読響定期、ナナシ指揮バルトーク
2019 JUL 11 21:21:29 pm by 東 賢太郎
帰りの地下鉄で書いている。最近大衆名曲みたいなのは聞かないしそうでないのも余程でないと感心しない。サン=サーンスの協奏曲は僕には存在しなくていい曲だ。コダーイは始まりは良かったが全奏でだんだん音が濁った。指揮のナナシはハンガリー人らしいがこの国の苗字は中々面白い、とても非西洋的だ。後半。管弦楽の協奏曲。あんまり期待してなかったが、第一楽章の外人さんのフルートが素晴らしくて目が覚めた。指揮は間を詰めてグイグイ進むからタメがないが、この人のスタイルのようだ。セル、ショルティ、オーマンディ、ライナーらハンガリー系に共通の傾向か。中間の三つの楽章はかつて聞いた最速の部類。この曲には比類なき薬理作用がある。徐々に全身の細胞が立ってくる。アドレナリンで血流が増す。バルトークの脳細胞から産まれ落ちた音楽の凄まじさ!まさにオーケストラ全員ソリストの協奏曲であり細部まで精緻を極めた驚くべき音響の構築物である。終楽章は普通よりほんの少し遅めだが終始直球勝負の心地よさは変わらず、コーダはいかに?と思ったがリタルダントなし!オーマンディといっしょ、素晴らしい。僕はこれを世界のスーパーオーケストラで聴いてるから実力が読めてしまう。今日の読響はトリプルBだ。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
Categories:______演奏会の感想
Commu
7/14/2019 | 10:49 PM Permalink
「サンサーンスの協奏曲は僕には存在しなくていい曲だ」というところで考えてしまいました。東様も幼少の頃にサンサーンスの「白鳥」を聞いて、美しさに嘆息していたはずですから。
私は東様の熱心な読者であるあまり、最近ブルックナーばかり熱心に聞いて気づいたことが、音響のうちの聞いている要素が変わったということです。
メロディーに代表される意味を嫌うようになっています。意味に飢餓感を持つのは若い頃で、神経症に近いこともあると思います。私も若い頃、時候の挨拶に意味がないと無性に嫌っていた時期がありました。
つまり、サンサーンスからブルックナーへの嗜好の変化が、年齢に依存していることを心配しています。
東 賢太郎
7/15/2019 | 9:05 PM Permalink
サンサーンスをお好きだったのですね、「白鳥」はアメリカでチェロを習ってこれが弾けたときの喜びは忘れませんし今でもこれは好きです。ただ3番の交響曲を昔はすごく気に入ってたのにだんだん離れてしまいましたし、協奏曲はPfもVnもVcも初めから苦手でした。Commu様のブルックナーへの嗜好の変化が年齢に関係するかどうかはわかりませんが、振り返れば僕も30代まではブルックナーを今のような理解では聴いてませんでしたし年輪が刻まれたことで知らず知らずに身近になることはあるように思います。