ショパン 練習曲集 (作品10、25)
2017 AUG 11 2:02:25 am by 東 賢太郎
自分の音楽史を回顧するわけではないが、最近、若いころ聴いた録音を聴きかえす機会が増えている。そこにはおふくろの味のような、遠い記憶にそっとよりそってくる暖かいものがあり、どこか生き返った心持ちを覚えるのだ。
いまの僕がショパンの熱心な聞き手でないことは何度か書いたが、クラシック入門したてのころはもちろんショパンの門をくぐっている。ソナタ3番やスケルツォ2番に熱中もしたし、ほとんどの曲は耳では覚えているかもしれない。

初めて惹きこまれた、というより衝撃を受けたのはDGから出たマウリツィオ・ポリーニのエチュード集(Op.10&25)(72年盤)だ。大学時代か。この演奏を何と形容しよう?フィレンツェのアカデミア美術館でミケランジェロの最も完璧な彫刻と思う「ダヴィデ像」を見て、ポリーニ盤の印象とかぶってしまい、それ以来これ(右)が浮かんできてしまう。彗星のように現れた若手によるピアノ演奏として、これとグールドのゴールドベルク変奏曲55年盤は東西の横綱、人類史に残る文化遺産だろう。
一時期、これとホロヴィッツのスカルラッティ、リヒテルのプロコフィエフなどが僕の「うまいピアノ」のスタンダードを形成していた。といって僕がピアノを弾けるわけではないのだからそれは単なる印象だ。印象というものは時により変化するものであって、決して何かを判断する基準にはなり得ないと思う。だからメカニックな技術に耳を凝らしてみることもずいぶんやった。
今回、ポリーニのエチュードを聴きかえして、やはり「うまい」と思った。作品10の第1番ハ長調でいきなり脳天にシャワーを浴びる。第5番変ト長調(黒鍵)や8番ヘ長調の指回りは唖然とするしかないし、第7番ハ長調のクリアな声部の弾き分け、作品25の第6番嬰ト短調のトリル、第10番の両手オクターブなど、ピアノ演奏の技術を体感できるわけではない者にだって何か尋常でないものを悟らせる。しかし、ポリーニはもっと若いころの録音(1960年盤)があって、それと聴き比べると思う所があるが皆さんいかがだろうか?
彼は12年前からうまかったのだ。但し「革命」の左手など彼にしてはどうして?というレベルでもあり、72年盤に至ってすべての部分でテクニックはさらに凄味を増してくるのだ。しかし彼の進化のベクトルの方向性はそちらにあり、例えば「別れの曲」や第6番変ホ短調の抒情、哀愁、歌心において特に深みが増したようには思えない。
ちょっとちがう。純水のように磨かれているが無機的、無色透明であって、いまの僕は水に澱(おり)が欲しいなと思う。音楽の養分、有機物とでもいうか、そんなものだ。作品10,25を練習曲という側面から突き詰めるとここに行きつくだろうという意味でそれは長所でこそあれ何ら欠点ではないわけでミケランジェロに浪漫を求めても仕方ない、単にこちらが年齢を重ねてしまったということなのかもしれない。
もう一つ、僕がアメリカにいたころ聴いておなじみになった演奏がある。1976年録音のアビー・サイモン(左、1922-)の演奏だ(VOX)。試しにこれをかけると、やっぱりこれだ。技術のキレ味はポリーニと異なって誰の耳にも容易にアピールする鋭利な感触はまったくなく(しかし同じほどの妙技が秘められている)、さらには心にじんわりと迫る歌と抒情があって、こういうショパンならもっと聞こうかなとなる。アビー・サイモンが日本で知名度がないのは驚くべきことで、批評家は何を聞いていたんだろう。思うに彼が米国人でありVOXも廉価レーベルであり、スターダムに縁がなかったため安物の先入観に染まってしまったのだろうか。ホロヴィッツをあれほど神と崇め讃えた連中が、技術で劣ることなくひょっとしてもっと音楽的に神ってるサイモンを完全無視できた理由を僕はまったく考えつかない。
変ホ短調のグレーな世界を聴いてほしい。彼の演奏には特に遅めの曲に不思議な色調の変化を感じる。別れの曲の絶妙なテンポの揺らぎと心の深層にまで触れてくるタッチや強弱の変化(こんな素晴らしい曲だったのか)、黒鍵や7番ハ長調や10番変イ長調のペダルを控えたタッチの羽毛のような軽さ(こんなにペダルを使わず多彩なコクのある表現ができるなんて奇跡的)、11番の歌の指によるレガート、8番の指回りと高音の粒立ちの両立、革命の左手!
彼の技巧はニューヨークタイムズで辛口で有名な批評家ハロルド・ショーンバーグに「スーパー・ヴィルチュオーゾ」と評され、そういう外面にばかりフォーカスしがちな「外タレ好き」の米国聴衆の眼がロシア系で19歳上のホロヴィッツに向いたのはいたしかたない。カーティス音楽院でヨゼフ・ホフマンの弟子だったサイモンの美質はしかし超絶技巧ではない。詩的情感、音色、想像力にそれはあるのであってテクニックはそれに奉仕するものと感じられる。ちなみにホフマンはショパンの知己でチャイコフスキーの友人、同胞だったアントン・ルービンシュタイン(1829-94、チャイコフスキーの協奏曲初演を拒否したニコライは弟)の弟子だ。
この人が鍵盤上でしていることはおそらくピアニストにとって看過できないことでマルタ・アルゲリッチが師事したし、ニューヨークでリサイタルを開くと同業者がたくさん席を埋めたのは伝説である。僕がそれを目撃した例でいうとロンドンでリヒテルの会場に内田光子がいたしミケランジェリのにはブレンデルがいた。サイモンは優にそのクラスのピアニストなのである。しかしそうしたプロ目線を離れても、技術とコクが高次元で一体化した、いわば心技体のそろったピアニストとしていくら高く評価してもし足りない気持ちが残る。
テンポや間の取り方、バスの打ち込み方には個性があり人によって好き嫌いはあると思うが、ルービンシュタイン、ホフマンから伝わるショパン直伝のピアノであり、19世紀のロシアン・スクールの息吹がクリアな音で細部まで聴けるVOXの彼の録音は宝だ。耳の肥えたピアノファンはぜひ彼の録音に耳を傾けてみていただきたいが、彼の精妙なタッチはオーディオ装置を通してでないとわからない。CD(廉価盤だ)に投資することをおすすめしたい。
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独断流品評会「シューマン ピアノ協奏曲」(その3)
2017 JUL 22 9:09:51 am by 東 賢太郎
エフゲニー・キーシン / コリン・デービス / ロンドン交響楽団
一聴して惹きつけられた魅力的な第1楽章。詩心にあふれたキーシンのピアノは変幻自在なロマンを紡ぐ。自由なルバートが連続するが、音楽に感じ切っておりなるほどと思わせる。そういう表現はコンチェルトとしては焦点が定まらず散漫になりがちだが、それを見事に引き締めているのがデービスの伴奏だ。ティンパニを効かせて強いfを打ち込むが、雄渾でツボにはまっておりうるさくならない。緩徐楽章の感情も深く濃い。クララはきっとこうは弾かなかったろうが、やはりこれはロマン派の音楽なのだ。難を言えば終楽章が心持ち速いが、静謐で時間を止めるブリッジからの流れとしてそうなるしかないという一貫した見事なテンポ設計だ。(評点・4.5)
クリスチャン・ツィマーマン / ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
冒頭のオーボエの音がローター・コッホの音だ。懐かしい。トゥッティはあのカラヤンの豊麗な音がピアノを包み込みまるで交響曲だ。ツィマーマンのピアノは非常にきっちり弾かれカラヤンが彼を起用した理由がわかるが、あくまでオケのパートであり自由なファンタジーの飛翔は感じられず、カデンツァに才能の片鱗を見るだけだ。後に彼がカラヤンの支配を逃れたのはよくわかる。第2楽章のロマンはまったく平板。終楽章も大変な完成度できれいだが予定調和の域を出ず一向に面白くない。先が読めるのはファンタジーじゃないのだ。これをきくといったいカラヤンは何を目指していたのだろうと思う。一家に必携のブリタニカ百科事典みたいなものだろうか(評点・2.5)。
エレーヌ・グリモー / デイビッド・ジンマン / ベルリン・ドイツ交響楽団
なんともエネルギッシュなピアノだ。ここまであっけらかんと明るいと詩的な部分の陰影がさっぱり見えない。オケもffで単調でうるさい。展開部のおしまいの部分、精妙に再現部へ導く神がかったところでこれほど不感症はまずいしカデンツァもポエムがない。ジンマンはチューリヒ時代にトーン・ハレで毎週のように聴いたが、才人だが一度も感心したためしがない。別な指揮者だとうれしかった。終楽章はカプリッチオに聞こえる。(評点・2)
ルドルフ・ゼルキン / ユージン・オーマンディ / フィラデルフィア管弦楽団弦楽団
これを先に聴けばグリモーがおとなしく思えたろう。これだけ豪壮なシューマンも珍しい。ゼルキンのブラームスは硬派の部類の名演だが完全にその勢いでこのまま皇帝だって弾ける。たおやかさや悲しみとは無縁で武骨ですらあり、オーマンディのオケはそれに輪をかけて詩情のかけらもない。最後まで聞きとおすのにひと苦労(評点・1)。
ベンノ・モイセイヴィッチ / オットー・アッカーマン / フィルハーモニア管弦楽団
モイセイヴィッチ、ため息が出るほど素晴らしい。この強弱とテンポの脈動、デリケートな詩情、呼吸、感情の揺らめき!楽譜にはないが音楽が秘めて求めているものはこれだと肌で納得だ。これはきっとシューマンもクララも誉めただろうという抗いがたい高質のものだ。3度も聴いてしまった。アッカーマンのオケがまた驚く。ピアノと精神が完全に親和、合体したオーボエの掛け合い、フルートのパッセージはエモーションの奥深いところまでシンクロナイズして語り掛ける。こんなインティメートな演奏はそうはない。第2楽章のppの深さ!こうでなくてはここのロマンは出ない。終楽章、物理的なことだけいえば僕にはやや速いがタッチが夢のように変わって軽いレガートでそういう気が全然しない。魔法の領域である、降参。まったくひけらかす風情はないがモイセイヴィッチの技術の凄味を見るばかりだ(ラフマニノフに「後継者」と言わしめた)。外へではなく、内へ内へ奉仕する。そういうスゴ技があざとい知恵や計算でなく音楽に合わせて変幻自在に現れる。小さなミスタッチはあり、猛練習で追い込んだりテープを切り貼りした感じはない、精神の深奥まで共感した音楽がいつも必要な音になって自然に流れ出てくる、若いピアニストの皆さま間違ってはいけない、ピアノがうまいとはこういうことなのだ。素晴らしいものをyoutubeで教えてもらった、オーディオで良い音で聴きたくすぐCDを注文だ(評点・5)。
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独断流品評会「シューマン ピアノ協奏曲」(その2)
2017 JUL 21 0:00:04 am by 東 賢太郎
アルトゥール・ルービンシュタイン / フランコ・カラチオロ / ナポリ・イタリア放送(RAI)アレッサンドロ・スカルラッティ管
1964年4月29日ライブ。これは素晴らしい。第1楽章の前稿楽譜部分(難しい)の感じ切ったデリケートさ!これが77才か?ルービンシュタインの技巧は凄かったのだ。それなくして描きようもない自在のファンタジーが横溢。テンポもこの曲の本来のものであり、文句のつけようなし。イタリアの放送オケが上手いと思ったためしがないが、これは初の例外だ。(評点・4.5)
アルトゥール・ルービンシュタイン / カルロ・マリア・ジュリーニ / シカゴ交響楽団
1967年3月8日だから上記の3年後、80才のスタジオ録音である。何の問題もなく弾けている。しかしオケがとても上手いもののマッチョ指向なのが僕の好みでない。ブラームスならそれでもいいがこっちはアウトだ。伴奏がそれだからピアノもどこかファンタジーに欠ける。醸し出そうとしているが中途半端なうちにオケに消されている。録音もHiFi指向で細部までクリアに聞こえるが、そういうことはこの曲には無用である。(評点・3)
エミール・ギレリス / カール・ベーム / ロンドン交響楽団
75年のザルツブルグ音楽祭ライブ。ギレリスの技巧は明らかに衰えている。少々のことは看過するが、前稿楽譜部分の事故は僕にはつらい(何故ここが難しいと書いたかわかるだろう)。84年にロンドンで聴いたチャイコフスキーP協は危険水域にあったが、もうこのころに兆候はあったわけだ。ただ、そのせいなのかどうか、ベームのテンポがいい。これが今の僕の趣味、このぐらい落さないと見過ごしてしまう道端の可憐なスミレみたいなものがこの曲にはたくさんある。それで弛緩するどころか、ギレリスは万感の思いをこめて、胸いっぱいの呼吸でそれを慈しむように弾いている。音楽の感動というのはなんと深いものだろう。(評点・3.5)
ワルター・ギーゼキング / ウィルヘルム・フルトヴェングラー / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ギーゼキングは現代曲を汽車の中で目で覚えて着いたら初見で弾いてしまう人だ。指の回りも尋常でない。モーツァルトやドビッシーの世評が高いと思えばラフマニノフを2番も3番も弾く(2曲の両刀使いは意外に多くない)。何でもできるのはわかるが、人間一つ二つ欠点あったほうがいいんじゃないのと、どうも好きになれないまま来てしまった。これも上手いなあとは思うがルバートの感覚が好みでないし終楽章はテクニックの展示会でご勘弁だ。フルトヴェングラーも第2楽章以外はあんまりポエジーを感じない。向いてないね。(評点・2)
アルフレッド・コルトー / ランドン・ドナルド / ロンドン交響楽団
コルトーのルバートには華がある。ショパンのワルツなどそれが活きる曲では水を得た魚の如く余人の及ばぬ名演をものしている。この曲でも抒情的な部分でいい味を出しているが、何分指が回らないとどうしようもない音楽だ。補おうとうわべの軽いタッチでパッセージを弾き飛ばすからコクがなくなったり唐突にフォルテになって感興を削いでしまう。鋼鉄のタッチだったギレリスが老いて枯れたのとは違う、申しわけないが元々ないものは仕方ない。ギーゼキングのように弾け過ぎても道を誤るし、ピアノ演奏とは難しいものだ。(評点・1)
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独断流品評会 「シューマン ピアノ協奏曲」(その1)
2017 JUL 19 16:16:06 pm by 東 賢太郎
プロローグ
ブラームスS2、シューマンS3、ダフニスの各種録音の勝手品評をものしたらけっこう読まれている。時間がないが、持っている音源ぜんぶ書けば1万以上の品評はできるからもう少しやってみようという気になった。
どうしてその3曲を書く気になったかというと、もう半世紀も熱愛してるからだ。要は小学校2年で愛が芽生えた広島カープとおんなじであり、クラシックといってもそこまで言えるのはほんの限られた何曲かに過ぎないが、ともあれ熱烈なファンなのである。その意味では4番目にシューマンのピアノコンチェルトがくるのは遅すぎたぐらいのことだが。
僕のカープ愛は東京っ子の「とりあえず巨人ファン」なんてもんじゃない。広島県人でもない。よそ様の球団をそこまで愛せるんだから、それが西洋の音楽だって違和感はかけらもない。
会社ではカープが負けると機嫌が悪いのは周知で、翌日は朝イチの報告を部下が昼までのばしていた。好きなものが痛めつけられると義侠心がわく。好きな曲に変な演奏をされる、それはウチの可愛い猫をあえてブスに撮って写真をばらまかれるに等しい。
僕の頭の中ではカープもシューマンS3も「喜びをくれるもの」というタグで仕分けされており、「喜ばせてくれた感謝」なるサブタイトルで括られている。カープがやられたら怒る。S3を奇天烈に改竄されたスコアでやられたら怒る。そこに何らの違いも存在しないのである。
ちなみに奇天烈スコアの使用主様は名指揮者カール・シューリヒトだが、僕は彼のブルックナーを愛する者だ。しかしS3には適役じゃない。それだけだ。愛するものを曲げられたら異をとなえ、想いどおりにやってくれたら絶賛する。かように僕は骨の髄まで楽曲天動説である。アーティスト天動説の人とは絶対に話が合わない。
シューリヒトは全部好き、カラヤンは全部だめというのは何某の出るドラマは何でも見るわという女の子と変わらないように思う。安倍首相のいうこと全部ハンタ~イの野党みたいでもあり、モリもカケも全部サンセ~イの官邸ヒラメ属も同一の種である。そういう思考停止した人と僕は会話は30秒ももたない。
楽曲にあれもこれもない。好きだから聴くのであって、嫌なら聴かなければいい。何の関心もないヴェルディの歌劇で、あのソプラノはカスだ指揮者はボケだ云々をかます能力は僕にはない。能力を問う前に聞かないのだから天動説の重力の真ん中に何もないのであって、心は平和なものだ。
ところが冒頭の3曲のように愛猫に匹敵する音楽になるとそうはいかない。演奏してるんだからこの指揮者は当然この曲が好きなのだろうと思っている。ところが、それであんた、なんでこれなの?という許し難いのが多々あるのだ。相手は演奏のプロだ。技術のことじゃない、解釈の問題に尽きる。
解釈とは音符の読み方である。それにこだわってときに議論の土俵として皆さんに楽譜をお見せしているのはそのためだ。僕は音大卒でないが楽譜はある程度読める。頭で音化できなくてもピアノでリアライズぐらいはできる。読むというのはそうやって、どういう音にするか決める、つまり解釈するということである。
解釈なんて主観の相違でしょと片づけられればそれまでだが、ブラ2の最後でアッチェレランドをするかしないかは指揮者の尊厳を問う主張だ。「書いてないからしません」も解釈だが、「すべきでないからしません」はより強い解釈であって、そうした「強い主張」が聞こえる演奏はインパクトも強い。
僕は「すべきでないからしません」派であって、安っぽいアッチェレランドなど媚薬であり、媚薬がないと惚れてもらえないのは不細工な格落ちの指揮者であると判を押している。ブラームスはそんなものがなくても充分な楽譜を書いているのであって、だから「書いてない」のである。「書いてないからしません」派も、「やっちゃいました」派と大して変わらん二級品ということだ。
かように、今後の「独断流品評会」シリーズはあられもなき「独断」「偏見」であることはまずお断りしたい。いかに演奏家をこきおろそうと地獄に落ちろと罵ろうと、それはカープを完封した菅野投手を死ねと朝イチの報告前後まで罵倒しているのとおんなじである。そういいながら、僕は菅野は日本一の投手と認めてる。野球を50年観てきたからだ。
では、初回はこちらからどうぞ。
マルタ・アルゲリッチ / F・Pデッカー/ オケ不詳
本シリーズを偉大なるマルタ様で開始するのは光栄だ。1976年、35才。このビデオでまず思い出したのは神宮球場で見たバレンティンの打撃練習だ。バットを振ればかすっただけでホームラン。このころのマルタは飛ぶ鳥を、落としていた。84年にカーネギーホールで遭遇した壮絶なプロコフィエフ3番など僕の音楽人生の一大事件にランクされる。
しかし、これはシューマンなんだ。たぶん。譜面は楽曲ブログに載せた第1楽章の大事なピアノのパッセージだ。この部分を次のビデオで見ていただきたい(2分46秒から)。
この、左手までバリバリ弾いてしまう、右手はボツボツ切れてさっぱりレガートも歌もなし。勘弁してほしいのだ。楽譜にはそう書いてある?書いてないよ。悪いけどデリカシーかけらもなし、それでも音はちゃんと出てるしいいでしょって、だからスタンドに入れてんだから文句あっか?のバレンティンなの。ご機嫌が悪い日のテイクだったんでしょうかね、オケも見事におつきあいで最低だ。
こっちの雄大さは、さらに上をいくかもしれない。
伴奏はチェロの帝王、ロストロポーヴィチ様である。オケが盛り上がるといったい何が始まったんだとウチの猫が身構えてしまう迫力であり、それに乗ったマルタ様のガーンという低音はサド女王様のムチが帝王をしもべにする劇的な瞬間である。カデンツァは勝どきだ。
ロストロは知る限りそういうテンペラメントの演奏家という印象はなく、勝手想像だが、女王の燃えたぎる情熱にかいがいしくも献身しようと慣れないことを一所懸命やってしまった観がある。
マルタ+ロストロのウルトラ大物コンビに「だってこれがシューマンなのよ」とこられたら、こちとらひとたまりもない。でも、違うと思う。
女王はこのコンチェルトを11才で披露している。
第3楽章のブルレスケみたいなテンポの原点はここだろう。これで興奮と喝采は約束される、こんな小さい子がすごいテクニックだと。モーツァルトも原点は大人の称賛にあったが、神童の稀有な成功体験は趣味として残るのだろうか。これを終生弾き続けるのは好きだからだろうが、弾く側の好きと聴く側の好きが必ずしも同一でないことはあり得る。
マルタを嫌ったり貶めたりする意図は全くない。彼女のテンペラメントはアレグロのコーダに向かう真の意味で超人的な興奮の創造と切り離せない性質のもので、それがオンリーワンの強烈な個性を生んだ。それが活きるプロコフィエフ3、チャイコフスキー1、ラフマニノフ3、ラヴェルで名演を成し遂げているが、たまたまシューマンはそれらと同列に並べる曲ではない、少なくとも僕は聴く側の好きでそう思っている。
ロストロとの共演は話題になって、上掲のレコードはわくわくして買った。大学のころかな。1回だけ通して絶句して、以来レコード棚から出たことがない。演奏会だったら第一楽章だけ我慢して退散したに違いない。僕も好きなものにだけ特化する性格だが、趣味も20代から変わってないことが今回きいてみてわかった。持って生まれた四大元素のケミストリー、学習したものではないらしい。
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シューマン「子供の情景」(カール・フリードベルグの演奏哲学)
2017 JUL 17 23:23:58 pm by 東 賢太郎
大学のクラス会では全員が近況のスピーチをするが、これが大体が名簿順である。今回もそうだった。小学校から思い起こしてもかつてアズマの前だったのは赤松くん、朝比奈くん、赤塚くん、青木くんぐらいで、先生にすぐあてられるから早速に心の準備をするのだが、さすがに大学までそれをやると慣れてきてアドリブが上達したかもしれない。
今回もその場でひらめいた取り留めもないことをしゃべって終わったが、いつもそんなものだから内容は終わるとすぐ忘れてしまう。まして近年は物忘れというかそういう短期記憶の薄弱ぶりは半端でなく、その話題になると俺もだ、いやこっちはそんなもんじゃないぞとそこらじゅうでわけのわからん意地の張り合いをしながら、俺だけじゃなかったとほっとしてみたりもする。
しかし僕の場合、普通は覚えている昔のこと、長期記憶と呼ぶらしいがそっちも意外に消えていることが20代のころからあって、つまりボケてきただけではないと思われる脳みその構造的問題?もあることがわかっている。クラス会というのは僕にとって、消えた記憶を旧友たちに再生してもらう場みたいに思えてきた。えっ、俺がそんなこと言ったの、やったの?がけっこうあって危ない。恥ずかしくもあるが、ある意味新鮮で自分の再発見でもある。
この健忘症は、済んだことでもういらんと踏んだら即座に消して自動的に「いま」にフォーカスが切り替わる、たぶんそういうプログラム、頭の使い方の癖があって、だから周囲に迷惑をかける側面があるがそうでないと僕の脳内ハードディスクの貧弱なメモリー容量では「いま」に続々とのしかかってくる難題に処していくのが難しい。消去した分がそれに対処する短期メモリーに使用されて、だからどんどん捨てる健忘力の裏返しが集中力なんだと都合よく考えている。
ちなみに僕にとってブログは未来への記録であって健忘の補完、その時点で思ったことの備忘録である。記録として精密は期するものの、書いたらもう過去であり頭から消えていく。同様に、昔に社内TVに出た時の画像や大学で講義をした際のVTRなどが本棚のどこかに眠っているはずで、捨てずにとってはあるが一度も見たことがない。自分のレコードは聴かないという音楽家がいるがどうもそっちの部類の人間だ。
仏法の「諸法無我」がピンときたのも、自分も諸行無常の身であって時々刻々変化しているという教えが腑に落ちたからだ。しゃべっている最中だって変化は起きている。だから同じテーマで2回講義したら、論旨と結論は一緒でも語り口や持っていき方は違う。それはその学校の教壇に登って感じるトータルな雰囲気で決まるし、そこの生徒にぴったりな語りに自然となる。そうやってアドリブではあるがだいたいが結果オーライになってきたように思う。
このことはピアニストの話に置き換えるとさらにわかりやすい。例えばいま執心であるピアニストのカール・フリードベルグ(Carl Friedberg、1872-1955) をご紹介したい。彼はクララ・シューマンの弟子でありブラームスの全作品の手ほどきを作曲家から受けている。写真のポスチャーもどこかブラームス似である。シューマン、ブラームス、ショパン、ベートーベンはいずれ劣らぬオーセンティックな名品だが、その演奏家としての哲学がさらに興味深いのだ。彼にジュリアードで習ったBert van der Waal van Dijk の文章から抜粋すると、
how to sing on the piano(ピアノでどう歌うか)が彼の哲学のエッセンスである。打楽器でありヴィヴラートもかからないピアノで「歌う」のは無理だ、奏者の思い込みかウソだろうと一時は信じていたことがある。しかしフリードベルグのジュリアードでの言説で、そうではない、歌うことが可能なのだと知った。
彼は when musical ideas became complete and exciting during a performance, the music should be dominant even if a few notes might go astray. と言っている。要は、「演奏中に音楽を完全にかつ感興をもって感じ取ったなら、技術の正確さよりそっちを大事になさい、2,3の音符が迷子になってもいいよ」だ。ベートーベンと同じことを言っているが「演奏中に」というのが大注目だ。
さらに music is often conceived aesthetically by the composer before being written down(音楽は楽譜に書かれる前に美に関わる感覚的な領域から作曲家の頭に降ってきており)、since some keyboard instruments limit the imagination, one can silently “orchestrate” a composition on a larger scale(鍵盤楽器はどうしても想像力を制限するから、まず心の中でピアノ曲をもっと大きなスケールでオーケストレーションして聴きなさい)と言っている。
この「演奏しながら心に降ってきたものを弾きなさい」それが「歌う」ことであり本物の音楽になるのだという彼の説く精神の在り方は僕にとっては生き様のようなものであり深く心に刺さってきた。それには楽譜に書いてあるものをエステティック(審美的)に感じ取りなさい、作曲家の心に天からやってきたものは声や弦や管のクオリア(質感)を伴っていたかもしれない、それならその楽器に一旦置き換えて元来の美しさを感じ取りなさい、である。
ピアノという打楽器をガンと打ち鳴らす人が多いから女性に作品を弾いてほしくないと言ったブラームスの感性もそうであったし、クララ・シューマンはその意味では女性奏者ではなかった。そういうmusical ideas が、演奏中にcomplete したり exciting になったりする。フリードベルグはそれが「歌」になり、時としてドラムよりも打楽器的になるピアノを歌わせる方法だと言っているのである。
即興というのは、これほどまでに、訓練を積んだ人にとってはランダム(出鱈目)ではない、その場で「いま」降ってきて心を共振させる何物かなのである。それは「いま」に精神がフォーカス、集中していないと絶対に聞こえないものであり、僕にとっては、職業体験の中で感じてきたこととシンクロする。音楽でもプレゼンテーションでも愛の語りかけでも、自分を誰かによりよく伝えるということにおいてこれ以上の道はないと確信する。
自分ははからずも証券営業という他人を説得する職業についてしまってそれを自然にやっていたらしい、たまたまそういう頭の使い方の癖があっただけだろうが、話の内容よりも話している最中に心に降ってきたエステティックな感動(自分のサイドで起きたものだが)が、日本人であれ英国人であれドイツ人であれ、相手を揺り動かすのだという、それこそエステティックな驚くべき経験を何度もさせてもらった。
そういうものは、台本からはやってこない。プレゼンでペーパーを棒読みするなど、商売に失敗するためにやるようなものだ。だから音楽でも芝居でもそうだが、出てくる音やセリフは「肉声」にまで高まっていないといけないのだ。台本を読みながら演じる芝居やオペラはないが、ピアノも暗譜で弾かなくてはならないのは道理なのである。
ハンス・フォン・ビューローはリストの娘をもらったピアノの達人だが、記憶力も桁外れでピアノ譜など当然として管弦楽スコアも全部記憶しており、指揮台に立つと楽員にも暗譜で、しかも立ったまま演奏するように強要した。ベートーベンの第九がまだ広く知られていないころ、聴衆にも覚えさせようと全曲をもう一度繰り返し、途中で逃げ出せないように会場の扉に鍵を掛けさせたという。
これをファナティック(偏執狂)と呼ぶかどうかは人それぞれだが僕はまったくもってビューロー派だ。パフォーミング・アートにゆとり教育などない。間違えないように台本をなぞる芝居など、ぼんくら大臣の国会答弁に等しく初めからやめたほうがいい。ピアニストもしかりであることは当然だ。聴衆だって、コンサート会場でプログラムをめくりながらバッグの底の飴をまさぐっているようでは永遠に何も降ってこない、時間の無駄だ。
カール・フリードベルグの弾く「子供の情景」に耳を傾けてほしい。彼がクララの弟子ということではなく、虚心に心の耳で。シューマンの心に降ってきた姿が見えないだろうか?こういう演奏をどうのこうのと批評するだけ言葉も音楽も穢れる気がする。音楽は「する」ものであって、本来文字が入り込む領域はないのだ。フリードベルグの言説を借りるなら、音楽を聴く、演奏するというのはこういうものに精神の奥深くが浸りこめるかどうかだろう。
まあ僕がスピーチする場もクラス会ぐらいしかなくなってきたし営業することももういらないし、どうせあとがあっても20年ぐらいだ。これからじっくりと名ピアニストたちの紡ぎだす音楽の醍醐味を楽しんで生きたいと思っているが、それにしても思うことがある。
クラス会で「いまは晴耕雨読だ」という人が何人かいて、これが理想郷のように羨ましく響いたわけだ。こういう年齢になると第二の人生などと口をそろえていいがちだが、定年になると次も何か仕事をしないといけないなんて思ってないだろうか。どうもそんなのは惰性かいわれのないプライドか強迫観念じゃないかと思うのだ。貯金でも年金でも食えさえすれば、好きなことして遊んで暮らすのがいいに決まってる。
人生真面目に来た人ほどその強迫観念のトラップに嵌る。徹夜マージャンといっしょで、長時間すべったころんだをやって来てしまうと、情動に慣性が働いて今更抜けられなくなるのだ。朝になって千点勝ってようが負けてようが人生ではまったくもってどうでもいいことなのに、なぜか熱くなってこれを取り返すぞと血眼になって頑張ってしまう。そういう頑張れる自分に安心したりもして、そんな馬鹿な自分と知ってるのに、またやってしまう。
昔、喫茶店のテーブルにインベーダーというゲーム画面がはめこみであってみんな熱中した時期がある。ところが、いいとこまで攻め込んでえいっと弾を放ったら「ゲームオーバー」だ。弾がむなしく静止して貼りついたりして嘲笑っている。ちくしょーとなって次の百円玉が消えるわけだ。第二の人生って、これじゃないか?いつも千円はすってたが、別に点数取って勝ったところで何の得があるわけでもない。常に俺は何やってたんだろうとむなしくなって帰るのに。
インベーダーや麻雀ぐらいならいいが人生でそれをしてしまうと一夜では済まない。5年10年を知らずに費消してしまう。徹マンしてやっと2千点浮いたぞなんて喜んだ瞬間に「人生双六」の画面に「ゲームオーバー」が出てしまったりするんだ、きっと。僕らにもうそんな時間は残っていまい。それを言うなら僕も徹マンから抜けてないし死ぬまで仕事するぞなんて公言までしてる。いくら儲けたって終わりはない。頂上のない登山。どこかで息絶えるが、それが標高100mだって3000mだって、その時になったらそんなに違いはないようにも思う。
何となく、クラス会でスピーチしながら、「それは馬鹿かもしれないぞ」とエステティックなものが脳裏に降ってきて、その瞬間に「もう俺は金もうけはどうでもいい」とあんまり脈絡のないことを口走った。みんなこいつアホかと思ったかもしれないが、カール・フリードベルグ流には正しい行動なのだった。
(ご参考)
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オーケストラと野球チームは似ている
2017 APR 10 11:11:33 am by 東 賢太郎
いまわが広島カープが7連勝ととてもいいわけですが、ヤクルト相手に新人の加藤が9回1死まで無安打無得点、翌日は2年目の岡田があわや完封、3戦目は九里が7回2点と、結果がどうのではなく何か異例なことが起きている感じがします。バックの守りが半端じゃなく、若い投手を必死に守ってやって絶対勝たせるぞというチーム一丸の気迫がびしびし伝わってくる。
ベンチもほめたい。岡田をぎりぎり替えなかったことです。若手に100球制限なんてアホなことやめてくれやと見ていたら、そぶりもなかった。完投したくないピッチャーなんて一人もいない。本能です。できれば完封したいし、完全試合したい。米国の真似で本能に掉さして「お仕事」感うえつけて、加藤、岡田みたいなワイルド感のある若手をつぶしてほしくない。そこはカープは見事です。
野球の守りというのはオーケストラに似ていて、全員パートが違うわけです。ひとりでも下手だとうまくいかない。カープは左翼以外は全員上等の部類。一塁の新井だけやや落ちますが今年は青年みたいに動きが良くて、逆に40歳の彼がいいプレーすると全員が乗ってくる。すると初先発の新人があわやノーヒッターなんて信じ難いことをやっちゃう。人の集団の連鎖反応ってのは不思議なんです。プロだからということもなくて、多摩川で子供の試合見ててもそうです。
オーケストラもそうで、世界レベルの楽団でも気が乗らない演奏はつまらないのです。野球でいえば「オレ100球」の投手がテレテレ投げて3点も取られると、バックは「よし4点取ってやるぞ!」なんて燃えないでしょうね。2年間きいたフィラデルフィア管弦楽団もときどきそうで、第2ヴァイオリンの主席のおじさん今日は気乗りしてないなあなんて感じるときは、そういう気分が全体に伝染してるんでしょうだいたいつまんなかったですね。
チェリビダッケが初来日して東京文化で読響を振った1曲目のメンデルスゾーンの「真夏」。遠い舞台がよく見えず、指揮者が棒を構えた(と思われる)異様な緊張感のなかシーンと静まって最初の音がなかなか出ない。1分も待たされた感じ。そこにあのフルート。虚空の闇に青白い人魂がポッと浮いた、本当にそういうイメージが見えて度肝を抜かれました。あんな音は後にも先にもなし。人間の集団が針の先みたいに神経を集中するといかに物凄いことが起きるか。
僕は広島カープは緒方の1年目があまりにボケでブログにボロクソに書き去年は見放しました。しかし優勝すると成長して指揮官らしくなってますね、加藤、岡田、九里をごくろうさんとねぎらっている顔が2年前と違う。新人が育つ顔ですね。指揮者に風格が出て全員に余裕が出てきて、オーケストラなら「ほかのパートを良く聴いている」感じでしょう。他チームは自分のプレーで一生懸命。これなら連覇間違いなしといったら早計でしょうか。
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ギュンター・ヘルビッヒのベートーベン7番
2017 MAR 14 0:00:03 am by 東 賢太郎
ギュンター・ヘルビッヒ( Günther Herbig, 1931年11月30日~)という指揮者は通にしか知られていないでしょう。旧東独で活躍した指揮者といえば、例えばアーベントロート、コンヴィチュニー、ケーゲル、ケンペ、レーグナー、ザンデルリンク、マズア、スイトナー、ボンガルツなどが思い浮かびますがヘルビッヒもそのひとりです。
東西ドイツ統一で西側で活躍した人もいれば逆の人もいますが、誰もがドイツのレパートリーの伝統的解釈の継承者であったことは万人の認めるところでしょう。ヘルビッヒは東独のレコード会社であったドイツ・シャルプラッテンのETERNAというクラシックレーベルで統一後の西側市場に紹介されましたが、地味な曲目と知名度の低さのせいか廉価盤扱いのこともあり、わが国では地味な東独系の中でもさらにマイナーなイメージが定着したように思います。
しかしヘルビッヒの指揮は無難で堅実な中庸の解釈などではまったくなく、ツボにはまると大変素晴らしい。看過されるのは実にもったいないのです。チェコ生まれの彼はアーベントロート、シェルヘン、カラヤン、ヤンソンス(父)に学び、1972-77年にドレスデン・フィルハーモニー、1977-83年にベルリン交響楽団(西のBPOに対抗する東のメジャーオケ)の首席指揮者を務めるほど高く評価されましたが東独統一党の政策に嫌気がさし、一念奮起して新天地の米国に移住します。
そこで得たポストがデトロイト交響楽団の音楽監督(1984-90年)でした。このオケはポール・パレー(在任1951–62)と一級品のフランス音楽を作ってマーキュリー・レーベルに多くの名録音を残し、前任のアンタール・ドラティ(1977–81)がアンサンブルを鍛え上げていました。その後ヘルビッヒ着任までは3年の空位があるようで、彼は満を持して迎えられたのでしょう。
これはウォートン時代にフィラデルフィアのFM放送でオンエアされたライブをカセットに録音したもので、それが1984年4月20日でした。アナウンスによるとこの7番は前年9月に第10代音楽監督に着信した記念すべきお披露目のオール・ベートーベン・プログラムのトリでした。まさに着任したての意気揚々とした指揮であり、オケもそれにこたえて渾身の熱演をきかせているのです。
僕はベートーベン7番はあまり聞きませんがこの演奏の格調とパッションだけは別格で、アタッカで一気呵成になだれこむ終楽章は圧倒的でコーダの追い込みの興奮は何度体験しても素晴らしい。あらゆる録音の中で最も好きな7番であり、これを聴けば誰もがこの交響曲が好きになるでしょう。音楽は人間の生み出すもので、特別なオケージョンの一期一会の感興の盛り上がりというのは時にもう一度やれといってもできないようなものになる、そういうことを感じさせる稀有の演奏と思います。ヘルビッヒのベートーベン交響曲の録音は3番はありますが他はないようです。お元気であるならばこういう本物の指揮者に全集を残してもらいたいと熱望するばかりです。
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スクロヴァチェフスキーとの会話
2017 MAR 2 0:00:26 am by 東 賢太郎
「83年にフィラデルフィア管弦楽団で聴いたブルックナーの8番が奇跡的名演で、終演後に楽屋の廊下でスクロヴァチェフスキーを飛び込みでつかまえて話した」と先日ここに書きました。
34年も前のことですが、痩身で背の高い彼の表情も片言っぽい英語の口調なども、大筋は妙にリアルに覚えています。廊下で正面からばったり会っていきなり話しかけたのだから驚いてもよさそうなものなのに、全く自然に真剣に答えていただいたから印象が強かったのでしょう。
隣で聞いていた家内にもたしかめましたが、そこで交わした会話のおおよそはこういうものでした;
「有難うございました。素晴らしい演奏でした」
「そうですか、それはよかったです」
「ブルックナーを演奏してこのオケはいかがでしたか」
「とてもいい。弦が厚みがあって向いていますね。今日の演奏はそれがとてもプラスに出ていました」(彼も演奏に満足していたことがわかった)
「金管はブルックナーにはやや音色が明るすぎませんか、トランペットなど」
「そんなことはありません。ブルックナーの金管はとてもパワーが必要なのです。PHOはそれを完璧に備えています」(この答えはやや意外感があった)
「日本は来られないのですか」
「行ったことはありますよ。好きなので行きたいのですが、なかなか呼んでいただけなくてね(笑)、お誘いがないと行くのは難しいのです」
「残念です。あなたのブルックナーは日本で人気が出ると思いますよ」(お世辞ではなく本気でそう思って申し上げた。Sさんの目がぱっと輝く。関心を持った表情になる)
「そうですか、そう思われますか、あなたは音楽評論家ですね」(そう思って話していたらしい。だから真剣だったのか・・・?)
「いいえ、ウォートンの学生です」
「どうしてそう思われますか」
「私は日本人がブルックナーに共感が深いことは知っています。あなたの今日の8番なら日本できっと高く評価されると確信します」(なんとなくの直感ではあったがこれもお世辞でなく)
「そうですか有難う、覚えておきます、それならぜひ行きたいですね」(ぎゅっと握手してくれる。すごく大きな手であった)
このどうということのない会話を公にする時が来るなんて28才のあの当時夢にも思わなかった。思えばこの時のスクロヴァチェフスキーはいまの僕の年齢あたりだったのです。のちに読響やN響の指揮台で見た姿から見ればずいぶん若い。そう思えば自分もまだまだやらなくちゃと思います。
別れ際にサインをくださったのですが、長い苗字を絵文字に丸めずそのまま長い(巷はミスターS なのに)。この几帳面さとリアリズム、どこか彼のスコアの解釈を髣髴とさせますね。
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ゾルターン・コティシュの訃報を知る
2017 FEB 28 1:01:04 am by 東 賢太郎
昨年の11月は仕事が恐ろしい勢いでふりかかってきていて、ゾルターン・コティシュが亡くなっていたのを知りませんでした。まだ65才で僕と3つしかちがわないというのが悲しいです。
彼の苗字Kocsisの日本語表記はwikipedia等でコチシュとなっているようで、マジャール語でそれが近いのでしょうが(さらにいえば姓名はKocsis Zoltánの順ですが)、僕が知った70年後半ごろはコティシュ、またはコティッシュだったはずでそう頭に入っております。その残像を大切にしたく、あえてゾルターン・コティシュと記させていただきます。
この天才の実演を聴いてませんが忘れられないピアニストで、大学時代に下宿でエアチェックして毎日のように聴いていたのがラヴェルのマ・メール・ロア(デジェ・ラーンキとの連弾)でした。当時二人ともハンガリーの新鋭ピアニストで売り出し中で、粒立ちが良いクリアなタッチにとても初々しい感性があります。曲を初めて覚えた演奏というのは「おふくろの味」になっていてなつかしい。特にこういう人生で重要になった曲はなおさらです。
これが頭にあったのでロンドンへ赴任してすぐ彼のドビッシーを買いました。これはたぶん85年ごろ、最も早く入手したCDの一つでした。そこに入っていたのがベルガマスク組曲で、これまた人生でとても大事な曲になっており、彼の演奏がおふくろの味になったのです。
速めのテンポですいすい行きますが、タッチは立っていて薄味ではあってもコクがあるのが特徴。固めにふっくら炊いた極上米のようで本質はロマンティックと思います。彼が感じきっている和声に僕は同じ気持ちがあり、これがテンポも強弱もイントネーションも原点となったのは初物というばかりでもないようです。
ところがのちにまったく違うクラウディオ・アラウを聴いてそれにも強いインパクトを受けました。両者を比べながら楽曲解釈の深さを学んだ意味で思い出の曲ですが、スイスのころ弾けていたプレリュードをいまやすっかり指が忘れている自分の無能を思い知った曲でもあります。
コティシュはラヴェルも良くて、クープランの墓はオケで全曲(!)やってます。このラヴェル好きの感性も大いに共感するところで、肌が合う人といると心地良いように彼のピアノは気がおけず聞き流せるのですが、ところどころでおっと気を引かれるひらめきがあって結局耳を澄まして聴き入ってしまう。どこか他人事でいられません。
彼のバルトークは鮮烈でした。たくさんありますが、これはすごい。中国の不思議な役人のピアノ4手版です。彼が晩年に指揮者になったのがわかる、実にオケの感触をリアライズした演奏です。
きりがないです。最後に、気に入っているラフマニノフの3番を。この超ド級のコンチェルトをこのテンポであっさり弾いてしまう(!)技術もさることながらそのみずみずしい感性は比類がありません。近年、2番も3番も速弾き爆演派が散見されますが、コティシュの速さはそうした曲芸志向ではない筋の通った解釈であり、それを可能にするのが深く鳴り切ったタッチであるのをぜひお聴きください。ものが違うことがおわかりいただけるでしょうか。ラフマニノフがこれをきいたら何と言ったろう?僕はほめたと思います。
コティシュはいまも心の中で若者のような気がしてます。ご逝去は信じられません。本当にお世話になりました。ご冥福をお祈りします。
追記
若き日のジョルジュ・レヘル/ブダペスト交響楽団とのバルトークの2番も忘れられません。
(こちらへどうぞ)
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スクロヴァチェフスキーの訃報
2017 FEB 23 22:22:28 pm by 東 賢太郎
ショックを受けております。1月に読響からお知らせのハガキが来て、「スクロヴァチェフスキー氏の来日中止」とありました。脳梗塞の治療のためとありこれは・・・と嘆息するのみでした。
あれは1983年10月28日、アカデミー・オブ・ミュージックにおけるフィラデルフィア管弦楽団のマチネ演奏会のことです。初めて実演を聴いたブルックナーの第8交響曲に圧倒的な感動を覚えてしまい、いてもたってもられずそれを伝えようと家内をつれて楽屋にむかいました。するとせまい廊下をひとり歩いてきたスクロヴァチェフスキー(以下Sさん)とばったり会ったのです。
お断りすると僕はサインをねだるミーハーではありません。フィラデルフィアで人気絶頂だったムーティーは一度も訪ねておらず、会いに行ったのは深く感動したオーマンディーとSさんだけです。そのぐらい爆発的で稀に見るものだった、それに突き動かされてどうしてもひとこと「お礼」をしたかったのです。ムーティーとは全く違う音で、僕の長い音楽体験のうちでも白眉、一生忘れることのない演奏。この日以来8番は僕にとって特別な音楽となって今に至っています。
当時彼のレコードは持っていましたがお国ものショパンPCの伴奏指揮者のイメージでした(ルービンシュタイン、フランソワ、ワイセンベルク)。一方でブルックナーの8番という音楽だってカラヤンのレコードで聞いていたぐらいですが、たしか4番(ワルター)、5番(クナ)、7番(コンヴィチュニー)、9番(マタチッチ)あたりを持っていてもあまりピンと来ておらず、アダージョがきれいなので8番だけが記憶にある程度でした。
飛び込みで話しかけてきた見知らぬ東洋人の男女にほんとうに誠実、真摯な姿勢で接してくださり、汗だくではありましたが、つい今しがたあれだけの演奏をし終えた人と思えぬほど冷静に、僕の愚問ごときに真剣に言葉を選んで答えてくださったのは驚きであり深く心に残りました。音楽に人柄が出るとするとそれは彼においてこそで、あの姿勢でスコアを読みこまれた結果があの音なんだろうとつくづく思います。
オーマンディーやバーンスタインはひと仕事終えた好々爺という感じでもありましたがSさんはブルックナーとフィラデルフィア管弦楽団の弦の相性につき滔々と語ってくれるなど、ああこの人も音楽が好きなんだと当たり前のことを強く感じました。仕事師の職業指揮者ではない、書かれた音符に真摯に意味を見出す、それもポエムとしてよりは化学として神様の調合・配剤の賜物としてで、作曲家なんだなと直感したのを覚えています。
たまたま家内がお友達が映ってるというので去年の1月21日の読響の8番をビデオに撮っていて、これが大変な名演奏です、よくぞとっておいてくれました。ニュースによると、93才になられて11月にミネソタ管を振った最後の演奏会がやはり8番だったそうです。
ご冥福をお祈りいたします。
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