クラシック徒然草-指揮者なしのチャイコフスキー-
2013 APR 30 21:21:27 pm by 東 賢太郎
それは2004年10月23日の17時56分のことでした。
新潟県中越地震は東京でも大きな揺れとなりましたが、その後続いた大きな余震の一つが発生した時、東京のNHKホールはウラディミール・アシュケナージ指揮によるN響コンサートの真っ最中でした。ホールは舞台上のマイクロフォンが落下するかと思うほど大きく揺れ、聴衆も驚いて客席には一瞬ざわめきが走ったのです。
1階席右後方で聴いていた僕からは舞台が遠く、そこで何が起きているかは見えませんでしたが、演奏(チャイコフスキー交響曲第3番)は中断することなく一応終了しました。異変に気付いたのは、休憩後に場内アナウンスがあった時です。グラッときた時に大熱演中だったアシュケナージが(おそらく経験なかった地震に驚いて)指揮棒を左手のひらを貫通するほどに突き刺してしまい、病院で手当て中のため指揮できないというのです。
後半は同じ作曲家の4番でした。その時点で震源が新潟とは知りませんでしたが、ずいぶん大きかったので周囲の情報も気になりました。今日はこれでお開きかなと思ったところ「指揮者なしで演奏します。ご了承ください。」とアナウンスがあり、お客はみな普段どおり着席しました。しかしみなさん半信半疑です。指揮者なしのモーツァルトはありますが、大編成のチャイコフスキー、しかもリズムがとても難しい4番だったからです。
ところがこの演奏、結果的に何の破たんもなく、要所要所で堀正文コンサートマスターが弓を使って大きな身振り手振りでキューを出しながら難なくまとめあげてしまったのでした。録音を音だけ聴いたら、まさか指揮台に誰もいないという光景は想像できなかったでしょう。N響のプロフェッショナリズムに敬服しましたし、奏者の方たちにも動揺はあったでしょうから組織として立派な危機管理だったと感心しました。急場での日本人の結束力、団結力はすばらしいなと感動した一日でした。
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阿曾 靖子
5/1/2013 | 12:58 AM Permalink
14年間の舞台生活の中で、本番中に震度3あるいは4を一度経験しました。
観客はざわつき、証明がガチャガチャと頭上で鳴り出しましたが
舞台上は全く通常通り進行していました。
やや長かったので内心はもちろんハラハラでしたが・・。
一番の親友は2年前の3月11日が上演初日
昼のゲネプロ(舞台稽古中)にロシア人演出家と多数のロシア俳優合作の
「ハムレット」でガートルードを演じていていました。
初日は杉村春子ですら手が震えるというほどの緊張感、
しかもあの強震度です。全く想像したくない事態ですが、
その夜協議の上、安全点検後幕が開きました。
300席の劇場に観客は一桁だったそうです。
翌々日の昼に私はキャンセルせずに観劇しましたが、
終演後よく来てくれたと涙ぐんでいました。
「親の死に目にも会えない」とは、役者家業の因果さをよく表していますが、
演劇に限らず全ての演者は同じ感覚で毎日の無事をお祈りします。
東 賢太郎
5/1/2013 | 10:25 AM Permalink
阿曽さん、コメントありがとうございます。舞台に立たれる側のお気持ち、華やかなものばかり想像しておりましたがそういうものなのですね。知ることができてとても新鮮に思います。3-11でのハムレット、外国人もいた演じる側のご不安は大変なものだったでしょう。しかしその勇気のおかげで、来てくれた一桁の観客の感動は計り知れなかったのではと拝察いたします。もっといろいろなご体験を教えてください。
あの日、後半をやると決めたN響も勇気がありました。指揮者なしは非常事態の一発勝負ですから、プロとはいえハラハラの決断だったでしょう。それをわかっている客席もハラハラドキドキ。だから終演後の拍手はすごいもので、もう会場全体がヤッターという感じで一つになりました。舞台のN響の方々が輝いて見えました。3-11で被災地をめぐってコンサートをするなど多くのアーティストの方々が様々な活動をされたと聞いていますが、芸術が人々に勇気を与えることができるということを身をもって体験させていただきました。
阿曾 靖子
5/2/2013 | 12:26 AM Permalink
うっかり、「照明」の文字が間違っていました、失礼致しました。
ちなみに天井に吊るす機材は中小劇場でも数十個、
一個が3㎏から5kgあります。
学生時代は当然ですが、多くの小劇場系の役者、あるいは新劇でも
「仕込み」「バラシ」といって舞台の設営や照明機材の吊り降しまで
(公演の形態によっては)する場合もあります。
演劇における「舞台監督」とは「映画監督」とは言葉が似て非なるもの、
舞台機構(照明、大道具、特殊効果などの)取りまとめ役
「映画監督」の役割は「演出家」です。
まさにクラシック音楽における指揮者ですね。
東 賢太郎
5/2/2013 | 11:47 AM Permalink
映画監督の方が一般には目立ちますが、演劇では舞台監督の役割が上演のクオリティを決めてしまいそうで重たそうですね。