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カテゴリー: ______ブラームス

テンシュテットのブラームス交響曲第4番

2017 MAR 11 1:01:11 am by 東 賢太郎

youtubeにアカウントを作りました。

まず第一回として、クラウス・テンシュテットが正規録音を残していないブラームスの4番からいきましょう。フィラデルフィア時代に当地のFMを録音したカセットで、放送自体の音質がこういうものでしたし音はあまりよろしくありませんが、貴重な音源と思いますのでファンの皆様と共有できれば幸いです。

最近LPとともにカセットというフォーマットも見直されていると聞きました。デジタルというのは単なる信号だから消えたらおしまいでありCDなどのディスクはモノとしての保存性に問題があります。34年前のカセットですが意外に録ったままの音が残ってるなという印象です。

これはこのブログに書いた演奏です。

僕が聴いた名演奏家たち(クラウス・テンシュテット)

「この本番は聴けず地元FMがステレオ放送してくれたのでそれをカセットに録音したが」と書いてありますが僕が聴いたのはリハーサルで、このビデオの録音はその本番でした。アカデミー・オブ・ミュージックできくフィラデルフィア管弦楽団はこういう音がしていたのです。

いま聴いてもたっぷりしたテンポで悠揚迫らざる大人の演奏でした。この人は巷で言われる爆演型の指揮者などではありません。

当日のプログラム(このページにテンシュテットのクレジットはないが

このページにシュロモ・ミンツと一緒にある

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

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N響/下野竜也 の名演

2017 JAN 29 9:09:08 am by 東 賢太郎

指揮:下野竜也
ヴァイオリン:クリストフ・バラーティ

マルティヌー/リディツェへの追悼(1943)
フサ/プラハ1968年のための音楽(管弦楽版╱1969)
ブラームス/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77

前半は二つとも初めての曲でした。第1曲のマルティヌーは「1942年にナチ親衛隊によって住民が虐殺され、強制収容所に連行され、村ごと焼き払われて地図上から姿を消してしまったリディツェという村のための追悼曲」で「プラハ北西15キロほどのこの村は、ナチの親衛隊長で、ユダヤ人絶滅作戦を策定したラインハルト・ハイドリヒをチェコ空軍有志が暗殺した事件で、暗殺部隊をかくまったことへの報復として抹殺された」(プログラムより)。

こんな壮絶なことが行われたのかと絶句。我が国はこのナチと同盟を結んだとはいえ、杉原 千畝、樋口 季一郎のようにユダヤ人を救済した人物までいました。日本軍に近隣国で戦時を超えた行為があった可能性は完全に否定はできないですが、日本民族の底辺にある倫理観、生死観からいかなる民族であれ絶滅作戦のごときおぞましき狂気まで共有したはずはなく、同列に論じられるのもかなわないと再認識であります。

悲痛に半音引き裂かれるような和声で開始し、重さと暗さが支配。それが深い祈りの和声と交差して天に昇華していくさまは心の奥底まで響きました。ぜひこれを聴いてみてください。

第2曲は1968年、プラハの春のソ連軍による弾圧でワルシャワ条約機構軍の戦車が街を蹂躙した事件に対する作曲家フサの怒りの表現でしょう。金管、打楽器、鐘など凄まじい音圧で迫り圧巻の音楽でありました。

下野竜也を絶賛したい。これだけ意味深いプログラムで打ちのめしてくれる指揮者がいま何人いるでしょうか。不断の好奇心をもって勉強を重ねないとこれだけの活動はできません、N響(コンマス伊藤亮太郎)もそれを受け止めましたね。つまらない外人呼んでくるなら下野を何度でも聴きたい、それほど気迫のこもった高い精度とボルテージの演奏でした。

後半はクリストフ・バラーティ の独奏でブラームス。この曲は僕にとって大事な音楽のひとつです。バラ―ティの感想は難しい。まず音の木質の豊潤な美しさはトップクラスと思います。1703年のストラディ「レディ・ハームズワース」で、僕が聴いたうちではアナスタシア・チェボタリョーワがメンデルスゾーンを弾いた絶品の中音域に唯一匹敵するもの。アンコールのバッハ(無伴奏のパルティータ3番  ガヴォットとロンド)はいつまでも聴いていたいレベルでした。しかしリザベーションがあります。

それを説明するにはテニス。昨日見ていた全豪オープンの準決勝、ナダル対ディミトロフ戦でナダルが接戦を制しましたがディミトロフは本当に惜しかった、最終セットのバックハンドの精度が低かったゆえ何本か落としたレシーブのリターン、あれさえ決まっていればフェデラー戦もいけたんじゃないか。それですね、バラーティに言いたいのは。彼の場合、音程です。

ほんのちょっとした、それも決めの音じゃないからいいじゃないかという声もあるでしょうが、僕は精度を書いて無頓着に感じてしまう。惜しい。それだけの素材だから求めたくなるのですが・・・。第2楽章アダージョは非常に良かったですね。遅い部分は文句なしで体質に合ってます。名器の美点が引き出されて、楽器もこういう相性の良い奏者にめぐりあえば幸福な音を出します。

第1楽章のコーダ、夢の中を天に登るようなppですね、最高の聞かせどころですからね、あそこは欲を言えば下野にもうすこし粘ってソロを引っ張って歌わせてほしかった。彼は性格がいいんでしょうか合わせてしまってバラーティもあんまり自己主張をしないタイプのようで残念ながらあっさりいってしまった。まあ良しとしましょう。

最高のコンサートでした。

 
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フルトヴェングラーの至芸の解明(その2)

2017 JAN 23 13:13:51 pm by 東 賢太郎

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フルトヴェングラーの指揮は「即興重視で厳格な練習はせず棒も不明瞭」というイメージが固定化しているように思われます。毎回ノリが違っていて、いざやるまでわからないぞ、でも燃えた時は凄いぞというニュアンスですね。理知的な人間を嫌う日本では彼のスタイルはトスカニーニの機械的に対し人間的とされ、人間味=義理・人情という思考回路で浪花節的な人気さえ得ている印象がありました。ドイツ人は日本人に似ている、一緒に戦った同胞と思ってくれているという、事実とかけ離れた片想いにどこか通じたものを感じます。

前回書いた箇所のテンポや音量の一糸乱れぬ劇的変化がその場の「人間的な」思い付きや即興でできるはずはないのであって、彼は周到な計画と練習であれをやっています。もしそこに即興的な要素があったとすると、それは弾いている楽員やひょっとして彼自身もがそれを即興と感じながら演奏しているというパラドキシカルな現象が起きていたかもしれないということにすぎません。

彼はわざと棒を不明瞭に振ってアインザッツがきれいに揃わないようにしたそうです。おそらく奏者も聴衆も「即興を聴いている」と思いこませるためです。彼が日本人の大好きな「理知的でないおおらかな人」だからそうしたのではなく、非常に理知的な人であってベルリン・フィルという一流オケはそう振らないと縦線が揃ってしまい即興風にならないという計算からです。

そうやって今日は練習にはなかった「何か凄いこと」が起きているという緊張感がオーケストラに走ります。それが聴衆に音だけでないオーラとなって伝わります。客席にいた多くの音楽家、カラス、アシュケナージ、カラヤン、バレンボイムらが称賛したように、今度はそれを受け取った聴衆の期待がオーラとなって舞台にフィードバックされる。それが混然とあいなってあの尋常でない興奮を生んだのではないでしょうか。

目の前で創造行為が行われている「一期一会」に人が酔い、会場に満ちた空気は色が変わる。チェリビダッケが自身の演奏の録音を拒んだのは会場にいないとシェアできない空気の存在が音楽の音楽たる必須の要素と考えたからですが、それは彼の弁によれば崇拝したフルトヴェングラーの演奏会にそれを感じ取っていたからです。つまりそこにはそれが「在った」のでしょう。

ストラヴィンスキーとフルトヴェングラー

ストラヴィンスキーとフルトヴェングラー

 

フルトヴェングラーは作曲家であるため「音楽」を記号に封じ込めきれないことを悟っており、スコアという記号から作曲家の「スピリット」を読み取る姿勢が徹底していました。それは厳格な練習によるメカニックなアンサンブルで得られるものではなく、創造行為への参加によって現れる「演奏家と聴衆の醸し出すオーラ」が生むもの、チェリビダッケ曰く「超越的でメタフィジック(形而上的)なもの」という哲学であって、彼はそれを醸し出す類いまれな精神と技術を持った職人であったというのが僕のイメージです。

 

フルトヴェングラーのブラームス交響曲第1番の「痺れる箇所」の2つ目ですが、第4楽章の比較的後ろの方、第2主題が再現する直前の部分にございます。

その個所にいたる数小節(273小節から)を、よく聞こえる第1ヴァイオリンの譜面で示します。e-d#-e はこの楽章冒頭に提示した音型で ♪♪♪♩ の運命動機とリズム細胞を共有しており、この部分で暗示的に執拗に繰り返して興奮を高め、第2交響曲の冒頭主題にもなっていくのです。運命だよという暗示をこめながら。下のビデオの42分10秒からです。

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音楽は苦しみの色を見せながらもぐんぐん興奮の度合いを高め、ff(marcato、音をはっきり弾け)に至ってついにアルペンホルン主題が顔を出し、「頭欠けリズム(8分休符で強拍をずらす)」で息も絶え絶えの様相になる。そしてとうとう N の ff で音楽は減七和音の苦味ある絶頂に至り、アルペンホルン主題を絶叫するのです。この楽章の、いや全交響曲の感情のピークはここにあると言って過言でないでしょう。

アルペンホルン主題はクララの誕生日祝いに書いた旋律である、千回もキスを送りますと書き添えて。なんと意味深長なのだろう。僕はこのヴァイオリンの譜面を眺めているだけでブラームスの気持が何となく心に浮かんでしまう、彼はクララと叫んでいるのです。

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ff で叫んだわずか2小節後に p にまで一気に音量が落とされる。これも異様である。ああ、ここはブラームスのトリスタン前奏曲なんだな、ここに至るまでの興奮の道のりはそういうことだったんだなと大人の理解をしてます。もちろん真偽はわからないし、ブラームスという用意周到な人がそんな風に見透かされるへまを犯すとも思えない。しかしフルトヴェングラーの演奏はそういう風に聞こえてしまうのです。

上掲スコアがヴァイオリン譜に続きます。

ここでどの指揮者もテンポも落とします。しかしフルトヴェングラーの落とし方は尋常でなく、アルペンホルン主題(クララ主題)をやさしい憧憬をこめて慈しむように歌いながら、もういちど mf を経て f に感情が高まります。心臓の高鳴りのようなティンパニの律動を伴いながら・・・。

そのドミナント(g)を p でたたいていたティンパニがトニック(c)を f でたたく印象的な瞬間は、シューマンの3番の第1楽章展開部でやはりティンパニが p のドミナント(b♭)からトニック(e♭)を f で打つ、まさに天才の筆による陶酔的な場面(271小節、第1主題がロ長調で回帰する前)とそっくりです。ここに夫のシューマンが顔を出している。しかし音楽はまた静まっていき301小節の第2主題の直前で完全に停止してしまう。

フルトヴェングラーの至芸はこの部分なのです。

シューマンであるティンパニをくっきり大きめに叩き、それが弱まると音楽は後期ロマン派の森の中をどんどん遅く、小さくなって、愛への希求を訴えつつ身も溶けるような深淵に到達します。やさしく愛を語りながら体は弛緩して完全停止してしまう。もうエロティックとしか表現できません。フルトヴェングラーはそう解釈したわけです。何度聴いても僕はここでノックアウトを食らいます。

このアルペンホルン主題は楽章の構造からすれば序奏に現れただけの、正規の家族である第1、第2主題からすれば「他人様」の存在なのです。他人である人妻への誕生日祝いに書いた旋律である。それが再現部になって第1、第2主題の間に衝撃的な登場をし、有無を言わさぬ存在を示して全曲のピークを形成する。

変でしょう?

僕のように理屈好きの人間に、死んだ後にでも気づいてもらいたかったのだろうか、やはり理屈っぽかったブラームスはそう語りかけている気がします。いやいや、でもソナタじゃないんだよ、キミ、それは考えすぎだよという迷彩もほどこしながら。

第4楽章になぜ展開部がないのか僕は長年わからなかったのですが、ははあ、そういうことですかね、ドクトル・ブラームス、さすがですねなんて思ってもいるのです。21年かけて書いた初の交響曲。緻密に構想して43才にしてとうとう発表したブラームスですが、彼の伝記からもそんな隠喩が秘められていて不思議ではないと考えています。

このアルペンホルン主題による痺れるドラマ、いかがですか?フルトヴェングラーの解釈がそうだったかどうかは知りませんが、他の誰の演奏もこうは聞こえず彼のだけが僕を打ちのめす音楽となっているのは、ブラームスの意図を、真相を、ぐさりと突いて共鳴しているからではないかと感じるのです。

62243上掲のビデオは前回と同じく僕が最も評価するBPOとの52年盤(右)ですが、ほかのオーケストラ(VPO、NDRSO)との録音もコンセプトはまったく同じです。フルトヴェングラーの至芸は即興の結果ではないのです。ただNDRSO盤は「愛の完全停止」がほんの少し短いなど他流試合だからかどこか煮え切らない観があります。こういうことは即興というよりライブの面白さでしょう。

 

クラシック徒然草―フルトヴェングラーのブラームス4番―

シューベルト交響曲第8番ロ短調D.759「未完成」

 

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クラシック徒然草《フルトヴェングラーと数学美》

2017 JAN 20 22:22:02 pm by 東 賢太郎

シューマンの3番聴き比べをお読みの方は僕がいかにテンポにうるさいかお分かり(というか辟易?)でしょう。しかし仕方ないのです。世の音楽評論はそれに触れるのが稀ですが僕にはそれは文系的感想文であってグルメ日記と変わらない。音楽には計量的な要素が多くそれを明示しないと同じ好き嫌いでも根拠が不明です。

指揮者のすべき最大の仕事はテンポ(timing)設定だと僕は思います。たぶんほとんどのプロの指揮者にも同意していただけると思う。テンポの変わる音楽は基本的にクラシックだけで、指揮者がいるのもクラシックだけだという事実にそれは現れています。

アレグロ、ラルゴのように楽曲全体の基本となるテンポは指定されていても、それ以外に細かくは楽譜に書いてありません。楽曲を構成する複数の主題、経過句、変奏さらにそれらを構成するひと塊りの音符群(フレーズ)にもテンポという可変的要素はあって、さらにそこからピッチを除いたものをリズム細胞と呼べば、それにもあります。

有名な例ではウィンナワルツの1・2・3というリズム細胞で1が短い。3つが等価でも青きドナウは演奏できますがそれらしくならないわけです。記譜するなら1:2:3の数値比を示せばいいがシュトラウスはそれをしていません。そういうものが総じて伝統であって、同じことは世界の古典芸能、雅楽にも歌舞伎にもあるでしょう。

主題や曲想に合わせて場面場面の速度をどうとるか、緩急の継ぎ目において時々刻々の速度の変化率をどうとるかで演奏の印象は千差万別となります。フルトヴェングラーはその達人でした。ブラームスの交響曲第1番には彼しかできない痺れるような、多くの指揮者がそれをまねているが一向に様にならない至芸と僕が思う部分が2箇所あります。

今日はそのひとつ目をお話しします。

第1楽章展開部の最後のところ、293小節で一旦音楽は静まり返り、ppのコントラファゴットの低い呻吟のようなf#・g・a♭からだんだんクレッシェンドが始まりますがスコアにはちゃんとpoco a poco cresc.とありますからこれはブラームスの指定です。それが頂点に達するのが下のスコアの K(321小節)です。

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フルトヴェングラーの演奏を僕のイメージで書くと、まずコントラファゴットに向けてテンポも音量もだんだん減衰してきて、呻吟のppのところで世界は冷え込んで奈落の底で時が止まります。そこから今度はテンポも音量も徐々に上がって音楽が延々と加熱していき、トランペットの運命動機  ♪♪♪♩  が鉄槌のごとく鳴り響き、ついに K の直前で音楽は灼熱のピークに達して一瞬のタメをつくりつつ Kに至って一気にすべてのエネルギーを放出する大爆発を起こします。するとぐぐっとテンポの腰が落ち、弦のユニゾンの音色が吹きすさぶ突風のように驚くべき急変を見せ(!)、ティンパニの ♪♪♪♩  が地獄に落ちるかのような恐ろしい審判を聴く者に告げるのです。実に凄い。

以上のことが下降、ボトム、上昇という美しいV字のループ状の曲線を描いて展開するさまは一個の芸術品をみるようで、音量を形(shape)と感じたバランスかと思われますが、実は音量に伴って速度も同じ方向に変化しているのです(それはスコアにない)。Kに至る上昇過程で、音量および速度をY軸に、時間をX軸にとってグラフ化するとxで微分した速度、音量の値は常に合致しているのではないかと感じており、計測してみたい衝動に駆られます。彼にそういう意識があるとは思いませんし天性の直感なのだと思いますが、フルトヴェングラーの演奏にはいくつかこうした神懸ったものがあって、その裏には何らかの数学的な美が隠れている気がしてなりません。

お聴きください(コントラファゴットが8分45秒です)。

9分48秒から再現部ですが、その直前の「ティンパニ ff 強打」が鳥肌のたつ激烈さで、こんな凄まじい音がする演奏は彼の他に聴いたことがない。

これは伏線があって、フルトヴェングラーは3小節前の第1ヴァイオリンの c、c#、d にスコアにはないトランペットを重ねて f で吹かせているのです。この部分、展開部前の8小節はブラームスがスコア改定後に挿入したもので、オリジナルのままの主題再現で物足りず Bm、Dm、Fm、G7 を入れて第1主題回帰へのエネルギーを和声の進行推力で増幅しようというものでしょう。

それに加え、ブラームスはその個所で低弦にそこまでの1拍3つの音価を2つにしてリズムに「つんのめり効果」まで作って ff で弾かせている。つんのめりの姿勢が g⇒c のティンパニ ff 強打の強烈なドミナント回帰の勢いで持ち直して、その反動の加勢も得てどかんと第1主題にエネルギーをぶつけようというものです。

トランペット追加、ティンパニ ff 強打(スコアは f)ともスコアにはないのですがあたかもブラームスが書いたかのように自然である。上述のように分析すれば、彼自身がスコアに追加までして補強したかった方向にベクトルが合致しているのだから当然でしょう。フルトヴェングラーのデフォルメは「ワタシを見て!」ではない理にかなったものがあり、その場合は余人の及ばぬ名演奏を成し遂げていると思います。

彼の1番は優れた有名なものが2つあって①52年2月10日(BPO)と②51年10月27日(NDRSO)です(どちらもライブ)。②の美も認めつつ、僕はここに挙げた①を選びます。例えば再現した第1主題は②では挿入した8小節のままの速度で進みますが①では少し戸惑ってから速くなります。その速度が僕は好適と思うからですが、この辺はもう好き好きの領域です。

もう一つの至芸は第4楽章にありますが、次回に述べます。

 

フルトヴェングラーの至芸の解明(その2)

 

 

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僕が聴いた名演奏家たち (ヘルマン・プライ)

2017 JAN 14 11:11:11 am by 東 賢太郎

201307210527ラインガウのエバーバッハ修道院(Kloster Eberbach 、左)はフランクフルト時代に最も思い出深い場所の一つです。ヴィースバーデンとリューデスハイムの間の丘陵にありますが、中世の修道僧が財政補助としてワイン作りをはじめたため葡萄畑に囲まれています。

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ここで産するリースリングワイン・Steinberger(シュタインベルガー)の上級品トロッケン・アウスレーゼは絶品で、ドイツワインといえば僕の場合はこれです。日本からのお客様はここへお連れして酒蔵(下)での試飲つきのランチでおもてなしというのがほとんどでしたから何度訪れたかわかりません。大企業のトップばかりですがご不満げな方はおられなかったですね。

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rheingauこの一帯がラインガウですが、夏季に小ぶりながら中身は充実した音楽祭が毎年この近隣で行われます。Rheingau Musik Festival(右)です。日曜日は店が完全休業ですることがないのですが、ここで午前11時からコンサートがあってそれから院内のレストランへ行ってワインでランチというのは大変けっこうでした。皆さんドイツは食事がまずいイメージと思いますしなかなか住まないと行けないのですが、こういう場所の食のクオリティは高いのです。6月の白アスパラの時期はとくに天国です。音楽好きは機会あればその時期に行かれることを強くお勧めします。

prey音楽祭ではゲルハルト・オピッツのベートーベンソナタ全曲が楽しめましたが、今となると貴重なこのようなものもありました。マインツのクアフュルストリッヒ城で1994年7月18日、ヘルマン・プライ(1929-98)によるブラームスのリートの夕べです。プライというと若いころのベームの「フィガロの結婚」のジャケット写真(左)を思い出しますが、65才でも面影は残っておりました。ピアノのレオナルド・ホカンソン(1931-2003)はブラームスの室内楽も聴かせてもらって感銘を受けた人でしたが共に故人になってしまいました。ああドイツだなあ、幸せだなあ、と思いながら楽しんだのを昨日のように思い出しますがリートのリサイタルを聴いたのはこれが初めてで曲はまだほとんど知りませんでしたね。

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プライのバリトンというと知っていたのは上記のフィガロ、ショルティ盤のパパゲーノでひたすら明朗、暖かい人柄という印象でしたが、この日のイメージはそれだけではなかったと記憶しております。「4つの厳粛な歌」(作品121)は第3曲ホ短調に交響曲第4番の主題が現れ「ああ死よ、おまえを思い出すのはなんとつらいことか」と名付けられていることから4番の意味合いが窺われる曲ですが、むしろこの曲に焦点があったでしょうか。それがプログラム最後のドイツ民謡集で本来のプライの明るいイメージに戻って何かほっとしたような、遠い昔でそのぐらいしか覚えてませんがそんな気持ちで帰宅いたしました。

リートはオペラよりも言葉の音楽に対する詩的意味合いが重いですからね、どうしてもドイツ語がわからないとという部分があって不勉強を呪うばかりです。せっかくいたんだからもっとまじめにやれば楽しみが増えてた。後の祭りとはこのことです。

(こちらもどうぞ)

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

シューマン交響曲第3番変ホ長調作品97 「ライン」 (序論)

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クラシック徒然草 《ルガノの名演奏家たち》

2017 JAN 10 1:01:07 am by 東 賢太郎

luganoルガノ(Lugano)はイタリア国境に近く、コモ湖の北、ルガノ湖のほとりに静かにたたずむスイスのイタリア語圏の中心都市である。チューリヒから車でルツェルンを経由して、長いゴッタルド・トンネルを抜けるとすぐだ。飛ばして1時間半で着いたこともある。

人口は5万かそこらしかない保養地だが、ミラノまで1時間ほどの距離だからスイスだけでなくリタイアしたイタリアの大金持ちの豪邸も建ちならび野村スイスの支店があった。本店のあるチューリヒも湖とアルプスの光景が絵のように美しいが、珠玉のようなジュネーヴ、ルガノも配下あったのだからスイスの2年半はいま思えば至福の時だった。

自分で言ってしまうのもあさましいがもう嫉妬されようが何だろうがどうでもいいので事実を書こう、当時の野村スイスの社長ポストは垂涎の的だった。日系ダントツの銀行であり1兆円近かったスイスフラン建て起債市場での王者野村の引受母店でありスイスでの販売力も他社とは比較にもならない。日本物シンジケートに入れて欲しいUBS、SBC、クレディスイスをアウエイのスイスで上から目線で見ている唯一の日本企業であった。なにより、大音楽家がこぞってスイスに来たほどの風景の中の一軒家に住めて、金持ちしかいない国だから治安、教育、文化、食、インフラはすべて一級品なうえに、観光立国だから生活は英語でOKで外人にフレンドリーときている。

唯一の短所は夜の遊び場がカラオケぐらいしかないことだが、ルガノはさすがで対岸イタリア側に立派なカジノはあるは崖の上にはパラディソという高級ナイトクラブもあってイタリア、ロシア系のきれいな女性がたくさんいた。妙な場所ではない。客が客だからばかはおらずそれなりに賢いわけで、ここは珍しく会話になるから行った。私ウクライナよ、いいとこよ行ったことある?とたどたどしい英語でいうので、ないよ、キエフの大門しか知らん、ポルタマジョーレとかいい加減なイタリア語?でピアノの仕草をしたら、彼女はなんと弾いたことあるわよとあれを歌ったのだ。

こういう人がいて面白いのだが、でもどうして君みたいな若い美人でムソルグスキー弾ける人がここにいるのなんて驚いてはいけない。人生いろいろある。本でみたんだぐらいでお茶を濁した。男はこういう所でしたたかな女にシビアに値踏みされているのである。彼女の存在は不思議でも何でもない。007のシーンを思い出してもらえばいい、カネがあるところ万物の一級品が集まるのは人間の悲しいさがの故なのだ。世界のいつでもどこでも働く一般原理なのだと思えばいい。社会主義者が何をほざこうが彼女たちには関係ない、原理の前には無力ということなのである。

名前は失念したがルガノ湖畔に支店長行きつけのパスタ屋があってペンネアラビアータが絶品であった。店主がシシリーのいいおやじでそれとワインの好みを覚えていつも勝手にそれがでてきた。初めてのときだったか、タバスコはないかというと旦那あれは人の食うもんじゃねえと辛めのオーリオ・ピカンテがどかんときた。あとで知ったがもっと許せないのはケチャップだそうであれはイタリア人にとって神聖なトマトの冒涜であるうえにパスタを甘くするなど犯罪だそうだ。そうだよなアメリカに食文化ねえよなと意気投合しながら、好物であるナポリタンは味も命名も二重の犯罪と知って笑えなくなった。香港に転勤が決まって最後に行ったら、店を閉めるんだこれもってけよとあのアラビアータソースをでっかい瓶ごと持たせてくれたのにはほろっときた。

apollo上記のカジノのなかにテアトロ・アポロがあり、1935年の風景はこうであった。1804年に作られテアトロ・クアザールと呼ばれた。ドイツ語のKurは自然や温泉によって体調を整えることである。ケーニヒシュタインの我が家の隣だったクアバートはクレンペラーが湯治していたし、フルトヴェングラーやシューリヒトが愛したヴィースバーデンのそれは巨大、ブラームスで有名なバーデンバーデンは街ごとKurhausみたいなものだ。バーデンは温泉の意味だが、金持ちの保養地として娯楽も大事であって、カジノと歌劇場はほぼあるといってよい。カジノはパチンコの同類に思われているが実はオペラハウスとワンセットなんで、東京は世界一流の文化都市だ、歌舞伎とオペラがあるのにおかしいだろうと自民党はいえばいいのだ。

moz20ルガノのクアであるアポロ劇場での録音で最も有名なのはイヴォンヌ・ルフェビュールがフルトヴェングラー/ベルリンフィルと1954年5月15日に行ったモーツァルトの K.466 だろう(   モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466)。彼のモーツァルトはあまり好まないがこれとドン・ジョバンニ(ザルツブルグ音楽祭の53年盤でほぼ同じ時期だ)だけは別格で、暗く重いものを引き出すことに傾注していて、何が彼をそこまで駆り立てたのかと思う。聴覚の変調かもしれないと思うと悲痛だ。彼はこの年11月30日に亡くなったがそれはバーデンバーデンだった。

 

lugano1もうひとつ面白いCDが、チェリビダッケが1963年6月14日にここでスイスイタリア放送響を振ったシューベルト未完成とチャイコフスキーのくるみ割り組曲だ。オケは弱いがピアニッシモの発する磁力が凄く、彼一流の濃い未完成である。くるみ割りも一発勝負の客演と思えぬ精気と活力が漲り、ホールトーンに包まれるコクのある音も臨場感があり、この手のCDに珍しくまた聴こうと思う。彼はイタリアの放送オケを渡り歩いて悲愴とシェラザードの稿に書いたように非常にユニークなライブ演奏を残しており全部聴いてみたいと思わせる何かがある。そういうオーラの人だった。

lugano3最後にミラノ出張のおりにスカラ座前のリコルディで買ったCDで、この録音はほとんど出回っておらず入手困難のようだからメーカーは復刻してほしい。バックハウスがシューリヒト/スイスイタリア放送響と1958年5月23日にやったブラームスの第2協奏曲で、これが大層な名演なのである。僕はどっちのベーム盤より、VPOのシューリヒト盤よりもピアノだけは74才のこっちをとる。ミスなどものともせぬ絶対王者の風格は圧倒的で、こういう千両役者の芸がはまる様を知ってしまうとほかのは小姓の芸だ。大家は生きてるうちに聴いておかないと一生後悔するのだが、はて今は誰なんだっけとさびしい。ついでだが、ルガノと関係ないがシューリヒトの正規盤がないウィーンフィルとのブルックナー5番もこれを買った昔から気にいっている。テンポは変幻自在でついていけない人もいようが、この融通無碍こそシューリヒトの醸し出す味のエッセンスである。

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クラシック徒然草-チェリビダッケと古澤巌-

 

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ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調 作品108

2016 OCT 30 15:15:27 pm by 東 賢太郎

3番は晩秋を思わせる音楽である。今頃の季節になると聴きたくなる。先日にオペラ・シティでユリア・フィッシャーがリサイタルで弾いたのがとても良くてそれが耳に残ってもいる。

1887-88年にかけてスイスのトゥーン湖畔で書かれた。トゥーン湖はユングフラウヨッホへの登り口にあるインターラーケンから西にアーレ川を下ったところにある。地図の右下がそれだ。

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西でなく南に行くと、「女王陛下の007」ロケ地で有名なシルトホルン(地図、右上)に至るが、ケーブルの乗り場であるミューレン(下の写真)は目を見張るほど美しい村で2年半のスイス時代に何度か行った。僕が最も好きな所の一つだ。後で知ったが、ブラームスは1886年9月(第1回滞在)と翌年7月(第2回滞在)に2度もそこまで登っている(徒歩で!海抜1,650 mであり、スイスで山歩きをやった人はわかるが、これは50代の肥満体にはけっこう難儀だ)。この写真のような深い谷沿いの高原である。

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第1回滞在は好天に恵まれ友人と共に夏の自然を満喫したため第2回滞在となり、ブラームスが密かに思いを寄せて交響曲第3番を書いたアルト歌手、ヘルミーネ・シュピースも参加した。さぞ楽しかったろうが、そこで二人の友人の訃報に接したのである。トゥーンには翌年、第3回滞在をもって終わる。それが彼のスイス夏季滞在の最後となったが、ヴァイオリン・ソナタ第3番はその3年にわたって書き続けられた唯一の曲だ。

トゥーン(下)は96年の夏休みに家族でツェルマット、マッターホルンへ車で旅した折に訪れとても印象に残った。

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美しい景色というのはスイスに住んでいると至る所にあって、湖もアルプスも自宅から見えたし贅沢な話だがどうということがなくなってしまう。その中でも記憶に焼きついているトゥーンとミューレンがヴァイオリン・ソナタ第3番にまつわるというのは、僕にとって感じるものがある。

このソナタについて。第1楽章ニ短調は交響曲第3番、第4番、ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲との関連が見いだされる。まず第4番だが、短調の枯淡の境地を感じさせる第1主題でいきなり始まる点、ピアノの伴奏の3度下降音型、コーダに至るaのオスティナート・バスに乗ったヴァイオリンの書法も4番終楽章にある。激情を伴う第1主題展開のヴァイオリン、ピアノのかけ合いは交響曲第3番の終楽章の、第2主題提示に至る部分は第2回滞在で書いた二重協奏曲の同じ部分の雰囲気を色濃く感じさせる。最後はクラリネット五重奏曲を思わせる諦観の中に静かに沈み込む。

第2楽章Adagioニ長調はピアノ協奏曲第2番の第3楽章だ。リートのように歌に満ち、ブラームスの緩徐楽章で最も美しいものの一つだろう。第3楽章嬰へ短調は両楽器が切れ切れに主題をきざみ、実質的なスケルツォであるが気分は陰鬱である。ヴァイオリンソナタのうち第4楽章があるのは3番だけだ。Presto agitatoニ短調でピアノが雄弁になりすぎる演奏が多い。私見だが第1,4楽章はピアノトリオの方がバランスする楽想のように思う(第4楽章はさらに管弦楽として交響曲にもできるだろう)。二短調で終わる。これもまた4番を思い起こさせるのである。本当に素晴らしい。

ブラームスの3つのソナタはヴァイオリニストにとって聖典のようなものだろう。ピアノソナタの伴奏にヴァイオリンが付くというバランスからスタートしたモーツァルトからベートーベンを経てロマン派に至るが、その過程でピアノは進化し強靭で豊かな音量を得た。その強いピアノで発想した作品で世に出たブラームスがピアノ伴奏で二重奏を書いた楽器は他には中音域で豊かな音量を発するチェロとクラリネットだけである。高音域だけのか細いヴァイオリンを拮抗させるのは時間を要し、3曲しか残されていないが1番の完成以前に多く手がけた痕跡がありすべて破棄されている。

同じ問題はロマン派の他の作曲家にもあった。ヴァイオリン演奏は名技主義が発展を見せ人気が集まったこともあり、彼らは多くの聴衆を集める協奏曲の作曲に向かうことになる。その結果、ヴァイオリンソナタで現在も秀作として聴かれているのはブラームスの3曲とフランクが思い当たる程度である。この4曲だけが問題を解決し高い次元で類のない音楽を築いている。だから聖典なのだ。とりわけ3番は高度の成果を見せており、ピアノはヴァイオリンを圧迫することなく交響曲に至るブラームスの厚い書法を堂々と何の制約もなく均衡させることに成功している。彼の最高傑作のひとつである。

最後に、その労作を彼が献呈したのがハンス・フォン・ビューローというのが興味深い。クララ・シューマンの父にピアノを習い、フランツ・リストの高弟となって娘をもらい、近代指揮法の開祖となり、ワーグナーに認められトリスタンとマイスタージンガーを初演した傑物だ。従って当初はブラームスの敵方であったわけだが、妻をワーグナーに取られたのが一因となったかブラームスと親交が深まった晩年の友人だ。リストの師はベートーベンの弟子、チェルニーだからビューローは直系であり32のソナタを暗譜で演奏した。ブラームスとは根っこで通じるものがあったということだろう。献呈の5年後、そのビューローも先に亡くなってしまうのだが。

bra-vs3そういう曲だ。人生の行く末にある暗くて重いものが支配している。だからといって若手や女性が弾けないということもないのだが・・・。僕がこれを覚えたのはメロディアのオイストラフ/リヒテル盤(LP、右)だ。巨匠ふたり。ライブの火花散る一期一会の名演の記録である。これがそれだ。

このレコードを買った当時、僕はまだ大学生だった。20代で感動していたこの雄弁な演奏は、しかし、自分が作曲家の年齢になってみて少しずれを感じるようになった。以下、目下のところ良いと思ったものを挙げてみる。10年たったら変わっているかもしれないが。

 

ヘンリック・シェリング / フェルディナンド・ヴァイス(14.9.1961ライブ)

r-7129498-1434378190-9926-jpegブカレストのG. エネスコ音楽祭での録音。シェリングはメンデルスゾーンV協で書いた美点が満載で第1楽章が最高だ。美しい音程の高音の歌の伸び、中音の肉乗りの厚い暖かみはこの曲に実にふさわしい。そして劣らず素晴らしいのはヴァイスのピアノで、厚い和音をずしっと鳴らしながらもいぶし銀の格調を保ちこれぞブラームスという究極の満足感をもたらしてくれる。第4楽章冒頭も節度あるバランスで対峙しながら見事にバスを聴かせる。最高の音楽性だ。これはyoutubeで見つけたが録音が見つからず誠に惜しい。

シェリングはルービンシュタインとのRCA盤があり名演として有名だがやや線が細くピアノは巨匠風だ。手に入るものとしてそれが次善の選択にはなろうが、僕はヴァイス盤を採りたい。

 

ヨゼフ・スーク(vn) /  ヤン・パネンカ(pf)

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ロマン派寄りの演奏に耳がなじむとスークのヴァイオリンは速めの第1楽章がそっけなく聞こえるかもしれないがそれがAllegroであり、この楽章のソナタ形式の均整、風格を示す。ストイックで感情過多に陥らないブラームスは飽きることがない。パネンカのピアノが出すぎず言うべきことを言ってそれを支える。62年と古い録音だがヴァイオリンがややオンになる楽器のバランスが誠に好適だ。

 

レオニダス・カヴァコス / ユジャ・ワン

028947864424故人の演奏ばかりでもいけない。若い世代の演奏も捨てがたいものがいくつかあるが、これは好ましい。ギリシャ人と中国人のデュオ。カヴァコスはスイス駐在時代の97年にチューリヒ・トーンハレでシベリウスのV協を聴いたがこれが記憶に残る素晴らしさでサインまでもらった。燃えるような情熱はあるがけばけばしくもある安手の虚飾がある様を英語でflamboyantというが、秘めた情熱はあるがそうではない彼のヴァイオリンは好みである。ワンはなんでも弾ける、派手にでも地味にでも。ここはブラームスにふさわしいやわらかな美音でカヴァコスに合わせている。この子は2番のコンチェルトも立派に弾けるだろう、すごい才能だ。以下、ライブである。完成度はCDがずっと高いが。

 

クラシック徒然草-音楽に進化論はあるか-

クラシック徒然草―クレンペラーのブラームス3番―

 

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ユリア・フィッシャー演奏会を聴く

2016 OCT 17 2:02:12 am by 東 賢太郎

inf_det_image_449ユリア・フィッシャーさんの演奏会に行きました。プログラムは以下の4曲でした。

ドヴォルザーク:ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ ト長調 Op.100
シューベルト:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ ト短調 D408
シューベルト:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ ニ長調 D384
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 Op.108

シューベルトはD408(3番)が当日に追加されましたがそれもソナチネ。こういう選曲は個性と自信と主張のたまものですね。ドヴォルザークもシューベルトもソナチネという感じではなく堂々たるソナタに聞こえるのだから別物でした。

彼女の音はCD等で聴きこんで惚れていたのですが、実際に耳にすると表情の使い分けがもっともっと多彩であったことに気づきます。これは録音じゃわかりませんね。たとえば、フレーズをppで入って同じ弓でmfぐらいになるのですが、その間のヴィブラートが増音につれて速くなる(回数が増える)ような微細な表現が自在に組み込まれていて、それが(聞こえはしませんが)彼女の生の呼吸と同期しているようで、まったく自然に感情の起伏が乗るのです。

シューベルトの譜面に指示がなくてもこの音はどういう音で弾かれるべきかが考え尽くされていて(しかもそうでない音が一音たりともない感じ)ピッチは最高音まで胸のすくほど完璧で、一言でいうなら、強い意志と見事なテクニックで意図が迷うことなく心に伝わってくるというヴァイオリンでありました。知性が根っこにあって一音一音に微細な「ギアチェンジ」があるのですが、それがまったく理屈っぽくならないところが魅力です。彼女が弾くなら何でも聞いてみたいと強く思わせる何かがあって、それを突きとめたいから来たのです。

僕はうまいけど何も考えてない演奏家はどんなにうまくても嫌いなのです。性に合わない。彼女の解釈はというと(細かく言えば同意しないところもあるのですが)、これだけ思考してトレースした末の音であれば正解などないわけですから言うことはありません。その自信に満ちた音ですが、細部まで吟味されつくした名プレゼンテーションのようです。すべての音に主張があって聴く者を考えさせるという意味で。彼女はカルテットもやってますが向いてますし、ピアノを弾くのも自分の主導する音楽をやりたいからでしょう。だからきっといずれ指揮もやるんでしょうが名指揮者になれる資質と思います。

圧巻はブラームスでした。3番のソナタは僕が愛する曲で、なにせ交響曲の4番を書いた後の作品ですからね、55才の作曲家の複雑な深層心理が底流にある難しい音楽なのです。ピアノが雄弁に語るわけですが、人肌を添えるという側面でマーティン・ヘルムへンの暖かいビロードのようなタッチと音色が効果的でした。亡くなっていく友人に人生の黄昏を見た曲であり、それを33才の小娘が(失礼)?という気持ちがなかったと言えばうそになりますが、彼女は楽々と乗り越えてました。文句なし。アンコールのスケルツォもブラームスを堪能させてくれました。

エージェントにアレンジしていただいていたので終演後に、お色直しして楽屋から出てきた彼女にお会いしました。強いオーラのある人ですね、眼が合ってすごい「気」を感じました。ブラームスの感想を伝えたら喜んでくれました。僕のブログは「日本語が読めないので」とのことでしたが「YahooでもGoogleでも、日本語でも英語でも、あなたの名前を検索するとずっとトップ画面キープしてるんですよ」というと「ワーオ!それすごいです、見ておきますね」でした。

写真はいいですかときくと「一応見せてくださいね」で、娘が撮って、これをはいっとお見せすると笑顔で「オーケー」でした。あの才能でこの美貌、天に二物をもらってますね。

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ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調 作品108

 

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クラシック徒然草―クレンペラーのブラームス3番―

2016 SEP 29 12:12:53 pm by 東 賢太郎

hermine3番はヴィースバーデンで書かれた。1883年だからブラームス50歳の年だ。ここで26歳のアルト歌手、ヘルミーネ・シュピース(右)に惚れてしまい結婚まで噂される。女性には複雑なものがある人だったようだ。

ヴィースバーデンは我が家が初めてドイツに住んだ街、ケーニッヒシュタインから車で40分ぐらいマイン川、ライン川を下る。活版印刷のグーテンベルクが生まれたマインツの対岸にある温泉町で、見事なクアハウス、カジノ、オペラハウス、コンサートホールがある。フルトヴェングラーやシューリヒトが滞在して名演を残した街でもあり、こことバーデン=バーデンはドイツの奥座敷というにふさわしい。春と秋は食事もワインも最高であり、音楽好きにはたまらないこと請け合いである。

僕はここが大好きで毎週のように週末は家族を連れて楽しんだ。いつも夜は中華やタイ料理(住んでいるとどうしても飢える)でおかしな取り合わせだったが。リングを初めて通して聴いたのもここだったし (ワーグナー 舞台祝典劇 「ニーベルングの指輪」)、マイスタージンガーゆかりの家もライン川沿いのすぐそこだし( クラシックは「する」ものである(8)-「ニュルンベルグの名歌手」前奏曲ー)、ここを歩くと脳裏にシューマンのライン交響曲が響いてくる。

この場所で、ブラームスは3番を生んだ。

4曲の交響曲で唯一、この曲は4楽章全部が消え入るように終わる。満ち足りたように。第3楽章poco allegrettoはシンフォニーらしからぬ感傷に満ち、老いらくのロマンスによって意味深にもへルミネと同じ年頃に書いた弦楽六重奏曲第1番の彼に戻っている。フランクフルトのアルテ・オーパーでミヒャエル・ギーレンがこのシンフォニーを振った。名演で拍手が鳴りやまず、そうしたらアンコールに第3楽章をやった。えっと思ったが終楽章のエンディングの気分からすっとそこに入れ、3番は特別の曲なのだとあらためて知った。

オットー・クレンペラー(1885-1973)はフランクフルトの音楽院で学び、ヴィースバーデン歌劇場の音楽監督をやり、ケーニッヒシュタインで休日を過ごしたりしたりサナトリウムで持病の治療をしたりした(僕の住んだ家の裏だ)。そしてロンドンで名声を得てチューリヒで亡くなりそこに眠っている。偶然とはいえ我が家の欧州での足跡にこんなに重なる指揮者はなく、ストラヴィンスキー、シェーンベルクら同時代音楽の旗手でもあったことも共感がある。

僕はクレンペラーのモーツァルトに並々ならぬ関心と畏敬があるし( クラシック徒然草-クレンペラーとモーツァルトのオペラ-)、彼の指揮したシューマンのライン交響曲やブラームスの第3交響曲には強いインパクトを感じる。欧州に12年近くも暮らしてのことだからそれに共感をいざなうつもりはないが、音楽は料理と似て生まれた土地に深く根差したものであるという実感ぐらいはご披露しておくべきだろう。ちなみにマーラーの2番でいいと思ったのは彼のだけだ。

これが彼のブラームス3番である(フィルハーモニア管弦楽団、57年3月録音)。このオーケストラの女性奏者は「神様のもとで演奏できて給料までいただけるなんて申し訳ない」と言った。サナトリウムにいたのは躁うつ病のせいで、数々のスキャンダル、奇矯な行動、言動、性癖まで有名になっているが、それと紡ぎ出された音楽は別だ。僕はこの奏者と同感。ネットで只で聴けて申し訳ないと思うし、こういう程度の浅い音で聞いた気になって欲しくないとも思う。

klempererこの正規録音、レコード芸術には冷淡だった彼が、それでも結果としては解釈が子細に聞き取れるそれを残してくれたのは天啓と思う。そしてこれに加えて僕が好んでよく取り出すのは右のフィラデルフィア管弦楽団との62年ライブだ。ステレオだが音に多くは期待できず初心者にはおすすめしないが良い装置で低音を補えば演奏の懐の深さがわかる。こういう巨魁な音楽が聞けなくなって久しいが、クレンペラーは僕にとって唯一渇望を満たしてくれる。なされていることは上掲のモーツァルトのオペラと同じで、読みの深さとはこういうものだ。あのフィガロを聴いてモーツァルトじゃないという意見が出てきてもむしろそれが普通だろうが、そこで終わってしまうのはもったいない。シューマンの4番がこれまた名演で、一聴ではテンポは遅くごつごつと骨っぽいが、意味深いリズムとフレージングに聴き進むとう~んなるほどと納得している。当時77歳のクレンペラー。トスカニーニとの録音もそうだしテンシュテットとのリハーサルもそうだったが、巨匠の棒に敏感に反応するオーケストラだ。おじいちゃんの昔話に喜々として耳を傾けるようで、聴いているこちらもそうなる。

 

ブラームス 交響曲第3番ヘ長調 作品90

ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調 作品108

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クラシック徒然草―フルトヴェングラーのブラームス4番―

2016 SEP 25 18:18:45 pm by 東 賢太郎

どんどん秋めいてくる。昨日N響のAプロで久々にNHKホールへ赴いて、ブルックナーを聴いた帰りにややひんやりした空気にふれてそう感じた。

僕は気質的に熱男(あつお)、夏男であって、あんまり秋は好きじゃない。先祖をたどると長崎と石川で、北陸人っぽいところはあるが気の質はたぶん九州の方が濃いだろう。寒暖でいえば暑いのは熱帯でも平気だが、寒い所は遠慮したい。盛夏に照準があるから秋はピークアウト感、もっといえば落ち目の感覚があっていやなのだ。

ロンドンに住んでみて、これは参った。落ち方が半端じゃない。6月ごろ午後10時まで薄明るかったのが冬は4時で真っ暗になるんだから、9~10月といったら急転直下のつるべ落としで、あの陰鬱となる気分は住んでみないとわからないだろう。ドイツに行くと少しは振幅が減ったものだが、日本のように紅葉だの秋刀魚だ秋茄子だというそれを忘れさせてくれる豊穣がないからあんまり救いはなかった。

だから毎年毎夏、寂莫としたものを秘めた束の間の陽の恵みを行くな行くなと懸命に謳歌しようとしていた記憶がある。「世の中にたえて桜のなかりせ ば春の心はのどけからまし」に近い。だからだろうか、あちらの人はMai(マイ、5月)なのだ。春の花が庭にあふれ、すももや白アスパラが出てくる5月、どんどんと頂点の6月めがけて日が長く明るくなる5月を何より心待ちにしている。僕もそうだった。

欧州時代にどうしてあんなにブラームスにはまったかなと考えるに、あの秋の逃げ場のない寂しさ、喪失感と無縁とは思えない。ブラームスは夏にザルツカンマーグートやスイスにこもって作曲したが、ヨーロッパの夏は日照時間でいえばもうはっきりわかる落ち目に差し掛かっているのだ。そこまで来ている秋。熱帯夜から解放されやれやれと迎える日本とは大違いだ。

ブラームスのいくつかの音楽というのはその夏の雰囲気、去りゆくものへの寂寥感をたっぷりと湛えている。ミュルツツーシュラークで取り掛かった4番のシンフォニーなどはそういう気分の代表格だろう。日照時間に落差の大きい北の男の作品だなあと思う。絵画でも光の加減に敏感に反応したフランドル派や印象派は北だ。北のプロシア、南のバイエルンは気質も違っていてベートーベンはいかにも前者の人だ。あの鋼(はがね)でできたような構築感というのはバイエルンやオーストリアのイメージではない。鋼と感傷とロマン。その調合がブラームスをブラームスたらしめている。

ベートーベン、ブラームスがイタリアオペラを書くというのは黒ビールでソーセージとザウワークラウトを平らげたあとにティラミスを期待するみたいにあり得ないことだ。それを軽々とやってのけたモーツァルトは、二人からは遠い南気質を持った人と思われる。僕は欧州に11年半住んで、ほんとうはあんまり気質になかったシベリウスなど極北系、ドイツでもプロイセン系の音楽が染みついたかもしれないと感じている。気候風土はきっと人間にそのぐらいの影響を及ぼすだろうと。

日本に帰ってきて、そういえばあまりブラームスに憑りつかれるということがない気がするのはそのせいか。飽きたことはないが、そうそう聴く気にならないし聴いても琴線に触れない。ブログを書こうにも、あれだけ入れ込んでいた4番などをそう軽々に文字にできない。ただ好きですじゃない、第1楽章を毎日ピアノで弾くほどだったのだから、書くならその熱愛の最中、ロンドンにいたころにすべきだったのだ。このまま逡巡してボケてしまったらいかにもまずい。

bra41そう考えてこれをかけてみた。写真はロンドンで買った伊EMIのフルトヴェングラー・ブラームス集で音はまずまず良い。4番は43年、48年が入っている。これに49年のヴィースバーデン盤があれば彼の4番のすべてだ(全部BPO。50年のVPOもあるが音が悪く不要だ)。1948年10月24日のライブはあまりに有名であり今更書くこともない。何回聴いたかわからなbra4いし、これが僕の4番の原型の一部を作ったことは確かだ。しかしだんだんと遠ざかってしまったのは、例えば第1楽章コーダの加速が尋常じゃないなど表情のあざとさが耳につき始めたからだ。

49年のヴィースバーデン録音は録音がよりオン・マイクで克明であり主部が内省的で遅めだが加速は同じくある。43年メロディア盤はもっとこなれていないが同じだ。つまりここと終楽章コーダの加速はフルトヴェングラーの基本コンセプトであり、彼ほどではないがクレンペラーやヨッフムもやっている。僕は楽譜にないそれをしたくないしジュリーニのような堅牢なテンポの演奏が好みになった。

しかし今聴いてみて、フルトヴェングラー48年盤はやはり心をかき乱すのだ。ロマン的なだけの演奏かというとそうではない。流動するうねりの興奮の頂点でも木管やホルンの音型はくっきりと彫琢され、それは49年盤でより鮮明になるが、フレージングの隈取りは実に明確であって情緒やムードに流れた曖昧な指揮では全くない。

棒が不明瞭で「振ると面食らう」などとされ、日本人好みの計算高くない融通無碍の霊感指揮者みたいな人気があるが全然そうではない。僕のイメージはおそろしく巨視的に、鳥瞰図で音楽の読める異能の読譜力を持った人だ。ブルックナーの8番で内田光子も同じようなことを言っていたと思う。ブラームスは2番のピアノ協奏曲をテンポ、強弱のメリハリを最大限につけて自演したという証言がある。楽譜はそう書いてないわけで、というなら4番にそういう余地があったっていいかもしれない。

僕はフルトヴェングラーのベートーベンやワーグナーを特に支持する者ではないが、ことこの4番に関する限りはそうかもしれない、これをブラームスは喜ぶかもしれないと思ったのだ。それほど心をかき乱すものだからだ。ベルリンでカルロス・クライバ―の4番を体験しその海賊盤を聴いてみて、逆にモノラルで音の古い48年盤から実演の音を類推するよすがを得た気がする。48年、ティタニア・パラストには凄い音が響いたのではないかと。好きかどうかはともかく、4番を語るのにこれを聴いていないということはあり得ないという演奏だ。

カルロス・クライバー/ベルリン・フィルのブラームス4番

ブラームス 交響曲第1番ハ短調作品68

 

 

 

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