中島さんのコンサート、おい、あれが最後ってのはないだろう

 
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クラシック徒然草―ミュンシュのシューマン1番―

2016 OCT 2 15:15:41 pm by 東 賢太郎

アメリカに住んだ2年間(1982-84)というのは僕のクラシック・ライフにとって危機だった。フィラデルフィア管を聴いたりオーマンディーやバーンスタインやチェリビダッケに会えたりといいこともあったが、とにかくMBAの勉強というのは朝から夜中まで殺人的に激烈で、時間もないし心の余裕なんか微塵もない。最初は英語がさっぱりで授業についてさえいけず、発狂寸前だったと書いてちっとも誇張ではない。

野村證券は当時からハーバード、ウォートン、コロンビア、スタンフォード、シカゴ、MITなどのMBA取得者がごろごろいて、金融界最高峰であるウォートンの入試になんとか合格はしたものの渡米前にそういうこわい先輩がたに散々脅かされた。それも「お前、落第などしたら一生の赤恥だぞ」「また支店に戻すからな」なんてドぎつくだ。人事発令があった当初は、ビジネススクールなんてタイプライターの練習でもするんかいとお気楽トンボの無知であった僕は、それで一気にシベリア出征する兵士の悲愴な心境となっていた。

当時、社則で社費留学資格は独身ということになっていた。留学したいと挙手したわけではなく突然の社命だったのでこれは調子悪かった。梅田の寮生活が2年半あってそろそろと思っており、2月の結婚を決めてしまった。先日先輩のご令息の結婚式があって、イケメンの彼はコロンビア大学のMBA留学が決まって「アメリカに一緒に行こう!」がプロポーズだったそうだが、こっちはそんなカッコいいもんじゃない、家内には結婚して一緒に行ってくださいとお願いしたのであり、その先には人事部長へのお願いという難事が立ちはだかる綱渡りだった。このお願いが通ったので社則がかわり、野村の若手ホープであるご令息はプロポーズできた?ということになるのを彼は知らないだろう。

そんなドタバタだったからアメリカに送る荷物にLPレコードを入れようなんて発想は出ようもない。認めてやるから最初の半年は一人で行けという会社の妥協的お達しで新婚もへったくれもなく単身赴任、しかも大学院の寮で米国人とルームシェアだったから音楽なんてきけない。これは参った。授業はわからないし予習復習に追いまくられてマックで外食する時間も惜しく、毎日自炊?でラグーソースをぶっかけたスパゲッティで生きのびていた。心身ともに栄養失調でふらふらだった。

やっと半年たって家内が来てくれて生き返った。部屋は家族用の寮に引っ越した。しかし勉強はますますハードになってきて毎日図書館にこもって猛勉強で、深夜0時に来る校内警察のパトカーで帰宅していた(そんなに治安が悪かったのだ)。そうこうして、やっとなけなしの貯金で念願のオーディオ(安物のカセットプレーヤー)を買った。ダウンタウンのサム・グッディというレコード屋に毎週末しけこんで飢えた狼みたいにカセットテープを買いあさった。これと家内がつくってくれる日本食でなんとか発狂と餓死だけはまぬがれたというところだ。

しかしだ。店頭に並んでいるカセットのレーベルはというとCBSやRCAやVoxなど米国ブランドばかりで、英国のEMIとDeccaは少しあったがDGなどドイツ語圏レーベルはほぼ皆無だった。なるほど、これが「米国市場」というものなのか。指揮者はトスカニーニ、ストコフスキー、ミュンシュ、ライナー、セル、ワルター、オーマンディー、ショルティ、ラインスドルフ、スタインバーグ・・・おいおいドイツ人はどこだよ?おれはドイツ人がやったベートーベンが欲しんだ。

欧州から呼んだり亡命してきたりした彼らはいわゆる「外タレ」軍団で、彼らが振った米国のオーケストラのレコードを「本場もの」として付加価値をつけて売る。そうやって米国市場は「閉じて」おり米国資本が潤う仕掛けが出来上がっていた。それは英国もそうで、フルトヴェングラーやカラヤンに英国のオケを振らせたのだが米国は亡命ユダヤ人に強みを発揮していた。ドイツ語を母国語とするオーセンティックな巨匠がベートーベンやブラームスを本場流に聞かせる、そこに価値があったのである。

余談だが、そうやって拡大したクラシック米国市場は情報・メディア・テクノロジーを牛耳るユダヤ産業であり、外タレにドイツ人がいないのも道理であった。ナチだったカラヤン招聘など論外であり、真偽はともかく反ナチといわれたフルトヴェングラーはドイツ系に熱望されたがユダヤ勢力に潰された。クレンペラーは首尾よくシェーンベルグもいたロスに呼んだが、あいにく彼はチープな米国文化が大嫌いだった。そこで産業が熱望したのは米国国産のユダヤ人のスターだ。それがレナード・バーンスタインの正体である。

ふたりのユダヤ人、ワルターが持ち込みアブラヴァネルがユタで全曲録音したマーラーの交響曲はバーンスタインの伝道で新たな「旧約聖書」となった。ドイツ音楽産業の本丸DGはLPの恰好な長時間コンテンツとして無視できなくなったマーラーをおずおずとカラヤン、イタリア人ジュリーニ、はたまた極東の小澤に録音させた。遠巻き作戦を転換してウィーンフィルによるバーンスタインのマーラー録音に踏み切ったのは、バレンボイムがイスラエルでワーグナーを振ったぐらいの歴史的事件だ。僕はVPOのヴィオラ奏者から「マーラーはバーンスタインに教わった」との証言を得た。それがいい口実になったということだ。

英国EMIはフィルハーモニア管を人質に差し出して米国を逃げ出したクレンペラーを囲い込み、マーラーの弟子としてワルター、バーンスタインの向こうを張らせにかかったが、彼のマーラーは辛口で大衆うけせず、審美眼から駄作は振ろうともせず、結局は旧約聖書ビジネスとしてはうまくいかなかった。米国・ドイツの狭間でユダヤ資本を巧妙に抱き込んで立ち回る英国の政治経済でのずる賢さをここにも見るが、それがいつもうまくいくわけではないということだ。ちなみにその近年最大の失敗策がEU離脱国民投票実施の愚だったのである。

閑話休題。

ところがフィラデルフィアはイタリア系移民が多い街だ。ドイツ物の需要はさほどでもなくストコフスキー、オーマンディーに独墺のイメージは薄い。だからナポリ人のムーティ―が後任にうまくはまったがサヴァリッシュはいまひとつだったのだ。ムーティーはドイツ物音痴ではないが僕が定期会員だった2年間、あんまり取り上げなかった。「サム・グッディにドイツ語圏レーベルはほぼ皆無だった」のは理由があったわけだ。マーケティングの生きた勉強にはなったが、部屋のカセットは増えてもドイツ人によるドイツ物への渇望はちっとも癒えない。そうでなくても僕のチェコフィルやDSKを好む東欧趣味は既に確固としてできあがっていたものだから、ドンシャリのアメリカ流の安っぽいブラームスなど歯牙にもかけたくない上から目線ができてしまった。

51npsfxd1el-_sx425_そういう飢餓感のなかで、オイゲン・ヨッフム(!)がバンベルグ響(!)を連れてきてやってくれたベートーベンのPC4番(娘のヴェロニカのピアノ)と交響曲の7番、アカデミー・オブ・ミュージックの忌まわしいほどくそひどい音響にもかかわらず、かつてこんなに渇きをいやしてくれたコンサートはなく、まさしく絵にかいたような砂漠のオアシスであった。ドイツ物タイトルを買い揃えていたらシューマンのシンフォニーで、米国のオケではあるがとてもドイツ的な音と演奏の楽しめるものを発見した。セムコウ/セントルイス響の全集がそれだ。感涙ものだった。本当にお世話になった。

6700247そしてなんといっても毎日のように聴いて格別に思い出深いのはミュンシュ/BSOの1番「春」だ。これは本当に素晴らしい。ラッパがあっけらかんと明るいが、ミュンシュはそれを逆手にとって終楽章のトランペットの合いの手、パラパパパパの軽妙なリズムを浮き立たせて個性としてしまっているからしたたかだ。それが耳に残って離れないから作戦大成功だ。こういうきわめて特別(occasional)な思い出と一体となった音楽の記憶は一生ものなのだろう、聴くとちょっとしたフレーズの特徴にでもあの頃を思い出すが、それは昭和の歌謡曲で学生時代が目に浮かんでくるのとなんらかわりない。この演奏はアメリカのオケ=チープという、今思うと大きく見当はずれの偏見を根底から払しょくしてくれた恩人のような存在で、本稿に縷々書き綴った我が若き日の物語が詰まったものだ。いま我が家の装置で鳴らした堂々たるボストン・シンフォニーホールの音響は、当時のカセットの貧しい音からは想像もつかぬ、有無を言わせぬシューマンの音である。ミュンシュという人はスタジオ録音でもライブのような棒であったとみえ、アンサンブルはテンポの変化でやや乱れたりするがそれが魅力であったりもする。僕のような思い入れがなくとも、当時のボストン響は非常に優秀でありこの演奏も活気に満ちた名演となっている。これをぜひ聴きいただきたい。

 

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(2)

 

 

 

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元宝塚の真丘奈央さんのコンサート

2016 SEP 11 23:23:39 pm by 東 賢太郎

先週は駆け足で海外に行ったり気疲れが多く、安らがない日々が続いている。スケジュールもくるくる変わったりで、今年からSMCの新メンバーにお迎えしたミクロネシアはポンペイ島ご在住のトム市原さんが来日されるものの、お会いできるかも危うい状況になった。

それが金曜の夜ならなんとかというのに落ち着いて、それならこれをぜひ一緒にというので行ったのが、元宝塚の真丘奈央さんのコンサートだった。

masaoka

 

 

なにしろ「保護犬・猫のためのチャリティーコンサート」というのがいい。僕は殺処分ゼロを断固支持する者である。人間の勝手で犬猫を飼っておいていらなくなったら捨てる、店で売れないから処分する、かように玩具や商品在庫のように動物の命を扱うのは人として悲しい。

 

 

僕は犬を飼ったことがないが、覚えていることがある。和泉多摩川の団地住まいのころ、七五三だったのだろうから3才のことになる。両親に連れられて羽織袴で橋を渡って登戸の神社へ行った。するとそこにいた茶色の犬が僕になついてきて、何が気に入ったのか、帰り道、いたずらで橋桁の上を歩いたりしながら戻って来たのに家の前までずっとついてきてしまったのだ。「飼いたい」と泣いてせがんだが、親父が頑としてだめであった。翌日、ひょっとしてと周りをあちこち探した。どこにもいなくなっていて、ひどくせつなかった。

あの犬はどうしてしまったんだろう・・・。3才の記憶なんてそうあるものじゃないのにこれは信じられないぐらい、昨日のことのようにはっきりとプレイバックできてしまう。なぜかと言うと、僕はその犬と気が合っていた。あっ、こいつがいたら毎日が楽しいな、いい友達になれそうだとひらめいていた。人だって動物だって、そんなことってそうあるもんじゃない。あれを親父が飼ってくれたら今頃は犬派だったかもしれないなあ。主催のNPO法人の方のスピーチを聞きながらそんなことを思い出していた。

真丘さんが宝塚スターだったということも、そもそも宝塚が何なのかということも門外漢の僕は知らない。しかし、結論として事実として、僕は2時間わくわくして楽しんだのだ。前から2列目で表情が良く見えたのも幸いしてか、自分は女の人が歌を歌っているその笑顔を見るのが好きなのだということがわかった。

オペラやミュージカルというのはずいぶんたくさん見たが、登場人物がずっと笑顔なんてことはもちろんない。怒ったり泣いたりしているのは無条件にいやだし、癒されたいときは宝塚のほうがいいのかもしれないなどと思ってしまった。そういえばお袋がこんなの大好きだ。遺伝かな。

というわけで音楽も楽しかったがこちらも心からの笑顔になって帰していただいた。心の漢方薬だ。ロビーで大勢のファンに囲まれる真丘さんに御礼のひとことぐらいと思ったが、女性ばっかりの熱気に圧倒され失礼してしまった。

そこから市原さんらと三鷹の駅前で食事。ご友人は「算数オリンピック委員会」のかたで、日中両国で毎年3、4千人の小学生が競うそうだ。関心ありますということでお別れした。

 
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リオの鮮烈な思い出

2016 AUG 7 0:00:48 am by 東 賢太郎

リオ五輪の開会式の入場行進を見ていて、206の参加国のひとつに「難民」というのがあるのが時代だなあと思いました。世界が貧富のディバイドという難題に見舞われており、それが政治、宗教、国境問題、軍事対立そしてテロという形で表面化しています。そのどれもが個別独立の原因に発した別個の問題に見えますが、そうではなく、その根っこに横たわるのは貧困、飢餓というひとつの、しかし最も深刻な問題です。式典の前半はそれに周到に配慮したものと見ました。

華やかな会場を一歩出るとバリケードのような柵が囲っていて機関銃で武装したポリスが大勢張り込んでいる様子が画面に映しだされます。バッハ大会委員長の誇らしげなスピーチが人類の平和を謳い、聖火台の点火と見事なアトラクションに酔って放映が終わると、正午すぐに始まったニュースが今日8月6日は広島の原爆投下から71年となった日であることを伝える。黙とうの要請を広島市が送ったがそれは見送られたようですね。実に複雑な気持ちになったものでした。

3年前にこのブログを書きました

津坂さんの蛙鳴蝉噪(幸福度)を読んで

このブラジル出張がリオ・デ・ジャネイロでありました。1991年の2月初旬、まだ36才です。成田からバンクーバー経由で24時間かかりましたが、このとき搭乗したヴァリグ・ブラジル航空は実に快適で、ビジネスクラスなのに食事はファースト並みで立派なフィレステーキまで用意されてよく覚えてます。サービス良すぎたんでしょうね、2005年に倒産してしまいました。

リオには午後到着して、ホテルはたしかシーザー・パレスでした。フライト疲れと時差でふらふらでしたが、なんだかときめくものを感じて外を歩きました。2月(真夏)。カーニバル1週間前のざわざわ。まぶしい太陽。イパネマ・ビーチを歩くと渋谷の駅前みたいに若い女のコばっかりわんさかいる。それがみんな堂々たるトップレスで頭がくらくら。仕事柄40以上の国を訪問してますが、リオの衝撃をしのぐ経験は今もってありません。

インフレ率が300%と聞いており、まさかねと半信半疑でした。ところが同行の後輩が「ほんとですよ!」と大声をあげます。ホテルのショップでネクタイの値段をじっと見ながら「ほら昨日の値段から1%上がってるでしょ?」ほんとうだ。さすが証券マンは相場に目ざといとそっちも関心しましたが。しかしネクタイのプライスタグのお値段が株価みたいに上げ下げするなんて・・・定価販売に慣れた僕らは目が点でした。

財務省の高級官僚さんの2億ドルの借款返済への大物スタンス(要はケセラセラ)には2度目の衝撃をくらいます。役人が1200万人もいて民間より多く、今のギリシャみたいなもんでした。前年に620億米ドルと人類史上最大のデフォルト(要は国家破産)をした国の財務省です。馬鹿なことを聞くなと思ったんでしょうが、当時はこっちはあんまり事の深刻さがわかってなかったですね。

飲み屋で英語の通じるおっさんに「大インフレと不景気のわりにホームレスがいないね」と尋ねると、「あったかいからね、寝れればどこでもOKさ、食いもんはバナナもヤシの実もそこらじゅうに落ちてるよ」。なるほど今になってみればミクロネシアとおんなじだったんだ。国はぼろぼろで借金漬け、国民は衣食住足りてサッカーで幸せ。これはサンパウロ、ブラジリアへ行っても同じでした。

このあとアルゼンチン(ブエノスアイレス)、チリ(サンティアゴ)の財務省、企業も訪問して大旅行だった出張を終えました。この数奇な体験で僕の「国家観」は根本的に修正が加わることになりました。インフレを肌でイメージしましたし、国債なんていかにはかないモノかも痛感しました。数字だけで頭で理解してる人にはこの感じはわからないだろう。

当時は梅田支店、ロンドンと株を売る野蛮な営業の経験しかなく、スマートな国際金融業務などド素人もいいところ。そんなのが課長で赴任した国際金融部の皆さんは大変だったろうと申しわけない限りですが、その2年間で引受業務のイロハを習ったのはその後の人生で大きなプラスでした。この出張も経験して来いという部長の計らいだったと思います。野村證券はほんとうに懐の深い会社。ここに入らなければ今は絶対にありません。

 

(こちらもどうぞ)http://sonaradvisers.co.jp/2016/08/07/776/

 

 

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外野の声など無視せよ(阪神タイガースの危機に思う)

2016 JUL 27 3:03:04 am by 東 賢太郎

もともと競争が好きで忍者マンガや戦争映画に夢中、勉強とスポーツだけやってればいいように育ちました。それが体育会で磨かれ会社では当然のごとく武闘派。当時の野村で武闘派は半端でなく、結果を出さない者、軟弱な考えや物事はいっさい問答無用で認めなかった。部下は大変だったでしょう。

今年の阪神タイガースを見ていると、金本が苦労してる。わかります。何でお前はそんなことができんのや?できんなら倒れるまで練習せいやこのボケが!そうやって藤波を160球投げさせてしまう。たぶん。そういえばカープの緒方も野村にそれらしきことをしてました。

それがけしからん、つぶす気か、今時の監督の器じゃないと批判の嵐である。これはつらい。なんか社会全体がフェミニンになってる気がする。戦いを礼賛する気はないが、男の世界は動物界を見るまでもなく女の取り合いにしろエサの分配にしろ競争なしにあり得ないと思う。

文民支配の世は結構だが男がどんどんオスの本能から乖離していってる気がします。草食系ですから?そんなの言葉のお遊びでしょ、草食獣だってメスや縄張りを熾烈に争ってますよ。まして競争、戦いの場であるグラウンドでそれでどうするんだろう。そんな情けない男どもを女は望んでるのだろうか?

我が事で恐縮ですが、営業ヘッド時代の僕にまともに口をきいてもらえると思っていた部下はいないだろう。口を開けばまさしく、何でお前はそんなことができんのや?できんなら倒れるまで勉強せいやこのボケが!でした。

当時の営業はすぐれて軍隊チックであり、みなさま僕の音楽ブログで違ったイメージを持たれていると拝察しますが(家では確かにそうでしたが)会社では笑わない野蛮な将校だったのです。それで大変に強い組織でしたから当時のあの会社では正義がありました。

その目で見ますと、ご批判はあるでしょうが、金本は妥協なんかせず、いらん中堅・ベテランなど問答無用で切って、彼のイズムで必死にはい上がってくる若手(必ずいるはずだ)と心中すればいいんです。それで今年は最下位であろうと今に見ておれでいいんじゃないでしょうか。今年のカープみたいになれば。

だめなら責任とってやめればいい。慣れない妥協をして、それで結果が出ずに首になるのだけは見たくないですね。選手としての彼を好きでしたから。緒方もそうでした。広島カープがどういう拍子で今年強いのか知りませんが、マエケンがいなくなって何かが吹っ切れて一丸となった、その波に乗った気がします。

何かをやろうというなら周囲の声など無視でしょう。

 

 

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完全主義という困った性格(ミケランジェリの夜のガスパール)

2016 JUL 22 12:12:01 pm by 東 賢太郎

自分の性格で困るのは完全主義ということです。A型に多いらしく、だから日本人に多いのかもしれませんが、僕の場合、それは関心事においてだけのことで、それ以外はむしろ「積極的に無関心」というのがより困るのです。

まず身の回りのことは無関心の代表格で、大変に苦手です。小学校で教室の大そうじのとき、自分なりにやってるつもりが女の子に「あずまくんはじゃまだからどいてて」と外に出されてしまいトラウマになってます。見かねた親がカブ・スカウト(ボーイスカウトの小学生版)に入れましたが何ひとつ興味をひかず、思い出は飯盒炊飯で食べたカレーがうまったぐらいです。

これを自己分析してみると、万事まずは右脳が好き嫌いを独断で決め、嫌いだとそこでスイッチ・オフ、好きだと初めて左脳が登場するという感じです。問題は左脳が細かいヤツで、こいつが完全、パーフェクトを求めてしまう。それに満たないと元に戻って、結局スイッチ・オフ、という回路があるようです。完全主義の人が皆そうなのかどうか、これは関心のあるところです。

音楽を聴いて困るのは、技術的にパーフェクトな演奏がないことです。人間がやることですからね。僕がどうしても楽譜を見てしまうのは、そこで頭に鳴る音楽は無傷だからかもしれません。では機械やシンセが弾けば好きかというと、それはない。人間がやってこそ伝わるものは右脳の好き嫌い回路で「好き」となる絶対条件だからややこしくなります。

つまり、人間らしさは欲しいが機械みたいに正確にやってくれ、と無意識に求めてる。これはかなり矛盾があって無理難題なのですね。

僕が「完全」と思う要素のうち音程(ピッチ)とテンポとリズムが英数国みたいな主要3科目です。どれが欠けてもアウト。しかしこの3つは優れた演奏にはあまりに当然のことであって、野球ならキャッチボールです。これが下手でプロになるのはあり得ないファンダメンタルズです。

以前に弦楽器のピッチ、ことにミとシの問題を書きました。経過句は大家でも弾き飛ばしがあるとも。これに神経の通う人は、しかし、往々にしてパッションが落ちてしまう。かくも人間らしさは正確さと相容れにくい。だから両立した演奏家を見つけると、ウルトラ・レアものですからね、僕は平静でいられない。ユリア・フィッシャーはそのひとりで、10月15日の来日公演を心待ちにしているのです。

以上は僕がブーレーズのストラヴィンスキーやトスカニーニのベートーベンに魅せられてクラシックに入門した経緯を極めて合理的に説明します。そういう人間だったから僕はクラシック好きになりました。作曲家にしても、まず右脳がはねてしまった人、それは聴き始め最初期に起きてますが、それが50年たって好きになったことはほぼありません。かたや演奏の完全性においてはやや基準が低くなって、人間らしさの比重が多めでも(つまりミスがあっても)いい、そのぐらい人間性は感動の源泉になることは学習してきました。

ブーレーズに人間性があるか?あります。それは春の祭典の最初のオーボエの小粋なフレージングや、古風なメヌエットの最後の審判みたいにドスのきいたティンパニの打ち方など、そこかしこにある。日本的な人間性、飲んだら意外にいいおやじだったみたいなものではなく洗練、知性、均整といったものですが、それは超絶的な美人が一見冷たく人間離れして見えてもあくまで人間であるかのようにヒトの一側面なのです。

その人間性というものが合うかどうか、こっちも人間だから大きな要素になります。ヒトの相性です。これは右脳だから理屈はないのであって、作曲家も演奏家も合わない人は合わない、だから聞かない。それだけです。クラシックは名曲ざます、全部いいと思わなきゃいけませんよ、思わないのはあんたがだめなのよ、ねっ、楽聖、音楽の父、交響曲の父・・・なんて音楽の授業、そんなのなんぼのもんやねんと反抗して通信簿2をつけられた僕は思うのです。

音楽の先生より僕の完全主義はずっと厳しいものなので、クラシックのレパートリーはほぼさらいましたが「いい演奏」というのがいかにないかという限界に当たっています。ピアノも弦楽もオーケストラもオペラも。

ピアノで言いましょう、僕はかつて実演で完全、完璧なピアノ演奏というのを聞いた記憶はありません。唯一近かったのがロンドンで聴いたミケランジェリのショパンとドビッシー。知情意と技術の両方においてあれほどの高みに達したものはありません。どちらも感情が高ぶる音楽ではないのでクールに冷静に聴いていたわけですが。

次いで、やはりロンドンでのポリーニの平均律第1巻、リヒテルのプロコフィエフ。やはり淡々と聴いていて、精神にくさびを打ち込まれたと感じるほど打ちのめされた体験でした。ピアノというのは音程の問題がないのでよりテンポとリズム、フレージングに気が回るのですが、この3人のような技術が少なくともないと立ちのぼらせることのままならぬ世界が確かに在って、現場でそれに立ち会えるというのは僕ぐらいの頻度のコンサートゴーアーでは奇跡のようなものです。

録音でそれを感じるのはなかなか難しいですが、こんなのはどうでしょう。

まったく奇跡のように素晴らしい。これをライブで聴いたらいかほどのものだろう。なにしろミケランジェリも完全主義者だなあということがビンビン伝わってくるから僕などほっとすらします。よく耳を澄ませて聴いてください。これは99%完璧な「夜のガスパール」だ。完璧さが興奮をそそるという、すべての演奏の99%でありえないことがおきている物凄い演奏であります。

彼はラヴェルをなんでも弾いたということはないのですが「夜のガスパール」は十八番だったようです。寡聞にしてこの録音は知らずブログの推薦盤にも入ってませんが、あの日のドビッシー(前奏曲第2巻)を思い出した。これをこれだけ弾ける人は現存するんでしょうか?

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

 

 

 

 

 

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宇野功芳氏について

2016 JUN 23 0:00:28 am by 東 賢太郎

僕がクラシックを聴き始めてまず基礎的な知識を仕入れたのはレコード芸術という月刊誌だった。多彩な評論家のレコード評を読みながらなるほどそういうものかと覚えていったから実用的な教科書みたいなものだった。

文章を読むのは入門には有益だ。クラシック音楽は楽譜と同じぐらいに言葉によって存立している。百年も二百年も前に作られて以来、数多の人が投げかけた無尽蔵の感嘆詞や文章の集積、集大成がそれをクラシックたらしめているといって過言ではないだろう。

だから我々は名曲を耳だけでなく評論という形で目からも覚えることができる。そのほうが記憶は強化できるのだ。ワインといっしょで、世間ではどういうものが三ツ星なのかを知って自分の耳で覚える。今度は別な演奏をその記憶と照らし合わせてみる。それが圧倒的に速い方法であることは僕だけでなく多くの友人が実証している。

レコ芸の論者はいろいろ個性的な方がおられた。評論家は商売なのにコマーシャリズムを見下す大木正興さんの評論の立ち位置は微妙だったが、あの硬派な権威主義とアカデミズム、一刀両断のスタンスには有無を言わせぬものがあった。原稿料で食ってもそれが自分の美学を揺るがすことはないという頑とした矜持は当時の僕にはどこか知的で格好良くもあった。あれはさすが美学科だ。

仏文科の吉田秀和さんは月評は書かない、彼はむしろ音楽に博識の文人、文学者だが、東京帝国大学という官僚養成学校の欧州文明文化の翻訳・解釈に根差した教養がご両人ともベースにあるのは同じだろう。僕は大木さんのスタンスの方が肌に合い、彼のドイツ礼賛と米国蔑視は徹底していたものだからその影響ももろにかぶった。第2外国語がなんとなくドイツ語になったのはそのせいだし、後に米国留学してもそれがなかなかぬけずに困ったものだ。

東大色濃厚のご両人に対し先日他界された宇野功芳さんはリベラルで主情的で正直のところやや軽く見ていた。ただ、他の先生たちよりも文章がわかりやすくお堅いクラシックを大衆芸能みたいにイメージさせる強みは絶大で、聞く前から聞いた気にさせてくれる。大木さん、吉田さんだと知らない自分が恥ずかしい風になるが、宇野さんは文章と一緒に聞いている気分になってくるので読んで抵抗がない。これは才能だと思った。

とくに宇野さんを見直したのは、自分で指揮をされるのを知ってからだ。音楽=教養というのは変だと思い始めていた頃で、そういうスタンスで教わったから自分は音楽の授業が嫌いだったのだと気がついたのがきっかけだ。プレーヤーの言葉、評論こそ読みたいものだと思い至るようになっていたから、指揮者でもある宇野さんのそれに謙虚になった。

彼の演奏を聞いてみると、趣味はまったくあわないが評論内容とは言行一致しており、自分丸出しでやりたい放題のすがすがしさが気に入った。なるほど音楽は「するもの」だと思い、ピアノを練習しスコアをじっくり読み始めたのはそこからだ。だから僕は六法全書より楽理書のほうが詳しくなった。これは彼のおかげといえる。

caplanその路線でいうなら、米国の経済誌インスティテューショナル・インベスター社の創業者ギルバート・キャプラン氏はあこがれの人だった。音楽教育は受けていないが偏愛するマーラー交響曲第2番「復活」のみを専門に振る指揮者として著名であり、私財で購入したマーラー自筆譜を元にした新校訂版「キャプラン版」での録音をウィーン・フィル(!)とドイッチェ・グラモフォンに行っているスーパー素人である(右)。

指揮は習う必要があるので時間がない。そこで向かったのがシンセサイザーによるMIDI録音・演奏だ。91年ごろで当時そんな機具を買うのは専門家だけだった。やってみるとこちらも時間を要したが十分の満足感があった。全パートを耳で合わせながら弾くのだからオーケストラのスコアがわかるようになったが、それよりもそれをやることでピアノがもう少し弾けるようになったのが助かった。それで未完成やエロイカや悲愴交響曲の一部を弾いたりしながら、楽譜上の数々のことが腑に落ちた。

すると、だんだん他人の演奏や評論は興味がなくなり、スコアだけ見ていてイマジネーションをふくらませて、「答え合わせ」に他人のを聴くということになった。実際にシンセで録音してから誰かのCDを聞くとどういうわけかそっちもシンセ録音に聞こえてきて(耳がそういう処理をしてしまうようだ)、もちろんその刹那は自分の演奏のほうが良いと思っていた。いまそれを聴くと不遜なことだったと恥じ入るばかりだが。

そうこうしてふりかえると、もう大木氏や吉田氏や宇野氏のような聴き方をしていない自分になっていた。それがドイツ駐在の40才あたりだ。だからフランクフルトにいた3年間は、ドイツの森を歩きワーグナーの楽劇を知り、ベートーベンやメンデルスゾーンやシューマンやブラームスと同じものを食べて同じ空気を呼吸して、家にいる間は四六時中シンセ音楽作りに没頭して音楽の聴き方に決定的な転換点がもたらされた、僕の人生にとってもメルクマールとなる3年間だった。

そんなことをしながら初めて現法の社長という仕事をやったというのも嘘のようだが、自画自賛になるが必死にやって成果も出した。充実した手ごたえが残っているし、38才の小僧が会社のおかげで成長もさせていただいた。実は東京で辞令が出た時に、ドイツへ行くのが不服で会社を辞めようかと考えた。そうしなかったのはそこまでの自信も勇気もなかったからだが、今となると大正解だった。シンセで多大な時間を食ったからもっと子供と遊んでやればよかったと申し訳ないが、音楽とは僕にとってそこまで犠牲を払った特別なものだ。

宇野さんが演奏家だなと思うのはシューリヒト、クナッパーツブッシュの評価の文章だ。彼は即興性、自発性を重視しており、カチッとした枠組みをつくるハンガリー系や人工的、紋切型は嫌いだという顕著な傾向がそこに読み取れるが、自分がスコアをどう読むかに照らして評価しているというベースがあるというのは大切だと思う。教養主義の美学でなく実践的、現場的で自己流の美学だが、僕は今はそのほうが共感を持てるようになっている。

音楽は好き嫌いでいい。というかそれしかない。「名曲だから聴きましょう」はない。僕がブログにするのも楽譜までもちだすのも、知識をひけらかすためでなく、その曲がその箇所がメシより好きだからであって、その箇所を自分の手で音にしたいために何時間もピアノやシンセで格闘したからだ。こういう風になったのは多分に僕流のことなのだろうが、「クラシックを聴く」流儀にはこんなにケッタイなのもありだ。自分の好きなようにやればいいし、かくあるべしなんて決まりは一切ないということだ。

ここに至るまでの里程標として多くの演奏家や評論家の方々のお世話になったが、宇野さんにはその中でも「自分でする」という大事なスタンスを教えていただいた。ご冥福をお祈りしたい。

 

 

 

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クラスから事務次官

2016 JUN 4 11:11:22 am by 東 賢太郎

きのうクラスメート佐藤文俊くんの総務省事務次官ご就任のニュースを知った。僕ら50LⅠⅡ9Bはドイツ語で、文Ⅰが36、文Ⅱが17の53人だったがそこから官僚のトップ事務次官が出たのはなんともうれしい。クラスで1,2の秀才だった彼のことだから自然な感じもあるが(しかし愚妻愚娘どもというと前任の桜井俊事務次官がアイドルグループ嵐の櫻井翔の父君という話題のほうで持ちきりだ・・・)。

本郷に行ってからは大教室で授業を聴いて自分で勉強して試験を受けるだけだ。入ってしまえば出るのは簡単と言われるがとんでもない、法学部は卒業するのが非常に大変だ。いっぽう1,2年生の駒場のほうは文Ⅰ、文Ⅱはいっしょで高校の延長みたいにクラスがあってみんなでわいわいやる。本当に楽しかった。共学しか知らなかったので男子校みたいで新鮮でもあり今もクラス会で酒が入るとあのムードになる。

教養学部だから授業も多岐で、先生も環境も文句なく最高である。以下敬称略で、哲学の井上忠の「パルメニデスの有」はそんなことをまじめに考えるのが哲学なのかと目からうろこでいまだに言葉を覚えてるし、小田島 雄志のシェークスピア読解は人間洞察が深くて英語の読み方が変わった。村上 陽一郎の科学史で習ったケプラー第3法則発見の顛末は強烈なインパクトがあって、西洋史の理解が変わったばかりか自分の精神史にすら影響があった。

思えばあれは「虎の穴」だった。独学派、唯我独尊派の天狗だった僕が、自分より頭の良い人に教わるとよくわかることを知って流儀まで変わった。クラスメートもそういう人たちばかりという後にも先にも異例の環境でのインタラクティブな4年間の経験はプライスレスで、金融で米国MBAトップのウォートンにいても学生の基礎学力は東大法学部の方が上だとなめきっていたのを思い出す。

日本の高級官僚は佐藤くんのような人の集団であって、世界に比して優秀でないわけがない。世界一の負債があっても円が強い、国債が売られないのはそのクレジットによるところが大きい。そういう人たちと机を並べさせていただいて、ところで当時払った授業料はというとたしか年3万6千円だったのだからこれは日本国に負債の感覚がまだある。税金を多少多めに払うのは仕方ないか。

 
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