OPSで見る今年のセリーグ予想
2019 MAR 27 19:19:23 pm by 東 賢太郎
今年のセリーグ、もちろんカープ4連覇と書きたいところですがオープン戦で気になったのは、やっぱり丸の穴です。丸は2018年NPBのOPSランキングでパリーグを入れても1位の選手です。日本一ですから年俸5億はふつうと思いますし、金満選手でもなければ巨人が特に金まみれ球団とも思いません。しかし悔しいのは、この引き抜きはOPSなる統計数値を見ると効果があるのではということです。OPSになじみのない方もおられるのでwikipediaから引用しましょう。
「OPS=出塁率+長打率」であり、2004年のMLBのデータを基にすると、各指標の(チームの)得点との相関係数は打率が0.849、出塁率が0.910、長打率が0.913なのに対し、OPSは0.955にも達する。日本でも1980年から2010年のデータで(チームの)得点と打率との相関係数が0.776なのに対し、OPSとの相関係数は0.941に達している。
OPSは長打が打てれば高く(いわゆるスラッガー)、その選手は当然クリーンアップだから得点貢献が高いのはあたりまえであるなど万能のデータではないという批判もありますが、スラッガーだけど出塁率が高いのは選球眼が良い証ですから投手としては最も嫌な打者です。かつては王貞治がそうでした。1位(丸)と2位(鈴木)が3・4番で並んでいるということは全プロ野球選手で最も嫌な1,2位が連続して打席に入るということで、この連続という乗数効果が大きいのです。鈴木誠也は2度に1度は丸(出塁率約5割)が塁にいる状況で打席に入っており、しかも初回に必ずその可能性があるということです。長打を打たれても歩かせても、相手の先発投手は立ち上がりから窮地に追い込まれ、5番以下が打てば簡単に得点されてしまう。2番・菊池が2割3分の絶不調でも3・4番の並びの破壊力がそれをもみ消し、それがカープの打線のつながりとなり、逆転のカープのかなめでもあったということです。
丸が抜けたことでカープはそれを失います。「丸の穴を埋める」と簡単に言いますが、OPSの高い選手は即席で作ることはできませんから3番に少なくとも昨年のOPS上位選手を置くということです。ではそれは誰かということですが、カープにはいません。昨年のOPS3位以下10位までの選手をご覧下さい。
3・山田、4・ソト、5・筒香、6・ビシエド、7・坂本、8・岡本、9・バレンティン、10・糸井
カープの選手は松山が16位、田中が22位、野間が23位、菊池が30位で、規定打席に達しなかった候補者の昨年のランキングにあてはめると、安部は29位、西川は18位、バティスタが15位、期待の長野はNPB9年の平均値で21位(.783)、2011年のキャリアハイ(.847)でも15位です。唯一高いのは曾澤捕手の12位(.893)ですが、彼が8番にいたからあった打線の繋がりの減殺であいこです。つまり、長野を含め、「3番・丸」の穴をすぐ埋められる人はいないということです。ということは鈴木誠也の責任とプレッシャーが増しますし、相手はもちろん彼を徹底マークしてくるし、それで調子を落とせばさらに得点力は削がれます。穴を埋めようと皆でもがけばけが人が出やすく、厚みがなくなることもリスクです。
一方で、巨人は岡本(8位)が4番におり、今年は彼がOPSでもっと上位に行くとすると、カープの丸・鈴木とほぼ同じ得点力のある3,4番ができることになります。当初、原監督は「丸2番」構想でしたが、先日「丸3番」を発表し、その方針が確定したようでカープファンとしてはとてもまずい。しかも丸の前に2番坂本がいるとなると、(7位)×(1位)×(8位)の「3連ちゃん連鎖」ができて脅威となる。7と8のカンチャンに1がスッポリはまった効果は非常に大きいと思います。つまり得点力においてカープが落ち巨人が上がるプラマイ効果は統計値の裏づけから確度が高く、丸の引き抜きは悔しいがお見事な戦術であったと言うしかありません。
ではそれで巨人がカープに代わって優勝できるかどうか?ゲーム差が縮まる、あるいは逆転する可能性も投手力次第であるでしょう。ただ、カープの力を削ぐことには成功しても他チームに対してはどうか?台風の目になるのはDeNAベイスターズかもしれないと思います。なぜなら、丸が広島にいようが巨人にいようがDeNAは当事者でなく中立的であり、お客さんだった巨人に多少取りこぼしても得意としているハマスタでの広島戦をもっと有利に戦えれば浮上機会になります。OPS上位打者、ソト、宮崎、筒香、ロペスが2~5番に並ぶと
(4位)×(11位)×(5位)×(17位)
となり、4連続OPS上位の打線の得点力は12球団でもトップクラスである上に広島戦だと元気な捕手の嶺井などがいてカモ意識を持たれているように感じます。同時にヤクルトの青木、山田、バレンティンの、
(12位)×(3位)×(9位)
もあなどれない。広島は二大お客さんだった巨人、ヤクルトと拮抗して星を潰しあってしまうと漁夫の利で投手力もうしろが盤石なDeNAが有利です。DeNAは今永、浜口、東の左投手が復調してカープ戦で勝ち越すような事態になると、優勝してもおかしくないと思います。
最も気になるのはカープ先発投手陣です。打力が落ちる分は投手力でカバーするしかありませんが、大瀬良は良しとして野村は去年から読めないし、ジョンソンがどこか故障していたら暗雲がたちこめます。岡田、九里、アドゥアは安定感なし、結局、新戦力の床田と島内とローレンス次第となるとフランスアを回すしかなくなり、8回が不安になるのです。得点力が落ちますから先発投手のプレッシャーが増すのは確実であることを考えるとここが鬼門。
投手陣は「黒田効果」がすでにはげ落ちてます。野村、岡田の凋落、15勝もした薮田が消えてしまうなど尋常ではなく、いかに黒田が精神的支柱だったかということです。その意味で新井の引退も大きいですね、しかもそこで支柱役を期待された菊池があっさりメジャー宣言してしまう。守備はともかく彼の打撃はメジャー級ではなく、あれはFAの布石とみんな思ってます。男気はもう消えたわけで、丸を見て曾澤、田中もというムードがチームに出ているとしたら瓦解のシグナルかもしれず、とても心配です。
唯一明るい話題の小園ですが田中がいるのは痛しかゆしで、サードで使う手はないでしょうか。候補だった堂林ですがOPSが新人時代の.718がピークで年々着実に低下し、キープしているのは外角のくそボールを振って三振する姿だけ。昨年の.559は客観的にもう一軍選手の数字ではないですね。ということで結論としては、バティスタ、メヒアの大化け、新加入の外人投手の想定外の活躍でもないと4連覇は不安があります。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
アンドレ・プレヴィンの訃報
2019 MAR 26 0:00:05 am by 東 賢太郎
ラフマニノフの交響曲第2番は、「古今東西の最もロマンティックな音楽」のコンテストがあればぶっちぎりで優勝でしょう。何度聴いても本当に素晴らしい音楽であり、僕は高校時代にぞっこん惚れてしまいました。お断りしますと音楽の授業は全然関係ありません。1年の時クラスの K君が学園祭でかけたチャイコフスキーP協1番の出だしがやたらゴージャスで気になって仕方なくすぐレコードを買いましたが、本命のそれよりもB面のラフマニノフP協2番がぐっと来てしま
い、何だこの聞いたことない作曲家は、掘り出し物だ!となって買ったのが写真のプレヴィン盤だったという笑える出会いです。当時はこの曲は無名で東京で手に入るレコードはRCAのプレヴィン盤しかなかったのです。プレヴィンは2番を3回録音しますが、後にこの曲のオーソリティとなる彼のこれが初回という時代でした。冗長と思われる部分をカットする短縮版が幅をきかせていると知って、まがい物を覚えるのは嫌だなと思いましたが、このレコードはジャケットの解説(左)に「しかしプレヴィンによるこのLPは、オリジナルどおりの演奏です」と W氏という当時著名だった音楽評論家が書いているので安心して買い、覚えこんでしまいました。ところがそれはとんでもない大ウソで、後に全曲版を聴いて第1楽章コーダの直前と第3楽章でのけぞってしまい、このLPが短縮版だったことを知るのです。評論家というのは曲を記憶もしてないのに偉そうなことを書いてるのかと唖然とし、世の中こんな程度かと大人の世界をナメるきっかけになったという点では有意義な事でした。
しかし評論家にも本当に偉い人がいて、レコード芸術に交響曲の月評を執筆されていた大木正興氏は骨がありました。critic(評論家)とはcriticizeする(批判、酷評する)人ですから本来、いい加減な太鼓持ちや観光ガイドじゃないわけです。若かったバーンスタイン、レヴァイン、プレヴィン、ムーティ、アバド、メータを赤子扱いして一刀両断だった彼は評論家そのもので、ドイツ人以外はだめというのはないだろうとは思いましたが、主観を貫き通して西洋人をあそこまでめった切りできる日本人はどこの世界でもなかなかいない。欧米人のポチみたいな似非知識人ばかりの中で凄いなと思ってました。音楽だけでない教養あってこそと思い知って勉強しようとインセンティブになったし、その影響をもって後に欧米に行って仕事で位負けするということがなかったから彼の評論は一流の教材でありました。
その大木氏の文章というと僕はプレヴィンを思い出すのです。彼のみならず当時の日本のクラシック論壇はジャズあがりのお兄ちゃんがロンドン響(LSO)のシェフなんてジョークも休み休み言えとばかりにぼろかすであり、特に大木氏の舌鋒は鋭かった。前任が押しも押されぬ大家モントゥー様であったことも災いし、ベートーベンの5番だったか7番だったか、こんなものを買って聴く奴は馬鹿であるという強烈な刷り込みが僕の中に今でも残ってます。ちなみにそれは日本だけでもなく、wikipediaによるとロンドンでもプレヴィンはLSO就任当初は “a first-rate conductor of second-rate music.”(二流曲の一流指揮者)と評されていたようで、そんな空気のおかげで僕も彼のモーツァルトやブラームスを聴こうなどというモードにはおよそなく、せいぜい三流のロシア、アメリカ専門の色モノ指揮者という認識であったのです。
しかし、ジャズの兄ちゃんであれ何であれ、このラフマニノフいいじゃない!というのが僕の単純なリアクションでありました。大木氏にそこまでズブズブに洗脳されながらも是々非々であったというのはちょっぴり誇りでもあります。ストラヴィンスキーやバルトークと、とんがった音楽ばかりだったあのころ、それも硬式野球部で毎日泥まみれになってたあのころ、2番なんてウルトラ・ロマンティックな曲にハマってしまったのも自分のハートの一面であり、いまもこのレコードを聴くと自分はこんなにやさしい人だったのか?という気分になれるのです。レコードに何月何日にかけたとメモった紙切れを入れる習慣があるのでわかるのですが受験に落ちたその日にこのLPに慰められていたことを知って、たかがレコード、されどレコード、音楽の記録だが我が人生の記録でもあって、一生の宝です。
プレヴィンなくしてこれはなし。彼に感謝です。後に海外で接することになった彼の演奏についてはまた書くことにします。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
クラシック徒然草『アンナ・ヴィニツカヤは大器である』
2019 MAR 24 2:02:27 am by 東 賢太郎
アンナ・ヴィニツカヤは黒海沿岸の都市ノヴォロシースク出身のロシアの女流ピアニストです。N響でラフマニノフを聴いて感心したのがこちらです。
以来気になっていましたが、その後聴いたわけではありません。今回バルトークの稿を書いていてこの記事に出会ったのが驚きだったのです。
なんとバルトークの協奏曲3曲を一晩の演奏会で弾いたとあります。ただ事でなし。フランクフルトでブラームスのP協2曲を一晩でという演奏会を聴いたけどエッシェンバッハとツィモン・バルトが指揮とピアノを交代したのでした。いやブラームス2曲を一人で弾いたって充分な一大事だが、バルトーク3曲よりはまだましじゃないでしょうか。
彼女はアーティスティックな動機で敢行したのでしょうが、このレベルの企ては同時に抜き差しならない実力テストにもなっていて、「やりました」と証明されるともうどうしようもないという性質のもの、例えるならヒマラヤ登頂や100メートル9秒台のようなものです。仮に意図の10%であれ、彼女がそれを実力のデモンストレーションとしてやったと仮定したとしても、僕は黙るしかない。これはもっと感覚的に卑近な例があって、外でわかりにくいことなのですがまったく正直に吐露しますと、我々法学部生というものはハーバード、オックスフォードでもあっそうと思っているところがあって在学中の三つ子の魂なので消えない。それはThis is Japan.という暗黙知であって他学部の人も”Japan”に入学しているわけだから言えば唇寒し、そういうものだよねということで誰も何も言わない。東大はまったく一枚岩ではないのです。そして我々が世界で唯一そういうものだよねと仰ぎ見ているのが理Ⅲだと、これは理屈でないので言語になりませんが、そういうものです。
思考停止と批判されて仕方ないが僕はアンナ・ヴィニツカヤの記事を読んで仰ぎ見てしまった。良い演奏だったのか、ミスタッチはなかったのかなどの情報はありませんが、その事実を前にしてそんなものが何の意味がある。彼女の衣装が何色だったのか以上にまったく些末なことです。
「バルトーク?3つ弾けますわよ、それも一晩で、オホホ」
とやられた瞬間に絶句し神に見えてしまう強烈さであって、というのも、そもそも1,2番だって弾ける女性はあまり見ないのです。あのアルゲリッチさん、2番がとても似合うと思うが、でも3番だけ。ユジャ・ワンさんは弾いていて、ということは3番は軽い訳であって彼女は表敬すべきレベルにある、アートでも我が国は中国に置いていかれると思いますが、それでも3つ一晩でというのはトライアスロンのような別種のハードルがもう一つ聳えます。もし対抗馬がいるとすると2番の稿でご紹介したイディル・ビレットさんぐらいかな。いやいやまことに、男の達成者だって知らない偉業であって、ピアニスト事業の最高難易度と言って反論はどこからも出ないでしょう。
腕もすごいがそれだけならそこまで驚きません。それを指摘するにはまず「日本人ピアニストでバルトークの1番や2番をレパートリーにしようという人が何人いるか?」ということからおさらいしないといけないと思います。それです、日本のクラシック事業が構造不況業種まっしぐらな理由は。労多くして受けず。「3つ一晩!」を打って出ても会場は埋まらないかもしれないし、ショパンやラフマニノフの方が主催者もリスクがありません。やるなら留学して現地の聴衆のまえでやるしかない。
なぜかというと、こういうことが起きているのです。
明治時代、鹿鳴館のまんま。だから日本人好みのクラシック・レパートリーは「ハヤシライス」という洋風を装った和食に独自進化をとげ、どこへ行ってもそれが出てくる。それだけでクラシックはOKという聴衆が、供給側がそこそこ食える程度に中途半端に存在する。バルトークの1番がそれになることはたぶん百年たってもなく、だから演奏家はチャレンジしない。そうやって業界ごと「ゆでがえる」になって衰退するのです。
ハヤシライスの総代は新世界で、今年を見てもビシュコフがチェコ・フィルと来ますが見事にまいど!の新世界だ。ビシュコフは僕は高く評価している。ならもっと安い指揮者で良かったよ、どうせわかんない人しか行かないから。馬鹿じゃないのと思うしかないがワルシャワ国立フィル、ドレスデン・フィルまで新世界というゆでがえるぶりに至っては手の施しようもない。オケ団員は楽勝の観光気分で日本などなめ切ってるだろう。そんなものに何万円も払う人たちはいったい何なのだろう。
東京のコンサート・プログラムの8~9割がハヤシライスであることは音楽教育、つまり「音楽は学校で習って教育されるものである」という誤った受容の結末であって、日本人の文化レベルの問題では必ずしもありません。外タレの呼び屋という稼業が採算(コスパ)を求める、これはビジネスだから結構ですが、新世界の人気に依存する薄氷を踏むビジネスであってとても投資なんかできない。
しかし芸術家までがコスパを考えだしたら終わりなのです。安定的に需要はあるが矮小な市場で覇を競っても、定食屋が牛丼屋に格上げになる程度でレストランは無理。それでショパン・コンクールで優勝など到底あり得ないでしょう。純粋にクオリティを追求し、内在するエネルギーで進化していくアートというものとはかけ離れた存在。1.5流の(英語でmediocre、ミディオゥカというのです)のショパンを聞くのは鑑賞ではなく消費なのです。
指揮者もそうですが、野心的なレパートリー開拓がない人はもうそれだけで聞く気もしない。論文を書かない大学教授とまったく同じ。ミディオゥカは芸術の敵です。対して読響のカンブルランは凄かった。彼は70才ですよ。メシアンやシェーンベルクであれだけの手の込んだフルコースの料理を供するにはどんな専門家でも膨大な研究と努力がいるはずである。聴衆で新世界よりグレの歌に詳しい人はあまりいないと思うけど、サントリーホールは満員になるのです。これぞ真のアーティスト、芸術家であって、その他大勢の指揮者はエンターテイナーと呼ぶべきです。
アンナ・ヴィニツカヤは芸術家の序列に加わろうという人だと思っております。彼女の素晴らしさはテクニックではありません、それだけなら同格の人はいます。そうではなく、いい曲だなあと思わせてくれるハートですね。まったくメカニックなものでなくもっと柔らかなもの。なんだ、そんなの普通だろうと思われるでしょうが、彼女のテクニックと知的エネルギーがなければできないことというものがあります。音楽は心だ、情熱だ、技術優先はいかがなものか。そんな事を言うのは日本人だけであってアート(Art)は技術という意味である。ハートがあれば感動してくれるなんて甘いものじゃ全然ない、まずそこで非常に高いレベルにないと鑑賞になど値しないのです。他の人がやりたくでもできないもの。それはこういうクオリティのものです、シューマンの「子供の情景」。
これとバルトークが何の関係?わかる人はわかるわけですが、そういう演奏家が増えればわかる聴衆も増える。わからない人は音楽をやる以前にやることがあるのであって、それぬきに練習しても悲しいものがあります。100キロで走ってもベンツはベンツ。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
世紀の対決「イチロー対クレメンス」
2019 MAR 22 22:22:17 pm by 東 賢太郎
昨日、彼の最後の打席を目に焼きつけました。そしてとうとうその時が来る。いったんついたライトの守備から呼び戻され、三塁ベンチの前で総出のハグが出迎える。球場みなが泣いていたのではないでしょうか。
彼を見たのはただ一度だけ、18年前、ヤンキースタジアムの三塁ベンチのすぐ上の席でした。そう、そのときも、彼は昨日の最後のようにライトから軽やかに小走りで戻ってきましたっけ。27才のイチローでした。
2001年、彼が渡米してまだ1か月の頃、開幕間もない4月24日のことでした。あの試合、イチローは僕の頭のなかでは1割ぐらい、関心の9割は1試合20奪三振を2回をやったロジャー・クレメンスにあったのです。その年の最終成績は20勝3敗、自身6度目のサイ・ヤング賞を受賞した伝説の大投手であり、今でも、彼を見られたことは野球の神様に感謝です。
クレメンスに対しイチローはショートゴロ、浅いレフトフライ、セカンドゴロ。打てる気配なし。前に飛ばすのがやっとに見え、体格でもはるかに見劣りするわけですから、「あっ、こりゃぜんぜん話にならないや、1年で終わりだな」と僕は隣の同僚につぶやいたのです。穴があったら入りたい。世紀のおおはずれでありました。
いまになってみて思うことがあります。あのクレメンスの高めのボールは、かつて見た中でも恐怖を覚えるほどの剛球でした。それを見てビビらない、打って手が痺れたに違いないが、どうしてここに来てしまったかなんて心が折れたりしない。それが彼だったのかなあと。いろんなことで何度もぽっきり折れてきた自分は、ああはなれないと思い知りました。
彼は天才だレジェンドだとポジティブな面ばかりが語られますが、ニューヨークでもフロリダでも、いつクビになるかと思ってプレーし、去年からは1年間、マリナーズで試合には出られない契約をして、それでも出る準備だけは怠らなかった。それはそれは孤独で辛かったろうと思います。でも折れない。好きだからできると言ってしまえば簡単ですが、午前零時から1時間半のインタビューを聞いてみて彼も人間なんだとほっとしましたけれど、でもそういうことが淡々とできる人なんだということに強い感銘も受けました。
それから解放されてみて、初めてできること、ひょっとして意外なことが出てくる人でしょう。本当に楽しみですね、それが何かということが。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
バルトーク「ルーマニア民俗舞曲」Sz.56
2019 MAR 20 17:17:29 pm by 東 賢太郎
バルトークの家系と出自に関心を持ったのは理由があります。彼の音楽の多面性、つかみどころのなさは彼の血のせいではないか?と思ったのです。同じことはラヴェルにもあって、彼の母親はバスク人ですが、スペイン情緒への傾斜(ボレロ、スペイン狂詩曲など)がその影響であろうことは定説になっています。母親の出自に関心と愛情をいだくのは人間として自然でしょう。
僕自身、出身は?と問われれば東京と答えますが、祖父母の出身地は母方が長野県、長崎県、父方が石川県、東京都とばらつきがあります。さらにその先祖は京都、山梨県です。場所だけでなく身分も農民、漁民、戦国武将、公家と雑多です。自分はそのどれかではないがどれでもある。アイデンティティというものを意識すると不安定です。60になって、自分の社会的人格は捨てよう、我に忠実に生きようと努力してますが、では我はどこにいるのかとなる。知らなければよかったと思うこともあります。原住民以外は全員が移民であるアメリカという国家はルーツを話題にしない不文律がある。姓で見当はつくので口にしてしまうと会話は止まります。止まらなかったのはピルグリム・ファーザーズの子孫という女の子だけでした。
バルトークの精神の深層におそらくあったアイデンティティの複雑さの投影が気になってしまう理由はそこにあります。父方はハンガリー下級貴族ですがその母(彼の祖母)はセルビア地区の南スラヴ少数民族です。お母さんはドイツ系ですがスロヴァキア出身。そして彼が生まれ落ちたのは当時ハンガリー王国の一部ですが現在はルーマ二アの土地だった。国民国家である日本で育つと理解しづらいですが、国家と民族はちがいます。歴史的にはそれが普通であり、バルトークを単純にハンガリーの作曲家と見るのはほとんど適切でないでしょう。
出身県DNAや血液型占いは信じてませんが、僕はイメージとして仕事は九州人の気宇壮大さを大事に、学習は細かく根気よく北陸人的、趣味はどっちでもなく京都人ということで生きてきた気がします。何々人と言っても多様で、詰まるところその先祖の個性という味気ない結論になりそうですが、例えば証券業という仕事を選んでみると、そこでうまく生存するには自分の中に九州っぽい部分があって、それが自然に優位に働いた。そういうことだと思います。
バルトークも作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出し、地域を征服・支配したオスマン・トルコが混ざっていておかしくない、だから数学者だったり残忍、野蛮だったりするのだろうと考えるのです。子どもの頃に聞きなじんだ音楽の記憶は消えません。僕にとっては赤子の頃に四六時中、耳元で鳴っていた親父のSPレコードがそれで、チゴイネルワイゼンは3才で諳んじてました。バルトークが幼少にそういう風に諳んじてしまった音楽がどういうものか、起源をたどるのも一興です。
曲は「ルーマニア民俗舞曲」Sz.56です。この曲に僕は並々ならぬ愛着を持っています。まず、バルトーク自身のピアノでお聴き下さい。
(注:youtubeから消えてます。必聴なので探したい)
次にハンガリー出身のリリー・クラウス女史で。
次にフランス出身のエレーヌ・グリモー女史で。
いかがでしょう?バルトーク、クラウスはフレーズが伸縮し音価どおりではないです(後者の方が振幅が大きい)。グリモーは楽譜から読んだという感じがする(非常に洗練されて魅力的ですが)。バルトークは古老たちの歌を耳で聞いてそれを音符に置き換えたわけですが、当然、記号化には限界があります。例えば日本民謡や演歌のこぶしを五線譜に書けるか?ということです。
この6つの小品の元ネタの故郷が「ルーマニア」だと作曲者が断じているかのような命名ですが、そうではなく、ヴァイオリンと羊飼いのフルートによるトランシルバニア地方の民謡です。発表時のタイトルは Romanian Folk Dances from Hungary という妙なものでした。1914年に隣国でサラエボ事件が勃発しこの曲は動乱のさなか1915年に書かれたからですが、それを契機に始まった第1次世界大戦でハンガリーとルーマニアは敵国同士になったのです。ハンガリー平原がオーストリア、オスマン両帝国のぶつかりあう最前線であった歴史が事情を複雑にしています。
トランシルヴァニアは11世紀にハンガリー王国の一部となり、王位継承により1310年以降アンジュー家、後にハプスブルク家領となりました。ところが1526年にオスマン帝国の属国となり、トランシルヴァニア公国として現代ハンガリーの国民的英雄であるラーコーツィ・フェレンツ2世が君主を務めた。だからハンガリーには大事なところなのです。ついに大トルコ戦争でオスマンを追い出し、18世紀には再びハプスブルク家のハンガリー王国領となったのに、第1次世界大戦で今度はルーマニア領になってしまった(1918年)。そこで from Hungary が削られたのです。
バルトークの生地は広域のトランシルヴァニアに含まれますので、彼にとっても重要な地、心の故郷でした。支配者オスマン・トルコがこの地へ残したものとバルトークは関りがあったのか?大いにありました。彼はトルコで多くの民謡を録音、採譜しています。これがそのひとつです。
「ルーマニア民俗舞曲」の第3、4曲のメロディーにあるアラブ音楽の影は明白です。これはロシア人のリムスキー・コルサコフやフランス人のラヴェルが異国(東洋)情緒を出す目的で入れたようなものではなく、バルトークにおいては「おふくろの味」であった、それは想像の域を出ませんが、僕はそう信じております。
バルトークが聴いた「ルーマニア民俗舞曲」はこんなものだったかもしれません。フィドル2丁とコントラバス、濃いですねえ。縦笛の妖しい調べ・・・何とも言えません。それをオーケストラに落とすとなんて近代的な音になることか。終曲のノリはまるでロック・コンサート、聴衆も体をゆすって目はエクスタシーだ、弦チェレやオケコンの終曲のルーツを感じませんか?
それだけじゃない、僕はこの曲にいつもリムスキー・コルサコフ「シェラザード」を思い出すのです。西洋人がイメージしたオリエンタルはこういうものか。特に第4曲(Bucsumí tánc)の和声がそうですね(ボロディン風でもある)、この曲はそのままシェラザードに入れて違和感はありません。そして終曲の強烈なアッチェレランド、これ、そのものです。
次はシナゴーグ(ユダヤ教会)でのジプシー楽団(ライコ・オーケストラ)による民族色たっぷり、むんむんの演奏です。ジプシーの子供のオーケストラで16才までにチゴイネルワイゼン級のヴィルティオーゾの技を身につけた子だけが残れるそうです。お立ち台の子はまるでヨハン・シュトラウスと思いませんか。彼の一家はユダヤ系ハンガリー人の血を引いているといわれますが、なるほどと思わせられる写真です。
このオーケストラでは楽譜を使わず、先生が指を見せて覚えせさせるそうです。そうすればもちろん暗譜になって、音楽が目と頭ではなく体にしみこむという考えのメソッドです。そのメソッド、僕は音楽の正道と思います。
次に、このヴァージョンを是非ご覧ください。クラシック音楽って何なんだっけ???皆さんの頭に革命が起きます。
渡米後のバルトークは「ハンガリーの納屋のワラ一本」に彼は「一つのよい薫り――それは音に成ろうとしているのだ」と語っています。
最後に、バルトークがフィールド・スタディでエジソン・シリンダーに録音にしたもの(Musicology of the Research Centre for the Humanities of the Hungarian Academy of Science)。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
日ハム・金子の芸術的な快投
2019 MAR 19 20:20:06 pm by 東 賢太郎
日曜日に東京ドームでアスレチックス対日本ハムのプレシーズンゲームを、試合開始2時間前に入場して打撃練習から見ました。メジャーがドームで打つとこうなるのかという凄いホームランの連発でしたが、2年前に神宮の七夕の奇跡で見たカープ・バティスタの左中間の弾丸ライナーの一発のほうが上だな、なんてことも思うのです。試合は5-1のスコアでメジャーの完勝、あんまり見るものがないゲームでしたが、唯一、金子の4イニング9奪三振は美しかった。
先発の有原は157キロでましたがカンカン打たれて4失点です。それより金子の140キロが速く見えた、これぞ野球の謎ですね。縦横に自在に曲がる変化球も速くて空振りがとれ、最後はコーナーぎりぎりのストレートに手がでず見逃しが何度かありました。メジャーを手玉にとったのは見事です。
金子はプロとしては体も細身でフォームに威圧感もなし。一見何でもないピッチャーで、腕の振りも速さを感じないのにキャッチャーミットの音が半端なく、たぶん打席ではすぐ球が手元に来てる感じでしょう。それでコントロールがいいのだから打てるイメージがないです。
選手百人いれば百種類の球があります。僕は常にそれを楽しみに野球場に行くのです。試合前のキャッチボールから真剣に見て、いいなと思った野手は背番号から名前を確認します(投手じゃない、野手です)。河原の草野球だって、中学ぐらいの投手が、遅いけど回転のいい球でミットがパーンと鳴ったりすると、ちょっと高めはいやだななんて思ったりして、バッターの反応が見たくて2イニング見物してしまったり。やってた人ならわかってくれると思うのですが。
バッターの反応。打席に立つのでなければ、それしか判断材料はございません。自分のだけは打席で見られないからマウンドからじっとそれを観察して、その日の調子を知りました。振り遅れてると「今日は行ってるな」と思う。行ってるは投手目線、来てるは打者目線の言葉です。だから反応(特に見逃し方)でいい打者かどうかもわかります。それがいいと、おぬしやるなとなって、胸元を攻めとくかなんて捕手と目くばせしてました。
金子の球は、打者がほとんど想定外という反応。芸術の域ですね、うまいなあとため息つくばかりです。打者は150キロに見えてるだろう。彼ぐらいになると前の球の反応でどこに投げるかが直観的にわかるのではないでしょうか。僕が当たった元プロの投手の、打席に立ってみた印象もそうでした。打てない所ばかりに来るのです。
ケガさえなければ金子は10勝はするでしょう。彼のピッチングはネット裏から初めてみましたが、それだけでも来た甲斐がありました。オリックスはどうしてだしちゃったのかな?もう一つ謎が残りました。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
バルトーク ピアノ協奏曲第2番 Sz. 95
2019 MAR 16 17:17:13 pm by 東 賢太郎
この曲は浪人時代に聴きこんでいた「バルトークのすべて」(左の写真)に一部が収録されていて、この作曲家の音楽のうち最初に知ったもののひとつです。受験の最中でした。なぜバルトークに興味を持ったかというと、色弱で文系を受けることになったのですが文系科目は伸びしろがないと思い、数学で満点をとる作戦を決行中だったからです。どこかに「バルトークの曲は数学的だ」とあって、彼の学者然とした風貌ともども関心をもったのだったと思います。
ピアノ協奏曲第2番でまず度肝を抜かれたのは第2楽章の冒頭の弱音器付きの弦合奏の神秘的なたたずまいでした。お聴きください。
なんだこれは?とびっくりして、すぐスコアを調べます。ピアノ譜にするとこんな風になってます。
驚きでした。完全5度が積み重なって平行移動。5+5は9度を作るので常に不協和な響きを含みますが、にもかかわらず美しい!この楽章は僕の中で美のディメンションを広げてくれましたが、同時に思ったのは、しかしそれをピアノのキイから紡ぎだして選び取ったのはあくまでバルトークの耳だろうということです。
この楽譜にはあたかもメカニックな数的な摂理があるように見えますが旋律としては見当たらず、5度の平行移動はドビッシーが元祖であって誰も彼を数学的だとは言いません。何が言いたいかというと、バルトークはフィボナッチ数列や黄金分割比を意識して使用してますが、それもここの5度とおんなじだろうということです。彼は十二音技法ほど厳格かつ思想的、原理的な音選びのメカニズム(条件付け)は適用せず、葉書の縦横比が黄金比だから調和して見えるというようなエステティックな意味でこだわった人です。バルトークは数学的だというのは「モーツァルトの走る悲しみ」同様の文学的レトリックにすぎませんね。
「クラシックの作曲家は理系である」と各所に書いてきました。理系という概念は日本的で、あえてわかりやすいようにそうしてますが、数字や記号による抽象思考、論理思考に弱い人は楽譜は読めても書けないだろうという意味です。ロジカルな文章も同様です。演奏は読む側だから書く側とは違います。フィボナッチ数列の名を聞いたことがない人でもバルトークは演奏できます。コード進行という概念ができて初めて、読む側の人でも曲のようなものが書けるようになったのです。
理系が全員数字にこだわることはないでしょうが、数字に弱かったり興味がなかったりということはないでしょう。バッハ、モーツァルト、ショパン、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチ、シェーンベルクの数字へのこだわりは有名ですが、楽譜を書いて思考するという記号論理学的操作を業としている人が大なり小なり数字に関心を持ったり執着したりするのは自然です。しかし、それは単に「呪われている」「幸運を呼ぶ」など呪術的な主観であったりもするのです。数学者が必ずしも占星術師ではないように、バルトークがフィボナッチ数列を使ったと言って「数学的だ」と言ってしまうのは乱暴と思います。
僕はバルトークは「ロマンチスト」だと思ってます。後期ロマン派の分派に分類したい。そんな馬鹿なと思われるでしょうが、彼はハンガリー料理を ”おふくろの味” にしながら独仏露料理も取り入れ最後は(不本意ではあったが)ニューヨークに出ていってインターナショナル創作料理店の親父になった人です。数的素材、バーバリズム、無調、神秘主義、ピアノの打楽器的用法などはハンガリー料理のローカル臭をろ過、無機化し、インターナショナル風にする当時国際的に流行っていた食材やスパイスでありました。僕は彼の童心に帰った ”おふくろの味” である「子供のために」を弾いてそう確信したのです。初心者のころに丸呑みして「気持ちいいな」と思えた要素もそれだと思います。
チューリヒにいたころ、ブタペスト在住の K氏がメンバーとなっているゴルフリゾートがペーチュという街の郊外にありました。どこかというとこの地図の一番下の方、ブタペストからドナウ川沿いを車で200キロほど南下したあたりで泊まってゴルフ三昧しました。車をぶっ飛ばして片道4時間もかかる長い行程でしたが、ホテルは新しくてK氏の顔が利き、クオリティの高いコースなのにすいていてやり放題なのに魅せられて4回も訪問しました。
ハンガリーを縦断してクロアチア、セルビア近くまで下るのはなかなかの経験です。途中で食べたアイスクリームやパプリカの効いたグラーシュは美味だったし、人の当たりも柔らかく、農村の田園風景もドイツやスイスとはまた違った趣のあるものでした。ペーチは古代ローマ帝国に起源のある立派な都市ですが、リゾートのある郊外はというと畑と林と農道しかありません。ハーリ・ヤーノシュの稿に書きましたが一度大変な目にあって、夜にペーチュまで遊びに行った帰りにクルマが農道でエンストして動かなくなってしまったのです。参りました。人っ子ひとりない所で寒く、1時間待っても車は1台も通りません。男4人でしたが下手すると凍死かまで頭をよぎりました。
あのとき、ふるえながら道に立って、完全な静寂の中、真っ暗な神秘の空を見上げました。深呼吸して、かすかに田舎の香水も混じったような人懐っこさもあるハンガリーの大地の香りを嗅いで、ふとP協2番の第2楽章、上の楽譜のところが脳裏に聞こえてきたのです。バルトークの聴覚は鋭敏で、いなくなった飼い猫の誰も聞こえない声を聞いて探し当てた。ああそうか、あの音楽はこの空気から彼が聞き取ったものなのかと妙に安心してきて、心の中の音をじっくり聞いて時をやり過ごしたのを覚えています。やがてやっと通りかかった車がガス・スタンドまで2人を運び、彼らの説明でトレーラーが救援に来てくれて難を逃れました。ホテル着は午前4時でした。ハンガリーの強烈な思い出となっていますが、あの香りは一生忘れないでしょう。
バルトークの生地はこの地図の右下のほうにあるNagyszentmiklos(ナジセントミクローシュ)です。ペーチュより東側で、ご覧の通り現在はルーマニアです。
wikipediaによると、バルトークの血筋はこうです:
父・ハンガリー東北部(スロヴァキア国境に近い)の下級貴族の家系。
祖母・ブニェヴァツ人(南スラヴの少数民族集団)でハンガリーでは多くがバーチ・キシュクン県バヤ(ペーチュの隣町)に居住。
母・ドイツ系だがマジャールとスラブの血を引く。スロヴァキア生まれ。
バルトークは父が早くに病没しピアノ教師の母と現在のウクライナ、そして彼女の母国であるにスロヴァキア移住しています。
生地のナジセントミクローシュから出土した23の金工品は遺宝としてウィーン美術史美術館に展示されていますが誰が造ったのか、どこから来たのか、その由来についてはいまだに論争があるそうです。1799年にブルガリアの農民が土中から発見したというからわが国の志賀島の金印を思い起こします。この写真がそれです。
この地域のローマ、トルコ、スラブ、マジャール(フン)、中央アジア(スキタイ)、インド、タイ、中国の文化の混交を想像させる、キリスト教文化とは異(い)なるものを感じさせないでしょうか。キリスト教でありながら十字軍に略奪され、イスラム多民族国家のオスマン帝国に服属し、カルロヴィッツ条約でハプスブルグのものとなったというヨーロッパの火薬庫バルカン半島の根本です。オスマン帝国はアチェ王国のあったインドネシアまでのあった艦隊を派遣しており、バルトークの血筋の複雑さへの想像はそう荒唐無稽でもないと思うのです。
僕はハンガリー人であるはずのバルトークがなぜ「ルーマニア民俗舞曲」を書いたり9才の作品に「ワラキア風の小品」があるのか不思議に思っていました。ワラキア公国とは15世紀に敵や貴族を串刺しにして大量に惨殺したヴラド3世(吸血鬼・ドラキュラ伯爵のモデル)が統治したルーマニア南部にあった国です。
「彼は民俗音楽の研究家だったのだ」という能天気な教科書的説明で納得されていますが、本当にそうでしょうか?仮に日本人の作曲家だったとして、韓国や中国の民謡まで採譜してそれで交響曲を書いて世に出ようと思うでしょうか。全否定はできません。しかし、まず異教徒のモンゴル人に、次いでイスラム教徒のオスマン帝国に、そしてキリスト教徒のハプスブルグ王国に「支配」された地域の民族感情は我々の想像を絶するものが在ると考えるのが実相に近いでしょう。
ナジセントミクローシュの東側にあるトランシルヴァニア地方の呼び名はルーマニア、ハンガリー、ドイツ、トルコ、スロヴァキア、ポーランド語で58種類もあって征服、被征服の血なまぐさい歴史をうかがわせます。彼は「トランシルヴァニア舞曲」を書いてます。「コントラスツ」を献呈されたヴァイオリニスト、ヨゼフ・シゲティもハンガリー人(ユダヤ系)ですが、この曲はトランシルヴァニア民謡が使われており、シゲティの出身はルーマニアの旧トランシルヴァニア公国領です。
左様にバルトークの ”おふくろの味” は一筋縄ではないと僕は考えるのです。アイデンティティは捨て去ることはできないし、彼も捨てようとはしなかったでしょう。
僕は最近、彼が後天的にdevelopしたものよりも持って生まれたもの、”おふくろの味” のほうに耳が行きます。彼は田舎料理の素朴な素材をベースにライバルのストラヴィンスキーやシェーンベルクの「新奇さ」に対抗するとんがったスパイスを頭脳で開発していきました。下のビデオでピエール・ブーレーズが「管弦楽のための協奏曲」の終楽章の弦のプレストは欧州のオーケストラでは弾けなかったろう、高性能のボストン交響楽団だから書けたのだろうと言ってますが、そうやってスパイス部分が増幅されていき、米国の管弦楽団のショーピース効果が広く称賛され、だんだんとそちらに比重がかかった解釈を良しとする風潮が世界的に醸成されたと感じます。
2番は第1楽章に弦が出てこないという稀有の曲でもあります。冒頭を飾るトランペットのファンファーレ主題は華麗ですがブラスバンドとピアノだけで作るこの楽章の世界は彼のアレグロ・バルバロのごとくに無機的で凶暴であり、ファンファーレは幻想交響曲のギロチンの首切り場面のそれに聞こえてきます(この主題は第3楽章に再現します)。
突如現れるピアノの打楽器のような強烈かつ鮮烈なリズムの連打は暴君のように無慈悲でまことに野蛮ですが、このリズム(タンタタ・タタタタ)は冒頭ファンファーレ主題に由来し、この楽譜をご覧になれば明確ですが、和声が5度+5度である、つまり例の第2楽章冒頭の静謐で神秘的な弦楽合奏の和音なのです(しかもリズムまでタンタタだ!)
これに呼応するオーケストラもティンパニ小太鼓が春の祭典並みの切れ味鋭いリズムアンサンブルを叩きつけ(後に「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」の原型となる)、ピッコロ、フルートが幻想交響曲の妖怪の半狂乱の声をあげ(練習番号115)不気味極まりなし。バルトークのこういう一面には数学者など影も形もなく、「中国の不思議なマンダリン」の役人の惨殺につながる残虐、凶暴な串刺し公(ドラキュラのモデル、ヴラド3世)もかくやというところがあるのです。トランシルヴァニアの人種のごった煮を前提としないと彼の多面性は理解できないことがお分かりいただけるでしょうか。
だからこそ第2楽章で初登場する弦合奏の夜のしじまが五感に訴えるのです。中間部で再度ピアノがパーカッシブなパッセージを強奏しますが、ティンパニのロールに乗って最後の審判の鉄槌を打つピアノがまた強烈です。ここではブラスの金色がないため暗色が支配し、楽章間でコントラストが明確につけられます。指では弾けず手のひらで抑えないと弾けない楽譜が頻出。金管が省かれるこの楽章は5年後に書かれることになる弦チェレの音がすでにしています。この楽章がであり緩ー急ー緩でシンメトリーであり、前後の楽章に挟まって急ー緩ー急ー緩ー急となる。彼ならではの形式論理です。
終楽章は5オクターヴ駆け上がるピアノで激烈に開始。続くティンパニの悪辣な短3度(ドーミ♭)の連打は明らかに春の祭典を意識しています(彼は祭典の初演直後にそのスコアを研究)。第1楽章ファンファーレが響き弦チェレの第2楽章が響き、どす黒い生地に黄金の光彩をまぶして曲は管弦楽の協奏曲の改定されたエンディングで終わります(この楽章は冒頭と終結がそれで閉じています)。僕の主観ですが、その黄金のきらめきは上掲写真のナジセントミクローシュから出土した23の金工品を強く連想させます。
ピアノ協奏曲というジャンルはバルトークにとってモーツァルトと同じ意味を持つ、つまり、自身が生きているうちは自分で弾くためのシグナチャー・ピースであると思われます。左様にフランクフルトでの1、2番の初演者はバルトーク自身であり、3番は愛する妻に弾かせる意図で書きました。だから彼はそこに彼自身の消し去れない一面を、すなわち「非キリスト教的なるもの」、もっと言うなら金の出土品のレリーフのような「オスマン帝国的なるもの」を書き込んだのではないかと思います。
この曲のピアノパートは難易度で頂点にあることで有名です。聴くだけでも想像はつきますが、実際に、していますwikipediaによるとアンドラシュ・シフが「弾き終わるとピアノが血だらけになる」と、スティーブン・ビショップ・コヴァセヴィッチが「弾いた曲の内で一番技術的に困難で練習すると手が痺れてしまう」というコメントしているそうです。それを弾けたという事実が
ゾルターン・コティッシュ / ジョルジュ・レヘル / ブタペスト交響楽団
ピアニストは19才。彼は後に再録音していますが、何故必要があったのか解せない飛ぶ鳥落とす名演であります。このLPはフンガロトン原盤で日本ではキングから79年に出ました。コティッシュが2番、ラーンキが3番と、共産時代のハンガリー国家が売り出し中の若手2人をお国の英雄バルトークでフィーチャーしたもので、演奏もしかるべく気合が入っ
ています。買ったのは就職した年だからあまり聴けず、じっくり味わったのは留学後のロンドンでした。もう一つ、この演奏の決定的魅力は伴奏のレヘル指揮のオーケストラがローカル色満載であることで、無用にとんがったところがなくまさにバルトークの ”おふくろの味” 路線にぴったりなこと。第2楽章の神秘もひなびた味を伴っていて、これぞ僕がペーチュで嗅いだあの大気の香りです。録音も丸みがあり米国流の名技主義とデジタル解像度を競う路線とは無縁の昔懐かしさがあります。youtubeにこのLPの音をアップしましたのでぜひお試しください。
デジェ・ラーンキ(pf) / ゾルタン・コティッシュ / ハンガリー国立管弦楽団
この曲を血管の中にもっている二人による快演。ラーンキの2番は正規録音がなくこのライブは貴重。生気ほとばしるテンポの第1楽章は最高でこれ以上のものは求め難いでしょう。終楽章のエネルギーもバルトークの意図の体現です。指揮に回った時のコティッシュの傾向で第2楽章の神秘感や翳りがいまひとつなのはマイナスですが、補って余りある美点を評価。ご一聴をお勧めします。
ゲザ・アンダ / フェレンツ・フリッチャイ / ベルリン放送交響楽団
ピアニスト、指揮者ともブダペスト生まれ。オーケストラの深みある色彩がまことにふさわしく、曲のエッセンスをフリッチャイが完璧に伝えきって確信に満ちた演奏をしています。彼はバルトークに師事した指揮者でこの音が正調に近いかどうかはともかくも比類ない説得力があることは誰も否定できないでしょう。アンダのピアノは骨太で重量感があり、ポリーニの指の回りよりこの曲では重要なものは何を教えてくれます。技の切れ、無傷、スマートさではないのです。
マウリツィオ・ポリーニ / クラウディオ・アバド / シカゴ交響楽団
ピアノは技巧的に高度で速いパッセージまで微細に引き分けられますが、タッチの軽さは野蛮、凶暴さに欠けショパンのように清明。オケもスマートだが第2楽章の弦も透明で神秘のにごりがまるでなく蒸留水を飲むようであります。バルバロな部分はインテリがヤンキーを気取ったみたいで不道徳のかけらもなく、これほどバルトークの ”おふくろの味” が希薄な演奏もなし。イメージは全然ふくらまず、何を聴いたかさっぱりわからず。
レイフ・オヴェ・アンスネス / ピエール・ブーレーズ / ベルリン・フィル
ブーレーズの伴奏が聞きもの。リズムのメカニックな正確さで最高度にあり、それがここまで極まれば快感に転じるという彼の「春の祭典」の水準にある驚くべき演奏です。ローカル色は希薄ですが、この演奏にそれを求めても仕方なしでしょう。アンスネスのピアノも指揮に完全に同期して間然するところなく作品のイデアのようなものを築き上げています。おふくろの味を欠くバルトークもこの路線と完成度ならありというというもうひとつの多面性をもうひとつの教わります。
イディル・ビレット / チャールズ・マッケラス / シドニー交響楽団
最高難易度の2番を女性が弾くのがどれほどのものか。ユジャ・ワンが譜面を見ながら弾いているビデオがあって、弾けるだけでも称賛はしますが、イディル・ビレットのそれは衝撃です。NAXOSレーベルで知られるようになったので廉価盤アーティストの印象になっていますがとんでもない、この人は現代のギーゼキングで何でも弾ける。そこまでいくと技術だけではなく超絶的な聴覚と記憶力の問題であって普通の人の及びのつきようもない能力の持ち主でなくてはあり得ません。ビレットはトルコ人(アンカラ生まれ)人です。音楽って面白いですね。
( 「YouTubeで見る」をクリックしてください)
(こちらへどうぞ)
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
「グレの歌」(読響定期)- カンブルランへの感謝
2019 MAR 15 22:22:32 pm by 東 賢太郎
指揮=シルヴァン・カンブルラン
読売日本交響楽団
ソプラノ=レイチェル・ニコルズ
メゾ・ソプラノ=クラウディア・マーンケ
テノール=ロバート・ディーン・スミス、ユルゲン・ザッヒャー
バリトン・語り=ディートリヒ・ヘンシェル
合唱=新国立劇場合唱団(合唱指揮=三澤 洋史)
これがカンブルランをきく最後になってしまいました。
メシアン「彼方の閃光」、「アッシジの聖フランチェスコ」(全曲日本初演)、 J.M.シュタウト ヴァイオリン協奏曲「オスカー」(日本初演)、デュティユー交響曲第2番「ル・ドゥーブル」、ヴィトマン クラリネット協奏曲「エコー=フラグメンテ」(日本初演)、アイヴズ、「ニューイングランドの3つの場所」
などはもう聴けないかもしれないし、
バルトーク「青ひげ公の城」、コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲、ブリテン歌劇「ピーター・グライムズ」から”4つの海の間奏曲”、ブルックナー交響曲 第6番 イ長調 作品106、マーラー交響曲 第9番 ニ長調
も大変印象に残りました。陳腐な演奏は皆無でしたし、やはり何より「アッシジの聖フランチェスコ」は僕の50余年のクラシック歴のなかでも最上位の体験でした。
http://読響定期・メシアン 歌劇「アッシジの聖フランチェスコ」を聴く
そして昨日のグレの歌。ブーレーズの録音で聴いていますが実演が初めてであり、心から堪能しました。トリスタンの影響がありありとあるのは和声がきれいに解決せず延々と旋律が伸びていくところです。解決は機能和声の宿命ですが、宿命から自由なこれを書きながらシェーンベルクは機能和声までも抜け出したくなって十二音に行きついたのかと思ってしまいます。
ワーグナーもどきであったとしても初期にこれだけの作品を独学の人が書いたという驚異を皆さんはどう思われるのでしょう。第3部は1911年とシェーンベルクが無調の領域に踏み出してから完成されましたが、第2部までとは和声の扱い方に不気味さが増していながら無調にはせず、なんとか木に竹を接ぐとならないように腐心した跡が感じられます。最高の音楽、最高の演奏でした。
僕がドイツに住んだのは1992-95年ですが、カンブルランは1993- 97年にフランクフルト歌劇場の音楽監督でしたから重なってます。当時は無名で、マイスタージンガーなどを聴いていますがピットの中だから姿さえ覚えてません。ご縁があったということですが、こんなお世話になろうとは夢にも思いませんでした。
彼でなければ絶対に聴けなかった曲を体験することはぞくぞくする知の冒険でありました。カンブルランの図抜けた指揮能力、読譜力、解析力、記憶力、運動神経、音楽へのdevotion(献身)は何時も驚異であり、自分が逆立ちしても及ばないことができる人を目の当たりにするのは無上の喜びでした。僕は人生において万事独学主義なのですが、極めて少数の例外がございます。教育界ではお二人だけ、駿台予備校の根岸先生(数学)と伊藤先生(英語)にそれぞれの領域で最高の敬意と感謝をささげており、クラシック界ではピエール・ブーレーズが唯一の先生でした。ここでもう一人、シルヴァン・カンブルランが先生に加わりました。9年間お疲れさまでした、そして、本当にありがとうございます。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
ホリエモンの東大再受験
2019 MAR 13 10:10:45 am by 東 賢太郎
まじめにやってみようと思ったことはありません。夢を見るのです。なぜか東大を中退しているのですが、それは失敗だったと後悔してまた受験する羽目になっています。どうしよう、また文Ⅰにするか、ちょっと自信ない、やめとこう、かえよう。けっこうリアルな夢です。ところが入試直前になって模試がぜんぜんだめで時間切れになりそうです、どうしたんだ? やばいぞ、こんなはずじゃないと焦って目がさめるのです。
ホリエモンがまた東大に挑戦したとは知りませんでした。だめだったみたいですが、46才のチャレンジ精神はとてもよろしいんじゃないでしょうか。山本マサかキング・カズかというところですね。できるかなと思って僕もあの年(75年)の2次の問題を検索してみましたが、これを解いてまた文Ⅰに受かるなんてのはオジサン野球のピッチャーに大谷翔平から三振とってこいというようなものです。
いっぽうでAbemaTVは悪ふざけが過ぎる、受かっても行かないならまじめな受験生の勉学機会を奪うことになると批判があります。でも年齢制限も職業人はだめという決まりもないです。オジサンに負けてしまう子は事前の勉学が足らんという方がフェアだと思います。心配ないと思いますよ。お馬鹿なテレビが東大番組やって芸能人がたまに勝ったりする、あれ見ているうちにもしかしてと思うんでしょうが、クイズ王みたいな人は何年やっても入れません。だから勉学機会を奪うことはないです。
堀江さんは古文や社会は相当できるのでしょうが数学なめてて20点ねらい(4問中1問完答)じゃ文Ⅰはそもそも無理でしょ。あれをなめられる人なんて理系でもあんまりいないと思いますよ。2次の数学が難しいのを彼が知らないはずはなく、計算違いしてダメでしたなんて言葉は信じ難い。単に手も足も出ずでしょう、彼であっても付け焼刃では零点で不思議でないということです。
しかし繰り返しますが、蛮勇のきらいはあるとはいえ46で挑戦しようというのは立派だし、点数を公表しているのも潔いですね。ビッグマウスといわれるが、有言不実行や三角関数はいらないなどと自分が数学できないのを正当化する政治家よりよっぽど男らしい。来年もチャレンジしてください。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
「社会的人格」はストレスの源泉
2019 MAR 12 1:01:09 am by 東 賢太郎
以前に「社会的人格」などという造語を書いたことがあって、生きていくために社会に合わせて作ったウソの自分ということですが、生まれたままのナマの自分というのはなかなかここにも書きにくい、きっと嫌な奴なんじゃないかという気がしていたのです。社会人というのは好かれてナンボでもあるので、特に営業をしてましたしそういう迎合が必要と思っていたと思います。
いまはもうぜんぜん必要なく、無理なことをするとストレスをためて健康に有害であります。もともとお世辞は言いませんが、好かないものは好かないと相手に言わないのはストレスだということがわかってきました。ならば言ってしまおう。健康の方が大事だから嫌われたってかまわないし、素のままの自分を受け入れてくれる人以外は長くは続きません。
となると、やっぱり、どう育てられたかというところに帰着するのです。クラシック好きは赤子から鳴っていた親父のSPレコードのせい。おふくろの作法で朝は紅茶しかだめだし勉強の前はコーヒーしかだめです。社会や人生については親から言い聞かされたお披露目はできない多くの「思い込み」があります。たぶん根拠のない偏見ですが座標軸として完成してるので変えようがありません。ふりかえってみると、親父は徹底した教育者でありおふくろは座標軸を作った人です、それもかなり特異な。
医師に「ストレスを減らしなさい。寝ても減りませんよ、努力して減らしてください」といわれ困ってしまい、実はいろいろ試しているのです。「なんでもいいからスカッとすることをしなさい」と言われてます。でも何してもだめなんです。そこで「どう育てられたか」に素直に行こうとなった。うん、たしかにこれがいいなとなってます。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。












