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チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番を聴く

2014 FEB 8 22:22:39 pm by 東 賢太郎

2月2日に上海から帰ってくると、翌日は春めいて暖かかった。窓の外は霞がかかっていて多摩川方面はまるで上海のホテルから見た遠望の景色みたいだった。持って帰ってきちゃったねと言っていたら、翌4日、僕の誕生日には一転してみぞれがちらついた。そして日増しに寒さが増して、いよいよ今日は大雪だ。

明日は息子の成人祝賀会の予定だったが、我が家は国分寺崖線の斜面の中腹なので目の前の車道はけっこうな坂だ。もうスキー場の緩斜面になっているだろう。あした親父を迎えに行く車は出せそうにない。ホテルはキャンセルした。我が家の3人の子は生まれた年のシャトー・ムートン・ロートシルトを買ってあって、成人祝賀会で開けて「初飲み」させるしきたりになっている。それも今回で最後になる。

仕方ないので風呂に入った。僕は自宅では3階の天守閣みたいな狭い部屋に住んでいて、唯一のぜいたくが寝室の隣にある風呂だ。高台なので遮るものがなく、2面が窓で冨士山と森が見える。窓を開け放してCDをかけながら湯船で本を読む。これで露天風呂気分になれ、一日の疲れが一気に吹き飛ぶ。それが僕の健康法であり、激務とストレスから回復する漢方薬みたいなものだ。

しかし当初に想定していたのは、雪だ。これがなかなかチャンスがなかった。やっとそれがやって来た。犬みたいに喜び、正月でもないのに朝風呂となった。がんがんに熱くして窓から雪煙が舞い込んできて目が開けられず頭が凍りそうだ。ああロシアみたいだと思った。ロシアは行ったことがない。親父がロシア民謡が好きで赤子の頃から耳元で鳴っていたのが僕のロシアだ。ソチの開会式は思い出のボロディンで始まった。アルファベットの説明でチャイコフスキーは出てきたがストラヴィンスキーもラフマニノフもなし、それなのにディアギレフとバレエ・リュスが出た。へえ、これも縁だと思った。

雪が積もったら聴きたい音楽?それはチャイコフスキー以外にない。交響曲第1番「冬の日の幻想」。最高だ。そういえば「積んどく」だったCDを思い出した。ホロヴィッツがいろいろな指揮者とやったチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のライブ集だ。セル、ワルター、バルビローリがニューヨーク・フィル、スタインバーグがハリウッド・ボウルOと。それを風呂で全部聴いた。ラジカセみたいな安物のシステムだが風呂なので意外にいい音がする。録音が古いし雑音も大きいのでそれでちょうどいい。

ホロヴィッツこういうコンセプトのアルバムは大量消費フォーマットであるCDでなければ想像もできなかった。指揮者が変わってもホロヴィッツという個性が些かも霞むわけでなく、どれを聴いても同じマジックショーを見て同じように感心するという体のものだ。僕は彼に向いているラフマニノフの3番を聴こうとこのCDセットを買ったわけだった。ところが雪になってしまうと、どうしてもチャイコフスキーだ。どうしても。

ホルンが導入するこの曲の冒頭はクラシックを知らない人でもCMなんかでたいてい知っている。全クラシック音楽中でも最も有名なテーマのひとつだ。しかしこれが「序奏部」であることは詳しい人しか知らないだろう。だから2度と出てこないのだ。第1主題はこれである。

チャイコ1番

第2主題はこれ。僕はこれを弾くのが大好きだ。

2チャイコ1番

3部形式の第2の中間部にこれが弦に出る。

22チャイコ1番これが子供の頃きいていたロシア民謡の懐かしさいっぱいだ。このテーマは展開部以降で活躍する。

第1楽章は一応ソナタ形式になってはいるが序奏のインパクトが強すぎてどうも異形という感じが抜けきれない。最初に楽譜を見たニコライ・ルビンシテインが「不細工」と評したのは同感だ。この形、僕は妙な例えで恐縮だが子供のころ採った目ん玉だけでかいトンボ「オニヤンマ」を思い出す。この不格好な第1楽章の大きさは作品36である交響曲第4番と似ているのだ。そのことは同曲の稿で書きたい。

上掲CDのコメント:

ブルーノ・ワルター指揮

音は悪い。一部欠落有。指揮者がそれなりにじゃじゃ馬のピアニストを引っ張っていて実力を垣間見せる。それが叙情的な部分に活きているが、馬の方も黙っていない。聴衆はホロヴィッツ目当てでそれを知ってかワルターが最後は迎合してしまい疾走する。

ジョン・バルビローリ指揮

NYOのは全部同じカーネギーホールだがこれが音がいい。ピアノも弦も質感が出ている。しかし針の雑音が最悪で惜しい。弦にポルタメントがかかりロマンチックにやりたい指揮者と剛腕を鳴らしたいピアニストとがまったくの同床異夢なのが面白い。終楽章コーダはピアニストがテンパってしまい待ちきれない。

ウイリアム・スタインバーグ指揮

スタインバーグはマーラー1番をサンフランシスコで聴いたが、小さな動きで重くねばりのある音を引きだすのに長けていた。ここもそういう音でピアノのパワーに対抗している。野外のハリウッド・ボウルでホロヴィッツはショーマンシップ全開、コーダはもうスポーツマンシップの領域に達していてオケとともに燃えて頂点に上り詰める。

ジョージ・セル指揮

これは名演だ。冒頭から速めのインテンポである。トスカニーニ盤もそうだが、相手は義父でホロヴィッツが猫をかぶっている感じがする。ここでは、そう来るかい?そんならそのテンポでやったろーじゃねえかという感じだ。各所で明らかに性格が合わないお二人だが、だからこその火花散る凄まじい演奏。武蔵と小次郎、野球なら往年の名勝負、野茂vs清原である。終楽章コーダの凄まじさは実演なら失神者が出そうだ。音もしっかりしており、これは一聴の価値がある。

Youtubeから全曲を一つ。1987年生まれの中国人、ユジャ・ワンのフィンランドでのライブ。この子は若手で最も注目している一人だ。まずピアノを弾く姿勢が美しい。見ただけでこういう音が出るだろうという速さ、しなやかさ、切れ味。しかしそれだけが武器かと思うとそうではない。初めはエンジンがかかっていない第1楽章の第2主題から集中力が増してテンポがおちて瞑想ともいえる叙情性が発揮され、そこから彼女が舞台を支配し始める。第2楽章は幻想曲のよう。しかし中間部のとても難しいパッセージはお手の物という軽やかさで聴衆の息を飲ませる。指揮者は健闘しているが彼女の速いパッセージの切り方、語法にオケがついて行けない。終楽章コーダは彼女のギリギリの遅いテンポにオケが持ちきれず、あり得ない個所でアンサンブルが乱れてしまうほどピアノが歌う。クラシックの本場で東洋人がやりたい放題なのだ。あっぱれである。日本人もうまい人はいくらもいるが、こういう空気を読まない、いやむしろ空気を支配してしまう人はいない。だからドイツ・グラモフォンが契約しようという人がいないのだ。音楽だけの話ではない。なぜ日本人がグローバルになれないか、こんなところにも理由がくっきりと見て取れる。おもてなしも結構だが、これは民族性なのか。実演を聴いていないのでわからないが大きな音も出ていると思われ、もう少し構えの大きな音楽ができるようになればメジャー級だ。しかも「4番の打てるショート」の資質。間違いなく大器と思う。

 

以下、my favorite CDsである。

マルタ・アルゲリッチ / キリル・コンドラシン / バイエルン放送交響楽団

2641980年ミュンヘンでのライブ録音。アルゲリッチはその10年前にデュトワと、後年にアバドとのスタジオ録音もあるがややおとなしい。彼女はライブで燃える人だ。ここでは彼女全盛期の技が冴えわたっているが、ホロヴィッツのように業師には聞こえず、若鮎のような生命力の魅力は抗しがたく、叙情的な部分への感情移入も表面的ではない。終楽章の入りのミスタッチを除けばほぼ完ぺきなピアノ演奏である。同じく特筆したいのがコンドラシンの指揮で、この曲の伴奏で一つ挙げろといわれれば僕はこれを採る。

 

デニス・マツエフ / リコ・サッカーニ / ブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団

サッカーニ2003年に出たBPOのライブ録音シリーズで、チャイコフスキーPC全曲、ラフマニノフPC3番が入った2枚組CDである。これはi-tuneで購入できる。非常に素晴らしい演奏で音もよく、万人にお薦めできる。とにかくマツエフのピアノが鳴りきっていて豪快そのものだ。ホロヴィッツを聴いた後でも負けていない。この曲の第1楽章は譜面を見ただけで気が遠くなるほど難しいがどこ吹く風だ。サッカーニの伴奏も快演でツボを心得たプロの指揮だ。彼の指揮でこのCDを含むBPOライブシリーズが出ているが、僕はバラ売りで全部買った。それに値する。

 

スヴャトスラフ・リヒテル / ヘルベルト・フォン・カラヤン / ウィーン交響楽団

41Q3BDS118L._SL500_AA300_重戦車のように重いオケと轟音を立てる重量級のピアノの対決だ。第1楽章第2主題以降のテンポを落としたオケの粘りのある表情はやや違和感があるが、リヒテルのピアノの弱音の美しさにそれを忘れる。技術は同等レベルだが彼とホロヴィッツがいかに違うテンペラメントの音楽家かよくわかる。ライブでは彼はロウソクの明かりで演奏した。プロコフィエフのソナタの青白い閃光が忘れられない。第2楽章中間部の軽くて速い音など名人芸の極致である。カラヤンの指揮はわざとらしくてまったく共感しないが、リヒテルの弱音と叙情を聴いていただきたいCDである。

 

ヴラディミール・アシュケナージ / ロリン・マゼール/ ロンドン交響楽団

41CFZQH20AL._SL500_AA300_若きアシュケナージが63年に録音。僕にとって高2の時に買って曲を覚えた懐かしの演奏(LP)である。学園祭でこの曲の冒頭を聴いて衝撃を受け、すぐそれを買ったのだった。本人は気に入っていないとどこかで読んだ気がするが、何の不足があるんだろう。特に第1楽章のリリカルな表情など若くないと出せない魅力で、これを書いたチャイコフスキーも若かったと感じさせてくれる。LPのB面にあったラフマニノフ(コンドラシン指揮)の方にだんだん気が行ってしまったのを覚えているが、この名曲の原体験の記憶は演奏の隅々まで残っていて、今もときどき引っぱり出して旧友と会う気持ちで聴いている。

 

Categories:______チャイコフスキー, ______音楽と自分, クラシック音楽

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