芥川也寸志さんと岩崎宏美さん
2017 FEB 21 1:01:09 am by 東 賢太郎
成城学園初等科にいたのですが、金持ちの坊ちゃんではありません。お嬢で育ったお袋の趣味だったんでしょうがお品が良すぎてなんとなく肌には合わなかったですね。制服が帽子に半ズボンで軟弱っぽくて、公立の子とちがってて嫌だなあと思ってました。あの反動だったんでしょうか、なんちゃって硬派、バンカラ、アンチ・ブルジョアのほうにいってしまい、振ったのがゲバ棒ではなくバットだったのは救いでした。
勉強はした記憶がないというか、僕の勝手解釈によればしなくていい雰囲気であって、クラスも塾に行く者など皆無で考えたこともなし。あまりの出来の悪さを知った親父がエスカレーターは勉強せんし遊び人になりそうだこいつはだめだとなって中学で外を受けさせられてぜんぶ落ちましたが、親父はそのころから東大へ行けと存外なことを言いだして五月祭に連れていかれたりしました。だからなんとなく当然入れるもんと信じこんでました。
そのかわり映画とか劇とか舞踊とか彫塑なんて授業があって、そういうのはとんと興味ありませんでしたがアートは生活のそこらへんにごろごろところがっていて当たり前という感覚にしてくれました。こういうのは文部省指導要領じゃどうしようもない。このあいだ銀座で卒業生の女の子がいて、40才ぐらい後輩とわかり彫塑室の粘土の穴ぐらの描写をしたら「いやだ、それそのまんまですよ~」と、その子も成城っぽい「アートはあって当たり前」感をただよわせながらびっくりして、年の差などものともせず共感しあったりできてしまう。不思議なもんです。
いま思うとまわりはすごかったですよ。ラグビーの松尾兄弟や、3つ下の妹のクラスには歌手の岩崎宏美さんもいました。彼女がスター誕生という番組でデビューしたてのころ食事したりしましたが、あれ、この頃でしたかね、この歌はずいぶんヒットしましたが。
同じ学年の桜組、橘組の父兄には黒澤明さん、三船敏郎さん、東大総長の加藤一郎さんなどがおられ、僕の桂組には芥川也寸志さんがおられました。龍之介の次男で日本を代表する作曲家で家もお邪魔しましたが、当時はY子ちゃんのお父さんというだけで誰だかよくわかってませんでしたね。
成城は学校劇なるものがあり、まあ子供ミュージカルみたいなもんで面白かった。その音楽を芥川さんが作られ指揮もされた。生のオーケストラも指揮者というものも、その時初めて見たのですね、そしてその子供の祭りという劇で主演をして主題歌を歌ったのが岩崎宏美さんで、めちゃくちゃうまいなあと感動した記憶が残ってます。
NHKの大河ドラマ「赤穂浪士」の音楽は芥川さんでこのメロディーはいまでも鮮烈に覚えてます。えらいかっこいいなあと思ってましたが、調べてみるとこれも昭和39年、東京オリンピックの年の放映だったようで僕は小4です、あのころだったんですね。
Y子ちゃんちは成城の高台で見晴らしの素晴らしい場所にあり、もちろんピアノがあって、子供心に素敵だなあと俺もああいう家に住むぞと憧れました。高台というとバーデンバーデンのブラームスの家も崖の上で、どうも僕の「崖好き」はお二人の作曲家の趣味から来ているようで、いざ自分で建てるとなったときに成城~田園調布を走る国分寺崖線の崖の上ありきになりました。なかなか出てこないので出たら即決で買った。家族は高いと大反対でしたが、三つ子の魂みたいなもんでかなり執念に近かったです。
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なんでもいいから井戸は深く掘れ(僕の教育法・その2)
2017 FEB 19 2:02:24 am by 東 賢太郎
大学へ入るとすぐ家庭教師や塾で中高生に数学を教えましたが相場は時給3千円ぐらいでした。東大にはいって得したなと思ったのはこれぐらいで、当時国立大の授業料が年3万6千円でしたからけっこうなもので、それでレコードが買えたのは有難かったですね。
僕は「問題をぱっと見て解き方をどう思いつくか」を、実際に僕がどういう思考回路でその結論にたどり着くかを言葉で実演することに情熱をそそぎました。「解法」ではなく、「思いつき方」をです。時間制限のある受験数学はこれで確実に勝敗が決します。だから解法や計算法は機械的な部分だから自分で練習してね(それ以外に手はない)としました。
思いつく練習(①)+解法の練習(②)=満点なのです。
ところが①は教えられないことがだんだんわかってきました。結局、②で苦労してないと①だけの練習は再現性がなく、②は教えられるが自分で苦労して練習しないと身にはつかない。ということは「練習問題をたくさん解きなさい」という当たり前の指導になってしまうのです。そんなことは誰でもいえますからね、それで高給もらうのは申しわけないのでバイトはやめました。
①は野球のバッティングでいうと、振るか見逃すかです。打撃というのは投げられたボールの軌道を予測してそこにバットの芯を合わせる行為です。予測の精度が低いと打てません。予測したらあとは振るだけです。この予測が①、振るのが②なのです
②は条件反射化するしかなく毎日昼休みに部室前で全員で200本欠かさず素振りをしました。プロはキャンプで毎日千~二千本だそうです。しかしいくら②を鍛えてもボール球は打てません。それを「見逃す」、これが難しいのです。投手はボール球や難しいコースの球を振らせれば凡打になる確率が高いので変化球を投げ、いわば騙し合いになります。
投手の手を離れて零点何秒で手元に来るボールを「ぱっと見て振るか振らないか決める」というのは①そのものです。問題文を読んで、あっこれは解くのに時間かかるなと見抜いて見逃す。4問あれば、一番速く解けるのから片づけたほうが点がいいに決まってますから実に簡単な話で、それが出来れば数学の偏差値は確実に上がります。
しかし、打撃でいえばその判断は自分のバットを振る速度や精度によって変わります。だから素振りでそれを体得しないと振る振らないの判断技術も向上しないのです。つまり、数学の場合、結局、②で苦労してないと①だけの練習は再現性がなく、②は教えられるが自分で苦労して練習しないと身にはつかないという結論に僕は至りました。
野球中継を見ていると解説者が「見逃し方がいいですね」と打者をほめることがあります。「見逃し方」で上級者かどうかわかるのです。投手をしていると、知らない打者の実力はけっこうそれで判断してました。きわどいたまをすっと自然に見られると「おぬしやるな」って感じになるんですね。選球眼とはちょっと違って、それもその内ですが、もっと総合的な反応です。
プロで3割を打つような人は例外なく見逃し方がいいですし、思うに2割打者との差はスイング速度ではなくそっちです。投手の方もプロは速いだけでは打たれるのは、スイング速度の勝負ならプロになるような人は2割打者でも対応してしまうからで、ノーコンの150キロより針の穴を通す130キロが上です。
こういう経験から、僕の教育法のその2として、
「なんでもいいから井戸は深く掘れ」
が出て参りました。野球と数学の練習は、井戸の深いところまで掘ればけっこう共通しているところがあるのがご理解いただけたでしょうか。なんでも結構なのでクラブ活動でも趣味でも一つのことを深く知れば、違うジャンルのことに応用がきいたりします。
ただ、ここから先は何とも言えないのですが、素振りを何千本しても見逃し方が2流の人はいるんですね、プロにも多くいます。見ているとたいがい2割打者で終わりです。数学も②はカンペキなのに①ができないとそれなりです。1番から馬鹿正直に解いていって時間切れになって終わる。もったいないことです。
(これはここから来ている)僕の人生哲学(イギリス経験論)の起源
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僕の教育法
2017 FEB 18 20:20:42 pm by 東 賢太郎
僕は子供を勉強しろと叱ったことはありません。勉強を教えたこともほとんどない。次女が小学生のころ鶴亀算ができずに泣いてたので教えましたが、それが「悔し泣き」だったのを知って「えらいぞ」とむしろほめました。
鶴亀算の裏わざを覚えて人生役に立つわけではありませんし、試験は通ってもあとに何も残りません。自力でチャレンジして壁にあたり、苦労して乗り越えた経験は自信として残り、次の壁を越える知恵になります。 口酸っぱく言ってきたのは、「自分の頭で考えなさい」、それだけです。
代わりに、ときどき急にこんな質問をします;
①「5千円の券が12万枚売れた、売上いくら?」。すぐに答えが出ないと「それじゃあ考える材料が揃わないよね、それでどうやって考えるの?」「材料は機械的に出ないとアウト、大事な頭はそんなとこに使うな」と教える・・・計算力。
②「現在完了形のhaveの次にどうして過去分詞が来るの?」。教科書に書いてあったのでそう覚えてるだけの人は他人の頭で考えているので意味がロジカルにわかっていない・・・言語力。
③「円が安いとどうして日本株が上がるの?」。なるほど、では「円安でも下がるのはどういう場合?」。教科書に書いてない。普段から自分で考えない人はお手上げだろう・・・思考力。
計算力、言語力、思考力は「読み書きそろばん」で十分に身につきます。思考する言語が母国語で、「読み書き」は母国語で習得しなくてはなりません。だから日本語しかありえません。まだそれもできない子供に歌を教えて英語力がつくという発想は英語ができない人のトレードマークです。九九を歌で覚えて数学ができるようになりますというに等しいナンセンスだ。
①②③は「読み書きそろばん」程度の問いです。それを常に世の中で見つけて解く訓練を日々積んではじめて「インテリジェンス」を自分の頭で作れるようになります。インテリジェンスがない人はインテリじゃないのでインテリのフォロワーとして生きることになります。
読み書きそろばんすらできないのに「経済の先行きは?」なんて多変数関数の問いに答えが出てしまう奇跡のような理論は世界のどこにもありません。従って、自分のインテリジェンスで導いた答えに資金をベットする行為であるビジネスも、間違いなくできません。
別にビジネスが人生ではありませんが、その能力さえ持っていれば最悪でも自力で食って行けますから人生で何回かチャレンジができます。運命を切り開けます。この自由を手にできるできないは人生の喜びにおいてどうしようもない差になると僕は確信しています。僕は子供にいい人生を生きてほしいのです。
先日の稿に、
「人には2種類あって、もらった仕事だけする人と、もらわなくても仕事を作る人である」
と書きましたが、後者の人は少なくともビジネスにおいては前者の何倍もの価値があって生涯年収で勝る。これは一般相対性理論と同じぐらいあまねく宇宙的に成立する世界の常識なのです。学歴は無関係です。東大卒で前者という人が極めて多く存在するのが現実です。
そして、それはこう言い換えてもよろしいのです、
「人には2種類あって、他人の頭で考える人と自分の頭で考える人である」
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ドイツが好きなもう一つの理由
2017 FEB 9 18:18:07 pm by 東 賢太郎
留学、ロンドンの8年を経て日本に戻り2年たった1992年5月、37才の時のことだ。フランクフルトへ行けと辞令が出た。やっと巣鴨に落ち着いてロンドン生まれの娘2人もおじいちゃん、おばあちゃんになついていた矢先だ。フランクフルトは当時強力なドイツ連銀があり、いまも欧州中央銀行、ドイツ4大銀行本店がある欧州金融市場の要だが、証券市場としてはメインストリームではない。ドイツ語も第2外国語ではあったができないし、MBAまでとってどうしてという気持ちもあった。
会社を辞めようか?
まじめにそう考えた。ロンドン時代に某有力外資にけっこうな年俸で誘われている。引く手はあった。
結局そうしなかったのはまだ若かったのと野村が好きだったからだ。行って辞めてもどうにでもなるさ、よし行こうと意を決したもののドイツ赴任そのものに意欲が出たわけではなくまったくの受け身の気持だった。フランクフルトに飛んでオフィスに行ってみる。1000人の大拠点であるロンドンから見ると甚だうら寂しい都落ち感があり、中小企業に再就職したようでああこれで俺も終わりかなと思ったものだ。
しかもドイツ拠点の現法のステータスは銀行(ノムラ・バンクGmbh)である。ゲシェフツフューラーなる社長は要は「頭取」であって本社の辞令など関係なくドイツ銀行監督局の承認がないとなれず、それには1時間ほどのドイツ語による口頭試問がある。そんなものを僕が通るはずもない。結局1年間はぶらぶらして見習いでドイツ語を覚えるみたいなものだった。試験に合格して社長に就任したのは38才のときということになる。
さて人生で初めての社長の椅子に座ってみる。気分は悪くない。ところが、目の前の50がらみの白髪の部長の顔には「ドイツ語もできん若造に何がわかるのかね」と書いてあった。おっさんは仕事もしなかったし英語もおそろしく下手だった(彼の言葉をしゃべらないこっちの責任だが)。ドイツは労基法の壁が厚く英米と違いプロ職もリストラは難しく、引き継いだ幹部社員の任免権が事実上ないのは新首相が組閣できないようなもので、新任のマネジメントとしてカラーが出せず非常に苦しいのである。
彼はシンジケーション部長だがまったくヒマだった。言い分があって、「社長が東京から引受玉を引っ張ってこれない無能だから俺は暇なんだ、当たり前だろ?お前のせいだ、首にはできないぜ」ということだ。難敵である。命令を下して動かすしかなかったのでやってみると、ドイツは上意下達意識の徹底した国であって「命令の威力」は予想外にあることがわかった。上官の言葉は絶対であって、だから労基法が強いのだ。首相を縛る憲法の役目だ、首相権限が強い分だけ壁も厚いということだろう。
こういう立場に立つと年齢差は関係ない。「俺の言うことを聞け」とあれやれこれやれと頭ごなしに野村流に命令した。こっちは暇人がオフィスにいるのが空気を乱して不愉快なだけであって、しょうもないことを命じた。嫌になってやめてくれればそれでいい。ところが彼はまじめに几帳面なきれいな字でレポートを書いてくる。しかも嫌々という感じでなく、くだらないことでも仕事は仕事だと半ば喜々としているようにも見える。彼だけでない、ドイツ人はそういうところがあると不思議に思った。
モンターク(月曜日)という姓の営業マンが実に不調な時期があり「今日からゾンターク(日曜日)に名前を変えろ」と励ましもこめて罵倒したが屁の河童である。ところが、来週までにこれをやれ、やらんかったら席次を落とすぞと脅かすと必死にやる。クビじゃないからそれはできるわけだ。要は、軍隊調でいいのだなと心得た。日本人は僕に逆らう奴などいないし、体育会調ということだから何の抵抗もなく水を得た魚だ。いま思うとぞっとっするほどひどい経営者だった。
ただドイツ人にも一部オカマっぽいのやオタク風がいて、これはだめだ。それが通じないし反発を買うだけであったからむしろまともだったということだろう。しかし営業部門は気質が合う連中が多く、滅茶苦茶な社長に反乱も起こさずよくぞついてきてくれた。ドイツ拠点として空前絶後に違いない400億円の新発債も全員で売り切って、まるで弱小校が甲子園で優勝したみたいなお祭りムードになった。おっさんもゾンタークも獅子奮迅の大活躍をしてくれた。若葉マーク経営がうまくいったのはドイツの軍隊調と僕の体育会調が奇跡的にシンクロしただけでたまたまだが、皆さんもボーナスが大いに増えて喜んだからこの2年間は結果オーライだった。
ところがうまくない部分もあって、その営業部門に当時ドイツでもハシリだったと思うが大卒エリート女性を採用した。彼女は美人で賢かったが、軍隊調がさっぱり通じない。逃げるわけでなく淡々と「ヴァルーム(なんで)?」とくる。男なら「うるさい、じゃあ何でお前はここにいるんだ?」で終わりだが、女のオーラにあたって女性参政権とか男女雇用機会均等法とかの言葉が頭をめぐりはじめ、言えない。ここは戦場だよ、「撃て!」にいちいち説明なんかないでしょという全体観がないのである。
女性は頭が柔軟で勘が鋭く、人の本性を見抜くのに優れている。しかしそれを知るには当時は若すぎた。男も女も体育会もオカマもオタクも適材適所があるのであって、それをうまく配置するのが経営だ。ところが男女雇用機会均等などと杓子定規に義務付けられるとその自由度が減る。無理して入れられた方も不幸である。プロ野球選手に女性を入れろはさすがないだろうが、程度の差だけであってそういう性質の男の職場はあると思うし、そこではれ物に触るようにお姫様を置けというのは経済効率を損なうだけでナンセンスではないか。
僕はドイツの80人を皮切りに海外で140人、500人、日本に帰って120人、20人、50人、100人、250人のいろんな集団を指揮させていただいた。企画室や調査部という完全な文化部的組織もあったしほとんどが銀行出身者という僕にとっては別世界の組織もあった。その結果として、真の意味で目が行き届いた適材適所の組織というと50人が上限というのが実感である。さらに少なければ少ない方が良い。なぜなら一人の分け前が増えるから、よりインセンティブが高まるからだ。
人には2種類あって、もらった仕事だけする人と、もらわなくても仕事を作る人である。ステークホールダーに例えるなら前者はボンドの、後者はエクイティのホールダーである。後者だけ10-20人が僕の理想だ。分け前が多いのだからのりしろのある人がもっと創造的に働く。指揮者は適材適所ができる。2重の強みがあるのだから組織、株主にとっても社員にとってもベストなフォーメーションなのである。
そういうことは野村ドイツの社長業で学んだことがベースになってこそわかったことだ。価値は無限大だった。30代でそんなことを体で覚えるなんて大企業のオーナーの息子でない限りあり得ないだろう。音楽のことばかり書いているのでバイロイト音楽祭やらラインガウ音楽祭やらで浮かれてたみたいだがそうではない、こういうことが起きていたついでにそれもあった。音楽経験の充実ということでもフランクフルト時代は人生最高だったが、初めて社長という名刺を持って店を背負ったという意味で職業人としてのベンチマークであり、経営を覚えたのはここなのである。
あそこで会社を辞めていたら以上は全部なかったことだ。人生、何が幸いするかわからない。何度でも繰り返すが、野村證券は本当にすごい会社でその海外部門は米軍なら誇り高きマリーンであったと思う。入れていただいたことを心より誇りに思う。
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プライド捨てたゴルフは捨てる
2017 FEB 9 0:00:58 am by 東 賢太郎
「ゴルフは好きな奴としかできん」(アイゼンハワー第34代大統領)
まったくそのとおり。麻雀は誰とでもできますがゴルフはそうはいきません。僕の場合、好きであるだけでなくプライドをかけて戦える奴といった方がいいでしょう。そういう「勝負」でないのはゴルフとみなさないのであって、だから証券マンとしては失格ですが接待ゴルフは大嫌いでありました。
プライドはかけても目に見えないから、その代償として何か少額のものや食事を賭けるわけですがそういうのを賭け事はいかんといわれても困る。スポーツとして争うのは金品ごときではなくあくまでプライドなのであって、それをぼろぼろにされたから悔しくて徹底的に練習して僕はシングルになったのです。
霞ケ関カンツリー倶楽部の「女人禁制」が話題になっていますが、僕の観点からするとどうだろう。女子プロとやったことはありますが女の人と真剣勝負したことはなく、するイメージもさっぱりわきません。和気あいあいというのは辞書にないんで、無理でしょう。
やはり男同士だから闘争本能が刺激されるところがあるんで、しかも僕はプレー中は口をききません、相手が女だとサービス精神でそうもいかず負けそうな気がします。女人禁制にせよとまではいいません、どうせ一緒にやらないですからね、仮にそうであってもいかんということもなしです。
さて前回、プライドは捨てたと書きました。ではゴルフはどうか。最近さっぱりやる気ないのは、おそらく僕はそんなに好きでもなく、負けた汚名挽回だけでやってたからです。挽回しちゃったんでもう闘争心なし。負けず嫌いで、受験も落ちたからこの野郎と思っただけなんで入ったらもうどうでもよかった。ホリエモンもそうだったらしく、彼はそれで中退しちゃいましたが。
そういうことはプライドのおかげです。勝つために僕はバンカーからチップイン狙ってけっこう入れてましたが、でも今は勝つ執念がないんでそういう離れ業は2度とできないでしょう。プライド捨てたゴルフは和気あいあいしかありません、それを釣りでもあるまいし朝4時に起きて2万円も払ってやりに行こうなんてめんどうくさい。だからグロス75まで出したゴルフもあっさり捨てられるんです。
一方で、「インド カレー伝」(リジー・コリンガム著)を読んでいたらだんだん自分で作ってみたくなってきた。東南アジアのスパイス系料理は何でも好きなんで研究心をくすぐられますが、気合入れてやれば凄いのができる気がしてくる。こういうのはプライドいらないんでいいですね。カレーの次は交響曲を作ってみたいですね、シンセで録音すればオケいりませんし、まあこれは妄想ですが。
残りの人生、いろいろすでに普通でないことをやってはいるんですが、プライドを捨てますと、それが横糸になって繋ぎ止められていた無用なものがバラバラ落っこちて、代わりに思いもしなかったことができるような気がしてきます。人生のポートフォリオ入れ替えでしょうか。
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「今できること」を磨く人生
2017 FEB 8 0:00:52 am by 東 賢太郎
男がプライドを捨てるのは大変なことです。肩書きがなくなると男はしばし狼狽します。温泉で素っ裸になると隣の人がどこの誰かなど気にならなくなりますが、服を着ていても実は同じと気づくのです。狼狽を他人に見せたくない、こんなはずじゃない、自分が何者か証明して見せたいとなります。なぜなら、僕もそうだったからです。
自分があの大学を出てあの大企業の何々でこんな大仕事をしたなんてのは、人々の本音のうちでは何の証明でもなければ何の価値もありません。あっそう、で終わり。大体の人は他人の過去や業績など話半分、自分のそれは2倍に思ってますから、4倍以上の客観的な差でもないと認めません。そして、仮に認めざるを得ないとなると、そういう相手は嫌いになるのです。
だから肩書がないと「でっ、あなたは今私の前で何ができるの?」というシビアな目線に耐えることになります。それを知ったので、僕の場合、それならばないに等しい過去など全部捨ててもまったく損失はないと割り切ったのです。それより目の前でできることを磨く方がよほど大事です。
もし目の前でできることを価値があると誰かが認めれば、それには値段がつきます。もちろん愛や善意はプライスレスですがそれは売り物ではないからであって、何かしら経済的価値を認め得る性質のものであれば必ずプライスがつきます。そういうもんじゃないよ料理は作る人の気持だよ真心だよ、お金の話を持ち込むのは良くないよと言いながら、人はまずい食事より美味しい食事にお金を払っています。
ということは、そうならないなら自分には価値がないということを、悲観するのでなく、それなら結構、ではどうやってそれを獲得できるかを開き直ってやってみる。プライドを捨てるというのはそういうことだと思います。ネット時代の社会の変化は急速です。何事も10年前なら5年は価値があったことが1年で無価値になるイメージです。それどころか「何が価値か」という尺度すら変化していきます。これは世界中のお金が集結する市場での株式価値のファンダメンタルズ分析をしているとわかることです。
自分を認めてほしいというなら、今現在の自分の価値はこうだというのを今の人がわかる形で可視化して、世間に常時見て通信簿をつけていただかないといけないのです。女性は柔軟性があってそれができる人が多いように思いますが、我々男は「何で俺がそんなことを?」「俺を誰だと思ってんの?」となりがちである。誰とも思ってないからプライスはつかない。そしてそれを悟ると現実逃避をし、自分を檻に閉じ込め、新たな道を断ってしまうように感じます。以上、そう思いながらなかなかそれができない自分への戒めとして書いてますが・・・。
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60代はいろいろ大変だよ
2017 FEB 5 10:10:34 am by 東 賢太郎
母を見舞いにいったら親父が「今日で62だね」と覚えていてくれ、しばらく考えて、「60代はいろいろ大変だよ、でも70代、80代とだんだん楽になってくるからね」と言ってくれました。92才の言葉です。ただただ、うなづくのみです。
親の有難さかなですがそんな先は考えたこともなく、60代すらこのままの勢いで乗り切れるのかどうか。母に付き添って病院に一日いて、人は生きているだけでも大変なことなのだという思いが強くなっています。
62才をもって自分がどこの誰であり、どこで何をしてきた人間かはきっぱりと忘れることにしました。それほど大事なものではなく、その延長にはたぶん自分の思うほどのものはないからです。そんな時間はもうありません。
ブログはSMCに1395本を書きましたが67万人のご訪問は4年前には想像もしませんでした。料理のレシピのようなお役立ち情報はないのに多くの方とこうしてつながっている実感はかえがたいものです。ほかのSNSはしていませんが、わかる気がします。
これからすることは、最期の時になってそばにあって欲しいもの。そういうことになります。それ以外はなくて困らないことを学びました。おそらく60代は父の言うように大変な時期で、きっと皆さんも、人生の先輩方も、そうやって乗り切っておられるのだろうと思います。新しいチャレンジです。
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62才でふぬけになる(プライドの捨て方)
2017 FEB 4 3:03:26 am by 東 賢太郎
おかげさまで本日をもって62才を迎えることができました。とりあえず元気で健康であり、こうしてSMCにブログを書かせていただいて4年と3か月ほどたちました。
何才まで生きるかはともかく80才までこの調子でいけるとして、人生を「箱根駅伝」とするならいまどの辺を走ってるのだろう?
さっき計算してみました。
8区をあと5キロで終える所
なんです。遊行寺をすぎて戸塚中継所に向かうあたりですね。テレビ放送だともう1月3日のお昼あたりです。おいおい、あと9区、10区しかないじゃないか。
つまり客観的にはもう押しも押されぬジジイなんですね、ところがどういうわけか、たまにしかやらないジョギングをしてると「なんだ高校時代とかわらんぞ」という気持ちにどんどんなってきて10キロ走ってしまい、まだマウンドに登って100キロぐらいの球は投げられそうな気もしてしまいます。強がりでなく願望でもなく、普通にまじめにそう信じられてしまう俺って何なんだろうと思うわけです。
これはやっぱり性格だろう、楽天的にポジティブ思考に生んでくれた親のおかげだなという結論に至るのみであります。
せっかくいただいた性格だから命じられるままに生きてますが、ときどき邪魔してブレーキを踏むのが「プライド」ということがわかってきました。そんなのいまさら、とか、柄にもないとか、ですね。
迷わずにやったのが起業でありSMCでもあったのですが、もっとできることがあった。でもしょうもないプライドや自意識が邪魔したんです、アイツに言われたことはやりたくないとかですね。
『世界の村で発見!こんなところに日本人』という番組があって、いつ男が出てくるかと見てるとぜんぶ女性ですね。あれは男はむずかしい。男は自分の居場所を作るのにプライドをかけて戦ってしまうから、わざわざアフリカの奥地で現地の男とそれをやろうなんて思わないわけです。
では日本にいれば?60才にもなれば一応の居場所があって、そこに安住すればプライドは保てます。これをどう思うかです。
僕はプライドをかけて守るほどの居場所はもってません。いまの世の中、みなさん可愛いのは自分だけです。他人の実績や勲章なんか誰も関心ありません。そんなのを巌窟王みたいに守って死んで何になるのか、自分の心さえ許せば過去は全部捨ててしまっても実は何も失うものはないということに気がついてきました。
野村證券を辞める時でした、部員の前でそれを断腸の思いとかなんとかカッコつけて苦しいスピーチをし終わって、ああこれで俺は人生捨てちまったのかなという気がした、そしたら女性が小さい声で「すてきですね」と言ったんです。あれ何のことかわからなかった。いま何となくわかってきたんですね。
ところが、男は捨てられない、守らないとプライドが傷つく気がする。それを守って死ぬのも立派な人生と思いますが、楽観的に生まれついてる僕はそんなのはキレイに捨てて、違う人生をやってみたいと本気で考えるようになってます。
仕事を変えるということではなく、生き方、人間を変えるということです。デビッド・ボウイの回顧番組があって、彼は6,7回も意識してミュージシャンとして過去を捨てて「別人」になってきている。あれすごいな、かっこいいなと思ったわけです。
僕は一生いまの仕事をします、それは変わらないが、デビッド・ボウイのスタイルで進化したいなあと思います。あと9区、10区しかない。止まったら駅伝はおわり。プライドはゼロのふぬけになってみよう。
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男は借金をすべし
2017 JAN 31 1:01:12 am by 東 賢太郎
男は借金をすべしと思う。理由は二つある。一に、僕のような怠惰な人間が必死に働くようになる。二に、いくら借りられるかで自分の世の中での評価を思い知るからである。
会社をやめてすぐのこと、某銀行がポンと2億5千万円借してくれた。要は失業者になったのだからそれが僕の裸一貫のプライスだったわけで、55才にもなってよくぞとこれだけはちょっと誇らしく思っている。
それで好きに家を建て、好きな事業を始め、必死に苦労してやっと返せる段になるとどうも刺激がなくなる気がするのは困ったものだ。会社も無借金は善ではない、レバレッジがかけられないのは経営に先がないあかしでもある。
自分は怠け者だがネコ科ゆえ好きなものには徹底的に貪欲なハンターである、いやそのはずだった。ところが男は城を建て安寧に家族を守って還暦にもなると満ち足りてしまうのだろうか、どうもいけない。最近、牙をなくしている。
何が効くのか知らないが、心のことはむずかしい。怒りかな、そういえば最近怒ることもなく、いいターゲットだった女党首もふがいない矮小な存在に埋没してしまった。後援会入って応援でもしないといけないか。
新奇なことはなくなって何事もあんまり関心を引かない。興味がないというのはどうしようもない精神の墓場であって、豪勢な食卓にもきれいな女にも心がちっとも反応しないのは非常にまずい。
やっぱり10億円ぐらい借金するしかないのか。
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500人のサンタクロース
2016 DEC 25 11:11:09 am by 東 賢太郎
プライベートでは逆風の吹く2016年だった。特に8月からは何か一つぐらいと日記を見返したがいいことがない。仕事が前半から不調であり、あがいてもだめだった。外部の協力を得て11月から一気に盛り返して帳尻だけはあったものの運だけだ。林からリカバリーの寄せがチップインしてパーというようなもの。
それがほぼ今年のすべてで、親父の前立腺癌がうまいこと消えたのがいちばん良かったことぐらいで出来事ランキングといって他に特に書くようなことはない。だいたいが、プライベートなどあまりなかった気もする。
中村が亡くなったことが重い。同期というのは普段は意識しなくても、こうなると格別の存在になる。中学の親友を二十歳のときに亡くしたが、あのころはまだ自分に無限の時間があってこそ救われたのだ。
そのことがあって、自分を整理しようという気持ちの種が植えられたかと思う。元から物欲はほぼ失せている。自分の納得いくように諸事かたをつける、これが残った最大の欲かもしれない。
TVで500人のサンタクロースの話を見た。施設の子や難病の子にたくさんのプレゼントが届く。子供たちの目がきらきら輝く星みたいだ。「サンタさんなんて僕には来ないと思ってた」・・おいおい来てないはずないんじゃないか。
わくわくして眠った翌朝、僕の枕元には模型の電車がそっと来ていた。それがOゲージというどうしても欲しかった大型のものだから、「わ~、これがわかるなんてサンタさんってすごいね~」と大声をあげたように思う。子供はひとりひとりそれぞれのやりかたで親にプレゼントを返す。
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