ソナー・アドバイザーズ(株)創立10周年
2020 OCT 19 23:23:34 pm by 東 賢太郎
お蔭さまをもちまして10年となり、青山で記念の昼食会を行いました。スピーチをしながら来し方を思い浮かべましたが、10年は長いようであっという間でありました。さしたる理由も覚悟もなく証券界に飛び込んだのが41年前。その一番最近の舞台がソナーだったという事になりますが、してきた仕事は同じですから自分の中ではずっと一貫した大河のようなものです。
まず御礼したいのは、海のものとも山のものともつかぬ時に出資して下さった株主の皆様です。起業を思い立ってすぐに自信満々で香港、インドネシアまで行きましたが、何人と会っても資本が1円も集まらず、人生途方にくれました。退職して名刺のない自分の無力を思い知りました。そこから立ち直らせていただいた株主の皆様のご恩は忘れません。
そうして2010年10月20日に事業をスタートし、素晴らしいお客様との数々の出会いがございました。証券界で41年やって来られたのもその喜びあってこそです。とても大事なことは、起業以前から存じ上げていた方はおられず、出会いひとつひとつがソナーの歴史になったということです。我々はお客様の為に働くことで歴史を作っている、そういう意識を堅持して参ります。
そして今日この日、ソナーの10年目という特別な場を共有していただいた役員、社員の皆さまには感ずるものがございます。41年にわたり多くの先輩、同期、後輩の方々と苦楽を共にしましたが、ご縁には「時」というものがあります。何人も左右できず偶然に見えますが、僕はそれに意味があるという経験を幾度かしてきました。また、ここにはおられませんが、今あるのはこれまでソナーにご縁があった方々全員のお力添えの成果でもあり、心より感謝申し上げます。
いまソナーは9人、社員ではないですが近しく仕事をして下さっている方々をいれると20人ほどが事業を支えてくれています。そのうち、10年以上前から知っていた人は3人だけです。お客様もそうですから、僕自身がソナーといっしょにブランドニューの人生を築いてきたという誇りがございです。過去の小さな成功体験にこだわると大きな成功は来ないと信じ、これからもそうあるつもりです。
コロナは世の中がどう変わるか誰もわからないことを教えてくれました。だから、どう変わっても生きられるようにしておくことが大きく稼ぐことよりも大事です。それには会社を無用に大きくしないことです。小さい組織なら、社員一人当たりのリターンを増やすことでモチベーションは高くなり、同時に、変わり身の遅さが理由で倒産するリスクは低くなります。どう考えてもコロナ後は得なのです。これからそういう時代になると思います。
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アート・ブレーキー「チュニジアの夜」
2020 OCT 14 1:01:07 am by 東 賢太郎
アート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズはライブできいてます。ネットで調べると僕が留学中に彼がブルーノートかヴィレッジ・ヴァンガードで演奏したのは82年10月、83年2月だけでどっちもブルーノートでした。なぜ自分がニューヨークにいたのか記憶はないですが、2月は期末試験だからきいたのは82年の方だったでしょう。
血が騒ぐナンバーがいくつかありますがA Night In Tunisia(チュニジアの夜)は彼のドラムスがききものです。メル・テイラーは明らかにこれをパクってますね(ブレーキーはキャラヴァンもやってますが)。音の違うタムタムを乱れ打ちする土俗的な音は本能的に大好きで、春の祭典はいつもティンパニの音を追っかけてます。ブーレーズCBS盤を初めてきいてハマったのも、生贄の踊りの短三度のピッチが物凄く明瞭だったからです。
チュニジアは一度行きました。スイスにいた1996年の夏休みの地中海クルーズで首都チュニスに寄港しました。これがあるからこの航路を選択しました。そして憧れのカルタゴ遺跡を見ました。遺跡好きは筋金入りと自負しますが、掘ってみたいというのはなく、その地に立って歴史に思いをはせれば充分。至ってミーハーのレベルですが、そこで生活し、政治を行い、戦争をした人々と同じ目線になって時間を過ごせば「気」がチャージされます。地中海ではフォロ・ロマーノ、ポンペイ、クノッソス、リンドスなど何度でも行きたい場所です。ローマ史好きの方であればご理解いただけると思います。
カルタゴはフェニキア人の植民都市ですが、彼らは元々いまのレバノンのあたりにいたカナン人で、鉄器でメソポタミアを統一支配した凶暴なアッシリアの重税を調達するため富を求めて地中海を西へ向かいます。それが結果オーライで、貝紫(染料)とレバノン杉を貿易財として海洋商人として大成功し、アフリカ大陸を周回したり表音文字のアルファベットを作ったりと知恵も行動力も破格で、ハンニバルのような武勇の男も出ました。
僕はなぜかローマ人より彼らにシンパシーがあります。カルタゴは3度のポエニ戦争でローマ軍の手で灰燼に帰し、男は皆殺し、残った5万人は奴隷に売られた。しかし兵士でない富裕な商人には逃げおおせた者も多かったでしょう。約千年後に現れた海洋都市国家ヴェニスは末裔が作った説があるし、遥か後世にその遺伝子を持った者が欧米に散ってロンドン、パリ、ニューヨークなどで活躍したのではないでしょうか(現にカルロス・ゴーンがいます)。フェニキア、ポエニは自称でなく、歴史を書いたローマが記してそういうことになってる。日本人がジャパニーズと呼ばれるのと同じです。千年後に日本がカルタゴになってないことを祈りながらここを後にしました。
そこから船に戻る道すがらのことです。真夏で半端な暑さじゃなく、遺跡から下ってくる道も舗装してなくてやたら埃っぽい。平地に降りたあたりでは、なにやら人がごったがえした猥雑な通りに店が並んでいます。僕はそういう超ローカルなものに目がなく、左側の一番手前の屋台みたいな土産屋を冷かしました。黒人のオヤジがいいカモが来たと思ったんでしょう、「ヘイ!このドラムどうだ、いい音がするよ、安くしとくぜ」と太鼓をポンポン叩きながら売り込んできたのです。それが写真です。ご覧のとおり、安物の陶器にアバウトに革を張っただけのシロモノです。しかし意外に高めのピッチで悪くなく、それに関心を見せたのがいけなかった。
「どこから来た?日本?遠い国だな。10ドルでいいよ」とわけがわからない。「高い」「そんなことはない、お買い得だ」「いらん」「OK、じゃあいくらなら買うんだ?」手慣れたもんです。隣で家内が「そんなのスイスにどうやって持って帰るのよ、やめときなさい」と怒ってるし、断わるつもりで適当に「2ドル」と言ったらオヤジはがっかりの表情になり、「Jokin’!」とか何とかぐちゃぐちゃ文句を言いはじめた。そして数秒後にあっさりとまさかの2ドルになったのです。しまった、1ドルだったかと思ったが、そういう問題ではなかった。1週間のクルーズで荷物が山ほどあるうえに幼い子供が3人もいて、そこで結構デカいこいつをかかえて帰らざるを得なくなって、あきれた家内の非難ごうごうとあいなったのでした。でも、こんなもん日本で売ってないだろうし買う馬鹿もいないだろうし、今や愛着すらあって家宝に指定したいとすら思ってます。
こいつのお陰で楽しみができたという恩義もあります。脇に置いてムードを出しながら、地中海地図を見て古代オリエント世界を空想するのです。格好のエネルギーチャージであり、ストレス解消でもあります。大陸側のポルトガル、スペイン、フランス、イタリアの要所は車で、主な島とエーゲ海、アドリア海は2度のクルーズで、アフリカ側はモロッコ、そして今回のチュニジアへ行っており、空想はそこそこリアル感があります。
1年ほど前ですが、家でそういう事を話していたんでしょう、娘たちが3度目をプレゼントするよと言ってくれ喜んでいたのです。そうしたらクルーズ船は横浜のことがあって危ない存在になってしまった。困ったもんです。何故なら、数えきれないほど海外で旅行をして一部は行ったことさえ忘れてるのですが、ベスト1,2位は32才、41才で家族を連れて行った2度の地中海クルーズだった。はっきりと細かいことまで覚えてるのはあれしかないぐらい楽しかったからです。
「チュニジアの夜」をききながら決めました。もう一度行くぞ、マスクをして。
(おすすめ)
地中海にまつわるクラシック音楽はこちらにまとめました。音で旅行できますのでごゆっくりお楽しみください。
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佳境に入ったクラシック音楽との付き合い
2020 OCT 9 18:18:08 pm by 東 賢太郎
マーラーの2番「復活」だけ指揮するアマチュアのギルバート・ キャプラン氏にならって、プロの指揮者に1曲だけ習ってやってみたいと思ったことがあります。米国の実業家キャプランは「復活」マニアでした。子息が亡き父のオフィスを整理していたところ、埃をかぶった箱から偶然に出てきたのがこのフィルムだったそうです。初めて振った「復活」です。
この曲だけとはいえ、ロンドン響、ウィーン・フィルを含む世界の75のオーケストラで振っている。音楽の教育は受けなかったが、客観的に見ても才能があったということでしょう。しかし僕が特筆したいのはそれ以前にビジネスの才があったことです。ざっくり書きますと、ニューヨーク大学法学部を出て1963年にアメリカ証券取引所のエコノミストになります。給料は1万5千ドルでした。4年後にインスティテューショナル・インベスターズ誌を創業して主筆をつとめ、17年後に同社株を$75milで売った。当時の為替レートで170億円です。
こういうことができるのが資本主義です。ウォートンスクールの学生のころ、バーで同級生のアメリカ人はみんなわいわいこういう話をしてました。40才でウォールストリートの仕事を辞めて何をしたいかと、お前の夢は何かと。大会社で出世したいなんてのは一人もいない。会社は作るもの、 It’s you. 、おまえ自身だぜ。ビジネススクールはそういう連中の集まりで、そういわれたとき、自分の中でばりばりと何かが崩れました。替え玉受験説はあるが若きドナルド・トランプもそうやってあのあたりのバーで口角泡を飛ばしていたに違いない。 キャプランは音楽界では “an amateur conductor of Mahler’s Symphony No. 2.”(マーラー2番専門のアマチュア指揮者)ですが、ビジネス界ではまさにそうやって夢をつかんだ男、アメリカンドリームを体現した男なのです。
カネで何でもできるのもアメリカだろうという人もいますが、野球好きのおっさんが甲子園球場を借りて夢をかなえるみたいな話とは次元が違います。その理由は下のビデオで明らかにされますが、マーラーの自筆譜を購入して研究に研究を重ね、楽譜が読めないハンディは全部を耳で暗記してスコアなしで振ることで克服しています。棒の振り方を習ったのは40才です。「ワルターやバーンスタインやショルティの録音が残る中であなたが指揮する意味は何か?」と問うインタビュアーに「私は誰より2番を、マーラーを知っているからです」と述べる半端でない没入と情熱と知識と自信が世界中のプロの演奏家を動かしたように思います。
彼は25才までこの曲を聴いたことがなく、カーネギーホールでやるストコフスキーのリハーサルに招かれて初めて知ります。本番を聴いたその夜、旋律が脳裏にまつわりついて眠れなかったと語っています。知的で冷静に見える人ですが、ハートが熱い。本人の口から想いをきくとびしびし心に刺さってきます。
そういうことを自分もやってみたいと思ったのは38か9のころ、フランクフルトにいた時です。娘のピアノの先生がいい人を紹介してあげるわよということになって、習おうかなと傾きかけました。だけどやらなかった。自信がない、仕事が忙しい、そういうものに負けてしまった。じゃあ今やるかというと、もうあの時の情熱も記憶力もありません。アメリカには難病で生きられないかもしれない子供の夢を寄付でかなえてあげる Make-a-wish というNPOがありますが、本気でやるならオトナの夢も叶えてあげようという文化的な土壌もあります。日本で既にプロだったイチローでも、これだけ打ったのは凄いじゃないか、新人王にして讃えてやろうという寛大さ。日本にはないですね、そういう問題もあります。難しいでしょう。
トーマス・ビーチャムみたいにマイ・オーケストラを作る手もあります。でもプロ・オケさえ財政難の世で到底資金が続きません。仮に資金があっても、アートはそういうものではない。ビーチャムの楽団への情熱が持てるか、キャプランの復活への愛があるかという事です。それなくして誰も真剣についてこないでしょう。ちなみにキャプランは、ワルターもバーンスタインもショルティもそうであるようにユダヤ系と思われます。彼らにはマーラーへの心的、スピリチュアルなつながりを自らが信じられる何かが有ります。同じ民族だから共振できるのかルサンチマンなのか僕には知るすべがありませんが、メンデルスゾーン3番の稿で主題にしたとても深いことで、わかる方はわかるでしょう。作曲家と交信、共振できたから皆がついてきた。うらやましいことです。
僕はドイツにいてドイツ語さえままならない自分がどうしてモーツァルトを理解できるのかと感じてしまった。困ったものです。バッハもベートーベンもブルックナーも、みんな遠ざかってしまいました。日本語世界で理解していた彼らとはおよそ程遠い人間だということを知ってしまった気がしたのです。みんな同じ人間だ、音楽はその共通語である。これは20世紀のアメリカ人が作ったマーケティングコンセプトです。19世紀以前の人間にそんな概念があろうはずがありません。モーツァルトは、「こういうパッセージを入れればパリでうける」と父親宛の手紙に書いている。ヨーロッパの中ですら文化はローカル色豊かであったのであり、アメリカ人はそこからハンバーガーをみつけだし、マーケティングという手法で国中で同じものを食べさせて膨大な売り上げを作り出すことに成功したのです。
クラシック音楽でなぜそれが必要だったかというと、ナチスのころ大勢のユダヤ系音楽家が亡命してきたからです。知識人には歓迎された。しかし大衆に売れないと彼らは食っていけませんからビジネスする必要があった。ロス・フィルに雇われたクレンペラーは悲愴交響曲を盛り上げて第3楽章で終わらせてくれとマネージャーに頼まれてます。そんな田舎者に音楽は「共通語」だなどとクレンペラーが思ったはずもなく、啓蒙しようという意欲もなかった。うまいこと妥協できてスターダムに登ったトスカニーニは忖度でスーザまで録音し、常識的にはイタリア人に頼まないだろうベートーベンsym全集や、ヒットラーの臭いがするが売れそうなワーグナーも、ドイツ人でない男ならという事でオハコにできた。田舎者に一切の妥協もせず極貧に陥ったバルトークは、クーセヴィツキーの手管でボストン響の委嘱という形をもって「アメリカ人でもわかる」オケコンを書いたのです。共産主義や資本主義という政治とアートの相克はソ連だけと思ったら大間違い、アメリカにも生々しくありました。
そういう事ですからアメリカ人にとってドイツの音楽は良くも悪くも特別なものでした。それは敵国、ユダヤ人問題という要因を論じる以前に、がっちりと胡桃のように固いドイッチェランド(Deutschland)なるものが英米(アングロサクソン)とは本質的に異質だという事に発しています。このことは、日本通の英国人が日本について持っているイメージと通じるものがある。韓国、中国と違うのはそれだと見抜いています。日本人とドイツ人に似たものはかけらもありませんが、総合的、俯瞰的に似たものがあるとするならそれでしょう。僕は16年の海外生活でずっと英語で仕事をしましたが、ドイツだけは公私ともにどうもうまくいかなかった。あの3年はやっぱり自分の中でばりばりと何かを崩したのです。ここでは書きませんが、哲学もプロテスタントも印刷術も科学技術もグリム童話もナチス党も混浴風呂も、なぜあの国で出てきたか確固たる理由がある。したがって、同様に、音楽にもあるのです。
アメリカでマーラーはドイツ語を話すユダヤ人の音楽であり、ニューヨーク・フィルを率いた指揮者の音楽でもある。しかしクレンペラーは「マーラーがどんな人であるかを認識した人は(ニューヨークに)誰もいなかった」と述べ、「アメリカで何が一番気に入ったか」と尋ねるとマーラーは「ベートーベンの田園交響曲を指揮したことだね」と答えたそうです。ここはさすがに悲愴交響曲を知らない西海岸とは違うとも考えられますが、田園がああいう風に終わることを独墺の客は知っていてニューヨーカーは知らなかった、ないしは、本場の大先生が振るものは何でも有難がって聴いたとも考えられます。どちらにせよ彼は自由にオケを使えました。その彼の交響曲を半世紀後のユダヤ系指揮者が次々と十八番にし、ユダヤ資本のレコード会社が商売ネタにして広まりました。カトリックのブルックナーはそれがありません。日本人の朝比奈がシカゴで振ってうける土壌がないのです。僕を含め日本人は彼らの宗教を知りませんからクラシックは高級なエンタメの一部門であり、いわば料理界のフレンチであり、カレーとラーメンで済む人には縁がありません。改宗することもないので僕はカトリック、プロテスタントを「お勉強」することで、カレーもラーメンも好きだけど同じ土俵でフレンチもいいねという付き合いになってます。
だからあれ以来僕はモーツァルトはエンタメとしてつき合うことになりました。ドイツ語を母国語としないアメリカ人のドン・ジョヴァンニを日本人がエンタメとして楽しむ。何国人が作ろうとフレンチは上等であれば美味なのだからそれはそれで結構。楽譜を音にしてもらわないといけない以上は格別に技量が高いシカゴ響にお願いしたいと思うし、そこにモーツァルトが意図してない喜びを発見する余地はあるでしょう。しかし、その姿勢でどんどん遊離して行ってフレンチにワサビが入ったり寿司でアヴォガドを巻いたりするヌーベルなんたらという流れ、僕はあれはまったく受け付けません。食とアートは別物ですが、創造者にリスペクトのないものは型破りでなく型なしです。そういう思想の持ち主なので、エンタメ国アメリカの人間であるキャプランが2番の自筆譜をめくりながら、まるで霊的なオーラがあるかのごとくマーラーという人間を感じ取るビデオの場面は、本当にそれができたかどうかはともかく、演奏家の姿勢としては畏敬を覚えます。だからロンドンでもストックホルムでもウィーンでも、敬意を持って迎えられたのでしょう。
この楽譜に忠実にという姿勢はもちろん日本の音大でもあるでしょうが、聖書が絶対という姿勢に通じるものがあって、単なるテキストは大事にという程度のものでない。宗教的なものがあります。ユダヤ教、イスラム教が聖書に厳格なのは周知でしょう。カトリックでは離婚ができないから英国国教会ができてしまう。プロテスタントも福音派が進化論(=科学)は認めないし、コロナに罹患しようとマスクはしないのです。どれも仏教徒の理解をはるかに超えるものです。作曲家のスコアが聖典であるという原理。キャプランはそれに従い、聖典に対する深い情熱が人々の心を動かしたということです。思い出しますが、韓国人のH.J.リムという女性ピアニストが12才でパリに留学し、感ずるものがあり、ベートーベンの伝記や書簡など手当たり次第に読んだそうです。そこで彼女なりの作曲家の人間像ができ、ソナタをベートーベンの人生の局面局面のカテゴリーごとに分類し、全曲録音した。まったくもって彼女の主観であり本当にそうかどうか学問的にはわからない。しかし誰も反論できないのも事実であり、学問的に知りうる範囲で忠実にやりましたなんて安全運転の演奏よりずっと面白いのです。そう思う人は彼女にリスペクトを持ちます。もっと勉強しなさいなんて書いた日本の音楽評論家がいる。こういう馬鹿な人がクラシックを滅ぼしているのです。
異国人、異教徒の音楽ではありますが、彼女のアプローチは世界で堂々と通用するでしょう。キャプランの手法に通じるものがあるからです。まず作曲家の人間を深く知る。知識だけでなく感性でも霊感でも動員して。そこで初めて記号にすぎない楽譜の行間が読める。資料が乏しいバッハのような人物でも、アプローチのメソッドとして一貫してそうすべきなのです。そういうことは教科書に書いてないし先生に教わるものでもない。自分で体感し創造するものです。アカデミックに正しい古楽器の選択をという博物館長みたいな道よりよほど重要です。演奏する人にその曲、その作曲家への没入と情熱と知識と自信なくして聴衆に何のメッセージが伝わるでしょう?コンテンツの貧弱なプレゼンでは、どんなに構成が巧みだろうと英語の発音が良かろうと、絶対にビジネスはできません。僕にとって異国人のモーツァルトという人間は充分にはわかりかねますが、文字という理性で書かれた手紙はわかる。理性は万国共通です。そこで共通するものを発見して喜ぶ。たぶんリムさんも同じと思います。それだけで演奏できるとは思いませんが、共感する演奏の背景に奏者のそうした同化があるなということぐらいは感じ取れるのです。
クラシック音楽との付き合いという事を考えてきて65才になっています。キャプランのような能も財もありません。相当遅れてしまったけれど、この先にアメリカンドリームがあるんだろうか。自分はどういう人間で、本当は何がやりたかったんだろう?仕事はそれのためにやるもので、仕事がそれというのも寂しい。でも、それを取ったら何も残らない程度の人間である気もします。こういうとき、いつもそうだったのですが、偶然に誰か運命的な人の影響でバーンと景色が変わる。そういうことがまたあるんだろうか。たぶんそれはもうレールが敷かれていて、あるのかないのか、わからないのです。
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トランプ大統領とロッテ選手、コロナと闘う
2020 OCT 7 19:19:17 pm by 東 賢太郎
先だっての米大統領選の討論会をCNNで見ておりました。僕の第一印象は「バイデン氏が予想外にがんばった」でした。世評は「大荒れの罵り合い」「史上最低のディベート」「米国民の恥」など罵倒の嵐ですが、面白かったのは、終了直後、待ち構えたようにCNNのキャスター、コメンテーターが怒涛のようにトランプの罵詈雑言を並べだしたことです。
僕はというと、「バイデンがボロボロにやられる前提でヤラセの援護射撃が周到に用意されていたな」と感じました。バイデンが意外に健闘したものだから芝居の筋書きがズレて舞台裏が見えてしまった。CNNのアンチ・トランプは周知とはいえ、そこまでやるかと逆に民主党の焦りを感じたのです。
「大荒れ」と言っても、それはトランプのキャラであって、だから今更なんだというのが岩盤支持者でしょう。味方にしないと共和党候補になれないとされるキリスト教福音派(エヴァンゲリオン)は聖書を「神の言葉」として理解し、聖書に誤りはないと主張するので進化論は認めない。同性婚、中絶、銃の保持のみならず、エルサレム大使館の移転までそのせいだとなると聖書を知らずアメリカ=科学のイメージをもつ日本人の理解を超えます。この記事に書いてあります。
http://トランプ政権を支える「福音派」の素顔――「エルサレム大使 …
毎週日曜に教会に行って進化論は「家族の絆を引き裂き、家庭を壊すものにほかならない」と子供を教育している。それは科学を認めないという事だから、トランプが科学軽視でコロナ対策を間違えたと批判してもそれがどうした?ということでしょう。以前に米国人の3割は天動説を信じている、よって馬鹿だと書きましたが、改める必要があるかもしれません。トランプはマスクをしない非科学的な馬鹿だという批判は世界中のリベラルにありますが、支持層がそうなのであって、それも同じ理由で改める必要があるかもしれません。
僕は4年前の当選時からトランプを好感してきたし、今もそれは変わりません。良くも悪くも、メキシコの壁まで含めて彼ほど公約を守った大統領はいないからです。言葉が命である政治家にとって、言行一致は憲法第1条です。それもアメリカ・ファーストのたった2語でわかりやすい。これが第2条です。どこの国でも為政者を選挙で選ぶ民主国家では同じでしょう。
彼がコロナにかかった。これだって、彼の「マスクはしない」の信条が宗教から来たかどうかは知りませんが、とにかく科学は無視して本当にしなかった、だから罹患した、つまり言行一致ではあるわけです。3日で病院を出てきた。無謀だ、医学無視だ、気がふれてる。これも同じ理由で、だから何だ?なのです。FOX以外のぜんぶのメディアが「トランプは馬鹿」を垂れ流してます。周囲にウィルスを撒き散らして感染続出だ、犯罪だ。周囲がそう思えば辞職してホワイトハウスに誰もいなくなるでしょう。そうなってない、それだけのことです。
ぜんぜん違う話ですが、千葉ロッテマリーンズの選手11人がコロナにかかってしまいました。ソフトバンクを2ゲーム差で追いかける肝心かなめの大詰めで、よりによってなんでまたと思いましたが、同じく肝心かなめの大詰めにあって厳重に警護されてるアメリカ大統領でもなるんだし、球団もしっかり管理していたのだからそういうこともあるでしょう。逆に、もしもですね、このアクシデントは国民的注目を浴びてるんで、勝ってしまったらロッテの人気は沸騰するだろうと思うのです。むしろチャンスと考えたほうがいい。トランプ大統領も、もし本当に元気になってるなら、復活者好き、スーパーマン好きアメリカンの浮動票が流れるかもしれません。日米で奇しくもコロナと人類の戦いが始まる。どっちもがんばれ。
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安田、ひるんだら負けやぞ
2020 OCT 5 18:18:50 pm by 東 賢太郎
今年は野球観戦はもっぱらテレビですが、1度だけ東京ドームに行きました。阪神戦です。巨人は田口で、遠投を見ていて今日はいいなと予感しました。案の定、138キロぐらいの直球でぐいぐい差し込んで楽勝の完封かなという展開に。7回1失点で替わりましたが、唯一の先頭打者ヒットを打たれていた近本を見逃し三振に取った外角低め、これも138なんですが、観衆5千人のドームに響き渡ったミットの音は雷鳴の如き凄まじさで、プロの球はあんな音がするのかと絶句したのです。遠投はリアルに実感できますが、あの音は人生このかた聞いたことがない。グラウンドにいたら怯(ひる)んで凍ったでしょう。田口を速球投手という人はいません。138は素人でも出るし、後ろを守ってる野手の方がひょっとして速いでしょう。でも彼らが投げれば打たれます。ピッチャーしか投げられないストレートというものがあるのです。
ロッテに移籍した澤村がいい投球をしています。以前に東京ドームで何度か観た彼は150は軽く出ていましたが、一生忘れない田口の138に比べたら全然印象がありません。それが今は様変わりで鬼気迫るものがある。157出る上に、フォークかスプリットか、とにかく変化球が150(!)。あんなものを打てる人間がこの世にいるかと思っていたら、先日テレビで日ハムの渡邊との対戦があって、これが凄かった。全球150超え、全球ファール。フォークも当てる。渡邊は澤村に微塵も怯んでない。ファールが5、6球続いて、明らかに、澤村が追い込まれてる。そういうのはピッチャーの端くれだからわかります。結局、渾身の157を完璧な当たりで三遊間を割られました。ハブにマングース。記憶に残る稀代の名勝負でした。日ハムファンが「直球破壊王子」と書いた紙を振ってるではないか。なるほど、そうなのか。東海大甲府か。一皮むけたらどうしようもない打者になるなあ。でもあそこで120のカーブで三振だったな。澤村はないんだなあ。
ロッテは福田の復帰が大きいように思います。彼は182㎝ですが細身だからか打席でデカく見えます。インコースは引きつけて真芯に乗せて軽く右翼中段まで運ぶ懐が深いスイングで、ホークスにいた時に嫌だなあと思ってました。先日の10月2日、3-2で負けた日ハム戦のことです。21才の若さで4番を任されている安田が、二死満塁で宮西の真ん中低め直球を見逃し三振してゲームセットになった。「この馬鹿、振れよ」と怒鳴って僕もテレビを消したあれ、全ロッテファンがっかりのシーンだったのです。それが祟(たた)ったか翌日も西武のニールに抑え込まれ0-0で延長になだれ込み、10回に澤村がメヒアに一発打たれてロッテは1-0の完封負け。最悪のムードになりました。これはいかん、ホークスはしぶとく負けないしずるずる後退かと思ったのです。
しかし、この試合、一縷の望みがあって、わずか2安打だったロッテの9回、安田がクローザーの増田からセンターフェンス直撃、あわやサヨナラ本塁打という2ベースを打った。彼はこの試合、4の1で三振もありましたが、ぜんぶ振ってました。そしてその翌日の西武第2戦、劇的なことがおきます。安田は3回の二死満塁でまた凡退します。そのまま3-0の嫌なムードで負けていた6回、まず、福田がスリーランで同点。そして、7回。二死一二塁と再度の好機にまた安田。すると福田が近づいてきて二言三言。あとで報道で「怯(ひる)んだら負けやぞ」と檄を飛ばしたと知りました。そして、その安田がスリーランで逆転。漫画でも出来すぎのストーリーで逆転勝ちをおさめるのです。第3戦でも2ベースを打ってお立ち台の安田は、あの日ハム戦の見逃し三振でビビッて考えこんでたら打てなかったろうと思います。失敗はめげずに吹っ切ってやれば、若者は必ず成長できます。
先週たまたま野村の副社長だった大先輩が来社され、ひょんなことからあんまり思い出したくない若気の至りの昔話になりました。海外のディールで僕は本社の課長として国内の営業体に300億円の株の販売予約をさせました。これは営業への僕の信用でやったことです。ところが、あらんことか急にその株の引受がロンドンでキャンセルになってしまい、なんだこれはと大問題になったのです。夜も眠れず、完全にクビを覚悟しました。翌日がっくりしていると、常務が席に来られ「東、一緒に来い」と肩をたたかれます。向かったのは社長室でした。「社長、この件は東の責任ではありません。引受の判断として一切間違ってもおりません。おかしいと言われるなら、私は引受担当常務を辞めます」とおっしゃった。びっくりしました。僕が無罪放免だったのは言うまでもありません。「ひるんだら負けやぞ」は、僕はこうやって叩きこまれました。
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僕のライフワーク(田中平八と真崎甚三郎)
2020 OCT 3 9:09:11 am by 東 賢太郎
だいぶ前に先祖の “天下の糸平” こと田中平八のことを書いたところ、お読みになられた親戚の方から丁重なメールをいただきました。ありがとうございます。
信州の駒ケ根、伊那、飯田を訪問したのは前々職にあったころ、ただ一度です。2006年の秋だったでしょうか、当時、SBI証券副社長でした。伊那支店長に案内されてゆかりの地を回りましたが ”糸平さんの子孫” と紹介されるや何処でも恐縮するばかりの歓迎をいただいたことを覚えています。連れて行ってくれた支店長に、この場を借りて深謝します。
宿は高遠の温泉旅館にとりました。著名な桜の名所ですが秋もよろしく、湯も食事も堪能しました。高遠は武田勝頼の弟である仁科盛信が籠城し織田信忠軍に滅ぼされた激戦地です。勝頼が天目山に敗死してから武田一族は天下に流れ、高遠にほど近い信州赤穂村(現・駒ケ根市)に隠れて藤島を名乗ったのが平八の十七代前だと早乙女貢著「天下の糸平」(文春文庫)に書かれています。メールをくださったのは、その藤島様でした(平八の幼名は藤島釜吉)。
メールによると「来年の渋沢栄一大河ドラマにつき、駒ヶ根地域おこしで駒ヶ根シルクミュージアムで天下の糸平パネル展を行っておりその関係でいろいろと関係者が聞きに来ます」とのこと。行きたかったです、テレビに疎く知りませんでした。健在だったころ叔父が仕切って、母方一族郎等で平八の墓がある横浜・良泉寺、伊藤博文筆の ”天下の糸平”の石碑がある墨田区の木母寺へ参ったりしてましたが、世代が変わるとそれもなくなって寂しく思っていたところでした。
田中平八(1834~1884)は横浜開港と同時に英国人相手に生糸の商売をし、両替商、東京証券取引所発起人、銀行家でありましたが、僕もそれらの業務で家族を食わせてまいりました(ただしまったくの偶然の成り行き)。いまも何の疑問もなくそれをしており、特に外国人と株式取引をすることは、好んで選んだわけではないですがやっていて楽しくて仕方ない天職の域に感じます。
僕は平八の姉の玄孫でDNAは16分の1ですが、学者、官僚タイプでなく根っからの商人であること、それも彼とまったく同じ証券、金融の道で自分の腕一本で食ってきたという自負はございます。渋沢栄一は、彼を古川市兵衛、三野村利助と共に「財界における3傑」と評し、「いずれも無学でありながら、これほど非凡の才能を備えた人を見たことが無い」と評したそうですが、お言葉ですが僕はビジネスの現場で学が必要と思ったことは一度もありません。
平八の生涯は資料が潤沢とは言い難く、評伝はどれを見ても同じことが書かれています。稀代の相場師と喧伝されていますが、商売は仕入も販売も相場でありそれに長けていたのは当たり前です。伊那の農家の三男坊にとって出世のための蓄財のいち手段にすぎずそれが職業のように書かれてしまうのはおかしい。彼は政治家とつながってはいましたが権力に執着は見られず、熱海の水道・電話線を私財で架設するほど財を成し東証の大株主でも銀行のオーナーでもありましたが、座った公的ポストは東京米商会所頭取ぐらいでした。ポストで人を見る日本において評価が定まりにくかった原因はそこにありましょう。
藤島様とは来年にお会いし、 “天下の糸平” の系図や資料を共有させていただき、事績を彼と同じビジネスの目で評価し、できれば何か書き残したいと願っています。これともうひとつ、我が祖母・真崎ミカと2・26事件の陸軍大将・真崎甚三郎のつながりを調べることがライフワークです。
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メンデルスゾーン 交響曲第3番イ短調作品56「スコットランド」
2020 SEP 29 1:01:55 am by 東 賢太郎
秋になるとききたくなる名品のひとつがメンデルスゾーンのスコットランド交響曲です。我が国では彼というと真夏の夜の夢、フィンガルの洞窟、2つの交響曲(イタリア、スコットランド)が浮かび、絵まで画くものだから音の風景画家のように見られます。絶対音楽の方が上等だと信じていた僕も長らくそうでした。しかし、コロナ禍で外出に不自由し、遅く始まった夏があっけなく秋になっていた今年になって、彼の交響曲第3番がえらく心にしみるのです。秋にふさわしい曲だなあとは思ってましたが、なんだか今年は特別だ。ずっと頭の中で鳴りつづけ、異例の年のストレスを食ってくれてる感じがします。こういうものが単なる風景画であろうはずはない。それが本稿になっています。
自作を指揮するためにロンドンを訪れた彼がエジンバラへ足をのばしたのはバッハのマタイ受難曲をライプツィヒで蘇演して評判を得た年(1829年)のことでした。デビュー公演は大成功でした。ヘンデル、ハイドンとドイツで実績のある音楽家は市民に人気があるためザロモンのような興行師に需要があり、フィルハーモニック協会の委嘱で第9交響曲を書いたベートーベンが2年前に亡くなったばかりであることを考えるとロンドンの音楽界が弱冠20才で前途洋々の青年にそそいだ視線は熱いものがあったでしょう。彼もその英国を愛して人生に計10回の訪英をすることにはなりますが、この時、友人の外交官カール・クリンゲマンといっしょに息ぬきのスコットランドに観光旅行に行ってしまったようにあんまり熱は感じないのです。
それはカントにも影響を残した有名なユダヤ人哲学者モーゼス・メンデルスゾーンの孫であり、富豪の銀行家の息子という超セレブだったから他の作曲家と違う、金にも名誉にも欲が薄かったのだと説明されてしまうのが普通なのですが、それだけでしょうか。彼のスコットランド観光はそれなりの目的があったのではないでしょうか。僕は彼が若くして文学に造詣が深く、10代でシェークスピアの「真夏の夜の夢」を題材に作曲していたことに鍵があるのではないかと見ます。ユダヤ人であり最も忌み嫌われた金貸しの息子であるという人生は、現代のセレブのボンボンとは比較にならない重たい十字架を背負ったものではなかったかという推察に至るのです。
まさにこの旅の直前、ライプツィヒでバッハのマタイ受難曲を編曲、蘇演した折に「世界で最も偉大なキリスト教音楽をユダヤ人が復興させた」と評され、対して彼は「キリスト教徒の最も偉大な音楽を世界に蘇らせるには、俳優とユダヤ人の息子が必要だったということになりますね」と答えたことに逆説的なヒントを見ます。一家はプロテスタントに改宗しており彼はルーテル教会で洗礼を受け敬虔なキリスト教徒として育ちましたが、ユダヤ教からキリスト教に改宗した意味合いがある「バルトルディ」という名前を嫌いました。マタイ蘇演という大貢献をしてもキリスト教徒に認められない失望、自身がユダヤ人という誇りを持っていたというアンビバレントな深層心理が十字架だったのではないでしょうか
「ユダヤ人の金貸し」。誰もが思い浮かべる名はシャイロックでしょう。シェークスピアはヘンリー8世の次女エリザベス1世の時代に活躍しました。侍医だったユダヤ系ポルトガル人のロデリゴ・ロペスが1594年に女王の毒殺を図ったかどで処刑された「ロペス事件」は『ヴェニスの商人』に投影され、シャイロックのモデルはロペスと言われています。国家統一事業の完成を目指すスペインは「カトリックによる宗教統一」を成就させるためにユダヤ人追放に乗り出し、キリスト教に改宗した「隠れユダヤ人狩り」が始まります。彼らはポルトガルに逃れ、カトリック、スペインと敵対するヘンリー8世が隠れユダヤ人を「王室の奉仕者」として積極的に雇用したのに乗じて英国に流れます。その出世頭がロペスだったのです。
メンデルスゾーンはユダヤの出自を公言しましたが、ファミリーは隠れユダヤ人として生きることを志向していました。彼は女王エリザベス1世のイングランドにどんな感情を持っていたでしょう。ロペス事件は実は濡れ衣で、スペインに対する英国民の敵愾心を煽り立てるために宮廷内の主戦派によって捏造され、そこに古来より英国にあったユダヤ人排斥思想がスパイスとして乗せられた。だからロペスだったのだという説は真偽不明のようですが、『ヴェニスの商人』はシェークスピアがその不条理に反駁しユダヤ人の思いを代弁するために書いたという別の説の方は、事件の2年後に書かれたのだから可能性はあるのではないでしょうか。メンデルスゾーンが少年時代からシェークスピアにシンパシーを持ち「真夏の世の夢」を書いてもおかしくないと思うのです。
さて、そのエリザベス1世が処刑したのがスコットランド女王のメアリー・ステュアートです。1587年でした。前者はヘンリー8世の娘、後者はヘンリー8世の姉の孫という血を血で洗う権力闘争です。発端はメアリーが秘書ダヴィド・リッチオを間男にし、怒った王が彼を宮殿内で惨殺したことです。ところがその後に王も不審死を遂げ、メアリーは殺害の首謀者と噂された男と結婚したために国民から不人気となりイングランドに亡命しますが、イングランドの王位継承権を口にする。それがまずかったのです。ところで、文学素人の素朴な疑問ですが、こんなに刺激的な事件をどうしてシェークスピアは戯曲にしなかったのだろう。書けなかったのでしょうか、事が大きすぎて。その7年後にロペス事件が起こります。
メンデルスゾーンは初めてのエジンバラで「何もかもいかめしく頑健で、街は半ば薄煙か霧の中のようだ」、「(バグパイプの音楽は)悪名高い野卑で調子はずれのクズである」と書いています。あんまり気に入っていない。私見では、そんな彼が目的を持って訪問し、インスパイアされたのはスコットランド女王メアリー・ステュアートが居城としたホリールード宮殿であり、彼女の凄惨な運命であり、死刑を執行したエリザベス1世であり、自ら十字架を背負う隠れユダヤ人の問題だったロペス事件であり、それをオブラートに包んで世に問うた『ヴェニスの商人』、つまり、シェークスピアだったのだと思います。彼はホリールード宮殿で、秘書ダヴィド・リッチオが57か所のめった刺しで惨殺された部屋を訪れています。
そして、彼はホリールード宮殿の隣りにある寺院の廃墟にたたずみます。「すべてが壊れ、崩れかかり、明るい空が光っている。今日この古い寺院で私はスコットランド交響曲の冒頭を思いついていた」と、後に交響曲の出だしのテーマとなる10小節を書き留めた。
この交響曲を着想した翌年に彼はイタリアを訪れて作曲を続けますが、「スコットランドの霧がかかった雰囲気を想起するのが難しい」と中断し、完成に13年を要しました。その間に書いたのが第4番のイタリア交響曲ですが、これも改定を重ね、特に終楽章は気に入らず書き直す計画のまま亡くなりました。それが現行版です。想像になりますが、長調で始まり同主短調で終わるのがどうかという問題提起が心にあったのではないでしょうか。
一方、完成させた最後の交響曲である3番のスコットランドも、曲想のまま進めば終楽章はイ短調で終わるのが自然に思うのです。ところが、彼は最後を締めくくる部分にまったく新しい素材としてイ長調のエピソードをコーダとして入れています。若い頃に初めて聴いた時から、僕はこの終結がどうにもしっくりきませんでした。
後に歴史を勉強し直して、本稿に縷々書いてきたことを学び、最後は彼の心の十字架に思い当たりました。その彼ならば、このハッピーエンドはあり得ないと思うのです。
つまり、僕の心の矛盾を解くにはこう考えるしかない。20才の迷える心を持った青年だった彼は短調で終わらせたろうが、33才になってライプツィヒ音楽院まで創設しようという大御所になった、ユダヤ人であることなどものともせずに生きて行けるようになった彼は聴衆を喜ばせることを考えたということです。メンデルスゾーンは7度目のイギリス訪問を果たした1842年にロンドンで初演し、バッキンガム宮殿でヴィクトリア女王に謁見した際にこの曲を女王に献呈する許可を得ました。献辞付きの楽譜が翌1843年に出版されています。イ長調部分は英国王室への敬意を表す「エンブレム」だったと僕は考えるのです。
だいぶ後になって、恐らく同じことを考えた指揮者がいることを知りました。やはりユダヤ人のオットー・クレンペラーです。彼がフィルハーモニア管を振った幻想味と重量感のあるEMI盤を僕はずっと愛聴していますが、イ長調部分の聞きなれない遅さはmaestosoではあってもallegro assaiではありません。このテンポは、僕と同じことを感じている彼が苦渋の解決策として採ったものと思います。
さらに後になって、驚いたことに、クレンペラーは別な演奏で、問題のイ長調部分をばっさり切り捨ててイ短調で静かに終わらせていることを知りました。これを皆さんはどう考えるでしょうか?
僕は基本的に演奏家によるスコア改変には否定的です。改変どころか切ってしまうというのはもはや編曲であります。しかし、僕はこのことを知ってクレンペラーに心からの深い敬意を感じるのです。彼はスコアを、表面づらの音符だけでなく、作曲者の心の背景を奥底まで読み取っていると思います。イ長調をクレンペラー並みに遅めのテンポを取ったのはコンヴィチュニーです。これも慧眼と思う演奏です。しかし、ほとんどの指揮者はいよいよコーダだとばかりにそれより3割も速いテンポで疾走し、ひどいのになるとミュンシュのように最後にアッチェレランドまでする。
困るのは、これを挿入した作曲家の意図からすればカラヤンやミュンシュを一刀両断にはできないことです。だからクレンペラーは切ってしまった。作曲家が書いたわけではないが、彼のイマジネーションで20才の「初版」を作ったのです。まあやりすぎです。でも気持ちは100%わかる。涙が出るほど感動してます。もちろん付け焼刃の思い付きではありません、メンデルスゾーンに対する深い愛情です。ユダヤ人の十字架を知る者の。彼亡き後、こんなことができる指揮者がどこにいるでしょう?
その演奏、バイエルン放送交響楽団を1969年に振ったものです。
もうひとつ、僕が好きなのはペーター・マークです。彼がロンドン響を振ったDecca盤は長らく人気を保っていますが、若い頃で少し熱がありすぎる。ややクールに暗い部分にも意を用いたマドリッド交響楽団との演奏は中々です。コーダのイ長調も、ぎりぎり速くないテンポで抑えており指揮者の良識が感じられますね。ヘンリー8世、エリザベス1世に敵対したスペインのオーケストラの人たちが3番をどういう気持で演奏したのか?音楽はヨーロッパの歴史の一断面です。面白いものだと思います。
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僕の愛聴盤(2)
2020 SEP 27 13:13:23 pm by 東 賢太郎
チェルミナーロ氏のビデオ。
次に、やはり1度目にこう書いてくださったSacred Tarot氏。
Nobody conducted Daphnis et Chloe like Boulez. I was lucky enough to hear him conduct it twice in concert, first with The London Symphony Orchestra and London Philharmonic Choir, and secondly with the BBC Symphony Orchestra, Chorus and Singers. I remember reading an interview with him where he was asked about his career highlights. The first he mentioned was making this recording with the New York Philharmonic. If I could only have one recording of Daphnis; my favourite piece of music, it would without question be this one .
インタビューで「ご自身の(指揮者としての)キャリアの頂点は?」と尋ねられたブーレーズは、「複数あるがニューヨーク・フィルとのダフニス録音の頃がその最初のものだ」と答えたとある。「ダフニスを彼のように振れる者は他にいない」Tarot氏のご説に同感だ。ちなみに、僕の「最高のダフニス」は94年にブーレーズがベルリン・フィルを振ったものだ。彼の顔を右横から見おろす位置の席で、同年のカルロス・クライバーのブラームス4番のちょうど反対側だった。あんまり良い席ではなかったがオケのすべての音を味わい尽くした、というのはフィールハーモニーが音響のよいホールであることもあったが、なにより演奏の質が、もしライブ録音したらCBS盤に遜色ないほど細部にわたって ”完璧” だったからだ。
今になってその理由がわかったように思う。チェルミナーロ氏のようなワールドクラスの凄腕プレーヤー達がブーレーズの耳と指揮に心服し、しかも録音が商業的に成功してしまうことを知っていたからモチベーションも高かったのだろう。「ミスしない」ことのプライドを氏はコストにひっかけて説明され、プロだから当然と思われてしまうかもしれないが、一流二流の差はミスしないことだと僕は思う。スポーツでも将棋でも料理でも受験でも仕事でも、「ワタシ失敗しないので」の外科医でもなんでもそうだ。106人の一流奏者がその緊張感とモチベーションでやれば立派な成果は自ずとついてくるだろう。心の底から深い満足と興奮を得たのが忘れ難い。残念ながら、あれが人生ベストになるだろう。
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僕の愛聴盤(1)
2020 SEP 26 0:00:36 am by 東 賢太郎
youtubeに我が愛聴盤を載せています。趣味の違う方も多いでしょうが、時折、それが一致していそうなコメントをいただきます。世界中のそういう方と巡り合う旅はとても楽しいものですね、よくぞわかって下さった!と快哉を叫びたくなるものもございます。これから少しづつ転載させていただきますので、ぜひ皆様ご自身の感じ方と比べてみてください。
①ドヴォルザーク交響曲第7番(ハインツ・ボンガルツ / ドレスデンPO)
Eric Zuesse氏
the greatest-ever recorded performance of this masterpiece from Dvorak. It’s one of the two best recorded performances by Bongartz, the other being the Bruckner 6th.
②プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第1番(ルッジェーロ・リッチ / ルイ・フレモー / ルクセンブルグ放送SO)
Alex Saldarriaga氏
One of the most innovative and unique interpretations of this work that I’ve ever heard. The interplay between violin and orchestra was exemplary. Ricci captures the hypnotic, dreamlike character of this work. And the incisive use of his bow bordered on the miraculous. He truly is a wizard and his delivery of this concerto is a work of sorcery.
③ベートーベン交響曲第4番 (ミヒャエル・ギーレン / 南西ドイツ放送SO)
qi zhaiteng氏
迷ったらギーレン先生に聴け。回答はそこにある。贅肉を削ぎ落とした知的な清貧さこそギーレン先生の本領だった。 If you get lost, listen to maestro Gielens masterpiece. The answer is there. The intellectual poverty that cut off the luxurious meat was the essence of Geelen.
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クラシック徒然草《カルメンの和声の秘密》
2020 SEP 22 14:14:39 pm by 東 賢太郎
前稿で1分で終わる「NTVスポーツ行進曲」のインパクトについて書きました。しかし、それをいうならこれを書かないわけにはまいりません。カルメン前奏曲です。主部はたった2分ですが、万人をノックアウトする物凄さ。僕はこれを中学の音楽の授業できいて「クラシックはすごい!」と衝撃を受け、この道にのめりこんだのです(もりや先生ありがとうございます)。
まずは聴きましょう。
この前奏曲にはベンチャーズやビートルズしか知らない耳には奇異に聞こえる部分がありました。そのころまだピアノが弾けません。ギター(これはマスターしていた)でさらうと考えられないコードが鳴っているのです。囲いの部分です。
中学生の僕に楽譜は読めません。しかしポップスのコード進行ならいくら珍品のビートルズのIf I FellやI Am The Walrusでも、Hard Day’s Nightの始めのジャ~ンも難なく耳で書き取れたので結構上級者だったでしょう。なぜならギターを通じて「バスを聴け」の大原則を発見していたからです。これは今でも音楽鑑賞に耳コピに、絶大な威力を発揮しています。ご興味ある方はこちらのレッスンをやってみてください(音楽の訓練を受けてなくても誰でもできます)。
ところが、無敵なはずの大原則がカルメン前奏曲には通じなかった。当時の僕は「うぬぬ、おぬしやるな・・・」と固まってしまうしかすべがなかったのです。イ長調の主題がそのまま4度上のニ長調になり、たった3拍でイ長調に戻す部分なのですが、トロンボーンとバスーンでよく聞こえるバスがいけない、奇矯だ、と思うのはコンマ何秒のことで、あっと驚く間もなく E7 になって、なに驚いてんの?とあざ笑うように A (ニ長調)に復帰してブンチャカ始まっているのです。野球をしていて「手が出なかった見逃し三振」というのは最高に悔しいのですが、ここは、140キロぐらい速い上にググっと予想外の変化もして「ストライク!」と言われる感じがする。気になって眠れません。
このおかげ、悔しさのおかげで、僕は楽譜が読めるようになったのです。
そこで何が起こったかというと、「どうしてだろう?この『変だ』という感覚はどこから来てるんだろう」と即物的に解明を試みたわけです。そこで実験道具である楽譜を買います。対象部位を特定します。バスが d → g#→c#と動くことをつきとめます。『変だ』の理由を探します。わかりました。d → g#が増四度だからが解答でした。こんなのポップスには出てこない「見たことない球」だったのです。g#→c#のほうは完全4度のあったりまえのもので、急にぎゅんと曲がってあとはまっすぐという変化球です。
となると、打席で「うわっ」とびっくりして手が出なかったのは g#に乗ってる和音だ、こいつが曲者だったとロジカルに追い詰めることができるのです。
正体見たり。こいつはワーグナーやブルックナーによく出てくる “g#,h,d,f#” で E9 のバス e を取って g#に置換したもの。コード記号で簡略に書くとD⇒C#⇒E⇒Aでイ長調に帰る。Dを半音下げるのはまことに強引で、そこで間に緩衝材としてこの和音をはさんでいます。 Bm6 とも書けてしまうがそのおまけの 6 (g#)がバスに来てしまってトロンボーンとバスーンで我が物顔に鳴るから Bm6 とは別物の倍音を撒き散らしている、つまり、ビゼーはこれを「たった3拍でイ長調に戻す」舞台回しの大トリックの要諦としたと思います。その証拠は上掲のピアノ譜にありますので解説します。よ~くご覧ください。
これはビゼー自身の編曲ですが、この増四度を変だと聞いてしまう僕のような輩がいることを危惧し、イ長調が元々の設定なのだから本来は書く必要ない # をわざわざ g につけているのです。一瞬の浮気で転調しているニ長調は g に#はない。きっとアホな演奏者がいるだろうなあ、♮されかねないなあ、この#が本妻のイ長調復帰の狼煙になるんだよなあ・・。彼は初演直前になって「アタシ、カルメンよ、ちょっとぉ、こんな歌ばっかりじゃ見せどころないじゃないのよぉ」とごねるくそうるさいプリマドンナに13回も書き直しを余儀なくされ、イラディエルのハバネラ《 El Arreglito》なる作品をぱくって「ハバネラ(恋は野の鳥)」を書いてやりました(民謡と思っていたらしい)。そんなおおおらかな時代だから変位記号の見落としなんて平気にあったろうし、彼がマーラーやチャイコフスキーに並ぶ完全主義のmeticulous(超こまかい)人間であったことをうかがわせます。まあmeticulousでない大作曲家はいませんが。
後にカルメンは全曲が肌から浸みこみ、もはや血管を流れるに至っています。ぜんぶ音を諳んじているオペラはほかには魔笛とボエームしかありません。そこに至って、和声のマジックはここだけではないことがわかってきました。例えばジプシーの歌です。これは実に凄い。和声の万華鏡である。お聞きください。
余談ですがこのメッツォ、ギリシャ人のアグネス・バルツァですが、このプロダクションはメット(レヴァイン)とチューリヒ歌劇場(フリューベック・デ・ブルゴス)で観て強烈な演技と妖艶さに圧倒され、もう誰のを観ても物足りなくなってしまったのは困ったものです。
驚くのはここ、ラーラーラーラララララーです。
バスはずっとe (オスティナート)で、Eaug、A、D#、E、C#、F#m、B7となるのです。このビゼー版は C# のファ音が入ってないのが不思議ですが、僕がテキストにして
いる Schirmer Opera Score Edition (左)では入れてます。こういうところ、ビゼー版は一筆書きの風情で声部が薄いのでバスと短9度(または短2度)でぶつかるファは略したのか、あんまり気にせず勢いにまかせてスイスイ書いたのか。頭ではファが鳴っていたわけですね、なぜならオーケストラ・スコアでは第2ヴァイオリンがミ#を、チェロがファ♮を弾いているからです。ともあれ、この部分のコード・プログレッション、頭がくらくらします。バルツァのラーラーラーも男を酔わせて三半規管を狂わせますが、それ以前に彼の書いた尋常じゃない音符にくらくらの秘密があるのです。
例えば、出だしは並みの作曲家なら E なんです。ところがビゼーは曲の頭なのにシを半音上げてド(増三和音)にしちゃうわけです。なんという効果だろう!不条理に生きる女、カルメンの妖しい色香が匂い立ってくるではないですか。降参。このスコアはどこを弾いてもかような感じで唸るしかないのですが、前奏曲とこれはとりわけカタルシスが得られます。麻薬です。モーツァルト級の天才であったビゼーはこれを書いて36才で心臓発作であっけなく死んじまったのでなんだか一発屋みたいに見えますが、とんでもない。音楽史を俯瞰すると、ある日突然にぽこんと突然変異のように “あり得ない作品” が生まれるのですが、これはそうでしょう。まあ野球なら王、長嶋、金田、イチローみたいなもん。この人たち図抜けすぎていて「2世」といわれる存在が出てきませんが、魔笛、エロイカ、トリスタン、春の祭典もないのです。カルメンも後継がないですね、こういうオペラを作曲家なら誰だって書きたいはずだけど、やれば見え見えの猿真似になってしまうでしょうね。
ただし、ひとつだけ、アレキサンダー・ボロディンはカルメンを研究したかもしれないという仮説を書いておきます。猿真似にならんようにエキスだけ盗んだかもしれない。というのは、いろいろ発見があるんですが、例えばジプシーの歌を弾いていて、ある箇所がダッタン人の踊りの半音階和声進行に似ている(音というよりも指の動きがというのが深い)と思ったのです。オペラ「イーゴリ公」は未完で1887年の死の年まで書かれていました。カルメンのオペラコミークでの初演(1875年)は先進的すぎて成功しませんでしたが、同年のウィーン公演は当たりました。ワーグナーが称賛し、ブラームスは20回も観た(!)うえに「ビゼーを抱擁できるなら地の果てまででも行ってしまったろう」と言ったそうです(もう亡くなってたんですな。こういうところ好きだなあ、ブラームスさん)。その後数年のうちにロンドン、ニューヨーク、ザンクト・ペテルブルグなどで広く演奏され、全欧州で有名になったこのオペラをちょくちょくドイツ(イエナ大学など)に来ていたボロディンが聴かなかったと考えるのは無理があるでしょう。
ボロディンは交響曲第2番を1877年に完成しましたがその後もオーケストレーションなどを推敲しています。
この稿に、
このチャーミングなメロディーが10小節目でいきなり半音下がる!!こんな転調は聴いたこともなく、一本背負いを食らったほどすごい衝撃です。
と書きましたが、さきほど、
D⇒C#⇒E⇒Aでイ長調に帰る。Dを半音下げるのはまことに強引で・・・
と書いたわけです。そして、交響曲第2番を締めくくる一撃は、ジプシーの歌の最後のドカンそのものであるのです。お確かめください
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ラヴェル 舞踊音楽「ダフニスとクロエ」(全曲)(ピエール・ブーレーズ / ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団)
1度目のアップですぐ、
「すばらしい!今日の朝食が何だったか忘れてる私が、40年前のこの録音のことははっきりと思い出せるのです」
とコメントを下さったのは、まさにこのダフニス録音で1番を吹いているニューヨーク・フィルの首席ホルン奏者、ジョン・チェルミナーロ氏(http://John Cerminaro – Wikipedia)だった。NYPOでラインスドルフ、メータ、ブーレーズ、後にロス・フィルに移籍してジュリーニ、プレヴィンの下で首席を務めた世界的奏者だ。
John Cerminaro氏
Fascinating! I can’t remember today’s breakfast, yet vividly recall this recording over 40 yrs. ago! It shot off the charts like a meteor, lots of awards (Grand Prix du Disque, etc.) & won Andrew Kazdin & CBS records “Best of Kind” status nearly overnight. One of my own joys: At $2.50 per second (w/106 musicians) i only needed one take for all the touchy stuff..the lonely opening solo at 1:06, or that 3-octave lip-slur to high-C at 13:99..notorious for multiple takes, but could see Pierre & Andy beaming in the booth during replays! One horn player can single-handedly carry a session into double-digit overtime. Even so, my luck held for all our 1970’s hit parade discs! Cheers to anyone left from the ol’ glory days! Ciao & shalom… JC
意訳
この40年前の録音は発表されてあっという間に流星みたいに数々の賞を総なめにしました。私が個人的に嬉しかったことですが、この曲はホルンに著名なソロの難所があり、撮り直しで10分以上も食うのがざらです。106人の奏者を雇っての録音経費は1秒で2ドル50セントもかかりますが、幸いに私は一発でうまくいき、ブースでリプレイを聴いていたブーレーズとカズディン(CBSのプロデューサー)が微笑んでいるのが見えました。私の幸運は70年代(訳者注・ブーレーズ時代である)のヒットパレードディスクの録音でずっと続いてくれました。