人間には自分や世界の出来事を残したい本能がある
2012 SEP 28 22:22:50 pm by 東 賢太郎
「ライフログ」という耳新しい言葉が日経にのっています。「自分にまつわるものをすべてネットに取り込んで残そうとすること」だそうです。
マイクロソフトのベル主席研究員は著書、論文、走り書き、クレジットカード明細、航空券の半券、写真をいつもスキャンし、目の前の光景を20秒ごとに小型カメラで撮っているそうです。こうなると少し怖い気もしますが。
そこまでではないが、自分もその傾向があると思います。日記は書いている。レコードやCDは買った日、聴いた印象も書いている。航空券の半券ももちろん保存しています。性格は決して几帳面ではないのですが・・・・。
何かの本で人間の脳は自己防衛のために忘れる機能を持っているとありました。新しい記憶が入らないからではなくストレスを溜めないためだったと思います。ベルさんはどうなんでしょう。
僕はいやなことがあると日記を書く手に葛藤が生じます。当然、気持ち的には書き残したくありません。しかし書かないと日記の記録価値、継続性がそこなわれ、連続出場記録が途切れるぞみたいなジレンマに襲われます。だから書いています。
つまり僕も「自分や世界の出来事を残したい本能」の忠実な下僕なのです。時々、日記を誰に向けて書いているのか?と自問します。自分のためです。でも自分はいずれ死にます。読み手のない日記とは何なのか?
宍戸 祐喜子
9/29/2012 | 10:38 AM Permalink
どこかで読んだ話です。
「ある日、地球で全面核戦争が起こり全てのものが息絶え、壊れ、灰となった。たった一本の木をのぞいて。 その静寂の世界である日、その木は力尽きたようにゆっくりと倒れてゆく。 その時果たして音はしたのか、しないのか」
つまり「音」を聞くものが誰一人いないのであれば、認識されないのであれば、それは「無」と等しい、というような議論だったと記憶しています。
演繹しちゃうと、「読み手のいない日記」も、「使う人のいない埋蔵金」も、「愛でられない名画」も、、、その絶対的存在に意味はなく、相対的に認識されて(使われて)こそ、ということになるのでしょうか。
で、も♥
このデジタル・ダイアリーなら、だいじょうぶ。70億人に読まれる可能性を秘めていますものー♡