ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31-3
2014 AUG 24 22:22:14 pm by 東 賢太郎
バッハの平均律をピアノの旧約聖書、ベートーベンの32曲を新約聖書という人がいます。ベートーベンが「キリストは単に磔(はりつけ)にされたユダヤ人」と言い放ったからではありませんが、僕は彼の音楽に宗教的な辛気臭さを感じません。第九の歌詞からも彼は天上の神を信じていたと思いますが、自分の生の声を天上ではなく地上の民へ向けて書きました。聖書に関係のない我々にも、なん百年たっても色褪せることなく開かれた音楽と思います。
この変ホ長調ソナタが大好きな僕は9曲の交響曲の第8番に当たるものという感じで聴いています。ビールのCMではないですが「深刻度ゼロ%」。ベートーベンの書いた音楽でこんなに明るい、全曲にわたってノリまくってはしゃいでいるものはひとつもありません。いったい彼に何起きたんだと心配になるほど。どうしてといって、陽性の交響曲第7番の後に書かれた8番と違い、この18番はハイリゲンシュタットの遺書を書いたころに出来ているのです。謎めいています。
18番は04年に完成しました。エロイカの初演が1804年12月、ワルトシュタインも1803-4年に書かれており、18番もそのグループである可能性があると思います。第1楽章でF3、F2、F1と2オクターヴをフォルテでの下降。これはまるで低くてよく響くF1を書きたかったかのようです。速い音型を軽々と弾きまくる第2楽章、第4楽章の左手。冒頭の精妙な和音。まったくの私見ですが、これはワルトシュタインと同じくフランスのエラール社のピアノを得た嬉しさで作った曲ではないでしょうか?
だとすると18番はワルトシュタインに献呈されなかったワルトシュタイン・ソナタだったかもしれません。16番と17番(通称テンペスト)と一緒に作品31、1-3とくくられたのは何か出版等に関わる事情があったのではないでしょうか。また、あの遺書が本当に遺書なのかどうかは議論がありますが、躁状態で書いたということは少なくともなかったでしょう。うつ状態から苦難の道を経てエロイカが生まれた。これなら納得がいくのです。ところが同じあたりでポツンと躁状態の極みみたいな18番ソナタが出てきた。
これは交響曲でいうと第4番がワルトシュタイン・ソナタと近親性があってということをここに書きました( ベートーベン交響曲第4番の名演)。遺書を書くまでの重たいことは全部エロイカにぶちこんで、その「重たいこと」は純化して第5番運命に結晶化していく。そうじゃない脇道の部分、もっと人間的なものは別な入れ物に盛っていく。空想ですが、彼を聴覚を失うという恐怖のどん底から救ったのは女性かもしれませんね。それは上記のブログに書いた。そうでもなく彼がひとり部屋に閉じこもってこんなソナタを書くに至ったとは僕にはどうしても思えないのです。
17番(テンペスト)第3楽章が一貫して「運命リズム」(タタタターン)で出来ているのは有名ですが、18番第1楽章にもそれが出てきます。第3-6小節です。最初の2小節、同じ音型を2度繰り返して幕を開けるのは運命と同じ、しかしリズムは第9交響曲の第2楽章のはじめを思い出しませんか?このソナタ、猫と思ったらライオンの子だったという存在と思います。
いきなり遭遇するサブドミナントの五六の和音。これが序奏ならともかく、第1主題なのに肝心のトニックは第6小節まで現れません。それも開始のバスはド(a♭)なのにこっちのバスはド(e♭)でなくソ(b♭)。どうも煮え切らない主役の登場です。交響曲でいきなりトニック(あるいはその根音)が鳴らないのは1番だけです。剛球を封じてまず初球は変化球。18番は1800年ごろ書いた1番の実験精神も継いでいる、いろいろな側面で初期と中期のブリッジとなった興味深い曲です。
ターンタターン、ターンタターン、この5度下がる頭出し、僕にはルートヴィッヒ、ルートヴィッヒと聞こえてなりません。彼はまだベッドでまどろんでいて、誰かが起こしてくれる(交響曲第4番の稿に書いたあの人か)?第3小節、うーん、まだ眠い、彼は不機嫌。第6小節のトニックでやっと目が開くとまぶしい朝日が。いい天気だ!起きろ!変ホ音の連打に乗った軽快なアレグロは朝の浮き浮きです。
変ホ・変ロ・二の長7度のワサビの効いた和音を作る左手の動き。これは17番までのソナタからこの曲が突然変異的にエロイカよりの存在になった印。よし今日もやるぞという活力がこんこんと湧き出ている音楽ですが、そういうひそやかな和音の色合いが誰かの深い愛情にも包まれているという感じも添えています。これが大好きなんです。こんなに幸福なベートーベンが他のどこにいるでしょう?
この曲、全編にわたって会話が聞こえてきます。居間のおしゃべりの声があちこちから飛び交い、笑い、皮肉、冗談のオンパレード。第2楽章のおどけたスケルツォ。タターンタターンタターン、単音が中断してシーンとする、それが意味深に半音上がるとまた同じどたばたが始まる。爆笑。どこに聖書が出てきます?3拍子でなく2拍子のスケルツォ、それもソナタ形式でトリオを持つ三部形式でないというのも珍しいです。
一転してたおやかに始まる第3楽章は Menuetto, Moderato e grazioso と記されています。スケルツォというのは彼がメヌエットをやめて置き換えたものですから、第2楽章がスケルツォ、第3楽章にメヌエットというのは実は変なんです。その変なことを後でもう1回やっている。それこそが交響曲第8番です。8番もメトロノームをからかってみたり、歌って踊って笑ってに満ちあふれた突然変異的なシンフォニーでした。
そして、どちらのメヌエットも名品です。18番の方、これはやがて第九のアダージョに繋がっていく高貴さです。ここを弾いてみてあれっと思ったのは8小節目です。ここの真ん中の音のc、d♭、dの半音階上昇は交響曲第8番のメヌエット(下)の青枠のf、f#、gを想起させます。ちょっとしたことですが何か血のつながりを感じます。ピアノ・ソナタでさえメヌエットはこれを最後にもう書いていません。それがどうして最後から2番目の交響曲に出てくるのか不思議じゃありませんか?
この楽章はモデラートですが、アダージョ楽章がないせいか遅めに弾くピアニストが多いようです。「中ぐらいの速さで」とはアンダンテ(歩くような速さで)より速く、アレグレット(やや快速に)より遅いということですが後者により近い。フリードリヒ・グルダのテンポが適当だと思います。
第4楽章のPresto con fuoco 非常に珍しい。火のように情熱的に急速に弾けということです。ベートーベンではこんな表示は他にないんじゃないでしょうか。バックハウスは自身最後となった1969年6月28日の演奏会で18番を弾きましたが、心臓発作を起こしました。そのため第3楽章まで弾いたのですがこの第4楽章はシューマンの幻想小曲集より2曲に変更してコンサートを終えました。その7日後に彼は亡くなったのです。彼は26日の第1回目演奏会ではワルトシュタインを弾いていますが、第2回目には18番を選んだということは興味深いものです。
演奏ですが、youtubeで初めて聴いたべラ・ダヴィドヴィッチをお借りしましょう。これをUPしていただいた方には感謝です。
第1楽章の出だしの呼吸がいいですね。全体に構えの大きなベートーベンではないですが、とにかくピアノが素晴らしくうまいです。ショパンコンクール優勝者ですからうまいのは当たり前なのですが、それが売り物に感じないところがよろしいです。京料理の名店の懐石という風情で、何もとがったものはないですが良いものをいただいたという手ごたえがじんわり残る。こういう演奏が好きです。彼女の録音が全部欲しくなって探してみましたがほとんど廃盤のようです。もったいない話です。
もうひとつ、リチャード・グードの見事な演奏を。これもうまいです。
僕はフランクフルトで彼のベートーベンを聴きましたがこれは興奮ものでした。一緒に行かれた娘のピアノの先生に「いかがでした?」ときかれて「これはマーラーが弾いたベートーベンです」とわけのわからないことを口走ったのをなぜか覚えています。全曲バックハウスばかり聴いていましたが、今いちばんよく聴く全集はグードです。特にベートーベンが嫌いな人こそぜひ。好きにしてくれる可能性のある全集と思います。
そのバックハウスの晩年のスタジオ録音はこの18番も立派な造形のものですが、ちょっと重たく指もまわっていない感じの部分があります。クラウディオ・アラウは僕の好きなピアニストですが18番は曲の持ち味とやや合っていない感じがします。素晴らしいのはアルトゥル・シュナーベルでしょう。テンポもニュアンスも最高ですが、録音がやや古いのが気になる方は同じ路線の名演を聴かせてくれる上記のグードが良いと思います。ブルーノ・レオナルド・ゲルバーもお薦めです。彼のショパンをスイスで聴きましたが美しいレガートと強い打鍵が印象的でした。この曲ではそれが活きています。マレイ・ぺライアもいいです。この曲を覚えたのはロンドンで買ったこのCDで、これのおかげですぐ曲が好きになりました。彼のモーツァルトは大変な美演で一世を風靡しましたが、その路線にあるベートーベンであり18番ではプラスに出ています。リヒテルはこれが簡単な曲に聞こえるほど。腕前でいうならこれが一番でしょうが、曲のニュアンス(特に第1楽章)は今一つ。終楽章は凄い、降参です。マリア・グリンベルグは大変に素晴らしい。これはお薦め。女性ながら実に豪腕でもありますがちょっとしたトリルなどソプラノ声部のニュアンスなど血が通っています。アニー・フィッシャーは男勝りでややごつごつしますがその分造形がしっかりしていて僕は嫌いではありません。ウィルヘルム・ケンプは技術が弱いですね。この曲は満足できません。ペーター・レーゼルは何一つ不足のない正統派の演奏ですが、もう一味のニュアンスが欲しいという贅沢をいいたくなります。アルフレート・ブレンデルの冒頭はニュアンスがいっぱいでおっこれはいいぞと名演を期待しましたが、どうも品を作りすぎで後半は飽きました。ラザール・ベルマンは80年ごろ剛腕で鳴らしたロシア人でここでも技術は冴えていますが、味わいには欠けます。フリードリッヒ・グルダは時々聴く演奏で興がのった快演ですがAmadeoの録音のせいかタッチが冴えません。惜しいです。ウラーディーミル・アシュケナージの磨かれた美音は千疋屋の1万円メロンのよう。技術も文句なし。モーツァルトの協奏曲録音の路線にあり、それはそれで魅力的ですが買ってでも聴きたいかというとどうもという困ったもの。曲の破天荒なところが常識化した観があるのが理由かもしれません。エミール・ギレリスはメヌエットの中間部の強奏や終楽章の低音の強打などこの曲の精神とやや離れている感じがします。エリー・ナイは第1楽章が遅い、これじゃあ朝の浮き浮きにならない。主張の強い面白い演奏ですが技術の衰えが気になり僕はダメです。アンドラーシュ・シフは巷の評価の高かったモーツァルト・ソナタ全集を買ったらちっとも面白くなくちょっとイメージが・・・。18番も綺麗ですが、美演なんですが・・・So what?。ダニエル・バレンボイム(EMI)は若い割にまとまった演奏。第2楽章の左手のスタッカートが甘いなどエッジがないのが不満。ハンス・リヒター・ハーザーはカラヤンとのブラームスPC2番の打鍵の強さに驚きましたがその路線の18番というレア物です。そういう曲じゃないですがもしもベートーベンがスタインウエイを与えられたらこう弾くかもしれないと思わないでもないです。クン=ウー・パイクのベートーベン・ソナタ集は非常に素晴らしいです。自信を持ってお薦めします。18番は特筆するほどではなくワルトシュタインがベスト3級の名演です。ゲルハルト・オピッツはドイツ時代にラインガウでベートーベンを聴きました。残響が多くて遠目の録音ですが現代のドイツ人による演奏としてトップレベルでしょう。ポール・ルイスは全般にテンポが遅く趣味でありませんがその速度でやるだけの個性は感じます。ジャン・ベルナール・ポミエは曲想によく感じていていいですね。メヌエットのテンポ、右手のトリルのセンスなど最高です。H.J.リムは第1楽章が気まぐれでまとまりがないと思ったら第2楽章はもの凄く速くてうまい。よくわからない演奏ですがひょっとして天才的かも。ラヴェルも聴きました。青臭くて荒削りですが、小さくまとまる感じでないのはいいですね。ソナチネの第2楽章などそれが即興的で良い方に出ています。
(こちらをどうぞ)
http://シューベルト ピアノ・ソナタ第18番ト長調 「幻想ソナタ」D.894
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二子玉川花火大会
2014 AUG 24 0:00:25 am by 東 賢太郎
今日は二子玉川花火大会へ。いつもは家から見ますがちょっと迫力に欠けるので、今年は娘につき合ってもらって二子駅へ行きました。5時過ぎで駅はもうこの人です。寿司で腹ごしらえしていよいよ開始の7時に。
最初はこんなもの。たしか1時間で 1200発。
だんだん盛り上がって・・・
すぐ目の前でけっこうな迫力。場所は兵庫橋。帰りは列ができて目の前の二子駅まで30分かかりましたが、大満足でした。毎年、これと甲子園が終わるとさあ仕事だとなります。習性です。
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ドビッシー 西風の見たもの
2014 AUG 22 12:12:34 pm by 東 賢太郎
ピアニスティックに書かれたピアノ曲がいかに「歌えない」かをお示ししたい。そのぐらいピアノというパレットは特別なものだ。今回はドビッシーのピアノ曲の最高傑作のひとつである前奏曲第1巻の7番目に位置する特異な音楽で、僕の関心をこよなくかきたてる「西風の見たもの( Ce qu’a vu le vent d’ouestz)」である。これが有名な2曲、雪の上の足跡(Des pas sur la neige)と亜麻色の髪の乙女(La fille aux cheveux de lin)の間に置かれているというコントラストが周到だ。
フランスの西風は強いそうで、この音楽は東洋の我々にはどこか台風が水しぶきを巻き上げ草木をなぎ倒す情景を思わせる。しかし前奏曲12曲の標題はどれもそれほど写実的ではない。この曲も、描写というよりも、そこから感じ取った本能的な自然への畏怖をそのままピアノというパレットにぶちまけた感じである。荒れ狂う暴風雨の中では人間の畏怖もねこの畏怖もそうは変わらないだろうと思わせる意味で抽象的な心象風景であり、1908年作のラヴェルの夜のガスパール「スカルボ」を想起させる。
この、ドビッシーとしては異例に激しい曲の譜面は、あくまで眺めた図形としての話だが、ストラヴィンスキー「春の祭典」のピアノリダクション版を思わせる。作曲は1910年、春の祭典は1913年だからストラヴィンスキーがこれを知っていた可能性はあるだろう。ドビッシーはこの曲を管弦楽化しなかったし、歌えないのだからそれはできないと考えるのが当時の常識と思われる。現にドビッシーは歌える火の鳥、ペトルーシュカはほめたが春の祭典には冷たかった。春の祭典がそれまでの音楽の決定的な創造的破壊(Creative Deconstruction)になった理由の一つは、常識破りのそれをしたからだ。
前奏曲第1巻、第2巻の名演としてゆるぎない地位にあるのが故ベネディッティ・ミケランジェリのDG盤である。僕もそれには異議のとなえようがない。1985年の5月にロンドンはバービカン・センターで第2巻の実演を聴いてもそう思った(僕の前の席にはアルフレート・ブレンデルが聴衆としていた)。今も彼の2枚が愛聴盤であることをお断りした上で、あえて言おう。彼の研ぎ澄まされた音は息をのむものだったが、彼は音の美食家なんだろうなという印象もあったのは事
実だ。彼のファンに叱られるかもしれないが、音楽の作り方そのものにあんまり「哲学」を感じなかった。
演奏家は時間を「支配」しなくてはいけない。音がきれいかテクニックにキレがあるかという次元の話ではなく、音楽自体が時間芸術であり、時を刻みながら生成されるものだという本質を聴衆に味わわせないならば、音楽は意味の薄い享楽と変わらないものになる。ミケランジェリにはそれがあったしそれが聴衆に息をひそめさせるという稀有の経験をさせていただいた。だがあのドビッシーには何かが足りない。春の祭典に通じる畏怖、破壊、再生・・・そういう第1次世界大戦勃発直前の風雲急を告げる作曲家の心の嵐のようなものが彼一流の美音の陰に隠れていて、平和な世の我々をそこに巻き込むための一種のしたたかな理性、それを駆使した演奏哲学のようなものが欠けているのかなと感じた。
それはピアニストのプレゼンテーションのコンテンツというよりも、相手である聴衆を時間という魔力でコントロールする力、たぶん「意志を持ったオーラ」と言った方が直感的には近い何物かがこの曲には必要ということだ。音の美食の悦楽では足りない、もっと知的でいて本能的、動物的なもの。僕はそれがどうしても欲しい。
そういう演奏はないものとあきらめていたら、ひとつだけ近いものがあった。やはりイタリアのピアニスト、ジャンルカ・カシオーリのものだ。彼はすべての音符を自分の理性で一度Deconstructしているように聞こえる。怜悧な眼がひとつとして無意味に見過ごした音符はなく、楽譜をそう読むのかという新鮮な創造にあふれている。それが人為的、人工的な奇矯さに陥らないのは、彼の天性の音楽性とでも呼ぶしかないものがすべてを覆い尽くしてコントロールしているからだ。音とリズムは磨き抜かれ、不協和なクラスター(音塊)でも混濁することがない。そして何より、それをプレゼンする意図、自信の強さに圧倒される。そうは書いてないのだが、作曲家はきっとそれもよしとするに違いないと思わせる何かをもっている。「西風の見たもの」をお聴きいただきたい。
彼の前奏曲第1巻における創造的破壊(Creative Deconstruction)というものは、ピエール・ブーレーズの春の祭典そしてグレン・グールドのゴールドベルグ変奏曲という、まったく素養の異なる天才たちが各々の特異な方法論によって我々を驚かせたそれの場合との同質性をほのかに感じさせる。そういう行為をして聴衆を「創造的に驚かせる」には、その音楽を constrac tした天才と同じほどの理性が求められ、聴衆にだってそれに共鳴し、少なくともびっくりぐらいはするほどのヴァイブレーターを求めてくる。
経済学においてシュンペーターが使った Creative Deconstruction という概念に近いのはグールドではなくブーレーズだろう。グールドが creat eしたものは、極めて磨かれてはいるが極めて特異でもある彼の個性というものだ。ブーレーズは作曲という領域で創造を行い演奏という領域で再創造ををするという棲み分けを行ったが、彼の提示した春の祭典は強烈な個性の刻印はあるものの、あくまでも、すぐれて知的に彫琢され尽くした春の祭典である。一方、グールドのバッハは、ちょっと乱暴な表現をお許しいただければ、グールド本人である。
グールドのようなピアノのソノリティに鋭敏な耳を持った人がドビッシーを弾かない、いや弾かなかったかどうか知らないが少なくともたくさん録音するほど積極的ではないというのは象徴的だ。恐らく、彼はそこに Deconstruct するものを見なかったと思う。やったとしても、そこに「グールド」を constract する誘惑には駆られないほどその余地を見出さなかったのではないか。それは、きっとドビッシー自身がそういう人で、それを作品の中で完ぺきにやり尽くしてしまっているからかもしれない。そのピアノ曲としての完成度が、本人をして管弦楽曲と感性の仕分けができていたということを示していて、だから彼はラヴェルのように自作をオーケストレートしていないのではないか。
ブーレーズが前奏曲を弾いたらどうなのかは大変興味深いが、彼の「牧神の午後への前奏曲」は彼の Deconstruction の非常に微視的な方法論をよりわかりやすく見せてくれる。それは別稿としたいが、カシオーリというピアニストがここで見せているのはそれとも違う、言葉ではうまく表せないが、作曲家でもある彼の眼がレントゲンのように音符を透過した観のある、そういう人でしか出てこないような音の在りようが似ていると思う。
ホロヴィッツやルービンシュタインのような根っからのピアニストが見たもの。それはピアノの譜面なのだろう。彼らは恐らく、それをオーケストラのパレットに移したらどうなるかというような性質の関心はない。ただそこからあらん限りのピアノの音の魅力を紡ぎだすことにおいて、彼らは並ぶ者のない天才であった。だからそういう行為を前提として書かれた音楽にこそ十全の力を発揮した。その代表格がショパンであることは論を待たない。
僕はショパンやチャイコフスキーに Deconstruction を求めないが、カシオーリという人はショパンを弾きながらノクターンを作曲者自身の装飾音符を付したバージョンで弾いてみようという実験精神を発揮もしている。過去の作品は、そういうことに向いていようがいまいが、彼の理性が思考する「素材」としてどこかクールに突き放したところに置かれている感じがするという一点において、彼はグールドに似てもいるのだ。まだ35歳。実演を耳にしてはいないが、ここからどう進化していくのか、非常に面白い才能だと思っている。
(補遺) 前奏曲第1巻・第2巻
ユーリ・エゴロフ(pf)
これは全集の並みいる名盤の中でも僕が最も気に入っているもののひとつ。エゴロフは僕と同じ学年だが同性愛をカミングアウトしており88年にエイズで亡くなった。本当におしい才能と思う。このドビッシー、ふっくら、ひっそりと何かを語りかけてくる。ミケランジェリやカシオーリはピアノという楽器が語るが、エゴロフは音楽だけが心に響き、沈める寺のような曲でも詩情が支配する。それは強靭な技術あってのことだが、ここまでレベルが高いとメカニックや楽器を聴き手の意識から消してしまうのだ。稀有な名演。i-tunesにあるがお薦め。
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ねこの見たもの
2014 AUG 22 1:01:31 am by 東 賢太郎
シティ銀行の個人業務売却
2014 AUG 21 2:02:26 am by 東 賢太郎
シティ銀行の個人業務売却にはいろいろ思う所がある。国内の資金量3兆6千億円は地銀の30位ぐらいで決して小さくはないが、そこからの預貸業務収益がシティの株主の眼から充分に大きいとは思えない。低金利下で資金需要が伸びない現況から、グローバルの資本配分で日本が劣後したとして不思議ではない。
シティがリテール業務でターゲットにしたのはハイネットワース(HNWまたは富裕層)の取り込みと思われる。今回の決定は、長年にわたるそのターゲット追求を放棄したということであり、長期にわたるデフレがあったとはいえ個人の貯蓄が減少したわけではない日本市場にどうして見切りをつけたのか、非常に興味があるところだ。
日本のHNWビジネスは砂漠の蜃気楼だ。巨大な湖に見えるが、近づくと消える。シティに限らず世界の名だたる金融グローバルブランドがプライベート・バンク(PB)の看板を掲げて試みているが、成功したという話はただの一度も聞いたことがない。海外ブランドに弱い日本人なのにどうしてなのか皆が不思議に思っているが確たる正解はどの外資も見えていないようである。
いや正確には、見えていないのは外資系の本社幹部で、日本で執務に当たっている日本人幹部や社員の気の利いた人はわかっている。わかってはいても、せっかくいい給料をくれるのだからそれを教える必要もない。今回、シティ幹部や株主はやっと長年のレッスンを経て蜃気楼の真実に到達したということなのかもしれない。
スイス時代にクレディ・スイスのPB部門の幹部がこう教えてくれた。「PBとはね、お客様と一緒に遊んでプライベートを共有するビジネスなんです」。この原則に照らすと、日本がダメな理由がおぼろげだがわかる。それをご説明しよう。
日本のサラリーマンはお客のプライベートを自分の上司や会社と共有する。まずこれが論外である。信用して秘密を明かせる人のことをセクレタリー(secretary)という。会社でペラペラしゃべる人にシークレットを言う道理がない。コンプラ部門に報告義務でしばりつけられたサラリーマンには困難である。
しかしもっとダメなのは遊ぶ方だ。HNWと遊んで「プライベートをこの人と共有したい」と思うほど楽しませるのは、満員電車で通い500円の弁当を買っているサラリーマンには気が遠くなるほど無理だ。なぜかは説明できない。つまらないからだろう。
接待ゴルフや宴会が遊びだと思っているならHNWビジネスは永遠に無理である。それが通用するのは大企業のサラリーマン社長や経営者である。なぜ通用するかというと、彼ら個人はHNWの一員ではないからだ。
HNWの多くは日本における事業の成功者である。日本国内のなまじっかな話題や知識でサラリーマンが太刀打ちできる相手ではない。海外についても、仕事も遊びもよく知っている。付きあっている人のレベルが高いので情報はもとより諜報も知っている。
資産は自社株がほとんどで事業はうまくいっている。うまくいったからHNWなのだ。だからその配当利回りを上回らない事業や運用など興味をもつ理由がない。証券会社や銀行の店頭にチラシが置いてあるような金融商品を紹介してみればいい。二度とアポイントは取れなくなるだろう。自社商品だけ売ろうと意図するなら自殺行為だ。
最後に、これが一番大事だ。HNWは人を見抜く。見抜いてきたからHNWになったのだ。巧言令色などひとたまりもない。だから本音で体を張って付きあわなくてはならない。本音のないプレゼンやセールストークだけの人、体を張る胆力のない人とは毛頭無縁のビジネスである。
僕の経験から思いつくことをざっと書いてもこんなもので、シティが大志を抱いてHNWビジネスの看板を掲げたところで、それを現場でやるのは所詮は日本人だ。金融経験が必要だから全員が元はどこかのサラリーマンだ。
だから必然的に無理なのである。
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東海大四の西嶋投手に感動
2014 AUG 19 23:23:20 pm by 東 賢太郎
東海大四の西嶋投手が延長戦の末2-0の無念の敗戦でした。168cm59kgの体躯で球速は130km台ですが、とにかくピッチングがうまい!間合いやタイミングやコーナーワークが駆使されているのですが、内外角高低の精密なコントロール(左右上下)と緩急(前後)のゆさぶり、ストレートの伸び、という想定外の要素で打者は変化球に泳ぎ、直球に差し込まれます。ほれぼれして見入ってしまいました。
解説者の方が「投手らしい投手」といわれましたが正にその通りの好投手と思います。小手先のワザに聞こえそうですが、打者との駆け引きがうまいということで、それは好投手の条件です。それがなくて速いだけの投手は今どきいくらもいますし、一方今どきのバッターは150kmでもマシーンで打ちこんできていますから予選で打たれて消えている場合も多いのです。マシーンは駆け引きしませんから絶対に練習できません。プロの現役でもすぐ思い浮かぶのはヤクルトの石川ぐらいです。
今日は山形中央の先発、2年生で背番号11の佐藤投手がこれまた5回までノーヒットにおさえるという見事なピッチングで緊迫した投手戦になりました。佐藤君に打者がタイミングが合っておらず、あと4イニングでひょっとしたらという嫌な感じもあっただけに6回からエースの石川投手にすぱっと変わった時がチャンスだったと思います。結局そこで得点できず、石川君の最速148kmの速球が冴え、最後まで打てませんでした。西嶋投手は8回あたりから握力が落ちたかちょっと球が甘くなりだしたので、延長になっては不利でしたね。
たった一球の失投と守備の乱れで負けはしましたが、留学生のいない北日本のチーム同士の息づまる熱戦、これぞ高校野球という素晴らしい試合を見せていただきました。9回を完封したわけですから西嶋君の投球は文句なくすばらしいものです。ここまで見てきた試合のなかで、最も目がくぎづけになったのは彼の2試合です。ずっと記憶に残ると思います。ナイスピッチングでした!
西嶋君、これからも応援します、頑張ってください。
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クラシックは「する」ものである(8)-「ニュルンベルグの名歌手」前奏曲ー
2014 AUG 18 20:20:44 pm by 東 賢太郎
私事で恐縮ですが、下の写真は1995年6月にライン川のほとり、ヴィースバーデン・ビープリッヒ(Wiesbaden-Biebrich)のヴィラ・ワーグナー(上)で撮ったものです。フランクフルトからチューリッヒに異動辞令が出た直後で、思い出深いドイツとお別れした折に家族5人で立ち寄りました。当時弱冠40歳、まだ髪も黒く細身でした。
3年間のドイツ滞在で、最もよく劇場で聴き、身近に思うようになった作曲家はリヒャルト・ワーグナーです。それまでも序曲集は好きでしたが、長大な楽劇(オペラ)全曲のほとんどは実演に接した経験がありませんでした。バイロイト音楽祭、フランクフルト歌劇場、ドレスデン・ゼンパーオーパー、ベルリン国立歌劇場、ベルリン・ドイツオペラ等でワーグナーの毒にどっぷりとつかり、ヴィースバーデン歌劇場ではリング・チクルスを堪能し、ドイツでワーグナーの神髄に触れさせてもらいました。だからドイツでの最後に、彼が滞在したヴィラにどうしてもワーグナー詣でをしたくなったのです。
ヴィラのこの銘板に「1862年にこの家でワーグナーがニュルンベルグのマイスタージンガー(名歌手)を作曲した」と書かれています。真ん中の、写真がここから見るライン川の風景です。滔々(とうとう)と水をたたえてゆっくりと流れるこの川、この景色なんです、ワーグナーがあの有名な「第1幕への前奏曲」を発想したのは!ここに立ってみて、あのハ長調の壮大な出だしを思いうかべてみて、ああ、確かにこれだなあと感動したことを覚えています。
この楽劇はフランクフルト、ベルリン、ロンドン、ニューヨークなどで聴き、LP、CD、DVDも何種類も持っていて、好きなことではトリスタンと双璧です。そのトリスタンがこれの前作に当たり半音階的で解決しない「トリスタン和声」で書かれたのに対し、この曲は全音階的で古典的であり好一対を成すというたたずまいがあります。全曲については機会を改めて書きたいと思います。
今回はこの「第1幕への前奏曲」のバス・パートに声またはピアノでご参加いただくことを目的としております。これを開いてください。
Vorspiel (Act I)のComplete Scoreをクリックすると前奏曲の全曲スコアが出てきます。今回はスコアを読む練習ということで、それを使ってください。最初のページに楽器名が書いてありますね。それの「CONTRABASSE.」もしくは「BASS-TUBA」のパートをやっていただきたいのです。特におすすめは26ページの第2小節からです。ここは非常にわかりやすく、歌ってもピアノで弾いても最高に気持ちいいですよ。
ちなみのこのペトルッチ楽譜ライブラリーはまだコピーライトのある現代曲を除いてほとんど全部のクラシック音楽の楽譜が無料で入手できる便利なライブラリーです。
さて、声でもいいのですが、前回のブログに書きましたように僕のお薦めは「ピアノ」です。楽器をお持ちの方はぜひ、このバス・パートを左手で弾いて合奏してみて下さい(簡単ですから誰でもできます)。ひとつだけ注意点があるのですが、合わせる演奏は「イギリスのオーケストラ」にして下さい。他の国のオケはピッチが高いのでピアノと合わず不快です。ロンドン交響楽団、ロンドン・フィルハーモニー、フィルハーモニア管弦楽団、BBC交響楽団など英国オケならどれでも大丈夫です。
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西嶋投手の超スローボールについて
2014 AUG 18 2:02:39 am by 東 賢太郎
先日、東海大四高(南北海道)の西嶋亮太投手が投げた推定50キロの超スローボールを僕もTVで見ました。これについてクレームが出ているというのは少々驚き、去年書いたこのブログを思い出しました。
「高校野球らしくない」という批判といえば古くは松井秀喜の5打席連続敬遠騒動がありました。高校野球は勝てばいいってもんじゃない!という声が上がり、明徳義塾高校の監督さんや投手は勝ったのにそれで記憶されることになってしまいました。勝った者を称賛しないのは、それが高校野球であるかどうか以前にスポーツではありません。
ちょっと脱線しますが、日本の大企業の経営会議では往々にしてこういう人が出てきます。「あれはいかがなものか」、「あそこでは言わなかったが私は反対だ」。出席していて反対しなかったにもかかわらずです。そういう会議はまじめにやっている人間がわからなくなるだけです。そこでみんなで決めたことがすべてというルールがあるから会議が成り立つし、決めるために会議というものが必要なのです。それをその場では黙っていて後で寝技で覆すようなことがあれば会社経営など成り立ちません。
経営もスポーツもルールに則ってやるから全員が納得するのであり、だからこそ責任が明確になるのです。ルールのない会議で決めておいて成功したら経営者がいい格好をし、失敗したらケツをまくって逃げる。こういう経営をやってきた会社はおおかたダメになってます。なぜなら、ルール通りに決めて失敗したら責任を取らせる、成功したなら評価するという論功行賞に納得性がなければ創意工夫によるリスクテークなどしない方が得であり、社内はサラリーマンばかりになるからです。そういう会社の株を投資家は買わないし、スポーツの場合はつまらないのでお客が入らなくなるでしょう。
5回敬遠してはいかんというルールがあるならともかく、ないのですからそれはルールに則った戦術です。4番打者を5回も一塁に出すというペナルティを負って勝ったのだから、5、6番を打たせなかった明徳が強かったと解釈されるべきことだと思います。「肉を切らせて骨を断つ」。これは剣道で強敵を倒す時の極意とされる言葉だそうですが、それと何が違うのかということです。強かった明徳義塾がその戦術を要するほど星稜は強敵だったということでしょう。
仮に「高校生らしくやれ」という精神がそんなに大事なら、それを具体的な事例としてルールブックに書き込んで審判がペナルティを科すかその場で注意をすべきなのです。会議と一緒で、後であれはいかがなものかと言われたのではまじめにやっている人間がわからなくなるだけです。勝つための創意工夫をする者がなくなります。体重による階級制のない大相撲で決まり手が10種類しかなかったら舞の海のような小兵力士は勝てないでしょう。それが48手になったのは創意工夫の結果だと思うのです。そしてそれによって大相撲という競技は根強い人気を長く保ってきたと思います。
つまり、ルールで禁止されていない攻め方、それは立派な戦術であって、予想外の戦術に負けてしまったら要は弱かったということです。そういう大前提のもとに監督も球児たちも炎天下のグラウンドで切磋琢磨しているというのが僕の理解であり、エアコンのきいた部屋で見ている方もそういう理解をしてあげるべきと思います。高校野球は負けたら終わり。だから負けないためにあらゆる合理的な戦術を使うのはグラウンドにいる者たちには当然のことです。相手の4番を5回敬遠することは今でも可能です。誰もそうしないのは、それが高校野球らしくないからではなく、5回も無駄なランナーを出せば負けてしまうからです。
では本件はどうでしょう。60km未満の球速の投球は違反とする、そんなルールはどこにもありません。身長169cm、体重59kgという地区予選レベルですら小兵である西嶋投手が優勝候補の九州国際大付属に1失点12奪三振というのは、同じぐらいの体格だった僕として信じ難い偉業です。誉めても誉めきれません。遅球は打者のタイミングをずらす立派な戦術です。なめているという人がいるようですが、なめたスローボールで12個も三振が取れるならピッチャーをやっている人間は誰でもします。やる人が少ないのは投げるのが難しいからです。五条大橋の牛若丸といっしょで、欄干から奇襲した小兵の西嶋君が強かったということ、それだけと思います。
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野球を4試合も観戦する幸せ
2014 AUG 16 23:23:34 pm by 東 賢太郎
今日は一日中TVにかじりついて野球をフルに4試合も見られました。甲子園が城北vs東海大望洋、東海大相模vs盛岡大付、八頭vs角館、そして広島vs巨人です。至福の時です。しかも最後はカープが昨日の心配をよそに12-2で大勝のしめくくり。言うことありません。
東海大相模の先発・青山投手の速球はすばらしかった。3回までに8奪三振ですが直球で奪えるのがすごい。ただ5回には盛岡の打者にとらえられていたので6回を投げさせたのはどうでしょう(結局3点取られてそれで負けました)。神奈川大会決勝で20奪三振の吉田投手を含め140km投手が3人もいたのに。6回から代えていれば2-1か3-1で勝ったんじゃないか。もったいないというか、選手たちがかわいそうでした。
盛岡の松本投手は150kmを封印して変化球で丁寧にコーナーをつくクレバーな印象でした。変化球の球種もコントロールも良くて抑え込んでしまいましたね。大変見ごたえのあるゲームで、準決勝ぐらいを見た感じ。最激戦区神奈川の190校の代表・東海大相模が1回戦で消えてしまうというのも、クジ運とはいえ残念に思いました。
皮肉なもので、次の試合が25校と地区予選出場校が最も少ない鳥取の八頭で、52校とこれも少ない秋田の角館を圧倒して6-1で勝ちました。左腕の鎌谷投手は右腰を疲労骨折したそうで、鎮痛剤を飲んでの登板でしたが好投でした。角館の相馬投手も130km代半ばは常時出ていて力のある投手でしたが、八頭の打線の振りはそれを上回っていました。鍛えられている非常にいいチームと思います。
さてカープですが、2軍からいきなり4番にすわったロサリオが2安打に好走塁と、もやもやを吹き飛ばしてくれました。先発の大瀬良に勝ちがついたのも良かったが内容はやや不満。それより嬉しかったのは7,8回を見事に封じた中崎の好投です。152kmの重そうな速球は打たれそうもない水準。一岡の穴を埋めてくれそうです。もうひとつ、売出し中の田原誠を粉砕した丸の2ランは貫録として、福田を打者一巡の血祭りに上げるのろしとなった会澤の2ランです。7本目でしょうか。これは最高にうれしい。やっとカープは打てる正捕手を得ました。
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カープが少し心配
2014 AUG 16 11:11:52 am by 東 賢太郎
広島カープが少し心配です。まずエルドレッドです。4番のスランプは珍しくありませんが、2軍落ちして社会人野球にまで出るというのは破竹の勢いだった前半戦と落差が大きすぎです。1試合6三振したころからおかしくはなってましたが、どこか痛めてなければいいのですが。
もっと心配なのはマエケン。昨日の巨人戦も3回6失点で論外のひどさ。雨は相手の内海も一緒なのだから理由にならないでしょう。ここ数試合、勝てないばかりかエースの風格もなし。阪神・藤波との投げ合いは元大阪(PL学園)のプライドもかかっているだろうが全然勝てません。カード初戦はエース対決が多く、これの負け続けはチームの士気を損なうこと甚だしい。ヒジに故障と噂されるようになってから一時の輝きを失いました。これで本当にヤンキースが取ってくれるのか余計な心配までします。
福井が出てきたのは嬉しいが野村もふがいないですね。マエケンが出て行ったあと誰がエースなのか。バリントンはいい投手ですが負ける時は5点も取られエースとはいいがたい。大瀬良、九里は期待しますが実績からしてまずは野村が出てこないと。新人の年の最後あたりからどうも好投しても勝てないサイクルがありましたが、打線とのかみ合いが良くないのも何か理由があるかもしれません。
今年は菊池が大ブレークしてムードメーカーにもなったところにメンタルにタフそうな新人の田中が加わりました。それが大人し目の丸、堂林にも伝播して、去年まで足を引っ張っていた打線は得点力を増しました。ただ、彼らが出塁してエルドレッドの一発でというパターンがワークしなくなるとそれに陰りが出て、先発のコマ不足から中継ぎに負担が出てとうとう一岡の故障という最悪の事態になってしまいました。抑えのミコライオにつなぐ前に崩壊というパターンです。
こういう時にこそ出てこないといけないのが4番とエースです。4番がホームランを打って、エースが完封して1-0で勝つ。優勝するチームはみんなそれができていたと思います。巨人の失速も阿部の不調、菅野の怪我が効いていますが、それを坂本、内海ががちゃんと補っています。優勝を左右すると思われるここから2週間の消耗戦を勝ち抜くにはそれが必要でしょう。田中が抜けて失速した楽天ですが昨日は則本が復帰して1安打完封。こういうのがエースの風格です。前田には奮起してもらいたいものです。
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