シューマン交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」(第3楽章)
2013 MAR 7 22:22:34 pm by 東 賢太郎
第3楽章は「Nicht schnell.(♪=116)」という表題です。
「速くなく」という意味ですが、メトロノーム表示をつけるくらいならそんなアバウトな言葉は書かなくてもいいのにと思ってしまいます。何か書く意味があったんでしょう。前の楽章もそうで、メトロノームに加えてイタリア語のスケルツォ、さらにご丁寧にドイツ語でSehr massig(とても中庸のテンポで)と書いています。これはイタリア語ならMolto moderatoですが、わざわざドイツ語で書いています。
この曲はシューマンがドイツ語で表題をつけた最初の交響曲です。第4番もドイツ語ですが、それは第3番作曲後に改定した時のもので、初稿はイタリア語でした。このドイツ語へのこだわりにも、僕はシューマンが何かを刻印したかった意図があるように思えてなりません。
この交響曲は5楽章あります。これはベートーベンの田園交響曲と同じです。この曲がハイリゲンシュタット(下の絵)での散歩から霊感を得て書かれたものであることは有名ですね。
ベートーベン自身が以下のようなタイトルをつけています。
田園交響曲
第1楽章 「田舎に到着したときの晴れやかな気分」 第2楽章 「小川のほとりの情景」 第3楽章 「農民達の楽しい集い」 第4楽章 「雷雨、嵐」 第5楽章 「牧人の歌-嵐の後の喜ばしく感謝に満ちた気分」
シューマンは何も自分で書いていないのでこれを意識したかどうかわかりませんが、僕流の解釈をしますと、
ライン交響曲
第1楽章 「ライン川下りの晴れやかな気分」 第2楽章 「住民たちの楽しい集い」 第3楽章 「川のほとりの穏やかな情景」 第4楽章 「ケルン大聖堂の荘厳な儀式」 第5楽章 「大聖堂を出た後の喜ばしく感謝に満ちた気分」
となります。よく似ていませんか。特に第4楽章にひと波乱の緊張があって、それが第5楽章で一気に解ける晴れやかな気分が。この気分は、田園では神への感謝、ラインでは生きる喜びを表しているようです。
僕の解釈ですが、これは以下の諸点、時代背景を共通の底流としているように思います。
人間存在の根源としての自然への回帰を説き、個人の情感と意欲の尊厳を目覚めさせたジャン・ジャック・ルソー
理性偏重の啓蒙主義に反対し、君主や旧勢力の閉鎖的な貴族たちからの独立をめざす(シュトゥルム・ウント・ドラング)
それを文学で表したゲーテ
そのゲーテの代表作「若きヴェルテルの悩み」
それを7度も読み、エジプト遠征にも持参し、ピラミッドの下でも読んだナポレオン
そのナポレオンを崇拝し英雄交響曲を書いたベートーベン
ベートーベン以後の作曲家の義務は新しい形式で新しい交響曲の理想形をつくることである(ロベルト・シューマン)
シューマンはライン交響曲作曲の前年にゲーテ生誕100年記念祭に向けて、『ファウストからの情景』の作曲をすすめ、ピアノ曲集『森の情景』を完成させた
ライン交響曲の作曲はベートーベンの生地ボン近郊でおこなわれた
ボンに居住したケルン選帝侯とウィーンのハプスブルグ王家の対立の構図
ハプスブルグ王家から自立を意図したベートーベンの田園交響曲
田園交響曲が企図する音楽によるジャン・ジャック・ルソーの自然への回帰
この底流は以上のような円環形を成しています。この脈絡を背景に、シューマンはラインを題材に自然への回帰を描くことで「新しい形式で新しい交響曲の理想形をつくること」への自己の解答を示したのだと僕は考えます。
さて第3楽章ですが変イ長調で3つの主題からなっています。僕は2番目の主題、スタッカートのついた4つの8分音符から始まるテーマに、ピアノ協奏曲の第2楽章インテルメッツォ(間奏曲)を思い出します。トランペット、トロンボーン、ティンパニはお休み。ボンからケルンへとライン川は平地の穏やかな情景を見せてゆったりと流れます。
ひとつだけ僕の直感から来ることを書いておきます。
この楽章の終わりのところ、第44小節からチェロとコントラバスが「ラ♭ーソ」を繰り返して、それに乗って第2テーマと第3テーマが交互するどこか不安定な模糊とした情緒を作ります。
最後は第2テーマに回帰して終わるのですがその直前、上のピアノスコアの下から2段目の和声のふらつき。僕はこれと似た印象を抱いている部分があります。ピアノ協奏曲第1楽章の再現部の直前(展開部の最後)です。精神の均衡に、ちょっと危ない感じが聴こえてきてしてしまうのです。
シューマンの精神状態の変調がこの曲には表れていないと書きましたが、唯一この部分だけはクエスチョンマークを付しておきます。
(続きはこちら)
Categories:______シューマン, クラシック音楽
花崎 洋 / 花崎 朋子
3/8/2013 | 4:51 PM Permalink
クレンペラーの演奏で第3交響曲をじっくりと聴き直してみました。両端楽章のテンポが、やや緩慢で、かつダイナミックな迫力に欠けて、緊張感不足は否めませんが、全体的に純音楽的な、それでいて情緒的にも満足出来る良い演奏と感じました。第1番や第4番にはない、第3交響曲の魅力も充分に感じることが出来ました。それにしても、いつもの事ですが、東さんの音楽の捉え方の奥深さと雄大な着想力には大きな感銘を受けます。花崎洋
東 賢太郎
3/9/2013 | 11:59 AM Permalink
有難うございます。花崎さんのお楽しみが増えたならこんなにうれしいことはありません。クレンペラーは楽譜を非常に分析的、微視的、即物的に見ている感じで第1楽章はきっちりと3拍子を振っています。だからへミオラはどうも流れがごつごつしますが根っからの3拍子である第2主題は安定します。分析的な眼でこの曲のスコアを見るとマーラー版のようなものに近づいてしまうのですが、彼のは一部金管の楽器指定にマーラーとも違うところがあるようで、全集の一曲としておざなりに演奏したわけではないと思われるこだわりを見せています。しかし第2楽章は彼のアプローチが裏目に出てテーマを出す弦の流れがスラーごとに分断してしまっており、これではレントラーは踊れませんね。第3楽章はあまりのテンポの遅さにオケの気持ちがフライング気味なのがわかります。第4楽章はとてもいいです。終楽章。これも遅い(2分音符=120ですから)。Lebhaft(生き生きと)とは程遠いと言わざるを得ません。テンポは遅めでも名演になっているジュリーニ盤に比べるとどうもオケが納得して弾いている感じがしません。クレンペラーは若い頃20世紀音楽(当時の現代音楽)を好んで振っていた時期がありますが僕にはそれと同じアプローチでやっているように見えます。3番の演奏に最も向いていない方法論というのが僕の私見です。ちなみにCDでこの後に入っている4番の方も聴きましたが、彼のオーケストレーション変更が嫌いでなければですが、とても立派な演奏になっています。オケも心から共感して弾いています。4番はウィーン流ドイツ古典・ロマン派流儀ど真ん中の曲なのです。ぜんぜんそうではない第3番の演奏がいかに難しいかを示す良いケーススタディと存じます。
花崎 洋 / 花崎 朋子
3/9/2013 | 2:16 PM Permalink
東さん、詳しくご説明いただき有り難うございます。4番は正にウィーン派ドイツ古典・ロマン派流儀どまんなかの曲、少しわかるような気がします。(未だ、感覚的な理解の範囲内ですが)。フルトヴェングラーの4番も個人的には大変、気に入っています。またクレンペラーは1番も名演と思います。花崎洋
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