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クラシック徒然草-ブルックナーを振れる指揮者は?-

2014 FEB 14 11:11:37 am by 東 賢太郎

前回ブルックナーについて書かせていただきました。後期ロマン派としてなぜかブルックナーとマーラーは対比されるのが常ですが、この2人に何か精神的な基盤となる共通項を見出すことは大変に困難です。僕にとってブルックナーは人生に不可欠ですが、マーラーはもう一生聞かせないと神様に取り上げられてもあまり悔いはございません。食わず嫌いではなく全曲を真剣に聴いてきた結果そういう結論に至っているのでご容赦いただくしかありません。マーラーファンの方は、きっとお怒りを感じると思われますので、以下はなにとぞお読みならないようお願いいたします。

また本稿が何らかの宗教的な意味合いやアンティ・セミティズムのようなものから発しているわけではなく、また他人様の趣味に意見しようというものでも毛頭ないことを最初にお断りしておきます。僕が「マーラーは嫌いです、まったく聞きません」というとたいがい「ではブルックナーも?」とくる、たぶん日本人だけが持っている大きな勘違い。それがテーマです。前稿に書きました「ちゃんとしたブルックナー」とは何か?「どの指揮者がそれを振れるのか」?という僕なりの見解を述べることです。

ですから、大変申し訳ないのですが、マーラーもブルックナーも同じだけ好きだという方が、マーラーはともかくブルックナーの方をどう聴いておられるのか僕にはちょっと想像がつきません。僕のイメージでは、ブルックナーは宗教画、風景画、静物画であるのに対し、マーラーは人物画、さらに言えば自画像、時にカリカチュアですらあります。同じ美術館の同じ時代の一画にはあっても、同じ部屋に並べられると違和感がぬぐえません。

鑑賞する方はさておきましょう。さらに申し訳ないのですが、本質的にマーラー指揮者である音楽家がブルックナーを振っていると、まがい物かレコード会社のイエスマンではないかという風に僕は見えてしまうのです。マーラーに徹していればよかったのに何の因縁か振ってしまったバーンスタイン、ショルティ。悪くないのもあるがワルター、マゼール、インバル、クーベリック、アバド、シノーポリ、ノイマン、テンシュテットもやめておいた方が評判を損ねなかったでしょう。ブーレーズにいたっては何を勘違いしたのか意味不明です。聴けるのはジュリーニ、クレンペラー、べイヌム、ハイティンク、シャイーですが後者3人はやはり ACOというオケの美質に多くを負っています。

ブルックナーの音楽は自然のアブストラクトな表現という最も核心となる一点においてマーラーとは遠くシベリウスによほど近いのであって、ブルックナーにあってシベリウスにないのは神という視点のみです。しかし、自然は神が造った万物であるというのがキリスト教ですから、そこに三位一体の中間に立つ人間という存在が介入しないのは同じことなのです。ところがマーラーというのは真逆であって、神と自然が欠落して人間のみが出てくる。しかも勘弁してほしいことにその人間は彼自身であるのです。ご異論があれば、上記の勘違い組の中でシベリウスをまともに振れる人を挙げられますか?バーンスタインはそこでも異質。唯一、若いころのマゼールが例外なだけです。

つまりブルックナー、マーラーとは完全に補集合的存在であって、たまたま近い年代のウィーンで時を過ごしただけのこの両者が「同一の精神領域」に存在すると感じること、つまり両方を演奏したり共感を持って聴いたりすることは僕にはまったく考えられません。マーラーの2、6、7など私小説かつ自画像の陳列であって、彼という人間になんの共感も持てない僕には聴くのが苦痛でしかありません。その自画像がR・シュトラウスの英雄の生涯などという見るからにチープなフレームではなく一見立派な金縁の「交響曲」というフレームに収まっている、いや確信犯的にそこに収めている手管がまた嫌なのです。チャイコフスキーも悲愴という私小説を書きましたが、それは交響曲である前に強烈な自殺メッセージであり、彼の自慢の髭面を四六時中眺めさせられる拷問ではありません。個人の好き嫌いを書いて大変申し訳ありませんが。

上記のリストに挙げなかったのがカラヤンです。誰の何のウンチクだか知りませんが、unnamed (51)カラヤンをけなすのが通だと勘違いしている人が際立って多いのがわが国音楽界の顕著な特徴です。僕は彼の57年録音(EMI)のブルックナー8番(右が買ったLP)を高く評価しています。これはおそらく彼のBPOデビュー近辺の録音で、そんな大事な1枚に当時は欧米でも通しか聴かなかった売れそうもない8番を持ってくる指揮者がどこにいたでしょう。カラヤンけなし派の方々は彼のシベリウスの4、6番という大変な名演をどう評価しているのでしょうか。2番はフィルハーモニアOへのお義理で録音だけして実演ではやらなかった彼が4、6番をじっくり研究した、そういう趣味と耳と読譜力とオケを率いる技量を持った指揮者をけなすのが通という人たちが一体何の通なのかさっぱり理解できません。そして、述べたようにシベリウスとブルックナーは遠くないのです。

カラヤンはマーラーを4、5、6、9、大地と振っていますが4、9、大地の3つは音響プロデューサーではなく芸術家としての彼の資質をよく表わした選曲と思います。ブルックナーは全曲録音した彼が1~3、7、8をやらなかったのはそもそも作曲家に共感がなかったからでしょう。DGに進出して自分の縄張りであるベートーベン、ブラームスに侵食してきたバーンスタインを彼は意識していたそうで、その逆襲ぐらいのものだったのではないでしょうか。バーンスタインの手垢がついたショスタコーヴィチ5番を振らなかったのも意識があったのだと思います。

unnamed (52)僕のブルックナーのレコードはそのカラヤンの8番をはじめ、コンヴィチュニーの7番、クナッパーツブッシュの5番(右)、ワルターの4番、マタチッチの9番、ヨッフムの6番が大学時代に買ったものです。このクナの5番はシャルク版というひどいカットがあるものなのでもう聴いていませんが、演奏は非常に良くていい入門になりました。

5番は最も好きで、前回書いたヨッフム盤に加えて、カール・シューリヒトが1963年2月24日にウィーン・フィルを振った楽友協会ライブ、ルドルフ・ケンぺがミュンヘン・フィルハーモニーを振ったもの、ギュンター・ヴァントがケルン放送交響楽団を振っunnamed (53)たもの、エドゥアルド・ファン・べイヌムがコンセルトヘボウを振ったものが好きでよく取り出して聴いています。LPで非常に感心したのがハンス・ロスバウドが南西ドイツ放送交響楽団を振った7番(右)です。この物々しくなさ、軽さ、速さはユニークでこんなにどろどろしない7番も珍しい。しかし見事にツボをおさえていてちゃんとこの曲を聴いた満足感を与えてくれる、これぞ通好みの演奏でしょう。

これまた日本の「通」がほぼ無視しているのがバレンボイムです。彼はシカゴとベルリンで2度も全集を入れていますが僕は評価しています。フィラデルフィアで彼が僕の嫌いなリストのソナタを弾くのを聴いたことがあって、これが一生の記憶に残る名演でした。テクニックのひけらかしは皆無でテンポの遅い部分が語りかける。曲のイメージが一新しました。バッハの平均律(CD)も表面の美観ではなくあの時のリストに似た深い沈静感が彼の美質なのだとわかります。それはブルックナーに適合した美質でもあります。彼はユダヤ人ですが、ユダヤ人が振るマーラーをステレオタイプ思考で誉める傾向にあるお国もの好きの日本の評論家からすると、その彼が振るブルックナーというのは収まりどころがないのかなと見えます。そういう御仁たちのつまらないウンチクなどお忘れになった方がいい。ちなみにバレンボイムは日本人にはブルックナーはわからないという意味の発言をしたそうですが、これはメニューインの田園交響曲発言と同じで、そうかもしれないと思ってしまいます。

こうして書き出すときりがありません。日本で神格化され「ブルックナー大権現」と化しているクナやシューリヒトや朝比奈を今さら論じるのも時間の無駄ですから、ここでは評価していない指揮者、評価されてもいい指揮者だけにしました。僕が「ちゃんとしたブルックナー」として聴いているものがどういうものか片鱗だけでもご理解いただければ幸いです。各曲ごとの「各論」はいずれ書いて行こうと思います。

最後にブルックナーの版の問題について一言。これは曲によりますが非常に差が大きく、原典版の場合別の曲というほど違うこともざらにあります。しかし僕は前回書きましたが、作曲者自身がそれに寛容だった背景と思想から、ベートーベンのベーレンライター版の是非論とは全く反対にあまり版にはこだわらず聴くことをお薦めします。せっかく良い雰囲気を体感させてくれている指揮者に対して、シンバルの一打ちがあったかなかったかのような些末なことで評価を変えてしまうようなことはブルックナー鑑賞の本筋を大きくはずれています。別に「正しい版」があるわけではないのです。そういうウンチク好きのマニア向けマーケットはクラシックでは大事ですが、古楽器演奏がはやったのと同じ商業的動機を強く感じてしまいます。どの版を選んだかとか、誰も演奏したことのない版を探してきてやってみせるみたいなことよりも、「ちゃんとした演奏をできるかどうか」の一点の方がよほど大事で、ブルックナー演奏の本質探究はそこだけでよろしいかと僕は思います。

 

(追記、2月3日)

その問題はオリジナル楽器で春の祭典をやりましたのようなものにまで波及していて、いくつかそういう「祭典」を買って聴きましたが実に本質を外れたつまらない演奏であって、原節子や吉永小百合の「そっくりさん」が往時の彼女らの映画の役を演じたリメイク画像のようなもん。アホらしくてすぐ捨ててしまった。音楽の王道ど真ん中のブーレーズ盤に正面から対抗できないことを自ら告白するようなものだ。アーチストとして二流ですね。

(追記、2月24日)

ブルックナー交響曲第8番について

8番を書かずに終わってしまったのでやや悔いがあり、演奏のことだけでも書いておきたい。8番はフィラデルフィア管弦楽団定期演奏会でスクロヴァチェフスキー指揮の強烈な洗礼を受け(1983年10月28日だった)、まったく特別な曲となった。ずっとのちに東京でMr.S指揮/読響(02年)も聴いたがあれと比べてしまうので感銘は大したことはなく、これより尾高忠明/N響(07年)が良かった。フランクフルトのアルテオーパーで聴いたギュンター・ヴァント/NDR響も印象に残っている。曲を知ったのは大学時代に買った上記カラヤン盤。CDで感銘を受けた筆頭はシューリヒト/VPO盤だが、この語り尽くされた名演に僕が加えることは何もないだろう。90年にニューヨークで買ったクナッパーツブッシュ盤はよくきいたが録音に深みがなくもったいない。

ウィルヘルム・フルトヴェングラー /  ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(49年3月15日、ベルリン、ティタニア・パラストでのライブ)

51Mo460HXgL__SL160_僕はフルトヴェングラーのブルックナーは好きでない。この演奏もコーダのアッチェレランド、ティンパニの不可解な爆発、ハース版とあるが一概にいいきれないなど認容しがたいもの続出なのだが、それでも彼が聴衆の心をわしづかみにしたのはこういうことだと示す好例がこのライブなのだ。この前日(14日)に放送用録音がありEMIから出ているが、圧倒的にこれだ。僕は彼がピアニストだったらといつも思う。ハンマークラヴィールソナタやさすらい人幻想曲や交響的練習曲などぜひ聴いてみたいし、そう思わせる指揮者は他に浮かばない。彼の視座は常にマクロにあって帰納的で、ミクロから演繹する人と対極にあるのが最大の特徴であり、それが彼を今に至るまでオンリーワンにしている。凄いことだ。大発明は帰納法的に発想され演繹的に証明されるのだ。この終楽章の加速は何だ?といぶかるのはミクロの次元の話で、8番の鳥瞰図ではそれでピタリとはまるのかもしれないと思わされてしまう。スコアを広げてそれを眼から俯瞰できるのは天賦の才であって凡人は知ってから気づく。現にこれを知ってしまった凡人の僕にはスコアの方が違うとみえてしまう(そんな筈ないだろ・・・)。ブラームス1番と並んでそうなってしまった罪作りな演奏であり、嫌いだと言っているそばから自分も信者なのではと不安になってくる。写真のSACDも買ってみたが、もともとフルトヴェングラーのライブではトップクラスの良い録音であり僕の装置ではそうご利益も感じない、好き好きだろう。

カルロ・マリア・ジュリーニ /  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ジュリーニの残した数々の名盤の中でも1,2を争うものと思う。ノヴァーク版はあまり好きでないし、第1楽章の金管は音程がずれたりVPOならではのアバウトさがあるが、この極上・究極の管弦のブレンドとジュリーニの打ち立てる盤石のフォルムの前にはどうでもよくなってしまう。押しても引いてもびくともしないとはこのことだ。ホルンとチェロの合奏の綾など音楽演奏の媚薬とすら感じる。ワインでいうならペトリュスの82年がこうだった。美味だけでない、美に梃子でも動かぬフォルムがあるのだ。ムジークフェラインで正月に聴いた実物のVPOもここまででなかったのだから録音の美なのか?それを用いて一切あわてず騒がずのテンポとバランスで建築していくのだが、こんなに綺麗でいいのということにならないのがジュリーニなのだ。何度も書く「フォルム」、構造でもカタチでも形式でもない、うまい日本語がないこの言葉、彼の指揮芸術の根幹をなすそれをお感じになって欲しい。こんな指揮者もいなくなってしまった。

(補遺、3月14日)

エドゥアルド・ファン・べイヌム / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

622こういう8番を好まない人は多いかもしれない。長大な8番というとやたらと意味深げに構えて、偉大なるスピリチュアル・イベントでございといった雰囲気の演奏が横行するが、そういう皮相な解釈をあざ笑うかのようにこれはスコア(ハース版と思われる)を直截的に音楽的に鳴らすだけの直球勝負だ。実に小気味よい。スケルツォはきっぷの良い江戸っ子の啖呵のようで豪快、全体にさっぱり系でメリハリあるリズムと推進力に圧倒され、アダージョは辛気臭さが皆無で純音楽美をひたすら追求。僕の最も好きな演奏の一つ。

 ヨゼフ/カイルベルト / ケルン放送交響楽団

400 1966年11月4日、カイルベルトが最後に振った8番の記録。彼ほど音楽を巨視的視点からとらえ、聴き手を納得させられた人は少ない。それはブラームス2番の稿に書いたことだ。20世紀初頭のオーケストラはこう響いていたのかという音。フルトヴェングラーのように異形を演じることなく自然な造りでそれを成し遂げるのは伝統という言葉の真の意味を開陳する。8番としてはずいぶんあっさり聞こえるが、要所を知り尽くし、十分なクラリティのステレオ録音で内声まで浮き彫りにするそれは、ドイツ人のブルックナーの良識と感じる。

ブルックナー 交響曲第8番ハ短調

クレンペラーのブルックナー8番について

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

ブルックナー交響曲第7番ホ長調

 

(こちらもどうぞ)

ブルックナーとオランダとの不思議な縁

 ブルックナー交響曲第9番ニ短調

 

 

 

ブルックナーとオランダとの不思議な縁

2014 FEB 13 1:01:10 am by 東 賢太郎

11日時点でのソチのメダル数はノルウエーが11個で1位、日本は2個の17位であります。ノルウエーの人口は500万人で世界の114位であり、北海道の550万人より少ない。考えさせられます。山と雪があればいいというものでもないようです。これも驚いているのがオランダの3位です。スケートはできてもオランダは山がないです。一番高い山でも322.5mしかありません。考えさせられます。

今回はそのオランダにまつわる思い出です。

僕の母方の祖母は長崎人です。いうまでもなく開国前の長崎というのは西洋への窓口でしたし、明治になっても中国(上海)への窓口でした。彼女が嫁いだ家は横浜の生糸貿易商、天下の糸平こと田中平八の傍系でした。長崎、横浜とくれば神戸ですが、僕の家内はその神戸人です。そしてソナーの取締役である僕のパートナーは英国人です。そしてもう畏友と呼ばしていただく神山先生は上海人です。長崎、横浜、神戸、英国、上海。そうしようと意図したわけでない、成り行きにまかせての結果なのですがそれが僕の人生をとりまく諸都市でありなにか強い運命の糸を感じます。

長崎とくれば出島のオランダでもありますが、僕は野村ロンドン時代に2年ほど「オランダ担当」をやらせていただき、この国には数々のかけがえのない思い出があります。そのひとつ、僕の16年の海外生活でも最高に痛快だったエピソードがこのブログにありますのでよろしければお読みください( オリックスのロべコ買収)。

オランダは米国留学中1983年夏休みに家内と欧州旅行したとき、イギリスからホーヴァークラフトで人生初めて上陸した欧州大陸の国だったという意味でも僕にとっては特別です。あの時は28歳と25歳の夫婦でした。身なりは完全なバックパッカーで、安宿のトイレもない屋根裏部屋に泊まりました。アンネ・フランクの家、ゴッホ美術館、それからフォーレンダムというオランダ情緒ある港町へ行って食事したり、とにかく失礼ながらアメリカの文化と歴史の乏しさに辟易していた僕にとって心のオアシスみたいに感じたことを覚えています。

そしてここで文化といえばなんといっても世界に冠たる名ホールであるアムステルダム・コンセルトヘボウがあるのです。cancsレコードでここの音にぞっこん惚れこんでいた僕がわくわくして訪れたのは言うまでもありません。しかし残念ながらここのレジデント・オーケストラは海外演奏旅行中とのこと、コンサートにはありつけなかったのです。よく考えるとその数日前にロンドンのロイヤル・アルバート・ホール(プロムス)でハイティンク指揮の同オケの演奏会を聴いていたわけで、当然でした(それは僕がヨーロッパで聴いた初めてのコンサートであり、曲目はブルックナー交響曲第9番ニ短調、素晴らしい高貴な演奏でした)。

ホールの音が聴けないのが悔しくて、正面ゲートの扉を押すとスッと開きました。やったぞ、しめしめ、と中へ侵入してみると、もぬけの空で誰もいません。こんなチャンスは2度となし。家内の制止をふりほどいてスタスタと舞台へ登り、撮ったのがこれです。31年前のことゆえなにとぞ時効ということでお許しください(なお、良い子の皆さんはぜったいにまねしないでくださいね)。

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ま、これで「コンセルトヘボウの指揮台に立つ」と履歴書に書けます。偽ハイティンクですが。それにしても28歳のわが身、細かったです。この翌年、84年にオランダ担当者になったのも運命の糸の続編という気がします。そしてその末に上記の拙稿に書いたことが起きたわけです。

ちなみにこのいたずら写真の貧乏旅行は、このアムスからベルギーの友人宅へ行って荷物を預けて、まずは鉄道で家内と2人で「シューマン交響曲第3番」の稿に書いたライン下りを経てザルツブルグで音楽祭(カラヤン、アバド)を聴き、あこがれのウィーンでパルシファルを聴き、ベルギーに戻って今度は友人一家と車でパリからフランスを南下してカンヌ、ニース、モナコを経てミラノはスカラ座で蝶々夫人を聴き、ベニス、フィレンツェ、ローマ、ナポリ、ポンペイまで行きました。都合1か月のことでした。

ずいぶん優雅ですが実は大変な「コスト」を払っていたわけで、この間に他のウォートンスクールの日本人留学生は皆さん真面目にサマーコースを受講して2~4単位の貯金をします。夏休みなし。それが日本人にとって過酷なMBA取得の「常道」でした。しかし若さとカネとヒマの3拍子そろうなんて人生2度とないと、僕は落第するリスクを取ってサマーコースは放棄して1か月「丸遊び」したわけです。会社人事部には国内旅行と届け出、学校の教務課にはそういう人間は後にも先にもいないといわれましたが無視。そのツケで2年目は9単位取ることが必須ですが物理的に9科目しか受講は無理なので「1科目も不可を取れない」つまりサドンデスの状態になり、1つでも落としたらMBAを取れずに帰国した留学生という恥ずかしい汚名を一生きせられるというのは覚悟の上の旅行だったわけです。

それでも僕はのんきに2年目は80万円ぐらいでチェロを買って、フィラデルフィア・オペラカンパニー管弦楽団で目立っていた美人でグラマーの首席チェリストのお姉さんに個人レッスンを1年間受けて音楽をみっちり教わりました。楽譜がよく読めるようになったのはこの時です。しかも最後のセメスターは日本人が怖がって避けて通るウォートン最難関科目である「中級会計学」に日本人ただひとり挑戦。自信満々だったところが、受講生50人中15人が米国公認会計士資格者だったことを知り愕然とし、10%つまり5人は必ず不可がつく仕組みなので、最後の3か月はそれこそ死ぬほど勉強しました。ラストスパートでなんとかゴールインできたのですが、ファイナル(期末試験)がおわって数日後のパスできたかどうかの発表は東大の合格発表より緊張しました。それでもあれから30年が経過して、鮮烈に記憶に残って人生の糧になっているのは会計学よりもヨーロッパ旅行の1か月なのです。リスクは取ったもん勝ちです。

さてその翌84年に晴れてMBA(経営学修士号)を取ってロンドン現法の一員となってからは、そのヨーロッパは音楽の都ではなく戦場と化しました。それでも息抜きにはよく遊びました。男は若い時分は仕事よりも遊びで育つと勝手解釈してましたっけ。思い起こせば、ロンドン-アムスのフライトは1時間ぐらいであっという間でした。午後おそい便でヒースローを発って夕方にスキポール空港に着くと、まずは定宿のホテル・オークラの「山里」で日本食を食べます。そこからやおら先輩といっしょにタクシーを1時間飛ばして海辺のザンフォードという街まで繰り出し、カジノでひと勝負というのが毎度のパターンでした。勝ったり負けたり、ほんとうに元気でした。ゴルフもずいぶんやりました。オランダにはスコットランドやアイルランドに劣らない素晴らしいコースがたくさんあるのです。我が国を代表する名指揮者、コバケンこと小林研一郎さんとも2~3回ほどやりましたか。マエストロは54歳から始めたのに腕前はシングル級で、強いはずのベットはコテンパンにやられました。

コンセルトヘボウの話に戻りましょう。このホールの音の美しさは何度も書きましたが、一度行って聴かれたら二度と忘れないでしょう。だから僕は自宅のオーディオルームの設計はここの音をレファレンスにして部屋の縦横比率を工夫して黄金分割にしましたし、さんざんとっかえひっかえ試聴したパワーアンプの音色の選択もそれを意識しました。写真撮影に来た「ステレオ」誌のインタビューでは「コンセルトヘボウで鳴ったウィーンフィルが僕の理想の音」と答えました。ただしそのコメントは「その方がより面白い」というだけで、ここのオーケストラも世界最高水準の音と腕前を誇ることは疑いありません。そういえばコバケンさんは僕らとヒルバーサム・ゴルフクラブで1ラウンド回ってから急ぎコンセルトヘボウに駆けつけて演奏会を振るなんていうこともありました。もちろんチケットをいただいていて、リストとチャイコフスキーの名演を堪能させていただいたものです。

この名ホールで聴いたたくさんの演奏会の中でも最も鮮烈な記憶として残っているものが、オイゲン・ヨッフムが亡くなる3か月前、人生最後に登場したものでした。曲目はこれまたブルックナーの交響曲第5番変ロ長調で、1986年12月4日のことでした。その日の演奏会の録音(左)が素晴らしい音でCD化されているのを見つけた時の喜びは大変なものでした。これは僕の人生の宝物であり、オランダ国との深いご縁からいただいた天の贈り物でもあると思っております。なぜこの日にアムスにいたかというと無粋な理由でして、僕の同期がロンドンに転勤でやってきたために、「東、お前はロンドンの大手顧客をやれ」という上司の命が下って彼への引き継ぎに来たのです。クラシックに無縁な彼は誘っても来なかったので、一人でこれを聴いたのでした。アムスは卒業という記念すべき日でもありました。これがその録音です。

この録音を5番の最高峰とされる方も多いので覚えていることを書きますと、僕の席は第1ヴァイオリンの横手で、ヨッフムさんの指揮姿を左斜め前やや上方から見る位置でした。出だしからオーケストラの馥郁たる音は神々しいばかり。指揮者と作品への楽員たちの敬意がオーラのようにひしひしと感じられて客席は息をのみ、一期一会でもあるかのような只事でない雰囲気にホールごと包まれました。あんな経験はありません。皆さん、これでヨッフムとはお別れということを悟っていたと思います。このホールは客席後方からの反響が僕の位置だと聴こえてきます。膨大な空間を感じるのです。信じていただけないでしょうが、そのエコーのために音響が広い宇宙に鳴りわたっているようで、ブルックナーの混淆がえもいえない効果を醸し出しました。まるでご高齢で動きが小さいヨッフムさんの後光か霊力のようなものがオーケストラを動かしているように感じていました。テンポが落ちた終楽章のコーダの大地の鳴動は一生忘れません。ヨッフムさんは足元があぶなくて舞台のそでで立ち止まって拍手をうけていて、鳴りやまぬ拍手にこたえて第4楽章をもういちど演奏しました。

この日のブルックナー体験から、音楽を非常に微視的に聴く傾向のあった僕は、

「体と精神で聴く」

という聴き方があるということを初めて教わりました。今でも近代音楽を聴くときはものすごく細部まで耳がいっているのですが、ことブルックナーだけはその対極に位置していて、全身で音の波長と振動を感じながら聴いているのです。ドイツの森のなかのようであり、母の胎内に感じたかもしれない波動みたいでもあります。楽典についても、スコアを見たりシンセで再現したりということもなく、7番の第2楽章をピアノで弾いてみるぐらいです。何番が特に好きということもなく、彼が書いた楽章はすべて一様に宇宙の森羅万象を感じ、それが味わいたければどれでもいいのです。とにかく、そんな付きあい方をしてきた作曲家は他に一人もいません。

ブルックナーは曲の完成後も弟子の進言によってスコアを改変しており、優柔不断で自信家ではなかったように言われていますが、僕はすこし違うイメージを持っています。彼にとって交響曲を書くことは「神と宇宙の体現」であり、そこに「一つだけの回答」というものはなかったのだと思います。書こうと思うたびに異なった世界が眼前に現れ、そのどれもが正解であり、どれもが正解ではなかった。だからそれは改変ではなくてもっと正解に近づこうとする「もがき」だったし、何度もがいても近づけずに9番まで書く途上で亡くなってしまった。僕はそう思っています。ブルックナーは何番がいいのですか、誰の演奏を聴いたらいいですかという質問を受けたことがありますが、「何番でもいいから、誰のでもいいから、ちゃんと演奏したのを聴きなさい」とお答えしました。その「ちゃんと演奏する」のは難しいのですが成功している指揮者はたくさんいます。それに身をひたしていればいい。ブルックナーは頭で聴くものではなく、「体験」するものだからです。そういう音楽を前にしてやれ何番のどこのテーマがどう、誰の指揮の何楽章がどうというようなことは皮相的でふさわしくなく、僕はあまりしたくありません。

ブルックナーというと思いだすことがあります。東京からフランクフルトに92年夏に転勤が決まった僕は、まず一人で赴任して近郊のケーニヒシュタインという高台の美しい街に新居を探しました。家族が来るまではさびしく、毎日が長く感じられ我慢の限界でした。やっと家内と2人の小さな娘が来てくれた時の嬉しさは忘れません。毎週末、4人で石畳のこじんまりした街を散歩して食事をし、森を歩いたりお城へ登ったり。ドイツ語はわかりませんでしたが今振り返ると夢のように幸せな日々でした。翌年にドイツ現法社長になってフランクフルトの大きな社長宅に引っ越す必要があり、そこで今年成人した長男が誕生することになるのですが、大好きなケーニヒシュタインを去るのにはとても後ろ髪をひかれたものです。

そのケーニヒシュタインから車でほんの5分ぐらい丘を下ると牧草地の中にバート・ゾーデンというかわいい村があります。フェリックス・メンデルスゾーンはそこに住んでいた姉ファニーの家に避暑にきて、あの天下の名曲「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」を書いたのです!僕は毎朝そのバート・ゾーデンを車で通りぬけて出勤していましたが、メンデルスゾーンもケーニヒシュタインの森やお城を散策したに違いないでしょう。フランクフルトと反対方向に丘を下っていくとライン川のほとりにそってヴィースバーデンに着きます。ブラームスが交響曲第3番を書いた場所も思えばわが家のすぐそこでした。そんな聖地のような場所に4人で住んだ1年間は、もしかして僕の人生最高の幸福な年だったのかもしれないと思います。

あの家の近所の丘や森や高台や商店街を娘たちの手を引いて散策した風景、変わりやすいお天気、ぱらつく雨、霧に湿った空気、小川のせせらぎのかすかな音、森の木々の匂い、石畳の古びた細い路地、そういう懐かしいものが次々と、使い古された言葉ですが「走馬灯のように」フラッシュバックするのが僕にとってのブルックナーの音楽なのです。とても大切なものであり、他の作曲家の音楽を聴くときとは心の持ちようが明らかにちがっています。あえていいますと、僕は5番が大好きです。アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏で体感したブルックナーの真髄。それが5番と9番だったことは僕の音楽人生で大きな啓示となりました。これも僕とオランダ国との見えない糸の導きだったのかもしれません。

メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲ホ短調 作品64

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

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誰が偽ベートーベンを作ったのか?

2014 FEB 11 18:18:11 pm by 東 賢太郎

世の中は何を怒っているんだろう?ここの本質がつかめないでいる。

問題は「世を欺いたこと」であるように見える。「欺いた者」は法律が裁ける場合がある。「偽って障害者手帳を入手したら身体障害者福祉法違反。公金をだまし取ったら詐欺」、「『佐村河内さんの作曲でなければ、CDを買わなかった』『誰かに作らせたものだったら、コンサートに行かなかった』と主張すれば、理屈のうえでは詐欺にあたる」が前者にいたる弁護士の見解だ。詐欺というのは詐欺罪のことであり、刑法246条にある刑事罰が科される。

では誰が誰を欺いたのだろう。「誰が」は佐村河内氏であるとされているが新垣氏もそう(共犯)かが論点だ。「誰を」は国、聴衆、消費者、関連した企業などだが、お金を「だまし取られた」ことが前提だ。もし詐欺罪が成立するならばだが、新垣氏は幇助(刑法62条)に思えるが本邦で適用例は少なく大半は共同正犯(同60条)として処理されるそうだ。すると(一見だが)氏には共同して詐欺を働く意志(故意)はなかったように見えるので共犯性は否定されることになるのだろう。氏の「私も共犯者です」という潔い自白はその効果とリスクを法曹と計算してのことかもしれない。

しかし新垣氏はある時期より佐村河内氏の詐欺行為(あくまで、もしも立件されればの話であるが)を知ったうえでだまし取った報酬の一部(彼がそれを何と呼ぼうと金額がいくらであろうと)を得ていたのであり、自ら認識していた詐欺行為を構成するに不可欠な楽曲の提供という行為を停止しないという故意はあったのであり、それでも「詐欺を働く意志(故意)はなかった」と証明できるのかどうか。それはやってしまった行為の是非の法的判断の問題であって、巷が主張している彼がどれほど嘱望される音楽家かピアノがうまいか生徒に慕われている先生かなどということとは何ら関係がない。ここは関心を持って注視したい。

次に、もしもそれが犯罪でなければ、それなのに世の中は何を怒っているんだろう?「世を欺いたこと」への負の報酬がどこにどう支払われているかを分析するのがそれを解明する本筋だろう。だが、世論というのは理屈でなく種々雑多な人々の喜怒哀楽、利害関係の総体でつかみどころがない。そこで、視点をなぜ佐村河内氏がベートーベンに祭りあがったかの一点に集約させることにする。そのことは、ゴーストがいたこと(作曲無能力者だった)、健常者だったこと(耳が聞こえた)に世論の怒りが集中している理由をも説明すると思うからである。

佐村河内氏を非難するキーワードは「偽ベートーベン」に落ち着いてきている。だからここに解明のキーがあるだろう。「偽」という不名誉な形容詞がつけられた理由は、「ベートーベンと信じた」⇒「裏切られた」という行為こそが仕返しをしたい対象であることを示している。ではなぜベートーベンと信じたのだろう?2つ要因がある。①耳が聞こえない②立派な曲を書いた、の2つである。しかし本当に2つだっただろうか?実は1つ、①だけではないか。ほとんどの人にとってはNHK、マスコミ、出版社、レコード会社、音楽家、音楽評論家が「立派な曲だ」とはやしたことに影響されて②があっただけだ。その証拠に交響曲ヒロシマは表舞台から抹殺されたが公然とプロテストする声はあがってこない。「悲しい」「被災者がお気の毒」「裏切られた気持ち」・・・のようなものだけだ。

ここでよく考えてみたい。クラシック音楽と呼ばれるジャンルにおいて価値のある音楽の譜面というものは、僕の見る限り人類の内でも最も高度な部類に属する知性を有する作曲家が、長時間を要する専門的な訓練によってしか絶対に取得できない特殊技術によってのみ初めて完成するものである。ところが巷はベートーベンは小川のほとりを散策しながら「ひらめいて」田園交響曲を作曲したと信じている。これはやはり巷で「数学はひらめきだ」と言われているのを連想させる。基礎の基礎である受験数学に限れば「ひらめき」は5%もないと思う。95%はパターン認識力と記憶力と計算力であり、訓練すれば誰でもできるが訓練していないと誰もできない。つまり、訓練を受けていない人がいくら「ひらめき」や「神の啓示」を得ても数学答案や管弦楽スコアというものは書けないのであり、受験数学もできない人が一般相対性理論を発見して「現代のアインシュタイン」とはやされることなど天地がひっくり返ってもあり得ないのである。

だから僕自身を含めて正規の音楽教育を受けていない人間が演奏に70分もかかる膨大な4管編成の管弦楽スコアをプロの三枝成彰をして「私がめざす音楽と共通するところを感じる」と評価せしめる水準で書けるなどと、当の三枝氏を含むどこの誰が真面目に信用していたのだろう。音楽評論家を含む「しろうと衆」が騙されたのは仕方ないだろう。プロが神輿を担いだのだから。つまり②「立派な曲を書いた」という判断は世論レベルでは積極的には存在しなかったのであり、ひとえに『①耳が聞こえない』に曲の価値判断も含むすべての判断基準が集約していたのである。仮に「ベートーベンが実は耳が聞こえていた」という事実が発見されても9曲の交響曲がCD屋の店頭から消えたりコンサートが取り止めになることはたぶんないだろう。それがヒロシマで起きるということは、ほとんどの人は曲ではなく全聾で書いたというストーリーに感動し金を払っていたということだ。

世の中は何を怒っているんだろう?

CDやチケットや本を買ったという実害のない人まで怒っている。それは自分がだまされたという不快感(認知的不協和)に対してだろう。次は現代のアインシュタインも信じてしまうかもしれないお人好しの自分に対してではない、不快感を与えた相手に対してである。これはヌードポスターを貼って女性が不快だと訴えただけで成立するセクハラというものに似ている。しかし、セクハラで訴えられている佐村河内氏は本当にポスターを貼った人なのだろうか?彼はポスターに写ってお気に入りのポーズをとっているモデルに過ぎないのではないのか。芸術的なポスターだとされていたヌードモデルが実はオカマでしたと暴露があり、不愉快だ撤去しろとなったのではないのか。そして、オカマと知りつつそれを貼った真犯人は他にいたのではないのか?誰が偽ベートーベンを作ったのか?

詐欺罪の真犯人はその連中に違いない。世の中はそれをつきとめ、それに怒り、糾弾しなくてはいけないのではないか。

新垣氏は、ここからの展開がどうであれ、ご自分の才能と音楽家を職業に選ばれた使命を自覚されて活躍していただきたいと思う。ヒロシマを聴いた聴衆側の事情や思いこみがどうであれ、また作曲動機がどうであれ、あの曲は70分を費やすに足る交響曲であると僕は思う。あのような一般受けする調性感のある部分を含む音楽を書くとご業界では「商業主義に手を染めた」と言われるそうだ。本物のベートーベンだってモーツァルトだって商業っ気丸出しだったのにどういう理屈で現在の作曲家はいけないのか理解に苦しむばかりだ。

僕は科学の世界で先人の書いた論文をなぞるような行為がいかに愚劣で恥ずかしく、研究者としての評価も地位も剥奪されかねないことをわかっているつもりだ。それと同じことが作曲の世界でも何百年にわたって存在し、そうして数えきれない作曲家と作品が歴史の闇に葬られたかも知っている。時代の先を行った作品が同時代人には無視され、後世が評価した例も知っている。そう予言はしなかったモーツァルト、予言したマーラーはそうなったが、同じく予言したレーガーはまだそうとはいえないことも知っている。もちろん彼らはお金や人気だけのために曲を書いていたわけではないだろう。

新垣氏のような才能が、作曲界では高評価を受け、一般社会では全聾ストーリーで評価を受け、そしてこの悲しい事件で歴史に名を留めるというのはどこかで何かが歪んでいないだろうか。ストーリーを求める聴衆にも問題があるが、内部の高評価が外部に伝播しない作曲界にも問題があるのではないだろうか。スポーツ界のオールスターを選ぶのに、「選手投票」と「ファン投票」で結果が大きく食い違うということは想像しがたいことだ。クラシック作曲界の選手投票がファン投票を全く無視して堕落のようにみなすならば、それはもはや日本国から独立した共産国家か秘密結社に近い性格のものだろう。

新垣氏は控えめで自己顕示欲の少ない人だという趣旨の記事を見たが、お金や地位や名声を求めないことが評価の重要項目となる業界でもあるのだろうか。そこまでいくとF1レーサーに安全運転を強いるような定義矛盾だ。自分の曲の鑑賞に他人の時間を費消させる作曲という行為が自己顕示以外の一体何であるのか後学のためにぜひ教えてほしいものだ。試験問題の解答を代筆する新垣氏の自己顕示欲がだんだん膨らんで、初めは中学生の答案にとどめるつもりが大学生から博士課程のになる衝動を抑えきれず、そんな事とは知らずに試験場で演技を無邪気に続ける小学生の姿とのあまりのギャップに真のプロである彼は恐れをなしたのだろう。

調性音楽を書いてまで商業主義に淫するなというプロのプライドには敬意を表するが、先人の論文である調性音楽や人口に膾炙する方法を使った瞬間にお手付きで失格、というほど音楽は科学と同列のものでもないだろうと考えるのは僕だけだろうか。新垣氏はプロの作曲家の良心に従って健全な自己顕示欲をこれから大いに発揮されればいいし、あれだけの仕事のクオリティにふさわしい経済的繁栄も手にする当然の権利がある。早く彼の交響曲第2番を聴いてみたいと願うのも僕だけではないだろう。1000人程度の同僚が堕落の烙印を押そうがどうしようが、1億人が1000年後まで聴いてくれる音楽を書いた人の方が偉い作曲家であることなど論じる必要すらない自明のことである。本当に良い音楽かどうかは音大の先生やコンクールの審査員ではなく歴史が決めることだ。歴史を動かすのは民衆なのである。

 

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クラシック徒然草-運命を作曲したピアノ-

2013 JUL 16 18:18:58 pm by 東 賢太郎

花崎プロジェクトでベートーベンを聴きかえしています。交響曲のCDは各曲50~60枚あり、その他の各種音源もありますからざっと600枚。聴いた実演はトータルで100は下らないので少なくとも700種類ぐらいの異演を聴いてきたのだと思われます。CDは耳に焼きつくまで聴きこんだのもあり、1度きりのも多々あり。今回とても時間がないので「親しくお付き合いしているもの」だけを再聴しています。

好きなものに関しては僕は徹底したメモ魔です。クラシック音楽はその一つで、6000枚ぐらい所有している全音源を曲別にカードに記録してファイルしてあるのは図書館と同様であり、そこに音源ごとに初聴時の印象を無印~3つ星の4段階評価で記しています。今回のプロジェクトでは2つ星以上の音源を聴きなおした印象で選んでいます。不思議なもので大学時代に聴いて以後一度も聴いていない演奏を今の経験を積んだ耳で聴きなおしても、当時の評価はほぼ納得というケースが多いためです。

いままでSMCのブログに書いてきたLPやCD、たとえば血肉となっているブーレーズの春の祭典ですが、調べてみると自分でも意外なことに高校時代以来20回も聴いていませんでした。というより、聴いた日付までメモってますから正確にわかるのですが、5回も聴かないうち(たぶん3回目)に今と同じ記憶と評価はほぼ確定しています。今や何かで居間に来て、家族と立ち話をすると5分後には何をしに居間に来たのか忘れているという嘆かわしい状況なのですが・・・。

ところが当時わからなかった事を古びた脳ミソが見つけだすということもあります。今回の聴きなおしで改めて気づいたのは、ベートーベン演奏とアコースティックの関係です。特に演奏会場の残響です。たとえばエロイカの出だしの2つの和音はスタッカートがついています。短く切れという指示です。彼はここで残響を意識したのではないかということが頭をよぎり、気になっています。4番のフィナーレ冒頭主題は弦の細かい動きを3発の全奏がやはり短いフォルテで受け止めます。その残響がホールに心地よく響くのですが、作曲に当たってそういうホールで演奏することを想定していたのではないかという疑問です。

ハイドン、モーツァルトの曲にそんな印象を抱いたことはありません。オーケストラのトゥッティ(全奏)や裸のティンパニを何度もフォルテでたたきつけるのが文法の重要要素であるという語法はベートーベン特有のものだからでしょうか?それだけではないかもしれません。西洋音楽のルーツは教会にあります。教会の残響は3秒以上もあり、単音が自身の残響と混合して和声やポリフォニーが生まれました。それが教会を離れて貴族のお茶の間での娯楽になっていくわけですが、それと並行して残響への嗜好や作曲家の配慮も後退したかもしれません。楽器の方もハープシコード、チェンバロという撥弦楽器のか弱い音が好まれましたがあれはどこで弾かれようがあまり残響を発しないでしょう。

ウィーンでベートーベンが1804年から住んだ家(Pasquaratihaus)に行きますと彼のピアノが置いてあります。これです。36e534aaf6 (1)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼はこのピアノで交響曲第4、5、7番やフィデリオ、ヴァイオリン協奏曲などを作曲したのです。ご覧の通りペダルが5つもあり、膝で押し上げるメカニズムだったモーツァルトのそれより音域も音量も音色も格段にバラエティに富んだ楽器となっていたことが分かります。彼の作曲上の文法がこれと無縁であったとは想定しにくいのではないでしょうか。聴力の衰えた彼がこのパワフルな楽器の音に心を寄せたもの、それが残響を豊かに伴ったオーケストラのトゥッティ(全奏)や裸のティンパニであっておかしいでしょうか?

 

ベートーベンはフランス革命後の共和政に期待をし、それによって音楽というものを貴族のお茶の間から市民、公衆の前に持っていこうとした人です。コンサートホールは教会に代わる市民の集いの場であり、彼は第九でシラーのこういう歌詞に音楽をつけているのです。

alle menschen werden Bruder, wo dein sanfter Flugel weilt                 (あなたの柔らかい翼が留まる所で、全ての人は兄弟となる)

Bruder! uber’m Sternenzelt muss ein lieber Vater wohnen                (兄弟よ!星たちの彼方に愛する父(神)が住んでいるに違いない)

神の前に出てみろ、君主も市民も同じだ、兄弟だろうということです。フィガロの結婚で初夜権などという婉曲な非合理をモチーフに貴族社会を揶揄した変化球のモーツァルトから見れば、これはど真ん中の剛速球でなくて何でしょう。

貴族(お茶の間)から市民(教会)へ。モーツァルトはこれをオペラでストレートに試み、ベートーベンは交響曲という音響実験で包括的に試みたと考えるのはあまりに実験的でしょうか。

 

 

ボロディンと冨田勲

2013 APR 1 0:00:23 am by 東 賢太郎

ボロディンの「中央アジアの草原にて」、聴いていただけましたでしょうか?

この曲のテーマ、とくに2番目に出てくる「東洋風テーマ」(下のピアノ譜をご覧ください。3小節目からです。オケではイングリッシュ・ホルンが鄙びた音で吹いてます。)の肌にしみいるなつかしさ、人なつっこさ(少なくとも僕にとってはですが・・・)は何なのか、不思議でなりません。イメージ (32)

 

 

 

 

 

 

同じような風情のテーマは歌劇「イーゴリ公」の「ダッタン人の踊り」や交響曲第2番にも出てきて、ボロディンのトレードマークといっていいかもしれません。こういうメロディーを書く才というのは、他の作曲家には感じたことがないなあと思っていたら、一人だけ思い当たる方がおられました。

我が国の誇る民族派巨匠、冨田勲です。ドビッシーやホルストをシンセサイザーでアレンジしたアルバムは海外でも評価され、もはや「世界のトミタ」ですね。僕が彼を知ったのは昭和47年のNHK大河ドラマ「新平家物語」のテーマ音楽が好きになったからです。これです。

それから、NHK「きょうの料理」のテーマも彼の作品です。日本人でこれを知らない人はいないでしょう。

 

しかし彼の最高傑作はNHK番組「新日本紀行」のテーマではないでしょうか。君が代を思わせるメロディーと素朴なコードが日本人のこころをぐっととらえる不思議な力を持っているように思います。このメロディーを好きになってくれるなら、どこの国の人でも仲良くなれそう・・・みたいな親和力を秘めている気がいたします。「中央アジア・・・」のメロディーとは似ていないのですが、この「ぐっとくる」感じが、僕にはとても似ているように思えるのです。冨田勲さんを偉大なるアマチュアとは申しませんが、音大作曲科卒ではなく慶応大学文学部卒であるところはボロディンとどこか共通するように思います。

 

(こちらへどうぞ)

ボロディン 交響曲第2番ロ短調

 

ボロディン 交響詩「中央アジアの草原にて」

2013 MAR 30 23:23:23 pm by 東 賢太郎

 

アレクサンドル・ボロディンこそ、理系作曲家のチャンピオンであります。

この反応は、有機化学における化学反応の一種で、カルボン酸の銀塩(RCO2Ag)に臭素 (Br2) を作用させ、有機臭素化物 (RBr) を得る反応である。

                                                      216-6

 

ロシアのアレクサンドル・ボロディン現在では作曲家として著名だが、本職は化学者であった)にちなみ、ボロディン反応  (Borodin reaction) とも呼ばれる (Wiki)。

 

216-7

 

シュバイツァーのオルガン、アインシュタインのバイオリンは有名ですが、サイエンスと音楽の両方で歴史に名を刻んだのはこのボロディンしかいません。サンクト・ペテルブルグ大学医学部首席卒業の医者でもありましたが、それが霞んでしまうほどのスーパーマンです。ちなみに彼はグルジア皇室の皇太子の私生児でした。作曲を習ったのは30歳からで生計は化学者としてたてていたので自らを「日曜日の作曲家」と呼んでいたそうです。偉大なるアマチュアといっていいのかもしれませんが、音楽史では「ロシア五人組」といって次のような人たちと一緒にロシアの民族主義的なグループの一員とされています。

 

「 展覧会の絵」のムソルグスキー、「シェラザード」のリムスキー・コルサコフら錚々たる人たちに並んでしまうアマチュア!!指揮者のワインガルトナーは、「ロシアやロシア人の国民性を知ろうと思えば、チャイコフスキーの悲愴交響曲とボロディンの第2交響曲を聴くだけで十分だ」とまで言っています。こんなアマチュアになれたらなあと憧れてしまいます。

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さて、前回のブログで、僕がクラシックに引き込まれたのがこのボロディンが作曲した交響詩「中央アジアの草原にて」だったことを書きました。この曲は1880年に(ボロディン47歳)ロシア皇帝アレクサンドル2世即位25周年を記念した祝典のために書かれました。スコアにはこのように書き込まれています。

 

「見渡す限りはてしない中央アジアの野原は静まりかえり、聞こえてくるのはロシアの歌声。次第に近づく馬やラクダの群れの足音にまじって、耳なれない東洋ふうの旋律が聞こえてくる。ロシアの兵士に護衛された隊商たちがやってくる。そして、護られている安心感を足取りに見せて進み、しだいに遠ざかっていく。ロシアの歌と東洋風の旋律がとけあって、草原をわたる風になごりを止めながら…」

 

この「ロシアの歌」と「東洋風の旋律」と「ラクダの足音」がたびたび転調を重ね、最後は重なり合っていく。まあ構造的にはそれだけの曲です。しかしなぜか、耳に残るのです。メロディーも和声も 。なにか故郷の歌でも聴いたような、初めて聴いても懐かしさにジーンとくるものを感じます。シルクロードでつながる日本人の遺伝子の記憶みたいなものなのでしょうか。

中央アジアというのは一般には下の地図の色つきのあたりを示すようです。この曲の作曲意図が「ロシアの東方への版図拡大を祝賀すること」だったようですから、ボロディンの血筋であるグルジアからカスピ海をこえたこのあたりを描いたものなのかもしれません。グルジア自体が人種のるつぼのような多民族国家ですから、ボロディンの血と感性を通じてエキゾチックな香りがむんむんしてくる音楽になっているのかもしれません。124_1_1

 

 

 

 

 

 

 

 

難しいことはぬきにしましょう。名曲アルバム風のこの画像をお借りして、じっくりとすばらしい風景と音楽を味わってください。

 

(追記、3月15日)

ダッタン人の踊り(歌劇「イーゴリ公」より)

ボロディンでクラシックに親しまれる方のためにこの曲を書かないわけには参りません。なにせ自分がボロディンのおかげで引きこまれたんですから。ベンチャーズに「パラダイス・ア・ゴーゴー」という曲があったことはマニアでないとご存じないかもしれませんが、フリークの小学生であった僕はギターで弾いておりました。これです。この場違いなムードの写真、アメリカの昭和という感じでなんともいえんですね。

そしてもうひとつ、トニー・ベネットの「ストレンジャーズ・イン・パラダイス」でありましょう、もっと有名なのは。

それがこれ、 ダッタン人の踊りの「娘達の踊り」(最初の曲です)だったんですね、クラシックが一気に身近になってしまいました。

(テキサスの高校生の子たち、うまいですね!)

僕がこれを覚えた演奏、エルネスト・アンセルメ / スイス・ロマンド管弦楽団です。原曲はオペラですから「娘達の踊り」は本来合唱入りなんです(上は管弦楽版)。彼の最晩年のシェラザードと同じく見事な楽器のバランスを保ちながら平静なテンポで進み、ff で爆発というパターンです。フレンチでチャーミングな音響の木管があでやかな色気を発し、「全員の踊り」のすさまじいバスドラの威力は当時快感でしたが今聴いてもぞくぞくしますね。

 

(こちらへどうぞ)

ボロディンと冨田勲

クラシック徒然草-ワーグナー入門(The first step to make yourself a Wagnerian)-

2013 JAN 6 16:16:23 pm by 東 賢太郎

ワグネリアン(Wagnerian)という言葉があります。「ワーグナー好き」という域を超えて、ちょっと狂信的な、いわば「ワーグナーの音楽にずっぽりとはまっている人」という感じでしょうか。モーツァルト好きを「モーツァルティアン」とは言いますが、ワグネリアンはもっとあくが強く、教祖と仰ぐ感じです。こんな作曲家は後にも先にもいません。

滞独中の1994年8月にバイロイト音楽祭に行きましたが、雰囲気はまさに「聖地」でした。愛知県豊田市がトヨタ市であるようにここもワーグナー市で、そうでもなければ何でもない田舎のオペラハウ スである「バイロイト祝祭歌劇場」(下)に世界中の権力者、富豪、貴族、紳士淑女が集結するさまは壮観でもあり、一種異様な感じでもありました。

聴いたのは「タンホイザー」です。この劇場の内部(下)ですが、ごらんのとおり横に並ぶ座席の列を縦につっきる通路がありません。中央部に座ったらトイレにもたてません。しかも空調はなくて蒸し暑い。4-5時間もじっとそこで音楽を聴くこと自体、けっこう宗教がかっている気がしなくもありませんね。

しかし聴衆は伊達や酔狂で高い金を払って来ているわけではもちろんありません。ワーグナーの音楽には世界のセレブや音楽好きを引きつける一種独特の強い磁力、もっと適格な言葉と思いますが、「毒」があるのです。蜜のように甘いが毒。これを飲んだらもう離れられない「惚れ薬」「媚薬」みたいなものです。

ほんの一例ですが僕の場合、異例にネアカの「ニュルンベルグの名歌手(マイスタージンガー)」が好きで、第1幕への前奏曲などは  ”死ぬほど好き”  になってしまっています。(ピアノで弾くのはとても無理なので)もちろん例によってシンセサイザーで自分指揮バージョンをMIDI録音しています。出だしの堂々とした男性的、全音階的テーマが高潮して一旦静かになり、女性的、半音階的に動く弦が醸し出す玄妙な和声を聴くと、いつも思考がとろーっとして停止し、陶酔状態に陥ります。これが「毒」でなくて何でしょう。

音楽と政治は本来水と油のようなものですが、不幸にもあのヒットラーがワグネリアンであったことからワーグナーの音楽はナチスドイツとイメージが強く結びついてしまいました。にもかかわらずブルーノ・ワルター、オットー・クレンペラー、ゲオルグ・ショルティ、レナード・バーンスタイン、ジョージ・セルといったユダヤ系の大指揮者がワーグナーを取り上げて名演を残しています。このことが欧州史の脈絡の中でいかに大変なことかは、イスラエル・フィルハーモニーがアンコールに初めてワーグナーを取り上げたら一部の団員が演奏を拒否して客席で殴り合いがおきたという事件が戦後も戦後、1981年に起きたことだということでお分かりいただけるでしょうか。

「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」「ローエングリン」「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルグの名歌手」「ニーベルンゲンの指輪」(ラインの黄金、ジークフリート、ワルキューレ、神々の黄昏)、「パルジファル」

以上がワーグナーの主要作品(作曲順)です。最初の3つは「歌劇(オペラ)」、トリスタン以降は「楽劇(Musikdrama)」と呼ばれますが、最初は細かいことは気にせず全部オペラと思っていただいて結構です。全部聴くと50時間近く。このエベレストのような巨山をどう制覇したらいいのでしょうか?手っ取り早いのは序曲・前奏曲集から入ることです。CD2-3枚分ですから大したことはありません。幸いワーグナーの序曲・前奏曲はどれも大変覚えやすいので、とにかく耳におなじみにしてしまうこと。それが絶対の近道です。ただし「指輪」だけはそれができないのでハイライト盤でいい所をつまみ食いして覚えるのがベストなのですがこれについては後述します(ちなみに指輪は通の間では「リング」と呼ばれます。以下、リングでいきます)。

ハンス・クナッパーツブッシュ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

まず、この2枚を探して購入することを強くお薦めします。クナ氏(1888-1965)はバイロイト10回登場、真打のなかの真打といえるワーグナー指揮者で、このステレオ録音は音も悪くなく、彼の曲を知り尽くした滋味とコクにあふれる名演を堪能することができます。名歌手第1幕前奏曲はこれがベストで、こんなにたっぷりとしたテンポなのに一瞬もダレることがなく、大河のように滔々と巨大な音楽が流れる様は壮観の一言。これが書かれたヴィープリヒのライン川の流れを思い出します。トリスタンも実にすばらしい。ローエングリン第1幕への前奏曲の神秘感と高揚感もベストの一つでしょう。この2枚で上記の「リング以外」は揃います。僕はこの音源のLPレコードを持っていて弦の音はCDより格段にいいのです。録音がやや古いのでCDの場合は再生装置を選ぶかもしれず、もし肝心の弦がやせて聴こえるようなら「だるい」演奏に聴こえてしまうかもしれません。以下のもっと新しい録音でもいいと思います。

 

ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

このEMI録音のタンホイザー序曲(パリ版)を初めて聴いたときは衝撃を受けました。スタジオの中のカラヤンが、いつもの綺麗ごとのイメージをかなぐり捨ててこんなになりふり構わず攻め込むのはあまり記憶がありません。カラヤンという人は録音を残すための録音が多いというイメージがあり、録音メディアが進化すると同じ作品を再録音したりしています。しかしことワーグナーに関しては商売優先ではなくガチンコ相撲を取っている観があります。意外なことにバイロイトはヴィーラント・ワーグナーと演出上の意見が合わずに2回のみの登場で、むしろ生地のザルツブルグ音楽祭に力を入れていましたが、彼の音楽性は明らかにモーツァルトよりもワーグナーに向いています。ベルリン・フィルの高性能と底知れぬパワーもワーグナーには非常に適性があります。この2枚で耳をしっかり慣らすのはお薦めです。この2枚はi-tuneでKarajan conducts Wagnerと入力すると安価で購入でき、「リング以外」は全部揃います。

 

クラウス・テンシュテット/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

これも同じオケですがこんなに音も表現も違うといういいお手本です。テンシュテットはロンドン時代にロイヤル・フェスティバル・ホールでずいぶん聴きました。特に印象に残っているのが僕の嫌いなマーラーとリヒャルト・シュトラウスなのです。それほど名演だったということで、この人のライブの燃焼度はすばらしかった。それを髣髴とさせるのがこれで、1枚目が「リングの有名曲ハイライト」です。

 

カール・ベーム/ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団  ゲオルグ・ショルティ/ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団

でもやっぱりウイーンフィルが恋しい・・・。そのぐらいこのオケはワーグナーに相性がいいのです。どちらをとるかはもう趣味の問題です。僕はDG(ドイッチェ・グラモフォン)のベームの音が好きですがDeccaのショルティ、これも確かにまぎれもないウイーンフィルの音なので困ってしまいます。もうひとつ、ホルスト・シュタイン指揮の「ワーグナー・ウェーバー管弦楽曲集」(Decca)というのがあって、これはこのオケの最もいい録音の一つなので捨てるに忍びない。ワーグナーの毒にウイーンフィルの媚薬!これを前にしてあれこれ言うことなどもうナンセンスですね。クラシックとはこうやってはまっていくものだという好例をお見せしてしまいました。できれば全部聴いて下さい。

 

さて皆様をワグネリアンの道に引き入れようという試みは以上でなんとか富士山の2~3合目というところです。特にリングという最高峰は用意周到に登らないと遭難の恐れもあり、今回まずはリング以外の6つの霊峰から序曲・前奏曲でお好みのものを選び、その曲の登頂をひとつづつ目指されるのがシェルパとしてのおすすめです。頂上の景色も圧巻ですが、そこに至るまでのあれこれはもっと楽しかったですよ。

 

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