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失われた20年とは何だったか(得たもの編)

2013 SEP 8 18:18:56 pm by 東 賢太郎

西室兄による味のあるテーマだ。しばらくじっくり考えてみた。兄のご説の通り、SMCメンバーのほとんどはその20年の生き証人である。サラリーマンにせよ自由業にせよ学者であるにせよ、人生の最盛期がその20年にオーバーラップしており、直接にせよ間接にせよ何がしかの喪失感を共有していることに変わりはないのではないか。

我々は一体何を喪失したのだろうか。ないものは失うことがない。我々の子どもの頃は東京もこんなでなかった。成城学園のまわりなど一面の野っ原でトンボを取ったり池でザリガニを釣ったりしていたものだ。日本があのままだったとしたら、失われた50年なんてことを言う人もきっといなかったはずだ。

64年の東京オリンピックが大きかったことは異論がないだろう。あそこから東京の様相が変わる。日本は恥の文化だ。国際的イベントのホスト国になる、外国人に見られるということに国民的意識が高まった。自宅に賓客が来る。大掃除だ。飾り棚だ。そうして新幹線や東名ができ、熱は地方に伝播して70年の大阪万博にいたる。そこで三波春夫が歌ったテーマソングが「世界の国からこんにちは」だったのが象徴するように、目線はいつも世界のお客さんだった。

そこに乗っかったのが田名角栄の日本列島改造論(72年)など自民党による高度成長政策だ。ケインジアン政策などとお品良く評するなかれ、泥臭い土建屋、ブルドーザー型成長路線である。背景にあった政財官の癒着があの時ほどひどくて、あの時ほど叩かれなかったことは日本政治史において二度とない。その角栄を潰したのが民意ではなく、賓客のはずのアメリカだったことに、その後の日本の悲劇の予兆がある。

それでも日本は成長を続ける。どうしてか。ヒントは大阪万博にある。パビリオン入場者数でトップ10、1位・ソ連館、2位・カナダ館、3位・アメリカ館・・・・7位・日本館ときて、一つだけ国でないものが目に入る。8位・三菱未来館だ。日本企業なのに日本人が殺到したのだ。「未来館」、そう1970年にして三菱は世界の未来を担っていたのだ。

そこから10余年、1980年代に世界は日本株投資ブームへ突入していく。三菱が代表する日本企業が未来の最先端技術を担っていることを10余年かけて世界がやっと認めたからである。安かろう悪かろう。東洋人蔑視が当たり前だった時代にそのイメージを覆すのは容易ではなかった。当時、白人に日本株を買わせるという仕事がどんなに大変だったかは説明しきる自信がない。野村證券の若手社員は日立の中央研究所を見学し、記念にもらった「半導体入りネクタイピン」を国力のアピールの為に胸につけていたりした。そういう時代だったのだ。

僕がロンドンに着任した84年、営業トークに使う日本のデイリー情報は細々と東京からのファックスだけだった。東京本社への株の発注はテレックスだった。それが日本株の上昇とともに,2年後にはもう日経新聞早刷版が出るようになり、発注も原始的ながらオンライン化した。2,3件しかなかった日本食レストランが数十になり、ノムラにオックスフォード、ケンブリッジ卒がたくさん来るようになった。ロンドンの運用会社の日本株を組み入れたファンドが飛ぶように世界中で売れだし、運用会社が軒を並べるロンドンの金融街シティは日本ブームに突入していった。

その結果である。89~90年に日本株の時価総額がアメリカのそれを上回った。日本の全上場企業の株式を買う方がアメリカの全上場企業の株式を買うより高かったということだ。企業経営の究極の目的は自社の株価時価総額を増やすことである。アメリカではそう教える。神様ウォーレン・バフェットも人生をかけてそれを実践している。その戦いに日本の企業軍団が勝ったということだ。

ちなみに2012年末時点で世界の株式時価総額は55兆6600億ドルであり、1位アメリカがその35.9%を占める。中国が2位だった日本を抜いたと騒いでいるが、どちらも6.6%前後と目くそ鼻くそのレベルに過ぎない。そのアメリカを一瞬とはいえ抜いた、アメリカに勝った、というより、アメリカが一度とはいえ負けた屈辱の相手が日本だったということは、山川の世界史の教科書が特筆大書すべき大事件なのだ。

僕はいちプレーヤーとしてその歴史的天下取りの劇的なプロセスの中にいた。それもその日本株の雄であり、経常利益はトヨタを上回る5000億円、あらゆる国籍の泣く子を黙らせていたころの野村證券の、その狂気の社中で最多の発注量だったロンドン株式営業部隊のカブタン(株式担当)と呼ばれる司令長官だった。前線に出撃していた僕の「得たもの」はアメリカに勝ったこと。それだけで充分だ。

しかし大本営や内地ではその余波で尋常でないことが起きていた。株だけでなく土地やマンションやゴルフ会員権まで高騰し、不動産王やバブル紳士なる奇怪な人種が跋扈した。「皇居の地価でカリフォルニア州が買える」とまことしやかに言われた。土地はそれ自体は何も生まない。未来を創る企業とはぜんぜん違う。株と土地の区別がついていない国がアメリカに勝った。そういうトリビアとして世界史の教科書に載せてもいいだろう。

社長が某高級料亭(そんなものがあった)で芸者をあげて外国の要人接待とあいなった。芸者を初めて真近に見る僕のまえに5,6人の着物のおばあさんが来て何やら芸をした。綺麗なおねえさん方の前座かと思っていたら、それで終わりだった。要人さんも同じく驚いたろう。しかし要人さんの知らない続きがあった。一番下っ端だった僕は清算係りだ。見ると請求書には堂々20万円とある。あれでこれか?ちょっと高いんじゃないの?そう思ってよく見ると、ゼロがもう一つ多かった。皇居の地価はこういうメカニズムで成り立っていたのである。

僕らの世代の「得たもの」とはそんなものかもしれない。うたかたの夢と呼ぶならロマンもあるが、司馬遼小説が往々にして陥っている「結論ありき型美点凝視」に似た壮大な国民的カン違いに過ぎなかったようにも思う。しかし、もし明治人が「坂の上の雲」を読んで浮かれていたら日露戦争には勝てなかっただろう。あのときの昭和人はその愚を犯して負けたのかもしれないと思っている。

バブルとは物質的なものばかりではない。世界一等国になった充実感など戦前派には格別なものだったはずだ。しかし、学生紛争世代よりちょっと下のノンポリである我が世代は物質的充足を期待していた。そして物質を得る前にバブルは終わってしまった(高級料亭事件と同じだ)。僕ら世代の喪失感なんてそんなものではないか。夢を見られたから良かったと思うか、実現しない夢は見ない方がいいと思うかは人生観である。

 

失われた20年とは何だったか(失ったもの編)

 

 

 

 

 

 

 

Categories:______世相に思う, 徒然に, 若者に教えたいこと

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