Sonar Members Club No.1

カテゴリー: ______僕が聴いた名演奏家たち

僕が聴いた名演奏家たち (ヘルマン・プライ)

2017 JAN 14 11:11:11 am by 東 賢太郎

201307210527ラインガウのエバーバッハ修道院(Kloster Eberbach 、左)はフランクフルト時代に最も思い出深い場所の一つです。ヴィースバーデンとリューデスハイムの間の丘陵にありますが、中世の修道僧が財政補助としてワイン作りをはじめたため葡萄畑に囲まれています。

anfahrt

ここで産するリースリングワイン・Steinberger(シュタインベルガー)の上級品トロッケン・アウスレーゼは絶品で、ドイツワインといえば僕の場合はこれです。日本からのお客様はここへお連れして酒蔵(下)での試飲つきのランチでおもてなしというのがほとんどでしたから何度訪れたかわかりません。大企業のトップばかりですがご不満げな方はおられなかったですね。

00_Start57065ca96a0be

rheingauこの一帯がラインガウですが、夏季に小ぶりながら中身は充実した音楽祭が毎年この近隣で行われます。Rheingau Musik Festival(右)です。日曜日は店が完全休業ですることがないのですが、ここで午前11時からコンサートがあってそれから院内のレストランへ行ってワインでランチというのは大変けっこうでした。皆さんドイツは食事がまずいイメージと思いますしなかなか住まないと行けないのですが、こういう場所の食のクオリティは高いのです。6月の白アスパラの時期はとくに天国です。音楽好きは機会あればその時期に行かれることを強くお勧めします。

prey音楽祭ではゲルハルト・オピッツのベートーベンソナタ全曲が楽しめましたが、今となると貴重なこのようなものもありました。マインツのクアフュルストリッヒ城で1994年7月18日、ヘルマン・プライ(1929-98)によるブラームスのリートの夕べです。プライというと若いころのベームの「フィガロの結婚」のジャケット写真(左)を思い出しますが、65才でも面影は残っておりました。ピアノのレオナルド・ホカンソン(1931-2003)はブラームスの室内楽も聴かせてもらって感銘を受けた人でしたが共に故人になってしまいました。ああドイツだなあ、幸せだなあ、と思いながら楽しんだのを昨日のように思い出しますがリートのリサイタルを聴いたのはこれが初めてで曲はまだほとんど知りませんでしたね。

reingau4rheingau1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プライのバリトンというと知っていたのは上記のフィガロ、ショルティ盤のパパゲーノでひたすら明朗、暖かい人柄という印象でしたが、この日のイメージはそれだけではなかったと記憶しております。「4つの厳粛な歌」(作品121)は第3曲ホ短調に交響曲第4番の主題が現れ「ああ死よ、おまえを思い出すのはなんとつらいことか」と名付けられていることから4番の意味合いが窺われる曲ですが、むしろこの曲に焦点があったでしょうか。それがプログラム最後のドイツ民謡集で本来のプライの明るいイメージに戻って何かほっとしたような、遠い昔でそのぐらいしか覚えてませんがそんな気持ちで帰宅いたしました。

リートはオペラよりも言葉の音楽に対する詩的意味合いが重いですからね、どうしてもドイツ語がわからないとという部分があって不勉強を呪うばかりです。せっかくいたんだからもっとまじめにやれば楽しみが増えてた。後の祭りとはこのことです。

(こちらもどうぞ)

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

シューマン交響曲第3番変ホ長調作品97 「ライン」 (序論)

&nYahoo、Googleからお入りの皆様

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

bsp;

 

僕が聴いた名演奏家たち (ヒルデガルト・ベーレンス)

2017 JAN 7 16:16:17 pm by 東 賢太郎

2009年8月に草津音楽祭でベーレンスが来日して倒れ、そのまま日本で亡くなってしまったショックは忘れません。バーンスタインのイゾルデでぞっこんになってしまい、一度だけ目にした彼女の歌姫姿が目に焼きついて離れず、それから時をみては数々のオペラCDで偲んでいただけに・・・。

behrens

 

女神であるベーレンスを聴く幸運はドイツ時代のフランクフルトで訪れました。1995年5月13日土曜日、アルテ・オーパーのプロアルテ・コンツェルトで、フランス人のミシェル・プラッソンの指揮、ドレスデン・フィルハーモニーで「ヴェーゼンドンク歌曲集」、「トリスタンとイゾルデから前奏曲と愛の死」です。これにどれだけ興奮してのぞんだかは前稿からご想像いただけましょうか。

 

 

この5月に会社から辞令が出て僕は野村スイスの社長就任が決まっていました。チューリヒに赴任する寸前だったのです。欧州でロンドンに次ぐ大店ですから当時の社内的な客観的風景でいうとまあご栄転です。サラリーマンの出世は運が半分ですが、この時「なんて俺はついてるんだ」と思ったのはそっちではなくて引越しまでにこの演奏会がぎりぎり間に合ったほうでした。

behrens1ベーレンスのイゾルデ!!男の本懐ですね(なんのこっちゃ)、ドイツ赴任を感謝するベスト5にはいります。声は軽い発声なのによくとおってました。バーンスタイン盤のあの高音の輝きとデリカシーが思ったより暖かみある声とbehrens2いう印象も残っていて、前稿で姿勢と書きましたが、彼女の表情や人となりの良さが音楽的なんだとしか表現が見当たりません。

イゾルデだけでないのはもちろんでサロメ(カラヤン盤)、エレクトラ(小澤盤)が有名ですが、あまり知られていないサヴァリッシュ/バイエルン放送Oとのリング(ブリュンヒルデ、下のビデオ)は絶品です。そしてアバド/VPOのヴォツェックも大変に素晴らしい。この人が歌うとマリーのあばずれ感やおどろおどろしさが薄いのが好みを分かつでしょうが、オケを評価しているブーレーズ盤のイザベル・シュトラウスより好みで愛聴盤です。

 

 

もうひとつ、これも忘れられている感がありますがドホナーニ/VPOとの「さまよえるオランダ人」も素晴らしい。54才の録音ですが声の輝きも強さも健在で、ボーイソプラノ的でもある彼女の高音が生きてます。ビルギット・二ルソンのワーグナーが好きな方には評価されないでしょうが、ゼンタはやはりこの声でしょう、引き締まって筋肉質のドホナーニとVPOの美音もDECCの腕でよく録れておりおすすめです。

ゼンタ、待ってくれ!ちょっとだけ、待ってくれ!

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

 

 

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

 

僕が聴いた名演奏家たち(ピエール・ブーレーズ追悼)

2017 JAN 5 0:00:22 am by 東 賢太郎

Pierre Boulez (1968)かつて経験したオーケストラ演奏会で最も完成度が高かったのは、群を抜いてこれであります。今後もこれに類するものに接することはよもや望めないだろうという確信はその日からあり、23年たった今もかわることはありません。

1994年初めのことです。このコンサートを知るや、空路フランクフルトからベルリンに直行するという決断は一瞬の迷いもなく電光石火のごとく訪れました。この奇跡のような経験の記録を、かつてダフニスの稿でもふれましたが、昨年の1月5日に逝去したピエール・ブーレーズの思い出として、そして心からの追悼として、あらためて本タイトルのもとに書いておきたいと思います。

ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」

ブーレーズは晩年にウィーンフィルとブルックナーを演奏しました。そうして欧州のキリスト教文化の深い精神世界に分け入っていることを聴衆に伝えましたが、その彼がル・マルトー・サン・メートルの作曲家でもあること、この連立方程式に解があるというのが感性ではいかようにも量り難く、それでもそれは事実としてあるのだから、西洋音楽には僕の理解できていないディメンションが在ることを認めねばならないという思いに長く駈られてまいりました。

僕はキリスト教徒ではないですが、神の存在は信じます。合理的精神から、そうでなくては宇宙の森羅万象が説明できないように思うからです。聖書の言葉を介さずともそれをshould、sollenと解し思考を突き動かす磁力が心に働くのでキリスト教世界観は漠然と感知できているつもりなのですが、畢竟そんな安易なものではなく、これを知るには理性の力ばかりでは足らず経験をともなった悟り(enlightment)が必要なのだと解釈をしております。

250px-helianthus_whorlブーレーズの音楽に合理的精神を読み取るのは容易でしょう。それが音楽の干物にならないことに先の「解」が存在するのであって、あたかもFn + 2 = Fn + Fn + 1 (n ≧ 0)というフィボナッチ数列が螺旋状に並んでいるヒマワリの種(右)の螺旋の数の中に潜んでいるがごとき自然の調和が干物への堕落から救っているというように思えるのです。

彼は自作に潜む「調和の数列」を開示せず、それを詮索されることも嫌いました。それが神の意志として聞く人間に美の作用をもたらすことを信じ、その作曲プロセスにおいて徹底的に合理的であったわけです。その意味で神、それは僕が存在を信じる神であるわけですが、その使徒として存在した彼の意識がブルックナーに共振しても不可思議ではない、むしろブルックナーというのはそういう音楽なのであろうと僕は理解しております。

そのブーレーズのラヴェルがあれほど劇的に美しい、あの日あの時、ベルリンのフィルハーモニーに満ちた空気の中で奇跡のような完璧さとエロスが神々しい光を放って僕の眼前に広々と存在したというのは、「ダフニスとクロエ」のスコアにはラヴェルが渾身の力で封じ込めた神性のようなものが宿っておって、それを空間に解き放つ秘法を彼が知得していたということに他ならないのではないかと思えるのです。51euu90shnl-_sx318_bo1204203200_

そんなことを考えるのは、ハーバード・メディカル・スクールの脳神経外科医エベン・アレグザンダー医師の興味深い著書(右)に、彼自身の臨死体験として『言葉や地上的概念を超越して、「あなたは完全に愛されている」という“事実”が伝わってくる』とあったのにどきっとして、というのはおもわずあの時のダフニスに陶然として意識が宙を彷徨っていた経験をなぜか反射的に思い浮かべたからなのです。完全に愛されている不安のない自分?これが僕の知らなかった、経験をともなった悟り(enlightment)なんじゃないかと。

弘法大師が洞窟で祈祷していると海の向こうから火の玉が飛んできて口に入った、と大師様は自らの神性の由来を述べたと伝わっている、そんな馬鹿げた空想をと笑う前に、空海にしてもモーゼにしてもイエスにしてもブッダにしてもアラーにしても、超人的感性と理性を具有した彼らは「何か」を見てしまい、悟ってしまい、それを凡俗の民に教え伝えるために予言や聖書や経典を方便としたのではないか。アダムとイヴや林檎や蛇は無知凡俗の経験的理解の及ぶ比喩であり、喩え話こそが彼らの悟りを自分と同じ姿かたちをした登場人物によるわかりやすいストーリーとして人間世界に具象化する最善のツールだったのではないか。

それは、とりもなおさず、宗教の開祖として彼らが超人であったというあまねく敷衍されている主張としてではなく、宗教と定義されている布教行為の本質こそ実はそういうものであって、この世にはのちに教祖と呼ばれることになった彼らを人生を通して駆り立てつづけたもの、つまり、その「何か」が存在するのだという主張において意味を成す考えだと僕は理解しております。

boulez

 

ブーレーズが悟ったもの。それがダフニスのスコアという具象を通じて心に入ってくるという感覚。それはひそやかに打ち震える弦の囁きだったり、エマニュエル・パユの金粉をまき散らすようなフルートの飛翔だったりするのですが、僕の知っているあのクールに理知的なラヴェルというよりも、それはすべての人類を愛で包みこむオブラートのような、光のエーテルのような未知のものであったのです。

 

boulez2

 

前半のストラヴィンスキー「管楽器のための交響曲」がドビッシーの追悼であり、交響詩「ナイチンゲールの歌」は作曲時期が三大バレエ作曲の前後にまたがるという意味でR・コルサコフからドビッシーへとモデルが変転する中で作風も変わるという、彼の脳内で時々刻々新しい大爆発が起きていた、しかもそれを猛烈な勢いでアウトプットできる才に恵まれたことを刻印した曲です。これもそういう風に朧に響き渡りました。

 

boulez1

 

僕がブーレーズに負う種々のものは実に大きく多彩であって、空海の火の玉みたいに口から突き抜けて脳髄を直撃してくれたのであって、それによって僕は高校時代にクラシック音楽にひかれ、経験的悟りの端緒を得ることができたと信じて今に至っております。精神の波長を共有できた気がしており、駿台予備校の数学教師であられた根岸世雄先生と世の中で只の二人だけ、精神的負債を感じる偉人であります。

 

 

(こちらへどうぞ)

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

______僕が聴いた名演奏家たち (27)

 

 

 

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

 

僕が聴いた名演奏家たち(ユーディ・メニューイン)

2017 JAN 4 12:12:25 pm by 東 賢太郎

menuhin2前々稿にユーディ・メニューイン(Yehudi Menuhin, 1916- 1999)の名を書きませんでした。なぜかというと、彼のリサイタルを聴いたのですが、このブログに書いたとおり(クラシック徒然草-ダボス会議とメニューイン-)、「84年の2,3月はMBAが取れるかどうかの期末試験で心ここに在らず」という事態。音楽についてほとんど覚えておらず、探しましたが日記も残っていないからです。

menuhin1悲しい自己弁護になりますが、MBAというのは詐称するには最もおすすめできない学歴で、Mというのはマスター(修士)のMなんで、気絶するほど難しい期末試験に卒論も必要なんで、2年修了のこの頃は言葉のハンディのない米国人でも死に物狂いで、僕ごときなど「心ここに在らず」どころか失神寸前だったのです。

メニューインが「オール・スター・フォーラム」でフィラデルフィアに来たのが運悪く1984年2月8日水曜日、ちょうどその時期でした。平日の夜8時からというのも学生にはまずかったですね。

menuhinプログラムです。ヘンデルのソナタ、ブラームスのソナタ3番、バッハのパルティータ3番、休憩、ドビッシーのソナタ、ブロッホのバール・シェムから第2曲(即興)、ドビッシー亜麻色の髪の乙女、ブラームスのハンガリー舞曲第5,10番でした(ピア二ストはPaul Coker)。ちなみによくご覧になるとわかりますがドビッシーはSonata No.3となっていて、まあケアレスミスなんですがね、欧州ではこんなの考えられないんで。聞いてる方も大概にソナタは1曲しかないなんて知らないだろうということを前提としてのアバウトな精神に起因するチョンボなのか、ひょっとして書いた方も思いっきり知らないのか、いずれにしろ校正ぐらいしろよですね演奏家に失礼だし。こういうところで僕は米国の文化的教養レベルを思いっきりなめてましたね、当時。

しかしこっちだってヴァイオリン・リサイタルはこれが初めてで、ここにある曲は、今思うとこんなのアンコールピースだろ、そんなの書くなよという亜麻色とハンガリー舞曲以外は当時どれひとつとして耳では知らなかったでしょう。バッハだけいい曲だなと思ってほっとしたのですが、それも何か書けるほどの記憶はありません。つまり、メニューインという名前で買っただけで偉そうなこと言えない場違いな観客だったわけですね。

ということで本稿は「僕が聴いた」じゃなくて、「行った」ですね正確には、せっかくお読みいただいてるのにすいませんが行ったことだけ覚えてる。しかしもし家で勉強なんかしていたら33年前のあの日に何をしたかなんて確実に消えてますからメニューインのおかげで一日だけ思い出が増えて良かった、そういうことでした。

Bruno Walter und Yehudin Menuhinその時の彼の姿と顔だけは記憶にあって、それがダボスで蘇ったのです。教室で彼は演壇の横の椅子に座ったままスピーチして、僕は真ん前の最前列で3mぐらいのところで聞いてましたが、まったくポエムのような不思議な気分でした。それは20世紀を代表するヴァイオリニストとしてのメニューインじゃなく、左の写真ようにブルーノ・ワルターだったりフルトヴェングラーだったりと時代を共有した人としてで、なにか歴史上の人物に会ったような感じ、なにせあのバルトークに無伴奏ヴァイオリン・ソナタを書かせた人物なんだということでした。

 

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

 

僕が聴いた名演奏家たち(ルドルフ・ゼルキン)

2017 JAN 3 2:02:25 am by 東 賢太郎

rudolf_serkin_1962c敬愛するルドルフ・ゼルキン(Rudolf Serkin, 1903 – 1991)を聴けたのはたった一度だけ、1983年12月4日にフィラデルフィアのアカデミー・オブ・ミュージックで大家を呼んでやるリサイタルシリーズ「オール・スター・フォーラム」に彼が登場したときでした。

寒い日でした。この東海岸の街は冷え込むと零下20度なんてこともあり、自宅のアパートから教室まで歩いてたった5分の道のりなのに顔も手も凍えて固まってしまい、しゃべれないわ鉛筆は持てないわで往生したこともあります。

serkin1ゼルキンが20世紀を代表するドイツ音楽の大家であることは周知でしょう。ボヘミア生まれのユダヤ系ロシア人で、12歳でウィーン・フィルと共演した天才少年であり作曲ではアーノルド・シェーンベルクの弟子でした。

個人的にはとりわけ楽友だったジョージ・セルとのブラームスのあの素晴らしい2つの協奏曲のレコードの演奏家としてすでに「神」の存在でした。LPを浪人中の74年に買って何度くり返し聴いたことか!特に大好きな2番は彼のピアノで曲を覚えたのであって、これに励まされて勉強したものでした。

「彼のレコードで曲(チャイコの5番)を覚えたんです」と楽屋の警護を突破してオーマンディーと会った話を書きましたが、この日曜日もその勢いでした。寒空の下をどれほど興奮して妻とホールに向かったかご想像いただけるでしょうか。

serkin

 

これが当日のプログラムです。ハイドンのソナタ50番、ベートーベンの月光ソナタ、休憩、シューベルトの楽興の時、ベートーベンの熱情です。舞台に現れた80才のゼルキンはブラームスの剛毅な打鍵から想像していたよりも細身のおじいちゃんでした。背中はまっすぐで杖もついておらず、やはり80と少しだったカラヤンやヨッフムやヴァントやペルルミュテールは歩くのも危ない感じでしたから体躯はしっかりしていました。

 

そしていよいよ始まった演奏。スタインウエイのクリアで透明でクリスタルのようなタッチが美しいハイドンに耳がくぎ付けになります。ルバートを交えながらの自家薬籠中の月光はレコードでおなじみの旋律を際立たせる強いタッチも健在で堪能させてくれました。ただ終楽章の指の回りはやや乱れがあったのです。シューベルトはあまり覚えてません。

そしていよいよ熱情ソナタです。これが全身全霊のパッションに満ちた力演となります。第1楽章後半で少々ミスタッチもあり指が疲れてきたようにもみえました。第2楽章を経て終楽章に至るまでにその感じはますます強くなりますがテンポを落とすことなく突入。しかし展開部で指は回らず僕はいよいよ危ないなと思い、最後まで行けるかとはらはらしだしたのです。

ご案内の通りコーダでテンポは一段とギアアップしますが、驚いたことにここをお約束通りの快速で突入!指はもうついてこず、ミスタッチなどものともせず鍵盤をなでるように高速ですっ飛ばして無事に最後の和音に終結しました。ベートーベンとの壮絶な格闘です。手は衰えようと、彼は心の耳に従ったのです。満場が熱狂し大拍手で讃えたのは言うまでもありません。この演奏は僕の数ある鑑賞歴の中でも一つの事件となりました。

アンコールはもちろん無し。我々聴衆ができることといえば、お疲れ様、早くお休みくださいと感動と感謝に満ちた暖かい拍手を老ゼルキンに懸命に送り続けることしかなかったのです。あんな雰囲気というのは今に至るまで経験がありません。ゼルキンもそれを察したのでしょう、満足した笑顔で深い礼をして静かに舞台を去りました。それが彼を見た最後になりました。

ベートーベンへの敬意なくしてあのような演奏は考えられませんし、それあって彼は20世紀を代表するベートーベン弾きとして敬意をもたれたのだということを知りました。これ以来、僕は表面だけ綺麗に整える演奏に共感することは一切なくなりました。頭を殴られたような衝撃で、音楽を演奏する行為というものの凄みを教わってアカデミーをあとにしました。聴き手として大人にしていただきましたね、楽屋に行くことは控えましたがゼルキンのベートーベンとブラームスは今も「神」であり続けている、これで十分。感謝あるのみです。

(補遺、13 June17)

米国でFM放送からエアチェックしたもので、本稿のベートーベンの3か月前のニューヨークでのライブ演奏です。テクニックという意味では本文に書いたことを裏づけるようで、それをふまえたクーベリックの遅めのテンポ設定だったかも知れません。

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

僕が聴いた名演奏家たち(オスカー・シュムスキー)

2017 JAN 2 19:19:20 pm by 東 賢太郎

今年はチェアまで買って読書するぞという決意?なのですが、身辺整理をしようというのもあります。人生に21回も引越しをしていて、べつに好きでしたわけではないのですが結果としてこれだけ非定住型の人生を送りますと「身辺」というものがないというか、住む場所場所でそういうものを形成する時間もゆとりもなかったなあということに今更ながら思いが至ります。

どこへ行くにも家族の引越し荷物の6,7割は僕の音楽関係でしたが、それがまだどさっと荷物のままあるのがまずい、まずはこれを何とかしないといけません。ということで元旦からそれを引っ張り出して眺めています。

びっくりしたのはアメリカ、ヨーロッパに13年半いて聴きまくったコンサート、オペラのプログラムの量です。覚えていないのもありますが日記を見ると様子がわかります。いまは亡き巨匠の記録もたくさんありますから皆様の一興にはなるかもしれません。順不同で折を見て書き残しておこうと思います。

722053_1_fまずはヴァイオリンのオスカー・シュムスキー(Oscar Shumsky、1917-2000)からいきましょう。ロシアのユダヤ系で、8才でストコフスキーがフィラデルフィア管にソロ・デビューさせた神童でした。レオポルド・アウアー、エフレム・ジンバリスト、フリッツ・クライスラーに師事しましたがアウアーはチャイコフスキーの協奏曲の献呈を断ったことで有名でハイフェッツ、ミルシタインも弟子ですね。シュムスキーはグレン・グールドと共演したことでも有名ですがトスカニーニのNBC交響楽団で3年弾いていたこともあるそうです。

oscar1ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールでシュムスキーを聴いたのはサイモン・ラトル指揮フィルハーモニア管弦楽団との共演によるベートーベンの協奏曲です。1985年というと僕は英国に赴任した翌年でまだ30才でした。19世紀の演奏の香りがぷんぷんある人を聴けたのは後にも先にもこれだけで、希少な経験となりました。なるほどヴァイオリンとはこういう馥郁とした音がするものかと感激したことを覚えています。あまりうまいとは思わなかったのですが、技術など忘れさせる柔らかくとろけるような美音。彼のクライスラーの録音はまさにその音で弾かれていますね。これぞ真打ち、音のごちそうでしょう。こんなヴァイオリニストはほんとうにいなくなりました。

Yahoo、Googleからお入りの皆様

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

ネヴィル・マリナーの訃報

2016 OCT 4 0:00:43 am by 東 賢太郎

51m4bqwcf6l

 

いま、お客様から大事な案件を仰せつかっていて、今日もそれで昼に大きな会議があって、前夜もあんまりよく眠れていない。僕の仕事はそれなりの規模で自分でリスクも負うから気が休まることがなく、睡眠中もあれこれ考えているのだろう。

そんななか、朝がたにネヴィル・マリナーさんの訃報を知る。心底がっくりきてしまった。会議を乗り切るのがやっとで、会社にいてもメンタルにもたずお先に失礼した。

 

去年の11月末、マリナーさんがN響に来てブラームスの4番をきかせてくれた。その日のブログ(  マリナー/N響のブラームス4番を聴く)はこう締めくくられている。

ひょっとしてこれが最後かもしれないがいい4番を聴けて幸せでした

あの日、前半がモーツァルトPC24番で、この曲には半音階で天に昇るような音型が終楽章にたくさん出てくるが、なにかを感じたのだったかもしれない。

今年は1月にピエール・ブーレーズさんが、そしていよいよマリナーさんが鬼籍に入られた。おふたりは僕にとって現代音楽の、そしてバッハ、モーツァルトの先生であり、クラシックにのめり込むきっかけを与えてくださった。おふたりのレコードは耳に刷り込まれていて、無限の喜びを与えてくれ、まさしく「おふくろの味」になっている。

youtubeに見当たらないが、大学時代、ブランデンブルグ協奏曲第6番を下宿でたまたまFM放送から録音して、あまりに素敵なのでそのカセットを毎晩きいた。それがこのレコードだ。

J.S.バッハ「ブランデンブルグ協奏曲」BWV1046-1051

中古レコード屋を探し回るほど僕にとっては記念碑的な演奏であり、ほかの演奏では用が足りず、この6番のヴィオラとチェロの音が僕の一生の弦楽器の音色の好みを作ったと言って全く過言でない。

古典からキャリアをスタートしたマリナーさんが晩年に至ってロマン派を振り、それも英国音楽よりもドイツ、東欧物に向かったのは大正解だった。ご性格の、おそらく穏健で懐の深いおおらかさ、ロマンティックなやさしさはそれに適しているからだ。このドヴォルザーク7,8番も忘れ難いが一昨年の2月、雪の日のことだった。

ネヴィル・マリナーN響を振る

そして僕はこれをこう締めくくっていた。

楽しい時間を過ごさせていただきました。マリナーさん、お元気で末永くご活躍されることを祈っております。

そしてこれを上梓したのは英国のユーロ離脱(Brexit騒ぎ)にひっかけてのことだから去る6月、ほんのこの前のことで( 英国人がドイツのオーケストラを振ると?)、そこにこう書いた。

2010年だったか(マリナーさんが)N響を振ったライン交響曲があって、これにいたく感動したのです。僕にとってこの曲は人生のひとこまであって重たい。良いと思うことなどめったにないのですがあれは本当に名演だった。

この演奏会のビデオは大事にとってあって、客席には僕の顔も映っている。

そしてこのブログはこう締めくくっている。

いつまでもお元気で、もう一度、ドイツ物をきけたらいいなあ。

この言葉をもう一度、そのまま天にお届けしたいです。これからあなたの素晴らしい魔笛をききます。音楽の楽しさを教えてくださりほんとうにありがとうございましたこれは僕が米国時代にFM放送をカセット録音したもの。3cc8e046-dcf8-11e3_1068758k

 

これは僕が米国時代にFM放送をカセット録音したもの。1984年のミネソタ交響楽団を振ったライブです。マリナーさんのレパートリーにチャイコフスキーのイメージはないですが、これが見事な快演なのです。一聴の価値あり、ぜひお聴きください。

(こちらへどうぞ)

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

ロッシーニ 歌劇「ウィリアム・テル」序曲

 

 

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

クルト・マズアの訃報

2015 DEC 21 1:01:46 am by 東 賢太郎

クルト・マズアさんが亡くなった。クラシックに熱中しはじめた高校時代におなじみの懐かしい名前だ。アズマの反対だけどスペルはMasuaで、ドイツ語ではSを濁ってズと読むことを初めて知った。クラスのクラシック仲間がふざけて僕をケント・マズアと呼んだが、さっき調べたら氏の息子さんはケン・マズアさんだった。

mazua1だからというわけじゃないが、彼のベートーベン交響曲第5番、9番(右)は僕が最初に買った記念すべき第九のレコードとなった。だからこれで第九を記憶したことになる。なぜこれにしたかは覚えてない。ひょっとしてライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(以下LGO)に興味があったかもしれないが、2枚組で3600円と少し安かったのが真相という気もする。

mazur感想は記録がなく不明だが、音は気に入ったと思われる。というのは第九を買った75年12月22日の4日後に同じマズア・LGOのシューマン交響曲第4番を購入しているからだ(右)。大学に入った75年はドイツ音楽を貪欲に吸収していた。5月病を克服した6月に買ったジョージ・セルの1,3番のLPでシューマンを覚え、4番にチャレンジしようと7月に買った同じLGOのコンヴィチュニー盤があまりピンとこなかったのだ。それはフォンタナ・レーベルの詰めこみすぎた冴えない録音のせいだったのだが・・・。ということはシューマン4番もマズアにお世話になったのだろう。

マズアはドイツ人にしてはモーツァルト、シューベルト、ワーグナー、ブルックナー、R・シュトラウス、マーラーのイメージがないのが不思議だ。モーツァルトはシュミットとのP協全集はまあまあ、ブルックナーは4番を持っているがいまひとつだ。東独のオケ事情、レコード会社との契約事情があったかと思われる。

mazurそこで期待したのがブラームスだ。76年録音。ロンドンで盤質の最高に良い79年プレスの蘭フィリップス盤で全集(右)を入手できたのはよかったが、演奏がさっぱりでがっくりきたことだけをよく覚えている。4曲とも目録に記しているレーティングは「無印」だ。当時はまだ耳が子どもで激情型、劇場型のブラームスにくびったけだったからこの反応は仕方ない。とくに音質については当時持っていた安物のオーディオ装置の限界だったのだろうと思う。今年の4月現在の装置で聴きかえしてこう書いているからだ。

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(9)

mazua2ところでここに「フランクフルトでフィデリオを聴いたが、まさにこの音だった」と書いたが記憶違いだった。プログラム(左)を探したところ、1988年10月3日にロイヤル・フェスティバルホールであり、しかもオケはロンドン・フィルであったので訂正したい。ケント公エドワードご来臨コンサートで英国国歌が演奏されたようだが記憶にない。当時のロンドンでドイツ人指揮者というとテンシュテット、ヨッフム、サバリッシュぐらいでカラヤンが来たのが事件だった。そこに登場したマズアはきっと神々しく見えたんだろう、響きも重くドイツ流ですっかりドイツのファイルにメモリーが飛んでしまっていたようだ。この4年後に言葉もできないのに憧れのドイツに住めたのが今となっては信じ難い。

この記憶はこっちと混線したようだ。

ブルックナー交響曲第7番ホ長調

94年8月28日、フランクフルトのアルテ・オーパー。これがマズア/LGOの生の音だったがこれよりもフィデリオの方がインパクトがあった。

マズアの録音で良いのはメンデルスゾーンとシューマンのSym全集だ。これはLGOというゆかりのオケに負うところもあるが低重心の重厚なサウンドで楽しめる。ブラームスもそうだが、細かいこと抜きにドイツの音に浸ろうという向きにはいい。ベートーベンSym全集はマズアの楽譜バージョン選択の是非と解釈の出来不出来があるが現代にこういうアプローチと音響はもう望めない。一聴の価値がある。

なにせLGOはモーツァルトやベートーベンの存命中からあるオーケストラなのであり、メンデルスゾーンは楽長だったのだ。61才までシェフとして君臨したコンヴィチュニーに比べ70年に43才で就任したマズアはメンゲルベルクと比較されたハイティンクと同じ境遇だったろうと推察する。若僧の「カブキ者」の解釈などオケが素直にのむはずもないのであって、正攻法でのぞむ。それが伝統だという唯一の許されたマーケティング。だからそこには当時のドイツ古典もの演奏の良識が詰まっているのである。

意外にいいのがチャイコフスキーSym全集で、カラヤン盤よりドイツ色濃厚のオケでやるとこうなるのかと目からうろこの名演だ。悲愴はすばらしく1-3番がちゃんと交響曲になっているのも括目だ。ドイツで買ったCDだがとびきり満足度が高い。そしてもうひとつ強力おすすめなのがブルッフSym全集で、シューマン2番の第1楽章などその例なのだが、LGOの内声部にわたって素朴で滋味あふれる音響が完璧に音楽にマッチして、特に最高である3番はこれでないと聴く気がしない。

エミール・ギレリス、ソビエト国立響のベートーベンP協全集は1番の稿に書いたとおりギレリスを聴く演奏ではあるが時々かけてしまう。お好きな方も多いだろう、不思議な磁力のある演奏だ。76年ごろのライブでこれがリアルタイムでFMで流れ、それをカセットに録って擦り切れるほど聴いていた自分がなつかしい。以上。ニューヨークに移ってからの録音が出てこないのは怠慢で聞いていないだけだ。

こうして振り返ると僕のドイツものレパートリー・ビルディングはLGO時代のマズアさんの演奏に大きく依存していたことがわかる。師のひとりといえる。初めて買った第九は、彼との出会いでもあった。75年12月22日のことだったが、それって明日じゃないか。40年も前のだけど。

心からご冥福をお祈りしたい。

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

(こちらをどうぞ)

ベートーベンピアノ協奏曲第1番ハ長調作品15

ベートーベン ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37

メンデルスゾーン交響曲第4番イ長調作品90 「イタリア」

 

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

 

 

僕が聴いた名演奏家たち(ルドルフ・フィルクシュニー)

2015 JUN 24 22:22:25 pm by 東 賢太郎

Firkusny

ルドルフ・フィルクシュニー (1912-94)はチェコを代表する名ピアニストです。日本ではフィルクスニー(ドイツ語)で知られますが、チェコ語はフィルクシュニーです。あまりご存じない方が多いでしょう。ぜひこれを機に知ってください。彼は、全ピアニストのうち僕が最も好きなひとりであります。

1978年、大学4年の夏休みに1か月ほどバッファロー大学のサマーコースに参加しました。いわゆる語学留学というやつで、本来こんなのは留学とはいいません、ただの遊びです。それでも2度目のアメリカ、初めての東海岸は刺激に満ちていました。

ボストンからサラトガスプリングズを経て、ボストン交響楽団がボストン・ポップスとしてサマーコンサートをやるタングル・ウッドへ。そこで幸いにも小澤征爾さんが振ってルドルフ・フィルクシュニーがソリストのコンサートを聴けました。

芝生にねころんで聴いたモーツァルトのピアノ協奏曲第24番。調律が悪いにもかかわらず、アメリカンなあけっぴろげムードにもかかわらず、きっちり覚えてます。オケだけのプログラム後半は何やったかも忘れてしまったのに。当時から24番は好きだったようでもあり、この演奏でそうなったかもしれません。これがこのブログに書いたコンサートでした。 クラシック徒然草-小澤征爾さんの思い出-

フィルクシュニーは有名なシンフォニエッタを書いたヤナーチェックの弟子というより子供のようにかわいがられた人です。ルドルフ・フィルクスニー – Wikipedia こうして彼のライブを聴けたというのは間接的にではあっても音楽史というものとすこし濃い時間を共有できたような、ありがたい気持ちがいたします。

ライブの24番がそうでしたが、彼のモーツァルトは短調と共振します。幻想曲ハ短調K.475をお聴き下さい。この曲にこれ以上のものを僕は探す気もありません。ここには魔笛とシューベルトの未完成が出てくるのにお気づきですか?

彼がコンチェルトの20番、24番はもちろん、ブログに既述のような深いものを孕んだ25番を愛奏したのはいわば当然の嗜好と思われます。20,24,25!もうこれだけで何が要りましょう。いま書いた6つの傑作。フィルクシュニーは全音楽の座標軸でこの6曲がある「そこ」に位置している音楽家なのです。そうして「そこ」こそが僕が最も共振する場所でもある。このピアニストを尊敬し、彼の録音を愛好するのは鳴っている音ではなく、人間としての相性だと感じます。

そして冬の澄んだ空のような透明なタッチが叙情と完璧にマッチしたブラームスの協奏曲第1番!名手並み居るこの曲の最高の名演の一つであります。

フィルクシュニーのタッチがフランス物に好適でもあるのはピアノ好きには自明でしょう。僕なりに長らくピアノと格闘していまだ自嘲気味の結果しか得ていないドビッシーの「ベルガマスク組曲」。フランス的ではなく東ヨーロッパの感性です。この「メヌエット」の音の綾のほぐし方、オーケストラのような聴感!技巧でどうだとうならせる現代の演奏とは一線を画した格調!「パスピエ」の節度あるペダル、そして感じ切った和声の出し方!チッコリーニとは対極ですが、どちらも多くのことを教えてくれます。

そして最後にこれをご紹介しないわけには参りません。師であるヤナーチェックの「草かげの小径」です。この録音は、音楽を長年かけて内面化しきった人でなければ聴かせようのない至福の時間を約束する演奏の典型です。夭折した娘を送る曲なのですが悲哀はあまり表に立たず、かえってやさしさがあふれることで純化した哀悼の精神をたたえています。美しい和声とヤナーチェック一流の語法で彩られた傑作中の傑作です。フィルクシュニーの表現はスタンダード、珠玉の名品などという月並みな美辞麗句を超越した美としてどこを聴いても耳をそばだてるしかないもの。価値が色褪せることは永遠にないでしょう。

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

僕が聴いた名演奏家たち(アンドール・フォルデス)

2015 MAR 7 2:02:23 am by 東 賢太郎

1973年ですから18才の浪人中、この演奏会を聴きました。どうしてこのチケットを買ったかというと、当時バルトークに熱中しており、その弟子であったピアノのアンドール・フォルデス(1913-92)を聴いてみたかったのです。だから座席は最前列でピアニストのほぼ真下、いわゆる「かぶりつき」をあえて買ったのでした。

 

9/21(金)
18:30
東京文化会館

第56回 定期演奏会

[出演]
指揮/渡邉暁雄
オーボエ/バート・ギャスマン
ピアノ/アンドール・フォルデス
[曲目]
モーツァルト:交響曲第38番 ニ長調 K.504 《プラハ》
チマローザ(ベンジャミン編曲):オーボエ協奏曲 ハ長調
バルトーク:ピアノと管弦楽のためのラプソディ Sz.27
ラヴェル:バレエ音楽《ダフニスとクロエ》-第2組曲

 

思えば僕らは大作曲家たちのまな弟子親交のあった音楽家を生で聴けたぎりぎり最後の世代かもしれません。実際にきいた演奏家でいえば、バルトークのフォルデス、ラヴェルのペルルミュテール、ショスタコーヴィチのロストロポーヴィチ・バルシャイ、シェーンベルクのR・ゼルキン、コダーイのドラティ・ショルティ、プロコフィエフのリヒテル、シベリウス・ラフマニノフのオーマンディー、メシアンのブーレーズなどです。

クラシック音楽の楽しみ方は大きく分けて二通りのスタイルがあると思います。聴き手の価値観によるわけですが、作曲家の時代のオリジナルな表現に重きをおくか、それとも現代の演奏家のフレッシュな感覚による解釈を楽しむかです。僕はどちらも受け入れますが、作曲家の自作自演がベストのパフォーマンスではないケースも知っていますし、僕たち聴衆のほうも様々な音楽体験を経て趣味が変化するからです。

例えばマーラーやブルックナーの長大な交響曲が世界的に人気を得たのは高音質による長時間録音が可能になったLPというメディアが広く進化、普及した70年代からです。聴衆がなじめば演奏側への要求も高まり、それに応えた精度の高いリアライゼーションが複雑な作品の魅力をさらに認知させてますます人気が出るというサイクルに入ったのです。「耳の娯楽」という音楽の側面です。

しかし同時に、人気が高まれば高まるほどクラシック音楽は古典芸能であるという側面にも光が当たり、ではマーラーという人はどんな時代に生き、どんな音楽を聴き、どういう経緯でああいう曲を書いたのだろうという関心も喚起されます。これは知的な側面というかむしろ「考古学的関心」でしょう。古代遺跡を見て、それが美しいかどうかではなく歴史のロマンに酔う楽しみ方です。

僕個人は歴史遺産を見て回る趣味があるので後者が大好きです。音が悪いヴィンテージ録音でも、それは作曲家に近い時代の演奏だという絶対の価値があり、耳の娯楽を犠牲にしても考古学的関心がより満たされるからです。欧米に長く住んで意外だったのは、欧米ではそれは好事家のニッチな関心であって歴史的録音は音が悪いなりにしか評価されていないことでした。「耳の娯楽」の側面が強いと感じました。

ただ、ここが難しいところですが、彼らにとって音楽は自国の文化です。我々が双葉山を知らなくても相撲が楽しめるように、考古学は文化という大枠の中で空気のように存在しており、白鵬の相撲を自然に歴史の脈絡の中で楽しめるようにマーラーを聴いているということです。その文化がない異国の我々はまず教科書で歴史を学んでというプロセスを経てはじめて耳の娯楽にたどり着く様な、あたかも英文法から英語を学ぶような錯覚をしがちです。

僕が「クラシックの虚構をぶち壊そう」を書いた趣旨は、日本特有の教科書的(それも変な)教養主義が「耳の娯楽」という音楽の本来の側面をゆがめ、遠ざけていると感じるからです。僕は仕事で外人を蔵前国技館に案内しましたが、最低限教えるべきは勝ち負けのルールであって、それさえ知っていれば彼らは例外なく充分に相撲を楽しんだのです。クラシック音楽も、その程度の入門知識があれば誰でも簡単に楽しめます。

ただ、文化という根っこの共有がない僕らがクラシック音楽をより楽しむには、考古学的関心が助けになる、少なくとも僕の場合はそれはかなり大きなドライバーになりました。古いもの好き、遺跡好きでなければここまでのめりこむこともなかったように思います。英国人のお客さんで、日本語は話せないのに相撲の四十八手を全部いえる人がいましたがそれに近いのでしょう。彼はもちろん双葉山について僕よりずっと知識がありましたが、英国人は僕と西洋音楽の話をして同じような印象を持ったに違いありません。

だから、18才だった僕が日本では特段有名でも大スターでもない、しかしバルトークのまな弟子ではあったこのフォルデスのチケットを見つけて買った、そのことは自分の考古学趣味をまざまざと見るようであり、学校で教わったわけでも誰かに指導されたわけでもない、自分の根っこの確認という意味でとても思い出深いものです。

3877この曲は作品1であり、1905年に作曲され1909年にバルトーク自身のピアノ、オーマンディーの先生であるイエネー・フバイの指揮で初演されました。まだリストの影響が残るロマンティックな響きに満ちた和声音楽ですが、この時は食い入るように聴いていたもののさっぱりわかりませんでした。覚えているのはフォルデスのもの凄い気合いと強烈な打鍵です。細部は何も覚えてませんが、右手が高音にかけのぼってきて、つまり僕の座っている方にきてすぐそこで叩いたキーの音は今でも耳に残っています。ピアノってこんなに激しく弾くもんなんだと妙なことに感心しているうち、曲は終わってしまいました。

これがまさにフォルデスの弾く「ピアノと管弦楽のためのラプソディ Sz.27」 で、こんな感じだったです。初心者にはもったいないぐらいの特上のバルトーク原体験でした。聴きに行った演奏会は全部記録してますからこうしてプログラムまでわかるのですが、モーツァルトとチマローザはすっかり忘れていて、ラヴェルは覚えてます。渡邉暁雄の指揮を聴いたのはこれ1回でしたがこのダフニスは初めての実演で感動しました。

去年きいたのでももう忘れてるのがありますが、こうして42年前なのに覚えてるのもあります。これは人との出会いでも同じことです。全部覚えきれるわけではありません。だから、どちらも覚えていればそれだけで人生の宝物と思うことにしています。

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

(こちらもどうぞ)

デュトワ・N響Cプロ 最高のバルトークを聴く

 

 

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

 

 

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

ライフLife Documentary_banner
加地卓
金巻芳俊