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カテゴリー: ______自分とは

私の忘れられない旅(2)

2013 FEB 19 0:00:12 am by 東 賢太郎

PA231401ルーツ探し第2弾、石川県は能登です。穴水の近く、鹿波という半農半漁の海辺の村でした。のと鉄道能登線の鹿波駅は「秘境駅」として有名でしたが、これも廃線になってしまいました。東(あずま)さんが多く、曽祖父の代までここにいたそうです。こっちは父がどうしても行きたい、親類に会ってみたいということになったのです。

20101003090208とはいえ、父も小学生の時に一度行ったきりで、「お寺の崖下の家」、「いとこの女の子と泳いだ」、しか覚えていないのですから実はこりゃー無理だろうと思ってました。しかし行ってみると彼は思い出したのか、ああここだ、いやこっちだとぐんぐん歩きだし、なんとついに「崖」を発見。麓の家をやおらピンポンしてみると、現れたおばあさんにどことなく祖父の面影が。こうして、「女の子」と父は何かに引き寄せられるように70余年ぶりのご対面、涙のハグに至ったのです。いや~これも来てよかった。感動しました。一生忘れません。

53380011000091806                      泊まりは九十九湾の「百楽荘」へ。親子ですばらしい時間を過ごしました。この旅館は景色も食事も風呂も最高です。釣りもできてメバルを釣りました。帰る田舎がないのが寂しかったのですが、これ以来「能登」と言わせていただいております。53380011000091815

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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日本国旅券の重みー国境を考えるー

私の忘れられない旅(1)

2013 FEB 17 22:22:32 pm by 東 賢太郎

2002年3月に、両親と息子でルーツを訪ねた長崎です。物産の商社マンだった母方の祖父が、上海出張の折に定宿にしていた旅館の娘と知り合ったのが当地でした。船で26時間もかかった時代です。旅館はグラバー邸の隣だったそうで、「一度行ってみたい」といつも言っていた母の願いを叶えました。祖母の実家は諫早でしたが、東京へ駆け落ちしてしまったので、明治時代のことですから勘当もので戸籍が残っていません。たまたま真崎という珍しい姓だったので、昔の住所近辺まで行ってタクシーで同姓の家を数件訪ねました。飛び込みなのにとても温かく迎えていただいたのが印象に残っています。

 

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グラバー亭の庭で撮ったこの写真の裏を見たら「母は10分間も動くことなく、港をじっと見ていた。来てよかった。」と書いてありました。脳裏にあったのは、きっとこんな風景だったに違いないと思っております。

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エリザベス女王の酒壺

 

58歳になって

2013 FEB 4 23:23:01 pm by 東 賢太郎

なったからどうということは、不思議とありません。よくここまで生きてこられたという感謝の気持ちのみです。生んでくれた両親と、一緒にいてくれた家族と、生まれてこの方知り合った皆さんと、そして、生かしてくれた地球にです。

今日は大阪出張しました

2012 DEC 10 21:21:48 pm by 東 賢太郎

今日は大阪へ日帰り出張でした。

8時9分新横浜発ののぞみでしたが、名古屋の手前から米原あたりまで雪で、大阪着が25分遅れました。

僕は物心つく前から鉄道好きだったようです。物心がつくと線路・車輪フェチとなり、後にこれは金属フェチの特殊部門ということがわかりました。とにかく光る金属をみるとぞくぞくするし、匂いまで好きです。それも元から光っているのではなく金属どうしが接触して摩耗したつやつやの部分に目がありません。電車の線路、車輪はその代表選手みたいなものです。

だから小学校時代は小田急線の床下にある台車部分を毎日緻密に観察していました。当時の絵は電車ばかりですが、細かく書いているのは線路と台車と床下の機械類だけです。昔はブレーキは鉄製のものを車輪にこすり付けて制動しており、夜は接触部分から火花が散ります。その火の粉を線路に侵入して熱いうちに拾うと薄っぺらい金属片になって落ちていて、そのすべすべした表面の銀色の光沢にうっとりしていました(危険ですので絶対にやらないでください、なんのこっちゃ)。

今でも鉄道博物館へ行くと見るのは車輪だけで人が乗る箱より上はほぼ見ません。しかし実際に走行していないと錆びついていて面白くありません。線路もそうで、使われないと錆びついて光沢を失います。逆に錆びた線路にどのぐらい電車が走るとどのぐらい表面が光るか、長年の観察からかなり正確にイメージできます。僕がサンタさんにもらっていたのはもちろん電車模型で、Oゲージという大型のものです(好み通りのものを置いてくれるのでサンタさんの大ファンでした)。走行量と光沢具合の関係というのはOゲージでの長年の実験で体感と化していました。

閑話休題。新幹線はポイントがないので線路フェチには魅力がなく、今までまじまじと見たことがなかったのでしょう。ところが今日、窓から上り車線の線路をボーっと見ていると、驚くべきことに気がつきました。線路は交換後数日以内と考えられ、車輪が通って錆が落ちて光っている筋がおそらく幅1センチ内外という滅多に見られない極細状態でした。その筋が速度200キロでも目視上微動だにしないのです。目線を固定し見ていればふつうは必ずその光輝線は上下に微妙に揺れるのです。それが静止画像を見るかのごとく完全停止状態なのです。日本の線路技術は世界一(旧八幡製鉄)だから新幹線ができました。今日は、57年生きて初めて、その凄さをこの目で実感した日でした。

閑話終了。つまらない話ですみません。

 

アメリカには季節は2つしかない

2012 NOV 4 20:20:20 pm by 東 賢太郎

昔、アメリカ人の野球ファンに聞いた話です。

 

日本には季節が4つある。春、夏、秋、冬。

シンガポールには3つ。Hot、Hotter、Hottest

アメリカは2つしかない。野球があるとき、ないとき。

 

ついに日本に「ないとき」が来てしまった。今日が一年で一番つまらない。人生で大切なものをとりあげられたような気分です。野球に関する限り僕はアメリカ人なみ(以上?)にアメリカンで、じいちゃんも慶応でやっていてDNAとしか説明がつきません。長いことヨーロッパで「ないとき」だった反動かもしれませんが・・・。

現SMCメンバーにそういうキチガイはおられないようですが、ふつうの野球ファンと何が違うか一言で申し上げると「見るなら野球だけ」ということです。「やる」のは別です。ゴルフは下手ではありません。でも見ません。01年全英オープンや89年ウインブルドンのファイナルを特等席で見せてもらいましたが退屈で早く終わらんかなと思っていました。まさしく豚に真珠でしたが見るだけなら僕は多摩川の河原で草野球見た方が楽しいのです。こういう人間は孤独です。

日本の野球場に来ている観衆が野球キチガイかというと99%はちがうでしょう。オリンピックで日の丸をふって応援する人と同じです。競技の細かいことは何でもいいし勝てばいい。僕もカープ戦のときはちょっとそれかもしれません。廣瀬にホームランが出て前の席のユニフォーム着た男の子がハイタッチしてくれると嬉しかったし。でも彼らの輪に入ってメガホンふって立ったり座ったりはしません。やはり見ているのは野球なので。

津坂さんがシネマ・ベスト3にあげられている「Field of dreams」は僕のような人間があの国にはたくさんいる、孤独じゃないんだと勇気づけられる映画でした。

その後しばらく何も起きなかったが、ある日の晩、娘が夕闇に動く人影を球場にみつける。そこにいたのは“ブラックソックス事件”で球界を永久追放され、失意のうちに生涯を終えた“シューレス”ジョー・ジャクソンだった。  

この映画を作った人たちの野球というスポーツへの深い愛情、理解、敬意。それを共有した選手たちへの愛情、理解、敬意。それと同じものがメジャーにいる日本人選手にも注がれているのを見るにつけ、アメリカ人のフェアネス精神に敬意を表します。それが誰か、男か女か、何国人かなどに関わらず、いいものはいい、悪いものは悪いとジャッジする。「空気読む」ではなく、「長いものにまかれる」でもなく、友達が、親が、先生が、マスコミがどう言ったかでもなく、自分の頭で判断する。そして思うだけでなくそれを堂々と意思表示する。反対意見も許容する。フェアネス精神というのはそういう土壌があってこそ生まれる「文明」です。動物界には存在しない人間の英知です。子供にそういう頭をつくってやることこそ教育なのではないでしょうか。

アメリカも長年の黒人差別というダーティな歴史を経てついに肌が白くない大統領を持つ国になりました。そのアメリカだって政治や実業がフェアに行われているとは思いませんし、そのはずもありません。みなそれがわかっているからこそ、スポーツというある意味で純粋培養の世界を作って自分たちの「心の美しい部分」を確認し合っている。スポーツマンシップというのはその素材であり基軸です。そういう大人のバランス感覚がスポーツを支えているのだと思います。

僕は16年かけて40か国ほど訪問しました。日本を入れて6か国に住みました。誤解を恐れずズバリ言います。フェアネス精神という文明を感じた国は2つしかありません。アメリカとイギリスだけです。日本はもちろんドイツ、スイス、香港に素晴らしい方々はたくさんおられ、素晴らしい出会いをたくさんいただきました。しかし社会という広範なレベルで言えば僕はどうしてもそういう結論になります。民主主義と呼ばれるものに結実するイデオロギーはフランスに発しましたがこの2つの国で発展しました。それはフェアネス精神という文明を生む土壌があったことと無縁とは思いません。

たかがスポーツと思われるでしょうか。素行の問題はあったとはいえ歴史に残る大横綱でもあった朝青龍をああいう形ですげなく追い出してしまった日本相撲協会。同じく清原を追い出した巨人軍。スポーツが大事なのか組織が大事なのか?型破りの天才児を管理できない無能力のほうが社会的にはるかに問題、損失だと思うのですが。相撲、野球というスポーツへの愛情、理解、敬意においては横綱審議会や読売の社主なんかより朝青龍、清原のほうがはるかに上でしょう。反対に組織のために貢献すればスポーツマンとして万死に値する「死球なりすまし事件」を起こしても不問に付してしまう。それをフェアネス精神という眼から問題だと判断し糾弾しない社会に僕はいささかの「文明」も感じません。

まったく同じ意味で、明治維新があり敗戦を経たから日本が民主主義国家だなどと一概に言えるとも思いません。毛沢東が統治の道具として持ち出した共産主義と大して変わりはないように思う場面があまりに多いからです。日本は民主主義に関しては発展途上国です。民主党に託してみたらだめだったという人が増えていますが問題の所在はそこではないと思います。同じようなレベルの政治家の間で首のすげ替えを何度やっても学習にならないばかりか、学習しているうちに国がなくなるかもしれないということを、まず有権者こそが学ばねばならないと思います。

日本で野球キチガイであることは本当に孤独です。

皆さんは家系図をお持ちでしょうか?

2012 OCT 19 11:11:35 am by 東 賢太郎

皆さんは家系図をお持ちでしょうか?我が家はそれがなく、ルーツがよくわかりません。

父方が石川県能登と東京、母方が信州伊那と長崎県諫早です。能登、伊那、諫早は訪ねてみましたが、もうよくはわかりません。伊那の先祖だけは比較的資料がありますが、それでも5代前ぐらいまでです。

性格的には諫早というか九州のブレンドが多いとよくいわれます。しかし自分では北陸人の暗さやねばりもあるように思っています。どこの先祖の血を引いたのかもっと詳しく知りたかったなと思います。亡くなった叔父や叔母にもっと聞いておけば、と後悔するばかりです。

僕がブログを書く動機の一つは、子孫にこういう思いをさせないことです。何かを見たり思ったりしたことを記しておけば、どういう人間だったかぐらいは残ります。それを読んで、アー俺はひいひいひいじいちゃんに瓜二つだなあ、なんて感じる子がいれば面白いなあと思います。たぶん、残してくれてありがとうと言ってくれるんじゃないか。そう信じて、この拙文を閉じることにします。

僕は大阪人である

2012 OCT 10 14:14:32 pm by 東 賢太郎

ノーベル賞の山中先生、iPS細胞の命名由来が「iPodみたいに世界に広がってほしい」というコメントに感心しました。このマーケティング感覚! ラグビーやジャマなかと呼ばれた話もおもしろいですが、それを何のてらいもなくお話になる先生の人柄がすばらしい。先生は関西のかただなあと思います。

僕は生まれも育ちも東京ですが、社会人の第一歩は大阪です。それまで新幹線で通過したことはあっても、そこで降りようという気がおきたことは一度もありません。大阪のかたには申しわけないのですが当時の僕には、おそろしい、ガラが悪い、阪神ファンのヤジ、映画のヤクザ抗争みたいな刷り込みしかなかったのです。

野村證券に入社して、何の因果かその大阪梅田支店に配属になってしまいました。豊中の社員寮に入ったときの戦々恐々とした気持ちは今でも覚えています。さて阪急宝塚線に乗って初出勤の朝のことです。電車のドアのガラスにふと目をやると、なんと 「指づめにご注意」 とでっかいステッカーが貼ってあるではないですか。そうか、やっぱりそういうところなんだ。大変な所に来てしまった。完全にそう信じこんだ僕はその晩の歓迎会でさっそく女子社員たちの酒の肴になったのでした。

たぬきうどん!というとキツネが出てくる。汁がうすい。アイスコーヒー!というと 「レーコでっか?」 と言われる。冷やし中華!は 「レーメンでっか?」 と言われる。何が違うんだ? エスカレーターで左に立ち止ると突き飛ばされる。・・・・だからさあ、とか言うと 「ええかっこしい」 と言われる。串カツ屋のおばはんには東京モンと見るや 「にいちゃん、二度づけ禁止やで」 と先制攻撃をかまされる。なんじゃここは日本か!という日々。これがあったからこそ、僕はアメリカへ行って一度もカルチャーショックというものを味わったことのない人間に成長できたのです。

結局2年半の滞在でしたが、大阪は僕に鮮烈な印象を刻み、人生のイロハをたたきこみ、素晴らしい人たちとの劇的な出会いを与えてくれました。仕事での成功体験も、全部大阪でできたものが基盤になりました。これがなければその後の僕はありません。社会人としての東賢太郎は100%「大阪人」「関西人」であると胸を張って言うことができます。

山中先生のインタビューには、何ともいえない、やわらかいけどタフネスを裏に秘めた、関西人のエッセンスみたいなものを感じます。これはそのままグローバルに通用します。僕自身、ささやかながらそれで16年間海外の第一線で戦ってこられました。かたや、東京人は 「ええかっこしい」 が権威主義というものになっていないでしょうか。御用商人と堺商人のちがいみたいなものがないでしょうか。

京都大学のノーベル賞の数はどうもそれと無縁でないような気がするんだけどさあ・・・・

ゴッホと色弱

2012 OCT 3 1:01:20 am by 東 賢太郎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴッホの「夜のカフェテラス」です。左がオリジナル。右は赤緑色弱の目で見たものだそうです。

僕が色弱と言われたのは小2のとき。クラスで検査表が読めないのは僕1人でした。子供心に俺は頭が悪いんだろうかと相当ショックでした。この2つの絵は僕には全く同じ絵です。ブログ写真の張り方は宍戸事務局長に指導されたばかりですし、まちがって同じ絵を2回張ったんじゃないかと、これを書きながら今も疑心暗鬼です。

幼稚園時代にお絵かきを習ったようです。木の幹を緑にぬってある(らしい)ので先生が「独創的です」と評を書いてくれています。やさしい先生ですね。親はそのへんで気がついていたと思います。しかし強がりを言うようですが、今の今までこれで生活に困ったことはありません。

ただ高校の担任から受験は文系にしなさいと言われたのはショックでした。野球に明け暮れ高3になっても成績はボロボロ。どうせどっちでもゼロからのスタートに等しかったので、子供のころから好きだった天文をやりたいと言った時のことです。父方は日本色彩学会会長(これも運命の皮肉ですね)とか東芝の最高技術責任者など筋金入りの理数系ぞろい。納得いかない気持ちが残りました。

親父からはお前は理屈っぽい、法学部がいいと決められ、そういうもんかと深く考えずに結局そうなってしまいました。僕は人間が作ったものは野球と音楽を例外としてぜんぜん興味がわかず、やっぱり法律はいかんと悟ったのも後の祭りでした(遊びたい口実も半分でしたが)。救われたのは母方が絵に描いた様な文系商人系宝塚ミーハー系一族だったこと。そっちのDNAを酷使して社会をなんとか生きぬいてはこられました。

これが何色に見えるの?と健常者(あえてそう言います)の方からよく聞かれます。何色といわれても、「僕に見えてるイロ」としか答えようがなく、そのイロは彼にはそう見えないので答えようがないというのが正確な答えです。犬が僕にだけ猫に見えるなら、猫を見たら犬だと答えれば何も問題ないでしょう。そういう問題じゃないということがわかっていただけないのはつらいところです。

僕は人の顔色が赤く見えたことは一度もありません。相手の顔色を読むという大事な処世術が使えません。天文学者以上にサラリーマンは無理でしたね。赤色・緑色・茶色それから水色・ピンク色・灰色なるものは判別困難です。だから僕の秘書をしていただいたやさしい女性たちはみなさん折れ線グラフの色に気を使ってくださいました。

さてゴッホです。彼が見たのは実は右側で、塗ったのは左側だとします。これは彼の色覚が認識した色と取り出した絵の具の色が健常者とは別の対応関係にあったという仮説です。つまり左右とも同じと見えていたということです。僕と同じで。健常者で右側の方が美しいと見る方もいます。僕の目をお貸しして見てもらうと、そう見えるのです。

僕はこういうことを一切知らずにゴッホが好きでした。何故かというと、ほかの画家より色がきれいだからです。オルセー美術館では2時間ゴッホをじっと見ていました。ポスターまで買いました。バルビゾン派と印象派のコーナー近辺で、そこだけ光り輝くがごとくぱっと明るくきれいに見えるのです。不思議でしょう。

ゴッホもそうだったらしいよとあとで教えてくれたのは娘です。やさしいです。

 

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見えている現実はすべてウソかもしれない

 

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僕と広島カープ

2012 SEP 16 18:18:09 pm by 東 賢太郎

僕は生まれも育ちも東京です。広島には2回しか行ったことがありません。それなのに小学校2年からのカープファンです。

これには理由があります。V9時代の巨人は3番・王、4番・長嶋が全盛時代の常勝軍団でした。そうなると興味はそれを誰が倒すかです。そこで友達は村山、バッキ―の阪神タイガース、僕は大羽進の広島カープとなったのです。

プロ入り前、この大羽進を擁した日大一は王貞治の早実に決勝で負けて甲子園をのがしました。以来宿敵となった両者の対決は手に汗握るものがあり、リベンジに燃える大羽が王を空振りの三振に取るシーンにしびれまくりました。

これには伏線があって、僕は少年サンデーを創刊号から読んでおり、伊賀の影丸(横山光輝)という忍者マンガに心酔していました。テレビでも三匹の侍、素浪人月影兵庫など時代物ばかり。要するに1対1の真剣勝負が大好きの子供で、大羽vs王という対決を完全にその脈絡で楽しんでいたのです。その大羽がいたのがカープでした。

そこに、僕をカープにくぎ付けにした大投手が現れます。外木場義郎です。彼は阪神戦のノーヒット・ノーランで華々しくデビューし、大洋戦でセリーグ記録の16奪三振で完全試合、そしてなんとV9巨人相手にノーヒット・ノーランをやりました。3回というのは史上2人。彼は僕の神であり、中学時代は背番号14をつけてフォームをまね、定期券にはいつも彼の写真が入っていました。

後楽園球場で見た彼のボールは衝撃的な威力で、なぜあんなことができたのか納得しました。松坂もダルもマー君も実物を見ましたが、球威ではまったく及びもつかない違う球です。変化球でいくら三振をとっても僕には邪道で、外木場は直球とカーブだけ。そのカーブも巨人の高田がノイローゼになるぐらい落差がありました。

さてそういう経緯でなったカープファンですが、実は妻と知り合ったのはその1回目の広島でした。大学時代に九州旅行をしての帰り道、聖地であった広島市民球場でヤクルト戦を見るために泊まったユースで偶然会ったわけです。カープファンでなければこういうことは絶対におこっていないわけで、人間の運命というのは不思議なものです。3人の子供も世にいなかったわけですから。こういう縁なので、何があろうとカープを見捨てるわけにはいきません。

さすがに地方は無理ですが、神宮と横浜だけは全部応援に行きます。だいたいカープ側のベンチ上アルプススタンドあたりで焼きソバかたこ焼きとビール2杯が定番です。ファンの方、ぜひご一緒に!

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