リムスキー・コルサコフ 交響組曲「シェラザード」 作品35
2013 JAN 5 17:17:54 pm by 東 賢太郎
高1の時にこれに出会いました。エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団。絢爛豪華な絵巻物みたいな音楽の、決定盤的演奏です。
写真がそのLPレコードのジャケット。この金色。音楽にぴったりの絵。美術本のようにきれいでしょう。これを買ったときのワクワク感が昨日のことのようによみがえります。いまのCDは残念ながら、こういう楽しみがなくなりましたね。
なんて素敵な曲だろう。すぐ夢中になりました。これからクラシックの門をたたく方、こんなにメロディーがきれいで、ロマンティックで、覚えやすくて、しかも千夜一夜物語のガイド付きで、しかも交響曲のようにきっちりと構成されている贅沢な音楽を他に思いつきません。ぜひお聴きください。
ロシア海軍の軍人で船乗りであったリムスキー・コルサコフがアラビアンナイトの筋書きに楽想を得たのは自然です。第1楽章の海の主題や船の主題はまさに船の上のクルーズ感覚です。この曲は楽章ごとに一応のストーリーがあります。すみません、そういう文学的な面にはとんと関心がないのでこちらを検索してください。
シェヘラザード (リムスキー=コルサコフ) – Wikipedia
オーケストラはピッコロ、イングリッシュホルン、チューバ、ハープ、多種の打楽器が入った以外は古典的な2管編成です。それでこの色彩感! この凄腕だからこそリムスキー・コルサコフは近代管弦楽法の大家と呼ばれ、ストラビンスキーやレスピーギの先生でもあるのです。音楽のつくりは結構単純で、第1楽章はシロウトの僕でもピアノで弾いて楽しんでいます。
さて、上記のアンセルメ盤ですが、CDはこれ(右)が非常に音がいいです。スイス・ロマンド管弦楽団はアンセルメのオケですが技術的に1流とはいえず、彼もあまりリズムの縦線にこだわっていないので第1楽章などかなりズレてますね。しかし、そんなことをふっとばすほどの魅力がこの演奏には満載なのです。たとえば第2楽章のオーボエソロをお聴きください(Ob.がそれです)。このオケはフランスのオケよりずっとフランス風の音がしますよ。
こんなにコケティッシュで色っぽいもんなんです、オーボエという楽器は。第3楽章、出だしはD線と指定されたバイオリンが「G線で弾け」と指定替えになる第9小節!バイオ
リンまで色っぽいなんて魔法がかかったようです。書いたらきりがないくらいこの演奏は全編にわたってフレーズに愛情と血が通っている。作曲家とほぼ同時代の空気を吸ったアンセルメが確信をこめて残した遺言なのです。もっと激しい、ドラマチックな、きれいな、ロマンティックな、オケが上手な演奏はいくらもあります。しかし、どの部分のどのオケパートを聴いてもこんなに「かくあるべし」という必然性のある音が耳を満足させてくれるものは一度も聴いたことがありません。この演奏、NHK大河でいえば昔の新平家物語で仲代達也が演じた迫真の平清盛のようなものを感じます。あれと比べてしまうと、昨年の清盛は申し訳ないが学芸会のレベルであり、史上最低視聴率も仕方ないというものです。アンセルメ盤とそれ以外はこのぐらい違うと断言いたしましょう。
ぜんぜん違う美点を持った演奏をご紹介しますと、韓国のチョン・ミョンフン指揮バスチーユ・オペラ管弦楽団があります。僕にとってチョン氏は今世界で一番聴きたい指揮者の一人です。N響Aプロでブルックナー7番を聴きましたが、あのオケの弦があんなに見事に鳴ったのはほとんどありません。チャイコフスキー・コンクールでピアノ部門で第2位! アンドラ―シュ・シフという今を時めく名ピアニスト(4位)より上だったのだからすごい。この演奏、若いのですが、フランスのオケから実に魅力的な音色を引き出しており、リズムの切れ味も素晴らしい。
音程の良さは最上級で、指揮者の耳の良さがただ者ではないことを物語ります。「音楽的」という形容詞はプロには失礼なのですが、音楽的な音をつくることができる、現存する数少ない指揮者のひとりです。
もうひとつだけ。セルジュ・チェリビダッケ指揮トリノ放送交響楽団の1967年2月24日ライブです。第4楽章の難破へのオケの追い込みでこれ以上のすさまじいものは聴いたことがありません。これは入手困難と思いますが、マニアは探し出して一聴されることをお薦めします。コンマスのソロがあまりにヘタくそで最後のE音をフラットに取ってしまい、回復のチャンスなくそのまま終わるという世紀の珍演という点でも貴重。激しいブーが飛んでいるのもほほえましいです。
(こちらにどうぞ)
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花崎 洋 / 花崎 朋子
1/6/2013 | 5:35 AM Permalink
前回、お書きになられたシベリウスに続き、今回のリムスキー・コルサコフも、私にとって盲点で、ほとんど聴いたことがなく、コメント出来ずに申し訳ございません。しかし、聴いたことが無いのに、あたかも聴いたことがあるように錯覚してしまうほど、臨場感のただよう、東さんの記述は、さすが!のひと言です。話は変わり、恐縮ですが、以前、フィラデルフィア管弦楽団について言及されましたが、長年の私の疑問が氷解しました。1982年に一度だけ、カーネギーホールでレヴァインの客演でメインが幻想交響曲でフィラデルフィアサウンドを耳にしましたが、やたら派手で外面的な響きで、アメリカ人聴衆には大受けでしたが、私は極度に違和感を感じて感動しなかったことを覚えています。その長年の疑問が、東さんのおかげで一挙に氷解しました。自分の本拠地での奏法を、そうは簡単に修正は難しいのですね。ピアノの部分は美しい音色でしたが、フォルテになると、音が割れて、各楽器が勝手にわめいているようで極めて不自然でした。当時のカーネギーホールは残響の良さで定評がありましたよね。25日の新年会、当初は出張で出られないところでしたが、出張の予定がお客様側の都合で変更になり、出席出来るようになり、家内共々、出席させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。 花崎洋。
東 賢太郎
1/6/2013 | 11:43 AM Permalink
その通りです。もう一つあるとすると必要悪でもあった「フィラデルフィアサウンド」がトレードマーク化してしまったことでしょう。レヴァインは同オケでマーラー、シューマンなどを録音していますが良くも悪くも「サウンド」に敬意を表した鳴らし方を感じます。聴衆がそれを求めていると思われます。アメリカ人は夏の野外コンサートが好きでシカゴのラヴェニア、ニューヨークのサラトガスプリングズ、ボストンのタングルウッド、ロスのハリウッドボウルなどが有名ですが、屋外で残響などありませんから金管をブラバンみたいにバリバリ鳴らす傾向はどこのオケも大なり小なりあり、聴衆も子供の時からそれを聴いてそういうものだと思って育っているフシが非常にあります。トスカニーニ録音が多く行われたRCAの「スタジオ8H」もアカデミー・オブ・ミュージックと同様ドライな音響で悪名高いのですが、当時商業的にメインだった「ラジオ放送」という媒体で評判を得るにはバリバリ系の音の方が有利だったことも聴衆の好みの形成に関係あると思っています。演奏家も商売ですから、聴衆の好みは無視できません。第2次大戦で米国に亡命、移住した欧州の巨匠は多いですが、欧州的なしっとりした味わいや微妙なニュアンスを重視した音響バランスの演奏よりも、細部の緻密さ正確さ、あざといぐらいの味つけ、巨大な音量をピークとした明瞭なダイナミズムのいずれかを武器とした演奏に傾斜できた人が成功しています。ライナー、セル、ショルティ、ストコフスキー、オーマンディ、ラインスドルフ、スタインバーグなどそれで、クーベリック、マルティノンがだめだったのはそれと無関係ではないと考えています。作曲家も、バルトークが管弦楽のための協奏曲、ラフマニノフがピアノ協奏曲第3番、ドヴォルザークが新世界です。どこか「アメリカの聴衆向け」サービス精神を感じてしまいます。
花崎 洋 / 花崎 朋子
1/7/2013 | 8:44 AM Permalink
ご返信有り難うございます。野外音楽会やラジオ放送を聴いて育ったアメリカ人という、お話、「なるほど!」と納得です。指揮者でも、ジョージ・セル、オーマンディー、ショルティー、ストコフスキーは、私の好みではなく、逆にジャン・マルティノンやクーベリックは好きな部類に入る理由も、たいへん良く分かりました。
いずれにせよ、音楽をじっくりと噛み締めて味わうというよりも、直裁的で分かりやすい音楽づくりや、ど迫力や単純明快なメリハリを好むアメリカ人気質が良く反映されていますね。 花崎 洋
中島 龍之
1/7/2013 | 12:39 PM Permalink
演奏するオーケストラのほかに、コンサートホールによる違いまで、どこまで拡がるのでしょうか。深くて、広い世界ですね。
花崎 洋 / 花崎 朋子
1/7/2013 | 4:21 PM Permalink
中島さん、初めまして。昨年末に入会させていただきました花崎洋です。
おっしゃる通り、深くで、広い世界で、私など、未だに良く遭難しそうになります。昨年、ドボルザークの新世界についてのコメントで、「指揮者には、要注意」をお書きになられましたが、同感です。バーンスタインには、やたら遅い演奏が、散見されます。