「大丈夫です」の謎
2015 FEB 24 18:18:12 pm by 東 賢太郎
(1)裁判所の不思議な会話
何だったか事件は忘れたが、裁判長が被告の女に罪状を読み上げて、
「以上、間違いありませんか?」
と尋ねたところ、彼女は
「大丈夫です」
と答え、
「大丈夫かどうかきいているのではありません、認めるのですか?」
と聞きなおした。
(2)大丈夫なワタシ
そんな答えじゃあ裁判長の立場の方が大丈夫ではないのである。とても不思議な彼女の「大丈夫」は二通りの可能性がある。
<解釈その1>
「間違いありませんか?」ときかれて、条件反射的にマックの答えが出てしまった。
「ご注文は以上でよろしかったですか?」
「大丈夫です」
これとて十分に不思議な会話だ。大丈夫とは本来は「立派な男」という意味だ。注文が正しいかときかれて「私は立派な男です」と女が答える。非常にシュールである。
<解釈その2>
「はい」か「いいえ」かを問うているのに「私」が出てきてしまう。
「はい」と答えれば有罪だ、彼女はそれをわかっている。でも「私は有罪判決に耐える心の準備ができています」と答える。それが「大丈夫です」だ。ここに「大事なワタシ」が顔をのぞかせている。
「心外です」「ショックを受けてます」「怒りを感じています」など、追い詰められると弁護士が出てきて意味不明の本人の「ワタシ・メッセージ」をマスコミに発信する大事件が去年あった。裁判官はワタシの体調や心の準備はまったくもってどうでもいいのだが、彼女は不幸なことにそういうことを教育されていないと思われる。
(3)有森裕子の名言とその変容
昨日めったに見ないTV番組で面白いことを知った。バルセロナ五輪のマラソンの銀メダリスト有森裕子がアトランタ五輪で銅メダルを取った時にいったことば、「初めて自分で自分をほめたいと思います」が現代では、「自分で自分をほめてあげたい」に変わってきているそうだ。
アトランタでは彼女はゴールの競技場には1,2位に続いて入場したが無念にもトラックで引き離されてしまい、ついに4位にも追い上げられてわずか6秒の差で逃げ切った。あの激闘があってこその感動の言葉だった。彼女だけでない、日本国民みんなが彼女をほめてあげたかったのである。
それも、「初めて」というのが決定的に大事であった。それまでの人生で苦しいトレーニングで自分をいじめぬき、どう見ても自分をほめたことなんか一度もなかったろうと思わせる有森さんだったからこそ泣かせる言葉だった。
(4)自分をほめてあげる自分
それにひきかえ、今は毎日一度はどこかで自分をほめていそうな若者が、「自分で自分をほめてあげたい」だ。この軽さはどうだ。「ほめたい」ではない、「ほめてあげる」のだ。「あげる」方が上から目線であることにご注目いただきたい。
家では親に、学校では先生にほめてもらえない。何でも許してほめてくれる目上がいつもそばにいたらいいなあ、そういうドラえもん、ほしいなあ。その願望にフィットしたのが有森の言葉だったのではないか。
ほめるのは目上役の自分である。それは優越感というオマケまでくれる。のび太とドラえもんの一人二役みたいなバーチャルな世界のできごとなのである。だからリアルな世界で下される自分へのシビアな評価に「心外です」「ショックを受けてます」「怒りを感じています」、そして挙句には「頑張れない」となってしまう。
有森をほめた自分は、普段はいつもダメ出しをしていた、自分と同格の自分だ。それがほめただけで青天の霹靂なのであり、目上からご褒美が出たという甘ったれたニュアンスは皆無である。慎しみの上でのぎりぎりの仮想表現なのだ。
それが「あげたい」に変容してしまう。「辛口の仮想表現」が「甘口の仮想現実」にすり替わって、それを都合よく正当化してくれるものとして使われている。もしも、なぜ自分は頑張れないのだろうかと疑問を感じたら、心の中に「自分をほめてあげる自分」が巣食っていないか自問してみたらいい。
(5)これは母子擬人化現象である
この「あげたい」というニュアンスには仰天したことがある。スマホが壊れて銀座のアップルに持っていった時のことだ。対応した若い女性が、
「そうですねえ、この子はまだ修理してあげれば使えるんですけどぉ・・・・」
子??あげれば??
そうか、「あげる」は母親が子に愛情をもってしてやることなんだ。有森さんは、ほめる相手の「自分」と母子関係にはならなかった。ところが今の若い人は、なんとケータイともいとも簡単に母子関係を結んでしまえるのである。ゆるキャラの流行もそれだろうし、底流にあるニュアンスはどことなく「カワイイ」に共通するものがある。これをご参照いただきたい。
基本的には女性に特有の現象かと思ったが、今は男もカワイイを言うからそうではないと考えた方がいいだろう。カワイイは外国語にないから日本人特有の感性と思われる。良い方に出ればいいが、逆である場合もあるかもしれない。それは、その母親が子をスポイルしてダメにする母親の場合だ。
(6)それはこんな風に悲劇になる
スマホよりもっともっと大事なのが「私」でしょ。母の眼と愛情でもって毎日でもほめてあげたいのよ、ワ・タ・シのこと、という風な母親。彼女はまたその母親にそうやって育てられている。冷たい現実に出会ってももはや疑問の入る余地はない。
そりゃそうでしょ、こんなに大事な私なんですもん、裁判長だってきっと気を使ってくれてるんだわ。
「以上、間違いありませんか?」
「大丈夫です」
「では、有罪を宣告します」
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