クラシック徒然草《名曲のパワー恐るべし》
2019 MAR 8 21:21:25 pm by 東 賢太郎
週末は久しぶりに音楽室にこもってました。体調も戻り、万事順調でストレスもなく、いよいよ3月になってプロ野球もオープン戦が始まりました。毎年心が沸き立つ時期ですね。
しかし、こもってなにしたかというと、とても暗い音楽、ブルックナーの交響曲第7番のアダージョ(第2楽章)とじっくりと付き合っておりました。この楽章はワーグナーが危篤の知らせのなかで書き進められ、ついに訃報に接しコーダにワグナーチューバの慟哭の響きを書き加えたのでした。深い魂の祈りのこもった音楽です。
音楽は楽しいものです。しかし「楽しい」イコール「明るい」ばかりではありません。性格の明るい人がいつでも楽しいわけではないですがそれと同じことです。人は誰しも喜怒哀楽、喜び、悲しみ、苦しみ、悩みを日々くり返しながら生きています。もちろん喜びに満ちていることがいつだって望ましいのですが、人生、あんまり喜ばしくない時間の方が長いのかもしれないなとも思います。
悲しみ、苦しみ、悩み、落胆、絶望にじっくりと寄り添ってくれる音楽。それは僕の知る限り、クラシックしかないでしょう。落ち込んだときに生きる力や勇気をくれる、それはあらゆるジャンルの音楽の持つ力です。しかし、いくら鼓舞されてもかえってつらいだけ、むしろ寄り添ってもらいたい、一緒に泣いたり、癒し、慰めをもらいたいという時はクラシックの出番なのです。そういうものは不要だという人もおられるでしょう、それは素晴らしいことでいつもそうありたいと思って生きていますが、どうも僕はそこまで強くはできていないようです。
私事でいえば、母は僕の大好きな音楽たちに包まれて旅立ちました。自分自身もそう望みます。悲しい曲はひとつもありません、どうしてもそうしてあげたいからそうなっただけです。僕にとってクラシックはそういうものです。それに比べれば些末なことですが、入試に落ちたとき、数日は目の前が真っ暗でしたが、そこで何回もかけたのはラフマニノフの第2交響曲のレコードでした。理由はありません、それに包まれていたかったということ、それだけです。
僕はそういう曲たちを学校とか誰かに習ったわけではなく、偶然に出会いました。そこから一生の伴侶になってくれている。人との出会いでもそうなのですが、だから大事と思う気持ちが半端ではありませんし、人生をかけてもっともっと知りたいと思う。そうやって深く知り合った音楽が100曲ぐらいでしょうか、ですから、60年もかけてそれということは、もうそれ以外は時間切れであってご縁がなかったと思うしかないでしょう。
そういう関わりあいを持ち始めると、不思議なことですが、何も悲しくないのに悲痛なアダージョが欲しくなるようなことがだんだん出てきます。寄り添ってもらって、一緒に泣いてもらって、救われる。これは喜びや快感とは同じではないのですが、生きていくのに大事な心の薬です。薬が効いてすっと痛みがひいた、その経験をくり返すと、痛みを思い出すのが苦痛でなくなり、あの苦痛がない今が幸せだと感じることができるようになります。これはこれで、喜びなのです。
インフルエンザになって、10年ぶりにウィルスの怖さを思い出しましたが、治ってしまった今はかえって健康のありがたさを実感して日々喜びを感じるという、そんなところです。そうやって、悲しい、暗い音楽は、だんだん僕の喜びへと変わってきました。それぞれの曲が、どういう時に必要でどう救ってくれたかは覚えてますので、それを今になって追体験することは苦痛を乗り越えた自分をタイムマシンに乗って眺めるようなものです。またできるなと自信になり、もっと強くなれます。
ブルックナー7番のアダージョには特別な思いがあります。僕ならではのおつきあいの方法があって、これにどっぷりつかるなら自分で弾いて同化してしまいたいという思いが強いのです。それをお勧めするわけではなく単に個人の流儀にすぎません、もちろん、聴くだけで充分です。
週末は、初めて、2時間ほど格闘して、アダージョを最後まで弾ききりました。ピアノを習ったことはなく無謀なチャレンジなのですが、音符はかなり間引いて、間違ってもつっかえても、兎にも角もにも完走するぞという素人マラソンの心持ちです。ついにワグナーチューバの慟哭がやってきて、昇天のような最後のコードを押さえたら、たぶん1分間ぐらいはじっとしたまま動けません、あまりの素晴らしい響きにほんとうに動けなくなってしまったのでした。
ちょうどそこで家内が部屋に入ってきて「食事に行くわよ」といわれなければ、1時間でもそのまま嬰ハ長調のキーを押さえていたいという、あんなことは人生初めてです。
この体験はなんだか宗教の悟りというか、何が悟りかも知らないでその言葉を使ってしまうのは不届きと分かっているのですが、しかし、ほかにうまい表現を知らないから仕方ないのです、自分を別な人間に導いてくれるようなものがこの曲にはあります。アウグスト・フォルスターの響きの色合いがワグナーチューバとホルンの合奏に聞こえて、こういう音が自分の指先から出るのも初めてです。悲しみは喜びにもなるのです。
まったくもって個人的な経験を書かせていただいてますが、音楽の喜びには最大公約数などなくて、おひとりおひとりの感じ方、フィーリング次第ですからそもそもとてもプライベートなものです。ブルックナーは嫌いという方がいていいですし、学校で一律に名曲だと教えるべき筋合いのものでもなく、むしろ食(グルメ)の楽しみに近いように思います。僕は煮物があまり得意でなく、日本人にとってそれは「名曲」なのは間違いないでしょうが、おいしいと思わないものは仕方ありませんし訓練して好きになるものでもないように思います。
だからブログに書いている曲は、単に僕が好みの料理や食材であってそれ以上でも以下でもありません。ただ、そこまで気合を入れて好きである以上はひとかどならぬ理由はあって、それを文字にしておくことでいつの日か、百年後でもいいから興味を持って聴く人がおられるかもしれない、それがその人にとっての運命の出会いになるかもしれないということです。あんまり世の中のお役に立つ人生を歩んでないですし、できるのはそのぐらいしかありません。7番のアダージョはそのひとつです、この楽章だけでいいのでじっくり付きあってみて下さい。
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カープの強さ=アスリート本能の2乗
2019 MAR 7 1:01:18 am by 東 賢太郎
この時期に勝ち負けは関係ないですが、カープのオープン戦は今年を楽しみにさせてくれます。6か月の長丁場のシーズンです。ケガや不調などからレギュラーだけで年間を戦えない可能性がどの球団にもあって、そのダメージコントロールがどれだけできるかで順位が決まると僕は考えています。
とするといわゆる選手層の厚さの勝負になるのですが、今のカープの野手陣は田中、菊池、鈴木以外は誰を使うか迷うほど力量がハイレベルで拮抗しています。センター、レフトの2席は長野、野間、松山、バティスタ、西川、内野(ファーストとサード)は松山、バティスタに加えて安部、メヒア、小園、曽根が。
数の問題ではありません。カープのキャンプ風景を見ていると、見事に無駄がない。「早打ちトス」など1秒に2球のペースで全力で打ちまくる拷問のような練習です。スケジューリングもグラウンドの部分部分の使い方も合理的で隙がなく、あれを見て他球団を見ると無駄だらけでルーティーンを流してるだけに見えてしまいます。広島流のただごとでない練習量をこなせば、持って生まれた能力の頂点にあるという快感を覚えるだろう、というのは僕にもなんとなく経験的に想像がつくのです。
ランナーズハイ(runner’s high)とはマラソンやジョギングで苦しさを我慢し走り続けるとある時点から逆に快感・恍惚感を覚えることです。カープの選手はそれとおなじで「野球ハイ」の状態になるまで練習させられているのではないかと思うのです。この「ハイ」というのはスポーツだけでなく勉強でもあって、数学など練習しまくって何でも来い状態になると解くのが快感になります。うちのネコは猫じゃらしの捕獲がうまくなると恍惚として目がらんらんとして何度でもやるようになります。これって、人間というより、動物的本能じゃないかと思うのです。
そうなると、今度はその能力を確かめたくなる。野球は9人しか試合に出られないからそこで闘争本能という(これも根源的に、動物的です)ものに着火するのです。闘争本能はどの球団の選手にもあります、プロだからないはずはありません。しかし、カープの選手は「野球ハイ」で恍惚、目がらんらんなうえにそれが乗るのだから、本能✖本能(本能の2乗)の尋常でないモチベーションがあるのではないかと想像します。阪神でだめになった新井が帰ってきて覚醒したのも、そのマルチプル効果がきいたのではないでしょうか。こういう動物的モチベーションというものは、お金や虚栄心という頭脳のモチベーションより断然強いと思うのです。カープが強い道理はそれじゃないでしょうか。
丸選手は2年連続セリーグMVPでゴールデングラブ賞ですから、長野だろうが誰だろうがそれ以下の選手ということであって、つまり丸の抜けた穴を埋められる者はないということです。だから普通のチームなら負の効果しかないですが、カープの場合だけはそうではない可能性があって、「3番とセンターが空いた」という本能に火をつけるおいしい要素が二つも提供され、各々が「二乗のレバレッジ効果」でモチベーションを高めます。つまり丸の件はむしろトータルにはプラスに効くかもしれないと僕は思っています。
例えばホークスの育成選手だった曽根がひょっとして菊池の後釜かという成長ぶり。新人の小園は早や成績も体格も3年目ぐらいの風格に育ってますからすぐに田中を脅かすでしょう。邪推ですが、丸のFA移籍で菊池、田中もいなくなること前提でさらなる本能の火種が生まれている感じすらします。カープで育って試合で実績を出すと、やがて巨人さんが30億円くれる。巨人のドラフトにかかると30億円さんや名前だけのロートルさんが毎年天下ってきて出番が来ない。それならドラフトではまずカープに入りたいという有望株が増えるんじゃないでしょうか。
広島対巨人の戦いとは、「動物的モチベーション」対「お金や虚栄心という頭脳のモチベーション」の戦いと見るならば面白い。ここ2年連続で広島が2桁以上の差をつけてボロ勝ち、巨人はお得意さん状態です。才能はあるが「野球ハイ」未満の状態のチームが、恍惚、目がらんらんなチームと当たれば本能的に怖さを感じると思います。オープン戦初戦、先発の床田がいきなり4者連続三振(丸を含む)はそういうものを巨人選手に与えたと思います、今年もお得意さんなのかなと。監督は誰でも関係ないです。やるのは選手だから。もちろん巨人はそれを知っていて、だから丸をとったのです。
丸が2番打者の巨人打線は繋がりという点では強力ですが丸は近年は2番は打ったことがない。彼はまじめな積み上げ型の選手ですから3番で好きに打たせた方が怖いです。常勝巨人軍プロデュースの「原マジック・ショー」というやらせっぽい劇をドームで演じなくてはならない選手たちは大変と思います。あのムードの中で期待と注目を浴びてアドレナリンが出て「ハイ」になれる長嶋や堀内のようなタイプはショーの主役向きですが、丸は鍛錬を重ねていく王貞治タイプと思うので、あれこれ注文がついて気を遣う2番はどうなんでしょうか。巨人は「丸効果」をうたいますがそれは丸が去年並みに打ってのことです。ベルリン・フィルに君臨した帝王、ヘルベルト・フォン・カラヤンが呼んできてほぼ全滅だったソリストたちみたいにならなければいいのですが。
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アガサ・クリスティー「鏡は横にひび割れて」
2019 MAR 4 23:23:37 pm by 東 賢太郎
相変わらず暇があればミステリーです。本作品はけっこう評価が高く、ストーリーが平明で錯綜していないのでサクサク読めます。クリスティは血の匂いがないといわれますがこれもそうですね、殺人は道具だてにすぎず、それが起った場面で主人公がどうしてそんな表情をしたのか?という謎が全編の主題となって物語は進行していきます。その謎は最後にミス・マープルによって解明され、なるほどとなる。パーティー会場の階段の踊り場という開かれた場所での殺人事件なのですが、そこに居合わせた人間は20名ほどと限られており、いわば密室である。その全員が登場人物リストには載っているわけではないということから容疑者は少数で誰にもチャンスはあります。それが誰かというのは動機が何かではっきりするということで、ホワイダニット(なぜ殺したのか?)型であるといえましょう。
動機がわかると謎の全貌に納得です。この納得性はお見事であり、読者への挑戦状をたたきつけるほどの手掛かりの合理性、透明性、ロジックの切れ味はないかもしれませんが、種を明かされるとこの小説の設定のすべてが実はそれの伏線であったとわかります。近くで見ると輪郭のぼやけた絵であるのが、すこし離れてみると誰の目にも鮮やかな教会の描写であるモネの印象派絵画のようで、それに気がつけば容易に犯人も動機もわかったかもしれない、フェアだなと感じさせられます。わからないように巧みに書いてあるのでまず無理なのですが、そう思わされてしまうのがいつも感じるクリスティーの筆力ですね。評価の高さはそれの成功度の高さにあるのかなと感じました。
僕のブログを読んで来られた方にはネタばれになるのでモネのようにぼかして書きますが、いまこの時期にこれを読んだというのは実に不思議な因縁を感じてしまいます。何かの理由で出会うべくして出会ったかな?
本作を読み終わればどうしてそう思ったかはたぶんどなたにもお分かりいただける、それほどのグッドタイミングでございました。
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僕が聴いた名演奏家たち(アレクシス・ワイセンベルク)
2019 MAR 2 11:11:15 am by 東 賢太郎
アレクシス・ワイセンベルク(1929 – 2012)というと、僕の世代の多くのクラシック・ファンには懐かしい名前と思います。ブルガリア生まれのユダヤ系フランス人でした。このピアニストの指の回りの怜悧な切れ味は独特で、細かな装飾音符まで強い音でそれが効くし、ペダルをひかえた音の粒立ちの良さと打鍵の強靭さが際立っているので、テクスチャーが複雑になり音符が増えると速度は変わっていないのにあたかも速弾きになったように聞こえます。これが音楽に起伏を与え、生き生きと波打たせ、静かな部分との見事なコントラストをなし、表現のパレットが豊富になっている。こういうことは頂点の技術のある一握りの人しかできません。タッチに豊饒なふくらみと色彩感があるので、ラテン的な明晰さが音楽の立体感に奉仕してテクニックだけのピアニストとは一線を画したものでした。あのカラヤンが本家ドイツグラモフォンではなくEMIとの録音でチャイコフスキー、ラフマニノフ、ベートーベンというメインストリームの協奏曲に起用したのもその個性がアピールしたのではないでしょうか。
そのピアニズムの魅力は74年に買ったラヴェルのト長調協奏曲で知りました。浪人中でしたがどれだけこれに慰められたか。いまでも第2楽章を自分で弾くと、テンポは自然にワイセンベルクのになってしまいます。このLPへの love はこのブログに書いてあります。
プロコフィエフの第3ピアノ協奏曲を聴いたのもこのLPのワイセンベルクが初めてでした。
77年にクープランの墓に入れこんで買ったのがこのLPでした。これへの love はここに書きました。
どれだけこのレコードが耳に焼きついたことか。僕のピアノへのテーストはワイセンベルクによって出来たと思います。
彼のジャズ好きは有名でしたが、こんな録音がありました。即興のようですが最高のセンスですね。
同じくyoutubeでこれを見つけました。
このブラームスの第2協奏曲ですが、録音されたのは1983年11月25日です。これを当時28才だった僕は妻と Academy of Music のチェロセクションの前の座席で聴いており、知らなかった記念写真が出てきたようです。ただ残念ながら曲はすでに覚えこんでましたがこの演奏の細部の記憶はなく、あんまり感銘はなかったということだったのでしょう。録音を聴いてみて、なるほどオケの音程が甘く重量感に欠けますし、ワイセンベルクの演奏も十全ではなかったことがわかりました。2番をアラウ、バックハウス、ギレリスで知った耳からすると、おそらく彼はこの曲のテンペラメントには合っていないように感じたと思います。2番は結局録音もしなかったようですね。
ワイセンベルクは同年の1月7日にもう一度フィラデルフィアにやってきていて、やはりブラームスの第1協奏曲をやりました。これが初めてだったわけで、こっちはピアノもオケもずっと良かったと思いますが、残念ながらこの時期はウォートンの勉強に必死の頃で、当方の曲への習熟度も2番に比べ足らず書き残すほどの力はありませんでした。ただ、憧れのスターだったワイセンベルクのピアノを目の前で聴く喜びはひとしおでした。席が舞台に近かったこともありますが、普通の力で弾いているように見える彼のffのタッチの強さには度肝を抜かれ、ピアノという楽器はこういうものかと思い知った演奏会でした。
ロンドンに赴任してこのLPレコードが発売になりました(1984年)。ジャケットをしげしげと見て、「ああ自分は
フィラデルフィアにいたんだ」と当たり前のことに狐につままれたような気分を味わったのも今となると不思議です。デジャヴ(既視感)ではない、本当に真近に見ていた二人の音楽家の顔が実は遠い世界の映画の登場人物のように見えました。Mov1はミスタッチも録音に残していますが、何より冒頭に既述したワイセンベルクのピアニズムの特色がライブのあの熱気そのままにお楽しみいただける名演奏と思います。
ワイセンベルクを聴いたのはこの2回だけでした。
ユダヤ人の彼は12才の少年時代(1941年)に、ドイツ占領下となったブルガリアから母親とトルコへ脱出しますがナチスに捕まってしまいます。収容所に投獄され3か月を過ごしますが、彼がアコーディオンで奏でるシューベルトに感銘を受けた守衛は母子をイスタンブール行きの列車に急いで乗せ、「達者でな」と少年にアコーディオンを投げてくれたのです。
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何事もいい仲間とライバルの存在は大事
2019 FEB 28 1:01:09 am by 東 賢太郎
追い込まれると強い人がいます。ゴルフの朋友でライバルのK君。グリーン周りで競ったとき、彼ほど嫌な相手はかつてなし。「神ってる」時期など、こっちはピンそばに寄っているのにバンカーからチップイン、2倍の距離のロングパットをねじ込まれてこっちがはずすみたいなことをやられて逆転負けしてしまう。
ある日など、登りでホールが見えない15メートルのパットを決められ愕然。ガッツポーズで「よし!」の雄叫びをかまされた挙句に3ホールも続けてよしを連発され、だめだこいつには何しても勝てないとなってしまう。以来トラウマで、プロが長めを外すと「あんなのKなら一発だ」がいまだに口癖になってます。
K君ら固定メンバーの3人とは欧州時代に20回ぐらい泊まり込みでストロークプレーのトーナメントをやっています。もちろんスクラッチ、ノータッチ、オーケーなし。全員が根っからの負けず嫌いで壮絶な戦いでした。優勝回数は僅差で僕が多いですがやられた方ばかり覚えてます。指揮者の小林研一郎先生はこの面子でアムステルダムとプラハでお手合わせいただいたのです。
ゴルフの負けはほんとに悔しい。10打差つけられて脱落した最後のハーフなど、僕だけお荷物でどうでもいい、早く打てよという屈辱の2時間で、悔しさで猛練習しました。ゴルフは衆人環視でショットをするのでそれであがってしまうとだめです。見られてるとアドレナリンが出てうまくいく性格は向いていました。
僕はラウンド中は集中していて口を開かないし、スコアが出ないとすぐクラブを買い替えパターは10本もある。ドライバーはすぐ人にあげ、外したボールは時に池に捨てる。普通ならムード悪くなるのですが、「そろそろあいつキレてタマ捨てるぞ、拾おうぜ」なんて、完璧に見透かしてる仲間たちなので楽しく遊んでもらえました。
スイス時代に本間のウッドが気に入って買いました(左)がヘッドの真っ金金が(写真は長年使い込んで地味に見えますが)「おお、中国製か?すごいな」と一気に皆の酒の肴です。本番でドライバーを取り出すと「いよ、黄金バット!」と野次られます。しかし僕はそういうのは一切関係ないのです、徐々に絶大な威力を発揮、しまいには写真のスプーンを取り出すと皆やめてくれという顔です(はっはっはどうだ!)。右は同じく本間のSWで、ご覧の通りHONMAの文字が擦り減るほど溺愛。80ヤード以内の必殺の武器でした。この2本でどれだけ勝利の美酒を味わったかと、家宝に認定されております。
何事もいい仲間とライバルの存在は大事ですね、負けて悔しくて必死に練習を積みました。K君が好調だと手も足も出ず、あまりのミスのない steady golf に「Kマシーン」のあだ名をつけましたが、その彼とスクラッチで戦うわけだからこっちまで追い込まれると強くなったのです。しかしその彼も最初は初心者であり、実は僕らが叩きのめして悔しくて強くなったのです。ものすごい練習をしたのだろう、敬意をもってます。
パットのミスでボールを捨ててるようじゃ資格も品格もなし。当時30代のガキでしたがちょっとは人間も鍛えられ、のちに1889年創立の名門・香港ゴルフクラブのメンバーとしていっぱしに振舞えるようになりました。そこで開催された香港地下鉄公団の80名の大コンペで優勝しましたが、そんなのはたいしたことない、「Kマシーン」との一騎討ちのほうがぜんぜんシビアでした。
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我が国はサンフランシスコ講和条約に戻れ
2019 FEB 25 23:23:29 pm by 東 賢太郎
人生双六(すごろく)という遊びがありましたが、数年前ですが第一生命の作ったこういうものが公益財団法人 消費者教育支援センターに表彰されています。
https://www.dai-ichi-life.co.jp/tips/lc_game/pdf/index_001.pdf
対象は中学生、高校生、大学生、新社会人とあります。人生を競争と捉えるのか、ゴールがあると考えるのかどうかは人それぞれの価値観ですが、生涯年収や充実感というものが全員同じではないのは事実です。
我々戦後の昭和世代はおぎゃあと生まれてこのかた競争競争でした。学校で学業・スポーツなどで競争し、就職・就業しても出世競争に明け暮れるというひたすら上昇志向の人生でしたが、その根底には「勉強すればそれなりの就職・就業ができ、そこで頑張ればそれなりの収入と家庭の幸福を得られる」という高度成長期由来の揺るぎない方程式があったわけです。逆にそれがあるから企業は人が集められ高度成長ができたとも言えましょう。個人的にも、この「勉強→出世→幸福」の方程式を親父にたたきこまれ、野球に寄り道しましたが、そっちを諦めたらちゃんと勉強に帰った。教育者でした。よく年功序列、終身雇用が高度成長期の特徴とされますが、それらは当時の日本の文化的、社会的特徴にすぎず、方程式はそれらとは関係なくどこの国でも成り立ちうることは重要ですのでご留意下さい。
平成という時代は、その『昭和の方程式』が粉々に崩れた時代として後世に記憶されるでしょう。理由は簡単です。既存の勉強をしても企業や社会に貢献できないかもしれない時代になった、つまり「社会が必要とする勉強のコンテンツは時代とともに変わってゆく」という一般法則に従っていつの時代も人間は生きざるを得ませんが、20世紀と21世紀の間にはその大きな断層があるから「勉強→出世→幸福」では必ずしもなくなったのです。旧来型の勉強の秀才が旧世代の名門企業に大挙して入社して、僕のように海外企業をたくさん見てきた目からすると「才能の墓場」になっているという事例は掃いて捨てるほどございます。だから1997年に聞いた「これまでは生涯年収はどこの国に生まれたかで決まったが、これからは何を学んだかで決まる」という言葉がズキッとこたえたのです。ああ生まれたのが早すぎたかなと。場所はあのダボス会議、発言者はあのビル・ゲイツです。そのココロが 「IT を学びなさいよ。そうすれば貴方は肌の色にも国籍にも関係なく高い生涯年収がもらえますよ」だったのは言うまでもありません。世界はその予言通りに進化しているという事実は誰の目にも明らかです。
日本と海外でのITリテラシーの差を階層別に比較してみると意外なことに、エリート、インテリ層においてほど顕著(つまり日本の偉いさんはパソコンも使えない)というのが2000年に8年の海外赴任から帰国した時の印象です。役所、銀行、教育現場、企業(経営者層)は、客観的に見ても、先進国の部類ではなかったでしょう。米国、英語圏にそこはかとない抵抗感と文化的に侮蔑したい感情があり、科学技術においてのみ盲目的に追従するという傾向は日本の特徴ですが、敗戦、被爆という国民全体の深層心理にまで至る根深いトラウマがありますから仕方ありません。ITはエリート、インテリに縁遠いポップなサブカルチャーと一体化した印象のため軽く見られてしまった側面もあると思います。大学が学部を設けて国として教育推進する性質のものではないと。
一方、30才代以下における他国との格差はそうでもなく、ということは、ITリテラシーが40才前後を境に世代間の深い断層を生むという現象が日本に特徴的に生じていたことを意味しています。日本は国(文科省)も学校もビル・ゲイツの予言を結果的には無視したし、断層の向こう側の親世代は予言を知る由もなかった。若年層はその結果世界に後れをとった、というより、おそらくエリート校の学生ですら何を学んだらいいか自信が持てなくなったのでしょう、ホリエモンのように「東大は受かればOK」と合格してすぐ退学する学校教育無視型秀才しか恩恵を受けなかったし、一方でエリート、インテリ層は傍若無人な彼らをこぞって潰してしまったのです。その結果として日本は10年の時間を失い、世界は反対にその10年に一気に進化し、2010年ごろには家電というお家芸産業が強みを持つはずだった携帯電話市場ですら、シャープがその命名で開き直るほどガラパゴス状態になっていました。そして、さらにそこからの10年も我々は失ったのではという危惧から本稿を書いております。
国と教育界が何を勘違いしたのか「日本はすでに世界トップの先進国だ」と胡坐(あぐら)をかいて教育の舵取りを誤った責任は非常に重いです。「ゆとり」などかけらもなかったのですが、それは教育と同時に世代間断層の問題でもあったのが日本の最大の不幸であって、ITリテラシーが低い経営者層はフィンランドの企業ノキアができたことをできなかった。それを蹴落としてスマホの販売台数世界一になったのが韓国企業サムスンだったというところに、先見性なさのツケがいかに大きいかを感じます。1980年代の日本企業の地位は韓国に奪われ、ハイテク、AI分野で中国の競争相手は日本ではなく米国だという事実をマスコミは報じず、中国の爆買いツアーが赤恥をかいたみたいなくだらないことばかり報じます。中国に負けたと思いたくない視聴者を喜ばすためです。巨人戦が日テレのドル箱だったころ、Bクラス決定後の巨人戦のアナウンサーがそんな風で大いに笑えましたが、そのうち巨人戦は放映もされなくなったところまで似ています。
日本と逆をやったのが中国です。 近年の中国の経済成長のけん引役となっている高付加価値企業の創業者を見ると、インターネット検索大手バイドゥの創業者は北京大学情報管理学科卒、eコマース大手のJDドットコムは人民大学卒、シャオミは武漢大学電器計算機学部、テンセントは深圳大学計算機系です。つまり、ホリエモン型ではなく、学校教育のど真ん中の秀才なのです。中国共産党の幹部は旧世代の毛沢東、周恩来、鄧小平は文系だったが、文化大革命後の習近平、胡錦濤、温家宝、江沢民は全部理系です。国家のリーダーが理系であるのは文革の影響などとされますがそれは高度成長期の終身雇用と同じ個別国の特殊事情にすぎず、要は、富国強兵に文系は役に立たない、いらないという思想が人材登用に反映したということです。中国は骨格からして理系国家なのです。国立大学が全体の約95%を占めており上意下達は徹底し、世界経済フォーラムが発表する理系(科学、技術、工学、数学)の大学卒業者数の国際比較 (2016年)によると、中国は467万人と世界1位で、2位のインド(258万人)、3位の米国(57万人) を大きく引き離す結果となっています。人口比を考慮しても有意な差であり、平均能力は同等でインセンティブは高い新人が大量に供給され続けるシステムが確立している。プロ野球なら10倍の人数をドラフトで毎年とれる球団のようなもの、強くならないはずはありません。
つまり、中国こそが先見性をもってビル・ゲイツの予言を国家計画として着々と進め、若者の教育の重点を理系にシフトさせ、教育に関する公的支出を対GDP比で2010年の3.7%から2016年には4.2%に増加させている。軍事予算の拡大と合わせ見れば、明治時代の富国強兵政策そのままではないですか。そして、ここが重要なのですが、 中国の2016年の新規大学卒業者の初任給を比較すると、業種別では上位5業種のうち4業種がIT関連産業となっており大学の専攻別では科学・エンジニアリングやITが上位を占めており、難関の理系大学に入学することは高年収を手にする一つの条件となっています。『食える学問』なのです。お受験の熾烈さは有名ですが、理系大学というところが、東大なら何でもいいという日本と決定的に違う。中国という国家も若者も元気であり、シリコンバレーに続々と進出してNASDAQに上場し、顔認証技術とキャッシュレス社会の実現は世界一、月の裏側に世界初の無人探査機の着陸にまで成功している。トランプが脅威を覚えて貿易戦争を仕掛けるのはここに理由があるのです。
つまり、「勉強すればそれなりの就職・就業ができ、そこで頑張ればそれなりの収入と家庭の幸福を得られる」という『昭和の方程式』は、いまや中国において見事にワークしている。子供に「勉強しろ」と言っておいて大学を卒業しても見合うだけの収入がなければ、親も学校も権威がなくなり、中高生アンケートで「なりたい職業」第3位がユーチューバー(ソニー生命株式会社、「中高生が思い描く将来についての意識調査」、2017年)になりもするでしょう。自分の学校の現実、親兄弟や先輩たちの現実から、子供たちは自分が登っている山の頂点に『食える学問』が果たしてあるのかどうか肌で疑問をいだいている兆候ではないでしょうか。日本の大学を米国と比べると、中村修二教授のベンチャー企業のサポートを2年弱させていただいてますが、CEO(米国人)の Steve はカリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)の教授であり米国有数の素材物理学者で、自身で起業した会社を200億円でExit(売却)した成功体験があり(つまり富豪である)、株式ファイナンスに関して議論して僕が素人だなと感じるところは微塵もありません。トップの成績の生徒は彼の会社が高給で雇います。そういう教授なら生徒は当然のことながら殺到するのです。そして、そういう教授たちが論文の本数と引用数で日々競争競争、負ければ脱落。”Publish or perish”(論文を書け、さもなくば滅びよ)という合言葉で切磋琢磨し、生徒から逆評定も受ける。競争社会を生き抜いているから、Steveのような強い教授がごろごろいるのです。
日本の大学にそれは皆無であり、どことは書きませんが、明治時代か鹿鳴館かという時代ものの学問をまだやっている。教養が大事だというのは僕の持論ですが、哲学や古典文学が何かビジネスの役に立つかといえばあまり立たないでしょう。学問としての有意性を論じる資格は僕にはありません、あくまでビジネスを志すならばという限定詞つきの話ですが、専攻しないから教養なのであって、教養だけは身につきましたでは少なくともビジネスの世界ではあまり需要はありません。そういうプログラムの大学は教養で一生のんびりと食える「ゆとり家庭」の子弟だけを生徒にすればいい。ホリエモンは文Ⅲでしたが「東大もそうだ」と見切って退学して起業したわけで、彼は大学教育も東大卒の肩書もそれだけでは飯のタネにはならないと看破したわけです。僕もまったく同感です。むしろ無理して大学など行かなくても、何か専攻などしなくとも、「読み・書き・算盤」が徹底して鍛えられていれば高卒でも中卒でも一向にかまいません。ビジネスは間違いなくできますし教養は後からでも身につきます。逆にその3つのどれが弱くてもだめですね、何を専攻していようと。
日本が低成長国になって30年ですが、この期間のエリート、インテリ層は功成り名を遂げてもう余生にさしかかっており、船が沈むかどうかは次世代まかせ、しかし、沈んでいく船であっても S席は確保しておきたい。船窓からの景色としては隆々と栄える中国など見たくない、中国の悪いニュースは何であれ歓迎であるというマインドになっている人が多く、マスコミは政治家と多数派を忖度するから真実を報道しないのです。若い皆さんはその景色を見たくないというネガティブなマインドはあまりないでしょう、それはニュートラルで良いスタンスですし、成功した者には謙虚に学んだほうが絶対に得です。意地やプライドで突っ張る人は実は強くなく、そういう人はなりたくても謙虚になれない。なぜならそれは見る人が見ればお里が知れて「卑屈」と映ってしまうからです。謙虚な人こそ実は一番強い、そして教養は謙虚な人に必ずある「人間力」を与えてくれる栄養素として必要なのです。
中国は「2030年までに人工知能(AI)分野で世界のリーダーとなる」という国家計画があり、政府高官が理系重視でどんどん政府補助金がつくため学校の勉強→高年収という繋がり(方程式)が明確でわかりやすい。分数の足し算もできない子が大学生になって高収入を手にすることができるとしたら日本はおとぎの国かジブリの神々の国であって、世界で最も高くて無用な労働コストを抱える国ということです。公務員の数の方が多く国家財政破綻に追い込まれたブラジルやギリシャと同じであり、やがてその手の国の仲間入りでしょう。そうはならないと信じますが、それは日本の若者が健全な向上心を持っていると期待しているからです。自分で勉強することです。
韓国の当時40才台未満のITリテラシーは日本より数段上でした。役所、銀行、教育現場、企業(経営者層)は似たものでしたが面白いことに日本に似てやはり彼らはエリートなのです。ところが2000年のIMF危機で優秀な若者が財閥企業から離れて起業、独立などに成功し、トップクラスの若者は優秀で向上心は非常に強く、次世代がまたそれを見て育っている。見習うべきです。皆さん韓国の株式市場などご存じないでしょうが、ITリテラシーの高低が世界の企業業績に影響を与えだした2000年から現在までの日経平均株価指数の上昇率は13%、韓国総合株価指数は約300%(つまり投資金額が4倍)です。学校は教えてくれないですが、この手の数字には感性を磨き、敏感に反応してください。株価、時価総額が何を意味しているか徹底的に理解することはこれから非常に有利に働きます。
北朝鮮のミサイル技術の進歩は米国を脅かすまでに至っており、事の善悪はともかくハッカーはペンタゴンに侵入できるまでになっている。少数でしょうがITリテラシーは非常に高い証拠であり、大陸間弾道核ミサイルと合わせ技で米国の喉笛に突きつけた匕首となっている。このまま中国型の理系重視路線を進むことは明白で、朝鮮半島が統一して中国寄りになり、情報技術(IT)やロボット等10分野を重点産業として製造業の高度化を目指す 「中国製造2025」や「次世代AI発展計画」の路線の一員になって中国+ロシア+朝鮮半島という「大陸連合」ができた場合、50年後に我が国はどうなるんでしょう?学生は理系離れ、米国留学生は激減、商社に入社して国内勤務志望・・・。その行く末の「人生双六」はどんなものになっているだろう?中国人に作らせたらどうなるのだろう?(トランプは習に「中国製造2025」をやめろと迫っている。あからさまな内政干渉だが、どう批判されようが、米国にとってそれは「やばい」政策なのです)。
トランプはキムとの今後何回かの会談で核設備の段階的廃棄に合意するか、またはその結論は曖昧のまま国連による経済制裁緩和と朝鮮戦争終戦協定まで譲歩してしまうはずです。完全核放棄?そんなものがあるはずがないでしょう?米国はあり得ずのシナリオである。トランプは、では自分にとって最適化となる落とし所はどこかを探る会談になります。どうやって負けに見えないようにやるかということです。おためごかしの理屈は『朝鮮半島の平和』しかない。平和は魔法の合言葉、反対する人も国もない。ということはこうなる。「終戦協定しろ、それを全面的に俺の手柄にしてくれ。米軍は半島から引き揚げる、段階的にな。平和はトランプ様のお陰だと全世界と国連に伝えろ。いいか、見返りはでかいぞ。お前の命と権力は公認してやる。経済制裁解除どころか援助してやるぜ、ベトナムを見ろよ、お前らもこうなるんだ。」
日本は彼の本音において特に重要ではないでしょう。彼の支持層はミサイルが飛んで来なければOKのレベルの白人が多く、朝鮮半島よりメキシコの壁の方が大事です。ノーベル平和賞は、おためごかし解決を正当化するダメ押しホームランとなるのです。キムにとってその解決は勝利である。核の段階的放棄と言われても大変なんだ、困る、どのくらいのペースを米国議会は求めてるのかと聞き出そうとするだろう。トランプが吐いてしまえばディールはダンだ。了解だ、それでいこう、マスコミに撮らせていい、ところでトランプさん、こっちもでっかいお土産がある、平壌にディズニーランドを作ろうぐらいキムにそそのかされてるだろう。中国、ロシアもそれで手打ち済だ。その前提で土地や企業に投資させてくれるなら北朝鮮は世界一魅力的なマーケットであり、米中露はキャピタルゲインでボロ儲けし、北朝鮮には多額の外貨が入るのです。悪知恵はいくらでも出る。合法性?平和のために合法になる法律を作るんです。
本件はそういう目線で見なくてはいけない。トランプもキムも習もプーチンも「悪賢いヤンキー」であって、必要とあらば肉親だろうと秘密諜報部員だろうと消しちまうワルであり、それをお互いに糾弾もしない無法地帯のワルどもであるのです。そこに銅像狙いのムンが加わって米軍は終戦セレモニーとともに大方撤退し、孤立した日本はそれを理由に防衛予算を何倍にもさせられて高額の兵器を言い値で米国から買い続ける優良なお客さんになる。永遠にゆすってしゃぶれるからそのまま蚊帳の外が有難い。これも商人トランプには響く。シンゾーがノーベル平和賞に推薦とバラしたのは、このシナリオを承認済だよとお金をふんだくる日本国民へのせめてものお知らせということです。こんなヤンキー学園に囲まれて、ウチは喧嘩は弱いが東大合格率はなんて学校はやがて路地裏でカツアゲされて終わるでしょう。
駐日ロシア大使はTVで「北方領土はヤルタ会談で認められたロシアの領土だ、それを連合国が承認したのは日本がナチスドイツと組んだからだ」と法的根拠の論点をすり替え(隣国そっくりだ)、日ソ中立条約は事実上無視する伝統的立場は梃でも不変の姿勢でした。日本語がうまい奴ほど危ない。これがカツアゲでなくてなんだろう?同じ論法は中国、韓国の島にも用いられるでしょう、ドイツと組んだ奴は無法者だ、どう殴ろうと無罪だ。北は戦後賠償を兆円単位で吹っ掛けてくるでしょう。我が国は冷静に、昭和27年4月28日、我が国と多くの連合国との間に締結された第2次大戦の終戦条約(サンフランシスコ講和条約)の発効時点に時計を巻き戻さざるを得ないのではないでしょうか。皆さん、1945年の敗戦からその日までの7年間、日本という主権国家は地球上に存在しなかったのを知っていますか?しかし、存在していたはずの戦時中の主権も反故にされる。お前は喧嘩に負けたんだからと。我々はこれからヤンキー村に住むことになる、国でなくなったその時の、僕の親の世代の怒りと悔しさを想像し、地球ではそういうことがあり得るんだということを反芻すべきであります。
そうであるなら、もし吉田茂、池田勇人がドラえもんのタイムトンネルで現在の状況を見てから昭和27年に帰ったならどういう交渉をしただろうか、いや交渉の余地なんか微塵もなかったのですが、もしあったとすれば昭和27年に日本国はどういう国であろうとしていただろうかという視点で考えるべきと思うのです。あそこから日本列島に新しい国を作るならどうしたかったろうかと。私見としてお許しいただくなら、憲法9条改正と、いつでも核を持てる準備、だろうと思います。ヤンキーがそれで黙るというのは北朝鮮が実証しているからです。憲法で自分からは使えない、しかし抑止力としては持つ。トランプがやってるうちに押し切らないと難しいでしょう。「トランプさんの言い値で核ミサイル、アメリカから買うよ、いくらだったら売ってくれます?おっとっと、短距離用だしそっちにゃー絶対向けないよ、Trust me again ! 」ぐらいかましてみたらどうだろう。「大統領、大陸連合3か国(ひとつ減ってる)は全部が核保有国なんですよあなたが許しちゃうから、国民は不安で生活できませんよ、だって日米安保ってセコムでしょ、通報したらほんとに来てくれるの?世界の警察官大作戦からは足を洗うんでしょ?教師が銃で武装すればフロリダ州の学校での銃乱射事件のようなことは防げるってライフル協会で言ったじゃない」ぐらい本気でやってもらいたいですね。
経済大国、技術立国であること、あり続けること。これがなくなればただの太った豚というのが、大変に屈辱的ではあるが現状です。技術革新、deep tech で世界をあっと言わせ続け、それで巨利を得て軍門に下らせることがヤンキーを向こうに回して生きる道であります。それを昭和27年の、まだ新生日本国ができて間もない頃の意気込みと緊張感でやる。それには中国以上の徹底的な理系重視戦略が絶対に必要であるのです。中韓からノーベル賞が出ないなんて優越感持てるのは今だけでしょう。シンガポールは世界の優秀な頭脳を特待条件で誘致しており、中村修二先生がアメリカ人としてノーベル賞をもらうような頭脳流出も加速するでしょう。研究者に予算を出す。研究者がIPOして金儲けなんかにたぶらかされないぐらい研究に没頭してもらう。「日本版シリコンバレー」のような空疎な「箱モノ思想」でなく、日本が欲しいコンテンツ重視で「日本版ノーベル賞」を作り株と引き換えに賞金100億円ぐらい出せばいい。天才が出てくるような教育に奨学金を付与し、ベンチャーキャピタル予算を組んで起業まで一貫してサポートする仕組みを作ればいい。いくらでもやり方はあります。確実なことは、今のまま行って、生き残るのはお追従だけうまくて「読み・書き・算盤」ができない大卒だけというのは保証付きの亡国への道ということです。
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インフルエンザの教訓
2019 FEB 23 16:16:46 pm by 東 賢太郎
1月から関係各所への訪問、アポをひかえさせていただいており多大なご迷惑をおかけしております。というのは人生初めてインフルエンザにかかったからです。この10年ほど、神山先生の薬のおかげでほとんど風邪もひかずにきましたが、たまたま1か月薬を休んだら間隙を突かれたかやられてしまいました。39度の熱は参りましたが、いっぽうで面白い経験もしました。
もらったのは日本ですがあいにく熱はプレゼンでソウルへ行った矢先に出ました。非常に困ったわけですが、韓国の医師に初めてかかるスリルはありました。クリニックでさあ何が始まるかと思っていると、出てきたのは30代のさわやかな好青年C先生でした。最初の質問は「お仕事ですか?」。そこからあらぬ方向に話がはずんでまず仲良くなってしまったのです。
投資会社経営だといったのですが、すると彼は「私も会社を経営してます。あれをごらんください」と壁のツーショット写真を誇らしげに指さします。「ジム・ロジャースに会ったの?すごいね」、米国人ジム・ロジャースはジョージ・ソロスとクォンタム・ファンドを創立したヘッジファンドの草分け的存在です。「ええ、このクリニックのほかに健康器具の会社を起業しています」。まあ日本ではまずない展開でした。
じゃあ診ましょうかとC先生は一通りの診察をして処方箋をくれ「この薬を飲めば治ります。ただ熱がお辛いでしょうから点滴を打ってあげます、代金は結構です」。仲良くなると韓国はこうなりますね、だいたい。これも日本ではまずない。お言葉に甘え、2時間ベッドでうとうとしたらすっかり良くなってしまった。付き添ってくれたホテルの女性、看護師さん、薬剤師さんもみなやさしく、深謝して帰ってきました。韓国というのは、日韓関係は危険水域に入っていることは間違いないのですが、個人的には何十回も行って嫌な思いをしたことはないミステリアスな国なのです。
ジム・ロジャースは僕が野村で2000年あたりに「中国株を買え!」と強烈に言い始めたころに同じことを言っており、以来面白い男だと思ってました。そうしたら「1807年にロンドンに移住するのはすばらしいことだった。1907年にニューヨークに移住するのはすばらしいことだった。2007年にはアジアに移住するのが次のすばらしい戦略だ」と言って家族でシンガポールに移住してしまった。なかなかだと思ったですね。
今回、インフルでへたって熱でうなされて体が鉛のように重く、そこまで生命力が落ちると諸欲も好奇心も皆無になるという発見をしました。なにせ息ができてるだけで満足でしたから。ということは、元気でないと人生つまらないだろう、シンガポールに移住しようなんてエネルギーは絶対に出ないなと思い至ったのです。現にジム・ロジャースは元気でオートバイで世界6大陸を走破、ベンツで116か国、24万キロを走破して2度ギネスブックにのっている。
彼はそうして世界中を旅して肌で人々の変化を感じ取ることを投資の原点としている、これも我が流派に合致です。僕は香港に住んで中国にどっぷりと漬かったから中国ビッグバン仮説を思いついた。あの時はサラリーマンだったから個人的にはなにもできなかったが、世が世なら何百億円か手にできたかもしれない。構いません、またやればいいのだから。そのためには僕は絶対に健康でいなくてはいけないと思いました。
ちなみにジム・ロジャースはエール大学卒、オックスフォード大学修士でコロンビア大学ビジネススクール客員教授の超インテリです。しかし彼の業績にそれはあんまり関係ないかもしれないということを最後に書いておきたい。いくら米国でも学校教育で投資がうまくなることは期待できないです。彼の諸欲と好奇心と健康のたまものでしょうね。学歴で飯が食える時代ではありません。これから世界はもっとそうなります。
シリコンバレー、たしかに世界の頭脳の集積基地です。能力に人種、国籍なしでもっと原石のイスラエルやインド、そしてそのアプリケーションとしての中国、ASEAN、アフリカに興味がありますが投資となると米国法が比較的に安心だからシリコンバレーになる。10倍になる株を探すことに残りの人生をかけたいですね、そのソナー探知機でいたい思いがますます強くなっています。それにはまず健康、次に諸欲と好奇心。インフルエンザの教訓です。
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ツァグロゼクのブルックナー7番(読響定期)を聴く
2019 FEB 23 1:01:30 am by 東 賢太郎
指揮=ローター・ツァグロゼク
リーム:Ins Offene…(第2稿/日本初演)
ブルックナー:交響曲 第7番 ホ長調 WAB.107
リーム作品は正直のところ僕にはよくわからなかった。リズム感覚が希薄であり音色勝負の曲なのだろうとは思ったのだが、アンティーク・シンバル(客席を含む各所の楽器群に配置され弓で弾かれていたらしい)の高いピーピーいう音自体が生理的に苦手なうえにピッチのずれもあってどうも心地よくない。ツァグロゼクは名前も知らなかったが、この手の音楽に熱心なんだと感心。
ブルックナーもあまり期待しなかったが、冒頭の弦の音に耳が吸い寄せられる。Vaの前あたり5列目で良い席ではなかったが、そこで良く聞こえるVa、Vcのユニゾンが素晴らしくいいではないか。1stVnの高音もいつにない音だ。ホルンとのブレンドも最高。サントリーホールで聴いた弦の音でこれがベストじゃないか?良い時のドレスデン・シュターツカペッレ、バンベルグSOを彷彿。去年のチェコ・フィルやクリーヴランド管の弦なんかよりぜんぜんいいぞ。指揮者とコンマス!Vaセクションは特に見事。
ツァグロゼクは暗譜で振っていたが全部の音の摂理を知り尽くしていること歴然の指揮。知らなかった、こんな指揮者がまだいてくれたのか!アンサンブルは整然だが第2楽章など音楽のパッションとともに内側から熱くなる。こんな演奏はここ10年以上ついぞ耳にしたことがない。Va、Vcの内声が常にモノを言っていて、型を崩さずに内燃するという欧州のドイツ音楽正統派オケの必須の姿である。こういう本格派オーケストラ演奏を聴けたのは幸運としか言いようもない、欧州時代を思い起こしてもカルロ・マリア・ジュリーニ以来のことである。ツァグロゼクは何才なんだろうか、僕がロンドンでジュリーニを聴いていたのは彼の70代後半だった。指揮者は何ら奇天烈なことをせずとも、やるべき大事なことがあるということだ。
かつてライヴで聴いた7番でベスト。本当に素晴らしい。読響も最高の演奏で指揮に応えたことを特筆したい。録音していたならぜひCDにしてほしい。ツァグロゼクに読響を年4、5回振ってもらうことはできないだろうか、ブルックナーを全曲やってもらうことはないものねだりだろうか。
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バンクシーの落書き騒動
2019 FEB 22 0:00:41 am by 東 賢太郎
むかし何げなく書いたブログです。5年前(2014年)のものです。今や有名になって、世界各国で落書きがバンクシー作品じゃないかと騒ぎになってるが、5年前はほとんど知られてませんでしたね、このブログもあんまり人気はありませんでした。
英語にsarcasticという形容詞があります。これがわからないとバンクシーもわかりません。皮肉って非難、冷笑するという感じですが、そう単純なものではなく「皮肉る」よりもっとスピンがきいて威力があります。英国人が得意というか、このマインドは英国人起源であることはほぼ間違いないと考えるし、英国人を良く知らないとたぶん理解が難しいとも思います。米国人が「It’s terrible!」と直球でけなすところを、あたかも褒めるかのような言葉で変化球でけなすのが英国なのです。
このDismalandなるテーマパークは仮想の「善」です。Disneylandのおちょくりだから、「米国がばらまいた偽善」と読み替えなくてはなりません。ファンタジー、英雄礼賛、退屈な日々からの脱却をうたってナイーブな愚民(idiot)をつくり、絶対勝てない的屋のゲームを競わせ、得体の知れないホットドッグを食わせ、借金でお困りでしょうと更に金利の高いローンを売りつける米国をテーマパークという「善」の象徴の風体を装って馬鹿にしている。しかし更に馬鹿にしているのはそれに気づかず騙されて生きている「あなた」という idiot (馬鹿)なんです、という強烈な毒味を効かせています。
You are so complex that you do not always respond to danger. は「あなたは複雑な人だ。複雑すぎて気がついてない危険なことがありますよ」と表向きでは言いながら「あなたみたいな単細胞の馬鹿はみたことない。日々騙されまくりの人生だね」と言っている。sarcasticというのは言いたいことの真逆を直言しておいて、実は相手を批判したりおちょくったりする変化球のことなのです。言われた方は裏の意味に気がつけば不快なのですが、「ほう、気がついたの?じゃそこまで馬鹿でもないんだね」というニュアンスがあって、それに対して真剣に怒ると今度は救われないという無言の圧力がある。
「このホットドッグ、何のお肉が入ってるか当ててごらん、当たった人は無料にするよ」。「ポーク」「ビーフ」→「はずれです、お金払って」、「いえいえ、実は**じゃないの?」→「当たりです!タダで持ってきな!」、さて、あなた、この**肉のホットドッグ食べますか?はずれ=馬鹿、あたり=賢い、でも食べられない。sarcasticは負けがないのです。常に優位にある。ご参考までに、アッパー(上流階級)の英国人はそうでもないが下のクラスの英国人インテリは「おいしいね」を delicious なんて絶対言わない。米国人の terrific なんて猿なみと思ってる。こう言うのです「Not too bad」。基準がお高い。私は(君たち)猿とは違う。いつも言外にそれを imply したいのです。
僕の仕事は6年間ロンドンで毎日英国人インテリたちと株の取引をすることでした。この「毎日」ってのが大変なことなんです。例えば高校時代は、毎日、昼休みに野球部員は部室に集合して200本のバットの素振りをさせられてました。3年間毎日。だから今でも同世代では体が強いかなと思っています。同じことで、毎日商売で英国人顧客にsarcasticな物言いで苦情を言われていじめられていると、それが伝染して僕自身がsarcasticな人間になってしまっているかもしれない。だから5年前に動画を見てビビッときて、心から気に入って、やっぱりそうかということに感動して、バンクシーなんか誰も知らないだろうけどお構いなく自画像としての「礼賛」のブログ執筆に至ったわけです。
僕は米国礼賛派ではありませんが、そうはいってもお世話になった米国だから、バンクシーの米国おちょくりが気に入ったわけではありません。英国人は judge(審判) になりたがる。それが妙に懐かしいなと、バットの素振りみたいにですね、懐古心がうずいたというところです。6年間英国のクラシック音楽専門誌Gramophoneを愛読し、あれで judge のなり方を心得ました。これで議論がうまくなって随分と得をしました。インテリしか読まない雑誌ですからね、上流階級の英語の単語から言い回しから何から勉強になった。上流は攻撃されないんです英国では。それを覚えたい人にはGramophone購読を強くお勧めしますよ。それで肌で分かったのです、terrific は確かに猿だな、差別だ何だ言っても仕方ないなということが。ただそれを表立って口にしてはいけません。お品がないし、そこでたたかれてしまう。
前に書いたことですが、僕が知る限りそれを最も elegant に intelligent に言いえた名言は、英国人指揮者サー・トーマス・ビーチャム(Sir Thomas Beecham、1879 – 1961)のこれです。これぞ最高傑作である。
Ravinia is the only railway station with a resident orchestra.(ラヴィニアはレジデント・オーケストラを有する世界で唯一の駅である)
ビーチャム卿は怒っているのです。このワン・センテンスで、猿にエロイカはわからんと名誉あるラヴィニア音楽祭を完膚なきまでこき下ろして、呼ばれても二度と指揮に行かなかったのです。でもそう見えないでしょう? カッコいいでしょう? 将来の日本を背負って立つ若者のみなさんはぜひ、こういうことを学んでくださいね、学校の先生は絶対に教えてくれませんからね。
そのココロは、ここにございます。
sarcastic+witty である。これをRavinia駅長や音楽祭委員会が「侮辱だ!差別だ!」なんてやったらサマにもならない。みっともないし、それがそもそも民度で負けてるよねとなって思うつぼにはまってしまう。だからやらないし、この逸話をこじゃれたアネクドートとして音楽祭の栄えある歴史の一幕に組み込んでしまっています。もちろん米国のインテリもスマートなのです。
大英博物館にも似た事件がございますよ。バンクシーに展示品を装ってこんな「原始洞窟壁画」をこっそり置かれ、おちょくれらてしまったのです。博物館は3日それに気がつきませんでした。
しかし、不法侵入罪だなんて下種なことは大英博物館はいわないのですね。ツイッターでこう書いてしまうのです。
The hoax piece is going back on display – ‘officially’ this time – in our #IObject exhibition highlighting the history of dissent and protest around the world.
Listen to co-curator Ian Hislop talk about this piece today at 9.00 on @BBCRadio4: http://ow.ly/xvRt30lB8sK
(この展示品は偽物であり撤去いたしましたが、当博物館が現在展示しております「世界の反抗と抗議活動の歴史」において、このたび「正式な展示品」として復活させる事に致しました。当館の共同館長であるイアン・ヒスロップが9時からBBC第4放送にて当作品につき解説いたします)
知性と教養とお品と格調を持って下種の悪戯をまじめな顔して返し技の悪戯で食ってしまう。日本国外務省と外交官はアジアの英国流でいくべきですね、できるのは日本だけだし、カッコいいから反撃できませんし、すれば猿の猿回しになって失笑買うだけですしね。
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N響B定期・春の祭典を聴く
2019 FEB 21 0:00:31 am by 東 賢太郎
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ。最初のファゴットのハ音の異様な長さからいやな予感がしたが、徹頭徹尾そうであった。指揮者は何か他人と違ったことをやりたかったのだろうが大きく勘違いの方向でそれをした。ドンシャリの体育会色満載でデリカシーも神秘性のかけらもなし。ブーレーズを聴いて育った身として、こんなものが同じ作品とすら言い難く怒りすら覚える。
バスクラ、チューバはどうでもいい部分まで野放図なフォルテに聞こえ、ということはつまり、この演奏は全曲にわたって p (ピアノ)というものがなく、全管楽器が百家争鳴、コンクールで張り切ったブラバンみたいに鳴っているということである。ひとこと、うるさい。50年この曲を聴いてきたが第2部の序奏のバスドラがドロドロの部分でトランペットをあんなに強く吹くのを耳にしたのは寡聞にして初体験である(スコアの pp は何だ?)。練習番号87の神秘的なフラジオレットや第2ヴァイオリンなど驚くべきことにまるっきり聞こえない。こんなひどい演奏は知らない。スコアは「弱音器付」とある。要するに現実として、付けたら聞こえるはずのない音量で木管が鳴っていたということであって、従って、理屈からしておかしいのだ。生贄の踊りの2+3拍子はお口当たり良く丸まってスタイリッシュにポップ化している。はるかにましなカラヤンのですらダメ出ししたストラヴィンスキーは絶対に許さないだろう。指揮者は体操競技の「G難度」「H難度」をクリアしてどうだと拍手喝采を狙ったに違いない。そう思っていたら何でもない練習番号155でピッコロトランペットが落っこちてしまう。誰もが唖然だったろうが、ここまでくると馬鹿らしくて見てもいられない。暴風雨が轟音とともに通り過ぎ、終わった後には見事に何も残らない。同じN響でも2016年のヴェデルニコフのは良かった。読響を振ったロジェストヴェンスキーはもっと良かった。指揮者のモノが違う。日本の聴衆をなめるのもいい加減にしてほしいが爆演の割に拍手は少なめで、良識を感じた。
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