世の中の謎「色々見てしまう旅」というもの
2020 DEC 9 19:19:11 pm by 東 賢太郎
はやぶさ2号のニュースは聞いたような気がする程度でした。「これ、打ち上げ見てたんじゃないの?」と家族が気がつかなければ完全スルーしてたでしょう。仕事で急展開があり、米国大統領選の新情報もありでテンパっており、天文といっても関心は恒星だけなのでぜんぜんどうでもいいこととして頭の中で処理されておりました。
そうでした。6年前の2014年12月3日、僕は還暦を前に千年杉のパワーをもらおうとひとり屋久島に立ったのでした。はやぶさのことはつゆ知らず、「雨天延期で今日なんです。そのために来たお客さん気の毒でした」と宿できき、ちょっと申しわけない気持ちで眺めてました。それがこれです。
そうそう、ロケット以上に唖然とした猫のジョン君はどうしたかなあ。とにかくこの旅は「神のお告げ」みたいに不思議なことだらけで、そのお見送りみたいに帰りの鹿児島空港に前代未聞の巨大な虹がドーンとかかりました。「第二の人生」を占ってたような気が今でもしているのです。
これで思い出したのですが、今年もありました。
仕事があって熱海に1泊した折のことです(これ、今年唯一の旅になるでしょう)。出がけにガレージで車に乗り込もうという瞬間、運転席のドアに巨大なカマキリがデンといて、なにせ10センチ以上はあろうかという見たことないサイズにビビッてしまいました。やばいな、こりゃなんか悪い予兆かなと思ったらササっとタイヤの裏に消えました。
翌日は雨の予報で宿もそう言ってましたが、どういうわけか日の出のまぶしさで目が覚めたのです。あれっと思ってしばし眺めてるとだんだん陽は登ってこうなって、後光みたいになる。これ人生3回目です。前回は忘れもしないサンフランシスコの朝。思えばそこからあの米国案件が始まったので覚えてるのです。
これがたった9分後にこうなる。
海上の天体ショーでありました。
そして無事仕事を終えて帰ろうと小田原にさしかかると、ウソみたいですが、またまたお見送りで行く手に巨大な虹が現れました。しかも外側にもう一筋ある。山肌に生えている根っこ?までくっきり見える。なんだこれは?鹿児島空港のを凌ぐ人生No1のド迫力で、皆さんもスマホ構えてたんでしょうね、道路はノロノロ運転になってしまいました。
そして家に着いて、巨大カマキリのことを思いだしたのです。11年ここに住んで一度も見たことない。何かあると思ってすぐネットで調べると、「カマキリは縁起が良い」とたくさん出てきます。よかった。
そんなのはこじつけだと思う方も多いでしょう。僕も半分はそう思って書いてます。でも残りの半分は信じてます。科学精神は人並みにあるつもりですが、前に書きましたとおり「見えている現実は全部ウソ」という一部の物理学者が説く科学の信奉者でもあります。ウソなら誰かの作為ということです。だから誰かが何か伝えていると考えることも許せてしまうのです。
現に我が人生は七転び八起きで、東証1部上場企業の役員を自己都合で2度辞めた人もいないだろうし、同じ所に戻った人となると会社の規模からして二度と現れないだろうし、もちろんとても悩みましたが誰に相談したわけでもなく、その時々で「そうしろ」という声みたいなものに押されたのです。
一度っきりの人生、プロ野球のFAもそうでしょうが自分で行く末を決めたいのは人間当然のことではないでしょうか。他人に決められるなら天の声に従いたい。それを聞き漏らすまいと耳を澄まして生きてるので「そういう風に解釈してしまうしかないね」というものに見えるということなんでしょうか。
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コロナの邪悪を追い払うヴァイオリン!
2020 DEC 8 16:16:10 pm by 東 賢太郎
廣津留すみれさんから久ぶりにご連絡をいただきました。今年の1月にソナーに来られたのが初めてで、3月末のリサイタルに行く予定でしたがコロナで中止になりました。
アメリカに帰れないので日本でご活躍であり、フジテレビの「セブンルール」でお母さまとの密着番組が放送されるそうです。2週もので、今夜(12月8日)23時~と来週15日の23時~だそうです。大分の公立高校からハーバードに入った秘密が明かされるのでしょうか、楽しみです。
このビデオも送ってくれました。
このところ憂さ晴らしに大編成の曲ばかり聴いてましたが、これは衝撃です。ヴァイオリン・ソロってこんなに美しかったのか!!
何度も聴いた曲ですが、こんな心にしみたことはありません。 コロナの邪悪がす~っと消えていくようです。
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ルロイ・アンダーソン「トランペット吹きの休日」(2)
2020 DEC 7 18:18:19 pm by 東 賢太郎
彼はクリスマスソングの作曲家じゃあないですが、どういうわけかこの時期になると世間にお目見えです。アンダーソン・フリークなもんでどれも好きですが、今年のもやもやを吹っ飛ばそうとなるとやっぱりこれですね。
これをどこでいつ聴いたか?覚えてないですが、やっぱりCMだったような。クルマだったかなあ?あまりのカッコよさに一発でノックアウトでした。と同時に、中学まで住んでた家の空気まで思い出して感涙物の曲なのです。
では、前回にあげてないものを聴いてみましょう。youtubeにゴマンとありますが、良いのをみつくろいました。
まずは作曲者の指揮。脱兎のごとく飛び出すこのテンポ!最高ですね。これが正調中の正調であります。
そのDNAをひくアーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップスです。ボストン交響楽団が主に夏にタングルウッドでポップスをやる時の名前ですが、アンダーソンはこっちに書いたのでこれが正調といえましょう。彼とボストン・ポップスの関係は、ヨハン・シュトラウスとウィーン・フィルにあたります。
そのボストン響のトランペット・セクションのリモート演奏です。こんな名門オケでも今年はこうなんですね。しかしうまい。
3人の音質とタンギングが揃うと快感です。スタッカート気味ですが実にうまい。ウエルナー・ミラー・オーケストラです。
これもほぼ同格ですね。カリフォルニア空軍バンドです。軍楽隊の定番で手慣れてます。リズムのつかみの良さはこれがトップです。
しかし我が軍も決して負けていない。派手さはないが盤石の安定感で実に頼もしいものです。自衛隊は目下コロナの看護師派遣でも頑張っていただいています。
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野球は何といってもキャッチャーで決まる
2020 DEC 4 0:00:55 am by 東 賢太郎
日本シリーズを見ていて、甲斐は嫌だなあと思った。それは大昔に試合をして、ああいうタイプのキャッチャーが後ろにいる時のことを思い出したからだ。ウルトラ勝ち気のオーラをバリバリ出してペースに巻き込もうとする。基本的に嫌な奴で運動神経抜群で野球IQが高く、肩が良くてリードが攻撃的で、たとえば俊足巧打の日ハム・西川が言ってたが、打席に立つと甲斐は「お前には絶対に打たせんからな」なんて威圧もしてくるようなタイプだ。完封されて、ピッチャーよりもキャッチャーを覚えてる試合すらある。
見ていて劇的にそうだと膝を打ったゲームが、ヤディア・モリーナ捕手ひとりにかき回されてプエルトリコにやられた2013年のWBCだ。例の内川が刺された試合だ。ピッチャーなんか全然記憶にないが、モリーナは名前まで焼きついた。監督が試合に出てるようなもので、あんな奴がいたら盗塁はおろか打席でもややこしいだろう。NPBだとまず野村さんなんだろうが全盛期は知らないので、やっぱり古田か。でも性格も含めてスッポンみたいに嫌らしいなという感じは谷繁だと思う。その3人がいたころの南海もヤクルトも横浜も中日も優勝している。野球はキャッチャーが決めるのである。
キャッチャーは面とプロテクターとレガースを装着するからまるで剣道だ。くそ暑い夏はユニフォームだけでも気絶するほど暑くて地獄だろうが、1球ごとに屈伸し、内野ゴロは1塁まで全力疾走する。それだけでも2倍は疲れそうなのに、ベンチのサインを確認して、全球ピッチャーにサインを送り、盗塁を阻止するためピッチャー並みの速球とコントロールを要求され、本塁をブロックし、急所直撃の激痛に耐え、内外野への指示やサインプレーを一手に行う。そのうえでバッターを幻惑までしにくるんだから、スッポンというか、8本足のタコみたいなイメージすら僕は持っている。他のポジションと決定的に違うのは、アホでは絶対にできないことだ。
シリーズで甲斐は巨人をがっくりさせるホームランを放ち、これであいつますますノルなという無言の圧を相手ベンチに与えた。野球は流れがあるとよくいうが、キャッチャーがそれを作るとプレッシャーが倍加すると思う。巨人の打者の弱みを半端でなく見抜いていて、千賀、石川、ムーアの快投を引き出したなんて月並みなレベルじゃない。岡本など初日にバットをへし折られて4試合金縛りになってしまったし、坂本は強いといわれるインサイドを逆に責めまくって外角のスライダーを腰砕けにさせた。丸もほぼ同じ手でひねった。栗原、中村の与えた衝撃も大きかったが、やはりシリーズ通してグラウンドを支配したのは甲斐だ。彼は賞をもらえなかったが、個人的には堂々たるMVPだったと思う。
僕のへぼ野球の話で恐縮だが、なんだかんだ入れると10人ぐらいのキャッチャーと組んだ。アメリカで受けてもらったドン(ドナルド)はデカくて、カーブを彼の顔めがけて放ると外角低めに具合よく決まって楽だった。いい奴なのでいくら首を振ってもOK、あの大会はそこそこ自分で考えて投げて楽しかった。何といっても凄かったのは天下の広商の吉原さんだ。社内大会だったが野村証券は甲子園経験者もいてレベルが高かった。ぐいぐいリードしてくれ、サイン通り投げて何も考えることがなかった。しがない二流投手の球を使ってあれよあれよで1安打完封し、以来野球はキャッチャーだと確信してる。
パリーグで日ハム、オリックスが下位なのはキャッチャーがいま一つのせいだ。いい例は西武で、森が不調だから今期はだめだったのである。楽天が浅村まで取って勝てなかったのもそれだ。ロッテは田村の打力向上を期待したいが、新人の佐藤も期待できる。セリーグもヤクルト、DeNAが判で押したようにだめで、阪神は梅野の肩と勝負強さ、中日は木下の台頭で救われた。巨人は阿部の穴が埋まらず大城のリードは素直で嫌味がまったくない。それでも優勝したのは他が弱すぎただけだ。さて肝心の広島だが、石原が引退し、曾澤が安定し坂倉が伸びてきたので5,6年は安泰だ。それでなんぼなんでも5位はないだろう、いかに投手陣が勤続疲労で瓦解したか物語る。
こうしてみると、あと3年ぐらいは甲斐がダントツであり、ということはソフトバンクがもう3連覇はするだろう。球界の盟主はもう巨人ではない。
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女子ゴルフでちょっと目が覚める
2020 DEC 2 0:00:07 am by 東 賢太郎
ゴルフというとしばらくやってない。たぶんこれ以来やってない。
とすると、なんと5年半か。
僕は身の回りはあるがままで、鞄や本をどこかにポンと置いたらもうさわらない。その現実のまま何年でも生活できて、散らかっても困らない。ゴルフもポンで5年置き去りになって忘れてたと思われる。
物に執着あるようで、実はないかもしれない。いい時計を買ったが、スマホで足りて何年もさわってない。要は必要な時にあるかないかだけで、そうでなければいらないから忘れてしまう。
だから家では家内が会社では部下が大変で、秘書がいないといけない。ではその分どこに行ってるかというと、先のことだ。先だけ関心がある。今ある問題はささっと解いて、計算は誰かにしてもらい、明日の問題だけ考えてる。
このサイクルは皆さんのおかげでうまく回ってる。今年からリモートでもべつに支障ない。しかし、ひとつだけ、精神のクリーンアップというか、何かしらスカッとすることをしたい気持ちはだんだん溜まってきた。
そういうところで、先週、国内女子ゴルフのメジャー大会の一つ「リコーカップ」を見ていた。気になったのは原 英莉花、西村 優菜、笹生優花。みんなビタビタ寄るんで、ちょっと気持ちよさを思い出した。
原 英莉花が10アンダーで優勝した。この子は173cm、67㎏で高校時代の僕の体格を上回るが、それにしても素晴らしいショットを打つ。トップの高さ、深いひねり、まっすぐな左腕、こりゃあとても真似できないけど飛ぶわけだなあ。4日とも首位なんてのはメンタルも強くないとね、ミスっても不敵な面構えで堂々たるものだ。ジャンボの弟子だけあって大物感がある。
惚れ惚れするインパクトだ。これは真似したい気にさせる。
自己流の限界を感じてやる気が失せた。自分を追い込んでチューニングするのは好きだし、それでだめならもうジジイということでおしまい。5年半で悪いおりが抜けたかもしれないとポジティブに考えようか。
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オッフェンバック「地獄のギャロップ」(フレンチカンカン)
2020 DEC 1 1:01:36 am by 東 賢太郎
熱海まで気晴らしに行って網代から南の方の青々とした海をぼーっと眺めていたら、ふと昭和の昔の、
「イトウに行くならハトヤ、電話は4126(よいふろ)」
のCMソングを思い出した。まあ関東の方しかご存じないだろうが当時の子供は誰でも知っていた。そうすると不思議なもんで、もうひとつ浮かんできた。
「カステラ一番 電話は二番 三時のおやつは文明堂」
すると、歌じゃないけど
「ナボナはお菓子のホームラン王です」
で一本足打法の王選手がくっきりと出てくるし、
「長生きしたけりゃちょっとおいで ちょちょんのぱ ちょちょんのぱ」
は船橋ヘルスセンターだ。そんなのがあったんだ。
この中でクラシック音楽がひとつある。これだ。一般に「フレンチ・カンカン」と呼ばれる。can canがなんのことかは調べたがよくわからない。
当時僕は7才。もちろんカステラ屋の歌だと思ってたが、のちにこういうもんだと知ることになる。
これはパリのキャバレー「リド」である。トップレスのお姉さんが出てくるが浅草のストリップではない、女性と観ながら食事する大人のショーだ。画家ロートレックが通ったムーラン・ルージュも悪くないが、僕は舞台が派手めなリド派でパリへ行くと寄るのを習慣としている。ただし料理はどうということはない。
この曲はフランスの作曲家ジャック・オッフェンバック(1819 – 1880)が作曲したオペレッタ「地獄のオルフェ」(1858年)の中で演奏される「地獄のギャロップ」である。サン=サーンスは『動物の謝肉祭』で動きがのろい「亀」に逆説的に本作のパロディを用いているが、元をただせば「地獄のオルフェ」のほうもグルックの「オルフェオとエウリディーチェ」のパロディだから手が込んでいる。
クラシック音楽の内で1,2を争う有名なメロディーであり知らない人はあまりいないと思うが、”文明堂世代” を除くとどこで知ったか大概の人は知らないという恐るべき曲だ。無意識に刷り込まれてしまうステルス戦闘機のごとしである。オッフェンバックはユダヤ系のドイツ人で、本名はヤーコプ・レヴィ・エーベルストだ。そういえばフランクフルトに住んでいたころマイン川の反対側にオッフェンバッハ・アム・マイン(Offenbach am Main)という街があった(バックは英語読み)。何でかなあぐらいは思っていたが、そこが彼の出身地で芸名の由来とはつゆ知らずだった(というより、彼にはその程度の関心しかなかった)。
ちなみにパリでロッシーニと共にグランド・オペラの先駆者となったマイヤベーアもユダヤ系ドイツ人だが、18~19世紀前半のパリはロンドンと並んで外国人音楽家の格好の出稼ぎの地であり、グルックもロッシーニもそうだったし、だからあのモーツァルトも母と一緒にやってきて就職活動をしたのだ。ロンドンもそうだが、ルイ16世がユダヤ人に完全な市民権を与えたためユダヤ系音楽家にとって活躍し易い環境が整っていたことも大きい。米国の科学やロケットや核技術は処刑せずに連れてきたナチのユダヤ系科学者の由来だし、国家、都市の繁栄においては優秀な血を入れることがいかに有効かよくわかる。僕は歴史上の日本国の最大の失敗の一つは、満州国に亡命ユダヤ人の入植を認めなかったことだと考えている。
オッフェンバックはパリに出て劇場を買い「シャンゼリゼのモーツァルト」といわれる評判をとった。勝負師でありやり手のビジネスマンでもあったと思われる興味深い人物だ。「地獄のオルフェ」はブッフェ=パリジャン劇場で1858年10月20日に初演され、翌年6月まで連続228回公演を記録した大ヒットとなり、大赤字だった経営を潤した。その劇場はオペラ座から南東に約200メートルほどのモンシニー通りに今もひっそりとある。これがそれだ。カンカンはここで産声を上げた。
写真のつきあたりのイタリア座(サル・ヴァンタドール)は今は銀行になっていて華やぎの面影もないが、現在のオペラ座(ガルニエ宮)ができるまではパリのオペラ座といえばここで、ヴェルディの椿姫など15の主要作品のパリ初演が行われた。1700席の優雅な劇場で、特権階級が通い貴族の社交サロン的な役割も果たしここのボックス席を購入することが上流客のステイタスとなっていた。
10年前にここへ行ったとき、しばし往時を偲んでたたずんだ。そして思ったことがある。イタリア座の壮麗なファサード(正面)は写真の向こう側で、見えているのは背面だ。こっち側に来たのは中流階級以下の客だ。そこにオッフェンバックの劇場が、まるで尻を向けられ後塵を拝するようにちんまりとある。自信満々の彼はオペラを書きたかったが劇場や出版物の検閲を担当していたフランス内務省の劇場経営規則にひっかかり公演規模からオペレッタ(オペラ・ブッファ)という大衆バージョンしか書けず、それならそれだ、この野郎いまに見てろと爪を研いでいたはずだと強く共感したのだ。まったく非科学的なことだが、「僕は何かが起きた土地」の霊気のようなものに当たってしまうことがある。というのは、そのパリ旅行は、このブログの「運命のとき」(必然は偶然の顔をしてやってくる)にロンドンから気晴らしに立ち寄ったもので、スローン氏への入魂のプレゼンを終えたほやほやの3日後だった。まだどうなるものともわからぬ不安の中で気が立っており、それでもその恐怖を跳ねのけるため「いまに見てろ」と痛烈に思っていたわけだが、写真の場所で何かを強く感じ、そのあたりを長いことひとりでうろつき、写っているホテルに「泊まってみたい」と日記に書いている。
「地獄のオルフェ」はオッフェンバックが満を持して殴り込みをかけ、上流社会の論壇を大炎上させたという意味でモーツァルトのフィガロの結婚に匹敵する価値ある一作である。斯界の大御所グルックの看板作品の筋書きをひねり、アリアまでもじって笑いを取ったわけだが、その笑いそのものが風刺として政治に向けられたものであり、上流社会は貶められたと非難をし、「オルフェ論争」と後世に残るほどの騒動となってパリ中にセンセーションを巻き起こした。その意味が、写真の景色を30分ほど立ちすくんで眺めていて痛いほどよくわかった。いずれ僕は再びこの地に行ってみることになるだろう。そのホテルに泊まってブッフェ=パリジャン劇場でオペレッタを観るのだ。
”文明堂” のカンカンに話を戻そう。これを管弦楽曲としてやる場合は「序曲」ということになる。原曲に序曲もなければ、あのカンカンの形の曲はオペレッタの原曲にはない。なぜならウィーン初演のためにカール・ビンダーが本作から聞きどころを編んだもので、むしろビンダーの作品と考えた方が良い。父が買ってくれたボストンポップスのLPレコードにそれが「天国と地獄」序曲のタイトルで入っていて、最後のカンカンに至って「あっ、カステラ一番だ」と楽しんだが、すぐ飽きてばからしい音楽と思い始める。ガキにこの作品のオトナの事情など分かるはずもなく、それ以来オッフェンバックは三流の作曲家になった。
そうではなかった。「地獄のオルフェ」は彼が敬愛し、やはりパリに定住して人気者になったロッシーニに並ぶ底抜けに楽しい作品だ。浮気している妻がヘビにかまれて死んでラッキーと喜ぶ夫、倦怠期の夫婦の話だ。それを神々の天界にもって行って「オルフェオとエウリディーチェ」の夫婦愛物語にひっかけて思いっきり笑い飛ばしてしまう。僕はこれをドリフターズがコントにして、志村けんが夫を由紀さおりが妻をいかりや長介がジュピターをやったら面白いだろうなーと思う。ぴったりだと思う。日本全国爆笑もんだろう。そういう話なのだ。
カンカンはオリュンポスに退屈した神々が「活気にあふれた地獄」へ行けるとジュピターを讃えて馬鹿騒ぎする、その乱痴気の馬鹿馬鹿しさ加減を(これは国会に飽き飽きした政治家どもをおちょくっているわけだ)あえてにぎにぎしく破廉恥に描いた場面なのである。その意図と出来栄えに喝采だ。譜面づらでなく、オッフェンバックの知性と技を見なくてはならないわけで、こういうものを大指揮者の皆様がどう解釈しているかは大層興味を引く。
まずフランス語圏のエルネスト・アンセルメだ。以下どれも7分ちょっとあたりからカンカンになる。
うーん、遅い。真面目だ。数学者のアンセルメ様にはむいてないのだろう。
ルネ・レイボヴィッツだ。歌入りであり彼はオペレッタも振っていると思われる。
特にどうもないが、ブッファのがやがや感は好ましい。しかし、思うのだ。彼はピエール・ブーレーズの師匠で、彼の春の祭典は各所のコンセプトがブーレーズCBS盤に酷似している。ブーレーズがカンカンを振る気を起こさなくて本当に良かったと思う。
ドイツの巨匠ルドルフ・ケンぺだ。なんとウィーン・フィル。
だんだん速くなる。さすが、シンフォニックだ。でもオペレッタじゃ使えねえな。
ご本家フランスのジャン・マルティノン。オケはロンドンフィル。
良いテンポだ。最後のアッチェレランドで興奮を煽るが、終始お品が良い。乱痴気にはできないお方だ。
あの天下を睥睨する大御所のヘルベルト・フォン・カラヤン様がどう扱うか。フィルハーモニア管だ。
いや参りました。なんというスマートな格好良さだろう!
主部の旋律を吹くトランペットを普通の指揮者は朗々とテヌート気味に響かせ、踊りは盛り上がるが往々にして誠に下品である。ところがカラヤンはそれを短めに、なんと徐々に抑え気味に吹かせて気品すら漂わせるのに成功しているではないか。二度目の「カステラ一番・・」で和声パートの高音部を対旋律にして浮き出させ淡い色香を加えるなど、他の誰も思いもつかぬ達人の技だ。こんなにイケメンで決められると乱痴気などほど遠いが、カラヤンの魔術の前にそんなこと消し飛んでしまった。
彼は後に同曲を再録音する。旧盤の名演奏をもってしてそこまでやるかと思うし、こういうナンバーをベルリン・フィルハーモニーにまじめにやらせてしまう人事力も敬服ものだ。7分30秒からお聴ききになれる。
皆さまご感想はいかがだろうか。
悲しいけど誰もが年をとる。それを老成、晩熟などと評することもあるが、カラヤンはむしろ早熟の人だったと思う。旧盤に書いた美点は見事に全部消えている。テンポは遅くなり主部は弦とティンパニの後打ちリズムが大きくなり、音楽を立体的にしようという意図が見えるが流麗なスマートさよりドイツっぽいごつごつ感が加わっている。メロウだった対旋律作戦は放棄されている。あくまで個々人の好みの問題ではあるが、僕は断然、フィルハーモニア盤をとる。
最後にカラヤンもびっくりのを。美女軍団のヴィーナス管弦楽団だ。
僕は読売巨人軍の公式マスコットガール軍団「VENUS(ヴィーナス) 」の大ファンであるが、美女オーケストラなんてものは想像もつかなかった。誰が考えたのか、畏れ多いというか、もの凄い発想力だ、ちょっと負けるかもしれない。日本でも作っていただきたい。
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未来予測 『コロナ後の世界はこうなる』
2020 NOV 29 20:20:50 pm by 東 賢太郎
メールで「米政権交代はお仕事にはどう影響しますか?」という質問をいただきました。以下のようにお返事いたしました。
米政権交代ですが、仕事という意味ではどちらでも構いません。株が高ければOKというところでしょうか (笑) 。それよりコロナが生み出した新環境が今後どうなるか、ワクチン・治療薬開発の進展があるのかという点が影響大です。コロナ環境での最大の変化は世界規模での生活のIT依存度の高まりですが、それは GAFA依存の高まりでもあるので開発が長引くと不安が出てきます。彼らはすでに国家並みに力がありますから個人情報を混乱に乗じて広範に握られ、ビッグデータによるAI支配力を更に持つと考えています。すでに自動車産業、家電産業、メディア産業、仮想通貨はデータ収集競争のツールですからデータを握る者が他を圧する資金調達力を持ち国家と対抗する権力となるかもしれません。米国のメディアがバイデンに加担する背景のひとつはそこで、それに中国が加担しているのはまず間違いありません。産業に国籍はないので中国寄りになるならないはビジネス判断であり、それに国家、国益という話をどこまで割り込ませられるかですね、それは交易や産業のサプライチェーンを分断する不利益がありますから両者のバランスでしょう。トランプは良くも悪くも強力でしたがバイデンはそれが権力の資金源だから弱腰になるでしょう。民主党は一枚岩でないので失業がまた増え増税となれば自分で騒いでいた米国内の分断は解決どころかもっと進み、アメリカのヘゲモニーは揺らぎ中国を益々利する可能性があります。そんな世になって日本国が安保で本当に守られるかどうかは疑問です。菅さんのいう自助が国家にも必要になるでしょう。日本国の弱みは、そう言いながら経済的繁栄については中国を無視できないことです。ということで日本国民として、少なくとも経済的にはGAFAと中国の株を買っておくしか手はないでしょう。
注釈いたします。
僕は自由主義、民主主義を支持します。いかなる国家、権力、他人にも服従したくありません。他人を支配したくもありません。日本国民として日本の法律を守り、税金を払い、公序良俗に従います。それ以外は我が儘(まま)に生きます。
ずっとそう考えて生きてきました。生まれた家は中産階級で資産はなく、他人の会社に就職しました。今は自分の会社で働いています。これが我が儘の最たるものです。一番大事な経済面で誰にも服従せず人生を送れるからです。
そこで大事と思うことが2つあります。1つ、身体と精神の健康。2つ、我が儘という自分中心主義が他利(お客様はじめ僕に関わっているすべての人の利益)にもなるようにすることです。あとは自分がうまくいくように集中します。
「米政権交代」も「日本の政治」も「コロナ問題」も、僕にとって「環境」でしかありません。環境がどうなろうと適応するだけです。わかることだけ予測し、自分が関与して意味があることだけやります。それ以外は無駄です。
そういうスタンスなので、米政権交代も日本シリーズや女子ゴルフリコー杯と同じくCNNとネットで楽しんでいるにすぎません。
個人的にはバイデンよりトランプが好きです。今回の選挙は「八百長試合」と判定が下りトランプ続投となる可能性はあります。しかしそれはそれです。どっちになっても環境適応することしか関心はありません。
さらに加えますと、皆さん米国しか見てません。米国の分断は中国がWTOに加盟して「大貧民ゲーム」で大勝ちし、弱い先進国が大負けした結末にすぎません。ギリシャ危機、Brexit問題とおなじことが米国内で起きているだけです。
震源地である中国を見なくては本質がわかりません、未来も読めません。経済と国防は別物という考えは誤りです。お金がなければどちらもだめです。日本は米中どちらにも偏らず、金持ち国であり続けることが唯一の生きる道です。
トランプが国益を盾に中国を叩いても4年で終わりです。大貧民ゲームは永遠に終わりません。働かない白人はもっと没落します。暴動、宗教対立、人種差別がもっとおきます。バイデンになればそれが4年早く来るということです。
中国=「中共+巨大市場」です。巨大資本に国籍はなく、その意味で中共も巨大資本です。資本主義=市場強奪戦だから巨大資本と中共は互いに引きつけあいます。トランプが戦っている敵はその不可避の磁力であって陰謀ではありません。
巨大資本はGAFAをはじめITの覇者である企業が牛耳ります。自動車、家電、物流、メディア、金融を通じて集めた個人情報が集積したビッグデータを握った者が全産業を支配し資本も集まります。産業のコメは石油でなく情報になります。
国家は無国籍IT企業(GAFAなど)が強大化して自国民が貧民化すると徴税権だけで食えなくなります。企業と国家がお金を奪い合います。市場、人口、情報集積力で優位な中国が20年ほどで米国経済を抜き世界一になります。
経済力1位の国が軍事で2位はありません。北朝鮮も抑えられない米国が中国の軍事大国化を抑えられるはずがありません。Quad(日米豪印)で1位に均衡してバランスをとった平和(非戦争状態)をキープできるかどうかです。
以上のことは産業革命時代の勝ち組からAI時代の勝ち組にヘゲモニーが移行する自然な動きです。国家という切り口で見るより資本集積度で見ないと誤ります。日本国が関与する余地はほぼありません。「環境」と割り切るしかありません。
日本国に生きる個人が関与する余地はまったくありません。経済的に豊かであり続ける保証もありません。自由主義的に楽しく生きて子孫もそうあって欲しいと思われる方は勝ち組に投資しておくぐらいしかありません。
僕個人的には日本国が没落するなら外国に移住する選択肢もあります。さらにはコロナが作った新環境では仮想空間上の「リモート企業」が作れます。情報だけ共有して経済活動を仲間として行い利益は均等に配当します。
それを昇格して「リモート国家」もありです。各人は居住国の法律、警察、病院等にお世話になって税金は各々の国に支払いますが、同じ国民の規律で行動し、情報を共有して皆で生計を立て、送金は仮想通貨で為替リスクなく行います。
かつてユダヤ民族、華僑が苦難を重ねて作った非国籍ネットワークがゼロコストで作れ、コロナが生んだ「リモートワーク」環境が運営を容易にします。これは失敗の歴史であるアナキズムやユートピア思想ではありません。
まず高収益のリモート国国営企業を設立します。どこの国でも構いません。その株に全国民は出資し、各国で配当で暮らします。それを何社も増やします。世捨て人や空想家でなく、勝ち組リアリストによる国家です。
僕は今月に仲間3人で「リモート企業」を設立しました。「国家」を計画している人も現実にいると聞きます。まったく絵空事ではありません。ITは私人の生活と国家の在り方を変え、それにコロナが拍車をかけたと後世は語るでしょう。
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クラシック徒然草《エロイカ録音史とクレンペラー》
2020 NOV 28 17:17:18 pm by 東 賢太郎
年をとることの最大の利点は、年をとらないと分からないことが分かるようになることだ。
僕にとってベートーベンの交響曲第3番エロイカが大切な音楽のひとつであることは知っていた。10年前にサラリーマン生活を終えて独立する苦しみのさなかで、孤独だった魂を救ってくれたのはこの曲だ。めぐりあっていた幸運にどれほど感謝したことか。言うまでもなく、これを作曲していたころベートーベンも死を意識して遺言を書くほどのどん底にあった。ひとりの人間が奈落の淵から立ち上がり、這い上がり、運命に打ち勝っていく際に放射するエネルギーには何か人類に共通なものがあるのだろうか、彼がそれをする過程で心に去来した音を書きしるしたエロイカという楽曲はあらゆる名曲の内でも異例なものを宿しているように感じられてならない。僕を鼓舞して立ち直らせたのは、音を超越したいわば名文に籠められた言霊のごときものであり、無尽蔵の生命力を秘めた霊気のようなものでもあったと思う。
オットー・クレンペラーがフィラデルフィア管弦楽団に客演したライブ録音を聴いた。彼は正規盤としてEMIにモノラル盤(1955年)、ステレオ盤(1959年)を残している。どちらも第1楽章のテンポが理解できなかったのはおそらくエロイカをトスカニーニで覚えたからであり、Allegro con brio 、付点2分音符=60と楽譜にあるからでもあったろう。とするとクレンペラーは遅すぎて論外であり、SMC最初期の7年前に書いたこブログに推挙していない(ベートーベン交響曲第3番の名演)。若かった。たかが7年、されど7年だ。1962年、クレンペラー77才のこのライブは正規盤のどちらよりもさらに遅いのに、それをたったいま聴き終えて筆をとらずにいられない自分がいる。
音は貧弱でオケも精度を欠くためこの録音に近寄るすべはなかったのが、いまはアンサンブルの中からいろんなものが聞こえてくる。それは決して指揮者の独断ではなく、ベートーベンの心の声であると思えるのだからじっと耳を傾けることになる。
この経験はどこかでした。そうだ、彼のフィガロの結婚だった。あまりの遅さに絶句し、こんなものはモーツァルトでないと断じて長らくご無沙汰になった。それを傾聴している今があるのだから、この爺さん只者じゃないと推して知るべしだったのだ。エロイカを完全無欠なアンサンブルで聞かせたものにジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団の盤がある。僕はトスカニーニ、レイボヴィッツを聴きこんできたのでテンポも納得いくセル盤は当初から好みだったし、交響曲を聴いたという充実感でコンテストをするならこれに満点を与えても誰も文句をつけないのではないか。
しかし、ベートーベンがこう望んでいたろうか?という疑問が湧きおこるのも事実だ。当時こんな力量のオーケストラは存在しなかったから彼は聴いたこともなく想像もできなかったであろう。室内楽の如き完璧なアンサンブルで管弦のバランス、アインザッツまで精緻に造形したトゥッティをスタッカート気味に強打するなど “シンフォニック” の一言だが、それはあくまでも20世紀の管弦楽演奏の概念なのだ。この驚異的な演奏を1957年に録音したセルの凄みは筆舌に尽くし難いが、これがアメリカのヴィルトゥオーゾ・オーケストラを得て成し遂げられたことも時代の一側面だ。
録音史という標題にしたので書くなら、第2次大戦後の米国のレコード会社は自国のオーケストラの音楽監督に欧州の著名指揮者をすえてクラシック・レパートリーのアイコン的録音を自社コンテンツ化するマーケティング戦略を採った。マーラーに始まりクーセヴィツキー、ストコフスキーときた成功体験の系譜の戦後版であり、ユダヤ系音楽家の亡命も追い風だった。それがトスカニーニ、モントゥー、ワルター、オーマンディー、セル、ライナー、ショルティ、ラインスドルフ、スタインバーグ、ドラティ、ミュンシュ、コミッショーナ、アブラヴァネルなどだ。誘致案があったがナチス関与のかどで潰されたのがフルトヴェングラー、カラヤンであり、来てみたがうまくいかず短命政権に終わったのがクレンペラー、クーベリック、マルティノンである。その流れで自国の指揮者バーンスタインの売り出しに成功し、非白人のメータ、小澤もポストを得ている。
その指揮者輸入戦略からトスカニーニのレスピーギ、ライナーのバルトーク、ショルティのマーラーなど本家を凌ぐどころか永遠に凌駕もされないだろう名録音が幾つか生まれたが、セルのベートーベン全集はそこに位置づけられる偉業だろう。永久不滅の録音が名人オーケストラなしにできることはないが、ライナー、ショルティのシカゴ響と並び立つクリーブランド管の機能的優位性はセルの薫陶の賜物として際立っており、その末裔として1969年に生まれたのがやはり永久不滅となったブーレーズの春の祭典だったと考えれば筋が通る。中でもセルのエロイカは米国の楽団が残した録音という条件を外しても白眉であろう。
セルに先立ってベートーベンの9曲を英国のフィルハーモニア管でEMIに録音したのがヘルベルト・フォン・カラヤンであった。1952年のエロイカは、いまでも仮にサントリーホールで鳴り響けば名演として記憶されただろう。しかし、これとてセルを知れば霞んでしまうのだ。モノラルということもあったからだろう、カラヤンとグラモフォンがご本家ドイツの威信をかけて1962年にイエス・キリスト教会でステレオ録音したのがベルリン・フィルとの第1回目の全集ということになる。
僕はカラヤンのベートーベンを選ぶならこのベルリンPOとの第1回目を選ぶ。本当かどうか当時の彼はトスカニーニを信奉していたとされるが、指揮界はカラヤンが後を襲ったフルトヴェングラーがトスカニーニと人気を二分しており、彼が後者側の流儀に立つ政治的理由もあったろう。スピード感と力感に溢れ、磨きこまれたしなやかさも見せるこのエロイカは作曲家の悲劇と慟哭には踏み込みが浅いが、後のカラヤンのトレードマークとなる特徴の原点をすべて揃えた一級品だ。しかし、このレコードとて、恐るべきレベルまで研ぎ澄まされたセル盤を凌駕したとは思えない。
その横綱セル盤を僕が熱愛しないのには訳がある。聴覚の喪失という音楽家に致命的な症状が現れ始め、覚醒している限りその自覚に苛まれ続け、治療の望みは日々断たれて音はどんどん消えていき、その地獄の責め苦が一生続く恐怖から逃れる唯一の手段は死ぬことであるというところまで追いつめられて書いたのがハイリゲンシュタットの遺書だ。虚構に擬する人もいるが、彼が死を選択肢としつつ書いたのは真実と考える。ただし、書きながら親族の難しい現実に意識を移ろわすうちに、自分が生きる必要があり、どんなに苦しく孤独でも必要とされるのだというドグマのエネルギーがドライブして彼は活きる望みと力を取り戻していった、だから書き終わるころには脳裏に浮かんだ死はもはやフィクションになっていたのだと思う。
そうでなければエロイカのような音楽は降ってこないだろうし来たとしても死ぬ人間が書き留めようとは思わないだろう。エロイカは生きようと思った彼が遺書を断ち切る情動を自らを鼓舞するために書きとった音楽ではないだろうか。第2楽章の葬送行進曲は誰の葬送でもない、彼が遺書の紙を手にした時に脳裏をよぎった死の形であり、その奈落の深い闇から脱却したところに彼が世に問いたかったステートメントの核心があるように感じられてならない。そうだとすると、葬送行進曲までが整然と名技の披歴の舞台となっていて、人間のどろどろしたリアリティーをあまり感じないセル盤のコンセプトは物足りない。第2楽章をアレグロの両端楽章に対する緩徐楽章としてロジカルに俯瞰し、そこに封じ込められた地獄の阿鼻叫喚を音符通りダイナミックに鳴らしはするが一個のリアルなドラマとして描くアプローチは採っていないからだ(カラヤンも同様だ)。
つまり、そうなると復活後の快哉ばかりがアレグロの快感を伴って全曲を支配する印象を残すことになり、それはそれで力をくれるし演奏会でブラヴォーの嵐を呼ぶことはできるのだけれど、僕はこの年齢になってそれは何か違うのではないかという思いを懐くようになってしまった。管弦楽演奏としてこれ以上不可能だろうという非の打ちどころない演奏を記録した音楽家たちに最高の敬意を払いたいし、こういうことを書くのは心苦しさを伴うが、スコアのメトロノームに従って火の出るような演奏をしたトスカニーニに対しセルは熱量はあまりなくクールに軽々とF難度の演技をこなすメカを感じるところが異なる。
そして、セル盤と対極的な位置にあるのがフィラデルフィアのクレンペラー盤なのだ。それは奈落の底に焦点をあてたアプローチであり、セルのフォーカスが陽ならクレンペラーは陰だ。アインザッツをそろえてパンチを利かせたり流麗なレガートで泣かせようなどという細工がない。死を意識する混沌から立ち返ったベートーベンの強靭な精神への敬意と共感に満ち、それを表象して資するような音を裏の裏まで執拗に拾い、克明に聴き手の耳に届ける。第2楽章のホルンソロ以降の阿鼻叫喚は、セル盤では優秀な役者をそろえた立派な悲劇だがクレンペラー盤には血が流れるのが見える。スケルツォも遊戯的では一切なく、終楽章も暗さが支配して希望回帰の安堵や享楽はやって来ずに終わる。
終楽章がそういう筋立てであるなら、同じアレグロの第1楽章も付点2分音符=60にはならないのが道理だろう。むしろその遅さでなければベートーベンの闇と復活は描き切れなかったと思う。最晩年、1970年のこのライブでは第1楽章はテンポが遅いを超えて止まりそうになる。初心者の方はこれがセル盤と同じ曲と思えないかもしれない。あのスコアをこう読む想像力を僕は持ち合わせていないけれど、メンデルスゾーンの例でみた通り、彼にはそれがあり得るのだ。
7年前の自分なら、これは真っ向から切り捨てていたろう。それが今は許容どころか好んでいる。若かった僕が間違っていたかもしれないし、音楽の方が両方を包含しているのかもしれない。ポップスをそれほど違うテンポでやれば違和感があるだろうがベートーベンのこの音楽は多層的であって、JSバッハの音楽がそうであるように異なったテンポを許容するのではないだろうか。それはメトロノームをこまめに書き込んだ作曲家にとって不本意な結論かもしれないが、彼がエロイカの譜面に図らずも書きこんだのは音符でなく言霊、霊気だ。モーツァルトのピアノ協奏曲第20番、24番にたちこめる何やら恐ろしい物、それがここでは落ちこんだ人を蘇生させる向精神薬のように働いている。
僕はクレンペラーのように第2楽章の奈落に焦点をあてるアプローチにだんだん賛同するようになっており、セルやカラヤンには音楽演奏としての快感では納得だがエロイカの莫大な霊力は半分も描き切れていないと感じるようになってきている。付点2分音符=60との矛盾はあくまでイロジカルなままであるが、ベートーベン自身、エロイカ作曲の時点で鬱状態から完全には回帰しておらず、内面に矛盾を抱えた状態で躁状態に突入しつつあったと思う。耳疾への恐怖に打ち勝って吹っ切れるのは運命、田園を書いた頃からだ。だからエロイカは多層的なものを含んだ作品となっているのであり、自身がまだ多層的だったベートーベンはそれに気づかなかったというのが私見だ。
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交流戦やめるなら日本シリーズもやめろ
2020 NOV 23 23:23:43 pm by 東 賢太郎
(1)野球ファンとしての怒り
僕はカープ、マリーンズのファンですが、それ以前に、野球ファンです。だから最高レベルの野球がみたい。スポーツは万人がやって楽しむものですが、それでも年に何回かは、自分たちでは想像もできないハイレベルの人たちのプレーを見て楽しみたいものです。プロ・スポーツというのは、我々民衆のそんな願いをかなえるところで成り立っていると思います。
だから本当は、日本のプロ野球(NPB)の外人枠をなくしてほしい。全員アメリカ人でもOKです、野球がうまければ。しかしそうならないのは、日本の野球少年の夢舞台という役割もあるからで、甲子園大会には外国の高校も外国人もいれませんが、その国民的(国粋的)という部分と連続性がなくなるからでしょう。だからNPBは「ニッポンの最高峰の選手に少しのガイジンを加えた野球リーグ」であって結構と思います。
ところが、去年の8月に東京ドームでロッテ・日ハム戦をみて、こういう感想を持ったのです。セリーグは「ニッポンの最高峰の一翼」なんだろうか、ドラフトで機会均等なのになぜセ・パでレベルに格差が出てくるんだろう、それだと国際的に日本の野球は永遠に「最高峰」になれないのでは?ということです。
NPBの謎「パリーグの方が圧倒的にレベルが高い」 | Sonar Members Club No.1 (sonarmc.com)
パリーグの公式戦というと5年前にペイペイドームでみたのとこれと、10年で2つだけです。そこで、びっくりして書いたわけです。
ところが、すっかり忘れてましたが、2015年にこれがありました。考えるまでもなくびっくりの原因はここに全部書いてありました。
なぜ交流戦は毎年パリーグが圧勝なのか? (sonarmc.com)
さらに、そこのコメント欄に故・中村順一がいいことを書いてます。
まったくおっしゃるとおりで、セは全球団、巨人、阪神におんぶしているんですよ。ハングリー精神が出るわけがないのです。反骨精神を中日、広島あたりに期待したいが、全然だめですね。そもそも交流戦についてもセは大反対しているんですよ。訳が分からん。再来年には交流戦廃止という話すらあるのです。12球団の所属リーグの入れ替えをやるべき時に来ている気がする。そもそも巨人中心にすべてが回りすぎ、腹が立ちます。
僕と全く同じ視点で憤慨しておるのです。中村は阪急ブレーブス以来のオリックスファンでしたが野球を愛してもいた。何度か一緒に球場へ足をはこびましたがそう思いました。
(3)「花相撲」と「村の掟」
プロの野球がどういうものかは知りませんが、毎日体を張ってるのだからガチンコだと心身ともに疲れるしケガの危険も大きいでしょう。大相撲もそういうなれ合いの中で八百長が出たといわれます。あらゆるスポーツで八百長は絶対に許されませんが、ここで論じたいのは「花相撲」という概念なのです。若い人には耳慣れない言葉でしょう。こういう意味です。
花相撲とは大相撲における勝敗が番付や給金に反映されない興行のことであり、巡業、トーナメント相撲、親善相撲、奉納相撲、引退相撲などのことを言う。取り組みのほか初切、相撲甚句、横綱の綱締め、歌謡ショーなどのアトラクションが開催される。また、これから転じて他競技の類似のもの(プロ野球のオールスター戦など)を、通常の公式戦などより真剣度が薄い・優勝争いに関係しないという意味で花相撲ということもある。(wikipediaより)
勝敗が番付や給金に反映されない興行なのに相手をケガさせてでも勝つ気迫でガチンコ相撲を取る力士は少ないという意味では、花相撲は「手加減」ある取組です。しかし、そこはプロだからプライドがあるし、そう見えないぎりぎりで会場を沸かすことはできると思うのです。NPBのオールスター戦でも江夏の9連続三振など真剣勝負があったわけですから、花相撲はかならずしも「手抜き」とはいえず、もちろん八百長でもない。でも、断じてガチンコではないのです。その中間にあるふわふわしたゾーンで、プロの技術が無くてはできないが、それがあればたぶんできる、プレーヤーの暗黙のグレードダウンの了解です。
たとえばメジャーでも「大差がついたら盗塁しない」という暗黙の了解ゾーンがあり、何点差なら「大差」かは不明ですが、走っても記録員が盗塁にカウントしないから球界のルールでもあります。ふわふわしてるのです。一見すると「大人げないことするなよ」という紳士協定ですが、「投手にぶつけられたらぶつけかえしていい」という報復ルールもあって、そういうものぜんぶが「プレーヤーの暗黙のグレードダウンの了解」になっている。つまり、選手が了解して怪我せずに安心して食っていくための「村の掟(おきて)」のようなものです。
破ったら死球という「私刑」が認められ法律にもルールにもなりようがないから、やむを得ない場合はコミッショナーが「成文化」する。その例が「コリジョン・ルール」です。あれは危険だ、選手生命を脅かす、捕手がそう思って自分はブロックを辞めても相手がやれば試合に負けます。ビーンボールもそうで、内角をえぐらないと強打者は抑えられないが死球は凶器にもなる。お互いに使いたくはないが相手をびびらせる「抑止力」になるというのは、まさに、第2次大戦後の軍事力均衡における「核の抑止力」とそっくりです。
セ・パの問題で考えると、セリーグはどちらかというと核廃絶国で、パリーグは抑止力としての保有国という感じがします。もっと簡単にいえば、巨人戦利権で労せず食っていけるセリーグは「金持ち喧嘩せずの老舗企業」、それがない裸一貫からのパリーグは「上昇志向むき出しのベンチャー企業」というところです。「喧嘩せず」路線を行けば、勝負へのこだわりやアスリートとしてのモチベーションは鈍ります。だから本質は喧嘩である野球は弱くなります。選手は機会均等のドラフトで選ばれれるのだからセリーグに入った選手の資質の問題ではなく、リーグや球団経営者の考え方、文化、教育姿勢の問題のはずです。
(4)セリーグの「村の掟」
僕の結論です。2015年に書いた以下のことは、セリーグの「村の掟」なのではないかと思います。セリーグが花相撲をやっているとまでは申しませんが、交流戦でどんなにパリーグに負けようが何も実力をキャッチアップしてない現状を踏まえると、あくまで選手のマインドの中のことではありますが「番付や給金に反映されない興行」に近い精神で試合が行われる場合があるのではないかと勘ぐらざるを得ない。去年あんなにソフトバンクにボロ負けしても、「でも、俺達ジャイアンツだもんね」で終わってるのではないかと思わざるを得ないのです。
長距離砲は当たりはずれがあって育てにくいそうです。そういうリスクをとるなら堅実なアベレージヒッターをドラフトで取っておいて、大きいのは外人にまかそうとなる。
セリーグは打者も全力で振り回す人はあまりなくて、形を作ってきれいに打つタイプが多いです。ソフトバンクの柳田や日ハムの中田、西武の中村のような殺気、豪気を感じる若い人がいない。
セリーグの投手は外角の出し入れ主体、かわしの投球にすぐれているように見えます。パはずばずば本気で内角を突いてくる。打者が踏み込んでパワフルに振ってくるからそうしないと打たれるのです。だから「ケンカ」になってる。セリーグは内角は見せ球で勝負は外角、きれいに打ちとる感じです。
これ、ジャイアンツ人気で食っていける球団にはリスク回避的で合理的な戦略です。プレーヤーは、常に全力投球、マン振りのガチンコ・プレーより「形を作って」とか「かわしの投球」とかの方が楽だし、テレビを見ている素人にはプロっぽく見えるし、ケガのリスクが少なく選手寿命も延びそうだ。そういうことじゃないか?
つまり、掟は球団と選手の合意でできているから変わりようがないし、変えたくもないのです。そんなことをやっていれば素人は騙せても野球の神様はごまかせず、ガチンコをやってるパリーグとやればボロ負けするのは当然なのです。それでは経営も選手も困るので、
交流戦についてセは大反対している
という不可解なことが起きるのです。ファンは交流戦を楽しみにしている人の方が多いと聞きます。でも、セリーグの経営者はからくりがバレで批判されるのはまずい。そもそも、サラリーマンの球団社長に終戦直後からの長年の文化を変える勇気もないでしょう。
経営からすれば若手やスター選手は広告主や年間予約席オーナーへの営業マンとしても戦力ですから、北新地でこういうことになるのです。
「タニマチからの食事のお誘いや、OB会の接待など、阪神の選手は球場の外でも忙しい」(野村克也氏)
すると選手も他チームもこうなっていきます。
ちやほやされる若手は大なり小なり勘違いするそうです。こういう若手は才能があっても大して伸びないでしょう。ハングリーでないわけだから。するとその阪神と競って負けなければいい他チームだって、同じレベルの球団になっていくのです。
(5)セリーグに下る野球の神様の鉄槌
ここで今年の日本シリーズ、巨人対ソフトバンクの話になります。まだ2試合しか終わってませんがもう十分です。それほど、唖然とするほどひどいからです。
去年の10月、4連敗でシリーズを終えたあまりに不甲斐ない巨人に怒り心頭に発し、その怒りはセリーグにも及び、ここにぶちまけたのです。この2つはかなり読まれてますから、同じ意見の方が多いのではないかと想像します。
巨人弱すぎ、かんべんしてくれ | Sonar Members Club No.1 (sonarmc.com)
セリーグ弱すぎ、かんべんしてくれ | Sonar Members Club No.1 (sonarmc.com)
それが1年たって少しは解消したかと巨人に期待してました。ソフトバンクもケガや新旧交代で苦労しており、ロッテに並ばれてあわやうっちゃられる所まで行ったからです。
ところが、ふたをあけると差はもっと開いていた。第2戦の13対2です。こんなのがNPBの頂点を決める決戦といえるのか?
点差だけの話じゃありません。それはあくまで結果なんで。そうじゃなく、中身のプレーの話です。勝負事だから形勢というものがあります、その事です。
ずっとTVでみてましたが、いくつか、えっという場面があったのです。まず柳田のセンターライナーへの丸の反応です。距離も方向も大外れで無様に頭を越され、明らかにあんな打球は想定してない。そりゃセリーグの打球ならそうだね。
後半に守備固めで出てきた牧原の引っ張ったファウル。これが2つ目です。役回りは巨人なら吉川尚輝、田中俊太というところですが振りが完全に別物。牧原は(甲斐もですが)柳田なみに振ってます。体は吉川、田中のがでっかいのに。
3つ目。巨人の4番手、鍵谷投手です。唯一パリーグ並みの球威があり少しは抑えるかと思いました。しかし牧原に簡単にはじき返されると柳田に四球。上位打線の圧に負けて満塁となり、デスパイネに軽々と一発食らってしまったのです。
つまり、先発の今村があまりに球が遅く、タイミングでかわす投球はセリーグでは通用してたんですがなにせ全力のストレートが143㎞ですからね、そのあとだから鍵谷が速く見えた。でもパリーグではあっけなく「打ちごろ」なのでした。
試合は鍵谷が出た7回表で7対2です。巨人に5点差をはね返す気配は皆無。そこで出た満塁ホームラン。ボクシングならカウンターが入ってふらついた追い打ちにもう一発アッパーカットが決まったみたいで気の毒でさえありました。
高校野球では7回終了で7点差以上は実力差から逆転不能と認定しコールドゲームです。巨人は9点差の7回コールド負けだったのです。僕は高1の初先発で国学院久我山に9-0の7回コールドを食らいましたが、あの屈辱は一生ものです。
しかし、僕ら庶民レベルのことが野球界の頂点、日本シリーズであっていいのか?いいわけないでしょう。おそらく、みなその昔は高校球児だった選手、OBがいちばんわかってます、そんなの口が裂けても言えないってね。
あえて原監督の肩を持つとすると、今年の優勝は二流の戦力を使い回した監督力の賜物でした。同じマネジメントをする身として敬意を表します。しかしシリーズ1,2戦は何もできなかった。やる前に選手のボロが出ちゃったんでね。
(6)交流戦やめるなら日本シリーズもやめろ
こんな試合を日本シリーズと称してやるだけで羊頭狗肉(羊の頭を看板にかけて犬の肉を売る)なわけです。交流戦は犬の肉がバレるからやめたい。それなら、国民的に注視される日本シリーズはもっとやめたいはずです。ということは1リーグ制です。弱い方であるセリーグはパリーグの二軍になるという結論しかありません。あるいは、セリーグで2年連続最下位のチームは潰して5球団とし、選手は現役ドラフトで5球団に移籍します。では6球団目はどうするか?もちろん、ソフトバンクの二軍を入れるのです。すぐAクラスになるでしょう。
花相撲でぬくぬく食えるという文化。巨人戦の視聴率の凋落で、地上波がなくなって久しい。もはや現実はそうではないのです。それでも遺産で食えてるうちはそれを改めようとしないのが大組織です。証券界もそうです。野村證券を出て16年になり現役はもう誰も知りませんが、それでも30才前後の若手に会うと野村だなと匂いでわかるのです。良くも悪くもいまだに文化は変わってないという証拠です。セリーグも、監督、コーチ、選手を入れ替えることはやる気にさえなればいくらでもできますが、球団に深く根付いている文化は当分変わらないでしょう。
セリーグの選手の皆さんは気の毒です。巨人がみじめに負ければもっと弱い球団というレッテルを張られるのだから。そこで二軍なんて全然尊敬されないし、現に巨人の二軍はプロ・アマ戦で中央大学に20点取られて歴史的大敗してる。そんなの悪いけどプロではないのです。であれば、球団の文化など無視して、ソフトバンクの育成選手並みに命がけで練習するしかないでしょう。女の子と遊んでる暇などないのですよ。それが嫌なら、若いうちにプロ野球選手は見限ってサラリーマンになることをお薦めします。いくらでも遊べるし65才まで働けるし、戦力外通告にびくびくすることもありません。年俸1億円はたぶんもらえないけど生活は安定しますよ。
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埋まってない巨人・ソフトバンクの実力差
2020 NOV 22 11:11:28 am by 東 賢太郎
甲子園に出たチームと対戦して感じたこと。はやい、でかい、うまい、だ。つまり、①投手も野手も球が速く②打者がでかくてスイングが速くて打球が飛び③守備は「わたし失敗しないので」でどこへ打っても捕られる感じがする。それ以外もいろいろあるが、その3つが「ヘビににらまれたカエル」になる3拍子であった。びびると相手は見透かしてきてのびのびモードになるからますます3拍子の差がついてきて、こっちはさらに押されて後半に四球とエラーが出てコールド負けになる。だいたいこんなパターンだった。
プロ同士でそんな差があるはずないが、ソフトバンク(SB)は①出てくるピッチャーみなパワーみなぎる150キロごえ②全員が危険水域のフルスイングで、3つの内の2つはもう満たしている。巨人は①タマふつう②ホームランの心配ない打者が複数いる、で既に威圧されている。これでのびのびモードに入られ、押された巨人にエラーやミスが出たりすると、3拍子が揃ってしまうわけである。そうなれば去年と同じことで、へたすると4-0のボロ負けコースだろう。
第1戦にもうその兆候を見てしまった。なにせ唯一頼みのエース菅野がCS無安打の栗原に2回早々の被弾でショック。さらに2本追い打ちのツーベースを打たれ2度のショック。岡本がバットをへし折られショック。丸が好機にごっつぁんのゲッツーでショック。中島が悲しい振り遅れ三振でショック。千賀を知ってるウィラーが速球にピクりとも動けぬ三球三振でショック。坂本がモイネロの奇怪なカーブに唖然の三振でショック。四球の周東が左腕高橋をコケにしたスタートで楽勝の2盗でショック、それを中村晃が技ありヒットで簡単に返してショック。
以上思い出しただけで10のショックだ。SBでつけこめそうなのはクローザー森のコントロールぐらいだが(ロッテ戦からそうだった)、ベンチにもショックが蔓延していたのだろう、最後の代打田中俊太は初球を当てただけで力ないピッチャーゴロ。ヘビ・カエルのこんなのはもうショックにすらならない。SBならレギュラーどころか二軍だろうというので戦っているということだ。菅野をおろした時点でベンチはショックをそれ以上受けさせないモードに切り替えた。戦線撤退だ。
なにせ4安打しか打てなかったのだからどうしようもない。まともに外野に飛んですらいない。悲しい力負けでまさしく①が焼きついたろう。省エネのセリーグにそんなピッチャーはいないし対策は当然練ったろうが、本番で千賀ー甲斐のバッテリーが予測を覆した。ロッテ戦を見ていて思ったがSBの強さは柳田のホームランではない、何より、数も質も圧倒的な投手力なのであり、8,9回はまず点が取れない。先発を6回までに崩して最低3点取るか、7回のセットアッパーを打つかしか勝つ道はない。それでも打線を3点に抑えないといけないが巨人に菅野以外でそれが期待できる先発はいない。その菅野が6回で4失点というのはもうシリーズ終わった感が満載である。
SBはバレンティンがかけらも通用せず内川が2軍だ。今宮も長谷川も上林も明石もスタメンから消えた。去年まで誰も打てねえと思ってたバンデンハーク、武田、甲斐野も消えた。それでこれだ。巨人は投手力のハンディを打線で挽回するしかない。今日の石川を崩せるかどうかがすべて。昨日のようにやられて2-0となれば3戦から3つは福岡だから電車道の4-0もある。丸は打っても相手を威圧する選手ではない、どうしても岡本、坂本が図抜けたことをやって威圧し返さないと嫌なムードが変わらない。
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