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安い女

2020 SEP 20 14:14:17 pm by 東 賢太郎

「ワタシ、そんな安い女に見える?」。どういう成り行きだったか、言われてぎょっとしたことがある。いつどこだったのかさっぱり覚えがないからひょっとして夢だったかと思うが、たぶんそうじゃない。女が酔っ払っていたのを覚えてるからだ。いくら若いころでも見知らぬ酔客を口説くなんてことは僕はない。しかし、それなら、じゃあなんだったのか、まったくわからないのである。

安い男ってのはない。男の価値はカネで測れない暗黙の了解があって、口にしたら血を見るかもしれない。もちろん女だってそうなのだが、それを自らぶち破る言葉が飛び出したものだからぎょっとしたのだ。およそ品はないが今になってなかなかハードボイルドである、アイリッシュの幻の女はきっとそんなだったろうという気がしないでもない。

なぜって、「安い」というところに有無をいわせぬインパクトがあるではないか。「兄ちゃん、わて、そんな安もんとちゃいまんねん」こう来たら笑って返すのだ。「おおこわ、高うつきそうでんな」。大阪は都構想が無くても一個の国である。商都文化の蘊蓄でできた大人の練れまくった会話が街でも漫才でも並立する。東京の人間関係は浅薄なもんだ、この会話が成り立たないのだ。

「罪と罰」で高利貸しの老婆を殺したインテリ頭のラスコーリニコフに罪を告白させ自首させるのは、他の誰でもない、売春婦のソーニャである。ロシア正教を盲目的に信じる無知な女だが、地球が太陽を回ってることを知らなくても女は男を動かせる。もしも僕が演出家でこの劇をやったら、インテリ頭は東京弁に、ソーニャは迷うことなく大阪弁にする。

東京ドームで阪神戦を観ると、あなたは7回の表と裏に2度、古関裕而の名曲を聞くことになるだろう。「六甲おろし」と「闘魂こめて」である。福島生まれの作曲家が音で描いた大阪と東京にどちらのファンも何ら違和感なく浸っているが、そんなのはかわいいもんだ、彼は国家も描ける。「東京オリンピックマーチ」である。まさにTPOを心得たモーツァルトの職人技だ、感嘆するしかない。

甲子園に鳴り響く勝利チームの校歌はあまりにつまらなくていつも早く終わらんかなと思ってる。2,3分で限られたコード進行でやれというのも無理があろうが、大方が作曲が素人くさい。安いのである。かたや、こういうのを我々は知っている。本邦音楽史上、最高傑作の一つである涅槃交響曲の作曲家、黛敏郎のNTVスポーツ行進曲だ。

たった1分。それでこのインパクトである。校歌ではないが条件は一緒だ。その昔、プロ野球は巨人、巨人は日テレだった時代、この曲を聴くと胸が高鳴った。サビの部分があって普通そこまで行かないが、このビデオのメインテーマの1分で心拍数が2,3割増え、しかも、何度聴いても飽きないのである。そういう音楽をクラシックと呼ぶのだ。要するに、高い音楽である。

この「題名のない音楽界」は今もやっているが素晴らしい番組だ。大衆は安い音楽しか知らない。高い音楽の一端をわかりやすく教えてくれ僕もとても勉強になったが、収録当時の会場にいる聴衆もこうして見るとそこそこレベルが高そうだ。紅白歌合戦とは違う。黛さんは「スポーツなんかいらない」とのたまわっている。僕はそうは思わないが、音楽家にはきっといらないだろう。というより、サッカーもやりますロックも好きです実はオモロイ人ですよなんてのは、本当にそうなら結構だが、大衆に寄せようという醜い欺瞞以外の何物でもない。

「ワタシ、そんな安い音楽家に見える?」

モーツァルトはいつもそう言いながら欲求は満たされず死んだが、その音楽は高かった。ゴッホの絵は生前は数枚しか売れなかったが、けっして安い画家でなかったことが後日わかる。

大衆に寄せようという欺瞞を盛大に執り行っているうちに、存在そのものが欺瞞な人の集団になってしまったのが今の日本国の政治だ。したがって、後日になればなるほどその安さが見えてくるだろう。

「ワタシ、そんな安い政治家に見える?」

吹けば飛ぶような安い、騒音でしかない常套文句を選挙カーから垂れ流して実は組織票だけ狙ってるアナタ。とっても安いですね。

ヘタすると、あと2,30年もすれば、日本が安い国になってしまわないだろうか?スポーツ行進曲に拍手していた年輩の聴衆の大半はもう世におられないだろう。文化が世代と共に廃退するなら危険だ。強く主張するが、政治は若い世代にまかせるべきである。爺いは退場だ。当たり前だろう、我が世を謳歌した世代が使いまくった膨大な債務を背負うのは彼らだからだ。そして、我が世代は、文化を継承するのである。コロナに負けて灯を消してはいけない。

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菅新総理とドストエフスキー

2020 SEP 19 13:13:53 pm by 東 賢太郎

東賢太郎のブログの閲覧数(PV)が600万を超えました。御礼申し上げます。500万になったのが今年の3月ですから、年間閲覧数200万ペースになりました。対等な比較にはなりませんが雑誌の年間発行部数は週刊文春58万、女性セブン33万、週刊ダイヤモンド11万というところです(一般社団法人日本雑誌協会、2018年10月1日~2019年9月30日)。

菅新政権については意見はありますが、まずはお手並み拝見が礼儀でしょう。安倍では勝てないと踏んだ派閥の長、そして脂っこい諸々案件の火消しを握って欲しい安倍氏の利害が菅支持で合致したのでしょう。派閥政治というが、そもそも公明とくっついている自民に理を求めてもナンセンスです。

経営、スポーツといっしょで、政治家は「やってナンボ」であります。理はどうでもよろしい。僕は初めのころ理でビジネスができると思っていてたくさんの失敗をしました。学校の勉強は理でなんとかなる。そうはいかないものの方が10倍も難しいというのが感想です。政治はもっとそうなのでしょう。

安倍政権は外交(トランプのたらしこみ)と金融(じゃぶじゃぶ緩和で景気もちこたえ)でうまくやりました。高く評価します。結果を出したから、理は通ってませんがどうでもいいのです。結果が逆だったなら、もっとどうでもいい千の屁理屈で叩き潰されたからです。それを理というなら曹操の理であります。

僕が戦国武将譚やヤクザ映画のファンなのは「やってナンボ」こそ人間が事を成すプリンシプルだからです。それがわかってないと、何も成すことはできません。勝てば官軍といいたいのではなく、能力や知力があっても、どんな小さなことであれ最後まで完遂する人でないと勝者にも官軍にもなれんということです。

ネットフリックスで松本清張の「黒革の手帳」と黒川博行の「後妻業」にはまりました。なまじの任侠物より濃い、「やってナンボ」を地で行く女の業の深さが出てますね(米倉涼子、木村佳乃)。とんでもないワルだけどこういう女はある意味で人間らしいと思います。ドストエフスキーの世界で。

こういう切り口で人を見てしまうのはカネの世界に生きてきた僕の業でもあるのですが、だからこそ、「やって」の部分でラスコーリニコフになったらいかんという人の道は大事と思うのです。菅新総理には多くの「ナンボ」を期待してますが、そこをどう生きて行かれるか、お手並み拝見というのはそのことです。

 

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魅力ある株を探しだすことは最大の趣味

2020 SEP 13 1:01:11 am by 東 賢太郎

ソナーという社名はソナー探知機からとった。それは僕の最大の趣味が、魅力ある株を探しだすことだからだ。野村時代にドイツでSAP、香港で超大現代農業という株を見出し、どっちも株価は10倍になった。飲み屋で中国人のお姉さんに儲かりましたと感謝されたが、一介の証券マンが世間様のお役にたつなどその程度のものだ。中国人もアメリカ人も不労所得はいかんなどと辛気臭いことを言わないのは実にすがすがしい。労働は尊いものだという価値観が日本にはあるが、キリスト教国では労働は悪であって、だから早く帰宅するし休暇も1か月も取る。ドイツ人などその最たるものだ。別に日本の文化にケチをつける気はないが、だからといってお金に働いてもらうのがおかしいということはない。この妙な考え方がコロナ経済下で二極化批判のダシに使われるなら人生百年時代の日本国民の資産形成には絶望的な話だろう。

僕は勤勉実直でお堅い銀行員の息子である。「アリとキリギリス」や「小原庄助さん」の訓話で育ち、二宮尊徳は偉いと教わり、「学生の仕事は勉強だ」といわれて官僚養成所の学校に進んだ。労働が尊いと思うようにはならなかったが、食うために働いて自助努力するのは当然という価値観はできた。そこまでは親父の計画通りであったが、無計画にアメリカへ2度行って放浪し、本能に従って進路を勝手に決めた。計画からは180度ずれ、親不孝になってしまった。なぜあんなに熱病みたいにアメリカへ行きたかったのかは長らく謎だった。どういうわけか、ほんとうに忘れてしまったのである。ずっとベンチャーズの影響だろうと納得していたが、ちょっと動機としては弱いと思っていた。ところが先日、CS放送で刑事コロンボをやっていて、「これ、夢中になって見てたよなあ、こうやって犯行がバレるんだよなあ」となつかしく思い、いつごろだったかなとwikipediaでシリーズの初回放映日を調べてみたら、まさにあのころだ。そうか、これだ。

思い出した。成功者でセレブである犯人たちの大豪邸だ、それが頭に焼きついたのだ。やっと合点がいってくる。なるほど、だから最初に行ったのが西海岸だったのか。あれに憧れて渡米し、ハリウッドやビーチの豪邸を眺め、ああいう生活ができる富がほしいと思って帰ってきたのだった。劇的なカルチャーショックだったのは、アメリカのセレブに官僚やサラリーマン出身はいないことだ。会社を興した事業家であり、歌手やスターであり、スポーツ選手であり映画監督であり、弁護士や医者であり、何であれ才能で輝いて自営業で自由に生きてる連中だ。そうでなければMBAをとってウォールストリートでサラリーマンとして高給を取って元手と人脈を作って勝負するわけだが、これは才能がないほうの連中の道だ。

そういうことをカリフォルニアで現実に見知って、ウチに資産はないから自分で稼がなくてはいけないと思った。なんのため?ああいう家に住むためだ。男の人生最終の通信簿はどんな家に住めるかだと思うようになった。あんまり子孫の名誉にもならない話だが、僕はそんな動機でなんとなく進路が決まってしまったことは否定できない。菅さんが上京して段ボール工場で働きながら天下国家を動かす道を志したと聞くと恥ずかしくなる。しかもサラリーマンという一番なる気のないものになったわけで、その理由はといえば何の才能もなかったからだ。才能というのは先にあるのではない、やってから、あったねとなる。だから何もしなければないし、やってみないとあるかどうかは誰にもわからないのである、などと今になって慰めてもいるが。

最大の趣味が魅力ある株を探しだすことだと知ったのは野村證券に入ってからだが、日本のウォールストリートで富を作りたいのだから当然だろう。10倍になる投資というと株しかない。1、2割もうかるなどという話にはさっぱり興味がなく、30年も証券マンをやってきてお客さんに債券を売ったことは一度もない。こういう人間にとって、個人営業で大坂を駆け回った平社員時代は楽しかった。君は面白いやつだと、小僧が絶対に会う事もできない大物のお客さんたちにかわいがってもらったからだ。そこで株式投資を通して生活やお金への考え方や処世術をじっくり学ばせてもらい、実は素顔は名刺からは想像できない普通の人だという事もわかった。

役員や拠点長になりたくて頑張ったからサラリーマンはやっていたわけだが、その動機は出世すれば大いに給料が上がるからである。しかし、なってみるとそれでは足りない。トップになっても大したことはないだろう。すると、職務規定で株を買えないという本末転倒は人生のゴールに向かうにはナンセンスだったし、自己都合の退職はいずれ来るべきものだったと思う。起業が絶対だったわけではない。デイトレーダーでもよかったが、出資してくれる方が現れそれはなくなった。人様の資金を増やすとなるとひとりでは弱いからだ。そこでSくんに出会ったことは幸運だった。渋谷の中華料理屋で初めて会って、彼と会社をやろうと即決した。同じ趣味の持ち主だったからだ。

生命保険会社で運用キャリアをスタートしたSくんは儲かる株を探す求道者でありマイスターである。何時間語り合っても疲れない、そこが同じなのだ。こういう仕事はいい意味でオタクでないとできない。Sくんがやって資金は3倍になったがこれは偶然でも不労所得でもない、あらゆる経験と知恵を使って労働して出た利益である。だから報酬は相応に頂くしお客さんにご満足いただける。知恵の勝負で労働が見えにくい金融業は成功して顧客満足があってナンボだ。成功報酬なるものを成功率5割の人がもらう資格はない。一発屋がビギナーズ・ラックでもらえるものでもない。満足な結果を5年以上継続して出すのは統計的に至難とされる。彼は20年も出している。説明はいらない、それがすべてだ。

僕に彼の才能はない。ただ彼が異能の人だと見抜くことはできて、組む利があると判断した。彼のほうはデイトレーダーでも問題なく食えるが、なぜ僕と組んだかというとそのほうが利があるからだろう。彼の利と僕の利は中身は同じではないだろうが、会ったときに1+1が2以上になるとお互いが思ったということだ。パートナーシップ、成功するwin-win関係とはこういうもので、こと人に関しては直観、第一印象を大事にしている。見かけや服装ではない。話してみないとわからない。どんなに家柄や履歴書が立派でいいと思っても、僕は理屈ではなく決める。どうして自分がそうしたか自分にも説明はできないが、それに逆らわないことにしてきて失敗してないからそれでいい。

だいぶ後になって執行役員のKくん、Dくんが加わった。基幹の業務ラインが2つになって大臣がもう一人必要となり、経営全般に官房長官が必要になったからだ。僕はプロ野球のスカウティング以上に学歴を見ないが、結果的に慶応4人、東大2人になった。非常に満足なのは9人に重複がなく特技がクリアに違うことだ。僕自身もプレーヤーのひとりであり、名刺には社長兼CEOとあるが対外的にそういう “配役” を演じているということにすぎない。では対内的に指揮者かというと、9人が同じ曲をやることはまずないからそうでもなく、僕が指揮台に立っていると客席が埋まるという意味でだけ指揮者だ。

この「ゆるい」組織は気に入っている。全員がプロのプライドと時間を持てるし、貢献度に応じて利益配分を受けられる。なぜそうしたかというと単純で、若いころ自分がそういう会社に入りたかったからだ。こうすれば専門性の高い人のモチベーションとパフォーマンスは上がるし、求人においても他力本願のサラリーマンは来なくなり、自信のあるプロが寄ってくるのである。そして、ラッキーなことに、この組織はリモートワークになってもダメージがないことがだんだんわかってきた。むしろコストをセーブできるかもしれず、要は、コロナはあんまり関係ないという事だ。

魅力ある株を探しだすことは推理ゲームである。株がその他(債券、FX、仮想通貨、ゴールド、原油など)と違うのは対象が日本だけで3500銘柄あり、その個々に “ファンダメンタルズ” と呼ばれる企業業績のデータがあるからで、株価をモデル化するならば複雑な多変数回帰分析が必要だ。その他のほうは対象も変数も圧倒的に少ないから解析のインテリジェンスで優位性を持つことができず、結果的に長か半かのバクチに近くなってしまう。しかし、もっと重要な差異はというと、株価は企業価値そのものでありすべての経営者はそれを増加させようと人生を賭けて努力していることだ。円レートや金価格を高くしようと頑張っている人など世界のどこにも存在しないが、すべての企業には手金で勝負をかけたCEOがいる。つまり株価には常に上昇バイアスがかかっているといえる。参加する価値のあるゲームではないだろうか。

しかもゲームに勝てば運用益というお駄賃がもらえる。払ってくれるのは市場であり、相手は匿名性のあるリスクマネーだから恨まれることもない。短い人生で普通の人が資産を10倍にし得るのは株しかないし、いくら儲けても世間様にご迷惑にならないのも良さだろう。日経平均が上がっても株を持ってるのは富裕層だから庶民には関係ないなどという政治家がいるが、こういう人は浅知恵から株をバクチと思ってるのであり、払えるはずのない年金で国民をごまかしているのである。コロナが長引いて世界の政府は財政出動と異次元金融緩和を継続せざるを得ず、それは図らずも国家が株高政策を採ることを意味する。それを税金で行うのであれば庶民に小口でも株を持たせ、国家と利害の一致したポジションを取らせてあげるよう適切な投資教育を行うことが善政なのではないだろうか。

僕は自分の感性という探知機で見つけた企業の株とコールオプションをソナーという蔵にがっつり貯め込んできた。あと2年ぐらいでそれがIPOして何倍になるかは時の運だが、不発でも2倍だろうし10倍も夢でない。だから来年までワクワクドキドキして過ごせるわけで、これぞソナーを作ったご利益と天に感謝する。たぶんあと2、3発の「弾込め」をすれば後進に道を譲って後顧の憂いなき人生になろう。娘が健康を心配してくれて、お父さん仕事しすぎだよ、もういいから人生楽しんでと言ってくれる。ありがたいことだ。でも僕にとってこの仕事は労働ではなく最大の趣味なのだ。他は全部捨ててもこれだけは残るものであり、尊いとも思わないが嫌と思うこともなく、すでに理想郷であるショーペンハウエル的幸福に近づいているのだ。オーストラリアか屋久島の好きなホテルからリモート参加なんて形なら80になっても後進のお役ぐらいには立てるだろう。

ところで、証券ビジネスへと背中を押してくれたコロンボの豪邸だが、もう家はあるしあんなでかいのをいずれ家内と二人でとなると猫を増やさなくてはいけないだろう。そのためというわけではないが、先日に、野良だった4匹目のフクが来た。こいつは気が良いしオスの黒猫であることに大きな意義がある。福を呼んでくれそうだしクロが2匹で黒字経営と縁起もいい。そして何より、我が家は猫を入れると男女比が2:6と劣勢であったが盛り返すこともできるのである。

 

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巨人・澤村投手のロッテ電撃移籍

2020 SEP 8 22:22:38 pm by 東 賢太郎

巨人・澤村投手のロッテ移籍が昨日7日(月)の午後に発表され、球界に衝撃が走った。詳しくは書けないが、5日(土)に息子とあるところでそれを聞いてびっくりしていた。そうしたら今日8日(火)に澤村が借り物のユニフォームで早くもマリンスタジアムの日ハム戦に登板してきて再度びっくりだ。しかも三者連続三振のおまけつきである。

ロッテがソフトバンクに強いのは去年もそうだが、ちょっとした理由がある。だから選手が気合が入っていて自信も持ってるのである。荻野がケガしたと思えば韋駄天の和田が出てくるし、お寿司のレアードが帰ったと思えばマーティンが出てくる。鈴木大地が楽天に行ってもサードに入れた安田が4番に成長している。誰といってスーパースターではないが、ちゃんと穴埋めする選手が現れて、相手が嫌がるしつこい野球をして接戦を勝っている。

井口監督は会ったことはないが、とてもプロフェッショナルな感じがするし勝ち運も持ってると思う。だから選手時代からファンであり、ロッテの監督になってから色紙に僕の名前と社名入りでサインをいただき、我が社の会議室に大切に飾ってある。勝負事は運が大事と思ってるので、運が強い人と付きあいたいのだ。澤村が首位争いが佳境に入るこの時期に取れたのも運じゃないかな。

澤村は三軍に落ちるなど何があったかは知らないが、まだ老け込むには早い。ロッテは8回を任せていたジャクソンが退団になり、いまは僕が好きな唐川が見事に穴を埋めてるが、澤村次第ではどっちか先発という線もある。ともあれ、人間、必要とされ乞われる時が人生の華である。大チャンスと思うので頑張ってほしい。

いま楽しみにしてるのは、昨年世間を沸かせた大船渡高の佐々木朗希投手である。ロッテ球団は某医大と提携して選手の筋肉の科学的コンディションチェックをしている。それが通れば、一軍デビューすると聞いている。オープン戦の中継で捕手の後ろからの映像を見たが、いよいよと思うとぞくぞくする。何をおいても球場で生で観たい。

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大ダメージになった我が家の地下浸水

2020 SEP 7 13:13:59 pm by 東 賢太郎

「最近、投稿減りましたね」といわれた。実は豪雨による浸水で地下の音楽室がめちゃくちゃになり、ショックから立ち直れていない。LPレコード200枚と昔のプログラムが泥水に浸かってしまい、ジャケットは見る影もなく、音溝にも泥が入ってしまったからもうだめだろう。

突然停電があって、地域ぜんぶかと思ってしばらく待っていたらそうではなく、パティオの排水溝がつまって水位がポンプの電源まで上昇し、ショートしてブレーカーが飛んだ。その水が乾燥機のパイプから逆流して勢いよく噴き出すという信じ難いことが起きていた。息子が奮闘して水はなんとか止まったが、唖然としてモノが言えない。住建会社が夜中2時までかけてポンプを入れ替えた。家の機能的にはもう大丈夫のようだが失ったものは保険でどうにもならない。

200枚についてはもうふれたくないが、それぞれいつどこで買ったか覚えている自分史みたいなものだ。ジャケットとプログラムは一枚一枚べたべたの泥水を水道で洗い流し、消毒液でふき取り、居間一面に盛大に広げて乾かしていたら家中すごいにおいで中毒になりかかった。これで二日徹夜した。ドライヤーで乾かすのにもう二昼夜かかった。とはいえこんな程度のことでこれだ、岡山や広島や熊本の被災地の方の大変さが身に染みた。

悪いことに、仕事が佳境に入っているさなかだったからこたえた。がっくりきた。もう心身ともに無理がきかないことが良く分かった。

気の持ちようも変わった。もう、これからは健康第一しかない。あれもこれもできない。

ということで、そうなってしまっています。

 

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僕が聴いた名演奏家たち(ゲオルグ・ショルティ)

2020 SEP 3 20:20:28 pm by 東 賢太郎

ショルティの演奏会にはヨーロッパで何度か遭遇した。残された膨大な録音でどなたもおなじみだろうが、彼の指揮の特徴を一言で述べるなら明晰かつエネルギッシュであろう。細部までのクラリティ(見通しの良さ)と、強靭な推進力、音量を伴った動的なパワーというものは案外と両立しにくい。現に両者の合体をショルティほどに高度なレベルで達成し持ち味とした指揮者をほかに挙げよと言われると答えに窮するしかない。

海外に出て行って度肝を抜かれたのは、何度も書いたフィラデルフィア管弦楽団だ。何に驚いたかって、一にも二にも音量だ。アカデミー・オブ・ミュージックでユージン・オーマンディが振った「展覧会の絵」の終曲の、シャンデリアが落ちるんじゃないかという壮絶な大音響。あれは音楽を全く知らない人をも圧倒する原初的衝撃に違いない。感動という感覚的、美学的な次元ではなく、初めてニューヨークへ行った人がエンパイアステートビルを見上げて絶句する、あのあっけらかんとした驚きによほど近い。とにかく音がこんなにデカいものなのだというのが僕のオーケストラ原体験だった。

その洗礼を2年受けて僕はそのままヨーロッパに渡り、シカゴ響を率いてロンドンにやって来たショルティのチャイコフスキー4番を体験したわけだ(1885年2月2日)。聴いたという言葉は当たらない。体験だ。この音響の凄まじさはフィラデルフィアの洗礼を覆す衝撃であり、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールは興奮のるつぼと化し、演奏会は伝説となり商業用ビデオとなった。

 

 

こういうものを知ってしまうと、日本のオーケストラは巨木の森でなく箱庭にしか思えない。上手下手の領域ではなく、動物種の違いというか、肉体的に別物のところに日本のクラシック音楽は存立していて、それはそれで繊細な良さは認めるのだがもうどうしようもないある種の障壁を感じる。

音楽の演奏は息を吹き込んだり弓で擦ったり撥で叩いたりという肉体の作業である。それを聴いて愛でる方にも、肉体に対する嗜好というか、ダビデ像やミロのビーナスに見て取れる好みの特性がある。そういうものは民族性(racial characteristic)なのであって、ヨーロッパ人の自己中心的な目線からは race(人種)とは白人以外を区別して論じる概念で、自分たちは対象でない。だから民族性という言葉も白人の中の区分けでしか使わないが、我々東洋人から見ればマッチョや長身の金髪好みは民族性以外の何物でもないわけだ。

クラシック音楽においてはヨーロッパの民族性が本流という事になるのは仕方ない。我々日本人にとってはまぎれもなく異民族の風俗であり、セックスに対する考え方が日本人とドイツ人で天と地ぐらい違うような、深く民族の奥底に根ざした何物かの投影だと考えるしかない性質のものだ。そういうことを知る機会は日本にいてはなかなかないし、むしろ封印して音楽に国境はないと割り切ってしまう姿勢が市民権を得るのは良いことだとは思う。しかし、単なる一聴衆であり、それを消費するだけの存在である僕には楽しくない。能狂言、歌舞伎の役者にマッチョ、金髪の白人が進出して日本の古典芸能がグローバルになったと喜ぶ一員にはなれそうもない。

チャイコフスキーが4番の終楽章で、イノセントな民謡主題をくり返しくり返し紡ぎながら狂乱の気配を増幅してゆき、ついに爆発的な熱狂になだれ込むコーダをどんな気持ちで書いたかは知らないが、あの終結に巨大な音響こそ効果的なのは疑いもない。それは能の土蜘蛛が糸を投げる場面で派手の中に背筋の凍る不気味さを秘めることを求めているのと同じ意味で、作曲家がスコアに込めた “民族的欲求” の投影である。ショルティはそういう性質のスコアで無敵だ。彼がマーラー解釈で一世を風靡したのは同じユダヤ民族だったということもあるかもしれないが、明晰かつエネルギッシュである彼の芸風のなせる業である方が大きい。チャイコフスキー4番は第1楽章にメッセージの勘所がある作品で、彼のLGBT的特性が最も高次の芸術として結晶化した例だ。ショルティは得意でなく、同じ性癖であるバーンスタインがうまくリアライズしている。

マーラーを苦手とする僕が、唯一マーラーで唸り、打ちのめされた演奏会があった。1997年7月12日にショルティがチューリヒ音楽祭にやってきてチューリヒ・トーンハレで同名の管弦楽団を指揮した第5交響曲である。

これは同年9月5日に世を去ったショルティの最後の演奏会の一つとなった。ラストコンサートというと僕はカラヤンとヨッフムのも遭遇しているが、その二人はそれが最後だろうと聴衆の誰もが暗黙に了解するオケージョンであり、音楽の内容はどちらも老いを微塵も感知させなかったが、舞台での姿はもうこれが見納めだろう、本当にお疲れ様というものだった。しかし、ショルティ翁の最後の姿はというと、今も脳裏に焼き付いているが、1985年に颯爽とチャイコフスキーを振ったあの時と何ら変わりはないものだったのは驚くべきことだ。彼は最後までエネルギッシュな男だった。マーラー5番は思い出がある。84年にロンドンに赴任して、ニューメディアとして鳴り物入りで出てきたコンパクト・ディスクなるものを聴いてみたく、まずDenonのプレーヤーを買った。10万円かそこらの安物だ。ディスクの方は新品が確か15ポンドぐらい、当時のレートで4千円近くもしたが、音が良い、永久にきけるという宣伝文句に洗脳されていて(どっちもウソだった)、いつも週末にチャイナタウンで中華を食べてから寄っていたソーホーの北側、チェアリング・クロスでレ・ミゼラブルがずっとかかっていた芝居小屋の対面にあったレコード屋で中古を見つけて飛びついた。それがたまたま、ショルティ/シカゴ響のマーラー5番だったのだ。まさかそれをチューリヒで聴いて大ショルティを天国に見送るなんて、お釈迦様でも知らなかった。

これがDeccaが録音してくれた、その演奏会の音だ。録音も素晴らしいので、ぜひ、CDをオーディオ装置で聴いていただきたい。

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ポアロの主題曲はどこから来たか?

2020 AUG 27 23:23:28 pm by 東 賢太郎

高校のころ、アガサ・クリスティーの探偵エルキュール・ポアロに僕はモーリス・ラヴェルの風貌をダブらせて読んでいた。灰色の脳細胞、ベルギー人の小男というというとなぜかそうなってしまった(ラヴェルはフランス人だが)。ミス・マープルのイメージがなかったのは、イギリス人のおばあさんを見たことがなかったからだろう。ということでTVドラマのデヴィッド・スーシェのポアロに慣れるまでしばらくかかった。

このドラマのテーマ音楽は英国のシンフォニストであるエドマンド・ラッブラの弟子で、やはり交響曲を12曲書いた英国人クリストファー・ガニングが書いた。皮肉屋で洒落物のポアロに良くマッチしていると思うが、この節はどこかで聞いた覚えがある。

こうやってメロディーを頭の中で検索するのは何の役にも立たないがけっこう楽しい。曲を聴いて何かに似ているという直感は急に天からやってきて、たいていなかなか正解が見つからない。そのくせ似ている相手のメロディを絶対に知っているという確信と共に来るのでたちが悪く、見つかるまで意地?になって他の事はみな上の空になってしまう。

ポアロのそっくりさんは簡単だった。シューベルトのアレグレットD.915の冒頭である。マリア・ジョアオ・ピリスの演奏で。

シューベルトは、死の直前のベートーベンに一度だけ会っている。そして楽聖の死の1か月後、友人のフェルディナント・ヴァルヒャーがヴェニスに旅立つ際に書いたのがD.915だ。この曲、最晩年の作品でシューベルトは病気であり、今生の別れであるように寂しい。スビャトスラフ・リヒテルは黄泉の国を見るように弾いていて尋常でない音楽とわかる。ガニングがこれをひっぱったかどうかは知らないが、調の違いこそあれど(ハ短調とト短調)冒頭の音の並びは同じだ。

そして、そのシューベルトはこのメロディーを、ひと月前に黄泉の国に旅立ったベートーベンのここからひっぱったと思われる。交響曲第5番「運命」の第3楽章冒頭だ。

そして、ベートーベンはこのメロディーをウィーンの先達モーツァルトのここからひっぱった(スケッチブックに痕跡がある)。交響曲第40番第4楽章冒頭である。

他人の空似は気にならないが、音楽の空似は気になる。

 

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渋野日向子の空振り(これがリンクス)

2020 AUG 22 10:10:45 am by 東 賢太郎

第2日目で7オーバーの78となった。全英女子オープンでの前王者の予選落ちは4年ぶり4人目らしい。しかし、そんなものは気にする必要もない。

ロイヤルトルーンは予約できなかったが、近場のターンベリーとプレストウィックを回った。なんといってもリンクスの風は半端じゃない。日本だと台風直前に雨もないのに吹くビュービューの生あったかい横風という感じだ。球はえっというぐらい曲がる。それで強烈なラフとバンカーにつかまり、これがまた、出ない。それでダボ、トリプルとなると、ルーティーンが通用しないので何していいかわからなくなって手元が狂う。

ぜんぶ見ていたわけでないが、あの空振りは、たぶんそういうものの結末だろう。仕方ない、ウォーバンとはちがう。普通の平穏な世界でやってるゴルファーには別な惑星だ、なんでこんな所でゴルフせにゃいかんという。

世にはゴルフという魔物が棲む(3)

 

でも、ゴルフ発祥の地だ。そういうものだと思うしかない。英国人全員がゴルフするわけではないが、それでも、あれはお国柄と思う。知恵比べというか、メンタルにめげないかどうか、窮地に陥ってサバイバルできるかどうか、単なるアスリートの身体能力比べでなくね。

渋野日向子はメンタルが強そうだから全然問題ない。これで引き出しが一つ増えたと思えばいい。

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権力者であるために権力者でいたい政府

2020 AUG 17 19:19:29 pm by 東 賢太郎

(1)国家の目的解釈は量子力学に似ている

国家の目的は何かという議論をひもといていくと、だんだんわからなくなってくる。ドイツの政治学者マックス・ウェーバー(1864 – 1920)は「過去に国家がしてきたことを並べてみて、そこから国家の目的は何々だと結論することはできない」という趣旨のことを書いた(「職業としての政治」)。普通、人間であれば、その行状を調べればどういう人かは凡そわかる。しかし国はそうでないというのだ。「これが国の仕事だ、だから国の目的はこうだ」が成り立たない。有名なパラドックスに「私の言うことはウソだ」がある。こう言われた瞬間にこの人が正直者なのか嘘つきなのかは言葉から判定できなくなるがそれに似ているし、光があたると(つまり、見る前と後で)電子が動くので、見る前の物体が何という物質であったか不明だという量子力学を想起させる存在でもある。

世界の歴史を振り返ると国家は「野獣」であり「夜警」であり「福祉提供者」であったりする(それが「見る前」)。ではどれが正しかったのか(「見た後」)という問いに「どれでもない」と答え、「国家は暴力行使のできる権利を持つ唯一の存在で、その独占を要求する人間共同体であり何でもできるからだ」とするのがウェーバーである。それに対しては諸説反論あることは承知だが、自然科学ではない以上正解はない。本稿では国家の目的に対する概ねの結論をウェーバーの論考の前提に添って「国民に強制力のある規則を制定して維持すること」と理解し、以下これを『国家定義』と呼び、それに従って考えてみたい。

まず、凡その歴史を俯瞰すると、すべての国とは、その地域において「俺はジャイアンだ」と主張する者(元首、酋長etc.)をひとりだけ認めたことにする仕組みということだ。中世まではジャイアンが腕っぷしでやりたい放題(野獣)だが、別の野獣よりましで守ってくれるジャイアンなら何をどうやってもいいという妥協的均衡が生まれた。それが近世になると、やりすぎはいかん、やるなら暴力行使も含めて規則に則ってやってくれ(立憲政治)というバランスになった。やがてジャイアンは個人でなくポスト(称号)と機能(軍)になり、腕っぷしとは関係がなくなり(文民統治)、上に立つ国家はマシーン(政治装置)のような存在となる。そしていま、核の抑止力によるつかの間の平和ができると、そもそもなぜ暴力行使により何でもできる権限を認めたかが明らかでなくなってきた。

「なぜジャイアンが必要なのか?」

「ジャイアンはジャイアンであり続けるためにジャイアンだからである」

という、まるで小泉構文の如くわけのわからないトートロジーに陥っているのが21世紀の政治の現況だ。巨大な米国市場を配下に持つトランプ大統領が関税で他国を混乱させサプライチェーンを分断して経済成長や企業収益を阻害しても、力の支配だという非難も損害賠償請求裁判もない。関税主権の前にはそれを裁く法律も強制力もなく無駄だからである。抑止力という美名に糊塗される核保有による恫喝、ゆすりも同様だ。米国は自国民に強制力のある規則を制定して維持し、国家定義を満たすことで国家の目的保持を達成しているが、他国に対してはそれがない。ジャイアンは必要でないが、歴然と存在するのである。

 

(2)真珠湾攻撃は誰が決めたのか?

国家は法律の制定によってのみ権力行使できる(国家定義)。これは市民革命で王権と闘って「自由」を勝ち取った欧米諸国民は絶対に譲ることができない法治主義という思想である。一部のアメリカ人がコロナでマスクをしなかったのは、国家権力に強制されるなら感染リスクを取ってでも「しない自由」を守るという主張ゆえだ。ドイツはナチス党に無制限の立法権を与える法律(全権委任法)を議会が認めたことでヒトラーが「何でもできる」ようにしてしまったことが後のすべての厄災の原因となったが、国家定義どおりの手続きを踏んだのだから「ドイツ国民に責任がある」といわれて反論できるドイツ人はいない。このことをフランクフルト赴任時に金融界の人たちに述べたところ、「ではきくが、日米開戦は誰が決めたのか」と問い返されたことがある。戦争という国家権力行使の最終責任者は誰だったのかという指摘だ。

「東京裁判で総理(東条英機)とされたが、彼は直前まで作戦を知らなかったようだ」と述べたところ一笑に付された。軍の統帥権は天皇にあり総理に権限はなく、スターリン、ルーズベルトの共同謀略で支那情勢が窮地となり世論も沸騰し「国家総動員法が全権委任法であるかの如く扱われたのを誰も止められなかった」のが実態と想像するが、国家定義を満たさない決定で戦争を始めたという発言は国際社会ではナンセンスで、大日本帝国は国家でなかったというに等しいと思い知った。ちなみに武力を伴った戦争であるフォークランド “紛争” (実質は戦争である)で英国サッチャー首相は自らを首班とする戦時内閣を設置して意思決定を行った。ドイツは意思決定者を法律で処断した(ナチ礼賛は刑法130条違反になる)ことで国家定義に則って戦争責任を特定し戦後80年をしのいでいる。事の重みをかみしめる。

 

(3)需要喚起は国家の仕事ではない

国家は何でもできるのだから法律さえ制定すれば国家の目的が経済活動への関与を含むこともあり得るが、それが妥当か否かという点はまったく別問題である。論点は、関与を①すべきかどうか、②する意味があるかどうか、の2つである。①については1970年代に国対国の経済戦争をしていた時代に米国との自動車、半導体の貿易交渉を通産省(当時)が担ったことは国益上の意味があった。がん保険を大蔵省(当時)が開放して自動車交渉を有利にする等の業際バーターは民間では困難だったこともある。しかし、現代においては、グローバル企業は多国籍サプライチェーンによる効率化、タックスマネジメントを重要な競争の要素とする時代になり、徴税者である国家が需要サイドに有意に関与する余地は激減した。第二次安倍政権の当初の戦略に第3の矢(成長戦略)があったが、何ら出なかったし、いつのまにか誰も口にしなくなった。当然だろう。需要なき処に成長はなく、需要は国が作れない。異次元緩和(第1の矢)と財政出動(第2の矢)の延長線上に成長戦略が自然に出てくるわけではなかったのである。

②については内在的な限界がある。意味のある関与は物資やサービスの「供給側」(サプライサイド)では可能かもしれないが、消費する「需要側」へは実態でも法技術的にも困難である。馬を川に連れて行くことはできるが水を飲ませることはできない。例えば少額投資における税制優遇制度であるニーサ(NISA)である。「税金をおまけしますから株式・投資信託等に投資しませんか」という趣旨だが、税金の心配は「お金がもうかってから」でいい。「株や投信のパフォーマンスは大丈夫なの?」「はい、それは自分で考えてください、自己責任で」ということだ。それで川まで行く馬は、元から喉が渇いた馬だ。そうでない馬が多いから投資による資産形成が進まないという根本的原因の解決には無力というしかない。

「少子化担当大臣」にいたっては何ができるのか不可思議でしかない。要は、子供をたくさん産んでもらおうというのである。しかし子供を持ちたいという「需要」を法律の制定という手法で促すのは、北欧のような公務員が多い高税率、高福祉国家でないと難しい。女性の社会進出を促進しながら子供を産んでもらうのは矛盾という統計もあるが、保育所が増えたから子供をつくろうという以前に、そもそも30代の男性が収入がなくて結婚できないことが問題なのだ。それは積極財政へ転換すれば解決するだろう。それをせず子育て支援しますからアウトソースでどうぞと言われても、その心配は結婚できてからでありニーサとまったく同じ、役人の供給サイドによる底の浅い発想だ。役所が需要サイドに手を出すと必ず匂ってくる「やってます感」満載であり、こども家庭庁の7.3兆円という驚くべき巨額予算は「ゆりかごから墓場まで」的な見栄えと雇用創出にはうまい手だが、出生数は統計を取り始めて初めて70万人を下回った。成果が出てないし、的外れな施策なので今後も出ないだろう。民間企業ならトップはもとより大量解雇と思われる。

こうした需要喚起は国家の仕事ではないことを日本政府が知らないはずはない。わかってやっているのだ。英国労働党の「ゆりかごから墓場まで」政策の大失敗が膨大な財政赤字を生み「英国病」を招いたことも、国民皆保険の日本がまさに同様の渦中にあることも彼らはよく知っている。しかし、冒頭に述べたように、政府は何でもできる。戦争でも、売春宿の経営でも、民間人大量殺戮用施設の設営でもできる。政権与党はそれを差配して儲ける蜜の味を知り、票まで買えることも知っている。大きい政府は役人を利する。彼らは失敗しても失職しないし給料は下がらない。デフレになってGDPが何位に転落しようが民間人の購買力が落ちるだけだ。それは役人の相対的な賃上げだからウエルカムである。よって、政治家と官僚は共犯になり得るが、前者は選挙で落とせても後者の選挙はない。支配できない需要サイドへの投資は財政法第4条をたてに縛り、消費税なる実質的な値上げによる需要の犠牲を原資に供給サイド(輸出企業)の実質減税を行って景気を保つ。これは「おまじない経済学」と揶揄されたロナルド・レーガンのサプライサイドエコノミーの大幅な劣化版である。レーガン政権は冷戦下で「強いアメリカの復活」を旗印に供給サイドによる「軍事支出の莫大な増額」を行い、それに「減税」を伴わせた効果で消費が副次的に刺激され、失業者は減りGDPは倍増近くなってレーガン政権は「アメリカ経済は復活した」と成功を誇った(トランプはそれに習うと明言)。かたや軍事支出を丸々米国に貢ぎ、減税は頑としてしない日本は失われた30年に突入した。不思議でも何でもない。このままだと益々そうなって失われた40年になる。そしてどんなに中小企業が倒産しようと自殺者が増えようと政治家と官僚は誰も責任を取らない。2000年代初頭に窮地に陥った日本は、一部を役人が独占的に経営していた電信・電話事業、郵便事業、鉄道・航空事業を米国民主党の求めで「民営化」し、米国に思うつぼの利益を誘導し、その見返りに個人でいくらもらったかは闇の中だが少なくとも小泉・竹中は国民的な人気を博した。国民は選挙で泥棒を賞賛するような信じ難い熱狂を見せ、今に至ってその息子まで意味不明の人気者に祭り上げるという救いようのない民度にまで堕落してしまっている。政治を変えないと、日本は落ちるところまで落ちる。

 

(4)我がロンドン赴任とシンクロした「黄金の1980年代」

郵政で小泉がした民営化を考案したのは米国でも日本でもない。英国の第71代目首相マーガレット・サッチャー(1925 – 2013)である。当時(1980年代)の英国は七つの海を制した大英帝国の斜陽が国民を悲観させ、ロンドンは相次ぐ犯罪やIRAのテロで殺伐としており、失業で活力をなくした若者が昼間からパブで飲んだくれるというすさんだ空気に覆われていた。第二次大戦後に労働党政権がとった社会福祉重視政策の著名なスローガンが「ゆりかごから墓場まで」である。政権の人気は得られたものの、やがて主要産業国営化の失敗とオイルショックで致命的な財政逼迫を招く結果となり、社会保障負担の増加による国民の勤労意欲低下、既得権益の発生、労働組合の賃上げラッシュとストライキという悪循環から工業生産や輸出力の減退、慢性的なインフレと国際収支の悪化、それに伴うポンドの下落で英国経済は地盤沈下した。これが「英国病」(British disease)である。

僕が留学を終え1984年にロンドンに着任したのはそうした「真っ暗な英国」の真っ最中である。驚いた。これがあの英国かと目を疑うほど若者の浮浪者と犯罪と退廃ムードに満ち溢れていたからだ。失業率は12%でインフレだからそれも当然だ。地下鉄で通っていたが、待てど暮らせど電車が来ない。事故を疑ったが、きくとストライキだった。1,2度ではない、何度もあった。遅刻は厳罰の社風なので仕方なく車通勤に変えた。お客さんの誰と話しても政治、経済に悲観的で、英国の未来を半ば嘲笑していた。かたや日本は、 “ハイテク産業” と呼ばれた電機、自動車、半導体、電子部品産業の大躍進で世界の寵児の地位をほしいままにした黄金の10年間の入り口だった。世界の金融市場の本丸、ロンドンのシティで働ける!俺たちが日本のプレゼンスをうなぎ登りにしてやる!という、若気の至りながらも証券マンとして痺れるような高揚感を覚えたことは忘れ難い。そして数年後、そのとおりの日が来たのである。シティのトップエリートたちが「日本を無視して金融取引を行うことはナンセンス」と語るようにさえなった。米国による日本の輸出潰しだったプラザ合意(強制的な円レートの倍増)。この窮地を合気道のごとく「円高メリット」と逆手に取り、泣き所だったエネルギー、資源の輸入コスト減を国益に転嫁したのは見事でしかない。日本経済は本当に強かった。赴任時にロンドンに2,3件しかなかった日本食レストランは10倍になった。明治維新で開国して以来、我が国が世界の一等国と認知されたのは日清日露の戦勝だったが、経済力でそうなったのはこの時であることは疑いがない。

ちなみに、この「黄金の1980年代」の総理大臣は以下の面々である。

鈴木 善幸、中曽根 康弘、竹下 登、宇野 宗佑、海部 俊樹

はっきり書くが、政治のリーダーシップによって達成された黄金期でなかったことはご想像できよう。この世紀の繁栄を「バブルであった」とするのもいかにも自虐的で何の得にもならない卑屈な敗者の歴史観というしかないが、1990年に日経平均株価指数がピークアウトしてからの混乱は、豊饒な果実をなんら国力に転嫁することができなかった宮澤 喜一、細川 護煕、羽田 孜、村山 富市なる上記面々に続く厄災のごとき無能無力の政権が米国の策謀によってあっさりと殲滅された結末以外の何物でもないのである。幾ばくかの抵抗を試みた次の橋本 龍太郎政権は米国のさらなる謀略によって潰されたのは周知のことだろう。経済の最前線で死力を尽くして戦った一員として、あの大勝利は何だったのかという虚無感を禁じ得ない。当時流行った「経済一流、政治三流」なる言葉はまさにこれを指しており、今も生きていることを若者たちは記憶されたい。

 

(5)驚いたマーガレット・サッチャーの覚悟

思えば世界的視野でも1980年代は重たい10年だった。我ながら凄まじい時に米国、英国にいたものだと思う。英国初の女性首相マーガレット・サッチャーが1979~1990年まで在任し、米国はロナルド・レーガンが1981~1989年に大統領であり、ソ連は崩壊・消滅に至る末期(まつご)と断末魔の10年にあった。サッチャーとレーガンは「小さな政府」を標榜し、強硬な反共主義者で共通していた。サッチャーの民営化構想のドライバーは既述の「英国病」だったが、日本経済の大躍進もあった。政治家としての器量は、その日本を敵視せず、英国復活のドライバーにしようとしたことだ。80年代初頭に米国でもエズラ・ヴォーゲルの著書「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」が警鐘として話題となり、ウォートンの授業で話題になったこともあったが、父ブッシュは10年後に大統領に就任すると日本の金融・証券業潰しの大逆襲を仕掛けてきた。サッチャーはそれをせず1986年にロンドン証券取引所を規制緩和する “ビッグバン” で活力ある外資(頭にあったのは間違いなく日系証券だ)を主導的なプレーヤーとして積極的に取り込み、ユーロドル市場取引を急拡大させシティの歳入を大幅に増加させた。物量で強引に圧する米、洞察と計略で良いポジショニングを取る英。各々それらしい姿を見た気がする。

サッチャーのドル箱であるシティにおいて採った政策は、テニスコートはあるが優勝者が出ないことになぞらえて「ウィンブルドン現象」と揶揄もされた(命名者は野村ロンドン社長だった外村である)。選手が何国人であれ、ロンドンの税収の半分をシティがあげるに至ったのだから文句は出ない。外人選手のうち最大勢力だったのが日本の証券会社で、野村が断トツの収益を上げ、1989年の経常利益はトヨタを上回る5千億円で日本一だった。現地社員はオックスフォード、ケンブリッジ卒が当たり前になり、ロンドンの日本食レストランが激増してアジア人を取り巻く文化まで変えたのはその頃なのだ。野村はサッチャー政権と良好な関係を築き、1990年にシティのチープサイドにある17世紀の郵便事業(郵政省)の古跡である巨大な “オールド・ポスト・オフィス”(写真)に移転して“ノムラ・ハウス” と名乗る栄誉を得た。サッチャーが来賓でオープニング・セレモニーをする予定だったが前日に「代理にジョン・メージャー大蔵大臣を送るのでよろしく」と連絡があった。何事かと思ったら翌日に辞任、メージャーの第72代目イギリス首相就任が発表された。その日、ロンドンから帰国したばかりだった僕は、野村の社内テレビ放送で美人の女子アナといっしょにセレモニーの同時中継のキャスターを務めさせてもらった。

サッチャーの強い決意を象徴するものとして、英国民営化省での会議で聞いたギネス担当官の言葉が忘れ難い。1991年に英国電力株式民営化の日本トランシェ引受主幹事に任命していただいた際のことだった。

「組合運動に明け暮れ能力もやる気もなくした公務員に公的事業を任せておくことは輝かしい大英帝国の没落を意味する」

当時のサッチャー首相

これを言える日本の政治家、公務員が何人いるだろう。これぞ、労働党の負の遺産を一掃するコミットメントの表明だった。サッチャーにはガス、電力、石油、鉄道、航空、鉄鋼、水道、テレコムなど公共財・サービスの提供に関わる国家の屋台骨の産業において、国営企業のままに放置しておくと効率や技術革新で米国、日本の水準に大きく水をあけられてしまうという強烈な危機感があった。民間企業に伍するモチベーションで経営させなくては大赤字が累積して国家財政が破綻し、未来の国富を生む研究開発(R&D)も米国や日本に劣後し、国の屋台骨が朽ち果てて二等国に没落する。それには自由主義的な競争原理を注入するしかない。その結論として、公共財・サービスの提供を行う国営企業を民営企業にして株式公開し、新たな株主の厳しい目に叶う経営をさせようという荒療治が選択されたのである。もちろん、国営の立場に安閑とあぐらをかいていた者は大量に解雇され怨嗟の声があがるが、腹をくくったサッチャーはそんなものは意にも介さなかった。

証券界の人間なら誰もが記憶しているが、90年代前半にこのムーヴメントは同様に公共セクターの非効率を抱えていた世界各国に瞬く間に波及して株式のグローバル・オファリングという引受業務の新領域を開拓することになり、我々野村の海外部門はそこで台頭してきたゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーと真正面から激突し、熾烈なマンデート取得戦争を繰り広げた。英国電力公募の日本主幹事マンデートは我々が奪取した。スコットランドは大和証券が取った。メキシコの国営テレコム会社テルメックスも同じ流れで民営化するとなって国際金融部の課長として即座にメキシコシティーに飛んだが、主幹事は既にゴールドマン・サックスの手にあり煮え湯を飲まされた。勝ちも負けもあったが、世界の金融のど真ん中でトップ・プレーヤーとして戦った、我が人生でも最高にエキサイティングな時代だった。世界的に澱んでいた公的セクターに強烈な喝を入れた「鉄の女」サッチャーは、もとより最も資本主義的である証券界にまで電撃的なインパクトを与えたのである。

 

(5)金融市場から目撃した首相の重み

サッチャーは中間階級下層の出である。英国議会にはピューリタン革命で市民(クロムウェル)が絶対王政維持を主張する王族派と闘いチャールズ1世を処刑した血なまぐさい歴史が投影されている。王室、貴族は貴族院(参議院に相当)に封じ込め、庶民院(衆議院に相当)が実質的に国政を切り盛りするが、それでも雑貨商の娘が大英帝国の首相とは大いに新鮮だった。その政治的ハンディからだろう、自助努力をモットーとしてオックスフォードでは化学専攻ながら弁護士の資格を取り財政、税制も学び、エスタブリッシュメント(既得権益勢力)への徹底反抗が「小さな政府」への動機となっていたともいわれる。「天は自ら助くるものを助く」(God helps those who help themselves)。努力する者は報われるべきだし、しない者はそれなりに。資本主義に功罪はあるが、経済も社会もモチベーションが駆動力となって前進する。こういう人が現れれば男か女かなど矮小な議論である。

フォークランド諸島

規制緩和、民営化へのもうひとつの伏線が、82年に英国領であるフォークランド諸島をアルゼンチン軍が武力で奪取した戦争だ。同諸島はグレートブリテン島からはるか離れた、異国人にはどう見てもアルゼンチンの領土に見える海域に位置している。それもあって英国病で萎えた世論の一部は奪回に否定的であり、米国や国連が仲裁を申し出もしたが、サッチャーは「侵略者が得をすることはあってはならない」と断固として英国陸海軍による武力奪還を曲げず、アンドリュー王子ら王室、貴族も兵士として出陣した。本件は当面のところ第2次大戦後の唯一の本格的武力衝突である(注)が、現在の我が国が尖閣諸島で直面しかねない事態への対応として示唆に富む。これに勝利して奪還成功したことで国民は沸き、それまで不人気だった政権支持率は保守層のみならず急上昇したのである。「義を見てせざるは勇なきなり」とはこのことだ。

(注)執筆当時はそうであった

私事で恐縮だが、サッチャー政権はたまたま僕が社会人になった1979年に始まり、米国留学した82年にフォークランド紛争があり、ロンドンに着任した84年に中国に97年の香港返還を約束し、ロンドンから帰国した90年に終焉した。そして香港返還の年に野村香港社長に就任したのである。これだけ節目の年が一致しているのは不思議なほどだ。11年の政権期間中にこちらは社会人としての基礎ができ、そのうちの6年は彼女の治世下のロンドンにおいて激動の洗礼を受けていたのであり、自由化と金融ビッグバンで英国が徐々に誇りと活気を取り戻すのをリアルタイムで日々まのあたりにした経験はどんな映画よりも迫力があった。格別の自覚はないが、サッチャリズムの思想的影響を受けていて不思議ではないし、尊敬する政治家を一人だけあげるなら彼女である。

 

(6)サッチャリズムとハイエク

サッチャリズムは成功の代償に失業率を上げた。万事がうまくいったわけではないが、国の急場を救った象徴的ケースとして評価されるべきだ。彼女はまず壊滅的だった国家財政の改革に着手し、身を切る緊縮財政(社会保障費、教育費の削減)を断行して国民の大不評を買った。フォークランド戦争がなければ短命政権に終わっただろうといわれたほどだ。そこで踏み切った開戦は事後の巨大かつ不測の歳出を伴い、やろうとしたことの真逆の方向に舵を切ったわけだが、その一手が結果的には大当たりだった。もし彼女がケインジアン政策的な当たり前の手を打ってしまっていたら、財政問題が是々非々の判断の大きな足かせになって舵が切れなかった可能性がある。運もあった。

Friedrich August von Hayek

サッチャーは「共産主義、社会主義が本質的にファシズムやナチズムと同根であり、更に悪いものであり、むしろスーパーファシズム・全体主義である」と説く経済学者フリードリヒ・ハイエク(1899 – 1992)に傾倒しており、反ケインズ的政策を採ったのは当然だ。民営化とは政府部門経済を削ぎ落して「小さな政府」とする政策であり、国民はみな勤勉に倹約して自分で健康に生きて行けということであり、政府の役割は規制緩和して外国人も入れて自由に競わせ、それを監督することだから「大きな政府」は無駄である。労働党の「ゆりかごから墓場まで」政策が財政破綻を招いていたから高福祉国家のカードは捨てざるを得なかったのであり、むしろ治癒には不可避の政策だった。その効果は僕が着任した84年に日常茶飯事たったロンドン地下鉄のストが後になくなったことでも体感された。

僕はハイエクの、

「自由主義」と「保守主義」が混同されるのは両者が反共産主義だからであるが、共通点はただそれだけである。保守主義は現状維持の立場であり、進歩的思想に対する「代案」を持たず、たかだか「進歩」を遅らせることが望みである

という思想に賛同しており、以前に書いたように、

人間は現存の秩序をすべて破壊してまったく新しい秩序を建設できるほど賢明ではなく、「自然発生的秩序」が重要で、理性の傲慢さは人類に危険をもたらす

というイギリス経験論者である。どんな選良であれ「市場の参加者の情報や知識をすべて知ることは不可能」であり「参加者達が自らの利益とリスクで判断を下す市場こそが最も効率のよい経済運営の担い手である」と ”経験的に” 考えるからだ。彼が共産主義とファシズムは同じだというのは、どちらも「理性」に至上の地位を与える合理主義だからだ。理性より市場の方が賢いとは認めない。しかし、ビル・ゲイツ、ジェフ・ベゾス、イーロン・マスクのような人材は市場にいるのであって、国が総力で経営してもGAFAやテスラのような企業が生まれるわけでもない。選良とは選ぶ者がさらに上手の選良である必要があり、企業経営未経験の経営学の教授が「優」をつけた「選良」が経営者になってうまくいく保証はどこにもない。陸軍士官学校、海軍兵学校で主席の連中が決めて指揮した戦争がああいう惨事になってしまう。「市場」、「自由主義」とてベストな方法ではないが、共産主義がうまくいかないことは歴史が証明済であり、「構成員がまったく同じような思想を持つ強力で人数の多いグループは、社会の最善の人々からではなく、最悪の人々からつくられる傾向がある」(ハイエク)ことの結末としてはびこっている集団が主張する「保守主義」も、害悪であることにおいては共産主義と五十歩百歩だ。

 

(7)大きな政府という誤謬

くりかえしになるが、政府は民意さえ得れば何をしてもいい。その民意を代表する国会議員がラブホテルから議事堂に出勤しても「国家の仕事は回っている」といわれれば国民は引きさがるしかない。国家、官僚というものは組織防衛本能からそうしたスラック(たるみ、遊び)を排除せず、もっともらしい居場所(スラック組織)を作ってしまうことで批判をかわして生き延びようとする。それがぶよぶよした贅肉として堆積することで「大きい政府」が完成し、放っておけば贅肉にまた贅肉がついて自己増殖していくのである。できもしない需要サイドへの関与は良い例で、高福祉政策の美名をまとって無用の税金を投入するスラック延命策に利用され、格好の票田と天下り先と利権を生む。これはまさしく戦後の英国労働党が目論んだ「ゆりかごから墓場まで」政策の大失敗の原因であり、サッチャーが身を賭して戦った物の正体である。

今の日本を覆い尽くしている政治への閉塞感。これは何だろう?GDPは毎年のように他国に抜かれ、防衛力はおろか経済力までも他国になめられ、低賃金と重い税負担で働き盛りの若者が希望をなくし、自殺者が増え子供は生まれず、財務省解体デモが頻出し、闇バイトやら教師の猥褻行為やら健全な日本人の常識からは思いもよらぬ犯罪が頻出しだした昨今の我が国。僕はあの「英国病」に冒されたころの英国と共通した空気を感じる。この事態を変えられるのは政治しかなく、英国はマーガレット・サッチャーの出現と些かの幸運によって死地を脱し、今日に至るのである。

本稿の標題を『権力者であるために権力者でいたい政府』としたのは、その政府がこの事態を変えることは絶対にありえないことをマックス・ウェーバーにまで立ち還ってお示しするためである。それは我々国民の頭上に巣食っている庇護者のふりをしたハゲタカであり、巣の中に子を産んで増殖し、無為無能のまま国を蚕食して滅ぼすか、あるいは、民主主義の体裁を装いながら奸計と権力の爪をもって国ごと共産主義にでももっていくことが可能である。この事態を変えられるのは政治しかないが、幸いなことに、日本国憲法がある限り、政治は我々有権者の投票によって変えられるのである。

権力者は権力者であり続けるために権力者でありさえすれば永遠に権力者である。それを握らせてしまった者は、そこに座っているために政策も成果もいらない。「俺は絶対にやめない」という不断の意志だけ保持して表明すればよいのである。「国家の目的は国民に強制力のある規則を制定して維持すること」という『国家定義』に基づけば、その者は存在自体が憲法違反であり、国家が国家であることを望む国民の総意によって排除されねばならないその装置が「リコール制度」だが自民党にはそれがないことが判明した。鳥取県民ではない99.5%の日本国民は、自分で選んでもおらず、3度も不信任を叩きつけても切れない者が民意でない首相談話を発出して子孫の安寧を脅かされて制止もできない。これはいったい民主主義に巣食う何者なのであろうか?

猫を宿主とする寄生虫トキソプラズマは、猫にかまれたネズミに感染すると脳を操作して猫を恐れなくさせ、別な猫に自ら食われるように仕向けて繁殖する。実に面妖としか形容する言葉がない。「選挙で大敗すれば普通は辞める」という昭和の老人の常識でガバナンスを維持できるという政治を続けるなら自民党は民主主義を無視した政党として消える運命にあるし、猫にかまれて感染したネズミであるならむしろ死んでもらった方が日本国のためだ。

 

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カープ森下、惜しかった準完全試合

2020 AUG 15 9:09:28 am by 東 賢太郎

久々に興奮するストレートを見た。広島カープの新人、森下投手である。阪神相手に2安打無四球12奪三振の完封。新人の完封は今季初、先発全員からの奪三振はセリーグ15年ぶり2人目、新人の2桁奪三振で無四死球完封はセリーグで中日・権藤以来59年ぶり(広島で初)であり、惜しかったが、9回2死で近本に安打を打たれなければプロ野球史上初の新人の準完全試合であった。

森下は明大時代から話題の投手であり去年のドラフトの目玉だった。カープに決まって嬉しかったし、開幕してからの投球もすでに新人王が射程圏内というハイレベルのものだ。ブログにしようと何度か思ったが、しなかったのはわけがある。彼の体つきだ。プロにしちゃあ細すぎる。顔も優しいしケツも小さい。活躍も今だけじゃないか、いずれポキッと折れるんじゃないか・・そう思って気が乗らなかった。

現に昨日の阪神戦も見てはいたが、淡々と投げるいつもの彼であり、冒頭に列挙したような歴史的なことが行われている風には見えず、むしろ相手の藤浪が復活するかどうかに注目していたのだ。藤浪が序盤に早々に失点して興味が失せ、やっと中盤になって、阪神がまだ1安打なのに気がついた。そこからだ。4番大山の右飛以外は森下に打たれそうな気配がない。3巡目でも振り遅れてる。1イニングだけ剛球を投げる投手はいくらでもいる。しかし、9回1死、福留を見逃し三振に取った伸びのある(!)内角低めのストレートを見て彼の資質がよくわかった。次の近本が唯一嫌な感じに見え2安打目を打たれたが(いいバッターだ)、最後の中谷は当たる気配もなく見逃し三振だった。

森下の何が凄いって、ストライクゾーンのストレートで空振りが取れてしまうことだ。ストレートはある意味、なんの芸もないボールであって、投手はいつでもストライクが取れる。ということは、それがバットに当たらないと打者は常に絶体絶命で為すすべもないのである。問答無用でねじ伏せられて三振。絶対の力の差を見せつけられ、残るのは屈辱と敗北感だけだった記憶が僕にもある。マウンドに君臨する相手が大王に見えてくる。投げたほうは男として最高の快感であり、このシーンは、実は野球がけっこう残酷だと感じる最たるシーンでもある。

だから僕は変化球で何個三振を取っても評価しない。邪道だなと思って見ているし、三振した方も、負けは負けだが屈服というよりどこかごまかされた感がある。次は見てろよと闘志もわく。しかし、速くて伸びるストレートは何度打席に立ってもどうしようもないのだ。スピードガンの数字ばかり騒がれるが、「伸び」(スピン量)も打てない要素である。速度も回転も球に与えられた運動エネルギーであり、総和が大きいほど「生きた球」になり、打者に意外感のある動きをする可能性が増える。目が慣れてないものは打てない。

伸びというのはある初速で投げられた球が普通の回転数で描く放物線軌道を何万も頭にインプットしている打者にとって、普通より多い回転数による過分の空気抵抗で球が引力に逆らうと記憶のイメージより「浮いて」見えるのを感覚的に表現したものだ。打席でそういう球に出会うと「速いな」と思う。それは速度では必ずしもなく、打者は速度の変化率に反応してバットを振っている。腕の振りで判断した初速が想定外に手元で落ちないというイメージだと初速が130kmでも「速い」のであり、ある1点での速度しか表示しないスピードガンの数字を見てもわからない。「伸びる」「生きた」「速い」球を空振りするとバットは球の下を通っている。

球場でプロの投手の球を見ているとスピードも伸びも「あれは当たらん」と思う。それをホームランするのを見ると、「あれは抑えようがない」と思う。そういう連中の巣窟である恐るべき世界で、森下くんは60年にひとりしかできないようなことをやった、それは、あのストレートがあるからだ。彼を初めて見たのはちょうど5年前のU-18野球ワールドカップのテレビ中継(対チェコ戦)だ。それに刺激されてこのブログを書いてるので、大分商業高校の彼のストレートに感じるものがよほど強かったのだろう。

高めのストレートは投手のプライドである

彼のフォームはさっぱり力感がない。鬼の形相で雄たけびをあげて投げ込んでくるマッチョ野郎でないから、打者はイメージギャップで差し込まれている感じがする。肩甲骨が柔らかそうで、球質は、たぶん、手元で相当伸びてる。それにタイミングを合わせないと当たらないから、緩急がつくとさらに当たらない(特に山なりのカーブ)。足腰に粘りがあって頭がぶれないから低めのコントロールが抜群で、カットもチェンジアップもスライダーでも三振が取れるが、150kmのストレートと100kmちょっとの遅いカーブの「両極端」が打者の体の軸をぶらせているのを見るとその2つでも飯が食えると思ってしまう。それは往年の大投手、金田正一や外木場義郎といった王道を行く本格派の系譜に属するということを意味している。

武器が2種類の投手など今は影も形もないし、生半可な人がやっても打たれるだけだ。だから今は変化球が百花繚乱である。メジャーの影響というが、日本だろうがアメリカだろうが、打たれるからそっちに逃げるという理由が先にあると僕は思う。2種類だけで金田が400勝、外木場が完全試合1回、ノーヒットノーラン2回を成し遂げたのは、2種類のどっちも半端なく凄かったとしか説明のしようがないわけだが、さらにつきつめれば、スローカーブが主役であったはずはなく、即ち、ど真ん中に投げて空振りの取れるストレートがあったからという必然の結論に至るのである。スライダーやらフォークやらの猪口才なごまかしが不要なほど速度も回転も並外れていた。これが僕的には正々堂々の保守本流で滅茶苦茶カッコよく(あんまりそういう人はいない、それが生まれつきの趣味だったんだろう)、それで投手がやりたくなり、当然、変化球はカーブしか覚えず、当然、強い高校には打たれた。スプリットぐらい投げればよかったと今になって思うが、妥協しなかったのには誇りもある。

僕はライフスタイルや人付き合いやビジネスや政治思想にはいたってリベラルだと自分で思うが、こと野球とクラシックと猫についてはなぜかはわからないが筋金入りの保守だ。だから投手は完投が当たり前であり、中継ぎやクローザーなんてのは当時はなかったが、もしそれにされたら野球は辞めた。森下はそんな僕のストライクゾーンに入る久々の大物だ。完封どころか完投すらできない軟弱な投手ばかりになった球界の宝である。しかし、人間のやることだ、そのうち打たれることも必ずある。彼の体つきの不安は消えたわけではない。肩・肘だけは気をつけて無理しないように、長い投手人生を送ってください。

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