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箱根駅伝に見た体育会精神なるもの

2013 JAN 4 1:01:51 am by 東 賢太郎

毎年、箱根駅伝を見ます。一度だけ温泉に泊まって箱根湯本の沿道で見ましたが、それがものすごく寒かったのと生来のものぐさなのとで、以来ずっとTV観戦ですが。

箱根はお正月というのもあり、陸上競技にあるまじき山登りなんていうスペクタクルもあり、箱根に行って大手町に帰ってきたらああ明日から仕事だと自然に心のスイッチを入れてくれるところもいいですね。白バイの警察官の郷里の紹介までしてくれてとてもNHK的なのに日テレ、というミスマッチ感も何ともいえません。

駅伝という競技はメード・イン・ジャパンのようです。学校の順位や個々人のタイムだけでなく、襷(たすき)を切らさないということに大きな価値観があるという点が日本的ですね。アナウンサーは「伝統の重圧」「汗のしみこんだ襷」「最後の箱根」「走れなかった仲間」など駅伝ならではのキーワードを連呼しますが、「途切れた襷」ほどエモーションのこもった言葉はないのではないでしょうか。

何であれ体育会でチームプレーというものを経験された方は、そのエモーションの根っこがよくわかるでしょう。野球では「痛恨のXX」というやつがそれに匹敵します。一球、落球、三振などいろいろですが、特にたいがいの投手は一球でサヨナラ負けという怖い経験があります。いまだに夢まで見ます。怖いのは負けることではなく、先輩同輩への自分の気持ちなのです。みんな仕方ないよと言ってくれる。だから逆に、自分を責めるしか逃げ場がなくなってしまうのです。

海外暮らしが長かったので高校のクラス会に30年ぶりに出ました。その時のこと、正二塁手だった岡崎氏が「東、あのゲッツーごめんな」などと突然真顔でいいだします。彼の落球でゲッツーが取れず、そこから僕が崩れて負けたんだそうです。本人は完全に忘れているのですが、ガックリした僕の後姿を彼はずっと覚えていて責任を感じていたらしく、30年たって謝ってくるのです。これが体育会なんです。

去年、襷が途切れた日体大の痛恨はいかばかりだったでしょう。外部の者の想像を超えるプレッシャーがあったと思います。それをはねのけて勝ち取った今年の優勝は称えてあげたいです。駅伝でタイムや区間順位を第1目標と言うものはいません。チームへの貢献がすべてです。とても非欧米的、非個人主義的いや全体主義的ですね。チームが勝つためには被災者であれキャプテンであれ非情に犠牲とします。それが好きか嫌いかはともかく、日本という国の精神構造にがっしりと組み込まれているものだと思います。そしてそれが強い日本というものを支えたバックボーンでもあったのです。

忠臣蔵は江戸時代から歌舞伎になるほど民衆に人気がありましたが、あの事件は元禄時代に起きています。武士道なるものが形骸化しつつあった江戸で起きた珍重すべき「武士らしい行為」として称えられた側面もあり、本物の武士を自認していた長州、薩摩藩士は小ばかにしていたそうです。箱根駅伝の人気というものを見ると、死語化しつつある日本的全体主義、たとえばお家の一大事とか滅私奉公などというものがやっぱり日本人の中に脈々と生きており、体育会以外の人たちに「体育会らしいスポーツ」として珍重されているような気もいたします。今年の日体大優勝は歌舞伎になるかもしれません。

 

 

 

Categories:______気づき, ______箱根, 徒然に

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