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ベンチャーズ残照(その1)

2019 JUL 25 2:02:05 am by 東 賢太郎


wikipediaによるとこれが日本でシングルカットされたのは1965年らしい。東京オリンピックの翌年で僕は小学校5年生であった。成城学園前駅を学校側に出て交番のところをすぐ右に入る小路をしばらく進むと、右側に小さなレコード屋があった。ベンチャーズのEP盤はほとんどそこで買った。1枚500円だった。いまなら5000円ぐらいの感じだろう、それを何枚も買う小遣いがあったはずはない。戦中派にしてはクラシック好きでアメリカOKの親父に理解があったんだろうがビートルズに行くのは警戒していた気がする。ベンチャーズは髪の毛が短かったからよかったかもしれない。上のジャケット、やんちゃしてみせる左の3人に対し右端のベースマン、ボブ・ボーグル氏がいい。社内旅行の宴会で借りだされて舞台に出てきたド真面目な総務係長という感じが好きだ。

これを何十回かけたか。もう擦りきれてるだろうと思ったら意外にそうでもない、レコードはCDよりモチがいいかもしれない。クラシック用のオルトフォンのカートリッジで鳴らす。悪くないぞ。こんなに低音が入ってたんだ。「10番街」でベンチャーズにハマってロックギタリストになられた方のネット番組を拝見していたらノーキー・エドワーズが低音でメロディーを弾くところのチョーキングに参ったと言っておられ、人によってずいぶん違うもんだと感心した。僕の場合どこにハマっていたかというと、冒頭ショッキングなディミニッシュコードに続いてドラムソロとなり、そのエンドのにかぶさってボンボンボンボンと4つ入るボブ・ボーグルのベースなのだ。

すげえ、なんだこれ!カッコいい!!一撃でノックアウトを食らい、以来その快感を味わうためだけ?に何十回このレコードをかけたことか。そこには理屈など入りこむ余地はかけらもない。僕にとってベンチャーズは「サウンドのカッコよさ」命であって、それは今に続く音楽趣味をつくったし、ひょっとすると生まれつきの趣味がここでど真ん中に命中したという順番だったかもしれない。ベンチャーズこそ掛け値なしにわが音楽の祖であり起源であって、僕は退屈で死にそうだった音楽の授業ではなくベンチャーズのレコードで音楽の九九と四則計算みたいなものを覚えて今に至ったと思っている。

ギターのテクニックのような女の子にモテそうなことにはからっきし興味がなかったからカッコいいロックギタリストになれる才能はなかった。あこがれはドラムスだった。親父にせがんだらギターは買ってくれたがドラムスだけはどうしてもだめだった。仕方なくスティックだけ自分で買ってきて柔らかめのカバーの本を並べ、電気釜のフタをシンバルにしてばかばか叩きまくってメル・テイラーの気分を大いに味わったが、ついにフタがひん曲がってしまうわお前は本を何と心得とるとのかとこっぴどく叱られた。ちなみにそっちも関心はスネアやシンバルよりタムタムの大中の音色の違いで、それでキャラヴァンにハマってたわけだ。大きいほうのタムにしていた本の音がわりと深みがあって良く、表紙を今でも覚えてる(中身は覚えてないが)。この趣味はやがて「春の祭典」のティンパニの音色への執着に進化していく。これだからモーツァルトは遠くストラヴィンスキーは近かった。

このたび、このアルバムが音楽的にどうだったのかと耳を澄ますと、WALK DON’T RUNのサイドギターの最初のコードがAmじゃなくてAじゃないのかときこえてきた。これは大変ショックである。そうなると別の曲だ。DIAMOND HEADとPIPELINEとをピアノで弾いてみる。これが予想だにしなかったことだが、実にカッコいいのである。やっぱりそれなりのモンだったぜ。

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Categories:______ベンチャーズ

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