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カテゴリー: ______演奏会の感想

凄かったロジェストヴェンスキーのブルックナー5番

2017 MAY 20 1:01:56 am by 東 賢太郎

5番が一番好きかもしれないブルックナー。確たる理由はないが7、8番のようにムード音楽にはなり得ないのがいい。峻厳な対位法では5番がベストであり、彼はワーグナーと違った道を歩みかけたが結局それに戻ったといえないこともないから真の個性は5番に刻印されていると僕は思っている。これを初めて聴いたのはロンドン・レーベルでクナッパーツブッシュ/VPO盤(右)が昭和50年に1000円で出た時で、これで覚えたシャルク版が終楽章にカットを施しており管弦楽法も肥大していることは後で知った。しかしこのレコードは、それにも関わらず名演だったから、5番とのつきあいは何とも複雑なものになってしまった。シャルク=改悪、ゲテ物というイメージが植えつけられ昨日まで来ており、まさかそれを実演で聴けるなど想像もしなかった。

本読響定期公演シリーズを買ったのはメシアンもあるが、5番をスクロヴァチェフスキーで聴けるのは最後だろうと思ったのも大きく、残念なことだったがそれがかなわずロジェストヴェンスキーで聴くなどというのもまったくの想定外であった(そういえば朝比奈も最後と思って買った3番が結局聴けずに終わったが)。5番はヨッフム最後の演奏をアムステルダムで聴く幸運に恵まれたし、それがいい音でCDになっていてこれを凌駕する演奏はないと思っているからつきあいは報われているが、それ以来心を動かす演奏には巡り合っていなかった。

 

ロジェストヴェンスキーのブルックナー録音というのはソヴィエト国立文化省交響楽団による異稿を含む全集があってこれが非常に面白い。ロシア臭ぷんぷんの金管はドイツのブルックナーとはかけ離れておりゲテ物扱いする人もいようが、耳が慣れればむしろこの指揮者の音楽の構築を一旦ばらして組みなおす譜読みの分解能に資すると思え、そのアプローチが最も活きる5番は文句なく聞きものである(写真、84年録音)。この版は原典版とあるがハースとも思えず不明である。指揮者の手が入っているかもしれない。

さて読響であるが、まずシャルク版は凄い経験だ。原典版はほぼ二管編成であり、7,8番を経ての初演で音を厚くしたくなったのはわかる。チャイコフスキー、マーラーを思わせる音があり、原典を聞きこんだ者には確かに厚化粧で芸達者の観がある。僕はシューマンのマーラー版を嫌う趣味の人間であり、これも同様に見ていたが、この演奏を聴いて考え直したのは「何でも原典版」というピューリタニズムが作曲家の意図かということ。ベートーベンも演奏によってコントラファゴットの補強をしているしオーケストラのカラーリングは演奏状況に依存する要素があり、特にブルックナーは何がベストというコンセプトはなくバンダの採用も同意していたともいわれる。

えっという音がそこかしこでするが、クナ盤で覚えた部分もあって懐かしくもある。終楽章でフーガを経て3つの主題が多層的に立体的に複合するあそこはジュピターのコーダに匹敵する数少ない奇跡的な音楽だが、ここ、シャルク版はいいではないか!一概に改悪なんかではないぞ。第1楽章の遅さは終楽章コーダでの回帰に向け主題を深層意識に植え付けるものだったのか?とにかくバンダが立ち上がって加わったあそこは何かが降りてくるのを見た。こんな演奏は何年に一度も体験できるものではない。大変なものを聴かせていただいた。

ロシアには常人離れした怪物といおうか怪しい「気」を発する天才がいてムラヴィンスキーやコンドラシンがそうだったが、ロジェストヴェンスキーの指揮もどこか19世紀的で魔術的な呪縛力があって背中で客席まで金縛りにする。だいぶ前にやった春の祭典で最後の一発の振り下ろしと同時に体ごとくるっと客席に回れ右したのは唖然だった。なんだ?と当時は思ったが、物凄く左脳的に分解能が高くてmeticurous(細部まで綿密にこだわって細かい)ながら怜悧ではなくどこかヒューマン。何とも言えないバランスが魅力で、いまこんな人は皆無だしもう出てくるとも思えない。

86才の巨匠。なんでもいい、もう一度ききたい!

 

(ことらもどうぞ)

ブルックナーとオランダとの不思議な縁

 

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ライヴ・イマジン祝祭管弦楽団演奏会

2017 MAY 8 18:18:46 pm by 東 賢太郎

みなさま、昨日は連休最終日にもかかわらずライヴ・イマジン祝祭管弦楽団演奏会に多数ご来場いただきましてありがとうございます。また指揮の田崎先生をはじめソリストの吉田さん、コンマスの前田さん、そしてオーケストラ楽員の方々におかれましては立派なハイドン、モーツァルトを聴かせていただいたこと、心より感謝申し上げます。演奏機会が多くはないハイドン98番、モーツァルトPC25番ですが、魅力をひとりでも多くの方に知っていただけたなら幸いです。

僕はあんまり演奏会をほめたことはなくて、別に辛口なわけではなくお世辞やお追従がないだけですが、オケに関するところ、昨日のは後半に向けてどんどん熱がはいってジュピターの終楽章で沸点に達する観がありました。どれも難曲であるうえに繰り返しも全部されて奏者のみなさん体力の限界に近づいており、そこであの終楽章というのだから正直のところ気がかりでしたが、火事場の**というのでしょうか、それがかえって一期一会の名演を生んだように思います。

打ち上げの席で、お世辞なくあれは良かったと申し上げた所、楽員の方々からどこが良かったのかと次々質問されました。どこがどうということではなく、指揮者の磁力とメンバーの気が高まってちょっと質の違うものになった。ああいうことはどこから来るともない相乗効果であって、人間の集団ではおきるもんで、でもしょっちゅうあるものではないというご説明しかできませんでしたが。それを引き出した田崎先生の音楽性、そして人間性あふれる包容力と奏者サイドを知り尽くした眼力にはさすがプロという言葉しかありません。

アマチュアの演奏を真剣に聞こうと思ったことがない僕のようなリスナーには、西村さんとのご縁で今回の演奏会の設営に関わらせていただいたことはすべてが勉強でした。僕が楽器をしないのは自分の耳が耐えられないからで、うまい人に弾いてもらうしかないのです。ならばよりうまい方が良いという理屈になって、それには相応のお値段があってといういわば資本主義原理で演奏というものをとらえていましたが、それは大きな間違いであったのです。アマであっても、もちろん一定の技術水準をクリアできればですが、ルーティーンでつまらない時のベルリン・フィルやシカゴ響なんかよりよっぽどインパクトのある演奏ができるということを学びました。聴く者の感動というものは、不思議な形をしているのです。

 

 

 

 

 

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大名演だったルイジ/N響のマーラー巨人

2017 APR 17 0:00:58 am by 東 賢太郎

指揮:ファビオ・ルイージ

ヴァイオリン:ニコライ・ズナイダー

アイネム/カプリッチョ 作品2(1943)

疲れがたまっていて休日のマチネーは眠くなってしまう。敬遠しているのですが昨日の読響が重なっていて止むなく振り替えました。ファビオ・ルイジは名前は記憶があってドイツ、スイスで何だったか聴いてるはずだけど覚えてない。気に留めてなかったのでしょう。メンデルスゾーンの速めのテンポでやや意識が戻るも集中せず。観念して後半のマーラーを迎えました。ところが、これがめちゃくちゃ面白かった。場外ホームラン。何年に一度の快心の一発です。

第2楽章は冒頭のチェロがゆっくり入って加速したり、第3楽章はコントラバスが全員で弾いたりとえっという感じでしたが、緩急自在のテンポでエピソードごとに大きく表情は変転。一時も飽きることなし。一気に覚醒。管楽器ごとにニュアンスと色合いが豊富なばかりか、弦5部も曲想によってそれぞれが自己主張して歌うので音楽がロマンティックに脈打つ。ヴィオラ、チェロは音が違う。ルーティーンで流すところは皆無、すべてのフレーズに血が通い奏者の息づかいまで感じられるという異例さで、何もなければ無難に終えてしまうN響も名演。

手垢のついた伝統の解釈を一旦ふりほどいてというのは誰もが試みることですが、これは聴いていて違和感のある恣意ではなく、ヨーロッパの伝統に根差した新しいスピリットの注入とでもいう感じがいたしました。第1楽章のカッコウの森の深々とした遠近感、第2楽章のホイリゲの雑踏のようなライブ感、第3楽章の軍楽隊はドンチャンと速めに行進してはっとさせ、ハープの「彼女の青い眼が」は白い霧のなかの白昼夢みたいに響く。それぞれ場面場面で11年住んだヨーロッパの懐かしい光景が脳裏に明滅するのには本当に驚きました。

僕にとってマーラーの安っぽくて嫌だと思っていた部分はこういうものだったか、いままで何を聴いていたんだろう?

1番のオーケストレーションは見事で第3楽章で一回だけひっそりとマレットでたたくシンバルの響き一つでも頭に焼きついています。音楽が生き物のように流れるとその効果が色づいて見える。ルイジのスコアの読みはマーラーの意図かどうかはともかく、僕も耳にタコができている1番の再発見をさせてくれました。クラシックはまだまだこういう余地がある。学んだと同時に、頭を芯まですっきりさせてくれました。

(こちらへどうぞ)

マーラー交響曲第1番ニ長調 「巨人」

 

 
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カンブルラン/読響の「青ひげ公の城」

2017 APR 16 0:00:24 am by 東 賢太郎

指揮=シルヴァン・カンブルラン
ユディット=イリス・フェルミリオン(メゾ・ソプラノ)
青ひげ公=バリント・ザボ(バス)

メシアン:忘れられた捧げもの
ドビュッシー:「聖セバスティアンの殉教」交響的断章
バルトーク:歌劇「青ひげ公の城」作品11

最高のプログラムでした。これが東京で聴けるというのは有難い。東京芸術劇場は改修前に通ったことがあり、どうなったか気になってました。好き好きですが前の方だとやや音が残響とかぶるかなという感じ。ただ倍音が乗って音圧は結構来ますから東京のホールとしては上の部類です。

バルトークがよかった。おどろおどろしいオペラですが、それを前面にに出さずオーケストラの多彩な色彩感と透明なテクスチュアで7つの部屋の情景の裏にある恐ろしさ、不気味さをうっすらと醸し出すというアプローチ。宝石の部屋と涙の湖の部屋でそれが効いておりました。歌手も好演。ハンガリー人のザボによる青髭は安定感があり、フェルミリオンはモーツァルト歌いのようですがいい味を出してました。欧州の一流どころの歌手でこの曲を聴けるのは至福です。

ドビッシーのこれはオペラ仕立てでは聞けないのだろうからこの編曲しかチャンスがないのでしょう。しかし全盛期のインスピレーションはいまひとつ感じません。メシアンは三位一体教会のオルガニストになったころ彼の和声語法は基本的な好みとしては変わらなかったことがわかります。シルヴァン・カンブルランは現代のメシアン演奏第一人者ですね。11月の歌劇「アッシジの聖フランチェスコ」は今から楽しみしています。

 

 

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カルロス・クライバー/ベルリン・フィルのブラームス4番

2017 APR 2 1:01:57 am by 東 賢太郎

レコード芸術誌の「巨匠たちのラスト・レコーディング」という企画によると、僕が聴いた演奏会のライブ録音が人生ラストだったという大指揮者が二人いました。オイゲン・ヨッフム(ブルックナー5番)とジャン・フルネ(ブラームス2番)です。

ほかにも最後のマーラー(ショルティ、5番)や最後のブラームス(カラヤン、1番)なども指揮姿とともに鮮烈に記憶にあって、「巨匠の時代」があったとするならばそれは僕らの世代の眼前で静かに黄昏を迎えていったのかもしれないという感慨を新たにいたしました。

幸いなことにその4つの演奏会はすべて正規の商業録音が残っています。音がいいだけに会場の空気まで生々しく蘇ってきます。もうひとつ、カルロス・クライバー(1930-2004)の、最後ではないがたった2回しか人生で振らなかったベルリンPOとは最後だった演奏会(ブラームス4番)があって、これについてはすでにブログに書きました。

カルロス・クライバー指揮ベルリンフィルの思い出

クライバーは日本通で和食も好きで、お忍びでよく来日していたと某社で彼を担当していた人に聞きました。ベルリンの演奏会は正規盤がなく米国製の海賊盤が残っていますが彼はこれを秋葉原で買って愛聴していたそうです。それをyoutubeにアップしましたのでどうぞお聴きください。

これをいま聴きますと不思議な気持ちで、モノラルであるせいもあるのでしょうか、レコードを擦り切れるほど聴いたフルトヴェングラーやトスカニーニも実演はあんな感じだったのだろうかと逆体験の空想に浸ることになります。

好きなオーケストラ、好きな曲だけ振って、好きなようにスケジュールを組んで貴族のように生きた男。前述のかたに彼の出自もお聞きしましたが、もうこういう人は二度と出てこないだろうと思います。

それは現在の我々がクラシック音楽と思って聴いている音楽が最後に生まれたのが20世紀前半のことであって、その作曲現場の空気を知っていた世代の演奏家が世を去っていったことで終焉を迎えたものだからです。

個人的に、第2次ベル・エポックとでも名づけたい良き時代であり、そういえばこんなに長く70年も大きな戦争がなかったのも良きことでした。ご本家ベル・エポックは第1次大戦で終焉しましたが、今度はその禍なきことを祈ります。

 

クラシック徒然草―フルトヴェングラーのブラームス4番―

 

カラヤン最後のブラームス1番を聴く

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

 

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N響・パーヴォ・ヤルヴィのシベリウス2番

2017 FEB 13 13:13:25 pm by 東 賢太郎

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
アコーディオン:クセニア・シドロヴァ

ペルト/シルエット ― ギュスターヴ・エッフェルへのオマージュ(2009)[日本初演]
トゥール/アコーディオンと管弦楽のための「プロフェシー」(2007)[日本初演]
シベリウス/交響曲 第2番 ニ長調 作品43

 

 
トゥールが面白い演目でした。アコーディオンがはいるクラシックは初めてですが、管とも弦とも音色の親和性があって意外に溶け込みます。音量はマイクで拾っていましたが十分にコンチェルトが成り立つように思いました。シドロヴァ はチャームのある人でアンコールも魅了されました。ぺルトの曲はパーヴォに献呈されたもののようですがよくわからず。

シベリウスは親父もこのオケで聴いたので比べてしまいます。

ネーメ・ヤルヴィのシベリウス2番を聴く

これがあまりにインパクトがあり、こういう家の子は大変だなと思うことしきり。息子は曲想に応じて振幅の大きな表現で、長い音符は長く、急速なパッセージはより急速にと変化をつけますが、どうも後期ロマン派ぶって聞こえてしまう。弦がそれに呼応して熱演してしまうものだから、どうも僕のイメージからどんどん乖離していきました。ff の弦の質感もよろしくない。去年聴いたラハティ響はこんな弾き方はしていませんでしたが音楽は内面からエネルギーを放射していましたね。この路線で息子の全曲を聴きたいとは思いませんでした。終楽章コーダのティンパニ・ロールに g を入れるのは大変に耳障り、勘弁してほしい。ベルグルンドも1回目のボーンマスSOではやっていますがヘルシンキSO、イギリスCOとの2,3回目は d のまま。どうしてスコア通りでいけないのかわかりません。お気に召した方は多そうでしたが、趣味の違いですぐ失礼しました。

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メシアン「彼方の閃光」を聴く(カンブルラン/ 読響)

2017 FEB 1 1:01:07 am by 東 賢太郎

messiaenメシアンに凝ったのは大学3年、上野の文化会館音楽資料室で近現代のLPを片っ端からあさったときだ。春の祭典の完全記憶からクラシックに本格参入し、しばしモーツァルトより近現代がずっと優先の時期がつづき、ストラヴィンスキー、バルトークに始まってベルグ、シェーンベルク、ウエーベルンを経ていよいよメシアンに行き着き、資料室でトゥーランガリラと世の終わりのための四重奏曲の妖しい魅力にはまってしまった。下宿のこたつで彼のオルガン曲をヘッドホンで聞きながら寝ると眠りが深いという妙な事態に至ったりもした。僕のクラシック歴はちょっと変である。

後年、真夏にまばゆい純金色の妖艶で極彩色の輝きを放つバンコックの寺院に行くと何の前ぶれもなく「アーメンの幻影」が頭にシャワーのように降って来て、これは何だと仰天した破壊的な記憶がある。2010年にパリに行ったとき、ふとその衝撃がやけに懐かしくなって、メシアンがオルガニストだったひと気のないサントリニテ教会の暗い空間にしのびこんで1時間ほど一人で黙とうした。あの空間の、真夏なのにひんやりと冷たい空気の震えに肌で覚えたソノリティ、あれがメシアンの質感、クオリアなんだと確信した。

メシアンの音のクオリアの要素はオルガンと鳥と打楽器である。管弦楽はそれを模しているしピアノ曲であってもその絶妙な配合で成っているといって過言でない。メシアンを聴くとはその色彩を肌で感じながら頭はからっぽで瞑想するということだ。11楽章の「彼方の閃光 」のオーケストレーションも、トゥーランガリラより線へのフォーカスは減じているが、同様に3つの配合で比率が違うだけだ。彼方の閃光は金管合奏の「キリストの昇天」の和声で始まり鳥およびオルガンの祈りにより比重を置く。

隣の人がずっとおやすみで時折いびきが響いたが、実に不思議なもので、この音楽はそれをも自然に飲み込んで流れるのだ。エメラルド寺院で横臥の姿勢で仏像に祈る人々の姿が幻視でうかび、サントリニテの空間にこつーんと響き渡る靴音を思い出す。思考を無にしてあの世に解き放つような、異界の接点のような、初演までに彼岸に旅立ったメシアンがおそらく最期に見ていた世界ではないか。

終曲「キリスト、天国の栄光」で弦が玄妙な和音を延々と奏で続ける。天国への川の流れであり太陽の淡い光彩のゆらぎでもあり、時間の流れがおそい。あたかも旋律がきこえるかのように流れるが、和声の脈絡は希薄であって意識はよりどころを失って虚空をさまよう。弦楽合奏が pp に消え入る最後まで密かにシャラシャラと鳴る金属打楽器が「世の終わり・・」の高音部にちりばめられたピアノのようだ。ああやばい、またバンコック行きたくなった。

カンブルランのこれが聴きたいがために読響の定期を買った。はたして、よかった。オーケストラも好演、貴重な機会に深謝である。

(ご参考)

メシアン トゥーランガリラ交響曲

 

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N響/下野竜也 の名演

2017 JAN 29 9:09:08 am by 東 賢太郎

指揮:下野竜也
ヴァイオリン:クリストフ・バラーティ

マルティヌー/リディツェへの追悼(1943)
フサ/プラハ1968年のための音楽(管弦楽版╱1969)
ブラームス/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77

前半は二つとも初めての曲でした。第1曲のマルティヌーは「1942年にナチ親衛隊によって住民が虐殺され、強制収容所に連行され、村ごと焼き払われて地図上から姿を消してしまったリディツェという村のための追悼曲」で「プラハ北西15キロほどのこの村は、ナチの親衛隊長で、ユダヤ人絶滅作戦を策定したラインハルト・ハイドリヒをチェコ空軍有志が暗殺した事件で、暗殺部隊をかくまったことへの報復として抹殺された」(プログラムより)。

こんな壮絶なことが行われたのかと絶句。我が国はこのナチと同盟を結んだとはいえ、杉原 千畝、樋口 季一郎のようにユダヤ人を救済した人物までいました。日本軍に近隣国で戦時を超えた行為があった可能性は完全に否定はできないですが、日本民族の底辺にある倫理観、生死観からいかなる民族であれ絶滅作戦のごときおぞましき狂気まで共有したはずはなく、同列に論じられるのもかなわないと再認識であります。

悲痛に半音引き裂かれるような和声で開始し、重さと暗さが支配。それが深い祈りの和声と交差して天に昇華していくさまは心の奥底まで響きました。ぜひこれを聴いてみてください。

第2曲は1968年、プラハの春のソ連軍による弾圧でワルシャワ条約機構軍の戦車が街を蹂躙した事件に対する作曲家フサの怒りの表現でしょう。金管、打楽器、鐘など凄まじい音圧で迫り圧巻の音楽でありました。

下野竜也を絶賛したい。これだけ意味深いプログラムで打ちのめしてくれる指揮者がいま何人いるでしょうか。不断の好奇心をもって勉強を重ねないとこれだけの活動はできません、N響(コンマス伊藤亮太郎)もそれを受け止めましたね。つまらない外人呼んでくるなら下野を何度でも聴きたい、それほど気迫のこもった高い精度とボルテージの演奏でした。

後半はクリストフ・バラーティ の独奏でブラームス。この曲は僕にとって大事な音楽のひとつです。バラ―ティの感想は難しい。まず音の木質の豊潤な美しさはトップクラスと思います。1703年のストラディ「レディ・ハームズワース」で、僕が聴いたうちではアナスタシア・チェボタリョーワがメンデルスゾーンを弾いた絶品の中音域に唯一匹敵するもの。アンコールのバッハ(無伴奏のパルティータ3番  ガヴォットとロンド)はいつまでも聴いていたいレベルでした。しかしリザベーションがあります。

それを説明するにはテニス。昨日見ていた全豪オープンの準決勝、ナダル対ディミトロフ戦でナダルが接戦を制しましたがディミトロフは本当に惜しかった、最終セットのバックハンドの精度が低かったゆえ何本か落としたレシーブのリターン、あれさえ決まっていればフェデラー戦もいけたんじゃないか。それですね、バラーティに言いたいのは。彼の場合、音程です。

ほんのちょっとした、それも決めの音じゃないからいいじゃないかという声もあるでしょうが、僕は精度を書いて無頓着に感じてしまう。惜しい。それだけの素材だから求めたくなるのですが・・・。第2楽章アダージョは非常に良かったですね。遅い部分は文句なしで体質に合ってます。名器の美点が引き出されて、楽器もこういう相性の良い奏者にめぐりあえば幸福な音を出します。

第1楽章のコーダ、夢の中を天に登るようなppですね、最高の聞かせどころですからね、あそこは欲を言えば下野にもうすこし粘ってソロを引っ張って歌わせてほしかった。彼は性格がいいんでしょうか合わせてしまってバラーティもあんまり自己主張をしないタイプのようで残念ながらあっさりいってしまった。まあ良しとしましょう。

最高のコンサートでした。

 
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カルメンが生き残った理由(今月のテーマ インテリジェンス)

2017 JAN 26 12:12:49 pm by 東 賢太郎

昨日は次女と新国立劇場のカルメンでした。何度聴いてもいいですね。ホセのマッシモ・ジョルダーノは演技力もあって後半はよかったかな、ミカエラの砂川涼子は健闘でした。オケの東京SOはいい音が出てましたね。前から4列目で美しい舞台も楽しみました。

娘たちは幼稚園のころからオペラやバレーへ連れて行ってるのですが、今もこうしてきいてくれるのはうれしいことです。彼女は魔笛、ヘンゼルとグレーテル、白鳥の湖、くるみ割り人形なんて子供向きから、ボエーム、コシ・ファン・トゥッテ、イエヌーファ、エレクトラなんて大人物まできいてます。ワーグナーは寝るだろうということで、ヴェルディは親父がきらいで外して申し訳なかったが、これからは自分の趣味で聴いてください。

さて子供の時にきいたのをどこまで覚えてるかというときっと忘れるんですね、筋もややこしいし長い曲だからとうぜんです。僕は初めてオペラを観たのはメトロポリタン歌劇場のタンホイザーだからもう27才でした。ところが先日に野村くんがプレートルのブログにくれたコメントで、一橋中学で音楽の授業でカルメンを全曲聴いたとありました。

car完全に忘れてましたが、家にカルメンの抜粋のEP盤(右)があって不思議に思っていたんです。なんで買ったのかなと。EPはごまんとあって、ベンチャーズ(小4)に始まってお袋が買ったと思われる渡哲也「くちなしの花」(73年、高3)なんかもある。中学ではまだLPは買っておらず、ひょっとして音楽の授業でcar1「前奏曲」が気に入って買ったんじゃないか?という気になってきたのです。僕はこの前奏曲が大好きでイ長調に0.3秒だけ出てくるつなぎのC#(!)、そしていきなりぶっ飛ぶCのコードは今でも頭をぐしゃぐしゃに錯乱させる効果があります。ボロディンがそうだったように、当時、転調には異様に反応してしまう子供だったです。

だんだんほんのりと思い出しつつあって、カルメン鑑賞は何回かの授業に分けていて、森谷先生の「今日は第2幕です、ここでホセがこうして」みたいな解説があったような。あれ中3の受験前じゃなかったのかなあ、なんとなくですが、勉強で疲れてて、とにかくぼーっとオペラ聞くだけって授業が続いて楽ちんで、先生親心だなあなんて勝手に思った気がするんです。

昨日は始まる前に娘にすじを教えて、これはリアリズムのはしりのオペラなんだ、おとぎ話じゃないからね、カルメンはひねたアバズレ感がないとね、エスカミーリォはホセを出しぬくイケメンじゃなきゃ変だろ、顔じゃないよ声だよ。それを通らない低いバスでやるの、なかなかいいのいないんだ。ミカエラはビゼーが中和剤で入れた役だ、何で入れたかわかるか?アバズレが主役なんてダメなの、当時のパリじゃあ。ソプラノふつう主役でしょ?カルメンはメッツォなの。ハバネラはね、初演の女が練習でごねたの、もっといいの書いてよって、それで他人のメロディーをパクったんだ、でも歌手のゴネ得はねモーツァルトでもしょっちゅうあったよなんてことを教えます。

そしていよいよ前奏曲の前に、「カルメンができたのは鹿鳴館より前のころだよ、そこから150年近くもどうして世界で大ヒットしたのか理由を考えながら聴きなさい」と伝えました。次女は外資系のマーケティング部門にいるのですが、何でも考えさせる題材にはなるのです。

帰りにショーペンハウエルの「馬鹿になるから本を読むな」も教えました。本は読んでいるようで結構だが、それは他人の頭で考えてもらっていることでもあるのだ。その結末だけ何万覚えても実社会では何の役にもたたんよ、数学の公式だけいくら丸暗記しても難しい問題は歯が立たなかっただろ?あれがどうやったら攻略できるかって、攻略本じゃなくね、自分の頭で考えるんだよ。しかも実社会の問題は正解がないんだよ、条件もその場その場で千差万別だ。自分の頭で考える訓練をしていないと解を導くなんざ到底無理だ。でもみんな解いた気になってんだ。そうやって人生ができていくの。いい方にも悪い方にも。

その解こそインテリジェンスなんだよ。それを導く能力があれば何しても食っていけるし勝ち抜けるよ、保証してやるさ。みんな口で言いたくないけどな、資本主義は食えた奴が勝ちなんさ。武士は食わねどの人はそれでいいけどな、口は左翼、財布は右翼ってのがいっぱいいるんだ。たいして食えてもいない奴の本なんか読んでどうすんの?捨てなさいそんなの。インフォメーションはど~でもいいの、ググればその場で出てくるでしょ、物知り博士なんか食えないんだよ、それこそ人工知能に一番早く食われるさ。学歴や職歴で食えると思ってる奴は考えなくなるからね、東大出てたってね、これから最もダメなタイプだ。

なんてことを言うわけです。過激すぎてブログに書けないことも多いので、でもそれが世の中のまぎれもない真実でもあるんで、まあボケる前になるべく教えとこうということです。カネを残すより知恵を残してやった方がいいですね、遺産は食いつぶしたら終わりだがそこからは自分で食えないと寂しい人生ですからね。

はい、カルメンが何で150年生き残ったかは解釈がいくつかあるよね。世界のどんな田舎へ行ってもオペラといえばカルメンぐらいは返ってくるね、凄いことだよね、じゃあどうして?

 

 
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2016年の演奏会・ベスト5

2016 DEC 31 21:21:43 pm by 東 賢太郎

今年は忙しくてN響、読響ともかなりすっぽかしてしまいました。行ったなかでのベスト5ですが、以下の通りです。

1位

加藤旭:合唱曲「くじらぐも」(メイク・ア・ウィッシュ演奏会)

2位

ビゼー:歌劇「カルメン」(C・デュトワ/N響)

3位

コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35(五嶋 みどり/カンブルラン/読響)

4位

ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番 (ユリア・フィッシャー/M・ヘルムへン)

5位

フィンジ:霊魂不滅の啓示 作品29(下野 竜也/読響)

 

以上どれもインパクトのある演奏でした。1位の「くじらぐも」ですが、この演奏会のすぐあとに16才の作曲家、加藤旭さんは亡くなりました。この日初めて、僕は真っ白な気持ちになって、音楽を愛する心は曲を通してまっすぐに聞き手の心に伝わることを教わりました。

僕の音楽を愛する心もつよいです。そのおかげで4年間こうしてブログを書き続けることができました。お読みいただいている皆様にも、その力で何かが届けばうれしいです。本年は思うところあって年初から4月まで執筆を休止しましたが、それでもアクセスが増えたのがやめられなかった理由でした。

愛情は死ぬまでつづくので、ブログもそれまで続くと思います。本年も拙文に貴重なお時間を割いていただき、本当にありがとうございました。よい年をお迎えください。

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