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カテゴリー: 自分について

クラシック徒然草-舞台のヤバい!は面白い?-(追記あり)

2015 DEC 2 1:01:29 am by 東 賢太郎

僕は人様にご披露する芸などなにもありませんが、証券マンというのは売るものが目に見えないので言葉だけで食ってる人種ですから落語家に近いかもしれません。特にスピーチでひな壇に登ったりするとそういう気がします。

立場上、「ようなもの」まで入れるとスピーチは数えきれないほどやりました。起債調印式、仲人、現法社長あいさつ、大学講義、クリスマスパーティ、部店長会議、転勤、就任、退任、日本人学校運動会、ゴルフコンペから他愛ないテーブルスピーチなどなど。

僕は原稿を読まない主義です。あると棒読みになりそうで怖い。だから100人集めて1時間しゃべった時もなし。英語でもなし。時計を見ながら30分なら30分でぴったり終ります。原稿の事前丸暗記でもなくて全編アドリブで、たくさんやって体で覚えた相場カン?です。

一度冷や汗をかいたことがあります。関西の某大学で90分講義をしたときのこと、「証券市場論」をやっていて「ところで・・・」と雑談で脱線しました。毎度のことで、ちょっと笑わせて目を覚まさせた程度の頃合いで本論に戻るのですが、この時は戻ろうとしたら「脱線箇所」がどこだったか忘れてしまったのです。

なんとか切り抜けたものの、頭が真っ白で動転。べつに二日酔いでも予習不足でもなく、この経験をしてからですね、暗譜で弾くコンサートのソリストやオペラ歌手を尊敬するようになったのは。楽譜を覚えたことをではありません、誰にでも起こり得る「ヤバい、忘れちゃった!」の恐怖にうち勝って日々生きておられることをです。

誰にでも起こる?例えば、ストラヴィンスキーは自作のピアノ協奏曲の第2楽章の出だしを忘れてしまい指揮者が歌ってみせて思い出した。自分の曲をですよ。岩城宏之の著書によると彼はピクチャーメモリーがあったらしく現代曲でも暗譜でしたが、頭の中の譜めくりが1ページ飛んで春の祭典を振り違えて止まってしまったそうです。記憶力の良し悪しだけというわけでもないようですね。

そんな人たちの次元ではないのですが、やっぱり何百人の前に立つといくら慣れても緊張はします。あがるのはいけません。あがり症だったシベリウスはウィーン・フィルのヴァイオリン入団試験に落ちてます。僕の場合、原稿ではなく見ているのは時計であって、しゃべりながら先を考えてます。あと5分か、ではあれをしゃべろう、なんて。そういう人間は予習しすぎがよくないかなと思いつき、やめてみたらうまくいくようになりました。

コンサートで目撃した「ヤバい!」はいろいろあります。ピアニストのアルフレート・ブレンデルが展覧会の絵である部分が終わらずくりかえしたり、リストの第2協奏曲で腕を振り上げたらメガネがひっかかって客席まで飛んでしまい(彼のレンズは厚そうだから)はらはらしたこと(ちゃんと弾ききった)。ロンドンでラフマニノフ第2協奏曲の第2楽章冒頭部でクラリネットのソロが1小節早く入ってしまい指揮者グローヴズが身を挺して乗り切ったこと。

マゼールの第九(ロンドン)第2楽章でティンパニソロの1拍たたき違いでオケ凍る、同じくマゼール(バイエルン放送響)でティンパニのバチがヴァイオリンの端まで飛ぶ、モスクワ放送SOの春の祭典(香港)でティンパニが「ああ勘違い」の強烈な一撃を思いっきりぶちかましてオケは粉みじんに空中分解という身も凍る事件もありました。

フランクフルト歌劇場(マイスタージンガー)では上演中に巨大なセットがメリメリと音を発して倒れかけ、歌手より多い裏方が舞台に総出演。なんとかもとに押し戻すと演奏そっちのけで喝采。ベルリン国立歌劇場(同曲)では某有名歌手が歌詞を忘れしどろもどろの口パクになって(彼はこれでも有名だったらしい)、ややだるかった演奏に一興を添えました。

忘れちゃったでもヤバい!でもないのですが最高傑作は、どこだったかな(たしかダルムシュタット)で、トスカがえらい太めだなと思ってたら、皆さんそうだったんですね、クライマックスの自殺シーンで飛び込んだ瞬間ドスンと轟音?がとどろいて満場がこらえきれず失笑。悲劇が一転して喜劇になりましたが、まあ彼女の身を挺した熱演にカーテンコールはあったかいもんでした。

面白いけどやってるほうは必死ですよね。失礼しました。

(追記)

何といっても抜群に面白いのはこのビデオでしょう。マゼールの春の祭典の稿に書きましたがURLが違っていたのでここに再録します。

「前回、ティンパニのミスの話を書いた。しかしあんなものは可愛いものであり、春の祭典の演奏がどれほど難しいかということまでを教えてくれる映像がある。ズビン・メータ指揮ローマ放送交響楽団の69年のライブである。これだけいい加減な春の祭典というのも希少である。笑ってはいけない。前半だけでも、トランペットが一音符遅れて入りちゃんと吹ききる、フルートが一小節ずれてちゃんと吹ききる、クラのトリルが抜ける、ティンパニが間違ってドカン、オーボエが一小節早い・・・少なくとも5か所の尋常でない「事故」がある。後半もペットが落っこち、ティンパニはズレまくる。圧巻はコーダに入る所でティンパニが一小節飛ばして入り、気がついて立て直したつもりがひきつづき間違った音をバンバン叩き続けるためついにアンサンブルが崩壊。止まりかけの緊急事態となるがホルンと木管が何とかつないでティンパニは落ちたまま終わる。歌劇場ではミスに情け容赦のないローマの聴衆がブーのひとつもなく大喝采、スタンディング・オベーション。なんとも微笑ましい。」

驚くべきことにローマの聴衆でこの事件に気づいた人は会場にひとりもいないようだ。そして、この演奏会があった同じ1969年に、あの歴史的なブーレーズ/クリーブランドO.の春の祭典が録音されるのです。メータには大変申しわけないが同じ指揮者と称しても別種の人間としか思えないが事故をよく収集して終わらせたという評価はできるかもしれません。いずれにせよこのVTRは何かのジョークでなければ彼の名誉のために消された方がよろしいでしょう。

 

 

 

 

 

 

ご縁、ご恩に報いたいというモチベーションは強い

2015 NOV 30 22:22:39 pm by 東 賢太郎

30年来お世話になっているSさん(としておきます)ご令息の結婚披露宴が帝国ホテル孔雀の間でありました。日経新聞の「首相官邸」欄に載っていたので隠すことでもないのですが、高円宮妃殿下、女王殿下、安倍首相、森元首相、菅官房長官・・・と公家、政財界約500名がご列席で、畏れ多くも末席をけがさせていただきましたがこれだけの式典は未経験です。

新郎新婦関係者ではないのでご友人という資格はなく、肩書が必要であるゆえに我がソナー・アドバイザーズ株式会社は国を代表する綺羅星のごとき大企業に名を並べていただくことに相成りました。格別なご配慮には頭が下がるばかりでございます。式典も安倍首相スピーチは英国宰相チャーチルの自伝を引いて含蓄がありましたし、森元首相、御手洗経団連会長、柳井ファーストリテイリング社長も若者たちの門出にさすがのものでした。それをいただいた新郎は父親譲りの大物ですが、きっと勤務先の野村證券でロケットスタートになるでしょう。

Sさんと3年の時をご一緒していなければこういうこともなく今の自分もありませんから、当方から大事なご縁であったことは言うまでもありません。しかし、世界基準での大経営者への道を歩まれること確実のSさんが、こうして30年前のささやかなご縁を忘れずにいて下さる重みはそれとはるかに次元が違います。微力ではありますが、それにお応えすることをモチベーションにしたいと心から思いました。どんなものよりも、このような動機は多大のパワーを秘めていると愚考する次第です。

 

 

 

わかる奴が大事

2015 NOV 14 8:08:46 am by 東 賢太郎

今年もあっという間にたってしまいあと1か月半。仕事は本年のラストランに入ってます。もう出世とか蓄財とかは興味なしですから仕事はやめてもいいんですが、どうもそういう性格には生まれついておりません。じゃあ何をやりたいのか?

それは、自分は何をやるために生まれてきたのかを確認する旅に出たということです。人間、社会や組織に組み込まれると受動態の人生になります。その時点では気がつきません。独立しますと一切のしがらみがなく、自由で孤独な日々となります。

僕が戦国時代の武将譚に魅かれているのは、彼らも一人の人として自由であり、それゆえに孤独であったはずだからです。誰を攻めようが守りに入ろうがよし。彼らはその結果として何かを行い、それが歴史の記す所となりました。他律でなく自律という人間の生き様が面白い。

きのう五代目 坂東玉三郎のビデオを見ていて、評判は気にしない、ほめ言葉はきかない、日々役に懸命なのでそういうことは目に入らない、という言葉がありました。人間国宝にしてこの言葉在りですが、人間国宝であることも、集中しているときには彼は頭にないのではと思います。

自分も仕事が好きだから断ち切れません。それはゼロから何かを創りだすということです。それをしていると万事が頭から消えてしまいます。だから食うための仕事ではなく、それにオタクとして没頭することが生きていることそのものです。

ところが、趣味ではないですからうまくいかないことばかりとなり、ストレスに満ちた道でもあります。好きなんだから気楽だろうとはいきません。何か重たい物を押すときに静止摩擦力が大きいように、無から有を生もうとする精神的な負荷は大きいものです。

無の中に有があると言うと、おおかた殿ご乱心扱いです。人は経験から学ぶし、経験していないことを理解するのは難しい。信長は桶狭間の2千騎での進軍を老中にはからず軍議にもかけませんでした。反対されるのをわかっていたからです。

でもそこで意をくんで決死で突っ込んでくれる2千人の若武者がいた。老中のいうことをきいたら織田家は滅んでいただろう。ことほどさように、一緒に歩んでくれる人は大事です。命令に従うのではなく、意を汲む、理解して行動する、これです。

想像ですが、信長は秀吉を、秀吉は光成を「わかる奴」と思ったのではないか。部下の能力が自らの生死を分ける時代、草履暖めや三杯のお茶程度のよいしょで選ぶはずもない。後世の物語です。最近とみにそう思うようになりました。

わかる奴が必要だから城持ちにする、それ以外は単なる従者。信長も秀吉も、自らわかってもらおうということなどしなかったでしょうし、それは権力者だからしないというより、日々懸命なのでそういうことはできなかったと思います。

思考回路を共有する者、そういってもいい。強大な物体を押し動かそうとするのは静止摩擦力との闘いであり、特に日本社会はそれが大きいのです。

 

(こちらへどうぞ)

 

僕はスナイパーしか使わない

評価をダウンできる5つの法則

 

 

 

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Harry氏が覚えていてくれる大事な半年

2015 NOV 8 18:18:56 pm by 東 賢太郎

Harry Saito氏とつきあったのが大学4年の半年間だけなのにそういう感じがせず、ずっと知っていたように思うのは不思議です。それだけ印象が強く残っていたということです。氏はその後、日本を代表するメーカーで海外と関わる部門で活躍され、僕の方も国際部門になりました。きっと海外への好奇心という気脈が通じたんでしょう。

思えばあの半年間は進路に迷ってとても不安定なときでした。国内の既得権でのうのうと食える大学に行ってるのにそれに興味がなく、どうしてもアメリカに行きたくなった。そこでアテネ・フランセという語学学校に通って彼と出会ったのです。大学にはいない海外に目が向いた若者と話すのは大きな喜びでした。

農耕民族は基本が内向きですから彼も僕もちょっとはじけてたんでしょう。クラシック音楽だって洋物だし、根っから西洋好きだった僕は西洋好きの人が好きでした。農耕民的なところは先天的に皆無の僕はきっととても変な学生で、それでもHarry氏がよく来てくれたのはうれしかった。持って生まれた嗜好、性格は変えられなかったからです。

というのは明治15年生まれの祖父が三井物産で上海勤務でグローバル派のはしりでした。「野球」という訳語ができたてのころ慶応の野球部員で米国遠征もした。はとこはケンブリッジに留学して慶応ラグビー部を作った人でした。官僚養成所の東大は眼中にない家で、今も僕はこの祖父の血を濃く継いでいると自分で思います。

子供のころ野球に明け暮れても母が叱らなかったのはそういうわけです。こっちはそれにかまけて勉強はそっちのけで、母が入れたかった慶応は入試に落ちました。大学は父方にならうことになって慶応は結局ご縁なしで終わってしまった。ところがそっちは理系ばかりなのに色弱で文系ということになってしまいそれも居心地が悪かった。

法律というのがどうにも性に合わず、関心のかけらも湧いてこないから仕方ありません。人の作ったものは興味ないんです。とうとう遊びほけて4年終わってしまい、民間に就職するしかないということになってしまいます。そこのいきさつはここに書きました。  どうして証券会社に入ったの?(その1)

親父は銀行員でしたが学者、研究者、教授など、証券会社など論外という家系です。ところが母は大ありだった。東京証券取引所の初代筆頭株主だった家で、その話はまだ知らない息子が証券屋を選んだ。するとあなたこれは血筋なのよと泣いて喜んで、そこで初めて先祖のことを話してくれたのです。乳母がいて姫で育った彼女のなかでは慶応が一番で東大は下に見ており、慶応を落ちた挙句に官庁や銀行に入るなんて言ったらどれだけがっかりしたか。

そのころの僕は人見知りもあり、つき合いも良くなく、いまだに人に思いを伝えるのはへたですからもっとへたでした。研究所にでもこもっている方が向いてましたし親父もそう思っていた。「ケンちゃん、証券会社なんて株屋だよ」「向いてないよ、やめときなさい」と頭から大反対です。何とも因果な家に生まれてしまいましたが、彼は僕がひいた母方の血の威力を知らなかったんです。

どうしてもアメリカに行きたくなった。不思議なもので、そう思っていると野村證券で米国に社費留学の道が開けます。そしてアメリカに行ってみると、理系の学者、研究者、教授がファイナンスや投資の最先端理論を研究しているではないですか。選んだ道は正しいぞという天の啓示のような自信と確信を僕はそこで初めて得たのです。法学部が失敗だったことも証券界を選んだこともそのためだったと。

Saito氏とお会いした大学4年の前半というのは、自分が振れている時期でした。父方の官立大学卒の人生でいくかどうか、そして、それを放棄して母方で行った。そうして、いかにも僕らしいサプライズに満ちた軌跡を描いて平穏に60才を迎えることができました。その大半は入れていただいた野村證券という素晴らしい会社のおかげですが、あの直前の半年に腹をくくらなかったら僕には野村の門をたたく勇気はなかったでしょう。

その人生の転換点だった半年。自分でも何を考えて何を言ったか忘れているそこをウィットネスしてくれるSaito氏はタイムマシンで現れた人であり、氏にとっても僕が同じくそういう存在なわけです。彼は当時の面影そのままに若々しいがこっちはけっこう老けこんでしまいました。しかし人の出会いとは本当に不思議です。それを大切にしないと自分の人生を見失ってしまう。昔の知己には機会あればひとりでも多くお会いしてみたいと思っています。

 
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「東大脳」という不可思議

2015 OCT 20 13:13:45 pm by 東 賢太郎

神山先生の鍼を2か月スキップしていて、きのうやっと打っていただいたところだいぶ背中が張っているらしく、1回じゃ無理だよ来週も来なさいとなってしまいました。こんなことは初めてです。帰りに西武の地下を通るとリブロという本屋が三省堂に替わっていました。ネット時代になって書店の経営も大変なんですね。

ぶらっと見ていると、「東大脳」というキャッチコピーの本が目につきます。売れてるんでしょう、子供を東大に入れたお母さんなどが書いておられるようです。何冊かぱらぱらめくってみましたが、よくわからない。受かったのは本人が頑張ったのであって、お母さんがそんなに偉かったんだろうか。

東大生に共通の脳の構造などあるはずもなく、こういう回路を作ってこう使えば入試に受かるなんてのもありようがないでしょう。ここの試験は短時間に膨大なことをやらされますから、たくさん問題を解いて練習に練習を重ねるしか道はないです。

だから僕のような平均的人間が入るのは大変です。入ってもクラスメートに追いつけない。灘、開成、教駒といった連中は地頭の差というんでしょうか、こっちが10日もかかる本を1日で読めてる。甲子園でいえば常連校、PL学園と都立高がやってるみたいなもんで、勝負にならない、そのぐらい差を感じました。

浪人すればいいかというとそういうもんでもない。野球で弱い高校が1、2年余計に練習すれば甲子園出れますかって、時間の問題ではなく能力体力からして無理なんで同じことです。脳の性能で決まるとするならお母さんが幼少からそれを作ってあげるのは大事なことかもしれませんし、そういう努力を一概に否定しようとは思いません。

ただ地頭というのが四則計算、記憶力、回転の速さみたいなことなら僕は出来の悪い方で、だからだめということもない。そういうのはピアノの練習みたいに厳しいお母さんが間違えるとビシッと手をひっぱたくぐらいの訓練がものをいうので、それのあるなしということしょう。

私事ですがわが母はそういうことに一切関心なしで叱ったのは買い食いとケンカで負けたのだけでした。彼女は親父が慶応ボーイで東大は嫌い。ガリ勉するな、でした。だから「男は負けるな」という脳をつくってくれました。感謝あるのみです。

東大に現役ですいすい入れる脳が親の力で後天的にできるならやる価値はあるかもしれませんが、僕が見てきた本当の秀才たちは親が頑張らなくても勉強は勝手にできます。たぶん親は生むだけで遺伝子をあげればOKという連中で、そういう人たちがこの世にはいます。東大に入るだけの脳は彼らにはかなわないでしょう。

僕が幸運だったのは、彼らと机を並べて、頭では負けるということをあっさり認めたことでした。いやそんなことはない、実力を出せば俺だって・・・そう自分を守ってあげた方が楽ですができないことはできないのが現実で、それは全力でやってみないとわからないです。次回は都合よく出てくれる実力があるなら前回も出ていないとおかしいと考える方がほぼ当たりです。

そこで母が東大脳なんかにしていたら、僕は人生に絶望していたと思います。現に、そういうことかどうかはともかく、入ると消息不明になる人もけっこういます。ところが「負けるな脳」でしたから、負けるケンカはせずに生きられそうなフィールドを直感的に自分で見つけたと思います。戦国時代それが一族の生死を分かったように、勝てそうかどうか嗅ぎ分けるのは男社会で無事に生き抜くにはけっこう大事です。

東大脳?そんなのがあるのかないのか不明ですが、仮にあったとしてもそれで人生安泰ではないし学歴で食える時代でもありません。僕は子供には、結局うまく生きてってくれということに尽きる気がします。負けるなよ、万事自分の頭と鼻で判断しろよということで、そういう判断をできる訓練はしてやる。必要なときもう親はいませんから、そのほうが将来感謝されると思っています。

右脳型と左脳型

 

 

 

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ライフワークがまだない?

2015 SEP 17 2:02:39 am by 東 賢太郎

こんど京都にご一緒しようとなっている写真家のかたと話していたら、50を過ぎたのにまだライフワークがないとおっしゃる。あるのは日々の食うための仕事であって、いま死んだら残る作品がないと。

そんなことはないだろう、立派な写真集がいくつもあるのにというのは素人のたわごとのように思った。

きのう初めてお会いしたある方は、ご著書にはっきりと書かれている。「還暦になって、自分は何のために生きてきたのか考えた」と。

学ぶことがある。ライフワークなど考えたこともなく、SMCを残すつもりで作ったがブログはただの日記とわかった。何のために生きてきたか答えはない。生きることにそもそも目的があるのかというと、その答えも用意できていない。

生来、待つことが苦手である。思い立ったらすぐやらないと自分で自分を待つ羽目になるので耐えられない。鳴くまで待とうということはない、そんなのは捨ててしまった方が楽だ。考えさせられる時間のすき間が嫌いだ。

熱いものをお持ちでとよくいわれるが、全くの外見上の誤解であって、内実は極めてクールで冷たい。自分で嫌になるぐらい計算高い。そうでなくてはこの業界を渡っていけないが、それが自分を楽にもしている。

趣味はない。単なるpasstime(気晴らし、慰み事)。立ち止まって考えさせられる時間のすき間を埋めてくれるもの。1時間埋まる交響曲や3時間の野球はありがたい。所詮そんなもの。

そういう所からライフワークは生まれない気がする。

 

 
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クラシック音楽が断食状態にある理由

2015 AUG 30 11:11:53 am by 東 賢太郎

8月7日にブラームスのヴァイオリンソナタ1番を書いてから音楽ブログがご無沙汰になっております。あれも少し前に書いた原稿があったのであって、かれこれ1か月はクラシックは聴いてもいないでしょう。唯一、ねこ(ノイ)をグランドピアノにのっけると喜ぶので悲愴ソナタの第2楽章を弾いた、それだけ。去年もミクロネシアに行って深く感じるところがあり、帰ってからそういう状態になりましたが、今回はもっと強くそういうことになっております。

というのは今月12~15日の京都、安土、近江八幡、長浜の旅で、なにか不明のハイボルテージのチャージを受けてしまったからです。いま本業の方がいろいろあって大きな決断をしていく時期にあります。そこにそれが入って来たもんですから頭が他のことになかなか切り替わりません。こういう戦さモードの時は音楽というスイッチがすっかりオフになってしまうようで、クラシック音楽断食状態であります。

高校でも野球をしながらクラシックもするという変わり種でしたが、思えば試合の前日などはやはり音楽どころではなかったのです。中島さんが「中田投手のローテ変更」について書かれていますが、練習試合ぐらいでも先発となると前々日ぐらいから僕は気になってテンションが上がってました。そういう精神状態にワルキューレの騎行なんか良さげですが、あれだって聴いちゃうと戦えないです。曲の向き不向きじゃなくて、音楽を聴いたりやったりという脳の部分が運動系の部分とは縁遠いのかもと思ってしまいます。

じゃあ軍歌は何だ、マーチは何だ、甲子園のブラバンは何だというと、第一に行進の拍節を刻むもので第二に条件反射を促すものでしょう。あれが聞こえたら自律的に突撃!となる。パブロフの犬のベルと一緒で、だから音楽である必要はないし音楽でも単純な方がいいんです。ヒトラーはワーグナーをプロパンガンダに使いましたが間違えましたね。曲が高級すぎて行くぞっ!とならないでしょう。

僕は突撃系の曲はまったく好まないので、気分が突撃モードである今はなかなかブログを書き起こそうという曲が在りません。書きたい曲はまだまだたくさんありますが、作曲家に失礼だからそういう時に生半可なものを書かないのがポリシーです。いままでブログにした曲はみな、その時点でそれなりに「深いつき合い」「蜜月」の状態にあったものばかりなのです。

どうしてそういうモードになってしまったかというと、前から強い興味があったのにその原点である原典をよく知らないものに出会ってしまい、必然的にその「原典」に近寄ってみようという方向に気持ちが行ってしまっているからです。それを掻き立てられたのが京都、安土、近江八幡、長浜の土地が発する「気」だったということです。

前回、史跡をめぐる興味は地面に根ざしている、小説は読まない、その場所に立って歩いて自分の脳が感じるものだけを大事にすると申しました。それが僕の歴史を味わうポリシーです。そしてそれは、クラシックを聴くのに誰かの演奏ではなく自分で楽譜を見て読み取ったものだけを大事にするポリシーと同根であります。第九を味わうのにカラヤンがどうのベームがどうのとは、太閤秀吉を知るのに司馬遼太郎か吉川英治かっていう程度の話で、どっちでも結構ですがたぶんどっちも事実と違うでしょう。

京都、安土、近江八幡、竹生島の地に立って僕は信長の自分なりの姿、声、顔かたちの像、イメージができつつあるように感じています。まったく同様にウィーンではモーツァルトの、ローマではカエサルの像が、これはすでにできています。自分の頭の中に生き生きとした彼らの像(イデア)があって、他人の空想によるカリカチュアにすぎない小説やら映画やらはそれらを壊すので危険であります。映画アマデウスは像がもう何者にも影響されないほど固まるまで10年は見ませんでした。

「イデア」と書きましたが、いうまでもなくプラトンのイデア論のideaです。「円」や「二等辺三角形」という完璧なものはこの世になく、皆その「似姿」を知っているだけ。本物はあの世にあって、皆生まれる前にそれを知っているのに生まれると忘れてしまう。それを思い出すのが「学習」であり、フィロソフィア(philosophia)=phil(愛する)+sophia(知恵)はイデアを追求することで「死ぬ練習」だとする。そう勤めることが「人生をよく生きる」ことなのです。

というと何だか恐ろしげですが、プラトンは「輪廻(魂は不滅)」と言ってるので、あの世でまたイデアを見てまた生まれてきて忘れる、その永遠のくり返しということです。西洋人は意識下にこの考えの影響があって「美」「善」「正義」とはなんぞや?など、日本人はやらないことをやる。イデアの探求ですね。それは明治時代にフィロソフィアに哲学と意味不明の訳語をあてて以来いまだに日本人一般にはわけがわからんものでしょう。

僕がモーツァルトやカエサルや信長の像を求めている、あるいはベートーベンの第九交響曲の楽譜から原像を知りたいと思っているのは「イデア」を求めているのだと思ったのは、プラトンを知ったためではなく、プラトンは多少読んでいたのですがずっとあとから同じことかなあと思ったにすぎません。別に難しいことではなく、それが「人生をよく生きる」ことならいいじゃないかと実践しているだけです。

だから僕は音楽家の事績はその像から判断し想像しています。僕のイメージするモーツァルトはこういう曲は書かないな、偽作だなという風にです。この音型が何回出てくるとか和声連結がどうだとかいう些末な、多少の蓋然性ともっともらしさはあっても確たる証拠能力には欠ける推定材料よりも人間像から直感するパワーの方が強いのではないかと経験的にですが考えております。刑事コロンボが「初めて現場を見ましてね、やったのはあなたしかないと思ったんですよ」っていうあれですね。

つまり人間像と楽譜です。それしかその人の音楽を知る直接的な手掛かりはありません。その結果として今度はジュピター交響曲はこういうものだ、こうあって欲しいという作品の像が生まれてきます。もし僕が指揮者ならそれをオーケストラに音にしていただくというプロセスが続くのでしょう。それができないのでレコードやCDを買ってきて、それに近いのを探す。ところがなかなか見つからないんです。あれもだめこれもだめ、そうやって1万枚もたまってしまいました。だから僕は収集家なんかではぜんぜんなく、昔の**を捨てられないタイプなだけです。

今はそれが音楽家ではなく、信長、秀吉といった戦国大名の番であり、それを知ることがやはり今僕が直面しているビジネス上の意思決定の羅針盤になる、そう確信したのです。高校時代の「試合の前日」みたいなメンタルな音楽断食状態であり、こういう時にモーツァルトを聞いてもまったく心に響いてこないのです。

京都に行く前にラヴェルの「水の戯れ」を書いて既にブログができてるのですが、そういうことで今はそれを上梓するモードにありません。あまり良くもなくて、そのうち少し手を加えて出せるのではと思いますが、しばし時間を頂きたく存じます。

 
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僕にとってロンドン?戦場ですね

2015 AUG 28 2:02:45 am by 東 賢太郎

自分の御しがたい性格であるのですが、終わったことに執着がないというのが良くも悪くもございます。昨日はもう今日に関係ないのであって、簡単に忘れてしまいます。もちろん事実としての記憶はありますが、そこでの感情を引きずらないという意味ではプラスであり、その感情の発展を期待して下さった人には期待に添えないかもしれないという意味ではマイナスであります。

サラリーマン時代は相当厳しい上司だったと思いますが、何かでめちゃくちゃ怒っても翌日はさっぱり忘れてます。逆にほめても同様です。その人の評価が固まるまで時間を要するのは誰でも一緒でしょうが、僕の場合要する時間が少々長いかもしれません。だから昔に職場を共にした仲間というのは楽なのであります。お互いに評価ができていて、誤解の余地が微塵もないほど固まってるからです。

ソナーの起業を支えてくれた人たちが野村ロンドンで苦楽を共にした「戦友」たちだったというのは偶然ではないでしょう。シティのばりばり本チャンのエリート英国人運用者たちを相手に日本株を毎日毎日売り込むという業務は生やさしいものでなく、それを野村という壮絶無比の成果主義の会社でやるのはまさしく修羅場の日々でありました。一般に思われる「海外赴任」の優雅でスマートなイメージなどかけらもない凄まじいものだったのであり、逆にそんなのと一緒にされたくない。

とにかく朝は6時半に出社、気絶しそうな額の販売ノルマをこなして帰宅は午前様なんてのが日常なのです。会社に来てりゃあいいってもんじゃない。儲け過ぎてへとへと証券と皮肉られてましたが、そんなの皮肉にも何にもなってなくて、ぼろぼろ(心身)、ぴりぴり(神経)、びしびし(詰め)であり、20代~30代だからできたことです。上司も部下もなく、みんなで一つ事をやってるので総勢20人ぐらいがまさしく同じ釜の飯でした。

例えばノルマの最後の最後が売れず全員が電話にかじりついて必死に売り込んでるのが夜10時なんてのもしょっちゅうでした(お客さんは自宅ですが、むこうもプロだから真剣に取り合ってはくれる。しかし英国人相手にそんな時間にそんなことするなんて今ではもう信じられないですね)。そこで「決まりました!」なんて声があがると、それが末席の若手だろうと誰だろうと「よくやった!」と先輩方に絶賛されるわけです。

これは野球やサッカーと同じです。チームとして毎日戦っていて毎日ヒーローがいる。年次もタイトルも関係なし、やったもんはほめられるしできないもんは肩身が狭いのです。今日はヒーローでも明日会社に出てきたら皆それは忘れて積み木崩しです。そうやりながら毎日の試合の中で自然と一人一人の力がわかってきて、それが評価や序列の暗黙の了解になってきます。えっ、彼がエース、冗談でしょ?みたいに実力は隠しようもなく全員によって正確にイメージされ、記憶される。怖い世界です。年が上だからエースや4番というわけにはいかないのです。

そうやって毎日のふるいにかけられて、全員がお互い力も弱点も性格もわかってるので、30年たった今になって立場が違っても、ああこの仕事は彼だったら無理だろうなとか軽くこなすだろうなみたいなゲスがすぐききます。まず外れることはない。だから、助けていただけたのは、それだけ僕を、それも全盛期の僕を皆さんが覚えていてくださったということに尽きると思っています。

他の店や部署でももちろん同様のことはあったのですが、同じ野村とはいえあのころのロンドン以上にキツい部署は絶対になかったと断言してもいい。自分たちがインヴェストメントという仕事の元祖であるという(事実そうだ)プライドの塊であるシティのファンドマネージャー相手に、それだけの仕事量と収益をたたきだした戦士たちの一員であったことを僕は心から誇りに思うし、あれに耐えられたらもう怖いもんなんて世の中にないというレベルの強烈な6年間でありました。野村出身だという人はたくさんいますが、僕にとって99%はそれを聞いてもあっそうで終わりです。

今このトシで無謀にも起業なんかしてなんとかなってるのは、梅田支店の原体験とロンドンでの戦場体験があったからです。それなくしてこんなことは100%想像もできないし、だからコンペティターが出てくる心配もないのです。野村に25年お世話になりましたが、その他のいかなるポストでもなく、ロンドンの東として記憶されているべきだと思うし、それが一番うれしいです。

 

頑張る人たち

 

どうして証券会社に入ったの?(その1)

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女性が指揮者をする時代

2015 AUG 1 17:17:29 pm by 東 賢太郎

女性の指揮について前回書いていて、考えさせられました。オーケストラの指揮者とは大勢の人を棒一本で動かすわけだから軍隊の将校か会社のCEOみたいなものだろうということです。それを女性がやっていけないこともできないこともない道理なのですが、それでも過去の歴史をみる限り世の中はそう回っていなかったのも事実です。何かが変わってきている。それを考えてみましょう。

軍隊の指揮というのはやったことないがリーダーシップがいるんじゃないか。階級社会だからタイトルさえあれば絶対服従のルールがあると思われますが、それでも上官の資質に心服した兵とそうではない兵では戦闘能力に差がありそうです。だから殿様の子とはいえあまりに暗愚だとお家のために排除されるし、スポーツの監督には軍隊の長のイメージが重なります。

会社経営も同じに見えますがちょっとちがう。無能でリーダーシップが皆無の人だって、社長のいすに座れば誰であれ命令を下せるし、その権限が由来する地位、ポストだって株をそれなりに持てば安泰です。トップがその程度でも潰れない会社があるなら組織は面従腹背ではあってもそれなりに動いているということです。

しかし軍隊、軍団はトップの命令が間違えば全軍の死を意味しますからそれはない。初めから死ぬとわかっても絶対服従で真剣に突撃です。特攻隊がその象徴であり、鹿児島の知覧でそれをまのあたりに知って、造られた真剣さで亡くなっていった彼らに涙しました。そういう意味でいえば、オーケストラの指揮者は奏者が面従腹背でも音楽は鳴るわけだし、失敗しても死ぬわけでもありませんから会社経営者に近いように思います。

ところが歴史を振り返えるとオーケストラに女性奏者が入ることが一般化したのはこの半世紀あまりのことです。ベルリンフィルもウィーンフィルもチェコフィルもいなかった。20世紀半ばに生まれた僕ですが、フィラデルフィア管に女性の姿はほとんど見ませんでしたし、30年前のロンドンで室内オケで女性ヴァイオリン奏者が多かったのを見て違和感を覚え、彼女たちがブルーのドレスを着ていて場違いに思ったこと、何か損したような気分になったことをはっきりと覚えてます。

教会で伴奏していた管弦楽団が女人禁制である宗教上の伝統もあったかもしれませんが、楽団が祝典の場だけでなく軍楽隊として兵を鼓舞する場にも出て行ったことが大きいかもしれません。そうなると楽員も軍人であるという意味あいが強くなります。その指揮台に立つのは将校になるということであり、だから女性がそれになることは天地がひっくり返ってもあり得ないことだったのです。

話は変わりますが、僕は会社時代に最大で500人ほどの長の経験をさせていただきました。そこから見る地位や権力の景色はよくわかったけれど、結局あまり大したことはしなかったから500人の意味は感じられませんでした。むしろ70-120人ほどのドイツ人やスイス人の軍団(外国拠点)を率いたことのほうが、自分の手で指揮したという実感がリアルに残っています。

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そうこうしてローマ史を読みかえしていた時、スキピオやカエサルやポンペイウスやアウグストゥスがどのぐらいの軍団を率いたのかという興味がわいてきました。ローマ軍はケントゥリア(百人隊)を単位にした6000人ほどの軍団だったようですが、彼らはそれを束ねた何万という軍を指揮したわけです。しかし一人の将がそんな規模の全軍を一気に見渡せることはなく、複数の百人隊長のような副官を指揮したのでしょう。

だからローマ軍には「組織」という概念があったわけで、現在の役所や会社の組織構成、職位、職階はみな軍隊由来であり、日本のそれはドイツ軍由来であり部長や課長という名称もその訳語だと聞いたことがあります。僕は百人隊の隊長の体感はあるわけですが、それを60個たばねた6000人隊の景色は想像もつきません。いや、仮に会社でそういう経験があったとしたって、それを可視化して体感領域に落としこむのは誰であれ難しいのではないかと思います。

1280px-Xian_museumこの6000人という数についてはあれっと思った経験があります。94年に中国・陝西省の始皇帝陵に行ったおり、兵馬俑(右)の兵隊のテラコッタの数が約6000体ときいてローマ軍を思いだしたのです。これを造った始皇帝が生きた頃、ローマでは第1次ポエニ戦争をしていました。始皇帝は青目(西洋人)だったという説もありますし、6000人隊がローマから中国に伝わったのか?これは面白い、というのが当時の他愛ない興味だったのですが。

しかし今の関心事はそのことではありません。6000人の軍団が何かの合理性があって適当な数だったのかということなのです。ローマと中国には何の交流も関わりもなく、始皇帝も東洋人であったが、たまたま6000という数に秘密があったんじゃないか。兵は多い方が一般に勝率は高いでしょうが、指揮官の意志で動く効率や機動性においては大軍は劣ります。6000人前後の軍団というのは、ひとりの将が当時の軍略と指揮命令系統の物理的な制約のもとで戦いに勝つのに最強(最適解を与える数)であったのではないかということです。

兵の数だけ揃えても、個々人が弱い烏合の衆なら軍も弱いでしょう。だからひとりひとりが一騎当千であればいい。でも一騎対二千なら相手が烏合の衆でも負ける。ところが、一騎当千が十人集合すれば組織の相乗効果で一万以上に勝てる。そうやって二つの関数の交点を求めて最適解が求まるはずだと思うのです。つまり「個々人の力」と「組織力」の二つの関数であり、第一次世界大戦までの歩兵戦、騎馬戦は無数の実戦例をベースに将軍や軍略家が智恵の限りを尽くして二関数の最適解を求めた。それが6000だったかもしれないと考えるのです。

だから歩兵戦、騎馬戦の時代は個々の兵力を鍛えあげることが最重要でした。ローマの重装歩兵は有名ですが、充分な武装をしていれば殺される確率は減ります。同時に、さらに大きいかもしれないファクターとして、安全である、勝てると信じれば兵の士気も上がります。そのうえに軍略というものが乗ってくる。カエサルはそれがうまかったし重視もしたと見えますが、それなのに半分の3000人ほどの精鋭隊を率いたそうです。人数のレバレッジ効果よりも精鋭部隊、兵ひとりひとりの士気や熟練度の方が単なる頭数より大事だったということでしょう。奇襲の天才だった源義経にもそれが感じられます。

しかしこの戦略は、第2次大戦で飛行機による爆撃という新たな大量破壊、殺戮の手段が加わって、一騎打ちの要素が後退するにつれて重要度が薄れたように思います。ゼロ戦の時代からB29の時代へと兵器のフロンティアが一気に進化したからです。高射砲のとどかない上空から爆弾を落として帰ってくるだけなら、パイロットの空中戦の技量が一騎当千レベルである必要はなくなりました。爆弾の投下ボタンを押すだけなら腕力も不要なら軍団である必要もなく女性でもできることです

そうなると、軍団の戦力は兵力よりも組織力だという考えに社会が傾いていく。会社の職位名が軍由来と書きましたが、産業革命以来の現象として船舶、航空機、陸上輸送の技術はもちろんのことエネルギー開発や通信の技術、医療や薬の開発など我々が依存して生きている文明の進化は軍事技術に由来するものがほとんどで、それが日常の生活に深く浸透して我々の精神領域にまで影響を及ぼしていることは、インターネットが軍の通信由来のものであることを指摘するまでもなく容易に理解されることと思います。

だから企業を軍に見立てて、兵力よりも組織力だという方向に流れが向かい、コーポレートガバナンスという言葉が一般大衆にまで届くようになったのではないでしょうか。企業がクラブや同好会とは違って法的に適格性の問われるものである以上はそれは当然のことです。ただ、それは企業支配という一面的な観点からの議論にすぎず、そもそも利益を生み出せていない企業にとってガバナンスは大事であっても二の次だという観点からの議論は陰に隠れて見えにくくなってきた気がします。赤字企業に優秀なコンプライアンスオフィサーがいても、やがて彼も失業するだけなのです。

利益を生む、つまり稼ぐということは現場の兵の仕事であって、将校クラブの住人は別世界でガバナンスを取り仕切っていればいい。僕はホールディングカンパニー(持ち株会社)という概念が米国から入ってきたときからこれは危ないなと懸念をもっていました。なぜかというと稼がなくていいそういう箱が浮世の現実から遊離した将校クラブになりかねない。そういう気風とは遠かったであろう帝国海軍の現場ですら、トラック島沖に停泊し豪華設備を誇った戦艦大和が兵からは「大和ホテル」と揶揄されていたのです。

あくまで報道された情報しかないことをお断りしておきますが、失礼ながらシャープや東芝の昨今の例をみるとあれは大本営が将校クラブとなってしまい、6000人隊の司令官が現場はおろか百人隊の景色すら見ていなかったという観なきにしもあらずという感じがしてしまうのです。遊んでいたということではなく、百人隊クラスの長は出世がかかっていて兵の実態は伝えないかもしれない。「それが危ないんで俺は必ず自分で現場を回り、若い奴とだけメシを食うんだ」とダボス会議で言っていたGEのジャック・ウエルチの言葉が今さらながら重く思えるのです。

ウエルチはこうも言った。「会社に利益をもたらしてくれるのはお客さんだ。だから儲ける方法はお客さんと接してる奴だけが分かる。本社で新商品会議してる奴なんか誰一人分からない。そんなつまらん会議は儀式(「ritual」という単語を彼は使った)だから俺はつぶす。お客は毎日変わるし敵も毎日変わる。昨日の正解は今日は不正解かもしれないから組織は日々現場から学ばなくちゃいけない。だから俺は儲ける方法を知っていて組織に教えてくれる奴は大事にする。そういう奴が会社を成長させるから会社と利益共同体になる、すなわちストック・オプションをもらう権利がある。」と。僕が入社したころの野村證券は、日本大企業には異例なほどそういうカルチャーの会社でした。

当時米国最大企業だったGEのコーポレート・ガバナンスの頂点にある男がこう言ったのはすごいことですが、軍隊だと思えば当然のことですね。野村は軍隊みたいな会社だったし、大日本帝国陸海軍にこういう司令長官がいたらあの戦争も変わっていたかもしれない。ホテル化した大本営で会議ばかりしている司令長官は儲け方は学ばず、ただノルマの数字を現場におろす。そして百人隊長が用意周到につじつまを合わせる。現場は大丈夫かと疑いながらも何もできない。つじつま合わせが出世の合言葉になる。現場で顧客相手に汗をかく兵、本来の勝つ方法を知る人材はみな白けて軍の士気が下がる。こういう会社を僕はいくつ見てきたのだろう。

組織論やガバナンスがまず第一、それが一流企業だ。たしかにそうです。ところが「ホテル」にいると利益は自然に出てくる紙の上の数字みたいに意識がボケてきて、利益を生むのは兵ではなく組織だという感覚になりがちです。そもそもそう思わないと自分たちのレゾンデトールがない。組織というのは組織図という紙の上にはあっても現実には見に見えない架空の存在です。それが継続的に利益を生むなどイルージョンにすぎませんし、仮にそれが真実なら誰かがもっと大きくてよくできた組織図を後から書けば簡単に逆転されてしまうということでそれもない話です。ウエルチのように常に兵を見て兵と語っていないといけないのです。

文民支配を謳うあまり武官経験のない人がトップになった場合、管理やコンプライアンスは完璧でも本業である戦闘能力が十全に発揮できるかどうか。トップは自分があまり経験のない現場というものに共感はありませんから、よほどウエルチのように自分のポリシーとして接点をつくらないと兵の士気は落ちて行きかねません。オーナー社長はみなその業務で稼いだ張本人、つまり武官だから士気に関する限りの心配はありません。問題はその次が文官タイプの二世三世になったり、不祥事でコンプラやアドミの専門家みたいなタイプの人がトップに座ったような場合です。それで兵の士気が保たれるのか?

この問いにイエス、ノーの答えはないでしょう。優れたリーダーは本人の資質だけでなく、その時代背景、周囲の敵の性質など様々な要因によっても決まるし、配下の軍勢の能力や参謀、ブレインの資質によっても左右されます。攻めも守りも文武両道で両方できるなら望ましいでしょうがそんな人はあまりいない。陸海軍士官学校はだからできたのでしょうし、西洋的な意味での本当のエリートを生む理想的な機関だったと思うのですが、不幸なことに教官だってそんなエリートはあまりいないわけです。武官として必要な人間力やケンカの強さより普通人である評定者にわかりやすい試験の点数というものがものを言うようになっていってしまったのではないでしょうか。

女性指揮者が現れる。それも優秀であり力を発揮しだしている。カエサルや山本五十六みたいな男が出てこない時代になりつつあるという男の劣化の問題なのか、女の進化なのか、女性が将軍をできる時代になったという社会の変質のせいなのか。僕はその全部が同時におきていると理解しますが、いずれにせよ大きなパラダイム変換がおきているということでしょう。目には見えないのですが。人間社会のあり方は世界中で確実に変化していますね。自分のことで言えば、やっぱり男ですからローマ軍を指揮してみたい願望はあります。しかしアセットを持たない方がいい時代にそれは軍の大きさではないとも思うのです。少人数でそれができないか。今の世はそこをどうとらえるかがビジネスの成否を決めると考えています。

 

 

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ここぞに強い奴が常に勝つ

2015 JUL 30 1:01:11 am by 東 賢太郎

今日は神宮のネット裏特等席でカープ戦を見る予定でしたが、急きょ重要な会食が入ってしまい行けなくなってしまいました。

しかし行かなくて良かった。先発の今井がもちこたえられず5回で6対0、結局8対3の完敗でした。昨日は黒田が先発で圧倒し、山田以外は抑え込んで11対2の大勝だっただけにその勢いを倍加したかったところなのですが・・・。

いつも思うことですが、カープの選手はここぞの勝負どころで力が出せません。今井だって球の力はありますから相手をのんでかかれば5,6回までは抑える実力はあると思うのです。こういうことは一試合だけでなく、長丁場のペナントレースでは順位に大きく影響すると思います。

たとえば、昨日の中日です。谷繁監督が出場試合数で記録を作りましたが、投手の山井があっけなく打たれてしまいました。監督の花道だから絶対に勝たなくてはいけない試合だったのに。

また、昨日の横浜高校です。今年限りで勇退の名将・渡辺元智監督でしたが神奈川大会決勝で東海大相模に敗退して甲子園出場はなりませんでした。さて、その夜の巨人・DeNA戦です。DeNAは先発に横浜高校卒を4人並べ、東海大相模卒の原監督に返り討ちを仕掛ける因縁の一戦となりました。

ところが先発・久保が誤算で5回で11対0で大敗してしまう。久保はカープには天敵なんですが、巨人はいざとなると簡単にめった打ちしてしまう。

そして、もう一つ、昨日の楽天です。松井稼頭央がプロ野球史上46人目となる通算2000安打、日米通算では2616安打という偉業を達成しましたが、エースのはずの則本が7回で4失点、結局5対1でソフトバンクに完敗して大記録に花を添えられないのです。

さらにそして、今日の巨人です。背信投球が続き今季は0勝の内海が久々の先発。元はエースですから全員が勝たせたい。内海は足がつって途中降板しましたが巨人打線のその執念は残っていて、同点の延長10回に亀井がサヨナラホームランです。確信に満ちたほれぼれする一振りでした。

戦力の差はそうないのに巨人が強いのはこういうところにあります。

これは野球だけではない、人生の縮図を野球が見せてくれています。誰しも常に勝てるほど世の中は甘くありません。ある意味、天は万人に平等だということです。しかし同じ1勝でもここで勝たなきゃいつ勝つの?というところで勝てるかどうか。勝率は同じでもそれで最後に笑うかどうかが決まります。

持ってるね!といいますが、生まれつき運命が決まってるんでしょうか?

僕はそうは思いません、天はすべての人に平等なチャンスをくれています。だから、チャンスが来ていることに気がつくかどうか。そして気がついた時に努力の成果を出せるよう、たくさんの修羅場をくぐったかどうか、それで決まっていると信じます。

修羅場はお勉強やお稽古で味わう性質のものではありません。やっぱり遊びの中で、言いわけ無用の屈辱にまみれて、この野郎と悔し涙を流してはじめて味わえるのだと思っています。

 

 
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