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新プロジェクトに挑戦する

2014 JAN 9 21:21:50 pm by 東 賢太郎

「自分史の書き方」を読んで面白いと思ったが、足腰がたたない老人になってから回顧録を書くというスタイルは僕には合わない。現在進行形にしたい。半生記の継ぎ足しでライブ中継し、人生ゲームオーバーになったらそれが全生記になってるというのがいい。SMCは西室の邪魔をしないように、そういう場にもさせていただければと思う。

2010年に独立するまでの人生で、社長ポスト2回と副社長ポスト1回のお誘いを受け、やらなかった。社長は1度、副社長は1度、取締役2度、執行役員2度、拠点長3度、業務部門長2度はやった。しかし経営者としてのトータルの自己評価は30~40点ぐらいだ。

やらなかった3つの理由は簡単で、自信がなかった。負けそうなケンカは僕はしない。その一つは今ならやりたい、恐らく誰でもやりたいすごく魅力的なポストだが、当時は弱冠49歳であり、やってもきっと失敗しただろう。他の2つは受けなくて正解だった。ではやったものはどうかというと、成功より失敗のほうがずっと多い。

失敗の原因は今となると明白だ。僕の性格の独裁制、完全主義、短気、なめる、飽きっぽい、詰めが甘い、わきが甘いなどだ。これは生まれつきの部分と証券業界でついたクセの部分と両方ある。後者の方はおおきい。拙文を多くの野村の元同僚、先輩後輩がよむことを承知で書くが、僕は証券営業分野でプレーヤーとして他人に負けたと思ったことも負けると思ったこともない。だから、やりゃあいいんだろという基本スタンスになった。それが通用しなくなったのはそれを卒業してマネジメントになってからだ。

野村に入社して配属された梅田支店で、当時あこがれのスターだったT次長という人がおられた。公私にわたりご指導を受けた恩人である。後に某証券会社の社長になられたそのTさんが、新人の僕にこういわれた。「東、他人の2倍ならやるな。やっかまれるだけだ。10倍やれ。誰も何もいわなくなる。」 これは後になって実際に正しいことがよく分かった。以来、証券マンとして僕の不動のモットーとなった。

しかし、これはワンマンショーのプレーヤーとしてならワークしたが組織の長になるとむずかしい。どうしても落伍者が出る。本人は懸命なのだが目標が高いとそもそも無理という人が増える。サラリーマンは部下を選べない。人事部が全社的事情で送り込んできた、それに向いていない人でも使うしかない。彼らも夢や希望があるが、それは僕の10倍ビジョンの一部ではない。だから幸せになれない。

となると、9割が普通のサラリーマンから成る組織では僕も幸せにならない。業界がデフレで赤字続きになると、会社にしがみつく人は9割どころか99%になる。僕には彼らと一緒に生き残るために毎朝会社に来て意味もない会議をくりかえす忍耐力はない。すると結局全員が不幸になる。だから僕はそこにいない方がウィンウィンという当然の結論になる。

つい昨日と今日、年明け早々に、非常に面白いプロジェクトをやらせていただく有難いお話が立ち上がった。これは金融だが証券ではなく、僕の未体験分野である。しかし背景となる分野はもともとが理系である僕にとって大変興味深い。そして世のため人のためになる。そして何より、スケールが莫大に大きい。いままではいただいた話ばかりだったが、今回は人生で初めて自分からやらせて下さいと申し出た。

ここで思い起こすことは、ささやかな体験だ。もっとさかのぼる。ゴルフや野球は欲がなくてひょうひょうとやったら意外に良かった。完全試合やるぞ、70台出すぞと力んでいつもだめだった。結果オーライだったのはそうでないときだ。今回はそういうスタンスで行けそうな気がしている。知らない分野だから勉強は大いに必要である。それについても、大学受験のときなみにやってやろうと決めた。当然ひとりでできる話ではない。社員と知己に助けていただくことになるだろう。本日は決意表明まで。

 

 

 

 

 

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